novel

Distance 7round everywhere2-3



「やー亜里(あかり)くーん」
 朝の教室で浜多がにこにこっとしながら話しかけてくるが、昨日策略に陥れられたものだから久己(ひさき)の顔は般若のお面でもつけたような顔に変わってしまう。

「うは、やっぱ駄目っすか」
 さすがにあの後どうなったのか知っているらしく、悪いとは思っているようだった。
 一瞬とはいえ般若になった久己だったが、その後の自分の情けなさを思うとため息しか出てこない。

「……はぁ、もういいよ」
 投げやりになってしまったが、そうした言葉が出たことで浜多はやっと久己に近づいてきた。

「や、ほんとごめん。俺さ、あいつに弱み握られてさ。報酬も欲しかったしで」
「うん、それは昨日聞いた」
 久己はそう言い返すと、浜多は首を傾げる。

「どうした? なんか……あったよなあ」
「……ふう」
 あったに決まってる。

「いや、それはもういいんだ。俺も悪いから」
 久己は気を取り直して言葉を変える。
 散々気をつけて気を張って生きていこうとした矢先に、自分はやはり駄目なのだと分かってしまったことがなんだか悔しかったけれど。

「んまぁ、いいならいいんだけど。なんか昔あった?」
 久己の諦めの良さが気になったのか、浜多は昔のことを聞き返す。聞いてはいけないと言われると聞きたくなる性格らしく、黙ってもいられないのもあって直球を投げてきたらしい。

「……まあ、振られたってことくらい、かな」
 久己はそれだけに押しとどめた。

「ふうん、恋の一つや二つ、やっぱあるよねー」
 浜多はそれ以上探りは入れずに納得したように頷いた。どうやら浜多自身は恋多き人間らしく、振った振られたはよくあるものだと思っていたらしい。

「それからさ、保健の先生の相手、今年の中から選ばれたの、亜里だってバレてるから」
 いきなり浜多は久己の前で暴露してくれた。
 お茶を飲もうとした久己は寸前でお茶を口に含むのをやめて、信じられないものを見るように浜多を見た。

「なんだって?」
「やーね、この学校、こういうの耳が早いというかなんというか、先生の方が宣言しちゃったというか、そういう訳で、みんな知ってると思っておいた方がいいよ」
 平然と浜多は言い放った。
 周りを見ると、数人があまりの久己の驚きにぶっと吹き出していた。
 どうやら話を聞いていた奴らがいたらしい。そしてここにいる数人ははっきりと知っているのだと分かるとさすがに久己は顔を真っ赤にしてしまった。

「う……うそ……な、な」
「あー、亜里、かわいいな〜」
 真っ赤になった久己を指さし浜多が笑うと、周りにいた人たちも笑い出した。
 どうやら周りは浜多の友達だったらしく事情は知っているらしかったのが、唯一久己を安心させる出来事だったかもしれない。

「いや、可愛いとかそういうのはいいから……」
 頭痛がする。
 こんなにオープンだとは思わなかった。

 田舎にいる時はあれほど隠されたもので、死んでも口を割ってはいけない関係だったはずだ。
 その苦しさに耐えられず、さらに裏切りにあって久己は逃げ出してきたはずだったのに。
 なぜ、ここはこんなにも明るい?

「ところ違えば、見方も変わる。そんなもんだよ」
 浜多の友人である久保田がそう言ってきた。

「……うん、そうだと思うけど」
 そう話したところで担任が教室に入ってきたので話は中断された。

 入学式の後からの授業の説明などが行われて、この日はそうした選択科目の提出などで時間は過ぎた。それから次の日から授業が開始され、入学して一ヶ月もせずにテストがあったりとなかなか忙しい生活になってしまった。

 久己はややこしいことに、周りの策略で保健委員にされ、保健室に通う羽目になってしまう。
 あれはただ一回あった出来事だったのだと思ったのだが。

「久己(ひさき)、放課後暇?」
 久己が他の保健委員とクラスの健康出席書を提出していると、保健医が急にそう聞いてきた。

「忙しいです」
 特に部活にも入ってなかったが、久己は保健医を避けるような態度に出ていた。
 保健医が久己にちょっかいを出すことは日常茶飯事だったから久己も対応には慣れていた。

「ふーん、忙しい、ね」
 保健医は急に機嫌が悪くなったような声を出して、周りの雰囲気を悪くする。他の人たちは保健医の機嫌が悪くなったのは一瞬で悟って、こそこそと寛いでいた保健室か逃げだそうとしている。
 久己はさっさとプリントを整頓すると、保健室を出て行こうとするのだが、保健医が許すわけもない。

「いい加減、名前で呼んでくれてもいいじゃないか」
 保健医がそう言うのだが、それに久己はムッとして返す。

「貴方の名前、俺知らないんですけど」
 あえて誰も保健医の名前を呼ばなかったので、久己もあえて聞く必要もなく聞かなかったものだから、今まで名前を知らないのだ。

「……え、嘘、名前知らない?」
 まさか名乗ってなかったとは思わなかったようで、保健医もびっくりしている。

「ええ、聞いてませんし、誰も教えてくれなかったので」
 久己はそう言いながらも、捕まれた腕を振り解こうとしているが、がっしりと捕まれた腕は簡単に取れてはくれない。

「埜洲、埜洲由規(やす よしのり)だ」
「……埜洲先生、腕離してくれませんか」
 渋々というように久己がそう言いながら腕を引っ張るが引っ張り返されて、埜洲の腕の中に引き込まれる。

「……なに、やってんですか!? もういい加減にしてください!!」
 腕の中に入った時には、もう保健室にいた生徒たちは全員逃げ出した後で誰も残っていなかった。
 逃げ遅れたと舌打ちしそうな久己に埜洲が問う。

「なあ、お前の義父になる男、教師なんだってな」
 急に耳に落とされた言葉に久己は一瞬で凍り付く。

「それもお前の担任で、仲良かったらしいな、異様なほどに」
 耳にそう告げられたとたん久己はムッとして言い返していた。

「……それがなんだって言うんですか? 母は独り身でしたし、担任の先生だって男ですし、見合いして結婚することは何もおかしくはないでしょう?」
 久己の説明を覆すようなことを埜洲は言う。

「大学受験の為に家を出る? 県内に屈指の進学校があるっていうのにか? わざわざ東京?」
 どんどん言われる言葉に久己はこの人はどこまで知っているのかと不安になってきた。
 当てずっぽうで言っているのならここまで的確に当てられるはずはない。

「……高校から楽がしたかっただけです。県内の大学には学びたいものがここの大学より低かったから。こんな理由じゃいけませんか? 新婚の家庭にいるのも邪魔しているようで気がとがめたからとでも?」
 久己は必死に言い訳を繰り返したが、埜洲は納得しなかったようだ。

「なあ、嘘はよそうぜ。久己の顔、全然違うって言ってるぞ」
 そういって久己を引きずってベッドに押しつけのしかかってくる。

「なんで、こうなるんですか!?」
 久己がのしかかった埜洲(やす)を押しのけようとするもすぐにネクタイを取り出した埜洲に、簡単にベッドに腕を固定されてしまった。

「ちょっと!! なんでこんなこと!」
 簡単に固定された腕を引っ張っても、どんな結び方したのかまったく動かないではないか。

「わ!! ちょっと待って!!」
 しゅるしゅるとネクタイを解かれ、ブレザーのボタンもワイシャツのボタンも外されてしまう。表だけ裸に剥かれて、久己は大あわてする。

「ああ、乳首ちゃんと立ってるし、肌、相変わらず綺麗だなあ」
 埜洲はそう言いながら久己の胸に顔を寄せてぺろっと肌を舐めてくる。

「……んぁ」
 肌を触れられるのは好きじゃないと思いこんでいたが、埜洲に撫でられるようにあちこちさわれているうちに身体が熱くなってくるのは誤魔化しようのない事実だった。
 あっという間に身体は埜洲の手によって高められてしまった。
 裸にされ、埜洲に足を大きく開かれ、あそこに埜洲の熱いものを受け入れる頃には、久己の抵抗などどこにもなかった。

「んぁ……は……もっと……もっ」
「久己はエロイからな……もっと味わえよ」
 腰を振って埜洲を誘うようになる久己を埜洲はどんどんと奥を突いて攻めあげる。

「あぁぁ……っ……あぁ……っ」
 縛れていた手はとっくに解かれていて、その手はシーツをぎゅっと握って衝撃に耐えていた。

「俺の方がいいだろう?」
「んん……いい……いい、よ……っ」

「俺を好きだと言え」
「す……すき……すき……あぁぁっ」

 埜洲(やす)は何度も久己に好きだと言えという。埜洲を好きだと言えと。まるで呪文でもかけているかのような行為だったけれど、久己には何の意味を持っているのかは分かっていない。彼がこういう状態になったら周りは見えていないからだ。
  久己は 自分でもこんな大胆なことが出来るなんて思ってもいなかった。

 ただ埜洲に与えられる快楽は、昔味わったものとはほど遠い、最高のものだという認識はあった。さらに淫乱な自分にはこれくらいじゃないとというような思いもある。

 こんな考えはトリップしている状態で思うことで、後で恥ずかしさで憤死するようなことだ。
 何度も中を擦られて幾度も達かされた後に訪れる絶頂は、久己の意識を吹き飛ばした。
 トリップしたまま気絶するなんて初めての経験だった。

「……う……ん」
ばたんと寝返りをうったところで久己はハッと気がついて目を覚ました。
気がついて起き上がると、そこは自分のアパートの部屋だった。

またあんなことをして、トリップしたあげく気を失って、保健医の埜洲に家まで運んで貰ったようだ。
それに気付いた瞬間、久己ははあっと大きなため息を吐いていた。
なんてことだ、自分はまた埜洲にいいようにされたらしい。とにかく快楽に弱い身体であることを再度自覚したばかりなのに、やはりやりこめられると相手の思い通りになってしまうらしい。

「……もう、馬鹿じゃないか」
暫く誰とも恋愛なんてしない、それどころか身体だけの関係なんてもってのほかだと思っていた。それなのに自分の身体の暴走は止まってはくれなかったようだ。

「……またじゃないか、なんで懲りないんだ」
相手は先生、またじゃないか。年上が好きなのか、年上には逆らえないのか、とにかく年上に弱いようだ。そんなことを再度自覚してもため息しか出ない。

皮肉なことに身体だけは満足してしまっていて、心だけが追いつかない。

そうしてふと気付いた携帯電話に着信がある。
二件の留守電があったので再生させると一件目は保健医の埜洲(やす)だった。

「起きたか? 冷蔵庫に総菜もの入れておいた。ご飯は冷凍室にあったみたいなんで、それでご飯食べろよ。ちょっと痩せすぎだ。じゃ、またな、おやすみ」

埜洲は憎たらしいことに甲斐甲斐しくご飯まで用意してくれていた。本当は憎いのに、こんなにされるとちょっと弱い。心が強くあろうとして少しだけ弱っているところに優しさがしみると痛いようなむず痒いようなそんな感覚だ。

でも久己の顔は笑っていた。
憎らしい人の言葉なのに、憎まなくてはいけないのに、憎めない可愛い人だと思うのだ。

  どうしようこの人のこと、好きかもしれない。
  どうしようもうない酷い人なのに、あまりに前の人と違い過ぎるから勘違いをしているのか、擬似恋愛に近い感覚が生まれていた。
擬似恋愛でもいい。最後に遊びだったと言われても、それは覚悟している。今度は擬似恋愛なのだと自覚するだけで、自分の覚悟は違ったからだ。

  少しだけこの保健医に付き合ってみよう。当初の目的も分からないけど、嫌いではないから。

 そうして笑いながら二件目の留守電を再生させて聞いたとたん、久己の顔から笑顔が消えた。
急に冷や水を浴びせられたみたいな感覚というのはこういうのだろうか。

電話から聞こえてきたのは、元恋人で、今の義父候補からの、久己の居場所を突き止め、今からそこへ行くという声だったからだった。