novel

Distance 8round over the distance 4

「岸本!」
 前をどんどん歩いていく岸本を追いかけて走り、名前を呼んで止めるとやっと岸本は止まってくれた。

「なに?」
 岸本の声は固かった。
 いつも優しいわけじゃないけれど、岸本がこんな態度に出るのは自分と幹太の関係がこじれてから初めてだった。

「ごめん、ちょっと話があって」
 多保がそう言うと岸本はこのままここで話すのか、それともどこかへ入るのかと聞いてきた。

「誰にも聞かれないところがいい」
 多保がそう言うと、岸本は駅前にあるカラオケの部屋を選んだ。ここなら誰も話は聞こえないし、周りもうるさいので中で何があっても分からない。
 一応飲み物だけ頼んで、それが届いてから多保は岸本に聞いた。

「岸本は、幹太が俺を好きだってこと知ってたんだ」
「ああ、知ってたというか、わかりやすいというか。で、聞いてみたらそうだって幹太は認めたな」
 岸本はすべての事情を知っているようだ。幹太は多保とのことを岸本には話していたらしい。

「俺だけ知らなかったのか……」
 多保はそう呟いて一人で落ち込んだ。

「まあ、無理もないんじゃないのか。お前、他人に興味ないし。それに幹太にも興味なさそうだし」
 それは否定出来ないことだった。
 そういう態度をずっと取ってきたから、そう見えるのは当然だ。

「普通な、誰かに興味あったら周りで誰が何話してるのかって耳に入るもんなんだよ。幹太の推薦の話だって、お前に聞こえないようにはしてたが、クラスで知らないのお前だけだしな」
 どうやら教室でそういう話がされていたらしいが、多保は他人のうわさ話には興味がないので、聞き流していて記憶にすら残っていないらしい。

「…………」
 岸本がそう言って、多保はさらに落ち込んだ。
 やはり自分だけが知らなかったらしい。

「どうせ、こういう大事なことは幹太が一番にお前に相談するとでも思ってたんだろう? お前、聞かないくせに知りたがりだよな。そういうの、俺ムカツクんだ」
「岸本……」
 否定出来ないことを言われて、さらに岸本はそういう態度の多保が気に入らないと言ってきた。

「悪いけど、俺、お前のそういうところがずっと気に入らなかった。何にも知らなくていいです、他人に興味ないです。なのに幹太のことだけ執着して、なんで言ってくれなかったなんて言えるのか。ほんと腹立つ」

 岸本は吐き捨てるように言っていた。岸本は普段でもこういう口調であるが、ここまで痛烈に誰かをののしったことはない。その対象が多保であることは多保には衝撃だった。

「俺……そんなに岸本を怒らせてたのか。確かに他人に興味はないよ。でも幹太だけは違うと思ってた」

 幹太だけは多保の為に何でもしてくれる存在であり、絶対的に信頼していい相手でもあった。怒らせると怖いが、幹太が多保に何かしたのはあの日の一件くらいのものだ。だから今から考えると幹太は多保にはかなり気を遣っていたことが分かる。
 でもすべて喧嘩して離れてから解ったことだった。
 だからと続けようとしたが、それを遮って岸本が言った。

「幹太も人間だ。神じゃないし悩みだってあるし、誰かを好きにだってなる。その全部をお前に言えってのか? お前他人のことに興味ないから、相談したって無駄じゃん。他のことにも興味がないし、そんな知識もないヤツに何の相談すりゃいいんだよ。相談したところで、お前はあっそうくらいしか言わないだろ。お前は、幹太の友人以下、幼なじみって枠にいるだけの人だよ。お前が幹太の役に立ったことなんてあるのか? いつもいつも幹太に頼ってたお前に幹太を助けることが出来るのかよ。もう放っておいてやれよ」

 岸本にそう言われて多保はずっと昔から思い出す。
 幹太には助けてもらってばかりで、多保は自分から幹太を助けたことは一度もない。
 興味がないことばかりで、いつも幹太に説明して貰っていた。何をやるにも幹太が誘ってくれて、幹太が決めていた。
 さっき広瀬と話していてはっきりしたことがよみがえる。
 多保の世界は幹太を通じて広がっていただけ、幹太がいなくなれば、目隠しされた状態ではなく、目がない状態だ。

「……俺、何にもない……」
 空っぽの自分に気づいて多保は呆然とした。
 他人との壁を作り、会話をするのは幹太とだけ。そうして作ってきたはずのモノが何の意味もなさないことに気づいて、多保は言葉も浮かばなかった。
 そういうことを言葉にすると、重く実感する。

「そう、お前には何にもないんだよ。お前がそうやって自分を作ってきた。何にもない空っぽの自分。なあ、そうやってずっと生きていくのに、幹太を巻き込むのか?」

 周りはみんな言っている。
 広瀬も岸本も、そろそろ幹太を解放してやれと。
 お前の為だけに幹太を生かすのは違うのだと。

 そういう多保は他人と関わらずに生きて楽かもしれないが、それは幹太を巻き込んでいいことではない。多保がそうやって生きていくなら一人でやれ。幹太は幹太の人生がある。それに巻き込むのは多保には権利すらないのだと。
 幹太の告白をなかったことにした段階で、幹太を頼るのは絶対に駄目なのだ。

 ほら、自分勝手じゃんと岸本が言っている。
 認めるのが恐くて逃げた結果、自分の手には何一つ残らない。

「幹太はお前をちゃんと作ろうと努力してきたはずだ。それを拒んだのはどこの誰だ?」
 岸本はすべて知っているから言えた。
 きっと誰も言わないから、キツイ言葉であるのは解っているが岸本は言わなければならなかった。

「……俺……だ」
 呆然として多保は言っていた。
 幹太がずっと側にいて作ろうとしてくれていたものを全て拒んできたのは自分だ。
 なのに自分は不満ばかり言って幹太のことをちゃんと見ようとはしなかった。他の人だってちゃんと考えて言っているのに、その全てを無視し続けた。
 原因があったとしても、そこに捕らわれたままでは前には進めない。

「幹太はな、自分が側にいたんじゃお前の為にならないかもって悩んでた。そりゃお前のこと好きだし、邪な思いもあるからどうしようって悩んだ。そこに推薦の話やいろんなことが重なって、もう側にいるべきじゃないんだって分かったんだ」
 それを聞いて多保は泣きそうになった。

 幹太がそんなに悩んでいたのに、自分はそれを無視し続けたのだ。幹太の想いも全部知らないことにして逃げようとしたのだ。

 なんて自分勝手で、自分しか大事じゃないんだ。
 そんな自分に幹太はずっと付き合ってくれていた。離れるのだって全部多保の為だ。

 幹太をもう解放してやらないといけない。
 多保はやっとそう思えた。


 帰り道で雨が降っていたが、多保は気にならずに歩いていた。泣くことすら出来ない自分には、この雨はちょうどいい。
 それに濡れていると後ろから誰かが呼んでいた。
 誰だろうと振り返ると、健太が走ってきていた。

「多保ちゃん、濡れてるよ。傘持ってなかったのか?」 
「あ、うん」

「じゃ入って。そういや多保ちゃんところのお母さん、さっき出かけてたよ。叔父さんとデートだってさ。俺もこの後行くところあってさ。七海も早穂と出かけたし、今日誰も家にいないよ。ご飯ないっていっていたから幹ちゃんに頼んでおこうか?」
 どうやら母親に駅で会ったらしい。デートということは父親が明日辺り出張なのだろう。
だが、こうなっても幹太に頼むのは違う気がする。

「いや、後で買い物行くから大丈夫」

「そう? 一応帰ったら幹ちゃんに言っておくよ」
 健太がいつも通りに親切に言うのだが、それは今の多保には辛かった。

「いいから!」
 思わず大きな声で遮ってしまい、その声に驚いている健太に気づいて多保は謝った。

「ごめん……ちょっとイライラしてて……」
 健太にあたってどうする。

「ううん、俺もしつこかったし、ごめんね。あのさ、幹ちゃんと喧嘩でもした?」
 健太は少し様子を見るようにしてから、幹太と多保の間に何かあったのではと疑っている。

「うん……でも今回は全面的に俺が悪いから」
 本当のことは言えないけれど、表向きの喧嘩の理由はそろそろ通じなくなってきているらしいのは伝わってきた。

「へえ、いつもは幹ちゃんのふざけすぎが原因なのにね。まあ、でも幹ちゃんいなくても多保ちゃん朝起きられるようになってるし、幹ちゃんもそろそろお役ご免だからいいよね」
 健太がそう言うので多保はぎくりと体を震わせた。まるで、もう幹ちゃんは必要ないだろ? と言われた気がしたのだ。


 健太に悪気があったわけではないのは分かっているが、もう幹太は必要ないだろうと誰も彼もが言うことが多保には耐えられなかった。
 どうして幹太にだけこれほど執着しているのか分からないが、哀しくて哀しくて仕方ない。
 受け入れられないのだから、絶対に動かしていけない心なのだから、幹太と離れることになるは当然なのに、どうしてこんなに辛いのか。

 一人でコンビニで弁当を買って、リビングで食べていると、何故かこのときになって自然に涙が出始めた。

 一人になるということは、こういうことなのだ。

 幹太が居ないだけではない。自分が作ってきた世界はこんなにも一人なのだ。家族ですら自分は排除してきた結果がこんなにも寂しいものだった。

「やだ……こんなのやだ……幹太……居なくなるのやだ」
 どうしてここまで全部を幹太に求めるのか。多保が無視してきた想いに、一つの可能性が浮かんできた。

 ――――――幹太が好きなのだ。

 結論を出すのは早急過ぎるのは分かっている。あの日まで幹太のことなど気にもしなかったくせに、今更好きだって言う自分勝手な想いが浅ましくて醜く見えた。
 それは、ただ離れたくないからそう思っただけのような気がしたから余計に、多保には自信なんてなかった。

 好きなんて気持ちをずっと持たずに生きてきた多保には、幹太を望む気持ちがただの我が儘なのか、自分の中に降り積もっている幹太という人間性の良さに惹かれて好きなのかも分からなかった。
 こんなに幹太のことを考えたことはない。
 こうやって凄く悩んでしまうような気がして恐かったからずっと気づかないふりをしてきた。考えようとする心を抑えるために、多保はずっと誰にも関心がない、それは幹太も含めてと思い込んで考えることをいつも放棄してきたのだ。
 今回もそうしたい。でもそれは絶対にしてはいけない。

「考えなくちゃ……考えなくちゃ」
 ここで考えることを放棄したら、幹太とのことは本当になかったことになる。それは嫌だ。

 幹太のあの優しい笑顔を無くすことはすごく嫌だった。
 時には怖いくらいに多保を大事にしてくれる幹太。ずっと好きだと思ってくれていたとしたら、なんて自分は他人どころか幹太のことさえ知らなかったのだろうか。

 ふと多保は遠回りになるだろうが、やってみようという気がしてきた。幹太のことを知ろう。
 誰の情報でも誰の噂でもいい。幹太という人間を知ろう。
 幹太が多保を理解してくれた様に、隅々まで知ろう。
 多保の世界が幹太を通してしか見られなかったとしても、幹太が教えてくれたいろんな事は覚えているはずだ。
 思い出せばその時幹太がどういう顔をしてどんな言葉を言ってくれたのか全部解るはずだ。

 そう決断すると多保はまず幼稚園から今までのアルバムを全部ひっくり返し、小学校の文集まで出してその全てに目を通す作業をした。そうしてその時何があって幹太が何をしてくれたのかを全部思い出そうとしたのだ。