novel

Distance 7round everywhere2-4



 久己(ひさき)は身の回りの荷物をかき集めると、すぐさま部屋を飛び出した。

泣きそうになりながら、行く先がないことに気付く。
誰か誰かと思い浮かべたのは、埜洲(やす)の顔だった。

携帯で埜洲の名を探してみた。
  登録なんてしてないし、埜洲の個人的な電話番号など知らないから入ってるわけない。そんなことに気がついたのは、埜洲のや行を弄っていたときだ。

「入ってるわけない……」
ヤ行を開いてすぐに諦めたのだが、埜洲の欄にはちゃんと埜洲の名があり、そこ付け足すようにに「愛しのセンセ」と表示されていることに気付いた久己は、近くの公園の前で立ち止まって泣き笑いをしてしまった。

「……ばか……いつの間に携帯いじったんだよ……」
その画面を見たまま久己が呟いた。
  こんな莫迦なことをするのは埜洲しかいない。

 そこに急に携帯が鳴った。
 誰かと思っているとかけてきたのは浜多だった。

『よー、どう? なんか放課後誘拐されたみたいだったし』
 浜多は保健室で作業している間に逃げ出した人から、また埜洲が久己にちょっかいかけていた話を聞いたらしい。

「……あ、うん、大丈夫……あの、浜多、今忙しい?」

『え? やー今ゲーセン行こうかと思って、もしかして亜里(あかり)暇なのか?』

「……暇じゃなくて、ちょっと込み入ったことになりかけてて……それでどうしていいかわかんない」
 久己はそういいながら泣きそうなのをこらえた。

『今どこ?』
「自分のアパートからちょっと離れた公園……」

『駅の方には公園なかったよね? 駅とは反対に向かってる?』
「うん、駅は怖くて近づけない……」

『分かった、すぐ行く。ちょーすぐ行くから待ってて』
 浜多が力強い言葉でそう言ってくれて、久己はホッとした。
 行く先が見つかったわけじゃないが、この怖さから一晩でも抜け出せるならなんでもよかった。
 浜多は言葉通りに本当にすぐにきた。

「亜里!」
「浜多……」
浜多が走ってきて久己を捕まえる。

「あー無事か。ヤバイ気がしたからすっごい心配したよ……なに、荷物持ち出した?」
 久己が鞄を持っていたことに気付いた浜多が久己を引っ張って道路へと連れて行く。そこには車が一台止まっていて、どうやら浜多はそれでここにきたらしい。

「乗って」
 浜多がそう言うのでそれに乗ると、運転手は若い大学生のような人だった。

「こんばんは、突然すいません」
 そう久己が言って頭を下げると相手はにっこりと笑う。

「いや、こっちこそ、浜多が世話になってるからね。この子なんでも唐突だから大変だろう?」
 その人は浜多の頭を掻き回してそう言って笑っているが浜多は恥ずかしそうにその手を振り払う。

「大ちゃん、余計なこといわない!」
「はいはい、じゃ次に向かうよ」
 大ちゃんと呼ばれた人は、すぐに車を発進させていく。そうすると助手席の浜多が後ろを振り返って。
「すぐそこだから」
 と言ってくる。なにがすぐそこなのかと思っていると、ビルが建ち並ぶ駅から少しだけ離れた住宅地も兼ねたマンション群の中へと入っていく。

 かなり久己の家と近い。使う駅は一駅違うとはいえ、地形的には歩いて数分というところだ。用事がないのでこの辺は散歩もしないが、かなり近かったのは車でたった二分もかからなかったと分かったからだ。

 車をマンション前に止めると、浜多が降りようと言う。
 浜多が住んでいるのかなと思っていたが、マンション前に止めた車は動かず待っているようだ。

 ここに何があるのか分からないがついていくと、10階でエレベーターを降りた。そして一番右端のドアのベルを鳴らした。
 鳴らしてすぐにドアが開いて、見たことがある男の人が出てきた。年は30近くか。かなりかっこいいがちょっと冷たい目をしている。

「時間通り、か。さて、私は失礼するよ」
 その人が住んでいるのかと思っていたが、客人だったらしく靴を履いて出てきた。
 見たことあるなあーっとじーっと久己が眺めていると、相手はちらっと見て。

「私は、京義(たかぎ)というものだ。ここの主とは腐れ縁でね」
 そう言うのだ。
 京義、珍しい名字だ……とふと思ったとたんに思い出した。
 一週間に二回しかない授業で、まだ二回しか授業がなかった化学の教師の京義先生だ。

「なんでお前が先に出るんだよ!」
 叫びながら玄関に飛び出してきたのは、保健医の埜洲(やす)だ。なるほどここは埜洲の家なのか。

「ただの好奇心だ。邪魔した」
 京義がそう淡々と答えると、さっさと歩いてエレベーターに向かって歩いていく。
 それを追いかけるように浜多が続く。

「じゃ、ちゃんと送り届けましたので!」
 と大きな声を出して任務が完了したとばかりに敬礼してから京義が止めたエレベーターに乗り込んでいってしまった。

「……え?」
 いきなりの嵐に久己が呆然としていると、埜洲が久己の腕を引っ張って部屋の中へと連れて行く。
 埜洲に言われるまま靴を脱いで部屋に入ると、ソファに座るように言われた。

「……あの……なんで」
 ソファに座りながら久己が問うと、埜洲が背中を向けたままで言う。

「酒飲んでたから、迎えにはいけなかった」
 回答ではない言葉が飛んでくる。

「いや、あの……なんで浜多が?」

「ああ、それか。お前にかけた浜多が慌てて電話してきてよ、今から保護するからなんて話になってたから何かあったとすぐに悟ったが、俺が迎えに行こうにも酒飲んでるし、飛び出そうとしたら京義にとめられるし、浜多が友達の車で連れてきてくれるって言うから任せただけだ」

 埜洲はそう言って飲み物を運んでくる。それをテーブルにおいて飲めと言った。
 釈然としないままでも喉が渇いていたので久己は一気にコーヒーを飲んでいた。

「で、何があった? わざわざ家から逃げ出すほどのことだから、あの家に誰かがいるのか、それとも誰かがやってくるから逃げ出したかのどちらかだよな?」
 埜洲(やす)は自分が関係ないことではないが、家からの脱出に関しては避難したのだろうと分かっていたらしい。
 それに久己(ひさき)はうんと頷いた。

「……人がくるので、その人が怖いんです」
 久己はそう言葉を続けていた。

「それは久己とどういう関係だ?」
「……今は義父のはずです」
 吐き捨てるように久己は言っていた。はずと言ったのは二人が結婚前提で付き合っていたから、久己がいなくなったとたん結婚しただろうという意味だった。

「前は?」
「前は……教師で担任でした。そして俺の恋人だと思ってました」
 久己はそう一気に言っていた。その言葉を口にした時に目は開けてなかった。すると震える手をギュッと握りしめてくれる手があった。
 温かい、埜洲の手だ。

「一年も昔のことです。俺は教師とできてました。世間で言う淫らな関係です。でも田舎の学校だったし、周りの噂に一片でも乗るとあっという間に誰もが知るような閉鎖的な地域だったから、かなり慎重に隠していました。だから、誰も俺と教師との関係は知らないんです」

 久己はゆっくりと言葉を吐いた。これは罪だと知っているから。閉鎖的な世界では生きていけないほどの秘密であろう。いくら芸能界でオカマなどが取り上げられて同性愛という世界が世間で存在が認められ始めたとしてもまだまだ完全に認める人もいないし、なにせ田舎だ。閉鎖的な田舎では差別されるべき出来事だ。

「よくよく考えれば、俺も馬鹿だったんです。でも……あんまりです。関係が半年続いたところで、教師は恋人ではなく、母親の見合い相手として姿を見せたんです。正直眩暈がしました、あの時ほど心臓が止まりそうになったことはありません」

 久己はそういってその場面を思い出し、真っ青な顔をする。
 身体を重ねる相手、しかも男が、母親の見合い相手として堂々と登場するのだ。

 見合いのことさえ知らなかった久己が叫ばなかっただけでも奇跡だ。
 その場は盛り上がっていた。母親はまだ若かったし、年下であったが教師は人気があり、似合いのカップルだとみんなが誉めていた。だが、暑い夏の日のその場で久己に聞こえたのは蝉の声だけだった。その場でのあまりの衝撃に何も言わない久己を周りは、懐いていた先生に母親を取られるのが嫌だったんじゃないかと噂していた。

 まさか、その懐いている先生と生徒が出来ているとはよもや思うまい。

 その日から久己は徹底的に教師を避け続けた。別れ話なんて必要ないだろう。

 見合いから先は、久己が志望校を親戚に頼り、東京の今通っている氷室に代えたことで塾通いやら始まり、教師との関係を持つ時間はすぐになくなった。教師も多忙だったし、母親と会っている時間をつくらないといけなかったので久己のことは後回しになっていた。
 ちょうどそういう期間が生まれたことで、自然消滅したはずだった。

「……もう、終わったと思ってたんです……」
 自分を捨てた男が義父になる、それだけでも久己にとっては吐き気がするような出来事だったのに、この男はさらに久己の考えの上をいっていたのだ。

「……母には言えない。言えないです。だから俺が家を出ればいい、あれだけ結婚に反対していたから出て行ったと思わせたかったんです。でも、さっき……あの男から電話が……!!」

 ――――――やっと引っ越し先を見つけた。手間かけさせやがって。東京なんかに行ってくれるから助かった。そんなに俺が好きなんだな。

 そんな言葉で始まる電話だった。
 どんなに必死に久己が逃げてきたか。母親だけでは信用出来ず、親戚すら巻き込んで引っ越し先を選んだのに、あの男はどこで何を使ったのか、久己の電話番号まで手に入れてきた。

「なんで今更、なんでなんで……!!」
 そう言って叫ぶ久己を埜洲が抱きしめる。

「この一ヶ月、久己のことが気になってな」
 唐突に埜洲がそう言い出した。
 久己は震えながらも心地いい埜洲の声に耳を傾けていた。

「一応調べた、久己が初めてじゃないって分かってたからな。それに久己の話だと田舎出身だっていうのに、そんな関係になれる相手がそうそういるとは思えないから、俺と同じ立場を疑った」

「……え?」
 埜洲の言葉に久己は息を呑んだ。まさかあれだけのことですでに疑って、全部調べたなど信じられない。なぜ埜洲がそこまでするのかも分からなかった。

「まあ、邪だけど、俺は久己が欲しい、でも久己には前に相手がいたらしい。らしいっつってもまだ関係は続いているようなそんな流れっぽい。でも相手が周りに現れるようでもない。久己は普通に生活していて変な様子もない。久己には過去になっていることでも現在進行形で心配なこと。それを突き詰めたら田舎の学校しかないかな。なんでちょっと雇っていろいろ調べた」

「……興信所とかですか?」
 そこまでして自分が欲しいという埜洲にちょっと久己は笑ってしまった。きれい事ばかり並べ立てていた過去の男を大人と勘違いして、感情を見せることはかっこわるいと思っていた。でも違う。好きな相手にはかっこわるいところを見せても大丈夫なのだ、見たって可愛いと思えるからだ。

 執着心としてはあの教師と変わらないだろうが、まだ久己の心が軽い今の方が、何かあっても埜洲との関係の方が楽かもしれない。

「久己は絶対に喋ってくれないと思ったから……ごめん」
 そういって埜洲は久己を抱きしめる。事情を知った埜洲はさぞかし一ヶ月悩んだことだろう。手を出した相手がまさか同じ教師相手にして過去に痛い目にあっていると知った時は。

「それで……何知ったんですか……」
 何度か息を吐きながら久己は続けた。このまま逃げたってどこにも逃げ場所はないのだから、だったら目の前の失いたくない光景と向き合うべきだろうと。