novel

Distance 3round やわらかな傷跡 15


 大介が目を覚ましたのは、水渚が身じろぎする動作からだった。
 ふっと目を開けると、水渚のしまったという顔がそこにあった。

「お、起こしちゃったね」
 焦ってそう言う水渚は決まり悪そうに言う。

「何時ですか?」
 寝起きとは思えないハッキリとした声で大介が尋ねると、水渚は身じろぎして時計を確認する。

「ん、7時ちょっと過ぎ」
「いつもの起床時間ですね」

 それは大介のではなく、水渚の起床時間だと言っているのだ。水渚は何処に居てもこの時間になれば、自然と目を覚ましてしまうのだ。
 だが、見ている限りでは、もっと前に起きていたようである。

「本当は何時に起きたんですか?」
 大介がそう聞くと、水渚は困った顔をして言った。

「6時……」
 それでは一時間もじっとしていたということになる。

「それまで何をしてたんです?」
 意地悪になった大介がそう聞くと、水渚は真っ赤な顔をしている。
 そしてぷいっとそっぽを向くとボソリと言った。

「大介の寝顔。だって、今まで一度も見たことなかったんだもん」

「ああ、なるほど」
 大介は思わず納得した。自分は誰にも寝顔を見せたことはない。小さい頃はあっても、物心ついたときは側に気配がすると眠れないのだ。ずっとそうだった、相手の気配がすると自然と目が覚めてしまうのだ。

 それが今日はなかった。

 自分の感覚がおかしくなったのではなく、自分が安心してこの子の傍にいられるのだという証のようなものだった。
 きっと、こういうことも、斗織は予測していたのだろうと思うと、苦笑しか浮かばない。

「では、ここ軽く20年程で私の寝顔を見たのは、水渚だけってことなんですねえ」
 そう告げてやると、水渚は驚いたらしく、くるっと大介の方を向いた。

「本当に?」
「ええ、本当にですよ」

「斗織も見たこと無いの?」
「ありませんよ」
 そう答えてやると、水渚の顔に笑顔が広がっていく。
 相当に嬉しいことだったらしい。

「えへへ、なんか特別って感じ」
 そう言って水渚は笑う。
 自分だけ特別なのだと正直に言ってくれるのが更に嬉しい。

「そうですね、私も水渚の隣なら安心して眠れます」
 大介はそう言うと、すうっと眠ってしまった。

「あ……」
 水渚は大介を呼ぼうとしてハッとして口を詰むんだ。
 きっと、今まで色々あって疲れていたのが、ここにきてどっと来たのだろう。
 そんな風な大介は見たことなかったし、起こすのは可哀相だと思って、水渚も久しぶりに二度寝を決め込んだ。

 結局二人は、そのままチェックアウト寸前まで寝ていたのだった。





 京都を出る時、また何かされるのではと二人は警戒したのだが、それはさすがになかった。

「今度は静かに送ってやるよ」
 そう言うのは、玲泉門院葵(れいせんもんいん あおい)だ。

 ここに来た時に悪乗りして、散々な出迎えをしてくれた彼だが、今日はそんな気はなかったようだ。
 この人はやるとなったら徹底的にやる人なので、どうなることかと心配したがそれは無用だったようだ。

「まあ、坊やも元気なことだし。無茶はしなかったようだしな」
 何があったのかまで解っているのだと言われて、大介は頭が痛くなってきた。

 そういえば、ホテルに移るといったとき、いい覚悟だと言ったのはそういう意味だと気付いていたからなのだろう。

「それに、斗織も喜んでる。お前らはずっとそのまま一緒にいるべきだ。お互いの為にはそれが一番いい」
 そんなことを言われて、大介は意外に思った。自分はこんな心配をこんなところでもかけていたのかと。

「本当にお世話になりました」
 大介はそう言って頭を下げた。
 それにつられて、水渚も頭を下げる。

「アルバム。ありがとうです。大事にしますから安心してください」
 アルバムはもう既に葵が宅急便で水渚宛に送ってくれたらしい。
 明日には届いているだろう。

「大事にしてやれ。あれは斗織も大事にしていたものだからな。特にお前たちとの思い出として」
 葵がそう言う。

「大事にします」
 水渚は真剣に頷く。
 あれは斗織が生きていたという証だから。

「それでは、また来ます」
 大介がそう言うと。

「おお、いつでも歓迎だ」
 葵はそう言うともう言うことはないとばかりに、新幹線が出る前に去って行ってしまった。
 彼に託された斗織からの願いは、今完了したということだ。

「さあ、家に帰ろう」
 大介が水渚にそう言い、水渚もそれに頷いた。

 そう自分たちの家に帰ろう。
 そうしてまた日常が始まるのだ。でもそれは気持ちが新しくなったことから始まるものなのだ。



 そうして二人は京都を後にした。




 だが……。

「だ、大介、大丈夫? 生きてる?」
 水渚が言って大介を揺さぶるが、大介は頭を抱えたまま動かない。

 大抵のことでは動じないのだが、今回は油断していたのもあった。

 京都で何もなかったから、というのが一番の理由だが、東京にはまだ怒りに燃える輩がいたのだ。

 新幹線の窓から見えるところに、横断幕があった。

 そこには「悲願達成おめでとう」と書かれてある。そしてその旗の下には、榎木津光琉がいたのである。

 やられた第三弾だ。

 京都では油断させて、東京でダメージをってことらしい作戦だったようだ。

「憎まれているとは思ったが、ここまでとは……」
 大介はそんなことを呟く。

 だが、新幹線を降りないわけにはいかず、客があらかた降りたところで、降りることになった。

 すると、入り口でしっかり出迎えられた。

「よう! やっと悲願達成だな。水渚も元気なようだし、少しは手加減してやったか?ん?」

 知ってて言っているのは確かだ。こんな情報源は、透耶か葵しかない。
 その透耶は、隅っこの方で、鬼柳に口を押さえられ何か言うのを止められている。その鬼柳と目が合うとニヤリとされたから、この情報を光琉に漏らしたのは鬼柳だ。

 まったく、彼もまた怒っている一人だったのを忘れていた。

「まだ、こんなもんじゃ足りねえけど、さすがに透耶も怒り出したし、やめてやるよ。あんたたちは斗織の分以上に幸せになりな」
 光琉はニコリとしてそう言うと、さっさと撤収に入った。

 撤収が済むと、全員で駅を出て、そのまま飲み屋に突入になった。

 これで帰ると言い出したら、全員から非難轟々だろうと思い、大介は諦めて言うことをきくことにした。

 でも飲み屋では、各自が適当に飲み始めてしまったので、一応のイベントは終わったようだ。

 すると透耶が隣にやってきた。

「ご、ごめんね。俺はやめとけって言ったんだけど、光琉暴走するとなかなか止められなくて、それに他の人もノリが良過ぎて、収集つかなくなりました」
 そう言って謝ってくる辺りが透耶らしいのだ。本来この人は怒ってないときはこんな風に腰が低い。

「いえ、ちょっと油断してたくらいですので」
「そうそう、大介のダメージの方が大きいから、僕なんともないし」
 水渚は今日はジュースで大人しく大介の隣に座っている。

 こういうところに大介と出るのは初めてだったし、嬉しかったのもあった。
 いつの間にか知らない人を梧桐から紹介され、友達認定されたりして、結構面白いと思ったのだ。

「水渚は楽しいのを満喫してますからいいですよ」
 大介がそういうと、透耶はほっとしたようだった。

「まさか、恭と葵さんが繋がってるとは思わなくて油断しちゃってた」
 それが大介にも不思議だったのだが、あの二人は透耶が知らないところでも繋がって何かやっているらしいのだ。
 それが今回のことだけなのかは解らない。

「光琉にはちゃんと言っておいたので、もうないと思うんですよ」
 そうニッコリ言われたら、大体想像がつく。光琉は怒った透耶が一番怖いので、もうやらないだろう。

 そうなると、鬼柳の暴走を止めるのも頼みなのは透耶なだけだ。
 つくづく今回のことは透耶様々過ぎる展開だ。

「でも、水渚君、いい顔になったね?」
 透耶はニコリとして言う。
 ここを出る時は不安そうにしていただけに心配だったらしい。

「うん、僕はもう大丈夫。でも、まだ通わないといけないよね?」

「あーうん、急にやめるのはよくないかもしれない。でも、もう大丈夫そうだし、すぐに終了になると思うよ。それだけじゃなくて、何かあったらうちに来ていいからね。あ、何もなくてもいいよ」

 ここ最近は調子がよくても、急には無理なので、医者はもう数回は必要だ。それが終われば、完全に水渚は元気であると証明される。
 それは大介も気がかりなところでもある。

「今度は私もお邪魔させてもらいますね。経過を知るのも私の役目だと思ってますので」
 そう言い出した大介に水渚は驚いていた。

 でも、これからは何でも二人でやっていくのだから、これも第一歩ということなのだろう。

「そうだね。そうだよね」
 水渚が納得したところで、透耶は誰かに呼ばれて別のテーブルにいってしまった。

「本当に心配してくれてるんですね。透耶さんには、何かお礼をしなければなりませんが、水渚が元気になっただけで、それだけでいいのではとも思えてくるのです」
 しみじみ言う大介に、水渚は顔を覗き込んで言う。

「それはね。大介も元気になったってことも含まれているよ」
 にっこりとして言われて大介は驚いた顔をした。

「え?」
 意味が分らないらしい。

「透耶さん、大介のことも心配してたじゃん。だから、大介も僕も元気になったから単純に嬉しいんだと思うよ。でも、透耶さんに相談するのは、きっと大介と喧嘩した時くらいだと思うよ」
 水渚はそう言ってクスクスと笑う。きっと喧嘩なんかしようものなら、透耶は公平に審判を下してくれるだろう。

 そうした付き合いだけでなく、他にもそうした関わりを持っていくのもいいだろう。

 この3年は透耶にも長かっただろうし、その関係がいい方へ行くことは、両者にとっても良いことだ。

「そうですね。それもいいかもしれませんね」
 大介はそう言って微笑んだ。






 飲み会が終わって、家に帰ると二人は旅の疲れも忘れて、抱き合って眠った。
 寝てしまった水渚を見て、大介は優しい笑みを浮かべる。

 色んな人が関わって、やっと自分のものにした嗄罔水渚という人間。
 一生、この子を大事にしていこうと思う。

 何よりもかけがえなの者だから。
 唯一手に残った幸福だから。

 それを大切にしまうのではなく、自由にそして、帰ってくる場所はここであると教えてあげるのが一番だろう。

 そうすれば、何があっても、水渚は自分と居てくれる。
 そして自分が帰ってくる場所もまた水渚の傍なのだ。


 港はここにある。
 幸福の港はこの手の中にずっとあったのだから。