novel

Howling-03

 織部寧樹(おりべ しずき)についての経歴やデータをとにかく集められるだけ集め、対策を取ることになったのは、耀が寧野に失恋したと言った日から二ヶ月目のことだった。

 事態が急変したのがそのころだったからだ。
 それも耀ではなく、楸(ひさぎ)が行うことになった調査の中で出てきた不審点からの報告だ。当然楸は何があったかは知っていたが、話が随分飛んだのは、その後の情報を貰ってからだった。

「耀、貉(むじな)と関係ある遠海会(とおみ)系切谷(きりや)組の組員か関係者と何か接触でもあったのか?」
 そういきなり組長代理で父親でもある楸(ひさぎ)に問われた。
 それは本当に突然だった。
 朝ご飯に卵焼きはついていたか?とでも聞かれたくらいに異様な言葉で尋ねられたようなものだった。

「は?」
 そんな言葉のせいで思わず間抜けな声が出た。
 具体的にそこが出てくることに素直に驚いたのだ。

 耀が寧野に告白したのは今では笑い話になっているはずだ。一回の接触、それ以降耀は意識しないように心がけながら、寧野の前に姿を見せることはなかった。そうするのが安全であったし、今まで問題も起きてなかった。

 耀が一目惚れしたことは九猪(くい)たちの耳には入れたけれど、楸にはまだ報告をしていなかった。基本的に耀の問題で宝生組が動かなければならなくなった場合には、耀も躊躇せずに報告した問題だからだ。
 一応の警戒をしていた遠海会動いたという情報はまだ入ってきてなかった。この情報伝達の遅れは、九猪と槙の情報量の扱いの違いによる、ほんの数分違いのことだった。

「一体どこからそんなことが?」
 寧野(しずの)とたっ一回接触を持ったことが今更ながらに問題になったのだろうかと思うと、報告をしていなかった耀は真剣に楸に向き合って言わなければらなかった。

 しかし黙っていたことが裏目に出るような行動は耀はしてなかったはずだ。本当にあれから寧野とは接触していなかったし、寧野たちが危険に及ぶようなことがないように遠海会をよく見張っていたのだ。なのに、問題がすでに起こっていたというのだ。

「昨日、公安の動きが妙だという情報あった。なんでも一度も問題を起こしたことがない組員に公安が張り付いていて、それを聞いたマル暴までなにやら調べだしたらしい」
 公安やマル暴なら僅かな情報も見逃さないだろう。耀は宝生組の跡目だとされている。そんな大物が、三下ヤクザの下っ端と繋がりがありそうだと聞けば、誰でも首をかしげる。そしてそこから、耀の異様な取引が見えることもあるだろう。

 基本的に耀は相手の大きさに関わらず、たくさんの取引先を持っている。その一つを偶然に重なった事件のせいで、ルート本体すら失ったことがある。
 マル暴の某警部のせいだったが、一応の繋がりを見つけたことで、耀の接触先は些細なことがあろうと調べられることがある。
 宝生だけではなく、そこから5年前の事件である、暴力団爆破テロに繋がってほしいと願っている刑事や、公安職員がたくさんいるからだ。
 九猪が口を酸っぱして耀に行動に気をつけるようにと言っていたのは、こういう背景があるからだ。

「あれだけでなんで俺と繋がりがあるって」
 たった一回の告白だ。
 それだけで公安までもが動くとは思えない情報のはずだ。

「公安はお前と接触のあった人物からお前が遠海会の情報を得ているのではないかと疑ったわけだ。まあ、それはないだろうな。公衆の面前で一目惚れしたなんて告白して大事にしておいて、こっそり情報交換は無理だな無理」
 楸は無理を何度も繰り返していたが、一目惚れしたと告白したことは、父親である楸どころか、警察や公安の資料にまで載ってしまった出来事になっているらしい。

 だがその告白のことだけなら載った項目も初恋とだけで終わっただろうが、今回は載った項目が違った。
 耀が遠海会の情報を仕入れるために寧野に近づき、その内部の情報を得ているというあり得ない情報として載っているのだ。そう楸が言ってきたわけだ。
 こういう情報なら九猪が仕入れるよりは槙が仕入れる方から入ってくるのが早い情報だっただろう。

「馬鹿な! なんでそんなことになるんだ!」
 耀は本当に焦った。警察やまして公安までもがそんな情報を持っていたとしたら、いくらあり得ないことだと思っても、遠海会側が知ったら黙っているわけがない。黙ってやり過ごすほど彼らが利口だとは思えないからだ。

 二ヶ月経っていれば、すでに公安もマル暴もそんな情報はデマとして寧野からは手を引いているはずだ。そうなったところに遠海会が動き出せば、寧野たちの危険が増したことになってしまう。

 今まで用心して動いていたであろう遠海会が宝生を裏で牛耳っているのではないかと言われるほどの情報屋槙の方に入ってくるのなら、表で耀がはっている遠海会にはまだ動きがあるような怪しい行動はまったくしていないことになる。
 それがどれだけ重要なことなのか、はっきりと解る。
 事態は耀が想像もしない展開になっているということなのだ。

「遠海会の若頭が東京へ出てきている。数日前から貉の幹部も名古屋入りしている。お前、後手に回ってないか?」
 宝生としては動く気はないことではあるが、楸は耀が関わったことだから忠告してくれたようだ。

「警察に公安に、遠海会の若頭に貉幹部。その延長線上にいるのがお前が告白した相手。これで何も起こらない方がおかしいだろう」
 楸のこの言葉を一蹴できない耀。
 ここまで揃って何も起こらないと笑えるほど暢気ではない。ここまでそろったからこそ、絶対に何か良からぬことが起こる前ぶれだといえた。
 そこに槙がやってきた。

「組長、今朝の件ですが、遠海会の若頭はどうやら人を探しているようです。電話傍受では探しているのは織部寧樹という切谷組の組員です。先ほど本人が自宅付近で目撃されたようです」
 その槙の報告に耀は顔色を変えて部屋を飛び出そうとした。楸はそんな耀を止めるようなことはせず見送っていたが、慌てたのは近くで待機していた九猪(くい)と億伎(おき)たちだ。
 守っている相手がいきなり鉄砲玉のように飛び出していくのだからそれを一旦止めなければならない。

「耀様、落ち着いてください。すぐに車と増援を用意します。お願いですから一人で何かしようとしないでください」
 九猪は隣を走りながら耀に落ち着くように言う。だが耀はそんな九猪を睨み付けて言った。

「公安の狙いは俺だろう! マル暴が動いているって言ってもあいつらがどうにかできるのは事が全部起こった後だろうが! それじゃ間に合わないんだよ!」

 寧野たち親子が狙いなのではなく、警察も公安も本命は耀たち宝生組の方だ。そっちに繋がる何かが出そうだという情報があったので寧野を張っていた。だが、そんなことは調べていれば無関係だとすぐに解ってくる。張り付いているのはほんの一ヶ月程度だろう。それだけあれば調べ尽くせる。本当にただの告白だったと。しかも組同士は相手少しもめていて、それが解ったように耀がそれ以降どんな接触も寧野と持たなかったことなんて、調べればすぐにわかってしまうことだ。誰も彼もが証言してくれるだろう。

 耀が寧野と接触を持たなくなって二ヶ月経っている。耀が寧野に告白したという噂が出回ったのが告白後すぐから半月くらいだろう。そして学校でも耀が振られたまま寧野と接触していないことをちゃんと知ることができるのがぎりぎり二ヶ月。

 その二ヶ月は過ぎてしまっている。公安もマル暴もとっくに寧野と耀が関係ないことを知って手を引いていることになる。つまり今は誰も寧野たちの危機に気づいてないということだ。

 貉と遠海会の関係はまだはっきりと解っていないが、ここのところは大人しかった。耀は寧野には接触はしなかったが遠海会や貉関係はずっと見張っていた。なのに楸に言われるまで表立った動きをまったく感じなかったのは、遠海会がかなり慎重になって動いていたからかもしれない。

 つまりそれだけ重要な案件として扱われていたことになる。
 だが、それが耀と寧野が繋がっていて情報を流していたということだったとしても急に遠海会は動かないだろう。末端の組員が上層部の情報を欲しいままにできるわけがないことは誰にでも解る。寧野の父親はそれだけ末端なのだ。

 けれどそんな上層部が動いた。しかも探しているのは寧野の父親だ。だったとしたらバレたのは耀との繋がりではなく、前に九猪がおかしいと言っていた寧樹の金回りの件だろう。

 この金回りの件は九猪の情報を使っても織部寧樹の特別な資金源は発見されなかった。寧樹には一切怪しいところはなく、裏にありそうな密輸ルートや取引ルートなどは存在しなかった。
 けれどこの金回りのことを遠海会や貉が偶然知ったとしたら、九猪が言ったように見逃しはしないだろう。奪おうとして動き出す。だから九猪は二度目はないと言ったのだ。九猪ですらこの二ヶ月で調べられなかったものだ。30年だまされていた遠海会の誰かが気がついたとは考えにくい。

 この件に気づいたのが遠海会ではなく、貉の可能性も高い。貉が織部親子を遠海会に差し出せと言ってきた可能性もある。九猪が見つけられない金回りの秘密をよりにもよって貉が知っていたことになる。

 貉がわざわざ遠海会に近づいた理由が、ここにあるとすれば、織部親子に危険が迫っていることになる。
 貉の目的が最初から織部親子にあったとすれば、貉の動きのなさも納得が出来てしまう。
 しかしそうだとして、貉と遠海会がうまく連携していくのは無理があるような気がする。だからこそ、嫌な予感がさっきからしているのだ。
 危険だという鐘がずっと頭の中で鳴り続けている。そんな感覚がずっとしている。だから耀は焦っていた。今まで誰にも見せなかったくらいに焦っていた。

 それこそ、育ての父親の次に信用している九猪の言葉を聞けないほどにだった。
 だが、そこに冷水を浴びせるのが九猪だった。

「ですから、余計にあなたは落ち着いてください。何があっても冷静でいてくださらないと指揮に関わります。あなたは自分の好きな人のために宝生の組員から死人を出す気ですか? そんなこと組長代理でもしなかったことなのに?」 

 九猪の言葉に耀は一瞬怒りを覚えた。
 だが返す言葉は何一つ思いつかなかった。

 奥歯を噛みしめてギシリと音がなる。
 九猪の言っていることは何一つ間違ったことじゃなかったらから反論など出来るはずもないのだ。

 楸がこうした事件に巻き込まれたとしても、彼は組員から死人を出すような行動は一切しない。なのに耀がそれをするわけにはいかなかった。
 プライドではなく、なりふり構ってられない時でも絶対にやってはいけないことだからだ。楸が耀に寧野の危機を教えたのは、宝生の組員を使っても構わないという許しを得たのと同時に、組長の代わりとして絶対に恥ずかしくない指揮をしろという命令でもある。

 楸が指示を出したから組員が動いてくれるのだ。もはや宝生の本家以外の組員を動かす許可は楸にしかない。その楸から任されて組員を死なせるような真似をすれば、ほらっみたことかとすべての組織から笑いものにもされるだろう。そして楸の信頼も落ちてしまう。

 今回はただでさえ貉と関わっている遠海会の若頭が絡んでくる。下手すると死人が出るような展開になるかもしれない。そんな時に耀が取り乱した状態ではその確率がさらに上がってしまう。
 九猪はそれをはっきりと言っただけだ。図星だったから怒りがわいた。正直な反応過ぎるのだが、育ててくれた一人である九猪の前ではさすがに素が出てしまう。

 耀は九猪を睨んだが、すぐに前を向いて走りながら言った。今度はしっかりと地に足をつけて歩きながらだった。

「解ったから部隊と招集しろ。説教は後で聞く。こっちはすべてが後手に回ってるんだ。ただでさえ貉が絡んでいる案件になってるんだからな」
 耀が落ち着いた声でそう言うと九猪は頷いて組員を招集する電話をかけ始めた。耀の住んでいるところからだと寧野の家には一時間ほどかかってしまう。それなら近場にいる宝生の組員に様子を窺わせて必要とあらば警察を呼ぶように指示を出すのが正解だ。

 九猪が指示を出したところですぐに九猪の電話に槙から情報が入る。警察が極秘に動いているなら槙からの情報が確実だ。

「どうだ九猪?」
「警察は動いてません。マル暴からの監視は外れてしまったようです。やはりマル暴でも織部寧樹の金の流れは掴めてなかったんですね」
 金回りのことに気づいていれば公安もマル暴も織部寧樹から絶対に目を離さないだろう。
 九猪も今回の遠海会の動きは、楸が冗談で持ち出した情報ではなく、寧樹の金回りだと解っていたらしい。
 そうなると、今までのように見守っているというわけにはいかない。確実に死人が出る事件になる。

「遠海会の若頭が泊まっているホテルからの情報はあるか?」
「それが若頭が二時間ほど前に出かけたっきりだそうです」

「まずいな、自宅で捕まって若頭の前に突き出されたな」
 織部寧樹が目撃された情報はあったが、本人を捕まえたという情報はなかった。つまり若頭は寧樹が発見される前にホテルを出ていて寧樹の自宅付近に待機していたことになる。

 しかし彼らが切谷組に連絡を取った様子はなく、織部親子を連れ出して監禁したりした様子は一切ない。ということは自宅で何かしている可能性が高い。

「遠海会の若頭と言えば……」
 ふと耀は前にみた資料の情報を思い出して嫌な顔をする。

「名は、吉村数馬、年齢47。30歳の時、拷問で人を殺して15年の実刑を勤め上げ2年前に刑務所から帰ったばかりです」
 遠海会若頭の吉村数馬は、非道な人間として有名だ。17年前に起こした拷問事件で訴えられ、その詳細が公表されたので吉村がどんな拷問をしていたのかを極道の世界で知らない人間はいない。

 そんな吉村を遠海会会長は出所後に若頭として迎えている。どうやらその頃から遠海会と貉との繋がりが出てき始めている。遠海会は大きな組織になるために接触してきた貉と手を組んだのだろうと予想は出来るが、貉が日本で活動するために必要な組織に中途半端な遠海会を選んだ理由が不明だった。

 関東にも関西にも精通している組織なら他にもある上に、遠海会よりも動きやすい組織も存在する。その中からわざわざ遠海会を選んだのは、目的があってのことだと考えるのは普通だ。

 大体、日本嫌いで有名な貉がわざわざ日本に直接関係するのに意味のなさそうな遠海会に近づいたことがずっと宝生組としては疑問だった。自分たちのテリトリーを広げるにしたって遠海会は小さすぎるのだ。
 しかしその目的が今回織部親子だったとしたら、遠海会を選んだ理由もしっくりくる。

 よほど遠回りしてでもどうにかしたい理由が存在するようだ。
 それが謎の金回りのことだとすれば、若頭を使って拷問させて、その方法を吐かせる可能性もある。
 情報を調べることに長けている宝生組の二人が調べても出てこず、公安やマル暴が調べても出てこない、寧樹の金回りの良さを知るには寧樹本人に聞くのが一番だ。
 だが今回の動きは派手だった。槙の情報網とはいえ、それに引っかかるような派手な動きをしている。これでは何処の組織でも何かあるのではないかと勘付いてきているころかもしれない。

「不気味ですね、ほんと。一体何があるっていうんでしょうか」
 九猪は気味悪そうにつぶやいている。

 大抵の理由などは調べればわずかでも出てくるものだ。完全に秘密にするには此の世は情報世界だ。わずかな記憶さえあれば何でも出てくるものだ。それが一切出てこない。それを気味悪がっている。それに海外マフィアである貉が絡んでくるならそのはっきりとした理由を知りたくなるのは当然だ。九猪は今までにない情報のなさに戸惑っているのであろう。
 ただでさえ、貉の情報が少なすぎる状態でもあるからだ。

「それを知りたい輩が今織部親子を探しているんだろう。こんなことになるんだったら、怪しいと思った織部寧樹を徹底的に調べておけばよかったな」
 迂闊に動けば寧野たちが危なくなると思って金の流れを調べることはしなかった。だが貉が遠海会に近づいた理由が寧野たちだとわかっていたなら横やりを入れてでもどうにかしなければならなかったのだ。貉が日本に居座っている理由がもっとはっきりしていただろう。

『本命に耀様が近づいたからこそ、貉は焦ったのかもしれません』
 車に乗ってから九猪は一つの携帯でずっと槙と情報のやりとりしていた。今日になって急に貉や遠海会の情報が沢山入ってきたのもあり、誰かが情報を故意に漏らして何かしようとしている可能性が出てきた。その誰かは解らないままだが、宝生にとっては今は信頼していい情報筋のようだ。

「やはり俺が発端になるか」
 たった一回の接触。それすら貉を焦らせるには十分だったようだ。
 そのせいでどこかが狂った。耀が近づかなくても貉の狙いが織部親子だとしてもその危機を早めてしまったかもしれない。
 些細なことが全てを動かす鍵になることだってあるのだ。
 そんなこと、知ってたのに。どうすることも出来なかった。