novel

Distance 4round Start in my life2



「こんなところで一人暮らし?」
 唯が見上げるマンションはファミリータイプの3LDKのマンションだ。
 ここに左部(さとり)は一人で住んでいると言うのだ。

「まあな。もともと家族3人で暮らしていた家をそのまま俺が使ってるって感じだな」

「へぇー。でも広いね」
 マンションの入り口はオートロックであるし、エレベーターは3機はある。そんな超がつくような高級マンションに唯はくるりと周りを見回していた。

「別に俺が買ったわけでもないし、所有してるのは親父だからな。俺はただ住んでいるだけだって。ま、いつかは引っ越すんだろうけど」
 左部がなにげにそう言ったことで、唯は驚く。

「え、ここ、引っ越しちゃうの?」

「てか、独立したらの話しだから、まだ先のことさ。いつまでも親父に面倒みてもらうわけにもいかないしな。かといって、大学で研究室に残りたいと言えば、いくつまでここにいるんだかって感じだけどな」

「研究って……何か解らないけど凄いね」
「そうか? 俺より凄いのはいっぱいいるからどうってことはないな」
 エレベーターがちょうど5階についたところで、左部がそういうと、唯はきょとんとして問うてきた。

「左部より頭がいい人って、そんなにいるかな?」
 唯はそう言ってしまった。そう、左部はクラス別の一番秀才クラスの中でも、さらに秀才なのである。

 彼はそれを自慢しないところがあって、周りからはいい奴だといわれ、面倒であるはずの委員長までやった経験があるからという些細な理由でひきうけたりもしている。

「いるいる。目の前にちゃっかり置いてってくれたもんが解けねーから、勉強がはかどらないんだよ」
 そう言って左部は唯を自分の家に案内する。唯は綺麗なモデルルームのような家の中に驚きを隠せなかった。人など住んでいないかのように綺麗にされた玄関。そこに靴が一つポツンとある。それは左部が学校へ来る時に履いている学校指定の革靴だった。

「なんか、綺麗すぎてびっくりした」
 唯がそう感想を漏らすと、左部はクスリと笑う。

「お前、普段、どんな家にいるんだよ。これくらい、ハウスキーパーいればやられてしまうもんだぜ」

「えー。家は俺が掃除とかしてたけど。こんなに綺麗に使うなんて出来ないよ」

「そうか? 必要なところ以外は殆ど触ってないだけだ。部屋とかはふつうだろうな」
 左部はそう言って先に中へ入っていく。唯もそれに続いて中へとお邪魔していく。小さく、お邪魔しますと言ったのを左部は聞き逃さなかった。

 リビングに入ると、さっきまでの人が住んでいない感は抜ける。そこは主に左部が勉強したりして使っているからだ。

「ここで勉強してるんだ。うわ、K大の問題集?」
 リビングのラグの上に置かれているテーブルを覗き込んだ唯は、驚いた顔でそれをマジマジと見ていた。それは通常、3年がやる問題だからだ。

 2年である二人がこれをやるには、まだ半年は勉強が必要である。その上、左部は学校行事が忙しく塾には通っていないくらいなのだ。これくらい出来て当たり前なのかと唯は感動していたが、左部は別のノートを取り出して、それを唯の目の前に出した。

「これ、解けるか?」
 そう言われて唯が覗き込むと、それはクロスワードだった。

「クロスワードが勉強より難しいの?」
 普通、クロスワードは日常の常識問題などをやるものであると唯は思っていた。しかし、これは違うのだと気付いたのは、その横にある問題だった。

「え? 数学の問題??」
 そこには数学の問題が書かれていたから、すぐにそれだと解るものである。だが、その式の長さが異常である。一個でも計算ミスしたら解けないはずだ。

「こ、こんなのやってどうするの!?」
 ハッキリ言って唯には忍耐力がないのか、すぐにそれから目を上げてしまった。

「これがな、憎らしいことに、あの北上神(きたにわ)が作った問題だと言ったらどうする?」
 そう左部に真剣に言われて、唯はびっくりして目を見開き、もう一度問題を見直した。

 これをあのクラスで数学だけはトップだという噂の北上神威(あきら)が作ったというのかという感じだった。

「こ、これ高校生に作れる問題じゃないよ……」
 何度見ても、問題を解くには何枚も紙が必要だ。それをやっていたのか、左部の側には、紙が積まれた山とゴミ箱が用意してある。

「だけどな、東稔(とね)はといちまったし。俺は解けないじゃ悔しいだろ? あの北上神がほくそ笑む顔が浮かんでくるんだな」
 そう言われて、唯は北上神を思い出す。確かに物凄く偉そうな態度で接してくる人間で、東稔卓巳の言うことしか聞かないとまで言われている人物だ。

 その素行もけっこう問題で、学校は頻繁に休むのに、成績だけは良く、一年では出席日数ぎりぎりでありながら、1組から落ちなかった天才とまで言われている。

「どうして、その北上神がこんなものを?」
「そりゃ、東稔がこういうのが好きで、やらせてみたいと思ったんじゃないか? それで何か考えていたらしいが、簡単に解かれてしまったらしくて、嫌がらせで俺のところに持ってきやがったんだよ。あいつは、天の邪鬼だしな」

 そう言って憎らしいといいながらも、左部は北上神のことを信頼していて、それでいてこういうことをされても楽しいと思っているらしい。
 そういう表情をしている左部をみて、唯はいいなあと思ってしまう。

 唯には、こういう人間関係の繋がりがないのだ。自分が良く喋っている人物は目の前にいる左部くらいなものだからだ。

「へえ、北上神とそんなに仲がいいんだ……知らなかったな」
「ま、一年の東稔事件からの付き合いだしな。腐れ縁なのかも」
 そう左部に言われて、唯はハッとする。

 その東稔事件とは、東稔卓巳という人物が同じクラスメイトにストーカーされたあげく、殺されかけたという話しである。
 大袈裟に伝わっているのかもしれないが、それを助けたのは北上神らしい。そしてその二人は構内でも有名な人物になっていたから、唯も知っている。そして北上神とは一年の時から同じクラスだったし、更に副委員長に勧められた時も確か発端は北上神の一言にあったかもしれないところがある。

「もしかして、俺が副委員長に選ばれたのって、北上神の一言じゃなかったっけ……」
 唯がそう言うと、左部は今まで解らなかったのかという顔をしていた。

「やっぱり、皆が適当に選んだのかと思ってたけど、何か違うような気がしてて」
「おせーよ、唯。お前、しっかりはめられたんだぜ」

「やっぱりそうなんだ……なんで?」
「そりゃ、北上神が問題児なのに人気があって選ばれそうになったからだ。それで自分より大丈夫そうなのを選んだ結果、唯だったわけだ」

「そういえば、北上神に反発してる人から、応援されたっけ??」

「ありゃ、アンチ北上神派だからな。成績で勝てないときてるから。そのくせ、北上神は問題児のくせに教師には好かれるわで、文句も言いたくなるってところだろう」

「へえ、そんな組織名なんだ」
 アンチ北上神派と言われて、唯はくすくすと笑ってしまう。

「いや、名付け親は熊木だな」
「ああ、よく隣のクラスからくる、東稔の友達の」

「そうそう、あいつら面白いからな。今度紹介してやるよ、クロスワード集団」
 そう言って左部は笑う。クロスワード集団とは、これをやっている東稔の友人たちのことを名称したものである。

「ま、それ一問でもとかねえとな。唯、手伝え」
 左部は言うや否や、唯を座らせると、さっそくとばかりにノートを取り出し広げると、問題を書き込んでいく。

「え! ちょっと待って、出来ないって!」
 慌てて唯が止めるが、左部はやる気になっているらしく、言うことをきいてはくれない。
 仕方なく出された問題を解く羽目になってしまった唯。
 だが、それはやはり難しくて、解くのに数分かかってしまう。

「お、唯は数学は得意だったな。ラッキー」
 左部は自分では難問も解いているというのに、それでもこの数をこなすのは憂鬱だったようだ。

 そして唯もだんだんと楽しくなってきた。これは一人で黙々とやるよりは、楽しいのかも知れない。そうして自然に笑みがこぼれているのを左部は見逃さなかった。

 唯が家の者と問題を起こしたのは確かだ。
 そうして問題を解きながらでも思い出してみる。

 確か唯の保護者は両親ではなく、叔父になっていた。その理由を前に聞いた時は、両親は離婚し、引き取り手がいずに、叔父に引き取られたのだと唯は言っていた。
 その叔父と揉めて出てきたのだから、相当な理由としか思えない。

 唯はそれほど自己主張をする方ではなくて、割合人の言うことを素直に受けてしまうところがあると左部はおもっていた。副委員長の件もなんだかんだで北上神に嵌められたところがあるが、出来ないかもといいながらも言う通りにやりはじめてきた。

 何かをやることは好きらしく、左部と親しくなったのも、このおかげだともいえる。
 そうして、左部は唯の少し弱い部分に興味を示した。

 人間誰しも弱いところはある。そうしたところを敏感に感じてしまうのは、左部の性格からくるものなのだろうか解らないが、そうした部分を感じてしまうのだ。

 そう例えば歌。それは唯には苦手なものであると認識出来たのは、下手な振りをしていたのだと解った時だ。
 普通の人間は歌が上手いと誉められることを喜ぶところがある。それは普通のことなのに、唯はそれが嫌だと思っているのだ。

 歌のことで何か昔言われたのか。でも歌うことは嫌いではない。
 となると、歌自身が問題ということになってしまう。
 そうしてふと左部は思う。

 歌うことを禁じられているか、歌うことを強制させられているかのどちらかである。
 更に叔父という人物が何者かが解らないので、唯の過去も調べてみないと理由はいきつかないだろう。だが、これを唯に聞くと答えてくれるかどうかは解らない。

 家出するほどの理由が歌にあるとしたなら、それは聞かないのが礼儀かもしれないとも思えたからだ。

 とりあえず、今日は野宿させないで良かったと思うことにするしかない。

 それにしてもと、左部は思う。制服を着ている姿しか見たことなかった唯は、普段着では、もうほんとに女の子だと言っても大丈夫な気がする。

 少年特有の成長がそれほどなく、背も低い方で、160センチあるかどうかも微妙だ。身体の線も細く、指も7号辺りの指輪が入りそうだ。

 顔は、よくみれば少年だと解る程度で、いわゆる女顔。しかも肌は極め細やかで、女性がみたらうらやましがるだろうという張りの良さである。
 目もくるっと大きく、睫毛も長い。これは可愛いという顔だろう。

 そうした可愛い感じの顔なのに、目だけはいつも警戒した色を浮かべているのだ。それが人には人気があったり、不快であったりするのだろう。

 左部は最初見た時、捨てられた子犬を思い出したくらいだ。

 こう拾って頂戴といわんばかりで見つめられると、左部の性格では、見捨てることが出来なくなってしまう。だから、余計に唯に頼られると何かしなきゃと思うし、してあげなければと思ってしまう。

 そういう不思議な雰囲気を持った唯だ。
 そうして親しくなっていく中で、左部は自然と唯を唯と呼ぶようになっていた。

 これは左部には珍しいことだ。普通の人は名字しか呼ばないし、自分からあえて名前を呼ぶように持っていったりしないのだが。

 これは不思議で仕方なかったのだが、唯といると妙に心休まるところもあるのは事実である。

 今現在でも、北上神に出されたクロスワードで四苦八苦していて、苦しいはずなのに、何故か楽しいと思えてきているのだ。
 そして、妙になるほどと納得したくなる部分がある。

 北上神が東稔といると心休まるとよく言っているが、まあ、よく怒ってもいるのだが、それでも一緒にいたいと思えるのはいいことだと言っていたことだ。

 そういう相手が今までいなかったので、左部にとっては、唯は十分に自分の中に入ってきている重要な人物であるのは間違いない。

「うわ、北上神っていじわるだなあ。こんな問題一晩で一人で解くのは難しいよ!」
 唯が6問目に入ったところでそう叫んでいる。これはあと20問あるもので、出た数字をきっちりクロスワードに入れてまた計算をしなければならないというものだ。

「東稔は、3人かかりでやったらしいぜ。こっちは二人だ。ちくしょ引っ掛けかよこれ」
 左部は唯の言葉にハッと我に返り、中断していた問題に取り組んだ。

 そうして、ただ問題を解くことだけに集中して、夜は深けていった。