novel

Distance 1round 愛うらら 2


6

「エスカレーター式だって、入試並の実力テストと進級テストがあるからね。高等部でがた落ちする人も出るんじゃないかな。それで大学とか行けないとかね。大学は入試はあるし」

 そう多保(たほ)が説明してくれたので、なんとかここのシステムが解ってきたような気がした。

「へぇ、そうなんだ。でも、三人とも頭はいいんだよね?」
 と千冬が微笑むと、三人はキョトンとした。

「だって、2組だってことは、成績いいってことでしょ?」

 ここのシステムでは、学年の組は、成績順となっている。1組ではないにしろ、大学を別 の大学にしているような1組とは違うのだろう。

 その中で2組ということは、6クラス中では頭がいい方という事になっているのだ。

 千冬の指摘は間違っていないのだが、きょとんとした三人はとたんに、ふっと笑っていたのだった。

「はー、千冬は可愛い、性格も可愛いなー」

 多保がしみじみとそう言うと。

「同感」
 と、幹太(かんた)と岸本が頷いたのである。

「えー、なにそれ」

 千冬には自分が可愛いと言われる要素があるとは認識してない。

 他から言われても、ただ童顔なだけだ、とか、母親に似ているからだとかしか思ってなかったからだ。しかも、今度は性格まで可愛いと言われてしまって、困ってしまう。

 可愛い性格とはなんだろう?

 そうなってしまうのだ。

 すると、多保が立ち上がって、がっしりと千冬の肩を両手で持つと真剣に言ったのである。

「怖いオオカミには気を付けようね。誰かに誘われても絶対付いていっちゃ駄 目だからね。解った?」
 と言うのである。

 確か、世嘉良(せかりょう)もオオカミがどうたらこうたら言っていたなーと千冬は思い出していた。

 その目の前で、また喧嘩が始まる。

「それは多保も同じだぞ」
 幹太がそれに突っ込んだからだ。

「俺が付いて行く訳ないだろ、馬鹿幹太」

 むっとして多保が言うと、幹太はふーんと言う顔をして言う。

「うっかりついていっちゃって、大変な事になりかけたの忘れてないって事だよな?」

「……忘れるもんか、いや忘れたいね。あんな汚点」

 どうやらオオカミさんに何かされたようである。そう認識した千冬である。

「ついていくと、何かあるの? 脅されるとか、カツアゲされるとか……」
 千冬がそう言うと、三人ははぁーっと溜息を盛大に吐いた。

「今まで、千冬が無事だったのが不思議だよ……」
 と、多保と幹太が言った。その意味が千冬には解らない。

「なぁなぁ、而摩(しま)って、天然?」

 話を聞いていた岸本がそう二人に聞いた。

「そーかも」
 と、幹太。

「この男子高の怖さを知らないだけでも天然かもね。もしかして写真撮られてたのも気付いてないかも……」

 そう多保が言ったので幹太も頷く。

「多保もかなり撮られてたもんなー。むかつくけど」

 と、幹太は真剣に言った。どうやら、それだけは気に入らないらしい。
 でも千冬には何故写真に撮られたら駄目なのかが、さっぱり解らない。

「写真って? どうするの?」
 きょとんとして三人に尋ねた。

「うーんとね。女の子の代わりというか、男の子でもいいなーって思った奴が買ってね、自分の潤いにするわけよ。夜のおかずとかにね、解る? おかずってご飯のことじゃないよ。それは解るよね?」

 そう多保に説明されて、千冬はがーんと頭を殴られたようになってしまい、固まってしまった。

 もちろん、夜のおかずとは、あれをする事に使う意味というのは、いくら千冬でも知っている。それを男でもいいなんて言うのが固まってしまう要因だったようだ。

「うはー、かちこちだ」
 隣にいる岸本が、千冬の肩を突いてそう言った。

「免疫なかったんだ……」
 さすがに幹太も呆れてしまう現状である。

「もしかして、ちやほやされてなかったのかな?」

 何かそこに原因があるような気がして、多保が呟いてしまった。可愛いからと言われても、きょとんとしてしまう千冬には何かあるような気がしたからだ。

 その言葉に我に返った千冬は、本当の事を言おうと決心した。

「えっと、あの、どっちかっていうと、イジメられてたから」

「えーなんで?」

 こんな千冬の何処にイジメる要素があるのかが解らないと多保は言った。

「勉強頑張ってたら、女のくせにとか……そういうの」
 千冬がそう答えると多保は納得したように頷いた。

「それって、好きな子イジメちゃう方へ出ちゃったって感じだね」

「好きなって……そういうのとは違うと、思う……」
 千冬はしゅんとなってしまった。

 転校した中学では、そんなイジメはなかったのは確かだ。可愛いとか言われていたけど、千冬は訳が解らなかったので無視していた。
 そのうち、言われなくなってしまったし、前の中学では、この顔のせいでイジメにあっていた。本当に男なのかとか、女だろうとか、女子からも無視されたりして孤独だったのだ。

 だから学校は勉強するだけの場所になってしまったのだ。楽しかった事はないし、友達だっていない。だから、この学校では友達は作ろうと心に決めていた。それは義父からの影響も多少はあったかもしれない。

「うーん、でもこの学校では、イジメはないと思うよ。俺らもいるし、大丈夫。女顔なんて奴、いっぱいいるしね。どっちかってと可愛がられる方だよ。だから大丈夫」

 岸本は、きっと千冬には辛い事があったのだと悟って、そう慰めてくれた。

「ふーん、そう、なんだ」
 よく解らないが、大人しくしていれば、イジメに合うことはなさそうだ。

 それに初対面なのに、こんなによくしてくれる多保や幹太、岸本がいてくれるだけで、千冬には十分過ぎる程の成果 だったのだ。

「まぁ、そのうち解るって。オオカミとか可愛いから可愛がられるとかね」

 と、幹太がニヤッとしてそう言った。

 余計に千冬が混乱すると、多保が怒って幹太を殴った。
 なんか、それが千冬には可笑しくて笑ってしまった。

「そうやって、笑ってる方がいいよ」

 幹太はそう言って、千冬の頭をくしゃくしゃと撫でたのだった。
 なんだが、今日は頭を撫でられる日なのだろうか……。
 そうしているうちに、担任らしき教師が教室に入ってきた。

「はーい、席に着くー」

 なんだか、大して怒ってもなく、のんびりとした口調で注意したにも関わらず、生徒は大人しく自分が決めた席に座っていった。

「ホームルーム始めます。自己紹介とかは個人でやってください。それから席はそのままで結構ですので、明日からその席に座って下さい」

 教師がそう言うと、わっと教室内が明るくなった。

 元々、こういう学校なのだろう。自分の気に入った席が手に入った者は大喜びで、前にうっかり座ってしまった者は文句を言っている。

 なんだか楽しそうな学校だ。

 それに、席は、前には多保と幹太がいるし、隣には岸本もいる、有り難い席順だった。それが嬉しくて、千冬は微笑んでしまう。

 最初から仲良くなった三人と離れずに済んだのだからラッキーとしかいいようがない。

 今日はなんだかツイているような気がしてならない。

 このまま、千冬の学校生活は始まったのである。

 
7

 家に帰り着くと、千冬(ちふゆ)は一気に疲れが出たような気がした。

 制服を着替え、リビングでぼーっとしてしまったのだ。

 放課後は、3駅しか離れていないのに、途中で多保と幹太と岸本と一緒に少しだけ遊んだのだ。携帯やメールアドレスの交換などもやったし、楽しいお喋りもした。

 どうやら校則には、制服で寄り道をしてはいけないとかそういうのはないらしく、近くのマックでお茶しながらの雑談をしてきたのだ。

 夕食前だと言うのに、幹太はお腹空いたと言って、ビックマックを食べるし、多保も岸本もハンバーバーを食べていた。

 食欲旺盛な年頃なんだと三人は言ったが、千冬は胃袋が小さいのか、ポテトとシェイクだけ買って食べただけで、なんかお腹が一杯だった。

 どちらかというと、友達が即出来たという出来事の方に関心がいってしまって、食べる前にお腹いっぱいという感じだったのだ。

 それに学校帰りに寄り道して、遊んでという事をやった事がなかったので、それが新鮮だったのだ。

 また学校へ行くのが楽しくなりそうだった。

 それを思い浮かべると、何もしたくなくなってきてしまった。

 三人には、千冬が一人暮らしである事を教えてあった。だから夕飯の買い出しというとさっと解放してくれた。

 あの三人はまだ何処か行くような事をいっていたが、それは勉強しかしてこなかった千冬には信じられないバイタリティーなのだ。

 そのうち自分も慣れる時がくるのかもしれないと思うと、少しワクワクするのだ。

 でも、今日はいつもより疲れたかもしれない。休み中、特に何もしていなかったというのもあって、久しぶりに動いた事が疲労になっているようだった。

「今日は作るのやめようかな……」

 一応、買い物はしてきたのだが、食事を作る作業となると、なんかしたくなくなってきてしまった。

 幸い、ここから歩いて5分以内にコンビニがある。ここでは時々お世話になっている場所でもあった。

 買ってきたものは、別に今日作らなくても大丈夫なものであるし、明日買い物をしなければそれで間に合うという感じだったので、千冬は部屋に戻って財布をポケットへ突っ込むと、コンビニに向かおうとしていた。

 部屋を出て、エレベーターが上がってくるのを待っていると、目の前でエレベーターが開いた。降りてくる人の為に避けようとした時、目の前に誰が立っているのかに気が付いた。

「よう、千冬」

「あ、世嘉良(せかりょう)先生……」

 ちょうど、帰宅したばかりなのだろう、世嘉良は軽いバッグを下げただけの姿だった。洋服からも今朝、そして学校であった時のままなのは見て解った。

「今、お帰りですか?」

 世嘉良がエレベーターを降りたところで、千冬はそう尋ねた。

 エレベーターは何処かの階へと向かって動き出してしまったが、まあそれは待てばいいだけのことなので気にしなかった。

「まあな……千冬はどうした? こんな時間に」

 時刻は7時を回っていた。高校生がこんな時間に出かけるのは珍しいくないはずなのに、世嘉良はそれが珍しいとばかりに聞いてきた。

 世嘉良は、千冬がここで一人暮らしをしている事を知っているらしい。それで、家族がいないからと言って、遊び歩くタイプではないのも解っている。用事があるなら、明るいうちに済ませるタイプであるのも解っているらしい。

 だから、千冬がこんな時間に出かけるのが珍しいと言っているのである。

「あの、コンビニまで行こうかと……」
 千冬がそう説明をしようとすると、世嘉良はすっと眉を顰めたのである。

 まさかそんな顔をされるとは思わなかった千冬は、首を傾げて世嘉良を見上げてしまった。どうしたんだろう?という感じである。

 何かいけない事でも口走ったのか? でもそうじゃないしと思っていると、世嘉良は溜息を吐いて言ったのである。

「まさか、コンビニ弁当じゃないだろうな?」
 そう言われて、それが当たっていたので千冬は頷いた。

「そう、ですけど?」

 それの何がいけないのかが解らない。
 千冬の頭には?マークが沢山だ。
 世嘉良ははあっと息を吐いて言った。

「こんなちっさい身体で、栄養が片寄るだろ。こっちへ来い」
 世嘉良はそう言い、千冬の腕を引っ張ってエレベーターホールから連れ出した。

 向かったのは、千冬の家の隣、つまり世嘉良の自宅だった。

「あの……」

「いいから、入れって」

 戸惑う千冬の腰を抱き寄せて、世嘉良は自分の自宅の鍵を開けると、そのまま玄関に入った。靴を脱ぐようにいわれ、どうしようと思いながらも、千冬は言われた通 りに靴を脱いで中へ入った。

「とりあえず、リビングにいてくれ」

 世嘉良はそう言うと、玄関から一番近い部屋へ入って行った。

 このマンションの間取りは、殆ど同じであるから、そこは千冬の部屋であれば、千冬の専用の部屋と同じ位 置になる場所だった。

 どうやらクローゼットにでもしているらしく、ドアを開けたままで世嘉良は着替えを始めてしまった。

 このまま覗いている訳にもいかず、千冬は勧められたままに、リビングに向かった。

 廊下のドアを開けると、自分の家と同じ間取りのはずのリビングであるはずの空間が広がっていた。

 そこは、千冬の家とは違っていて、物が少ない感じがした。

 一応、リビングと言われたので、リビングに立ってみたが、断りもなしに座る勇気もなくて、ただその場に立ち尽くした。

 なんでこんな事をになったんだろう?

 そんな不思議な偶然が信じられないのである。どうして世嘉良は自宅に千冬を上げたりしたのだろうか? そんな考えが千冬の中で広がっていた。

 千冬だったら絶対に今日知り合った教師とはいえ、家の中まで踏み込ませることはしなかっただろう。

 隣同士であったとしても、ただの知り合いでしかない関係で家を訪ねるのは失礼だろうと思っていたからだ。

 でもそうした事は世嘉良にはないらしい。

 平気で生徒を自宅へ上げてしまったり、勝手にリビングへと言ったりしたりと変わった事が多いような気がする。

 それとも元からそんな性格だったのだろうか?と千冬は思ってしまう。

 とにかく、訳が解らないまま連れて来られた現状は、まだ理解出来ないでいた。

 千冬がぼーっとしていると、いきなり声をかけられた。

「突っ立ってないで、座れよ」
 いつの間にか、世嘉良がキッチンに立っていた。

 ハッとして千冬は振り返った。

「もしかして、断り入れないと座れない性格?」

 世嘉良はキッチンで何か作業しながら、そう尋ねてきた。

 千冬は少し困った顔になって頷いた。

 リビングへとは言われたが、座っていろとは言われなかったからだ。

「まあ、座れって。そのソファ、座り心地いいから」

 クスリと世嘉良に笑われて言われ、千冬は渋々ソファに座った。

 大きなソファは確かに座り心地がいい。ふんわりと腰を包んでくれるような柔らかさがあるのだ。

 きっといいソファなんだろうな、と千冬は思った。

 自分の家のソファもかなりいいものらしいが、価値は解らない。義父が買ってきたもので、千冬も気に入っていて、引っ越しの時にも置いていってくれたものだ。

 それより、このソファはもっと高価なモノのような気がしたのだ。

 すっとソファを撫でていた所へ、世嘉良がやってきた。

 足が見えて、ハッと視線を上げると、世嘉良は片手にコップを持っていた。

「俺はブラックしか飲まないから、砂糖もミルクもないけど、平気か?」

 世嘉良はそう言って、コーヒーを千冬の前のテーブルに置いてくれた。どうやら飲めということらしい。

「あの、すみません。俺もブラックなんで大丈夫です」

 一応入れて貰ったものだからと、千冬がすっとコップを持ってコーヒーをすすると、世嘉良は満足したような顔をした。

「飲めと言うまで、待てをするかと思った」

 世嘉良にそう言われて、千冬は吹き出しそうになってしまった。

「な、なんで……」

「さっきは待てしてただろ?」

 ニヤリとして言われて、千冬はムッとして口をとんがらしてしまった。これは子供っぽすぎて嫌な表情なのでやらないように気を付けていたのだが、思わず出てしまったのだった。

「待てって……ただ、座っていいか解らなかっただけです。今度は飲めって言われなくても、せっかく入れてくれたんですから、飲まないと失礼でしょう?」

 千冬がそう反論すると、世嘉良はまあそうだなと笑った。

 人をおちょくって楽しんでいるようにしか見えなくて、千冬は話しを最初に戻すことにした。

「それで、どうして俺は、ここへ連れて来られたんでしょうか?」

 それの解答がまだ得られていなかったのだ。

 千冬がそう言うと、世嘉良はそれをやっと思い出したようで、ああっと言いながら言ったのである。

「飯を作ってやろうと思ってな」

 そう言われて、千冬は首を傾げてしまう。

 どうして世嘉良にご飯を作ってもらわなければならないのだろうか?

 自分はコンビニへ行こうとしてたのだから、たった一日のコンビニ弁当で栄養が片寄るはずもないのだから。

「だから、今日はコンビニ弁当でもいいと思ったんです。普段はちゃんと作ってますから。それにどうして世嘉良先生にご飯作ってもらわなければならないんですか?」

 千冬がそう言うと、世嘉良は。

「まあまあ。いいじゃないか。飯といってもチャーハンしか作る材料ないけど、作ってやるって」

 世嘉良はそう言って、千冬の頭をクシャクシャと撫でたのである。

 どうも世嘉良はスキンシップが好きな人らしいと、千冬はこの時思った。

「でも、作ってもらうって言っても……」

「変な遠慮するなって、俺が作ってやりたかっただけだから。一人でコンビニ弁当も寂しいだろ」

 世嘉良はそう言い終えると、さっさとキッチンに向かってしまう。

 リビングから見ていると、冷蔵庫を開けて、簡単に材料を出して、冷凍してあったご飯をチンとしている。

 一人暮らしの男の人が料理出来るとは思うが、こうしてきちんとしているのは、初めて見るのだ。義父はまったく料理が出来ない人だったし、自分は母親の代わりに料理を覚えた方なので、世嘉良も必要に狩られれば、ちゃんとした料理が出来る人なのだろうと千冬は思った。

 世嘉良は、材料を切りながら鼻歌を歌っている。どうやら上機嫌なようだ。

 今さら断れなくなってしまった千冬は、大人しく座っているしかなかった。



8

  暇だったので、千冬は部屋の中を見回していた。

 一人暮らしの割には整っている部屋。それどころか、必要不可欠なものしか置いてないという感じがする部屋だ。

 千冬の部屋のように、雑誌が転がってたり、新聞があったりとか、そうした雑然さがないのだ。

 なんというか生活感があまりないと言った方がいいのか、モデルルームのような部屋と言った方がいいのか。

 本当にここで生活を営んでいるのだろうかという部屋。昨日引っ越してきたと言っていた割には部屋はきちんと片付いているし、無駄 なものは一切無い。段ボールとかも見当たらない。

 男の一人暮らしとは思えない感じだ。

 でも、家具は結構いいモノみたいで、ソファは座り心地はいいし、テーブルもそれにあつらえていいものだ。下に敷かれているラグもかなりいいものだろう。ふわふわして足が冷たくなくていい。

 千冬だったら、ここへ座る方が好きかもしれない。

 TVは大型のもので、映画を観るにはいいだろうという大きさだし、オーディオセットも十分揃っている。その隣の本棚みたいなラックには、沢山のDVDが入っている。

 映画好きなのだろうか?と、千冬は思って、そのDVDを見ると、最近流行の映画のDVDだったり、往年の懐かしい映画のDVDだったりする。

 映画ばっかりだから、放映されたドラマのDVDとかは見つからなかった。どうらや映画好きという事は解った。

 でも得られた情報はそれだけだ。

 この部屋には何もないから、世嘉良(せかりょう)がどんなのが好きでいるのかが解らない。

 もしかしたら、他の部屋には何か違うものが沢山あるか、段ボールの山が未だに残っているのかもしれない。

 とりあえず、生活空間だけは揃えたと思ったら、なんだが千冬は可笑しくなってしまった。

 こうして整えているという事は、訪ねてくる人はいるという訳で、だらしない所は見せないのが、世嘉良の性格なのかもしれない。

 そういえば、世嘉良は美術教師だ。

 もしかしたら、他の部屋はアトリエとして使われているかもしれない。なにせ、部屋は後2つはあるのだから。一つはクローゼットで、一つはアトリエで、一つは寝室と考えれば結構無駄 ではないのかもしれない。

 しかし、この分譲ファミリータイプマンションに、男の一人暮らしはおかしいかもしれない。こうして当てはめていくと納得が行く部分もあるが、わざわざ分譲マンション、しかもファミリータイプを買う必要はないと思う。

 お金持ちなのかな?

 ふと、千冬は思った。

 世嘉良の教師の給料では絶対にこのマンションは買えないと思うのだ。

 値段は結構するし、高級取りだった義父がぽんっと買ったマンションだから、値段もそれなりに解っているつもりだ。だから、教師が住むようなマンションとは思えない。

 色々と詮索したいことでもあるが、本人が言わない事を聞くのは、失礼にあたると思って千冬はそれは聞けなかった。

 世嘉良がどんな環境を望んだにしろ、ここを選んだという事には何か意味があるはずなのだ。でも、それを詮索するのは失礼だし、自分が知ったところで納得して終わるだけなのだ。そんな事を聞いて、世嘉良の機嫌を損ねたくないと思ったのもあった。

 それでも、どういう人なのだろう?という疑問は消えてくれない。

 あんな冬の絵が描ける人なのに、何だか繊細さは感じない。どちらかと言えば、大雑把な感じがする。

 大雑把な人の部屋を見れば、整っていて、やっぱ繊細なのかと思うが、あの世嘉良の様子を見ていると大雑把にしか思えないのである。

 偏見なのかなあ?

 そんな事を色々と考えていると、キッチンから声がかかった。

「ほら、出来たぞ」

 世嘉良の声で千冬はハッと我に返る。

 振り返ると、世嘉良は両手に皿を持っていて、それをダイニングのテーブルに置いている所だった。

 考えに没頭している間に料理が出来てしまったようだ。

「こっち来いよ」

 世嘉良にそう言われて、千冬はソファから立ち上がってダイニングへ行った。

 テーブルには、しっかりとチャーハンとスープにサラダがあった。世嘉良は、コンビニで買っただろうお茶をコップに入れて置いてくれた。

 すっかり用意が整っていた。

 こんな物音にも気が付かずに自分の考えに没頭してたとは、千冬はなんか恥ずかしかった。自分だって料理が出来るのだから、スープくらい、皿を出すくらいの準備を手伝えたのではないかと思ったからだ。なんだか申し訳なかった。

 そんな千冬の表情を読み取ったかのように、世嘉良が言った。

「なんか、俺の部屋は面白かったか?」

 そう言われて、千冬はきょとんとした。

「え?」

「なんか、御機嫌だったり、考え込んだりしてたし。見てたのは俺の部屋だし?」

 ニヤリとして世嘉良が言ったので、千冬はすっかり行動を見られていたのだと解って、恥ずかしくなって言い訳をしてしまった。

「あの、なんか、他人の部屋とか、あまり入った事なくて……なんか、珍しくて……」

 昔から友達の家を訪ねるなんて事はなくて、行ったのは転校した中学の友達の部屋にいったくらいしかない。

 独身男性の部屋なんかは、もちろん初めてだから珍しかったと正直に言うと、世嘉良はなるほどと納得してくれた。

「親戚の家とか行った事もなかった?」

 そう聞かれて、千冬は一瞬黙ってしまった。

 もちろん、一回もないのだ。

 そんな千冬の表情を読み取った世嘉良は。

「すまん、忘れていい。さあ、とりあえず食べてくれ。味は保証するぞ。店から習ったレシピだからな」

 世嘉良は話しを切ってくれた。千冬はそれにホッとした。

 答えたくない事に答えなくて良かったからだ。

 それが世嘉良の優しさなのだと、この時思った。ありがたかった。

 千冬は世嘉良に勧められるまま、椅子に座った。

「いただきます」

 そう言ってから、チャーハンに手を付けた。

 一口、口へ運ぶと、しみてきた味に目を丸くした。

 本当に世嘉良が言った通りにチャーハンは絶品だったのだ。

「美味しいです!」

 お世辞でもなく、千冬は目を輝かせて、世嘉良に向かって満面の笑顔を向けて言った。 味に感激して、千冬はチャーハンに夢中になった。途中で飲んだスープも美味しくて、信じられないと思った。自分でもこんな美味しいチャーハンは作れないからだ。

 それに満足したのか、世嘉良はふわりと笑った。

 それが今まで人をなめたような笑顔ではなくて、千冬はドキリとしてしまう。

 そう、世嘉良はこういう表情を時々、ほんの一瞬するのだ。

 そんな顔をされてしまうと、千冬は何故か世嘉良を意識してしまうのだ。こういう顔も出来るんだ、いつもそうやって笑ってくれればいいのに…と思ってしまうのだ。

 それが自分だけに向けられるものならば、どれだけいいだろうか。

 その優しい笑顔が消えてしまうのが怖かった。

「本当に旨そうに食うなぁ。作った甲斐があったな」

 今度はニヤリとして世嘉良は笑った。

 やっぱり、あのふわりとした笑顔は一瞬でしかないのだ。

 まるで餌付けされたような気がして、千冬はムッとしてしまう。

「だって、美味しいから……」

 千冬はスプーンを口にくわえて、ジロリと世嘉良を睨んだ。

 だが、世嘉良は意に介したようでなく、さらっと言ってのけた。

「褒められると、嬉しいな。また今度も作ってやるよ。材料が揃ってりゃ結構なもんだぜ」

 世嘉良はそう言って、自分の料理の腕の自慢をした。

 そして、世嘉良は自分が食べ終わった皿を片付けていくので、千冬は慌てて、チャーハンを食べる事に専念した。

 千冬には、久しぶりに他人が作った料理で、しかも最高に美味しいのは、嬉しい出来事だったのだ。 

 ただ、世嘉良が何故、いきなりこんな行動に出たのかが、まだ理解出来てなかったのだが、それはのちのち解る事だった。


9

 チャーハンを大急ぎで食べ終えた千冬は、手を合わせて。

「ごちそうさまでした」
 と言った。

 それを見ていた世嘉良(せかりょう)が意外そうな顔をして千冬を見ていた。

「な、なんですか?」

 千冬が世嘉良を見上げると、世嘉良はクスリと笑って。

「行儀がいいことで、と思ってな。なんか千冬らしいって感じ」
 と、意味不明な事を言った。

 千冬らしいってなんだろうと、千冬は思った。

 千冬は一人の時もちゃんとごちそうさまは言うし、ちゃんと「いただきます」も言ったはずだ。自分で作っても、この材料を作ってくれた人への感謝だと母親が常にいっていたから習慣になっているのだ。

 それを指摘されても、行儀がいいとは思えなかったのだ。

「普通、いいませんか?」

 千冬が疑問を投げかけると、世嘉良は驚いた顔をしていた。どうやら意外だったらしい。

「いや……言わなかったよーな、言ってたよーな感じだな。今時の子は言わないんじゃないかと思っただけだよ。悪い事じゃないから」

 どうやら、世嘉良の記憶は曖昧らしい。それに今どきの子は言わないのは、普通 なのかと千冬の方が驚いてしまったくらいだ。

 そうなのか……でも多保とか幹太は言ってたよーな……。

 今日、マックであった事を思い出すと、二人とも言っていた。あれはやはり行儀がいいというのだろうか。

「でも、多保とか幹太は言ってたから、普通だと思うけど……」

 千冬がそう言うと、世嘉良はその名前を聞いて首を傾げた。

「前鹿川多保? 後生川幹太?」

「ええ、そうですけど」

 しっかり生徒の名前を言う世嘉良に、千冬は驚いた。

 世嘉良は高校の美術教師なのに、何故、二人の名前をフルネームでしかも知っているように言えたのだろうか?

 千冬が不思議そうな顔をしていると、世嘉良は、コーヒーメーカーで入れたコーヒーを持って、リビングへ行った。

 そして引き返してくる時に、その疑問に答えてくれた。

「あの二人は、中学の頃から有名だからな。それで名前を顔は知ってる。それに中学の授業にも出たこともあるし、一応、顔見知りだな」

「そう、なんですか……ふーん」

 それでも顔を知っているとは、世嘉良は顔が広いと言っていいのだろう。

 高校の教師が中学の授業を見るという事もあまりないかもしれないが、このエスカレーター式の学校では普通 なのかもしれない。

 そういう事もあるのだろう。でも、二人と顔見知りとは驚いたことだ。

「多保とか幹太とかと顔見知りなんですね。なんか、凄い偶然……」

 千冬は本当に驚いていた。

「二人と同じクラスになったのか?」

「ええ、そうなんです。話し掛けてくれたのも二人で。あと、岸本って人も一緒で、今日は帰りに少し遊んできました」

 千冬は少しはしゃいでいた。せっかく出来た友達だから、それを誰かに話したかったのだ。でも、両親はまだ仕事だし、話せるのは明日になりそうだった。

 誰かにこう話せることは、何か嬉しい感じがする。

 そう言えば、世嘉良とも今日出会ったばかりの人だ。

 こんな嬉しい偶然が続くとは思わなかった。

 本当に今日はいい日だと思う。

「へぇ、あいつらと友達なら、教室では大丈夫だな」

 世嘉良がそう呟いたが、その呟きは考え事をしていた千冬には聴こえてなかった。

 自分がどれだけ危険な場所にいるのか、千冬はまだ理解していないようだ。それが世嘉良を急かさせる。誰かに何かされる前に、自分が……と思ってしまうのだ。

 無邪気に喜んでいる千冬に、どうやってオオカミの説明をすればいいのか、それを教える事が出来るのか、世嘉良は悩んでしまう。

 ここまで純粋に人を信用するような千冬に、人をみたらオオカミと疑えとは言えないし、言ったところで理解していないと意味がないような気がするのだ。

 まぁ、写真部伝いに、一応は牽制して置いたから、何かリアクションは簡単にはないだろう。

 それにまだ入学したばかりだ。さっそく行動に移すせっかちな生徒もいないだろう。

 そう考えて、世嘉良は食事の後片付けを続行する事にした。

 千冬の食べ終わった皿を取ろうとした瞬間、千冬が我に返ったようだった。

「あ、あの、手伝います」

 千冬はそう言って立ち上がった。

 料理までしてもらって、後片付けもしないなんて図々しさは千冬にはなかった。

 それに自分ではちゃんと後片付けをしているのだから、出来る事なのだ。食事のお礼を兼ねて、ちゃんと手伝いをした方がいいに決まっている。

 千冬がそう申し出ると、世嘉良は少し意外そうな顔をしたが、破顔して笑った。

「そうか? やってくれるか。後片付けは苦手なんだ」

 世嘉良の笑顔に、思わず千冬はまたドキリとしてしまう。

 本当に色んな顔を持っている人だと思う。

 こんなに色んな顔が見られるのが何故か嬉しいと感じてしまう千冬。

「はい。家でもやってる事ですし、ごちそうになって何もしないなんて、やっぱそれは出来ませんから」

 千冬はそう言うと、さっと腕まくりをして、残っている食器をキッチンのシンクへ運んだ。ここのシンクは千冬の家と変わらない。使い方も解るし、世嘉良も苦手と言いながらも、きちんと整頓しているようだ。

 さっとお湯を出して、皿を一通りお湯に通して、スポンジを取ると洗剤を付けて、皿を綺麗に磨いていく。

 これはもう慣れたことだ。母親に教えられたことではない。自然に身体が覚えてしまった事で、千冬にとってはなんの支障にもなりはしない出来事だ。

 ただ、二人分という食器が、何故か心を暖める。こんなのは久しぶりだったからだ。

 両親は共働きだし、食事の用意も後片付けも千冬がやってきた。自然にそうなってしまった事だけれど、義父は不憫に思っていたらしい。

 母子家庭だった千冬にとっては当たり前の出来事が、義父には当然ではなかったのだ。

 そっちの方が驚きで、義父に言われて母親もやるようになったくらいだ。元々母親も料理は得意な方で、短い間だったが、教えて貰ったりもした。

 それでも長く家事を離れていた母親よりは、千冬の方が料理の腕前はいい。家事に関しても母親より把握しているくらいなのだ。

 それでもそれを辛いとは思った事はなかった。自分がちゃんと家族として役に立っているという事が千冬を不安から遠のかせていたからだ。

 さっと手慣れた手付きで皿を洗っていると、後ろから見ていた世嘉良が呟くように言った。

「なんか、幼妻って感じかな……」

 その呟きを聞いた千冬は、驚いて振り返ってしまった。
 一体何を言っているんだろうと思ったのだ。

 幼妻って、何? どういう意味で言ったのだろうか?
 そう不思議に思ったからだ。

 すると、世嘉良はすっと千冬に後ろから抱きついてきたのだ。


 え……?
 一体何?
 と、戸惑ってしまう千冬。


 さっきの言葉と行動の意味が解らない。

 世嘉良は時々、訳解らない事を言うから、今度のも千冬には理解出来ない事なのかもしれない。

 その世嘉良は、千冬の首筋に顔を埋める恰好で抱きついたままだ。

 何も言葉は発しない。

「なんですか?」
 千冬が声をかけてみるが、見事に無視をされてしまった。
 ぎゅっと抱き締める腕は、そうきつくはなく、優しい感じだ。

 世嘉良は何も言うでもなく、ただそうやって千冬に抱きついているだけだ。

 何かさっきの言葉には意味があったのだろうかと、千冬は考えてしまう。

 誰か、こうやって抱き締めていた世嘉良がいたのだろうか?

 それとも幼妻というのがキーワードなのだろうか?

 どっちも世嘉良の事を殆ど知らない千冬には解けない答えである。

 とにかく、離れて貰わないと洗い物が出来ない。

 でも、この腕が気持ちよくて、千冬は無理に離すのは嫌だった。誰かと勘違いしていてもいいから、今はこのままでいいかと、千冬は洗い物を再開した。

 まあ、このままでも十分洗い物が出来るくらいに、世嘉良の腕は優しく包んでくれている感じだったからだ。



10



「あの……終わりましたけど……」

 キッチンでの洗い物を終えて、側にあったタオルで手を拭いた千冬は、振り返って遠慮目に言ってみた。

 洗い物をしている間、ずっと世嘉良はくっついてた訳で、何故こんな状態なのかも理解出来ないのだが、とりあえず、離れて貰うしかない。

 千冬の遠慮目の声に世嘉良(せかりょう)は反応して、やっと抱き締めていた腕を離して、離れてくれた。

 ホッと千冬が息を吐くと、今度は世嘉良の回ってきた手が腰をしっかりと掴んで、ひょいっと千冬を持ち上げて抱き締めてきたのである。

「ど、どうかしたんですか!?」

 本当にいきなりだったので、千冬は戸惑ってしまう。

 世嘉良は、千冬の40キロ台の体重をものともしない様子で、本当にひょいと荷物でも担ぐように千冬を抱き上げたのである。それもしっかりとした足取りでキッチンを出て行く。

 行き先は、千冬がさっきまで座っていたソファのようだった。

「何なんですか、さっきから!」

 もう訳が解らなくて、千冬は暴れて逃げ出そうとしたのだが、しっかりとした腕が腰に回っていてとてもじゃないが、千冬の力では外す事は出来ない。

 なんでこんなに力があるんだ……。

 そう思ってしまうのも無理はない。千冬が暴れているのに、世嘉良はまったく焦った様子でもなく、すたすたとまっすぐに歩いて目的地まで辿り着いてしまったからだ。

 結局そのままソファに座る形になってしまい、千冬は世嘉良の膝の上に跨がるように座ってしまったのだった。

 これは結構恥ずかしい体勢だ。

 いい年した子供がする格好ではないし、子供の頃だってこんな事はした記憶すらないのだ。

 千冬は恥ずかしくて、何とかこの体勢から逃げようとするのだが、腰はしっかりと世嘉良が押さえ込んでいて、痛いくらいに掴まれている。

 多少暴れたところで、この体勢から逃れる事が出来ないんだと悟った千冬が大人しくなると、腰を掴んでいた世嘉良の手が背中に回って、千冬の背中を撫でているのだ。

 まるでペットを撫でているかのような手付きだ。

 この人は一体何がしたいんだろう?

 千冬は首を傾げて世嘉良を見つめた。

 すると世嘉良はそれだけで満足したのか、すぐに笑顔に変わっていた。それも嬉しくて仕方ないというような甘い顔だったのだ。

 こんな事して、何が楽しいんだか……。

 千冬はされるがままで、暫く考えた。自分はペットのように見えているのだろうか?とか、いや、ペットに無理矢理こんな事をする人はそういないだろうし、人間とペットを間違える人だっていないはずだ。

 千冬には訳が解らなくて首を傾げていると、ふっと世嘉良が笑って言ったのだった。

「千冬は本当に小さくて可愛いな……」

 世嘉良がそう言ったので千冬は眉をしかめて、世嘉良を見てしまう。

 この人はすぐに人を可愛いと言ってくる。何処が可愛いのかさえ千冬には自分では解らないのだから、この謎は解けない。

 すると、その眉を顰めた千冬の眉の間に、世嘉良がキスをしてきたのだ。

 考え込んでいた千冬はそれを避ける事が出来なかった。

 ハッとして眉を手で押さえて、千冬は逃げようとした。これはかなり恥ずかしい。

 それなのに、腰を掴んでいる手と背中に回っていた手が、がっしりと千冬の動きを押さえ込んでしまう。 

 こう力で押さえられてしまうと、千冬は逃げるのを諦めてしまう。

 それは、過去に力で押さえ込まれてきた経験から、力を抜いた方が楽だったという事からきている。諦めるのが早いのだ。これは欠点でもある。自覚していながらでも、今の状態では、世嘉良に力では叶わないのだから、諦めるしかないのだ。

「先生……さっきから何なんですか?」

 千冬は訳が解らなくなって、世嘉良に尋ねた。こんなスキンシップは初めてだし、どうしていいのか解らなくて、ただただ困ってしまうだけなのだ。

 しかも男からキスされるなんて事、有り得ないと思っていた。世嘉良が何をしたいのかが掴めずに困り果 てるしかなかった。

 すると世嘉良はニコリと笑って言ったのである。

「そりゃ、千冬に触って、キスしたいだけさ」
 さらっとその台詞を言った世嘉良に千冬はドキリとしてしまう。

「何で……」

 男に触って、キスしたいなんて冗談だろうと思った。世嘉良の悪い冗談だ。千冬はそう思ってしまう。こんな事したって、世嘉良にはなんのメリットもないのだから。

 それに男にこんな事言ったって意味がないと千冬は思っていた。

 嫌がらせなのだろうか?
 からかって遊んでいるだけなのだろうか?


 世嘉良(せかりょう)程の容姿の持ち主なら、相当遊んでいそうだ。ほっといても女は寄ってくるだろうし、選り取りみどりという感じがする。女には不自由してなさそうに見える。

 そう千冬が考えていると、世嘉良が言った。

「他の男にさせるなよ。ああ、女も駄目だぞ」

 世嘉良はそう言うと、腰に回していた手を千冬の顎に置いて掴むと、口を開かせてた。千冬が何だと思っていると、世嘉良の顔が近付いてきた。

 びっくりして目をぎゅっと瞑ると、なんと世嘉良は千冬の唇にキスをしてきたのだ。

「んん……っ」

 文句を言おうと口を動かそうとしたのだが、それは顎を掴まれているお陰で出来なかった。すると、口の中に滑りとした感触が入ってきた。


 え……?


 千冬が驚いていると、それは世嘉良の舌だった。それは千冬の口の中を自由に動き回り、歯などを舐めてくるのだ。ぞくっとした感覚が背中を走っていく。それは千冬の舌に舌を絡めてきて、思わず千冬はその舌に答えてしまった。

 自分が何をしているのか、解っている。なのに、逆らえないのだ。

「は……ん」

 時々入り込む息が何故か甘い気がした。世嘉良はそれに満足したのか、尚も唇の向きを変えて、千冬の唇を奪っている。

 千冬の頭の中は真っ白だ。激しいキスに翻弄されて、自分の意志がそこにあるのかさえ解らない。

 ただその行為に夢中になっていた。与えられる感覚は、快感というもので、千冬は理解してなかったが、それでも拒むような事はしなかった。

 だんだん息が苦しくなって、ぎゅっと掴んだのは世嘉良の服だった。

 やっと世嘉良が千冬の唇を解放したのは、結構長い時間楽しんでからだった。千冬はすぐには我に戻れず、ただ苦しかった息を何とか肺に取り込んで苦しそうに息を繰り返すだけだった。

「はぁ……はぁ……」

 舌はジンジンとしている。キスをしたのは初めてだったから、こんなキスがあるとは思ってもみなかったのだ。

 母親と義父がしている軽いキスは見た事あるが、そんなものではないという事は理解出来ていた。

 世嘉良はもう一度、今度は軽い触れるだけのキスをして、やっと千冬の唇から離れた。

 それでやっと千冬は我に返った。

 な、な、なんで!
 お、男の人と、濃いキスをしてしまった!

「な、何するんですか!」

 千冬はそう叫んで、自分の唇を手で塞いだ。
 し、信じられない。こんな冗談。千冬はそう思っていた。

 すると、世嘉良は、なんとニヤリと笑って言ってのけたのである。

「なんだ、ファーストキスだったのか。ラッキーだな」
 と。

 その言葉に、千冬は猛然と怒りが湧いてくる。冗談でファーストキスをこんな男に奪われたのだ。それは怒りにしかならない。

 確かにそうだったからだ。図星だ。子供の頃の記憶のない時を除けば、自分で好んでしたキスはない。確かにファーストキスだったのだ。

 それを何とも思っていない、しかも自分の学校の教師に奪われるとは思いもしなかったのである。

「そうですよ! なんでこんな事するんですか!?」

 千冬が猛然と怒って抗議をすると、世嘉良はニコリとして答えたのである。

「そりゃ、千冬が可愛いから」

「可愛い子がいたら、誰にでもするんですか!!」

「いや、今は千冬だけだぜ」
 世嘉良はそう言ってニヤリと笑う。その笑顔が憎らしい。

「俺だけって何ですか! ふざけないで下さい! ふざけてする事じゃないですよ!」
 すると、世嘉良はふっと真剣な顔をして言った。

「ふざけてない。千冬が好きだからキスをしただけだ」
 そう答えたのである。頭が痛いと千冬は思った。

「好きだったら何をやってもいいと思ってるんですか!?」
 千冬がそう叫ぶと、世嘉良は即答で答えた。

「思ってるけど?」

「!!」

 もう言葉が出ないとはこの事だ。
 それでも世嘉良は言葉を続ける。

「好きなら、触りたいし、キスもしたい。それにもっと先の事もな」
 そう言った世嘉良。千冬の後ろに回っていた手が、服の中に侵入してきたのである。


11



「や……っ!」
 千冬は、その感触に背中を反らして逃げようとした。
 いきなり、服の中に侵入した世嘉良(せかりょう)の手が動き回っている。

 千冬は何をされるのか解らないから、怖いと思うし、意味が解らない。男同士のセックスがあるとは思っていない、千冬には、何故世嘉良がこんな事をするのか、意味が解らないのだ。

 世嘉良の手はしっかり背中を撫でていて、それがわきまできて、ゆっくりと皮膚を押すように撫でていた。

 ぞぞっとした感じが身体を巡って、千冬は背中を反らしてしまった。

「おっと……」

 後ろへと倒れそうになる千冬を世嘉良は受け止めて、身体を支えるように自分の方へともたれるようにした。

 そしてゆっくりとソファに千冬を倒した。上から世嘉良に見つめられて、千冬は恥ずかしくなって顔を反らした。

 その瞬間、ふっと世嘉良が笑ったように感じた。
 なんでこんなにどきどきするのかが千冬には解らない。

 世嘉良の手は止まらずに、千冬の服をかき分けて、前へとやってきた。

「や……っ、せんせい……」

 腹を撫でる手が上へと上がってくる。そして、千冬の胸の突起をさらっと撫でた。

「あっ……!」
 思わず千冬は声を洩らしてしまった。

 世嘉良の手は突起を何度も撫でてくる。何も感じないはずの、飾りである場所から、身体中に走る電撃のような感覚に、千冬は少しパニックになってしまった。

 何、これっ……?
 びくびくと身体が震える。

 初めての感覚に、千冬はぎゅっと目を瞑ってしまった。

 世嘉良が何をしようとしているのかが解らないし、自分の身体に起こっている異変に戸惑ってもいたのである。

 だが、目を瞑った事によって、余計に感覚が研ぎすまされてしまう事に千冬は気付いてなかった。
 千冬の胸の突起を世嘉良の指がきゅっと捕らえた。

「あっ……!」
 びくんっと身体が跳ねる。
 身体が大きく震えて、千冬は驚いて目を見開いた。

 そして、忍び込んでいる世嘉良の腕を押さえていた。でもその力では世嘉良の腕を取り除く事は出来ない。

「や……なんで……」

 千冬は、千冬を覗き込んでいる世嘉良に尋ねていた。
 本当に何でなのか解らない。この感覚がなんなのかさえ解らないのに。
 不安そうな顔をしている千冬の頬を、世嘉良はすっと撫でて答えた。

「触りたいって言っただろ?」
 その口調は優しかった。何度も頬を撫でてくれる。でも、忍び込んでいる手はまだ動いている。

「でも……男の身体触ったって、女の人とは違うんですよ……」
 懇願するように、千冬は言っていた。

 自分は女ではないのだから、こんな事されたって意味はないと。
 世嘉良が求めるようなものは何もないのだと。

 まさか、自分を女のように思っているとは思ってないが、でも錯覚でそう思っているかもしれないと思っていたのだ。
 だから、この行為は間違っているのだと言いたかったのだ。

 しかし、世嘉良からは意外な言葉が返ってきた。

「そんなの解っている。女と違う事だって解ってるさ。俺は、千冬に触りたいんだ。抱きたいんだ」

 世嘉良はそう言ったのである。
 はっきりとした言葉だった。

「なんで……俺……なの?」
 千冬は戸惑った。触りたいといわれ、抱きたいといわれ、この言葉になんと言って答えればいいのだろうか。
 納得は出来ないし、でも、逆らう事が出来ない。

「さっき言っただろ」
 世嘉良はそう言って千冬の頬を撫で、そして頬へキスを落とした。

 くすぐったくって目を瞑ってしまったが、悪い気はしなかったし、気持ち悪いとも思わなかった。
 世嘉良は思い出したように、きゅっと千冬の胸の突起を摘まみ上げた。

「あっ!」

 やはり、身体がびくびくっと震える。世嘉良はその反応に楽しんでいるようだった。それは千冬には解らない事だった。

 突起を摘んでいた指が突起を転がすように動き始める。いつの間にか、服が胸までまくり上げられていて、指が触っている場所とは違う、もう片方の突起に、世嘉良の舌が這っていたのだ。

「やっ……あっ」

 まさか舌が這っていて、突起を舐めているとは思わなかった千冬。
 掴んだ世嘉良の腕にぎゅっとしがみついた。
 ただの胸の飾りがどうしてこんなに感じるのか。
 疑問を言おうとする口からもれるのはただの喘ぎ声だった。

「あっ……やん……あ……!」

 何で? 何これ?

 尚も世嘉良の舌は止まらず、舐めては少し噛んでみたり、指も突起を転がしたり摘んだりしている。両方を攻められて、千冬の身体はびくびくと震えるばかりだ。そして、身体の中心に熱が溜まってくる感覚がやってくる。

 世嘉良の愛撫に千冬が掴んでいた世嘉良の腕から手が滑り落ち、かろうじて服を掴んでいるだけだった。


 その時だった。


 世嘉良(せかりょう)の家の電話が鳴ったのである。
 その瞬間、一瞬だけ世嘉良の動きが止まった。
 そのことで、千冬はハッとして我に返った。

 今、俺は何をやって……。

 それでも世嘉良が先へ勧めようとしていたので、千冬はさっと世嘉良の肩を押さえて止めに入った。

「や……やめて……」

 さっきまで高揚していた顔とは違い、明らかに戸惑いの顔を浮かべている千冬に、世嘉良は顔を上げて尋ねた。

「なんで?」
 まるで何もなかったかのような顔に、千冬は慌てて言った。

「で、電話!」
 そう電話はまだ鳴り続いているのだ。切れることはない。

「留守電だし」

「でも……」
 そう言い合っていると、留守電からメッセージが流れた。
 機械音のメッセージ音声が流れた後。

『圭章(けいしょう)! 戻ってるんでしょ! 出なさいよ!』
 と、女の人の声が聴こえた。

 すると世嘉良はチッと舌打ちをして、千冬から手を離した。

 それで自由になった千冬は、恥ずかしくて、慌てて服をかき寄せるてちゃんと着ると立ち上がって世嘉良の部屋から飛び出した。

 後ろから。「千冬!」という世嘉良の声が聴こえたが、千冬は立ち止まる事なく、靴を履いてドアを開け逃げた。

 そして自分の部屋に戻って、ドアチェーンをして千冬はその場に座り込んでしまった。

「今の、何だったの……?」
 訳が解らないと千冬は呟いた。世嘉良とキスをして、そして胸をいじられ、舐められた。何で……? と言ったら、確か。

「好きだから……?」
 好きって何? ああいう事をするのが好きなの? 今日会ったばかりの人を好きになったからってあんな事するの?

「解らないよ……」

 世嘉良の事は、たぶん嫌いではない。寧ろ、変わった人で面白いと思う。教師だし、あんな凄い絵を描ける人で、その面 では尊敬もしていた。なのに、あんな事をするなんて、してくるなんて思わなかった。

「どうかしてるんだ……」

 千冬は呟いて、自分の部屋に戻って財布を置いた。そして風呂に向かった。
 服を全部脱いでみて、自分の胸を鏡に写してみた。そこは少し赤くなっていた。

 思い出しただけで恥ずかしくなる。カッと赤くなった顔が鏡に写って、千冬はそれを見ないようにして風呂に入った。

 今日は何も準備をしてなかったから、シャワーだけで終えようと思った。
 そして湯を出して身体に当てると、少し乳房が痛かった。

 まだ感じているような気がして、世嘉良の指と舌を思い出して、また千冬はカッと赤くなった。

「どうかしてる!」
 男が男にあんなことされて感じるなんておかしな事だ。

 そう、おかしいんだ。


 そうしていた世嘉良も、そして感じてしまった自分もおかしいのだ。
 何処かが狂ってるんだ。
 千冬は自分にそう言い聞かせた。
 

12


 翌日。

 千冬は朝早くに家を出た。昨日の時間のようなぎりぎりだったり、予定していた時間だったりすると、どうしても世嘉良(せかりょう)と鉢合わせしてしまいそうだったからだ。

 昨日の出来事は、今、玄関で世嘉良の玄関を見つめているだけで思い出してしまうくらいに恥ずかしい出来事だった。

 ありえないと思いながら眠ったのだが、身体が何処か疼くような感じがして、ドキドキが治まらなかった。それも全部世嘉良のせいだ。あんな事をされたから身体がおかしくなってしまったんだと千冬は思っていた。

 でも、何故世嘉良があんな事をしてきたのかは、まだ解っていない。

 とにかく、隣に住む以上、必要以上に会うだろうし、ましてや世嘉良は学校の教師だ。嫌でも会うだろう。

 それまでには、普通でいたいと千冬は思った。
 だから、今ここで世嘉良に会う訳にはいかないのだ。

 千冬はゆっくりと玄関のドアを閉め、鍵を掛けて、そろりとエレベーターホールへ向かった。

 その間も世嘉良が現れるんじゃないかと怯えながらだったので、長い事そこに居たような気がしていた。エレベーターが閉まって降り始めた瞬間にはホッと息が洩れた程だった。

 マンションの入り口でも、車が通るとドキリとしたりしていたが、結局駅に着くまで世嘉良の姿を見つける事はなかった。

 なんとか避ける事が出来たようだ。

 本当は初日から乗るはずだった電車が来ると、どっと人が乗り込んで行く。出てくる人を避けて、千冬はなんとか車両に乗り込んだ。

 学校が近いのはいいのだが、このラッシュにはなかなか慣れないかもしれないと思った。今までは別 の方向へ向かって学校へ通っていたが、今度は学園がある方へ向かう電車は学生で一杯だ。

 それも同じ学校の学生ばかりなのが解った。それもそのはず。制服で解るからだ。紺のブレザーに紺のネクタイ。線が入っている色は違うが、中学も同じ制服らしい。

 見なれない、オレンジやら青、水色のネクタイ線の生徒もいるからだ。どうやら、高等部だけではなく、中等部も同じようにネクタイ線で学年が解るようになっているらしい。

 そんな学生のラッシュに揉まれて、千冬はやっと外へ出る事が出来た。

 某駅に着くと、一斉に学生が電車から吐き出される。それも皆が同じ方向へ向かうので、また階段やら通 路が混むのだ。

 ……こんなラッシュなんだ……。

 千冬は初体験したラッシュに少々辟易していた。これなら自転車で通ってもいいかもと思えてしまうからだ。3駅分ならそっちの方が気楽かもしれない。

 そう考えたが、部活で遅くなったり、友達と遊びにいったりするのには、やはり電車の方が都合がよさそうだと考え直した。

 昨日、多保や幹太に岸本と一緒に遊ぶような事があったら、やはり自転車通 学は邪魔かもしれないと思ったからだ。

 千冬は昨日の事が楽しかったので、ぜひまた暇な時に皆で遊びたいと思っていたのだ。

 駅を出ると、一斉に吐き出された学生が、道路の通学路を紺色で埋める。友達と来ている人や、待ち合わせなどしている人。とにかく紺色の服の山である。

 途中までは、小学部や中等部があるので、学生だらけだが、その校門の前までで学生は半減するようだ。

 千冬は駅で一息置いてから、学校へ向けて歩き出した。

 これから三年、いや、もしかしたら7年通うことになる道になるのだ。大学までいけば、当然この道を通 る事になる。

「7年かあ……」
 元々、大学付属だからこの学校を選んだというのもあるし、それを考えると随分長い時間なのだと思った。でもそれもあっという間に過ぎてしまうのかもしれない。

 将来、なりたいモノがまだ決まってない千冬には、これからが本番で、何をして生きて行くかを決める学校でもあるのだ。

 一度立ち止まって、それから再び歩き始めた時だった。

「而摩(しま)ー!!」

 そう呼ぶ声が後ろから聴こえてきて、千冬は立ち止まった。

 而摩という名前は珍しいから、たぶん自分なのだろうけど、それを呼ぶ人がそんなに多くない事に気付いて、千冬は首を傾げて振り返った。

 すると、駅の方から走ってくる姿が目に入る。
 それは岸本だった。

「あ……」
 岸本が手を振って走ってくるので、千冬も手を上げて手を振った。

 追い付いてきた岸本は、千冬の横に来ると、肩で息をしながら、はぁはぁと荒い息を何度も吐き出していた。そして深呼吸をして、呼吸を整えている。千冬はそのまま岸本の息が整うのを待っていた。

「はー、おはよう」
 岸本はそう言って笑った。

「おはよう」
 千冬も自然と笑顔になって、岸本に笑いかけていた。

「電車、この時間だったんだな」
 岸本がそう言ったので、千冬は違うと答えた。

「あーいや、本当はもう1本か2本遅い方かな?」

 自分で計った始業時間に間に合うのは、もう1〜2本遅い電車でも間に合うのだ。千冬の使っている方角の電車は都心部に向かっている為なのか、本数が多いのだ。

「そっか、じゃ、この時間に会うのは偶然だったんだな」

「そうだね」

「で、なんで今日は早かった訳?」
 そう岸本に聞かれて千冬は少し言い淀んでしまった。

「あ、あの、目が覚めたのが早かったから、ちょっと早めに家を出てみただけで」

「ふーん、なるほどね。その割に寝不足みたいな顔してるじゃんか」

「え……あの」

 千冬は固まってしまう。まさか、世嘉良の事で色々あって眠れなかったとは言えないからだ。まさかそれを口にしてしまう程、千冬も馬鹿ではない。

「休みのつもりで寝るのが遅かったとか、本とかTV観てたとか?」
 岸本がそう質問してきたので、千冬はこれに乗ることにした。どうしても言い訳が出来ないからだ。

 うんうんと頷くと、岸本は納得したような顔をした。

「俺もネットやってて寝るの遅かったしなぁ。休み気分抜けないよな」

「ネットやってるんだ?」

「今どき、やってない方が珍しいぞ。パソコン持ってないのか?」
 岸本は自分の方に話題がきたと喜んで、寝不足の話から離れてくれた。

「パソコンは持ってるけど、ネットはしないから」

「んじゃあ、今度、笑えるモノとかメールで送ってやるから、メルアド、えっとメールアドレス教えてくれよ。メールで秘密の会話とかしようぜ」
 そう言われて、千冬は友達同士の会話って楽しいなあっと思った。岸本は気さくだし、軽い感じが千冬には馴染めていい感じなのだ。

「でも、メール送ったら送ったって教えてね。じゃないとパソコン開かないし」

「ほんと、宝の持ち腐れだね。PCにメールしてから携帯にメールか?」
 岸本はそう言ってゲラゲラと笑っている。確かにそれは変だなあっと千冬は思った。

「できれば、家計簿のソフトは欲しいかも。あれ便利だよね」

「ああ、便利みたいだな。うちのかあさん使ってるから、それ譲ろうか? 別 に古いバージョンでもいいんだろ?」

「あ、ほんと? 嬉しいな。うんうん」

「じゃ、明日持ってきてやるよ」

「ありがと」

 千冬は思わぬ収穫に頬が弛んでしまう。こういうのは本当に楽しいからだ。今までの自分はなんだったんだと思うような機会に出会って千冬は思わぬ 感動が芽生えていた。

「そういえば、多保とか幹太とは一緒に通学してないんだ?」
 千冬はふと思い出したように言うと、岸本は笑って答えてくれた。

「あいつらなら、もう来てるよ。通学時間が早いんだよ」

「へぇ、幹太とか寝坊しそうな感じなのにね」
 千冬がそう言うと、げらげらと岸本が笑った。なんだ?と思っていると。

「そう思うだろ? ところがどっこい。幹太は早起きなんだぜ。あいつんち、空手の道場やってるらしいんだけど、それで朝練とかあるらしくて、それで早起き。その反対に寝坊なのが多保の方。あれは寝起き悪いというか、無防備っつーか。修学旅行で俺はそれを見たね」

「へぇ、多保の方が朝スッキリって感じがするのになあ」

 聡明そうで優しい多保を思い浮かべて、千冬は多保が寝起きが悪いのが想像出来ないでいた。幹太の方が早起きという方が想像出来ないし、寝坊の方が想像出来やすい。

「あいつら、家が隣同士でさ。多保んちは親が出張なんかでいない時が多くて、幹太んちに世話になってんの。それで、朝練した幹太が多保を起こして、飯食わせて、それでそのまま連れてくるんだよ」

「幼馴染みだっけ。仲いいよね。ちょっと多保はきついけど」

「まあ、生まれた時からのお付き合いって事で仲はいいな。ま、多保はあれで多保だし、慣れればちょっと違うかもよ」

 岸本はそう言って、ニヤリと笑った。なんだろう?その笑いは?と千冬は思ったが、聞き返す事は出来なかった。

 何かそこには、本人以外から聞いてはいけない何かがあるような気がしたからである。



 教室へ辿り着いて、千冬と岸本が見たのは、岸本が言ってたような光景だった。やはり早めに来ていたようで、多保の方は机に突っ伏しているし、幹太は何か音楽でも聞いているのだろうか、イヤホンをして少し身体を動かしている。

「おはよう」

 二人の後ろに席がある千冬と岸本が二人に声をかけると、まず幹太(かんた)が反応した。イヤホンを外して、振り返ったのだ。どうやら音楽は小さめの音にしていたらしい。

「おう、おはよう。あれ? 千冬寝不足?」

 振り返った幹太が言った言葉に、千冬はもうこれは誰が見ても寝不足な顔をしているんだなと確信した。

「まぁ。多保も寝不足?」
 千冬はそう答えて席に座った。

「あーこれはまだ眠りの中〜。まあ、いつもこんなもん。おーい、多保、千冬が来たよ」

 幹太が戯けて答えて、机に突っ伏している多保に話し掛けた。すると、突っ伏していた多保がムクリと起き上がって、くるっと顔を幹太の方へ向けた。まだ寝ぼけているようだった。

「あ、髪乱れてる。直しておこうね」

 幹太が多保の髪が乱れているのに気が付いて、さっさと髪を元に戻している。その間、あの凶暴な多保とは思えないような大人しい多保で、幹太にされるがままになっている。

「いつもこうなの?」
 千冬は岸本に聞いた。大人しい多保なんて多保じゃないって感じだからだ。

「こいつらのべったりはいつもの事。まあ、気にしなさんな。慣れよ慣れ」

 そう岸本に言われて、千冬はふと思った。男同士でもこうやって絵になる二人なら、気持ち悪くはないもんだなと。そう考えた時、世嘉良(せかりょう)の事を思い出した。

 男同士だからとか世嘉良には関係ないのだろうか?
 だから、好きだとか言ったのだろうか?

 そう考えてしまった。

 まさか、自分を好きになる世嘉良というのが考えられなくて、千冬は自分の考えに苦笑してしまったのだった。

 

13


 そうして世嘉良(せかりょう)を避け続けて3日目だった。

 相変わらず、電車の時間を早めて、朝はこっそりと外へ出るという事を繰り返していた。世嘉良からの接触はなく、家を訪ねてくる事もなかった。

 きっとあれは単なる悪戯で、遊んだだけなのだと千冬は思いだしていた。

 そうでなければ、世嘉良から何か言ってくるはずだし、接触があってもいいはずだ。それがないということは、そういう事だったのだと思ってしまうのも仕方ない。

 それに千冬は、世嘉良に構っている暇がなかった。

 学校では、中学までの実力テストが開催され、その勉強に追われていたのもある。成績優秀で入学したとはいえ、進学校なのだからテストは頻繁にある。

 たぶん、学年での成績発表もあるのだろう。
 そうして3日、テストをして、それが終わってホッとした時だった。

「実力テスト、惨敗かも」
 幹太が千冬の机に突っ伏してそう言った。

「でも、一緒に勉強したじゃん」
 千冬がそう言うと、幹太はそうじゃないと言った。

「このクラスで惨敗って意味。そりゃ下の組には落ちないけど、多保が優秀だからさ、それに追い付いていかないと、2年になったら多保が1組で俺2組って成り兼ねない。そんなのいやだー!」
 と、幹太が熱烈に語ると、多保から案の定鉄拳を食らっていた。

「馬鹿な事言うんじゃない」

「どうせ俺は馬鹿ですよ」
 むくれる幹太。

「幹太って、ちゃんと出来てたじゃん。答え合わせして一番よかったのって千冬じゃん」

 岸本がケラケラ笑いながらそう言う。とは言え、千冬が一番成績がよくても、多保とはさほど変わらない点数だったはずだ。

「どうせ、クラス別発表なんだしよ、俺、最下位にいるって……」
 まだ愚痴っている幹太に多保は溜息を吐いた。

 テストが終わってからずっとそう言っているから、もう飽きたというか、呆れてモノが言えない状態なのだ。

「とにかく、テスト終わったし。授業始まるまでは、オリエンテーリングに特選科目選択に先輩方の祭りかな」
 岸本がそう言って、テストの話から引き離した。

「祭りって?」
 千冬がそれに首を傾げると、岸本が説明してくれた。

「いい子いないかなー。部活入ってくれないかなー、なーんて勧誘がやってくる訳よ。主力は欲しいし、可愛い子はマネージャーに欲しいしで激戦なわけよ。でもこっちからみたら祭りの「いらっしゃいませー、綿菓子どうですかー」てな具合にしか見えない。だから、祭りって言うんだよ」

 確かに部活勧誘の先輩達の勧誘の仕方は尋常じゃなかった。この学校では、体育系では一応関東大会まで行くくらいの部活もあるし、文系でも同じようなものだ。そりゃ主力は欲しいところだろう。

 千冬は部活と言われて、ハッとした。自分は美術部に入りたかったのだ。でも、今は世嘉良(せかりょう)を避けている状態であるし、入るのはやめた方がいいんじゃないかと思いだしていたのだ。

 でも、美術はやりたいし、でもその担任が世嘉良って言うのも問題だ。
 どっちにも転べない状態になってしまっている。

 どうしようか……。
 本気でそう悩み始めた時だった。

「おーい、而摩(しま)。而摩千冬っているかー」
 いきなり名前を大声で呼ばれて、千冬はびっくりして立ち上がった。

「は、はい!」
 返事をして、声がした方を見ると、クラスメイト2人が、入り口で手招きをしている。

「客ー!」
 そう言われて、千冬は首を傾げながらも入り口へ向かった。

 客と言われても、自分を知っている人はいないはずだから、何かの呼び出しなのだろうが、それが一体何なのかが解らない。でも、多保には「変な人には付いて行かないように」と言われていたので、それは警戒していた。

 入り口に行くと、やっと千冬の客という人が見えた。
 その瞬間、千冬はしまったという顔をしてしまった。
 そこに立っていたのは、あれだけ避けていた、世嘉良圭章(せかりょう けいしょう)だったからだ。

 あれだけ避けていたのに、向こうからやってきてしまった。学校内だと逃げる場所がないから千冬も逃げる事が出来ないし、無視する事も出来ない。

 世嘉良は相変わらずな、ニヤリとした笑みを浮かべて千冬を見下ろしている。

 クラスメイト達は、千冬に客と聞いて、興味津々で廊下にいる世嘉良を見ている。幹太や多保、それに岸本までもだ。

 これじゃ、用事があると逃げ出す訳にもいかなくなった。

 とにかく世嘉良が何をしに来たのか用件は聞かなくてはならない。千冬がそっと溜息を洩らすと世嘉良はこう言った。

「ちょっと、来い」
 そう言って手招きをする。世嘉良が向かったのは、廊下の窓際だった。
 ここなら変な事はされないだろうと、千冬は覚悟を決めて世嘉良に近付いた。

 すると近付いた千冬の肩を、世嘉良がギュッと抱いてきたのだ。

「先生……っ」
 千冬は身を小さくしながらも、これはちょっとと思って批難しようとした。

 すると。

「こうでもしてないと、逃げそうだからだ」

 世嘉良はニヤリとしてそう言ったのだ。いつもの世嘉良の人を馬鹿にしたような笑みである。まるで、あの日から千冬が逃げていたのを知っているのだと言っているかのようだった。

 千冬は溜息を吐いた。バレていると。

「それで、何ですか?」
 用件だけ聞けば、早くこれを外してくれるだろうと、千冬は話を先に進めた。

「顔を見に来た」
 世嘉良はそう言って、ふわりとした笑いをしたのだ。思わず千冬はドキリとしてしまう。世嘉良のこの優しい顔には何故か弱いのだ。

 思わず顔が真っ赤になってしまう。

「千冬はやっぱり可愛いな」

 世嘉良はわざと耳もとでそう言うのだ。耳もとで囁かれると、身体がぶるっと震えてしまう。これも条件反射なのだろうか。弱い部分でもある。

「恥ずかしいから、俺から逃げてるんだろ? あれくらいで音を上げたら、先が出来ないじゃないか」

 世嘉良にそう言われて、千冬は唖然としてしまった。
 あの先に一体何があるといのだろうか? 想像も出来ない。

「あ、あれくらいって!」

 思わず声が大きくなってしまう。そして世嘉良を睨み付けた。自分はあれだけでかなり参ってしまったというのに、この男はまだ何かするつもりらしいのだ。

「先は長そうだけど、今は牽制だな」

 世嘉良はそう言うと、千冬をギュッと抱き締めた。周りではおおーっと言う声が上がっていたが、千冬には聞こえなかった。ただ自分の心臓の音が大きく聴こえていた。

「そ、それだけの用ですか……?」

 真っ赤な顔をして、心臓をバクバクさせながら、千冬は尋ねていた。
 牽制が何を意味するのか解らなかったが、それは聞き流す事にした。

 千冬がそう尋ねると、世嘉良は胸ポケットから一枚の紙を取り出した。そして千冬に見せる。
 それは、美術部の部活入部書であった。

「取りに来ると言って、取りに来ないから持ってきた」
 世嘉良がそう言うので、千冬はハッとした。世嘉良は入部書を千冬の前で振って見せている。

 だが、思わず千冬は考えてしまった。このまま世嘉良と自分しかいないような部に入って大丈夫なのだろうか? という事だ。
 その考えを読んだように世嘉良が言った。

「まさか、やめるなんて言わないよな?」
 その声は心無しか、低かったように思う。千冬はドキリとして世嘉良の顔を見上げた。

 すると、その顔は笑っているのに、目が笑ってないのだ。そう、目の奥が真剣で、千冬をじっと見つめているのだ。

 自分は何も悪い事はしてないのに、何故か自分が悪い事をしたかのような気分になってくる。

 しかも、辞めると言ったら、ここで何かされそうな感じさえする、危険な目をしているのだ。それは怖いし、何が起こるのか解らないのも怖い。

「や、辞めるとは言ってません……」
 千冬が観念したかのようにそう言うと、じっと見つめていた目が一瞬で優しくなる。その変化に千冬は驚いてしまう。

「だよな。これ、書いたら担任に提出しておけよ。それで俺の所へ回ってくるからな」

 世嘉良はそう言うのだ。つまり、出さなくてもそれはすぐに解るという事なのだ。もうここまできたら逃げるのは無駄 な気がしてきて、千冬は入部書を受け取った。

「よし、いい子だ」

 世嘉良はそう言うと、チュッと千冬の頬にキスをしてきた。
 一瞬の隙を突かれた千冬は呆然としてしまっていた。

「じゃあな」
 世嘉良はこれで用事が済んだとばかりに、意気揚々と去って行く。
 取り残された千冬は、頬に手を当てて、呆然と見送っていた。

 暫くして、周りが騒がしい事に気が付いて千冬が振り返ると、一斉にクラスメイトが教室に飛び込んで行くではないか。

 まさか、あれを見られたのだろうか? 千冬はあれは見えなかったはずだと思っていたから内心焦ってしまった。

 教室に戻ると、全員が知らん顔して、千冬を見ないようにしている。

「なんだ……?」
 この雰囲気の代わり様に千冬は戸惑いながらも、自分の席に戻った。
 クラスメイトはなんかこそこそと千冬をみながら話しているのだ。さっぱり訳が解らない。

 千冬が席に座ると、待っていたとばかりに幹太と岸本が聞いてきた。

「世嘉良(せかりょう)先生と知り合い!?」
 声を揃えて同じ事を言う二人に千冬はキョトンとしてしまった。

「え……まぁ、家が隣で……」
 何処から説明していいか解らなくてそう言うと。

「家が隣同士! じゃあなんでわざわざ別館から出てきたんだ?」
 幹太がそう言い出したので千冬は更に首を傾げた。どうやら、別館にいる教師がこっちの本館に来る事が珍しいらしい。

「えっと、部活の事で来ただけで……」
 千冬が素直にそう答えると、多保が聞いてきた。

「美術部に入るの?」
 と、興味津々だ。

「うん、その予定で、さっきは入部書を持ってきてくれて」
 千冬がそう説明をすると、3人が顔を見合わせたのだ。
 千冬が何だろう?と思っていると、多保が言った。

「あの先生、あんな親切じゃないよね」といい、それに岸本が頷いて、幹太が。

「どっちかってーと、そんな事、死んでもしないぜ」
 というのだ。

「千冬にだけ親切……」
 多保が何か気付いたように呟く。それに幹太も呟いた。

「やっぱ、あれ本当だったんだ」

「うわ……マジかよ」と岸本。
 3人だけ、いやクラスメイト全員が聞き耳をたてていて、3人と同じように呟いているのだ。

「な、何?」

 1人取り残された千冬は不安になった。そんな不安な千冬を残して、噂は一気に学年中に轟いたのだった。


14


 そんな噂。

 「世嘉良圭章(せかりょう けいしょう)先生と而摩千冬(しま ちふゆ)はデキている」という内容のものは、一切、千冬の耳に入らなかった。

 それもそのはず、千冬を前にすると皆が口を噤んでしまうからだ。誰かが箝口令でもしいたのか、それとも見て見ぬ ふりを決めたのかは定かではない。

 お陰なのか解らないが、千冬の前には多保にやってくるような輩は現れていないのは事実だった。

 今も多保は廊下に呼び出されて、上級生から告白を受けているのだ。もう、これは日常茶飯事で、ただ幹太が心配そうに入り口から廊下を眺めて睨んでいるのだった。

「多保ってモテるっていっちゃ悪いけど、モテるよね」

 千冬は幹太の後ろ姿を眺めながらそう呟いた。

 それに岸本が弁当から顔を上げて言う。

「まあ、中学時代からかなりモテてたけどなー。多保も慣れたもんよ」

 岸本はそう言って、笑う。さほど、この状況を心配してないどころか、面 白がっている風でもある。今日は何人だった?などと言う事もあるからだ。

 多保も本当に慣れたもので、いつも呼び出されても廊下で話しを済ませてしまう。前に千冬に言っていたオオカミとかには付いて行きはしない。呼び出されても呼ばれた場所へは絶対に行かないし、幹太がそもそも行かせない。

 そうして呼び出してくる輩が危ないのだと、千冬は多保に言われていた。

 そして気をつけるようにと言われていたが、今の所、千冬が呼び出される事はない。そうして安心していると、多保の方が大変な事になっているのだ。

 目をつけられるという事はこういうことだと教えてくれているようなものだ。

 こういうのでは目立ちたくないなあと千冬は思っていた。

「やっぱ、美人だから?」

 多保は、男にしておくには惜しいくらいの容姿をしている。女性と間違えるわけではないが、女性でもなく、男性的でもなくという中性な感じがするのだ。
 それが人を惹き付けているのだろう。

「そーです。くらっときちゃうらしいですよー」
 どうしてくらっと来るのか解らないとばかりに、岸本は戯けてそう言っていた。

「男同士なのに……」
 千冬はその辺の境目がない、ある意味開放的な校風に首を傾げていた。

 すると岸本が。

「何を今さら。千冬だって……」
 と言い出したのだ。


 なんの事だろう? 


「え? 俺が何?」
 千冬は本当に訳が解らないという顔をして岸本に問うた。
 その千冬の顔を見て、岸本は慌てた。

「い、いや。いいっ! 間違えた!」
 手を振って訂正してくる岸本を千冬はやはり首を傾げて見ていた。

「変な岸本」
 千冬はそう言って、パックのコーヒーを飲んだ。

 今は昼休みで、周りも騒がしい。やっと通常の授業も始まって、千冬の部活も今日からだった。

 少し不安はあるが、やはり絵が描けるとなると嬉しくなる。今日はスケッチブックも持ってきた。真新しいのを義父が買ってくれ送ってくれたものだ。これに新しい絵を描くとなるとワクワクしてくる。

 その部活の担任である世嘉良とは、入部書を持ってきたあの日から、顔も合わせていない。今なら大丈夫な気がする。

「今日から部活かあー」

「岸本は?」

「俺は、帰宅部でーす。塾があるしな」

「そういえば、多保も幹太も帰宅部だよね」
 千冬は二人が何部に入るのかを聞いていた。すると二人とも部活はしないと言ったのだ。

「幹太は家の道場があるし、多保1人じゃ危険だしな」
 岸本は何でもないとばかりに、多保1人だと危険だと言った。

「危険って?」

「告白で振られた奴らが、多保が1人の時を狙って襲ってくるかもしれないだろう? 千冬は、まあ、世嘉良先生がいるから大丈夫だろうしな」
 岸本の言葉に千冬は何でだろうと思った。

「なんで先生がいると大丈夫なの?」
 千冬はキョトンとして岸本に聞いた。

「そりゃ、あの先生怖いしな。千冬の事、大事にしてそうだし」 
 岸本は何だか言いにくそうにそう説明をしてくれた。

 その言葉に千冬は首を傾げた。

 自分は世嘉良を怖いとは感じた事はなかったし、その逆に大事にされた覚えもなかった。何でこんな事思われてるんだろう?と千冬は不思議に思った。

 そうしているうちに、多保と幹太が戻ってきた。
 多保は不機嫌で、幹太は呆れた顔をしていた。

「女王様の御帰還ーで、今度は何処の誰?」
 岸本が興味津々に聞くと、多保はムスッとしたままで、食べかけていた弁当を食べ始めた。どうやら答える気がなさそうだ。
 それに答えたのは幹太の方だった。

「玉砕してんのに、まだ来るとはねぇ」
 と、幹太が言う。
 そう多保の事を諦め切れないという2年の先輩は、もう4回も押し掛けてきているのだ。

「多保、かわいそう」
 千冬はそう思って言ってしまった。
 何度も断っているのに、何度も押し掛けてくる先輩は、迷惑以外の何者でもない。

「千冬、優しいなぁ」
 多保はにっこりしてそう言った。

「優しいも何も、迷惑してるのは多保でしょ? 諦めてくれないかなー?」
 あまりにも多保が可哀想で、千冬はそう願ってしまう。

「ああー無理無理」
 幹太がそう言うと多保が幹太を睨んだ。

「あの人、放課後も玄関で待ち伏せて、一緒に帰ろう、どっか行こうて言ってるんだ。多保に寄り添ってる俺が目に入らないのか!?」
 幹太はダンッと机を叩いて抗議をする。

「幹太じゃ役不足なんだよ。ただの友達にしかみえねぇって。寧ろ、邪魔だと思っているだろうし、無視してんだろ」
 そう岸本が分析して言う。
 なんだか、この話しを聞いていると、どうもおかしな関係が浮かんでくるのだ。

 千冬はふと思った。

 もしかして……。

「幹太って、多保の事、好きなの?」
 千冬は首を傾げて、幹太に問うた。
 すると多保はゴホッとむせて咳をするし、幹太は照れたように笑うし、岸本は今さら何をという顔をしていた。

「千冬!」
 多保が怒って、千冬を睨む。どうやら聞かれたくない事だったらしい。

 でも、幹太はにっこりと優しい顔をしている。多保は睨んでいる割には顔を真っ赤にしている。
 千冬のもしかして……は当たっているようだった。