novel

Distance 1round 愛うらら 番外編かなわない

 而摩千冬(しま ちふゆ)が、大学へ入って一週間が経った。前より少し忙しくなってはいたが、所詮暇な大学生であるのは変わりなかった。

 授業の選択は上手く取れたし、友人である多保や幹太、岸本とも同じエスカレーター感覚で大学に進んでいたからそれほど周りに劇的変化があったわけでもなかった。

 日常生活もあいもかわらずだったし、何かが変わったといえば、千冬が大学生になったというだけの話だった。

 大学も付属とあってそれほど試験が難しいわけでもなく、トップクラスに居続けたからにはまったく苦もなく大学には入ってしまったという拍子抜けな部分もある。

 その中で、千冬の恋人である、高校の美術教師の世嘉良圭章(せかりょう けいしょう)は新入生を迎えるにあたって春休みから忙しくしていた。

 千冬が部屋を訪ねて行っても、何かしら作業をしていたし、書類の束をもって難しい顔をしていたこともあった。

 千冬の時にもそうやって大変な作業をしてきたのかと思っていたら、なにやら、教師の間に急病人が出て、その代わりを暇な世嘉良がやる羽目になってしまったというのだ。

 それもクラスの副担任というややこしい立場である。
 今までは面倒だという一言で切り捨ててきていたのだが、今回はそうもいかないようである。

 そうして忙しそうにしている世嘉良をよそに千冬は大変暇だった。

 そう、世嘉良が構ってくれなくて暇だったのである。
 それがここ一週間の千冬の不機嫌の理由だった。

「ちーちゃん、物凄く機嫌悪いよね」
 そうしたふざけたことを言うのは岸本だ。彼とは同じ授業を受けているのが多く、一緒にいることが多い。

「そんなに不機嫌で弁護士とかやれるんかなあ」
 岸本がそう言うのだが、千冬はまったく聞いていなかった。

 周りはカフェテラスで、人は多いし、ざわめきでいっぱいだから聞こえないというわけでもないのだが、千冬の心はここにはないという感じである。

 そうして岸本がぼやいているところに、多保と幹太がやってきた。
 授業が終わったら待ち合わせて遊びに行く予定だったのである。

「おー、お待たせ」
 幹太がそう言って席にまず多保を座らせてから自分も隣の席に座る。
 こうした一連の作業みたいなものも恒例になっている。

「で、ちーちゃんは何処いっちゃったのかなあ?」
 幹太も千冬を見てそんなことを言う。

 明後日の方向を向いて、ぼーっとしている千冬を見ていると、そんな言葉しか出てこないものだ。

「この塀を越えて、その向こうにある学校の中のあの変態を見てるんだろう」
 そんな毒を吐くのは多保だ。

 多保にとっては、世嘉良は変態にしか思えないところである。今まで散々なことを千冬にしてきたのだから(というか、筒抜けの時点で)おかしい。

「よりにもよって、副担任だっけ?」
 幹太がそう言うと岸本が頷いた。

「担任になったやつが使えないらしくて、あの先生、めちゃ忙しいらしいよ」

「その情報、また左部(さとり)先輩かい?」
 多保がそう聞き返すと、岸本は頷いた。

 弁護士になる仲間の左部先輩は、岸本の中では最高の先輩になるらしい。その情報の出所も新鮮で多保たちと一緒にいないときは、千冬を連れていつも左部のところにいっているくらいである。

 その左部がどうやってその情報を仕入れてくるのかは、知ってはいるが、その情報筋がしっかりしているのだから驚きであろう。

「左部先輩、いつもどうやって嗄罔(さくら)から情報聞き出しているんだか、だな」

「嗄罔の情報は、すげーからな。一度面白半分で自分の情報調べたら偉い恥ずかしいことまで知られてたよ」

 あははと笑って言うのは幹太だ。そんなあほな依頼をするのも幹太くらいなものだろう。

「まあ、左部先輩から聞き出すのには金いらねえし情報もいらねえからな。まあ、それで、あの先生はめちゃ忙しいってことは解ったわけで。そしてちーちゃんの不機嫌もそこにあるというわけだ」
 岸本がそう言うと、ちーちゃんこと千冬がじっとこっちを睨んでいた。

「どうやらお戻りになったようで……」
 そう言って岸本は苦笑する。

「ちーちゃんいうな」
 千冬はそこだけ聞き取ったようで、それに対して怒っているようだ。

「そう言われてても暫く気づかなかった不機嫌の理由を百字以内で述べよ」
 岸本がそう突っ返してやると、千冬は見る見る顔を赤らめてしまったのだった。

「心は遠く塀の向こうの更に向こう。悲しいな、友達がここで心配をしているというのに……」

「うっ……」
 思わず唸ってしまう千冬。

「何? そんなにあの変態は千冬に構ってないわけ?」
 多保が直球で聞き返す。

 その言葉に千冬は小さく頷いた。

 自分でも解っていた、世嘉良が忙しくて構ってくれてないということ。前はもっといろいろして……というか、されていたということだ。

 それが恥ずかしいことであっても、急になくなってしまったことに千冬は不満を覚えていたということになる。

「どういうこと? 千冬が忙しい時には、いろいろなことやってきたのに、自分が忙しいと放って置くってこと? なにそれ!」
 多保が怒ってテーブルをドンと叩いた。一瞬周りが驚いて振り返ったりもしたが、ただテーブルでもめているだけなのだろうと、すぐに誰も見なくなった。

「だって……俺の忙しいのは、そんなに忙しいじゃなかったし。先生のは本当に忙しいんだもん。俺が何か言えるわけない……」
 千冬はそういうと泣きそうな顔になってしまった。

 今まで大学へ行くのだからと緊張していたのもあって、構ってくれないことは少し我慢もしていたのだが、こうして一週間過ぎてみて寂しさが募ってしまった。

「こういうのは、本人に言わないといけないことじゃないの!?」
 多保はそういうと立ち上がった。

「おいおいおい、多保がいきり立ってどうすんの?」
 幹太が呆れたように言うのだが、多保は燃えていた。
 ここぞとばかりに言える一言がある。

「あの変態に物申す!」

「は?」
 そこにいた全員がポカンとしてしまった。

「今日こそは千冬の為に言うぞ! さあ千冬行くよ」
 多保はそう言うと、千冬の腕を取って席を立たせた。そしてそのまま引き摺っていってしまう。

「た、多保」
「いいから」
 多保は何か思いついたらしく、それに向かって突っ走っている。
 それをポカンと見送った幹太と岸本だったが、慌てて席を立った。

「ちょ、待てって多保」
「幹太くーん、多保ちゃん暴走よ」
 岸本も席を立ちながら、ふざけたことを言う。岸本的にはこの展開は面白いのだ。

「お前もふざけてないで止める努力しろよ」
「やーね。多保ちゃんの暴走を止めるのは、幹太くんの役目でしょ」

「だからお前嫌いだ」

「こんなに親身になって相談のってくれるような友人を嫌いだなんて、酷いわ」
 そういわれたら返す言葉はない。

 確かに多保とのこともいろいろ相談に乗ってもらっていたからだ。

「とにかく、追いかけるぞ」
「見逃してなるものか」

「お前、見物だけするつもりだろ?」
「そうそう」
 その岸本の言葉に幹太はがっくりしながらも多保と千冬の後を追った。




 二人に追いついた時には、もう日が暮れた高校の中だった。

 多保は真っ直ぐに世嘉良の元を目指しているのだと解ったのは、高校へ向かっているのだと理解してからだ。

 本当に直談判するつもりらしい。

 そうして、美術室まで私服でも入り込めたのは、この高校が大学生の出入りも認めているところだろう。

「ちょっといいですか」
 美術室の前に来ると、多保はそういってドアを開けて中に入った。
 中には世嘉良しかいないらしく、多保は千冬を連れてさっさと中に入ってしまった。

 幹太と岸本は少しドアを開けて中を見ると、ちょうど、世嘉良(せかりょう)がこっちを向いているところで多保たちは背中を向けている状態であった。

「お、千冬。それに前鹿川(ましかわ)じゃないか」
 世嘉良は資料から顔を上げてにっこりと微笑んだ。

 それに千冬は気まずい思いをしているようだったが多保は怯まなかった。

「千冬のことですけど。どうして放って置くんですか? 飽きたなら、そう言えばいいのに」
 多保が衝撃的な一言を言ったために、千冬の肩が震えていた。
 まさか、自分が構われなかったのは、飽きられたからなのかと思ってしまったからだろう。

「なんの話だい? 俺が千冬に飽きたって?」
 世嘉良は心底驚いた顔をしている。本人にその自覚はなかったようだ。

「飽きてないなら、どうして放って置くんですか? 千冬が可哀想です!」
 多保がそう言い切ると、千冬は多保に言う。

「いいよ、多保。先生忙しいんだから。困らせるのは駄目だよ」
 千冬が小さな声でそう止めると、多保は更に言う。

「何言ってんの? あんなにぼーっとするほど気になって仕方ないくせに!」
 そう言われて千冬は真っ赤な顔をして俯いた。それは真実だったからだ。

「もしかして、暫く忙しくて構わなかったから、千冬が寂しがっているってことか……。そうかそれは俺が悪かった」
 神妙な顔をして世嘉良が謝る。それもあっさり自分の非を認めて。

「え?」
 驚いたのは全員だった。

「千冬そんなに寂しかったのかい? さあ、おいで」
 世嘉良がそう言って両手を広げて千冬を迎え入れようとしたら、千冬はすんなり世嘉良の胸の中へと飛び込んでいった。

「先生……」

「千冬……ごめんな。寂しかったんだろ? 今日からはちゃんと自覚しておくから。それにちゃんと千冬も寂しいって言わないといけないぞ」

「うん、うん。寂しかった」

「そうか。今日からは大丈夫だからな」
 そう言って抱き合っている二人を見て、全員が固まったのだった。

 そういう光景になるのは予想していた。もちろん、キスくらいは。と思っていた輩も中にはいたのだが、それ以上に驚愕する出来事が目の前で起こっていた。

 それは、世嘉良の表情である。

 世嘉良が千冬を抱きしめ、千冬から顔が見えないと解ったとたんの表情。

 それはしてやったりという表情だったのだ。ニヤリとして多保を見、そしてドアの外で見ている幹太や岸本にもその表情を見せていたのである。

「……まさか」

 ふと思い当たることがあった多保が怒鳴りそうになったが、千冬が喜んでいるのだから、一応は収まった。ぐっと言葉を飲み込んで不機嫌な顔をのまま美術室の外へと出てきた。

 そして、そこで怒りが爆発してしまった。

「腐れ外道!」
 と怒鳴ってドアを思いっきり閉めたのであった。


 つまり、世嘉良は千冬が寂しい思いをしていることを知っていた。
 知っていて放置し、千冬から何か言ってくるのを待っていたのだ。

 そして、今日辺り千冬は世嘉良に構ってもらえる嬉しさから、世嘉良を拒んだりはしないのだろう。
 それは世嘉良の思惑通りだったというわけだ。

「やられた! ふざけんな!」

 帰り道、そう叫ぶ多保を幹太はどうやって慰めようか考え、やられた感のある岸本も深く溜息を吐いていたのだった。

 さすが大人というべきか。
 自分の忙しさを利用してまで、恋人から何かを引き出そうとする欲。

 さすがと思っておくしかないのだろうか。
 幹太や岸本は自分たちはまだまだ子供なのだと思ってしまったのだった。