novel

Distance 10round Fainal Distance 4

「光は失恋中か」
 光の親友である伊吹は、ここ数日の光の元気のなさからそう判断出来た。失恋は四回目。予定では四ヶ月落ち込む予定だ。

 前回の時と同じく、光は真面目に学校へ通ってくるが全てにおいて反応が遅いのが特徴だ。泣いたり喚いたり、愚痴愚痴と相手を恨んだりするのは休んでいた三日くらいで、その後はただ自己嫌悪に陥る。
 ああすればよかったのだろうか、こうすればよかったのだろうかという、もうどうしようもないことについて気にしてばかりになる。
 それが長く続くため、周囲も呆れかえるほどになる。

 だが問題は、光が誰に失恋したのかである。
 つい先日、光が恋をしたという相手だった野島教師が諸事情ということで学校を辞めたことは噂になっていた。その噂の中には懲戒免職というものまで含まれているが、野島が何をしたのかは教師たちも理由は知らないようだった。
 光がそれを知って落ち込んでいるのかと最初は思ったが、結婚報告を受けた後、二日落ち込んだことに比べれば、それほどのショックは光にはないはずだ。

「光、野島が学校辞めたのがショックなのか?」
 そう伊吹は一回聞いた。その返事は。

「んー、それは別に……」
 まったくもって気のない返事だった。
 どうでもいいことなのだという。
 光が一回落ち込んでも復活してからは相手のことを引きずることはないし、一回失望した相手にまた失望して落ち込むこともない。
 つまり野島はまったく関係ないことになるが、光がそんな様子を見せていたことはなかった。

「ところで、家には帰らないのか?」
「そういう伊吹だって」
 二人は放課後の教室に残っている。

「お前、俺が今、さぼった三時間目と四時間目のノート写してるのが目に入らないのか?」
「持って帰ってやればいいじゃん」

「そうするとノートを家に忘れるかもしれないだろうが」
 伊吹がそう言い返すと、光は黙った。
 放課後の教室には誰も残っておらず、光と伊吹しかいない。

「なあ、お前と西水(すがい)ってどういう関係だったんだ?」
 伊吹はずっと思っていた疑問を光にぶつけた。光は一瞬だけびくりとしたが、その後はのんびりと答えた。

「ただ、助けてもらっただけ……それだけ」
 光は西水のことはよく知らない。
 彼のことを探ろうとしたりしたら、彼が不安になってあの映像をばらまくかもしれないと思ったし、それを考えたら西水のことを知らない方がいいと思っていた。

 だけど、急に脅迫をやめ、映像も消去したと言われ、もう自由だと解き放たれたのに、光は不安になった。

 西水のことは、西水の体しか知らない。
 下の名前も知らない。

「西水さんの名前、なんて言うんだっけ?」
「はあ? 真久(まさひさ)だろ。お前、あの有名人知らなかったのか?」

「うん、知らなかった。それで?」
「西水って言えば、あいつ幼稚舎からこの学院にいるエリート中のエリートだ。1組から一回も落ちたことないし、成績もトップクラスらしい。だからなのか、あいつ誰とも連まないんだよな。友人関係は広くだが関係は浅く、友達となんかしてるの見たこと無いっていう噂があるくらいだ」
 伊吹がこれくらいは誰でも知ってることだと話すと、ぼーっとしていた光が振り返った。

「幼稚舎から? 写真残ってる!?」
 光の過剰な反応に伊吹は首を傾げる。

「あ、ああ。幼稚舎のなら、図書館に行けば、集合写真は残ってるんじゃないかな? あそこ、総合図書館だし」
 伊吹がそう答えると光は荷物を持って教室を飛び出していた。
「お、おい! なんだよ光!?」
 あまりの慌てように伊吹も気になって荷物をまとめるとその後を追った。

 図書館に着くと光は司書にアルバムの場所を聞いて、膨大にある幼稚舎のコーナーから年代を探した。ここには学院が出来た時からのアルバムが全部保管されていて、後50年分は入るように棚が後部に空いている。
 必死に探しているのは、12年前の幼稚舎の卒業アルバムだ。

「光、お前なんでそんなもの探してるんだ?」
 追いついてきた伊吹は、やっと12年前の卒業アルバムを取りだし、机まで持って行くのも待てないでその場で広げている光の行動を不思議がっていた。

 光は集合写真ではなく、個人で撮った写真を見ていた。そして開いているのは西水真久(すがい まさひさ)の昔の写真だ。
 光はそこを開いて固まったようになり、信じられないものを見たという顔をしていた。

「光?」
 どうかしたのかと伊吹が光を呼ぶと、光は呟いていた。

「まーくん……」
「まーくん?」

「……昔、仲が良かった、まーくん……名前ちゃんと覚えてなくて、言いにくい名前だったから、勝手にまーくんって呼んでた。急に引っ越したからまーくんに何も言えなかった。名前もうろ覚えだから手紙も出せなかった」
 光は昔を思い出しながら言っていた。

 光が勝手にまーくんにつきまとっていたから、大人しくてでも口が達者で何でも知っていて詳しかった彼には、何も知らない光はさぞかしうっとうしい存在だっただろう。
 だが、彼は光が繋いだ手を振り解いたり、隣を歩く光を怒鳴ったりはしなかった。
 名前を呼ぶのが恥ずがってたが、あいちゃんと呼んでくれるのが精一杯だったが、それでも光は嬉しかった。

「……俺が西水さんを見てまーくんだって気がつかなかったんだから、西水さんも俺をあいちゃんだとは思わなかったってことか……」
 昔の面影なんかより、たった一年くらい一緒にいただけの間柄だ。そんなの覚えているわけがない。光がまーくんを忘れられなかったのは、彼が光にとってヒーローみたいなものだったからだ。

 出会いは覚えてないが、まーくんが必死に光を守ってくれたことだけははっきりと覚えている。
 怖くて、痛くて、何が起ったのか分からない自分をまーくんが助けてくれた。あの時から光の中ではまーくんはヒーローだった。
 それに野島の時も結果的には助けてくれたことになる。
 結局、西水を憎んだり嫌いになったり出来ないのは、不器用な優しさが見え隠れして、なんとなくまーくんが重なって見えていたからだ。

「ちょっと意地悪で、口を開いたら難しいこと言って、俺にはなんだか全然分からなくて、分からないって言ったら、さらに詳しく教えてくれて……ああ、そうか、だからなんだ……」

 ――――――やったことないんだから、わかんないよ。
 急に西水が優しくなったと感じたのは、そこからだ。最初は怒っていた、それを感じたから逆らえなかった。

「……全然変わってない……」
 なんで脅している最中に優しくするんだ。
 そんなことされたから、勘違いしたじゃないか。
 もしかしたら、少しは気に入って貰えてたんじゃないかと。

 だから、自由にされた時、凄く落ち込んだ。
 どうやって家に帰ったのかも覚えてなかったくらいに。

 今はまーくんを見つけられたのが嬉しいのと、まーくんにあんな姿を見せていた自分のことが酷く恥ずかしかった。
 あんな痴態を、脅迫されたとはいえ、男の人に抱かれてよがっていたなんて、絶対に知られたくない。たとえ抱いていたのが、そのまーくんだったとしてもだ。

「……嫌だ……知られたくない……あんなこと……嫌だ」
 このまま西水が知らずに済んでいるなら、絶対に自分があのあいちゃんだった事実は知られたくない。
 西水を思って落ち込んでいる場合じゃない。
 彼のことはきっぱりと忘れないといけない。
 ずっと昔のまーくんを見つめていたが、その写真がぼやけてきて、やがて見えなくなった。

「……光、大丈夫か?」
 伊吹が光の肩を優しく撫でてくれた。
 どうして伊吹が優しいんだろうと思って顔を上げたら、頬にすーっと何かが通った。

「……光……お前、本当に西水と知り合いだったことを知らなかったのか?」
「……知らなかった……んだ……知ってたら……」

 あんなことにはならなかったのに――――――。
 そうはっきりと分かってしまったから、光は伊吹に抱きついて声を殺して泣いた。
 それからどうやって家に帰ったのかは覚えてなかったが、傍にずっと伊吹が居てくれたことは覚えている。

 西水のことを思い出したり、まーくんのことを思い出したりすると、光の涙腺は崩壊していたが、伊吹は何があったのかということは一切聞いてこなかった。
 とにかく眠れるようにと色々酒を勧められて、光は朝方になってやっと泣き疲れて眠れた。

 伊吹には学校をとりあえず休めと言われていた。泣きすぎて目が凄いことになっているからだと彼は苦笑していたが、情緒不安定になっている光が学校に来ても授業を受けている最中にも泣き出しそうになるから、とにかく今日は寝ろということだ。

 その伊吹は、一旦家に帰って着替えた後、学校へ登校した。その時間はすでに昼を回っていたが、今日は授業を受けに来たわけではないので何時でもよかった。

 とにかく光が寝てくれないと伊吹も動けない。
 あんなに泣いている光を見たのは初めてだった。苦しそうに辛そうに声を殺して泣くなんて、光に出来る芸当でもない。彼は泣く時は大声で喚いて泣く方なのだ。

 それをあんなに声を殺して泣いていた。
 理由は分かっている。

 西水真久(すがい まさひさ)、光の昔の知り合いのまーくんで、現在の光の失恋相手。
 そもそも西水と光の知り合うきっかけがおかしかったのだ。
 西水は他人に興味がないのだから、光が泣いていたとしても彼は気にすらしないはずだ。

 だが、西水が光のことを昔の「あいちゃん」だと知っていて、光の周辺を調べていたとしたら、野島の話も回ってくるだろう。
 野島の影の噂は、知っている人は知っている程度。野島も上手く隠してきたから誰も確証はなかった。
 伊吹が野島がマズイという確実な情報が入った後、光は西水に保護されていた。
 光が野島が結婚することを知らず、それを知って泣いていたからと知り合った理由を西水はそう言ったし、光もそう言った。

 だが、野島から逃げられた光に西水が何かしたのは確実だった。
 それでも光は困った様子もなかったし、西水の話題も別段過剰反応もしなかったので、光は納得ずくの行動なら伊吹が口を挟むことはないだろうと思っていた。

 それが間違いだった。
 光は西水に何をされたかは結局言わなかったが、あれほどの拒否反応を見ている限り、光は西水と寝ていた。しかしその関係は突如終わったらしい。
 光が失恋したと思っていることを西水は知らない。
 あの西水が気まぐれなどで光に手を出すとは思えない。
 ということは、西水は光が昔の「あいちゃん」だったことを知っていたはずだ。

 西水は最初から野島と光を別れさせる為に何かをした。
 その課程で、西水は判断を間違ったのだ。
 それは、西水は光を「あいちゃん」だと知っていて近づき、そして何か変化があって光を手放した。
 だがそれは双方が双方を思うが余りの行動。それが一番しっくりくる。
 

 伊吹は西水が教室にいないことを確認してから、視聴覚室の鍵を借りてそこへ向った。
 西水のテリトリーが視聴覚室なのは知っていたし、西水は登校はしていたが、昼休みや放課後はずっと視聴覚室にこもっていることを知っていた。
 視聴覚室に入ると西水は作業部屋にいたのか、すぐにその準備室の方から出てきた。どうやらここは西水が監視していたようで、部屋に誰か入ってくればわかるようになっているらしい。

 視聴覚室に入ってきたのが伊吹と分かると、伊吹が何をしにきたのかも西水には分かっているのだろう。
 伊吹は近くの椅子に座ったが、西水は警戒をしているのか立ったままだった。

「あんた、光を泣かせて楽しいか?」
 伊吹がそう切り出すと西水は無表情のまま何も言わない。

「まあ、警戒しなくても、光はあんたと何があったのかなんて俺には喋ってないから安心しな。ただ、俺は何があったのかは大体把握しているつもりだ」
 伊吹がそう言っても西水は顔色を変えない。どうやら伊吹に何を言われても反論はしないつもりらしい。光が泣いている理由も、光が失恋したと思って泣いているとは思いもしないのだろう。

「まーくんかあ」
 伊吹がそう呟くとやっと西水の顔色が変わった。

「……それをどこで聞いた」
 厳しい顔で伊吹を睨み付けてきた。まーくんと呼ぶのはたった一人しかいないし、光以外の誰かがそれを知っているとは思えないからだろう。

「昨日だ。光があんたのこと何にも知らなかったって落ち込むからさ。あんたの名前から教えてやった。そしたらいきなり図書館に走るんだぜ。で、幼稚舎のアルバムひっくり返して昔のあんたの写真見つけて、まーくんって呟いて懐かしそうに眺めて、それから泣くんだ」
 伊吹はそれには困ったと付け足した。

「まーくんに知られたくないって泣くんだ」
 そう伊吹が言うと西水はふうっと力を抜いて椅子に座った。 

「まーくんがこんな人間に育っていると思いたくなかったんだろうな」
 西水は自嘲したようにそう言った。  
 昔のまーくんならそんなことはしないと西水でも思う。光はそれを否定したとしても西水には光を責める資格はない。

「だが、光は二度とあんたのことを思い出してもいけないし、思い出したら嫌われると思ってる」
 そう伊吹が言うと西水は不思議そうな顔で伊吹を見た。

「光はあんたのことは一度も責めてない。自分が悪い、自分が馬鹿だった、そういうことしか言わない。なにより光は自分があいちゃんだってことをあんたに知られたくないと思ってる。だがあんたは知ってて光に近づいたはずだ」
 伊吹がそう言うと西水は複雑そうな顔をしていた。
 西水がまーくんであることを知られたくなかったのと同じように光もあいちゃんであることを知られたくないと思っている。

「やはり俺が間違ってたってことか……」
 西水はそう言って机に乗せていた拳で机を叩いた。

「確かにあんたは間違ったのかもしれない。だが、今の光を助けてやれるのもあんただけだ」
 伊吹が思っていることを口にすると、西水は前を向いたままで表情は硬かった。彼は彼なりに葛藤していたということだ。

「すごく泣くんだ。まーくんごめんって泣くんだよ。俺はあんなに泣いてる光を見たことがない。あんなに声を押し殺して泣くあいつなんて知らなかった」
 伊吹は本当に光があんな泣き方をするなんて今まで知らなかった。だが目の前にいる男はそれを知っていたらしい。

「光は本当に辛くて苦しい時はそうやって泣くんだ」
 昔そうやって光が泣いているのを助けたことがあった。それが最初の出会いで、光が泣いているのを見た最後でもある。

「だったら、今こそあんたの出番だろう。こんなところで腐ってないで、さっさと光のところに行ってこい」
 伊吹は言って席を立った。
 お互いがお互いの過去を知られたくないと思っているが、もう二人とも知っている。このまま知らないフリをして生きていくか、それとも誤解を解いて素直になるか、そのどちらかを選べと言われたら、大抵の人は一度は誤解を解きに行く。

 西水もその例に漏れず、伊吹が視聴覚室を出て廊下を歩いていると、後ろから西水が走ってきて、そして通り過ぎた。
 その必死さが伝わってきて、伊吹は苦笑した。
 
 光の睡眠を邪魔する音、それが聞こえだした時、光の意識は今朝寝てから初めて浮上した。何回か鳴っていたのはチャイムだ。それに気づいたが、一旦それは止まった。

 外を見ると真っ暗になっていた。今朝寝たから起きるのに夕刻を回るのは当然だろう。ゆっくりと起きて周りを見回すと、寝ていたはずの伊吹がいない。

 ソファで彼は寝ると言っていたが、学校へ行ったらしい。メモが残っていて、後で電話すると書いてある。携帯に電話があったとしたら、今の今まで寝こけていた自分にはその音は聞こえなかっただろう。

 するとまたチャイムが鳴った。
 学校から帰った伊吹が心配になって訪ねてきたのだろうと思ったので、光はそのまま玄関へ行ってドアを開けた。

「ごめん、今まで寝てて、携帯確認してなかった……」
 そう言って勢いよくドアを開けたのだが、そこに立っているのが伊吹ではなく西水だったことに光は驚き過ぎてフリーズした。

 夢の続きでも見ているのか……これは現実か?

「光」
 西水の口が動いて光の名を呼んだ。それが耳に入ってきて光はこれは夢じゃないとはっきり分かった。

「……い、嫌……っ!」
 今一番会いたくて会ってはいけない人間。
 ドアを閉めようとしたが、ドアを開いた時に西水がドアを押さえていたため閉めようとするのに力が必要だった。ドアノブを握って引っ張るも西水が体を入れて足でもドアを押さえていたので閉まらない。

「や……やだ……」
 光はドアノブから手を離して、一歩下がりその場に座り込んだ。

「なんで……なんで……」
 混乱して何を言っているのかも分からない。
 その間に西水は玄関に入り、ドアがゆっくりと鉄の音を響かせて閉まった。

 西水は光を驚かせないようにその場にゆっくりと跪いて光の方をじっと見ていた。光が怯えているのは分かっているし、驚かせたくもなかったが、この拒否反応はかなりショックだった。
 光を脅迫した時だって光はここまでの拒否反応はしてなかった。そう考えたとたん、ふと何かが違うことに気づいた。
 光は脅迫されていた時、それほど西水を怖がってもなかったし嫌ってもなかったのではないか?ということだ。困惑はしていたがそれは恐怖によるものではなかった。それだけは解る。では何に困っていたというのだろうか。

「光……言い訳をさせてくれないか?」
 西水がそう切り出すと光は怯えた目を向けたままだったが、話は聞こうという気はあるようだった。

「光があいちゃんだって、最初から知ってた」
 西水がそう打ち明けると光はまさかと目を見開いて西水を見た。

「……だったら……なんで……?」
 何故西水は自分のことを知っていると言わなかったのか。それが今の疑問だ。

「言えなかった。光にまーくんだって知られるのが怖かった」
 西水が素直に自分の中の恐怖を認めると、光は何故?と首をかしげた。

「俺は……あの時の光を前にして、あんなことをさせた。俺は光が思ってくれたようなまーくんじゃない。光の体を見て欲情するような人間なんだ。光の笑顔が見たいなんて思いながら、光を組み敷いて犯すような人間なんだ」

 光がまーくんはヒーローだと自慢して笑っていたことを思い出すたびに、西水はどんどん苦しくなった。ヒーローが光を脅迫して抱くなんてことするわけない。そのギャップが辛くて、忘れるように光に溺れていくと、また現実に返ってギャップが酷くなっているのに気づく。その繰り返しだった。

「……俺の……せい? 俺が勝手にまーくんのこと、ヒーローだなんて言ったから? 俺、まーくんのこと、西水さんのこと、何にも知らなかったんだね……」

「そうじゃない。俺がそんな人間になれなかったことの言い訳だ。あんなに俺に懐いてくれたあいちゃんになんてことするんだって、あいちゃんにそんなことしていいわけないって何度も言い聞かせた」

「西水さん、間違ってる。俺だってそんな綺麗な人間じゃない。脅されても、気持ちよかったからって、何度も西水さんのところに通った淫乱なんだ……まーくんにそんなこと知られたくなかった……」
 西水と光は二人して、二人の中にあるお互いはそんな人間ではないといい、自分は汚い人間だったからこそ知られたくなかったと訴えていた。

「ごめんな。あの時みたいに泣いてたんだって?」
 西水が苦しそうにそう言うと光はハッと顔色を変えた。

 西水は昔、光が隠れて泣いていたことを覚えているのだ。最初の出会いはそこだった。光が辛くて苦しくて泣いていたところに、まーくんがやってきて、何をするでもなく隣にいてくれた。
 それから光はまーくんについて回るようになった。
 どんなにうるさがっても、文句を言っても、まーくんが優しいのは知っていたからだ。
 手を繋いでもいやがりながらも振り払うことはせず、そばにいても文句は言うが、光がそばにいることを仕方ないと思ってくれていた。
 最後には、あいちゃんと呼んでくれた。それがどれだけうれしかったか。

「……まーくん、好きぃ……お願い、嫌わないで……俺、あんなことしたけど……西水さん、好きだったから……」
 光がそう言って泣き出し言った言葉に西水の方が度肝を抜かれた。

「光……俺のこと、好きだったのか?」

「好き……ずっと不安だった……西水さんが俺のこと好きじゃなくて、ただ脅迫に従うような馬鹿だって思ってたのは知ってた。だからいらないって言われた時、頭の中が真っ白になった。やっぱりこんな人間なんか誰も好きになるわけないって……」
 そう言って泣き崩れる光に、西水はやっと納得した。
 光が脅迫に応じていたのは、自分のことを好きだと思っていたからだ。だから逃げなかった。逃げる必要なんてなかったのだ。
 行為の後にみせていた困惑。あれは光が西水のことを好きで、でも西水は何を言うわけでもない。お願いだから何か言って欲しいと言う意思表示だったのかもしれない。

「どうして……俺はあんなことをしたのに……」
 西水が不思議がるのも仕方ない。
 光が西水を好きになるかもしれないと思ったきっかけがその行為の最中だったからだ。

「最初は怖かった……だって怒ってたでしょ……だから怖かった。でも……途中から優しくしてくれた。普通、ああいう脅しをする時に優しくなんてしないでしょ。終わっても家まで送ってくれた。辛いだろうからって途中でコンビニ寄ってご飯とか飲み物とか買ってくれた」

「それだけで?」

「ううん。脅すにしたって学校であんなことしてたらさすがに西水さんも見つかったらマズイと思った。俺の家は一人暮らしなのは知ってたのに、ここを使わなかった。脅迫してどうにかするならこの家の方が便利だったはず。なのに使わなかった」

 光は割合、この脅迫について疑問に思っていることもあった。こうして口に出してみれば普通におかしいと思える。
 あの時脅迫する目的だったなら、あの場ですぐに光を脅せばよかったのだ。なのに、西水は光を家に送ったり甲斐甲斐しく世話したりしている。
 この家だって脅迫する人にはもってこいの隠れ場所になっただろう。だが、西水は使おうとはしなかった。
 それは。

「それは……光の生活する場所に俺なんかの気配を残しておいたら困ると思ったから……」
 西水がそう言うと、光は聞き返していた。

「この脅迫……最初から無理だって思ってた?」
「ああ、俺の欲望だけで光を振り回すのはだめだって思ってた。でも出来れば野島の件が片付くまでは、側にいようと思ったんだ」
 西水は光を脅す目的は、確かに光を抱きたかったし離したくなかったのもあったが、野島に近づかれて困るのもあったのだ。

 光の意識が西水の脅迫に向いていれば、光は野島のことなどすぐに忘れるだろうと予想していた。
 だが、溺れさせようとして溺れたのは西水の方だった。

「西水さん……まーくん、俺のことどう思ってた?」
 光がそう尋ねると西水はやっと光に言った。

「好きだった。ずっと好きだった。あいちゃんがいなくなってからも、ずっとあいちゃんのことが好きだった。あんなことたくさんしたいくらいに好きになってた。好きだったんだ。だから自由にした」
 西水はそう言って、光を抱きしめた。
 強く強く抱きしめ、そして愛おしいというように首筋にキスをしていた。

「馬鹿だなぁ……俺たち。最初からそう言ってればよかったんだ」
 あなたが昔から好きです。この一言で全部が片付いていた。

「ああ、そうだな……告白から始めていればよかったんだ。ごめんな光」
「ううん」

「でもいやらしくなってる光、すごく可愛いから、そのままでいてくれ」
「まーくんも、そのいやらしいの、すごくエロイから、そのままでいて」
 西水が言うと光も言い返して、二人で抱きしめあって笑った。

 12年前から二人の赤い糸は繋がったままだったのだ。切れることなく、より絡み合ってより深くなっただけ。それだけのことだった。