novel

Howling-02

 ――運命の人に出会ったと瞬時に思った。

 宝生耀は、高校の進級式に出た時に偶然見た年上の生徒を見てそう思った。

 ずっと恋をしていたつもりだった。恋をした相手はずっと側に居てくれたけれど、自分のモノには絶対にならない人だった。それが納得出来ていることだったし、もし自分を選んでくれたら嬉しいと思う反面、自分を選んだ相手をきっと嫌いになるだろうと思ったりもした。

 どっちにも転がせない恋が失恋という形を迎えた時、相手から本物の運命の人に出会ったら分かるという答えをもらった。
 この人以外に運命の人なんて存在するのだろうかと当時は不思議に思っていたものだが、それがすぐに分かった。

 今まで誰を見ても大して興味はなかった。元々学校自体も興味があったわけではない。行ってそれなりに大人になる為の常識を身につけて置かなければならない立場だったからそうしていただけだった。

 自分が他の人間と明らかに違うという自覚はあった。生まれた時から極道。父親は宝生という名入りのヤクザで、母親もまた宝生の傘下にある組の娘だった。そして育ての父親もまた本当の父親の弟だから耀は生粋のヤクザとして育った。

 周りに居るのはいつも本物ばかりで、耀の立場はその頂点に立つ為の場所だった。ヤクザとしての教育をされ、そのために生きてきたと言っても過言ではない。
 だが、その中で子供らしい子供として育てた部分があるのは育ての父親のお陰だ。

 育ての父親が愛した相手は男性だったけれど、それでも綺麗な人だった。外見だけの話ではなく、中身が凄く綺麗だった。眩しくて、でも触れていたくて、側にいて欲しくて、強引に居て貰った。

 まあ、その人もある意味生粋のヤクザの血を引くとんでもない血筋の人だったけれど。それはそれで別の話。

 あまりに好きすぎて、きっとその人の言う通りに誰かを好きになんてならないと思っていた。いやなるはずないと思い込んでいただけなのかもしれない。ある意味意地があったのだろう。

 だが、壇上に立っている人を見て、自分は胸をときめかせている。まるで少女漫画の女の子だ。最初は意味が分からなかった。だが次第に高鳴る音は、自分の心が動いた証拠だ。そうでなければこの胸の高鳴る音の説明が出来ない。本当に少女漫画だった。信じられなくてまた相手を見上げた。

 壇上に立っている人は、文芸部の勧誘の人だ。
 毎年進級式にはこういう勧誘をする時間を設けている。中学でもあったから高校では大学へと繋がる部活をする人も多いので結構熱心な勧誘が続く。

 その中で大して熱を入れていないのが文系だ。こういう場所で熱心に口説いても無駄になることが多いのが文系の部の特徴で、慣れてくれば自然とそっちの部に入る人間も出てくる。こういうのは実際に活動しているのを見て判断するしかない部分が多いのと、この学校の文系はちょっとだけ怪しいので、勧誘していてもしてない部も存在している。

 だから壇上で喋っている人もただ時間を与えられ喋っているに過ぎない。もちろん文芸部の勧誘の話など聞いている人間は皆無で、周りは私語が繰り返されている。

 その私語が耀にはまったく聞こえなかった。

 何が起こったのか理解するのに、久しぶりに頭が混乱した。けれどすぐにその意味は理解出来た。

 一目惚れだ。
 そう言うシンプルなのが一番しっくりくる。それに気づいてまた彼を見た。

 退屈そうに伏せられた瞳、長い髪はちょうどショートカットが伸びた状態なのだろう。前髪で顔はほとんど隠れてしまっているが、ふっと髪を掻き上げた隙間から覗く顔は中性的だ。小さな顔の中に形の良いパーツがきっちりと並べられていると言えるほど綺麗な顔をしていた。体つきも細く、まだ育ちきってない姿が妙に色っぽさを出しているように見えた。

 色んな意味でドキドキと心臓が鳴り、耀は彼に釘付けだった。
聞こえてくる声は凜とした少し高い声で、目を瞑ると心地よく耳に入ってくる。
 どうしよう、どれも好みだった。

 顔は綺麗な方がいいし、声だって耳に残っても心地いいのがいいに決まっている。好きだった人と似てるわけでもないのに、これが好みだと思えたのは不思議だった。そもそも自分にあの人以外の好みなんてあったのかと驚愕したくらいだ。

 その場で耀は一生分は驚いたかもしれない。そして絶対にない慌てぶりをみせただろう。もしここが学校であり人前であることを忘れていたら、きっとあり得ない行動に出たかもしれない。

 相手の名前が分からないからどうしようと思ったが、文芸部ならたぶん外で勧誘をしているだろうと思い直す。その前に彼が「文芸部の織部」と名乗っていたのを思い出して早く下の名前が知りたくてしかたがなかった。

 文芸部なら一応受け付けを構えているだろうからそこで捕まえてしまえば、名前も分かるだろうしもっと近くで確かめることが出来る。

 本当に一目惚れなのか、ただの好みなのか。それが確かめられる。好奇心で人を見たことはないし、心が揺れるほどの見た目を見せた人間はそれほど多くはないのだが、ここ数年凍っていた耀の心を溶かすような、そんな姿を見せた彼を思い存分、耀は眺め、勧誘の時間が終わるのを大人しく待った。30分ほどで全ての勧誘が終わり、体育館を出て行くのに耀は急ぎ足で外へと出た。

 纏わり付いてくる運動部の勧誘を抜けて文芸部を探した。案の定そこに彼は居た。
 姿を再度見つけた時、耀は逃がさないと思った。

「あんたに惚れた」
 腕をしっかりと掴んで彼の顔を覗き込んで、そう言っていた。我ながら格好悪い告白だと後で思うのだが、その時はそうとしか言えなかった。思えば真面目に告白なんてしたことなかったなと、さらに後で思い出す。

 キョトンとした彼の顔が急激に此の世の終わりかという風に変わっていく。
耀は絶対に運命の人に出会ったと思ったからそう言ってしまった。

 ――――――運命の人なんて、一体何年前に流行った言葉なんだ。
 胡散臭いにも程がある。そうは思ってもスルリと出てきた言葉がこれだから本当に恥ずかしい。

だが、そうした耀の言葉に相手はもっと変な顔になっていた。そりゃ見知らぬ人から運命の人だの絶対にだの、男なのに惚れただの言われたら普通に嫌になるかもしれない。しかもここは男子校で、耀も男だし、相手も男だ。胡散臭くなるのは普通だろう。

「いや、あり得ないから」
 淡々としてきっぱりとした言葉が返ってきて、耀は思わずキョトンとしてしまった。
 断るにしてもあり得ないという言葉が意外だったからだ。この学校に居て、この顔で誰にも告白されなかったということはないだろう。むしろ断り慣れている方だと思っていたから、あり得ないという言葉が意外だった。
それと同時にもしかして訳あり物件で、誰も近寄ってないのかもしれないと思った。だからもっと近寄って口説いた。
 その口説きを止められたのは、周りの雑音だ。

 ―――宝生組の跡目だろ?
 ―――でも織部も似たようなものじゃん。

「あれはなあ」
 思わず独り言が漏れた。
 本当にあのまま時間が止まればよかったのにと思えるような二人っきりの空間だったはずだ。それが外側からの雑音に邪魔されるとは思わなかった。
 周りから出た噂は耀が期待していたものではなかった。その噂は、織部寧野(おりべ しずの)はヤクザの子供ということだった。
最初は驚いたし、似た境遇の人かと喜んだが、その後が拙かった。

「こんな結果って……望んでなかったんだけどな」
 予想を裏切る結果。名古屋系列で最近中国マフィアで通称、貉(むじな)と呼ばれる「ハオ」と言う組織が絡んでいる遠海会(とおみかい)系切谷組(きりや)に寧野の父親が属しているというのだ。

 てっきり関東にいるなら宝生関係かと思っていたが、予想を遙かに裏切られ、耀はしばらく呆然とした。
 関東には宝生関係の組が圧倒的に多いが、その他の組もないわけではない。小さな縄張りを主張する一家などもいる。だが何処も宝生とは騒動を起こしたくはない組ばかりであったし、何より、宝生系列が圧倒的に多い。

 遠海会は名古屋を中心に活動する組織だが、それほど大きいわけでもない。どちからといえば小さい地方ヤクザである。
 名古屋にほとんどの組織が存在し、関西や関東にわずかに系列の組織がある程度。ヤクザ辞典でも作ったとしたら名古屋の欄で宝生や如罪を除けば一番最初に出てくる組織としてしか認識されないだろう。

 そんな遠海会はここのところ問題となっている組織だ。
 急激に海外マフィアと手を組み始め、分かってきただけでも中華系マフィアと繋がっていることがある情報筋で分かったところだった。
 その貉は通称だけは伝わってきているが、彼らが裏で何をしているのか詳しく解らないという謎の組織で、宝生としては正体がはっきりするまでは迂闊に近づかないこととしていた。

「道理で向こうの反応が「困る」になるわけだ」
 告白したとたんに寧野の方には耀が何者で耀の裏にあるものがすぐに理解出来たのだろう。

 遠海会と宝生組は実際問題、少し緊迫している。
 宝生の縄張りに遠海会が出てきており、ちょっとした小競り合いになって、そこに居た貉の中心核になるような重要人物と接触してしまったのだ。
 抗争には発展しなかったが、貉側は黙ってはいないだろうし、宝生側としても貉に自由自在に動き回られるのも困るから遠海会は監視下にある状態で、下手したら遠海会を通り越して、宝生と貉の抗争に発展するかも知れない。貉と抗争になるということは、宝生に隙が出来る。その隙をついて関西の如罪組(あいの)が絡んでくるのは明らかであり、しかも如罪の最高幹部にして若頭はえげつないことで有名だから、ちょっとしたでは済まない大抗争に発展するだろう。
 そんな緊迫した時に耀は知らなかったとはいえ、関係者に接触してしまったのだ。しかも惚れた、一目惚れしたとはっきり言ってしまっている。

「莫迦だよな、俺」
「莫迦ですね、ほんと」
 テーブルにぐったりと俯せになったままずっと独り言を言っていた耀に、隣で作業をしていた九猪(くい)がとうとうツッコミを入れた。

「一発触発って言葉思い出して下さい。よりにも寄ってこんな時に、なんだって向こうの関係者に手を出してるんですか。向う側は、下っ端なんでしょう? 上から何か言われたら逆らえない立場の人ですよ」

 耀が学校から帰ってきて真っ先に部屋に戻り、データをひっくり返して組員を調べたりしていて妙な行動に出ていたから、その場に居た九猪は妙な顔をしていたし、護衛をしていた億伎(おき)たちも耀の妙に真剣な姿に何があったのか分からないまま部屋までついてきてしまっていた。
 そうして組員を端から端まで調べ終わった後、耀が顔色を変えて別のデータを引き出したところで九猪は手伝うことになった。

 そこで耀は真っ先にそこであって欲しくない組織を上げて、織部(おりべ)という珍しい名字の高校生の子持ちの組員を捜させた。
そうするとすぐに出てきたのだ。
 そのデータを目の当たりにした耀は、本当に此の世の終わりのように落ち込み、普段なら見せないほどのいじけっぷりを見せた。

 やっと何があったのかと九猪が尋ねたところ、織部寧野(おりべ しずの)に一目惚れをしたが、それが今最優先で問題になっている遠海会系で切谷組の組員の子供だと白状したわけだ。
 だから莫迦だと言われても仕方ない状況だ。

「最初からそういうことは慎重にと言われていたんでしょうに。相手の正体も調べないうちに運命も何もあったもんじゃないですよ」
 九猪が真剣にそう言い放つと耀はまた落ち込んだ。まさにばっさり真剣で切られたようなものだ。

「だけど、まさかあの学校に行ってるやつで、有名じゃない方を探す方が難しいだろ」
 耀はそう言ってむくれた。

 実際、あの私立は他の私立よりもお金がかかるような学校だ。その変わり身分は問わないのが信条で寄付金さえ納めれば、ヤクザであろうが片親であろうが受け入れる体制が出来ている。ただ学力重視なので勉学の出来ないものは、金を払おうが試験の段階で落とされる仕組みなので、学校が荒れるようなことはない。

 そのお陰で親がヤクザである耀もあの学校への寄付金を増やして何とか普通にさせて貰っている。
 だからこそなのだが、寧野の父親のような下っ端ヤクザで明日をも知れない暮らしをしている存在が、まさか都内で一番高額な授業料がかかる学校へ息子を通わせていることが意外過ぎたのだ。

「そうですね。調べてみると少し変なんですよ」
 九猪は耀の惚れた腫れたには興味はなさそうに、耀が調べてくれと言った織部寧野の父親、寧樹(しずき)の奇妙な凌ぎに疑問を持ったらしい。

「変って?」
 耀はそこは見ていなかったので九猪に聞き返した。

「実は、今時みかじめ料や用心棒料というのは、繁華街以外はあまりやってないんですよ。宝生でも事務所を構えている場所を繁華街の近くにするようにしてます。私が言っていることを変だと思う人の方が多いかもしれません」
「つまり」

「織部寧樹の納めている凌ぎの金額があり得ないってことです。彼のいる地域は地域密着型の所謂商店街です。そんなところから用心棒料なんてとろうものなら商店街の住民は揃って警察に駆け込んでますよ。でも彼の担当地域ではそんなことは一切起こっていないんです。この30年間ですよ」
 九猪がデータをどんどん引き出しながら織部寧樹が過去にどれだけの期間凌ぎを納めてきたかを読み上げている。
 30年間変わることなく、金額が多少上がろうが、無理ではない出せる金額をきっちりと納めているのである。
 その地域が警察に駆け込まずにしてきたにしては、金額があり得ない。黙って払う理由も見あたらない。もし住民がこれを払っていないとすれば、別の問題が持ち上がってくる。

「つまり?」
「彼が組員になってから、あの地域は奇妙な金の流れがある。それも織部寧樹がらみでです」

「それ、拙くないか?」
 九猪にはっきりと言われ、耀は寝転がっていたがすっと起き上がって真剣な顔をした。ふざけて落ち込んでいる場合ではない。
 偶然とはいえ、妙なことが解ってきてしまった。

「大いに。どうしてこんな大きな穴を遠海会が見逃しているのか謎です。私なら今見ただけでもすぐに気付くくらいにおかしな点だと言えるのに」
 九猪がこのデータを見るのは今日が初めてだ。それもそのはずでこのデータは今日宝生組の方で手に入れた極秘のデータだった。
どうにかして槙が手に入れてきたらしく、それの解析をと九猪に回ってきたばかりだ。

 データ解析が得意な九猪が見てすぐに気がつくほどの奇妙な金の流れを遠海会がずっと見逃している理由が見あたらない。その金の流れで遠海会が儲けている様子はないし、そんな金額を用意出来る織部寧樹を遠海会は凌ぎを納めるだけの下っ端組員としてしか扱っていない。 一度は織部寧樹は上手く切り抜けていたのかもしれないが、今でも十分おかしいと言える状態に誰かが気がつくかもしれない。

「お前が怪しいと思うことを他の誰かが気がつくかもしれない。というか俺が寧野に接触したことが発端でそうなるかも……」
 耀はその危険性にすぐに気付いた。
 一度は上手く切り抜けたこの金の流れを再度遠海会が調べたりすれば、織部親子は無事では済まないかもしれない。

「たまたま昔は辻褄が合ってしまったのかもしれませんが、二度目はないと思います」
 九猪がはっきりとそう言い切り、耀は息を呑んで口を閉ざした。

 どうするべきか。

 もちろん守るという方法をとるべきだろうが、接触したのはあの一回だけだ。あれをなかったことにして近づかないのが今取るべき最善であることは耀にも分かった。
 何もしないことが守ることになる状況もある。最善を考えようとしてそして最善を思いついてもそれしか出てこなかった。
 言葉を失った耀に非情であるが九猪が決断を下す。

「残念ですが、耀様には失恋していただくしか、今は方法はないと思います」
 冷たい言い方になってしまうのは仕方ないことだった。耀の立場が相手を傷つけるようなことは目に見えている状況で無理を通せばどこかで歪みが出来る。それはきっと耀を後悔させるものになるかもしれないのだ。

「だよな……そもそも貉が何故遠海会に近づいたのかも分かってないんだ。些細な危険も冒せない」
 冷静に考えれば、耀にも答えが見えている。

 自分でいつでも決断を出してきた耀が自分で躊躇するような決断だったのは、耀の成長を見てきた人なら誰でも理解出来る状況だった。
 耀が生まれて初めて、自分で気に入った人間を見つけた日にその人のことを一生忘れろと言われたのだ。誰でも呆然としてしまうところだろろう。

 耀だって人間なのだ。自ら下す判断が自分の心の何かに引っかかったとしても仕方ない。

 一目惚れでした。
 とても綺麗な人でした。
 でもすぐに失恋しました。
 だからこれで終わると思ったんです。