novel

Distance 3round やわらかな傷跡 9


 今日で何日目だろうか?
 ふと見上げた月夜に、大介は溜息を漏らした。

 水渚(なぎさ)は試験休みに入ってから、何故か家にいることがなくなった。

 名目は、梧桐(ごとう)優作と出かけると言っているのだが、本当にそうなのかは、今日初めて確かめる。

 水渚はいつも言われなくても、午後9時には絶対に家に居るタイプだった。

 それが、試験が明けたとたん、昼間さえも家にいつかない。元々、インドアだった性格も、梧桐と知り合ってからは、変わってきている。

 正確には、あの日以来だ。

 水渚が辛い顔をして、憎んでもいいと言った日から、水渚は自分を避けるようになった。

 何故、斗織と同じようなことをしようとしているのか、解らない。

 それに、あの日感じた気配は、まったく感じることが出来ず、行方不明者であり、身元不明の人物を探すのは難しい仕事だった。

 いや、これは仕事ではない。プライベートだ。
 水渚の身の安全の為といいながら、最近は、自分の為にやっているようなものだった。

 多分、意外な水渚の態度に戸惑っているのかもしれない。

 あれは、斗織と同じようなものだと思っていたから、いきなり憎んでもいいと言われた時は、さほど驚きはしなかった。ただ、何故同じでなければならないのかが解らなかった。自分に落ち度があるのかとも考えてみたが、その思考は一分も経たずにとまってしまった。

 そう、自分は最近の水渚のことをまったく知らなかったのだ。
 何かあると、水渚は報告してくれたし、仕事を手伝いたいとも言ってきて、なんだかんだで話しをしていた。
 でも、水渚が何を好きで普段本当は何をしているのか知らない。

 一ヶ月ぶりにまともに見た水渚は、酷く痩せていて、あの時の斗織を思い出させる。
 あまりに重なってしまったから目を背けてしまった。
 だから気が付かなかった。

 何故、いきなり透耶のところに出入りをするようになったのか。今日も結局、夕飯まで透耶のところにいて、梧桐と一緒に帰り、映画に付き合っている。

 ここも映画館の中だ。
 そういえば、映画館など連れてきたことはなかったなと、思い当たった。
 子供らしいことは、殆ど何もさせて上げられなかっただろう。
 斗織がいた時はまだ回っていたと思うが、自分が引き取ってからはどうだ?

 仕事にかまけて、大したことはしてなかったのかもしれない。

 このくらいの年頃の子が、実際に何をしているのかは、重々に承知している。しかし水渚はそういう子ではないし、そういう性格でもなかった。
 でも、それが変わってしまった可能性もあるのだ。

 その変化が、あの日を境にあったのかもしれない。

 コメディだった映画は、始終周りが笑っている状況で、少し離れたところにいる水渚も笑っている。
 こういう笑顔を見なくなったのも、いつ以来だろう。

 最初会った時は、斗織にしか懐かなく、笑顔、いや、全ての感情が欠落した子供だった。学校へも行かせてもらえず、閉じ込められるような生活を強いられていた。

 そこから抜け出して、斗織の手を取ったのは水渚だった。過去と決別して、新たな未来を行く相手に斗織を選んだのだ。

 そして、自分も一緒に住むようになり、学校へいっていなかった水渚に付き合って色々常識というものを教えたのは自分だった。

 笑うようになったのは、些細な事柄からだったと思う。ただ食べ終わった食器を運んだだけで誉められたとかそんなことだった。
 宿題だった算数の問題が出来て、誉められるのは好きだったらしく、一生懸命で健気だった。

 愛おしさが生まれたのは、それから一年とかからなかったと思う。
 斗織が好きで従順だった分、自分には何かと手のかかる子だった。

 でも、それが変わったのは、斗織が自分たちの傍からいなくなり、そして亡くなった頃だろう。
 それからは、我侭らしい我侭は、自分と離れたくないというものだけだった。だがよくよく考えれば、水渚が我が儘らしい我が儘で人を困らせたのは、この時だけだった。

 あの幼かった子は、少年になり、段々と斗織に似てきた。
 何故、斗織のようになろうとするのか解らず、でもそれで本人が納得しているならと好きにさせていた。
 同じような状況には絶対にならないと確信があったからだ。

 だが高校へ進学してから、水渚は変わった。
 大人になろうと一生懸命で、見ているこっちがドキマギしてしまうような仕草をするようになった。

 それを避けるようにして、仕事を入れ、家にあまりいつかないようにしてきたのは自分だ。

 その間に、水渚に変調があったのは確かだ。
 やたらと、あの事件に首を突っ込みたがり、勝手に報告書をみたりと、水渚らしからぬ執着をみせていた。

 そして、あの男が現れた。いや、正確には気配を感じた。
 自分が何に執着をしているのか、今なら解る。自分は水渚を守る為といいながら、実は斗織の最後のことを聞きたいのだということに。

 こんなところに拘っているから、水渚があんなことを言い出したのも、何かの布石のような気がして焦った。

 なんと答えればいい? 本当はこうなのだと素直に打ち明けたら、確実に水渚を巻き込むことになる。

 それだけは避けたい。
 真実を知るのは一人でいい。
 もうこの世には、あの人も斗織もいないのだから。
 関係ない水渚には一切知らせたくはない。

 映画が終わる前に、大介は先に映画館を抜け出し、繁華街に入る。ここまで追っても、水渚に友達が出来て、そして透耶とも親しくなって、変わっていっているということしか解らない。

 しかし、だからこそ解ってしまったこともある。
 もう自分の手を必要としなくなるのではないか。
 自分の側にいる必要性はあるのか。

 そう思った瞬間、怖かった。斗織を失ったと知った時と同じ虚無が見えた気がした。
 そしてそれと同時に、あの気配を感じた。

 振り返った先に、今まで姿を見せなかった人物はしっかりとこっちを見て手招きをしていた。
 大介はその後を追って、走り出した。
 やはりあいつは近くに居た。それも水渚の側に。

 相手はまるで人ごみをものともせずに人通りが少なくなる場所へと入っていった。
 危険だろうとは思うが、このチャンスを逃すことは出来ない。

 繁華街の裏に入ったところで、男は煙草を吸いながら手を振っていた。

「いよう、久しぶり。でもないか」
 金髪碧眼で長身の男は、3年前に見たままの姿だった。
 むしろ、この男を知って5年経つがまったく容姿は変わっていない。人外という異名はやはり本当なのだろうと実感できた。

「聞きたいことがある」
 大介はある一定の距離を置いてから尋ねた。
 これだけは聞いておかなければならないことが二つある。

「どうせ、嬢ちゃんのことなんだろ?」
 男はニヤリとして言った。

 一つ目はまさにそれだ、それが聞きたいのだ。
 大介がゆっくりと頷くと、男はふっと息を吐いていた。

「そんなことだろうと思った。まったく、あの嬢ちゃんは予想屋かなんかかね。あんたはいつまでも過去に拘ってグズグズしてるし、あの子供は子供で一人でグルグルしてるし、人間って因果な生き物だ」
 呆れたようにいいながらも、男は斗織と何か話していたような雰囲気で話してくる。

「だったら、今更お前が現れる意味と直結してるとでも言うのか?」
 斗織が予想していたとなると、この男がここに居る理由ももちろん斗織絡みだろう。だがどうして当時ではなく、今なのかは謎だ。

「ある。というより、これが最後の命令みたいなもんでね」

「命令?」

 大介は首を傾げた。この男に命令を出来るのは、あの男だけだ。だが、あの男は確かに死んでいる。それだけは解っている。だか、最後に何かしかけてくるとは思えないのだ。

 あくまであの男が執着していたのは、斗織だけだったからだ。
 たとえ、大介を気に入っていたとしても水渚に何かするつもりはないはずだ。

「嬢ちゃんの命令」
 男は軽く真相を言った。

「ば、馬鹿な……斗織にお前をどうにか出来るとは思えない!」

 この男は感情で動く生き物ではない。何か、この男を自在に操るには、所謂パスワードみたいなものが必要なのだ。それが解っていて、斗織が最後まで使わなかったとは思えないのだ。

「最後の最後。お前の身内みたいなものに、あいつさえ知らなかった、誰ももうこの世には、知っているはずないモノを知ってる奴がいた。やっかいなもんで、呪われた一族は皆、思い当たることがあったんだそうだ」

 そう言われて、大介はハッとした。すぐに引っかかることが出てきた。

「本当の名前か!」

「勘がいいね。それ。上位に立ったのは、その瞬間、あの一族だ。でもな、皆、口を揃えたかのように願い事を言ったものだ。「斗織の望む通 りに」と」

 斗織の望む通り。全員がそう答えた。それがこの男にとっては意外だったらしい。思い出して可笑しかったのだろう、クスクスと笑い出している。

「おっかしいから、一晩中笑って、結局やることやれなかった。だから、東京周辺にいたのは生きてただろ? こういう訳さ。後は知っての通り。で、嬢ちゃんからは、三つ。ご好意に甘えてってことらしい。意識が混濁してたらしいから、四つ目は間に合わなかったがな」

 男はふうっと煙草の煙を吐き出して言う。

「一つ目は、水渚のことを頼む」

 それを聞いた大介は驚いた。それは自分には言われなかった言葉だったからだ。斗織は、決して、残していく水渚を大介には後を頼むというような願いはしなかったのだ。

「二つ目は、大介が死にたくなったら、望みの方法で。ただし、実行期限は、8年後から」
 この言葉も大介には驚きだ。

 実行期限がついていたのは、自殺はしないだろうと思っていたからだろう。そして、残された水渚がなんとかしてくれるだろうと確信があったからだ。8年、それは水渚が二十歳になる時だ。

「三つ目は、貴方がこの二つ以外で自由になる方法を実行していい。つまり、あんたの嬢ちゃんはほとんど何もやっちゃいない」
 斗織はあの男を殺してはいないということだ。

 この男が自由になる方法。それは、上位の者の命令を聞き、邪魔者は消すということだ。
 あの男は、その時点でもう邪魔者だったのだ。

「それでは……斗織は、自殺、だったのか……?」

 斗織があの男を殺していない。しかも、四つ目の願い事を言う前に意識が混濁した。意識がなくなるようなことがあったとしたら、それは斗織が自殺を選んだということだ。

「俺が、あそこに行った時には、手遅れだった。よくあそこまで意識を保ってられたと思う。それに……四つ目は勘だが、俺が言って欲しかった言葉だったのかもしれない」

 最後は男の呟きだった。

 斗織が何を願ったか。
 何もかも後始末だった。

 四つ目は、多分、この男がこの世から消える方法だろう。それさえも後始末しようとしていたのだ。

 消えていく自分が、後には残していけない物を全部持っていこうとしたのかもしれない。

 事実、斗織がいなくなった場所は綺麗に後片付けがされ、家さえ処分し、持ち物で持ってはいけないものは、綺麗に水渚と大介に分担していた。身内は誰も受け取らないから、苦渋の選択だったかもしれない。

「こんなに綺麗に消えてくれた相手も珍しい。そんな嬢ちゃんが大事にしてるモノは、お前ら二人だけなんだもんな。だったら願いごとくらい聞いてやろうかって気にもなった。そういうわけで、俺の目的は察しの通りだ。それくらいだろ、聞きたいことは」

 男はそう言うと、大介の言葉を待たずして、その場を去っていった。
 大介は一人残され、呆然とただ地面を眺めるだけだった。