novel

Howling-20

 散々世話になって一泊した寧野は、迎えに来ると言った香椎や櫂谷と一緒のタクシーで帰ることになった。

 香椎は、寧野が宝生組に連れられて本家に向かったという情報をきいて内心、貉と同じかと思ったらしい。そして寧野を合法的に返せと言っても無駄になるかもと思いながらタクシーに乗ってきたそうだ。

 自分たちの粗末な作戦。寧野は室脇が貉の手先ではないかとずっと疑っていた。そう目があった瞬間、この人は寧野には興味はないが、織部寧野という人間が必要という顔をしていたのを思い出すからだ。つまり強制されて寧野を見張っているという感覚がすぐに伝わってきた。

 最初は室脇が近づいてくると思っていたが、他にも怪しい人間は居たけれど、どの人も室脇ほど必死ではなかった。だから解らなかったのだ。室脇はどうして必死に寧野を見つめてくるのか。
 助けが欲しくて、そう思って寧野を見ているのなら助けようと寧野は思った。

 強制されている以上、納得しているとは言い難い室脇だ。普段あんなに親切なのはかわりないが苦しそうだった。寧野に近づくのがとても苦しそうだったのだ。
 なんとかして解放させられないかと思い、寧野が取った行動がメモをいくつか付けるというものだった。予想をしたわけではなくて、授業の一環でやっている株の操作から学んでいることをやっていただけなのだが、案の定数字を使った何かをしているという情報だけで、貉が出てきた。
 寧野は金糸雀だという誤認情報が流れ、たった二日で昨日の襲撃になった。
 そしてそれは今日も止まらないらしい。

「織部、マジで焦った」
「あうん、俺も焦った」
 宝生が絡んでくるとは解っていたが、寧野がそのまま拉致されるとは香椎も思わなかったのだろう。宝生側から香椎に連絡が入ったのは、あの襲撃から本当にすぐだったという。まさかと思い引き返してきてくれたが、そこには警察と騒ぎを聞きつけた人間が、ヤクザの抗争ではないかと話していて冷や汗が出たらしい。
 貉と宝生が目に見える形でやりあったのは、これが初めてだったからだ。

「結局室脇ってのも被害者だったのか」
「うん、そうだね。でもそれは俺たちじゃどうしようも出来なかったことになっていたみたいだから」
 まさか人質がクルージングを楽しんでいるとは思いもしないし、助けにもいけない。つくづく素人では歯がたたないと思い知らされることばかりだった。

「それで」
寧野が声を低くしたのは、タクシーに寧野が乗った後だった。





 タクシーのタイヤがいきなりパンクしたのは、高速へ上がってすぐのことだった。幸いまだスピードは出てなかったからガードレールに車体を押しつけて止まれたのだが、一歩間違えば大惨事という事故になってしまった。

「お客さん、大丈夫ですか?」
 衝撃は後部座席に座っていた寧野にも来て、それを庇った櫂谷が少し頭をぶつけていた。だが、そんなことは問題ではなかった。

 止まった車を黒い車が数台で取り囲んで、中から人が沢山現れたのだ。目の前で事故をしたから助けようとしてというような人間ではない。黒服、それもスーツなどではなく、軍隊風だった。20人ほどそんな人間が出てくれば、ただごとではないと一瞬で判断出来る。

「マズイな、囲まれてる」
「そりゃ向こうさんも必死だろう」
 なんとか無事だったドアから外へ出たもの遮断された高速道路では、迂闊に身動きは取れないし、危ない。幸いなのは黒服の人たちが止めた車で後続の車が自然と止まってくれることだろう。一応タクシーは事故にあっているから通報しては貰える。

「二人とも、頼むね」
 寧野が静かにそう言うと、香椎は頷いたが、櫂谷が頷かない。

「櫂谷」
 寧野が再度確認するように言うのだが、櫂谷は舌打ちをした。

「解ってるって、解ってんだけど、納得できない」
 香椎がそういうのも仕方ないことなのだが、寧野にはそうしなければならない理由があるし、それが本来の目的のはずだ。

「貉は潰す。そう決めた」
 寧野がずっと感じていたことを言うと、二人も仕方ないと頷く。そうしないと、これは終わらないし、いずれ寧野は決着を付けるどころか、何も出来ないまま死んでいくことになるかもしれない。
 向こうもこちらが戦う気で居るのは解っているのだろう、全員が一斉に拳を構えた。

「正攻法だけマシか」
 櫂谷がそう言って先に仕掛けると、全員が一斉に襲ってきた。

 高速道路での乱闘となれば、周りも驚く。助けようとしているのか野次馬をしにきた人間は急に喧嘩を始めたタクシーの客と黒服の男たちを交互に眺めて悲鳴を上げた。警察が呼ばれるのはほんのすぐ後だった。
向かってくる敵の懐に入って思いっきり腹筋に重い拳を入れる。一発では倒れてくれないだろうと予想していたように、二三発別のところに食らわせないと沈んではくれない。それも三人一組のような動きをしてくるので、相手の攻撃を避けながら、さらに攻撃を仕掛けないといけないような状況だ。

 飛んでくる足をしゃがんで避け、足を狙ってくるのを少しのジャンプで避け、そして裏拳を相手の顔に決める。決まったらそのまま回し蹴りを他のものに食らわせてから、残りの一人と向き合うと、また三人一組になっていて、はっきり言ってなかなか全員を倒しての逃亡は難しそうだ。

 近寄って回し蹴りを食らわせても、相手はまだ起きてくるような相手だった。本格的に倒さないと逃げ道が作れない。
周りに居た人間は、こんなことが日常茶飯事であるわけないと思ったのか、何かの撮影なのだと勝手に理解して携帯で写真まで撮っている始末だ。誰も助けようとはしてくれないにしても最初の事故で警察を呼んだ人間はいたようだ。

 3人と20人以上いるのでは段々対処が出来なくて当然だろう。次第に押され気味になり、最初に一撃を食らったのは張り詰めていた寧野だった。

「……っ!」
 敵が繰り出した腹への一撃を避けきれず、腹筋で止めようとしたが、重すぎて無理だった。そして衝撃を受けて倒れそうになったところで、櫂谷が助けに入ってくる。

 しかし相手も放っては置いてくれない。そして時間もないこと。警察のパトカーの音が遠くから聞こえてきたことで、相手も焦ったのだろう。櫂谷の頭に銃を突きつけて寧野の反撃を瞬時に止めた。

「悪いな、さすがに正攻法では無理そうだ」
 この声は、昨日室脇を誘拐しようとしたが失敗した人間だった。
 顔は覚えてなかったし、声色なんて気にしてもいなかったのだが、顔を見た瞬間、寧野は目を見開いてしまった。

「……そこまで……」
 その人は、寧野のアパートの一階に住んでいる同じ大学の人間だった。しかも櫂谷や香椎の話では、同じ高校にも居たのだという。寧野とは一切接点すらない相手、名前は茅切英太郎(かやきり えいたろう)という人間だった。
 もっともその名前も本名かは怪しいものだ。

 アパートに居るときは本当に静かで、人とコミュニケーションを取るのが苦手な引きこもりのようなタイプだったのに、目の前にいる銃を構えた茅切は、まるで別人だ。
だが見間違えない。毎日ではないが、朝良く顔を合せていた人間を間違えるはずはない。

「茅切……」
 寧野がそう呟くと、櫂谷が驚いた顔をしていた。にやっと笑った茅切が言う。

「なかなか弱点を見せてくれないんで、大変だったよ。盗聴してたの知ってたんだろう?」
 寧野が部屋にまったく金糸雀としての痕跡すら残さないことを茅切は不思議に思っていたのだろう。

「それくらい最初から予想していた。さすがにプライベート垂れ流しはごめんだから」
 寧野はそう言ってまさに今引っかかった彼らを笑ってみていた。
 絶対に引っかかってくれると思ったことに貉は引っかかったのだ。

 寧野は部屋で過ごすとき、極力喋らないようにしていたのだ。もちろん金糸雀ではないので、そんな証拠はない。そうして彼らが苛立ってミスをするのを待ったのだが、それでも今のこの襲撃は派手であり、彼らがなりふり構ってないのがよく解る。

「弱点、これなんだろう?」
 茅切がそう言うといきなり櫂谷に向けて発砲したのだ。

 頭に当てていた銃は少しだけ反らされていた為、櫂谷に当たることはなかったが、目の前のアスファルトに弾がめり込んでいる。そして驚いている間に櫂谷を数人が取り押さえていた。

「櫂谷は関係ないだろ!」
 さすがに自分だけにそれを向けるなら、我慢がいくらでも出来た。でも今さっきのはパフォーマンスなんてものじゃない。本気で殺そうとしてむけたものだった。それは素人の寧野にだって解ったくらいだから、櫂谷も解っていた。

「関係あるんじゃないか。最初から首突っ込んでたわけだし」
 そう言うと銃を寧野に向ける茅切。彼は何故か寧野に対して怒りを持っているようだった。一体何があって貉なんて組織に荷担しているのかは解らない。でもこうして行動していることすら茅切には溜まらなく嫌なんだろう。

「櫂谷は優しいから仕方ない……」
 寧野がそう言って櫂谷たちのことを庇う素振りを見せると、茅切がキョトンとしたあとに笑った。

「そういや、お前は知らないんだっけ?」
 クスクスと笑って茅切が楽しそうに言ってくる。聞くなという声と聞きたいという気持ちが繋がりをみせなかったが、耳には届いていた。

「お前、ずーっと宝生組の思うがままだったんだもんな」
 なんの話なのか解らなかった。

「本当に知らなかったんだ? お前、こいつが何なのか疑いもしなかったんだ?」
 本当に寧野が気付いていないのを面白がって茅切が笑い出すも、櫂谷や行動が出来なくなって立ち尽くす香椎は反論しようとはしなかった。

「こいつら、宝生組と杯交わした組長の息子たちじゃないか。念入りに名前を変えているからなかなか正体が掴めなかったけれど、さっき確認が取れた」
 笑いながらさらに茅切が言う。

「お前、ずーっと宝生の監視下で生きてきただけの人間じゃないか! それが金糸雀だなんて認めない!」
 泣き笑いのような顔をした茅切が寧野に銃を向けた。

 櫂谷たちが宝生組の命令で動いていたという衝撃的な言葉だったけれど、寧野はそれは後回しにして驚くことにした。だって、目の前の茅切の様子の方が、新事実を聞かされた寧野よりおかしかったからだ。

「俺を殺したら、お前の中の何かが解決するのか?」
 寧野は静かに聞いていた。さっきから茅切が怖くない理由が見つかった。

 銃なんて見たこともなかったし、向けられるのなんて初めてだ。でも茅切の様子から何か違うところに彼の怒りがあるような気がして、それが気になった。
 室脇の時と同じだ。
 室脇もまた寧野のせいで人生が解ったと思っている人間だった。
 それは寧野も知らなかったとはいえ、自分のせいだと思った。

 でもそれを違うという人間がいた。それが宝生耀だった。
 昨日彼にその話をした時、彼はそれで人生が変わったと思っても、結局選んだのは室脇たちなのだと彼は言うのだ。最終的に闇に飲まれる理由は、一人一人違う。人質に母親を取られたから悪いことを平気でするような人間になることを母親は喜んでくれただろうか? 責めはしないだろうが、きっと顔向け出来ないと思うようになるはずだ。

 母親を助ける為にしたことでも、それで寧野が死んでいたら、きっと室脇は母親が無事に帰ってきたとしても後悔して何度も謝ることになるだろうと。
そこを割り切れないからこそ、闇は難しいのと耀は淡々として答えた。

――――――そんな彼がとても孤独に見えたのは仕方ないのだろうか……。

 こんな時に耀のことを思い出したのは、宝生組と絡んでいた櫂谷や香椎のせいではない。寧野が自然と耀を思い出してしまったからだ。
 だって熱い視線は、寧野を自由にはしてくれない。

「するなら最初に見た時に撃ってるよ」
 泣き笑いのような表情から憎々しげに寧野を見る。そう出来たなら高校からずっと見張っているわけがない。室脇にも事情があったように、茅切にも事情があるのだろう。そうとしか思えない。
 だから貉は潰しておかないといけない。こういう人間を増やしてはいけない。

「俺が殺さなくても、お前は絶対に殺されるさ」
 茅切は自分の役目を思い出したようにそう自分に言い聞かせ、寧野の周りにさらに無傷の新しい増員で固めて、寧野を捕らえ、足や手を縛った。さすがにさっきまで戦っていて数人は潰したけれど、この無傷の人間10人を相手にするのは難しかった。それに櫂谷は依然捕まったままであったし、これ以上抵抗しても無駄だと思えた。
諦めた訳じゃない。ただここでは無駄なだけだと判断した。

「織部……」
 寧野が大人しく捕まるのは櫂谷たちを傷つけたくないのと無駄なことをしたくないからであるが、捕まるようなミスをしたのは櫂谷が最初だったから、謝ろうとしていたのだろう。

「全部後で聞く」
 怒っていないわけではない。怒りはあるし、色々聞きたいことだってある。
 櫂谷たちが本当に寧野を見張る為に宝生組から遣わされた人間であるなら、彼らは深入りしてはいけない部分まで入ってきていたことになる。ある意味事情を話さなくても大丈夫な相手だから、寧野の不幸な話にも共感していたのだろうが、それでは彼らが自分のことをどう思っていたのかという重要な部分がどうしても否定出来ないところにある。

 命令されたからと言ってそこまでやる人間は居ないし、何より告白してきた香椎の言葉が嘘だったとは思えないからだ。

 何がどうなってこうなったという確かなものが説明出来るなら、人から聞きたくはない。自分が信じてきたものを誤魔化されるのは嫌いだ。だから全部後なのだ。

 あの耀が寧野に不利なことをしてくるとは思えない。例え、利用されたとしてもそれは目的が同じだったからという理由がちゃんとあるから構わない。
 後でと言ったのは、その耀にも説明してもらいたいことが山ほど出来てしまったからだ。櫂谷や香椎を疑っていて聞かないわけではないのだ。それはもういいのだ。後回しでも。

 寧野がそんな風に思っていると気付いたのか、櫂谷はやっと納得したように頷いた。寧野はもう貉を潰すことしか考えていない。

 寧野は無理矢理ではなかったにしろ、貉に本国に運ばれていった。

 日本では高速道路で暴走族の集団抗争があったとだけ放送しただけで、織部寧野が連れ去れたことは報道しなかった。