novel

Howling-06

 手を握ってくれている彼はとても静かな人だった。
 
「いろいろと解らないことがあると思うが、解ることなら答えられることなら何でも言う。寧野(しずの)は何を知りたい?」
 宝生耀(あき)が寧野を手を取って、そう問うてきた時、寧野はベッドに横になっていた。
 
 父親を殺した吉村が逮捕されて一ヶ月経っていた。
 寧野の父親を最終的に危機に追いやった遠海会は此の世に存在しないモノになっていた。
 
 それを聞いたのは一週間前だ。遠海会会長の奥村が狙撃され死亡し、組幹部も不審死し、組はそのまま解散となってしまい、寧野の父親が構成員をしていた切谷組も何故か解散して消えてしまったという。遠海会の幹部はほとんど不審死をしており、中には行方すら解らないものも多いという。チンピラはそのまま別の組に入ったりして生き延びていたが、ほとんどが他の土地に逃げ、地元に残ったものは数えるほどしかいない。
 
 彼らは皆、遠海会が誰かに消されたことを知っていたが、その誰かが貉という中華系マフィアだということを噂で知って逃げたのだ。遠海会は貉に泥をかぶせたのだろうと予測は付いたが、まさか織部寧樹を殺したことが直接の原因だとははっきりとは言えなかった。
 
「遠海会は何で急になくなったの?」
 その質問に耀は知っていることを言った。
 
「たぶん、寧野のお父さんを殺してしまった責任を取らされたんだろうと言われてる」
「どうして?」
 
「元から殺さずに連れてくることが条件だったんだろう。その役目に吉村を使ったのが失敗だったんだ。吉村は昔同じようなことをして刑を受けている人間だったから」
 
 あんな残酷なことを平気で出来る人間がいるのかと思ったが、昔からそうだったと言われてしまうと、返す言葉は出てこなくなる。つまり吉村は刑を受けても反省なんかしないし、責任を取らされて殺されるかもしれないところを刑務所に逃げ込もうとしているということなのだ。逮捕されたことが皮肉にも吉村を生かすことになる。
 
 彼が死刑を宣告されたとしても刑はすぐに執行されやしない。それどころか死刑判決が彼を生かすことになってしまう。吉村はそれが解っていて死刑判決を貰う為に罪を認めているのだろう。無罪判決を受けて出てくれば、その場で終わる命。死にたくないから死刑判決を受けるという暴挙に出た理由も解らなくないが、それが解るだけに悔しくなる。
 
「でも吉村の安全が確保されたわけじゃない。刑が確定するまでヤツは裁判所と拘置所を行ったり来たりする。その間を貉側が見逃すとは思えない。だから吉村が逃げ切ったわけじゃないんだ」
 寧野の考えを読んだかのように耀は吉村が完全に安全になったわけではないと言った。
 
「それに、吉村はやり過ぎたんだ。いろいろとな」
 こう言った耀は笑っていたと思う。確信はなかったが、耀の目が笑っていないのを見ると、所謂ヤクザとしての何かに吉村は触れたのだろうが詳しいことは聞かない方がいいだろう。
 
「宝生は……どうしてあそこに来たの?」
 寧野の自宅にあの事件が起こった後にわざわざ耀が来る必要はまったくと言っていいほどなかった。だけど彼は来た。そうして寧野を現実の世界に戻してくれた。
 
「そういう情報が入ったんだ。寧野も知ってたと思うが、うちと貉の関係。そのことで少し調べていて寧野のお父さんが狙われていることが解った。でも情報が入るのが遅すぎて全然間に合わなかったが」
 そういうと耀は目を伏せた。どうやら彼はそのことをずっと気にしているようだ。彼の顔色が悪くなるのはこの話題だけ。だからその誤解は解きたかった。
 
「……お父さんは、俺と宝生が接触したことで、公安やマル暴に目を付けられているからって予防線を利用したよ」
 寧野がそういうと耀の手がピクリと震えた。まさかと目を見開いている様子から父親がその作戦を利用するのが意外だったらしい。
 刑事には父親がマル暴や公安を利用しようとしたことは話してある。だがこの次に話すことは言っていない。
 
「利用出来るなら、たぶん宝生を利用してでも逃げ切るつもりだったんだと思う」
 マル暴や公安の監視を臭わせただけで吉村は怒りにまかせて父親を殺してしまったが、あの後、父親が何か言ったとしたら、宝生の名を出してさらに寧野の安全を確保するつもりだったかもしれない。
 
「……全部利用して逃げる準備していたんだ、だけど……だったらどうして最初からヤクザなんてやってたんだろう……意味が解らない」
 寧野は正直な気持ちを言っていた。
 
 父親が本当に凌ぎを自分で稼いできて納めていたなら、ヤクザなんてやらなくても普通に暮らせたはずだ。だからその理由がわからなかった。何故やっかいなことになるのが解っていて、父親はヤクザで居続けたのか。
その謎を調べてくれたのは耀だった。
 
「調べていて解ったことがある。お父さんがヤクザをしていたのは、昔恩人がいたからだそうだ。東京に出てきたばかりの時に世話になったのがあの辺でみかじめ料を取っていた暴力団の構成員で、その人に保証人になってもらったりしていたらしい。その人が病気で動けなくなると、世話になったお礼だと言ってお父さんはその人の面倒を見るようになったらしい。その人の家族がお父さんには本当に世話になった、助かったと言っていた」
 その言葉に寧野は大きく目を見開いた。父親にそんな過去があったことを寧野は知らなかったからだ。
 
「そんなこと……全然」
 ヤクザになった理由は予想は出来るが、辞められない理由がここにあった。当然寧野が知っているわけがない。
 
「寧野は知らないと思ってな。その家族のことは家族が心配して病院まで来てくれたから解ったんだ。それに、お父さんに助けてもらった人が何人かきていた。借金取りに追われていた人をお父さんは陰でずっと助けてきていたらしい」
 父親に親しい人はそれほどいなかった。
 
 寧野が大きくなるにつれて、父親はヤクザ関係者を寧野の前に連れてくることもなくなり、寧野は父親の最近の親しい人など誰一人として心当たりすらない。
 ここまで徹底して寧野の前からヤクザという存在を消していたのは、父親が寧野の将来を考えてことだ。その兆候は中学受験から始まっている。
 
「最初は恩人だった人を助けたくて始めたことが、ずっと続いてしまったようだ。ヤクザの構成員だったのも、あの商店街を切谷組から守るためだったらしい。だがそれが裏目に出た」
 今の時代にあり得ない用心棒料を納め過ぎたことだ。
 その金をすべて父親が立て替えていたことがバレた。
 
「昔商店街に住んでいた人間が商店街の用心棒料なんて払っていなかったことをバラした。その期間、約20年だったそうだ。そこで遠海会は調べた。お父さんは約30年にわたって出所の解らないお金を使用して、人助けをしていたことまで解ってしまった」
 父親がこっそりとしていた人助けは、自分の身を滅ぼす結果になった。
 
 出所の解らないお金という言葉に寧野はゆっくりと息をして緊張を逃がした。知られたくないことだ。父親がどうやってそのお金を用意していたのか寧野は知っている。でもそれを知らないと言って嘘を吐いている寧野は、この秘密を誰にも言ってはいけない。
父親は一番それを危惧していた。寧野が父親と同じ能力を持っていることを誰にも知られてはいけないと思っていた。
 
「だが、その出所ももう解らないだろう。警察や公安が散々調べても出てこなかったモノだ。それに寧野のお父さんはこの秘密を誰にも喋っていない。もし何らかの取引をしていたとしても国内の人間であるわけがない。それならすぐに見つかっていたはずだ」
 つまり寧野の父親が何をしていたのかは誰にも解っていないのが今の事実で、探ろうとすればするだけ謎になっている部分でもある。
 
「それから寧野と俺が繋がったことが今回のことで広まってしまっただろうから、その秘密は当分宝生組のモノになると思って周りは諦めただろうな」
 耀はそう言って笑った。
 その笑顔は、もう誰も寧野たちの秘密をほじくり返すことはない。そう言われたような気がした。
 
 耀にもこの謎はわかってないのだろうが、彼は一切そこに触れようとしない。こっちを油断させて喋るようにしているのかと一瞬思ったが、耀はその話を本当にそこで終わらせてしまった。
 
「他に聞きたいことは?」
 そう言って先を進める耀に、寧野は自然と別の話題を振っていた。
 
「俺は、どうなるの?」
 父親が死んでしまった今、寧野は一人になった。一人でどうやって生きていけばいいのか解らない。どうすればいいのか本当に不安だった。
 
「それは山浦弁護士が全部手配してくれることになっている。寧野のお父さんは保険をかけていたんだ。こうなってしまった時、寧野が一人で困らないようにといろいろと準備していたらしい。だから、どうしたいのか寧野が決めてもいいし、お父さんが用意したものを利用してもいい。ゆっくり考えて見るといい。とにかく引っ越しが決まるまではこの病院にいてもいいしな」
 
 山浦弁護士は寧野の父親に頼まれて、避難先を用意してくれていた人だ。父親からいろんなものを預かっていたようで、父親の遺産関係の書類をいくつも用意して寧野にすべてサインさせたのは一週間前のことだ。
 読んでも解らない書類だったから言われるままサインをしたけれど、その中に寧野の学校の転校に関する書類もあった。
 
 寧野を狙っている組織が無くなったとはいえ、東京に一人でおいておくは危険と思ったのか、当初の避難先へ移転させた方が寧野の為だと山浦弁護士は思っているらしい。
 寧野はそれに従ったらいいのか解らなかった。だから転校書類にはまだサインはしていなかった。
 
「宝生は、俺をどうしたい? 本音を聞かせてくれ」
 寧野はそう言って耀の手を握り替えしていた。自分では決められないことだ。自分がここに残ると言ったとしたら、どうなるかその結果を聞きたかった。
 
「裁判が終わるまで、寧野は一旦東京を離れた方がいい」
 耀は静かにそう言った。殺伐とした東京で過ごすより、山浦弁護士が用意した場所の方が寧野の為になるだろうと思っていた。
 寧野はそれに少し笑って言った。
 
「うん、解った。そうする。ありがとう」
 誰かに側にいて欲しい時にいてくれて本当にありがたかった。
 けれどこれ以上甘えてもいけない。それこそ耀は寧野に構っている暇はない人なのだから。
 寧野が礼を言うと、耀は頷いてから言った。
 
「寧野、何か俺が必要なことがあれば、いつでも呼んで。もっとも必要になるようなことなんかないほうがいいんだけど。これは預けておく」
 耀はスーツの内ポケットから名刺のような紙を出して、寧野にそれを渡した。
 寧野はそれを受け取って紙に書かれている文字を読んだ。
 そこに書かれていたのは、耀の名前と携帯の電話番号だった。
 
「……こ……」
 これはさすがに申し訳がないと言おうとした寧野の唇に耀の唇が重なっていた。軽く、ほんの軽く啄んだだけで離れていった唇が言っていた。
 
「その契約代金だけもらっておく」
耀の唇がそう言っていた。けれど何が起こったのか理解する前に、耀は病室から姿を消していた。
 
まるで最初から存在さえしなかったように。
 
 
 
「ああ、よかった。あのまま宝生の跡目が居座ってしまったら、せっかくヤクザの世界から抜けようとしていた寧樹さんの目論見が台無しになってしまうところだった」
 ほっとしたようにそう語ったのは、寧樹の弁護士で独り身になった寧野の当分の保護者である山浦弁護士だった。
 
「そうですね」
 それに同意しているのは山浦弁護士の助手をしている深山だ。 
 
 宝生耀が訪ねてきたのは昨日のこと。寧野がまた暫く現実と夢の間を行ったり来たりしているのを気にした山浦弁護士に医者は寧野を正気に戻した人間をもう一度使ってみようと言ったのだそうだ。
 
 あの事件直後、病室で耀がずっといた時は普通にしていた寧野だったが、山浦弁護士や警察が寧野と耀を引き離してしまうと寧野の様子がまたおかしくなった。
 
 一ヶ月しても一人にしておくわけにいかず、病院に入院したままだったのだが、耀を使ってまた正気に戻そうとしたのである。その作戦は上手くいって、耀と再度会って話し合ってから寧野が夢の世界へ行ってしまうことはなくなった。
 
 だが耀が寧野の周りをうろつくことをよしとしない山浦弁護士は、寧野の為に宝生の跡目である耀に頭を下げるのにもかなり渋ったらしい。だが医者がこの方法が一番刺激が少なくて済むと言うので渋々応じたそうだ。
 なのであの後、耀が寧野を正気に戻して消えてくれたことには心の底から喜んでいた。
 
 それが解ってから、寧野はあの答えは最初から決まっていたのだなと少しだけショックだった。
 
 どうすればいい? と尋ねた時、寧野は心の底では誰かに必要とされたかった。だからあの時、耀が寧野を必要だと言ったとしたら、寧野はそのまま流されていただろう。
 流されるままでいいわけがない。けれど、一人で生きていくのが恐かった寧野は何にでもすがってみたかった。
 
 しかし、耀は寧野の未来を考えた答えを言った。そう思ったのだが、それは寧野を助けてくれる周りが用意した答えで、耀の本当の答えではなかった。
 それでショックを受けたけれど、あの時父親も助けられずに一人震えていた自分に何が出来ると思い直したら、ショックを受けているのが恥ずかしくなった。
 
 父親から受け継いだらしい能力のことは死んでも言うつもりはないのに、ヤクザである宝生耀を必要としたことも恥じた。相手がヤクザである以上、二の舞にならないとは言えないのに頼ってはいけない相手を一番必要とした。
 どうやら自分はかなり弱くなっていたらしいと思ったのは、今の今まで父親以外の誰も必要としなかったことに気づいたことだ。
 
 友達だって知り合いだっていなかった。
 いつだって一人でいた。
 そんなことを忘れていたのだ。
 
 だから優しかった宝生耀に甘えたのだ。
 やっとそれを思い出して、山浦弁護士のように親身になって助けてくれる人の言うことは聞こうと思ったのだ。
 
「向こうも受け入れの準備は出来たそうだよ。今度こそ安全に暮らせるからね、寧野くん」
 
「あ、ありがとうございます」
 昨日耀が帰った後、寧野は山浦弁護士の言うように学校の転校の書類にサインして東京を離れて引っ越すことに同意した。
 
 耀には、二度と会うことはないのだと気付いたのは、そのサインをした時だ。ふっとキスのことを思い出したが、あれがファーストキスだったことすら、彼には伝えられなかった。
 
事件から二ヶ月後、寧野は新天地に旅立った。

 吉村の裁判は、一年で結審し、吉村が上告をしなかったことで決着が付き、吉村は無期懲役の判決を受けた。二度目の犯行と反省をしていない様子だったが、素直に罪を認めて一見協力的の様に見えていた為、無期の判決になったらしい。
 
 寧野はそれを新天地で聞いた。
 これ以上吉村をどうにかすることは出来ないのは解っていたし、もし吉村が刑期を真面目に過ごして最短で出てきたとしても、貉という組織が黙っていないだろうと耀から聞いていたので、寧野は吉村のことは考えないようにした。
 
 学校は転校をしたが、出席日数が足りないので、二年をやり直すことになっていた。
 
 その間、学校へ行っても時間の無駄になってしまうので、寧野は自分を受け入れてくれた榧希(かや のぞむ)という町で格闘技場を開いている師範の家に世話になって、そこで師範の手伝いをしてゆっくりとした時間を過ごしていた。
 
 基本的に空手を教えている榧は、寧野にも道場を手伝わせるので寧野も基本からみっちりと学んだ。榧には二人の孫が居たから生活は楽しかった。
 寝ている間に見ていた悪夢は、そうした日常を過ごしていると次第に見なくなった。
寧野が弁護士に連れてこられた町は、静かな町だった。
 
 町は小さな町で周りは皆顔見知りだったが、この町に唯一ある学校が寄宿舎を持つ学校で、その近所にはその生徒に合わせたように町を発展させている。
 学生の町として発展しているので、寧野を匿うには十分な土地だと言えた。この町に大人が引っ越してくればすぐに何をしているのか知られたし、怪しい行動は一切とれない。おまけに子供を持たず、商売もしない人間が越してくるのはさらに受け入れが厳しいそうだ。
 
 つまり如何にもヤクザな人間が入ってくれば、当然知れ渡ってしまうというわけだ。寧野には好都合な場所だった。
 
 今でも寧野は、警察の保護するところとされ、時々家にまで町の警察署の人間が様子を尋ねにくる。あんな残酷な事件を起こした犯人が寧野をまだ狙っているかもしれないので気をつけて欲しいと言われれば、変わったことがないかと尋ねてきたくもなるだろう。
 
 出来れば騒動になりそうな人間は受け入れたくない町側でも、寧野が学生であることや受け入れる先がしっかりとした人間であることが証明されれば受け入れないわけにはいかなかったらしい。
 その心配も杞憂だったらしく、寧野が二年をやり直す為に学校へ通う頃になっても何の異変も起きなかった。
 拍子抜けするくらいに寧野はあっさりと淡々として静かな日常の中に戻っていた。
 
 二年をやり直しているのは学校ではバレていたが、寧野の事情を知っている人間が多かったにも関わらず、友達は出来た。普通に学校へ行って、友達と馬鹿話して、授業を受けて放課後遊ぶ。そんな些細なことを寧野はこの町に来て初めてした。
 三年になり、大学受験を考えたり、父親が望んだとおりの平凡だが、それでも未来のある明るい生活がゆっくりと過ぎた。

 だから忘れていた。
 自分の父親が何故殺されなければならなかったのか。
 どうして、父親や寧野が、あんな能力を持っていたのか。
 そうした根本的な問題が何一つ解決していないことを、すっかり忘れてしまっていた。