novel

Distance 4round Start in my life6



「おい、聞いたかよ。ゆいちゃん」
「ああ、すげーよな」
「あんな声他に出るやついねーよな」
 周りは、既に発売されたCMソングのCDに夢中の連中だった。
 その側を通った時、唯はふと身体が硬くなるのを感じた。

 これが嫌なんだ。
 そう思って再度歩き出す。
 こんな話題になるのは予想しなかった。

 ただ、自分が歌っているというだけで、笑いものにされるのではないかと思い、ずっと声のことに拘ってきたのだが、これはどうだ?

 自分の歌は、自然に受け止められ、聞かれている。
 だが、と、唯は思う。

 これが女性の声だからと納得しているだけで、男が歌っていると公表すれば、またこれ以上の大騒ぎになるに決まっている。

 そう数年前に起こった、声の吹き替え事件。
 唯は、数年前にも同じように、名前を出さずに歌を歌っていた。

 それはもう過去の、たった三年前の話しだが、女性の声に似たまだ変声期前の声で歌っていたから、誰も今回の声と同じ人物であるとは気がつかないだろう。
 それだけでも救いなのだが。

 唯は歌を歌うことはいいとは思うが、こうして自分だとは解らない、女性の謎の声として発表することがとても嫌だった。
 過去に吹き替えをしたことで、散々嫌な目にもあったし、声が怖くて出なくなったことだってあった。

 それを知っているはずの叔父。
 何故、今になって吹き替えというより、存在しない歌手を作り上げるのか。

 そう、諮ゆいは存在しない。
 写真ジャケットの人物でさえ、ゆいとしては行動してない、何処かのモデル。
 声も姿も偽物。彼女が語ったという直筆インタビューというものだってどこの誰が書いたのかさえ解らない筆跡で、叔父が作ったイメージで答えた実態のないもの。そう諮ゆいは全て叔父によって作られた歌手なのだ。
 それを評価されても、唯は自分が汚されているようにしか思えない。
 あれが存在しないものだとバレた時、今絶賛している人間が口汚く罵る存在に変わってしまうことを唯はよく知っている。その恐怖を忘れられないから恐い。

 「一度、金のありがたみを知ると、人間、結構ヤバイもんだぜ」
 こんなセリフを言っていたのは左部(さとり)だ。
 家に一度連れていった時に言われた言葉で、最初は何気なしに聞いていたのだが、やはり今回のことと、過去のことを組み合わせると納得できる内容だ。

 過去、叔父は吹き替えでとてつもない金を手に入れた。作り物だと解った時でさえ、それをネタにして更に儲けた。
 だが、一度味を知ってしまった叔父は、その道でどうしても過去のように儲けたいと思い始めてしまった。
 そう金の力だ。それが叔父を今回の行動に走らせてしまった。
 さらに叔父のイメージとする歌手がなかなか現れなかったことで、叔父は自分で自分が最高だとイメージする歌手を作りあげて、売り出すという行動に出てしまったのだ。

 唯の家出の原因は、ここにある。
 自分が数ヶ月前にスタジオで歌った数曲。これは、スタジオミュージシャンが趣味で作ってくれた曲がアルバム分あるやつで、それを休憩時間に二人で作っていたのを、最近になって叔父が発見し、そのミュージシャンに持ちかけて、今回の発売になってしまったのだ。

 それを唯が知ったのは、もう発売が明後日などというふざけた時間だった。
 ミュージシャンに裏切られたのも悲しかったし、叔父のあの金に執着するどん欲な姿にも辟易して唯は家を飛びだしたのだ。

 叔父が追ってこないのは、この諮ゆいをプロデュースするという名目があるため、家にあまり帰ってないのだろうと思われる。

 つまり、唯が家出をしたなどとは思いもしないということだ。
 それに気がつくのはいつなのかは解らない。

 諮ゆいは、来月、そのアルバムを出す。
 もちろん、唯の許可を取らずにである。
 家出前の喧嘩は、たぶん叔父に引き取られてから一番酷かったはずだ。

 引き取られた恩を仇で返すとでも言おうか、そんな言葉がかなり飛び出した。それでも叔父はまったく気にせずに、唯の目の前で携帯でゆいのプロデュースの指示を出したのだ。

 さすがに唯もこれには切れて、暴言を吐き捨てて飛び出したというわけだ。
 偶然にも、買い物帰りだったのもあって、財布と必要なものだけ入ったバッグは持ってこれたのだが。

 一週間のうちに戻ってみたが、それでも叔父の気持ちが変わらないのだと解ると、唯はもう泣きたくなってしまった。

 左部は、探しにも来ない叔父のことを少しだけ聞いてきたが、仕事が今起動に乗っているからこないのだろうと言うと、ふーんと一言言ってまあ、いいかと終わらせてくれた。

 左部には悪いのだが、今回のことで本当に世話になっているし、事情も説明しなきゃならないのだけれど、聞いてこない左部に唯は甘えさせてもらうことにした。

 それに、左部になら、事態が一段楽すれば話すことだって出来るような気がする。というのも、左部は、まったくこの諮ゆいに興味がないらしいからだ。

 少し悲しい気がするのは、これはちゃんと自分が歌っている曲だからなのかもしれない。興味をすこしだけ持ってくれると嬉しいと思う反面、興味なんてなくていいと思う。矛盾した考えが浮かんできてしまう。

「右左(うさ)」
 不意に名を呼ばれて振り返ると、東稔(とね)がそこにいた。
 東稔は左部を殴ったことはまったく謝っていない。寧ろ当然とばかりにしているが、それは彼がちゃんと正しいと思っている自信があるという証拠なのだろう、と唯は思うことにしている。

 それからは、以前より話す機会が多くなってきている。
 左部が危ないと言っている人物たちに近づかない為に、常に左部が信用している人物が一人くらいは唯の側にいるようになっている。

 あの美術室の一件以来、やたらと誘う声が多くなっているのは確かで、入学した時の感じと似ているのも特徴だろう。

 その辺のやばさは解っているから、唯も適当ではなくちゃんとした答えを持ってくる人にはちゃんとした答えを返していた。

 今、気になっている人がいるんです。でも、それがどうなるのか解りません。
 そう答えていた。

 気になるのは、左部だ。

 本当にこの男はと思うくらいに気を使ってくれる人なのだが、それ以上に人には見せない我が侭を唯には見せてくれるのだ。
 そういうところは可愛いと思う。

「左部が、さっき探していた。何処行ったんだって……」

「あ、うん。さっきの時間の提出ノートを間違えて出しちゃって取り換えに」

「一人であまり出歩くと危ないって言われているんじゃ?」
 一緒に歩きながらそう東稔は言ってくる。

「そんな、構内でいきなり攫われたりしないよ」
 そこまで大げさなと思って唯が言うと、東稔はさらっと言ったのだ。

「ううん、やる奴はそこまでやるから気をつけないとね」
 そう言われて、唯はさーっと背中が寒くなった。
 東稔がそう言うのなら、東稔が経験あるのか、それかそうして連れ去られてた人物がいるということなのだろう。

「東稔ー、さらっと怖いこと言うよねえー」
 唯が震えながらそういうと、東稔はきょとんとして答えた。

「被害者一ですから。ほんとこの学校無駄に大きいから、何処でも連れ込めるんだよ。今は俺もちゃんと場所は把握してるから探すのに役には立つとは思うけど」
 東稔はそう言って、自分のメモを取りだして見ている。それには、氷室秀徳館学院男子校舎全貌という、見取り図が載っていた。

「探すにも大きすぎる建物だからね。くれぐれも変な場所にはいかないこと。自分が解らない場所に連れていこうとするやつらは信用しないことだね。って、これ俺が威(あきら)に言われたことだけどね……はは」
 威とは北上神のことだ。その名で呼ぶのは東稔しかいないらしい。それにしても、北上神も相当苦労したのだろうと思われる。

 東稔は綺麗だし、細いしで、かなり人気があるのは、遠くから見ている信者がいるのに気付いてからはよく解る。触れられないくらいの綺麗な人との接触は持たないのだそうだ。その東稔と最近一緒にいることが多くなったのだが、それでも東稔サイドからの嫌がらせがないのは何故だろうと唯はふと思った。

 というのも、クラスが一緒になった時、東稔と仲良くしようとした人物がいて、その人物は何故か半泣きで唯と左部のところにやってきたのだ。

 東稔の信者からいじめにあっていると。どうも似合わないから側に寄るなというような内容の嫌がらせを受けていたらしい。そうした経緯を知っているから、自分は東稔に迷惑をかけているのだから、何かそういうことをされるのではと思っていたが、まったくないことに気付いた。

 ただ、ここで唯が気付いてないのは当然だろう。
 東稔信者と唯信者の共通するところは、綺麗なものを遠くで眺めるであるからだ。
 当然、綺麗が二つ並べば、周りも喜ぶというものだと二人は気付いてなかった。
 それに気付いている人物達の会話。

「華だなあ」
「可愛いのは卓巳だけどな」

「それをいうなら、好みの問題」
 席に座って机に肘を立てて手に顔を乗せてだらりとしている左部に対し、机に座って足を組んでいる北上神。二人は下らないことを言い合っていた。

「新聞部も大忙しだな。東稔と唯の華のツーショット」
 こっそり見ていると、二人の近くでシャッターを切っている下水流(しもつる)がいる。

「少しはこういうので稼いでおかないと、いざというとき動かすのに困るぞ」
 何処で誰にそんな方法を習ったのか解らないが、北上神は新聞部に入り、中の裏帳簿をいじれる立場になっているらしい。当然、裏写真店のこともしっかり管理している。そういう管理がいなかった写真部は、更に儲かって好き放題出来るようになった。

 そして北上神のおかげで部としてもかなりの発言力を持つことも出来た。北上神様万歳である。
 それに協力させられた左部も、今その力を使わせてもらっているところだ。

「それにしても、これはなあ」
「右左も辛いところだろうな。架空の人物がこんな人気になるとはね」
 北上神もあまり興味がないらしく、その声は一度聞いたきりであるが、左部は何度もその声を聞いていた。

 諮ゆいという歌手の声を聞く度に、あの夜の唯の声を思い出してならない。どう聞いても唯しか浮かばないのに、どうして、これを架空の人物の曲として聞かなければならないのかと理不尽に思いだしていた。

「くそ、小宮正司……なんでこんな金もうけしか考えられないんだ」
 小宮正司は、唯の叔父の名だ。
 国内の音楽プロディーサーで、最近では、「yuki」という人物の吹き替え騒動で問題になり、一時はプロデューサーから干された形になっていたが、最近では何かアイドルのプロデュースを手がけていて、それが起動に乗ったところで、この「諮ゆい」を持ってきたのだ。

「勿体ないのは確かだな。右左(うさ)の声はかなりいいぞ」

「それが解っていながら、なんで別人の声として発表しなきゃならない? 唯が顔を出すのが嫌だとしても、こんな吹き替えで酷い目にあっている前と同じ状況を喜んでするはずがないだろう? 状況を判断しろってんだ小宮めが」

「それで、お前は復讐を果たすわけだ」

「そんなもんじゃねーけどな。唯の声は唯のものだ。それを誰にもどうにも出来ないってことを思い知って欲しいんだよ」
 左部はそう言い切って、唯を見た。

 普段の声だっていい声なのに、わざわざ歌う部分だけを変えなければならないなんてな。
 それを思うと、左部は唯がふびんでならないと思う。
 どうして好きな歌を好きなだけ歌わせてやらないのかと。

 唯は歌うことが嫌いなのではなく、それを誰かのものにされてしまうことが嫌なのだということに小宮が早く気付いて欲しいと思う。

 だが、その前に、「諮ゆい」つぶしをしなければならない。
 これがある限り、小宮は折れないだろう。

 そして、高校生である自分たちが出来ることは限られている。向こうが何かしてきたとき、こちらが対抗できる手段はない。
 なので、ここらで使える力は限られてくるのだが、やってやれないことはないと北上神は言うのだ。

「ガキの力を甘く見ると痛め見るって思い知らせてやるさ」
 そう嬉しそうに北上神は言う。
 それに少しだけ不安を感じてしまう左部であった。

 おいおい、大丈夫かよこれ、と。