novel

Distance 9round Losing a distance 1

「もうなんでまたそんなモノを売ることになるんだ」
 大声で文句を言ったのは写真部経理担当の上和野景(うわの けい)だった。景が写真部に入ったのは高等部に入って外部入学生を招いての部活動の勧誘をする場で出会ったヤツのせいだった。
 その進級式当日。
 景はもともと部活には興味はなく、どこにも入る予定はなかったので全部聞き流していた。景の友人は幸いなことに同じクラスだったが、彼もそれには興味はなかったので小さな声で雑談をしていた。
 大塚浩紀(おおつか ひろき)が言う。

「どっか入るか、景?」
「いや、どこにも入らないよ」

「いつも通りに帰宅部」
「問題は何もない」
 くだらないことを言い、暇を潰すも飽きてきた。
 そうしていると横から誰かが写真を撮っているのに気づいた。

「あれ、なんだ?」
 景が浩紀に尋ねると浩紀はすぐに気づいた。

「ああ、たぶん写真部だろう。進級式で良い子いないかなと撮ってるんじゃないか?」
「良い子って? ああ、あれか」

「あれだ」
 景も何をしているのか分かって呆れて納得した。

 写真部が陰でやっている写真販売だ。
 校内にいる生徒で可愛い子や綺麗な子、格好いい人や男らしい人を写真に撮って、勝手に売りさばいているのだ。なんでも可愛い子なんかは愛でる意味でも密かな人気があるらしく、写真は売れていて、この行為も伝統的なものになっている。

「そんで今年も景は人気どころってことだろ?」
 浩紀は大した驚きもなく、自分の友人が写真に撮られていることは気にしてもいない。
 中学から続いているストーカーのような撮られ方をしてきた景だから、今回も気にしないだろうと思っていたのだ。
 だが、今回は違った。

「浩紀……俺、今怒鳴りたいんだけど」
 怒りを表したような声で景が言うと浩紀は何だ?と隣を向いた。
「どうした?」

「今回の写真撮ってるヤツ、しつこいんだ。いつもなら気づかない範囲でやっているから別にいいんだけど。今回は接近しすぎてないか?」
 そう景が言うと、景の列の横から真剣にカメラを向けてくる人がいた。明らかにただ売るだけの写真を撮るにしては真剣すぎる。それに枚数が明らかに異常だった。

「景、頼むからこの場で騒ぎを起こさないでくれよ」
「顔は覚えたから後でやる」
 後とは入学式の後にある部活勧誘の場のことだ。体育館を出るとそこでやっている毎年恒例のものだ。

「まあ、そこなら勝手にどうぞ」
 浩紀はそう言って笑った。景の鉄拳を食らうのはどこのどいつだろうなと思いながらの笑いだ。

 部活の勧誘宣伝が終わって体育館を出ると、景は真っ直ぐ写真部に向かった。
 あのくそ馬鹿カメラマンはどこだ、そう顔に大きく書いて、そのまま写真部の受付に向かった。
 だが意気込んで行ったのに、肝心のカメラマンがいない。

「逃げやがったか……?」
 と呟いた後、写真部の受付に向かって笑顔で尋ねた。

「さっき進級式の写真撮ってたヤツ、どこにいるのかな?」
 今写真で人気がある上和野(うわの)景の噂は誰でも知っている。今年二番人気の上和野景だ。その笑顔につられる人は多い。にっこりして返答を待つと受付もにっこりして答えた。

「今、部室に帰ってると思うよ。新聞部にも写真頼まれてたから」
 新聞部は自分でも写真を撮ったりして記事を書くが、新聞部と写真部が共同でやっている裏新聞には写真部が写真を担当している。

「ありがとう」
 本日一番物騒な笑みを返して景は写真部の部室へと向かった。

 写真部を探すのに手間はかからなかった。
 というのも、入学式が終わり、人気の子を物色し終わった上級生が写真を買いに溜まっていたからだ。
 写真部の前には人気ベストテンと書いた大きな紙に写真と名前やクラスまでかかれた人気番付がある。
 悲しいことに自分の人気は今年の一年の中で一番で前写真からすれば二番目だ。
 それを確認した後、写真を選んでいる先輩を掻き分けて受付に景は突撃した。

「今日、進級式の写真撮ってたヤツ、どこにいる?」
 今度は笑顔ではなかった。睨み付けるようにして言うと、受付の人間は困ったようにして顔を見合わせている。

「あーいやー、いるんだけど、まだ正式にうちの部の人間じゃないんで……今日のことは……」
 そう呟き合っていたが、部屋に居た部の先輩が顔を出して騒ぎを聞きつけてきた。

「あ、きた。下水流(しもつる)、本当にきたぞ」
 先輩は中に向かってそう言うと、中から声がした。

「入ってもらってください。外じゃ等身大の看板になっちゃいますよ」
 のんびりとしている声がして、先輩はその言葉に笑った。

「まあ、確かに。入って、上和野(うわの)」
 先輩は景のことは知っていたようで、すぐに写真部の部室に通してくれた。写真部の前では景が居たことで少し騒ぎになっていて、景も居心地が悪かったので助かった。

 中に入ると一つの教室分の大きさの部屋の中央にテーブルがあり、そこに椅子が並べられていて、周りの棚には部品が入っており、本棚にはカメラや現像に関する本がたくさん入っていた。意外に真面目な感じがした。
 その中央にある椅子の一つに景が探していた人物が座っていた。
 その人物は景の方を向いてにっこりと微笑んだ。

「やあ、追って来ると思ったよ」
 爽やかな笑顔で出迎えられて景はびっくりして怒鳴ることを忘れてしまった。
 彼は笑って手を振っていて、全然警戒心がない。
 彼の顔を見ていて、景は彼のことをまったく見覚えがないことに気づいた。

 全校生徒を覚えているわけではないが、彼ほどの爽やかな笑顔と人懐っこそうな顔だったら、どこのクラスにいても有名人になって、顔と名前くらいは知っていそうなものだ。だが見覚えがない。

 顔はいい方だ。鼻梁はスッとしていて鼻は高く、目は少し大きめで、顎がスッとしていて小さな顔はパーツの配置がいい。華やかな顔立ちだから一度見たら覚えられるような印象的な顔で、表情は豊かそうだ。

「やっぱ近くで見ても美人だなぁ」
 彼はそう言って景に近づいてきた。
 背は景より10センチは高い。180センチはありそうな大きな体だが、線が細いようで近づくまで彼の身長が高いとは思わなかった。
 彼は景の前でピタッと止まると景の顔を舐めるように眺めている。それは今まで景を見てきた人間とは違う視線を送ってくる。

 なんだこれは?
 景は心の中で自分に問うていた。
 暫く景を眺めていた彼は、満足したようにニッと笑った。

「俺、下水流孝晃(しもつる たかあき)、1年2組だ。よろしく、景」
「え、あ……上和野です、よろしく……」
 最初の勢いはどこへやら、景はすっかり下水流の雰囲気に呑まれてしまい、怒鳴ることすら出来なかった。
 それが最初の出会いだった。

 下水流孝晃(しもつる たかあき)は、外部入学者だった。
 どうりで景に見覚えがないはずだ。だが景の第一印象と変わらずに彼は爽やかな笑顔と人懐っこさですぐに高等部の有名人になった。
 上級生にも受けがよく、同級生にも愛想がいい。周りは大きな犬が懐いているような気分になって下水流を可愛がっていた。
 だが、その対象に景は含まれていなかった。
 その大きな犬の大のお気に入りが、上和野景だったからだ。

「景!」
 下水流は廊下の端から端まで響くような大きな声で、景を見つけると呼んで、走ってくるので景の頭痛の原因の一つになっていた。
 クラスは違うので始終顔を合わせるわけではないからまだマシなのだと思うが、どうしても景は下水流と話していると自分のペースを崩されるので嫌だったのだ。
 さっと逃げるように背を向けて逃げようとするも、追いつかれて背中から抱きしめられた。

「景、逃げるなよ」
 後ろから耳に息を吹きかけるように下水流が言うと、景はびくりと体を震わせた。

 駄目なのだ、この声がどうしても駄目なのだ。
 いつも喋っているトーンではなく低くして囁くように言われると腰に響いて妙な気分になるのだ。

 下水流は前に回した手で景の顎を掴んで指ですっと唇を撫でてくる。もう片方の腕は腰に回して逃げられないようにしてくる。これで景は逃げることが出来ない。
 爽やかな印象がある下水流が景にだけは態度を強引にしてくるのだ。

「や……やめろ……!」
「んじゃ、これで」
 チュッという音と項に暖かいモノがあたって下水流の手が顎から離れ、腰に巻き付いてきた。下水流は景の肩に顎を乗せて満足したように笑っているようだ。
 それを隣でずっと見ていた景の友人である浩紀は呆れたように言うのだ。

「お前、それじゃただの痴漢じゃねーか」
 そういう浩紀に下水流は笑って言う。

「だって、景が俺の誘い断るんだもん。墜ちるまでやるよこれ」
「写真部に入れってアレか」

「そう、景って会計とかちゃんとやってくれそうだし」
「いや、お前がただ単に側に居たいだけじゃねーの?」

「まあそうともいうけど。いいだよ何でも側にいられる理由があるならね。本当は同じクラスがよかったけど、来年にならないと無理そうだ」

 外部入学はいくら成績が良くても最高の始まりは2組からとなっている。年度が変われば成績次第で1組には上がれるようになっている。その下水流の成績は入学後に行われた実力テストで見事に1組の中くらいの成績を取っていた。
 この成績を維持していれば来年は確実に1組になれそうだった。

「お前さ、景が1組にいるからって成績あげようなんて考えてるのか?」
 下水流があまりに残念そうに来年と言うので浩紀が茶化して言うとまじめな返答が返ってきた。

「そうだよ。景って1組でもトップクラスじゃん。そこまで俺も成績あげて、景の側にいるのに当然って立場作りたいんだ」
 下水流は本気でその計画を練っているらしい。

 呆れたのは景も浩紀もである。景に至っては下水流が背後にしっかりくっついていることすら無視したい気分だ。

「おーい、下水流! 次移動だぞ!」
 同じクラスの人間が移動途中に下水流を見つけて呼んでいる。彼が人気者だと思えるのは、こうやってクラスの人間と離れて行動していても必ずクラスの人間から声をかけられるからだ。

「え? マジ聞いてない! じゃ、景お昼にまたね」
 下水流はギュッと景を抱擁するとこっちの返事も聞かずに満足して去っていった。
 ほっとして息を吐いた景に浩紀が聞く。

「なあ、お前どうしたんだよ」
「いや、ああいうのは無視に限るかなと。何言っても駄目だから」

 景は最初からずっと下水流から逃げるようにしていたし、最初は抵抗もして暴れてもいたのだが、下水流は意外に力があるのでしっかり抱きしめられたりするともがくだけ無駄ということは学んだ。

 さらに下水流はとんでもないことを平気で言うのだ。
 こっちが暴言を吐いても気にした様子はなく、その暴言を上回るような卑猥なことを耳元で言ったりするのだ。
 つまり暴言が酷ければ酷いだけ、耳元で景へ言う卑猥な言葉倍増される仕組みだ。こうなったらさすがに反論しようという気概は消える。

「ああーまあ、あれは懲りることを知らない人間だよな。大抵はお前が拒否れば終わることなのに、めげないめげない。それにお前さ、ああいうの弱いよな、犬みたいなやつ」
 浩紀がそう言うと景はムッとしたように浩紀を睨んだ。

「別に弱いわけじゃない……苦手なだけだ」
 景がそう答えると浩紀はまあ仕方ないなという顔をしていた。しかしそれ以上は突っ込んではこなかった。
 景には下水流を完全に排除する言葉を発することが出来ない。

 彼があまりにも景の居なくなった兄にそっくりだったからだ。
 じっと校庭を睨んで黙り込んでいる景の後ろを教室を出てきた下水流が真剣な顔で見ていたことに二人とも気づかなかった。