novel

Distance 3round やわらかな傷跡 4


 結局、一日を榎木津、鬼柳家で過ごしてからの帰宅になってしまった。

 なんだかんだで、昼食を食べさされ、おやつにデザートやら、更に夕飯まで病人食で用意されてしまっては断る訳にもいかなかった。

 そして、意外や意外。それらを食べられたから驚くべきことだ。

 久々に食事をして美味しいと思ったのも、やはりあの家だからだろう。とはいえ、暫くは近寄れない。

「水渚君。あれこれ言うのもなんだけど。最初に来た時の匂い。気に入らない」
 そう帰りがけに言われた言葉を思い出したからだ。

 透耶は病院の匂いを嗅ぎ取っていたのだ。
 そういえばと思い出してみれば、斗織がそんな話をしていた。あれは病院嫌いだからと。

 とりあえず、それは大介には言わないらしいとは解ったので、口止めはしなかったが。
 水渚から何か行動しない限りは、どうこうするつもりはないらしい。
 そういうところは、何故か凄く斗織を思い出させる。

 あの二人を見ていて、自分も大介とと思ったら妙に寒気がしたのは可笑しかった。

 大介はあんなんじゃないし、自分は透耶でもないから、あれは無理だと解って可笑しかった。
 妙にすっきりとした気分で駅まで帰ってきたが、そこからがまた暗くなってしまう。

 また、大介は仕事でいないのだろうか……。

 ここのところ、立て続けに仕事を入れているらしく、まともに顔を合わせたのは、もう一ヶ月くらい前だろう。

 マンションがよく見えるところまで来ると、家に明かりがついてないのが解って、一瞬でまたかと思う。

 だから、不安になる。

 これは大介が離れる準備をしてるのかもしれない。もしかしたら居なくなる準備をしてるのかもしれないと。

 それで今日は透耶に無くなるのはどうなのかと聞きにいったのだ。

 でもあの人は、いつでも不安なのだという。離れていても近くにいてもそれは同じなのだと。

 それはずっと思ってきたことであるし、今でも変わらないものだのだと。一度無くしたら、やはり次もまたと思ってしまうものだとも。

 それはそれで仕方ないのだ。人間だから生きているから。

 そういう話をしてくれたのだろう。グルグル考えるのは禿げると言われたが、確かにそうだなと思った。

「……この年で禿げるのはやだな」
 思わず笑ってしまう。
 そうしてクスクス笑っていると、後ろから声をかけられた。

「どうしました、水渚」
 久しぶりに聞く声に、水渚は驚いて振り返った。
 暗闇ではなかったが、街灯があるところに大介が立っていたのだ。

「うわ、びっくりした……そっちこそ、どうしたの?」
 自然と声が出た。それも不自然ではない声だった。
 大介は少し疲れているらしく、ハアッと息を吐いてから近寄ってきた。

「私は仕事帰りです。そちらは?」

「あー僕は、透耶さんところからの帰り」

「透耶さんの?」
 どうやら、それが意外だったらしく、少し驚いている。

 そういえば、もう3年も会ってないはずの人の所にいきなり行くのもおかしいと思ったのだろう。

「ほら、あの我耶祥真(がや しょうま)の友達の梧桐(ごとう)から頼まれて、サインをね」
 なんとか不自然にならないようにネタを言ってやった。

 我耶祥真は確かに榎木津透耶のファンであるのは大介も知っているからだ。

「だったら、私に言ってくれれば」

「あーそれ駄目。大介、透耶さん苦手じゃん。何のために僕が事件の詳細のことで電話してあげたと思ってるんだよ」
 そう言うと大抵大介は黙る。

 案の定、それは確かにという顔をしているから可笑しい。

 このエリートサラリーマン風情が似合う容貌で、もう30になろう男が、唯一苦手にしているのが、まだ22歳の男なのだから。

「まあ、そうでしたね」
 ふっと笑った顔が、凄く綺麗なのだと思うようになったのはいつのことだったか。
 思い出そうとしても思い出せないくらい前だったことは確かだ。

 えらく整った顔は探偵や情報屋には向かないとは思ったが、意外に頭の切れる男で、それをカバーしているのが憎らしい。

 鬼柳のようながっしりとした体つきではないが、それでも武術は一通り出来るくらいだから筋力がないわけでもない。
 それでも綺麗だと思ってしまうのは、やはり惚れた弱みなのだろうか?

「夕飯は?」

「食べてきたというか、食べさせられた。鬼柳さん、ちょうど帰ってきてて。結構、楽しかったよ。だから、谷村さんにも今日はいいって電話させられた。こういうところは透耶さんしっかりしてるから」

 あの時間が楽しかったのはほんとだ。大介のことを思い出しても何か可笑しな想像で余計に可笑しかったからだ。

「ああ、あの人はほんとにそういうところはしっかりしてますからね」

「見かけで人を判断してはいけない人第一号だし」

「まあ、確かにそうですよね……ええそうですよね」

 大介が何度も繰り返して言うのは、本当にそう思っているのと、昔されたあの衝撃的な報復だろう。

 あれ以来、普通に付き合っていたあの人とは、距離を置くようになってしまったのだから、よほどの衝撃だったのだろう。

 斗織も言ってた。あの子は一番可愛い。でも一番怖いと。何でも聡い子だからねと。

「まだ、透耶さんの顔見るの怖い?」
 水渚はそう聞き返していた。

 本当はあの衝撃より、あの顔を見るのが怖いのではないかと思ったからだ。

 斗織に似ている。それだけで大介にとっては避けてしまう一つの要因になっているのかもしれない。
 それは、立ち直っていると思っている大介の唯一の弱点。

 斗織のことを忘れられないからこそ、斗織とそっくりな透耶の顔を見るのが怖いのかもしれない。

 そう考えるとかなり悲しい。自分だって透耶の顔を見るのに、何年もかかった。でも今日会ったのは、斗織にかつてそっくりだった青年だ。

 そこらかしこに面影はあっても、斗織ではないと再認識出来るくらいのものだったのだ。

 そうして逃げることは、立ち直れない証拠だ。
 深く考えている大介は、まだ立ち直れていない。

「ま、今会ってみるのも面白いかもしれないよ。似てるけど、もうあの斗織のような顔じゃないし。しっかり青年って顔になってきてるから」
 違う顔になってるから会っても平気だと言っても意味はないのかもしれない。

 要は、斗織とのことに向き合えない大介が悪いのだ。そこが弱さだ。
 それを乗り切れない、乗り越えられないのは、大介がまだ斗織に拘っているからだ。

 最後は確かに酷かったかもしれない。憎んでさえいたかもしれない。それでも斗織を許そうとしないのは、斗織にも解っていただろう。
 二人は同志だったのだから。裏切られたことは後まで遺恨を残す。
 それを解っていて斗織はやったのだ。残していくから、憎まれてもいいと思ったのかもしれない。

 でもそれじゃ、大介の生きる意味は?

 これからの大介の生きる意味は? 一緒に死ぬ覚悟だった者の立場は? そう考えると、斗織が最後に出した問題は、大介が今後どう生きるかという解答なのかもしれない。

 その繋ぎに自分はいるのかもしれない。
 保護者という立場を与えれば、大介は無理はしないだろうと。

 でもね、斗織、今それが壊れようとしてるよ。
 僕は、保護者という立場の大介はいらないんだ。

 3年経って出した僕の答えは、何か変化を与えてくれるだろうか?

 自覚したのは、透耶と話した時だった。保護者という言葉をあえて使った透耶。それまで大介さんと言っていたのに、保護者と言ったのは、水渚に保護者としての大介が必要なのか? それとも違う大介が必要なのか? という問いかけだったのかもしれない。

 まったく、あの人は侮れない。
 ほんとに22か?

「よく解らないけど、そんなに斗織の顔見るの嫌なんだ?」
 水渚は振り返って、真剣に大介に聞いていた。 
 考え込んでいた大介はパッと顔を上げた。

「別に憎んでもいいと思う。それだけのことをやったと思うし。憎んで憎んで、それでも許せないと思うなら、それでいいじゃない?」
 水渚がそう言うと、大介は少し顔を歪めた。多分嫌なことを言われたからだ。

「無理に無かったことにされるよりずっといい。僕だって、憎まれてでも誰かに思われていたい」
 真剣に告げていた。

「最後の最後で裏切られて……大介は辛いと思ったし、憎いとも思った。これは正解だと思う。でも、斗織は言った。それでもいいんだと。大介が大事だから、大事だから、残していくんだって。生きてて欲しいからそれだけだって。別に僕の保護者って立場じゃなくていいわけだし。意地で引き取ったなら、もう辞めてくれない?」 

 水渚はもう後には引けないと思いながらも、もうこれは駄目だと思っていた。
 保護者の立場がある以上、辛いながらも大介は水渚の保護者を辞めないだろう。

「別に意地で引き取ったわけじゃないですよ」
 大介は苦しそうにそう言った。

「私にしか出来ないことだと思ったから。あのままにしておいては、氷室がいいようにしてしまう」

「だから、本当の保護者のふりをして、いつまでも傍にいなくていいって言ってるんだってば!」
 水渚は叫んでいた。

 本当は知っている。
 何もかも知っている。

 保護者が変わったわけじゃないことも。
 学校を転校出来ない訳も。
 自分の財務管理を誰がしているのかも。
 自分の意志に関係なく、嗄罔水渚(さくらなぎさ)という人間は一度たりとも氷室斗織が保護者になったこともないし、その後を引き継いだはずの大介だったこともないことを。

「水渚……まさか」
 大介もそこまで考えたのだろう。思いつくことは幾つもある。いつまでもただの子供ではないのだ。
 水渚だって、色々考えることが出来るということだ。
 ことの真相だって解る年齢になった。
 17歳の斗織が保護者になることなんて出来るわけない。その保護をしていたのは氷室だ。

「僕も裏切り者になる? 大介にとって憎む存在になる? それでもいいよ」
 多分、水渚は斗織と同じ道を歩もうとしている。
 憎まれてでもいい。思い続けて欲しいと。忘れないで欲しいと。

「氷室のお爺様に、前から言われてたんだ。氷室に来ないかって」

 それは決定打だった。
 それを知っているからこそ、大介は距離を置こうとしているのだと。
 そうして大介から離れることに慣れさせているのだと。
 水渚はそうやって離れていく大介を感じてしまい、ひたすら怯えてトラウマがよみがえったのだ。体に支障が出るくらいまで追い詰められて。

「僕だって馬鹿じゃないんだ。いつまでも子供じゃいられない。大介、僕は貴方にとって、ずっと子供という存在でしかないんだよね?」
 ずっと、10歳から一緒だった。まだ子供で話すことすらままならない自分に根気よく付き合ってくれたのも覚えている。

 でも、斗織がいなくなってから自分はかなり変わったと思う。
 努力もした、大介の力になろうともした。

 でもそれすら彼には些細なことだったのかもしれない。
 そう思うと悲しくなる。

 何か言おうとしている大介を遮って、水渚はマンションへと駆け出した。

 憎まれたいわけではない。ただ、一緒に居たいだけ。それすら大介は認めてくれないのだろうか。そんな些細な願いさえ、大介の憎しみからくる意地で支えられる微妙な綱渡りをしているものでしかないのか。

 その綱が切れた時、水渚はきっと耐えられない。
 その前に自分から離れてしまわなければ、きっと生きていけない。