novel

Howling-24

 見張りは一人。
 外には誰もいない様子で非常に静かだった。物音を立てるのは寧野くらいで、冷などはずっと座ったまま身動きすらしない。もしかしなくてもああやったまま寝ているのではないだろうかと思ったが、たまに目が合った。

 それが尋常ではない人のものではなく、酷く落ち着いた目をしているので、こちらから奇襲をしかける気がなくなってしまった。
 そんな甘いことを言っていると櫂谷や香椎に怒られそうだと思い、ふっと思いだした。
 茅切が言っていたことだ。あの二人の父親の組は宝生組の傘下で、親子杯というのを交わしたもの同士として繋がっているのだという。

 まあ、日本は宝生か如罪かどちらかと兄弟杯を交わしている組は多い。特に8年前の事件以来のことだ。だから二人の家がヤクザで、その流れに宝生が居たとしても不思議ですらない。むしろ、反対側でなくて良かったと思ったくらいだ。

 如罪だったとしたら正直、耀に申し訳ないことになってしまうところだった。
 だって宝生だったら何もかも任せてもきっと寧野を酷い目には遭わさないという、確固たるものが見えていた。耀はまあ寧野にちょっかい出すのは好きなようだが、利用しようとして動いているわけではなさそうだ。

 貉との決着もまだついてなかったし、耀は寧野を使って貉をおびき寄せ、動かすことをしたかったようなので、その相談話にも寧野は乗った。
 あの日寧野を助けてくれた耀は、貉を動かすのに寧野の囮が必要だと言った。すでに寧野が種をまいているから、彼らはそれに乗って動いている。寧野の行先はきっと全て貉に見張られていて、隙があれば連れ去る準備をしているだろう。そして軍すら動かすことが出来る力を持っているので、力業で逃げることはもはや不可能とされた。

 だから、きっと寧野の弱点をついてやってくるはずだと。
 案の定、寧野の弱点である櫂谷や香椎を使われた。寧野にとって大事なものは、今はあの二人だった。たとえ宝生から言われて動いているのだとしても、生半可な気持ちで出来ることではないし、二人はまだ未成年で、宝生に言われたからと言って命を張る必要はないはずだ。だから宝生と組んでいると言われた今でも全然怒ってはいなかった。

 だた、どういう経緯でそうなったのかは聞きたかった。
 だって、事件は終わったよと言った宝生がずっと寧野を警護していたのは、こうなることがあのあと予測出来たからに決まっている。
 あの親戚の事件が始まりではない。あの事件がまだ終わりを告げてないだけなのだ。
 しかし、あの時、何かあったらと連絡しろと言ったのは耀だが。

「お前が電話しろってんだよ。何かその後あったんだろうが!」
 握っていたペットボトルがミシっと音を立てて凹む。幸い中の水はほとんど飲んでしまっていたから大丈夫そうだった。

 独り言が出てしまうのは仕方ない。色々ありすぎてまとめていると言ってしまったほうが楽だったからだ。
 外を眺めていると下の方に人が沢山いた。昨日から不思議だったのだが、何故かここの人間はさほど警戒をしているようには見えない。というのも確かに塔には見張りはついている。衛兵みたいな人間がいる。だけど、そんな人たちとは別の人間が何人も普通に働いているのか、仕事をしている。洗濯のための水運びだったり、洗濯物を干したり、と普通に生活をしているのだ。

 寧野がいるところから見える町並みは小さなものだった。
 山に住んでいる一族がみな揃って暮らしていますと言われたら、ああそうなんですね、と言えるような感じなのだ。
 その塔の一番上にいる寧野が窓際に顔を出すと何故か拝まれるのだ。
 金糸雀だからなのかと思うが、それでは説明がつかないことが多い。

 金糸雀は奴隷だと言われていた。能力があるが故に人として扱われないのだ。だから神様ではない。拝む必要などないのに変だなと思っていると、珍しく食事を運んできてくれた邵(シャオ)という人間が訳を話してくれた。

「貴方は愛子(エジャ)様の孫にあたりますから。それででしょう」
「その、エジャっていう人の孫だからって何があるわけ?」

「愛子様はそれは優れた金糸雀でした。皆が尊敬し、そして敬うだけの器量をお持ちでらっしゃった」
 そういうので寧野は頭の中で考える。
 どう考えても尊敬しているだけではないような気がする。

「えーと、アイドルみたいなものだったってこと?」
 そう言ってしまって寧野はしまったと思った。アイドルと神聖化している人間を同列に並べたら普通に怒られるだろう。しかしそれを聞いた邵がふっと笑った。

「感覚的にという意味でしたら間違いではないですよ。その表現」
「え……?」
 いいのかと不思議がっていると。

「もういない人のことをいつまでも神聖化しているということはよくないと思うんです。だから似ているとはいえ、その化身である貴方がいてくれるだけで事柄は上手くいってしまうこともあるのです」
 そう言って邵は部屋を出て行ったが、それはつまりのところ、寧野を使ってあの民をどうにでもできると宣言されてしまったようなものだ。
 さっそくだが、邵が下で何かを言っていて、そして寧野は大きく祈られた。

「これ、なんとかしないと……マジで洒落になんない」
 言葉がわからないから何を言ってどんなことをされているのか把握できないだけあり、寧野は警戒を強めた。その後ろで冷(ルオン)が笑っていた。この人は寧野が思っていることやいっている意味を理解しているだけに、抜け出す時は厄介そうだった。
 寧野が行動する時、この人物はいつでも障害であるのだが、どうしても一度も敵意を見せられたことがないので、どうしていいのか解らない。

 はっきりとした敵意や殺意なら、なんとか解るようにはなったが相手がそれを向けないとどう判断していいのかは習わなかった。実地で学ぶものだと思ったが、いざとなるとどうすればいいのか解らない。
 勝手に人の存在を使って神聖化して、人々をまた操って家をもり立てようとしているのだ。そんな勝手なことをされてはこまるのだ。

「耀の時より困る……」
 寧野はそう言って本当に困ったと頭を抱えた。
 ここに来て四日経った。耀がすでに中国入りをしているのだろうが、場所まで解るのだろうか。寧野には一応発信器をいくつか付いていたけれど、ここで気がついた時にはすでにその全てがなかった。服の飾りや靴の踵と色々仕掛けていたのだが、全部がなかったので意味はあったのだろうか。

 直前までは追えたとしても、ここで着替えたとしても、発信器はきっと違うことに使われているだろう。
 しかし、そこまで考えて寧野は思い出す。そういえば宝生のボディガードも同じことをしていたような気がする。そうやって事前に仕掛けられているような気がしたら調べていたようだった。

 貉も同じことをしている可能性もある。
 じゃあ、やはり発信器を付ける作戦は上手くいかなかったのだろうか。

 そう思って寧野はハッとする。そうしたところで、発見されるのを耀たちが気がつかないなんてことあるだろうか? 真っ先に自分たちがすることをしないわけがないと思うわけもないだろう。
 ということは何か別の目的があって発信器をつけると言ったことになる。

 そう思って寧野は耀を信じることにしていた。何か意味があることだったはずだ。
 そこまで考えて、その後にあったことを思い出し、かーっと顔が赤くなる。
 この間までずっと好きな相手はいないと思っていた。けれど、あんなことをするような間は、きっと好き同士になってからすることだと信じていた。でも耀との間にはなんの約束もなかった。ただキスをしただけ、それだけなのに、またキスをしてその先をした。

 気持ち悪くはなかったし、逆に気持ちよかった。
 あんなことを無防備に許したのはきっと好きだったからに違いない。
 思い出を美化して、そして優しくされたから好きになった。
 今自分がそんなことをしている場合ではないのに、好きになっていた。

 思い出してみても、ずっと胸にあった悲しい顔をしていた耀の顔はあの時見上げた時に見た、いやらしい顔ばかりだ。あんな目で見られたら、どうにかなってしまうのは当然だろう。
 すごく単純に考えたら好きとしか出てこない。

「耀がいけないんだ」
 寧野はそう呟いて、窓の向う側にある塔を見ると今日も元気に監禁されている人は動いていた。

「新雪(シンシュエ)って言ったっけ。あの元気なおじいさん」
 新雪が70歳を越えていることを聞いたのはつい昨日のことだ。なんでも40年もあのまま塔に監禁されていたが、本人は至って元気に暮らしており、不満があると改善するようにと要求するような図太さを持っている人だそうだ。

 その新雪は新しい住人になっている寧野のことを知りたがっていて毎日うるさいのだそうだ。邵なんかは食事を運ぶ度に質問をされてたまったものではないと一人愚痴を吐いている始末だ。
 それもそのはずでここは金糸雀を入れておく塔だからだ。
 そして新雪は金糸雀が死んだことを知っている。それなのにここに人が居るのに誰も教えてくれないからしつこいらしい。

「新雪って人、なんなんだろう」
 寧野がそう呟くと珍しく冷が喋り出した。

「新雪様は、元々は貉を纏めていた総統でした」
「え?」
 新雪が貉の元総統?

 寧野はキョトンとして冷を見た。しかし冷がこうした情報を喋るのは珍しいことだった。彼はひたすら寧野を見張っているだけだと思っていたのにだ。どうして喋る気になったのかは知らないが、情報は欲しかったので寧野は大人しくそれを聞いていた。

「新雪様は、金糸雀に入れ揚げたあげく、大勢の金糸雀を殺したも同然」
 その言葉に寧野はどういうことで殺したことになるのかと尋ねていた。

「殺したって?」
「金糸雀を金糸雀として使えなくしただけでなく、金(ジン)一族を使い物にしなかった。おかげで金糸雀は夏一族のみとなり、夏一族は扱い方を巡って死を選んだ」

「どうして?」

「私の父は実は夏一族のものでした。たまたま金糸雀予備軍よりも仕事が出来たため、召し抱えられて覇黒(バーヘイ)様に仕えた。私は高黒様に仕えるようになった。だから何とも思わないと思っていた。同じ一族とはいえ、奴隷とそれを操る者に別れてしまったのだから、私たちの方が優れているのだからと」
 長く思っていただろうことを冷(ルオン)は口にしていた。どうしてこんな恨み言に近いことを言い出したのか、冷にも解ってはいなかったが、どうしても止らなかったのだ。

「……奴隷って金糸雀は奴隷なの?」
 ここまでするのだからてっきりきちんとして監禁しているのかと思っていたが、どうも様子が違う。

「ここにいるものは総て総統の奴隷。金糸雀はその奴隷の中でももっとも重要な奴隷として重宝されてはいたが、覇黒(バーヘイ)様は飼い殺しをなさった。総て愛子(エジャ)様を助けようとした新雪様の暴挙が覇黒様たちを狂わせた」

 まるでそれは悲惨な状況だったと言わんばかりに語られて、寧野はキョトンとしてしまった。そんな濃い話が裏にあったのだろうかと。

「狂わせるって、金糸雀であった愛子が?」
 どう狂わすというのだろうか、彼女は金糸雀というただの奴隷ではなかったのか?

「愛子がいることで、貉が総て狂いそうだった。けれど金糸雀の力を失ったとはいえ、愛子を殺すことは皆が躊躇った。愛子がこの貉に齎した膨大な金の力のことを誰もが知っていたし、人気があった愛子を殺せば、貉の中で抗争が起きる」

 そう言われて寧野はハッとした。
 父親の母親は、そうして追放されて日本にきた。
 それが金糸雀だった愛子で自分の祖母だ。父が親戚中で問題視されていたのは、母親が日本人ではないからだ。そして父親は反発して身を落とした。なのに、金糸雀の力は受け継がれていた。そして寧野にもその兆候はあった。

 寧樹は知っていたのだ。自分がどんな生まれでどんな人間か。金糸雀とは何か。貉という組織はどう自分を扱うのか。
 全部知っていたからこそ、逃げようとしていたのだ。
 日本のヤクザに追われているならそんなに警戒することはなかったが、相手が得体のしれない貉であり、寧樹がやってきたことで金糸雀であることがばれてしまい、取り返しがつかなくなったのだ。

 寧樹は途中で気付いたはずだ。この力を他人に見せてはだめだと。
 そうして封印しかけていた。だけど間に合わなかった。

「愛子が子供を産んだことは知ってはいたが名前だけ確認して先は追わなかった。男だったからな」
 男の金糸雀の人数は歴代でそれほどいるわけではないそうだ。女性の金糸雀が9割も続いており、男の金糸雀は珍しいとされている。だから金糸雀になるはずないとして見送ったのだろう。しかしそれが間違いだった。

 金(ジン)一族の金糸雀の力は総て愛子から受け継がれて行っていたからだ。おかげで力の薄い夏一族を使う羽目になり、愛子との出来の違いに金糸雀になったものは苦しんだという。
 新雪と愛子が問題を起こさなければ、貉はここまで窮地に陥らなかった。
 だから貉全てが新雪と愛子に狂わされてしまったという言い方は間違ってはいなかった。しかしそれは現在を生きている寧野には関係がないということを彼らは解っていないのが問題だ。

「そんな40年も前の恨み言を俺に言われても困る」
 愛子がしたことを孫の自分が責任を取るのは間違っている。
 犯罪ではないのだ。愛子と新雪がしたことはきっと解放だったのかもしれない。

「だが、お前たちが織部の血を引いてなかったのには少し驚いた」
 冷がそう口にした時寧野は何か聞き間違えたのではないかと思った。

「……え?」
 織部の血を引いてない? なにどういうこと?

「お前の父親も勿論同じだった。結論として新雪は、愛子が誰と出来ていたのか知っていたことになる」

 あの追放の時、新雪が父親ではないかと疑われていたが新雪はそれだけは認めなかったという。愛子のことは散々庇ったというのにだ。愛子は誰の子なのか言わずに相手は死んだと口にしていたという。
 だがこうなると相手は死んでなくて、生きていた可能性もある。ただ生きていた相手が愛子を放っておいた理由がわからない。要らなかったから名乗りでなかったのか、それとも他に理由があり、黙っていないといけなかったのか。

「しかし、我等はそんなことを今更穿り返している、代福(ダイフゥ)は邪魔でしかなかった」
 新しい金の金糸雀が何処の血を引いていようがそんなことはどうでもよかったのだ。そうどうでも。

 ベッドに座っていた寧野は自分の目の前に立っている冷を見上げていた。
 どうして彼は仮面を付けているのだろうか。表情が判らないのでふっと笑った時の息が抜ける音しか聞こえなかったから、状況からして彼が笑っていたと思っていた。しかしよくよく考えたけれど、笑っているとは限らない。

 彼は本当は最初から怒っていたのではないか。
 目の前には夏一族を破滅に追い遣る結果になった愛子の孫。
 彼が夏一族とは別の一族だと思っていたとしても本当はそうではなかったとしたら?
 そして寧野は40年も前の恨み言を言われても困ると言った。
 その出来事のせいで一族が皆死んだのに、その根元である孫が呑気に昔のことだからとたった3年前に起きた出来事を否定したとしたら。

――――――その一族の出だという冷(ルオン)が寧野を許せるだろうか?

 答は否だろう。