novel

Howling-25

 寧野が危機に陥った時、部屋に他の人間が居た。

「駄目ですよ、冷さま、新雪(シンシュエ)様が寧野様をお呼びです」
 そう言って寧野もまだ見たことがない人が部屋のドアを軽く開けて入ってきていた。
 冷(ルオン)は寧野の首に手をかけていて、もう少しで思いっきり首を絞めるところだった。だから寧野は何かしらしなければならなかったけれど、その時はどうしても動けなかったのだ。だから邪魔して貰えて助かったことは助かった。

「……どういうことです」
 冷は自分が寧野を殺そうとしたことに関しては否定などはしなかったが、新雪が寧野を呼んでいるという言葉には反応した。

「言葉の通りですよ。高黒(ガオヘイ)様には許可を貰いました。新雪様はあのお体故、寧野様に来て頂かないと」
 足を一本切り落としていた新雪が、あの塔を降りることはない。
 だから迎えに来たのだと、新雪の付き人である睦(ムゥ)という人間がやってきたのだが、冷はそんな話は聞いていないとばかりに言い返した。

「高黒様がそんな許可を出すわけがない!」
 確かに監禁されているもの同士で密会なんて、どこの世界の話なのだと寧野も思ったので、新雪は一体何者なんだと考えた。

 冷はそう言いながら寧野の首に回している手に力を込める。馬乗りになられているのでその場から動けなかったけれど、一瞬出来た動揺なのか、隙が冷に出来ていた。

 寧野はそれを見逃さずに冷の仮面を被っている顔に思いっきり拳をめり込ませていた。仮面が当たって痛かったが、もう一発は素顔にめり込ませられた。
 二度の攻撃で冷が顔を押さえて倒れ込んできたが、寧野は回転しながら冷を蹴ってベッドから起き上がった。

「よし、いこう」
 この先がどうなっているのか解らないが、監禁されたままでは動くことは出来ない。どうにかして行動出来るように、足かせくらいは外さないといけないと思いそう言ったのだが、睦はキョトンとしたままだったが次の瞬間、ぷっと吹き出して笑った。

「なかなかな対処でした。冷もまさかと思っていることでしょう」
「あーまあ」
 今までどんな接触もせずにきて、二人でいきなり切れたわけだが、切れると冷みたいな人間でも隙が出来るものなのだなと寧野は納得していた。

「で、新雪ってのは、向こうで妙なことばかりやってるじいさんだろ? 俺に用って何?」
 まるで今日のご飯は何?と聞いてくる子供みたいに言ってしまうと、また睦が笑った。

「とりあえず、足かせを外します。それからこれをどうぞ」
 そう言われて寧野は自分が着てきた服を渡された。ここではずっと着物見たいなものを着せられていたが、不便で仕方なかったのだ。足かせを外してもらい、それに着替えると早々に部屋を出る。

 やはり見張りらしい人間はドアの外にはいなかったが、途中の扉などにはいた。このまま外へ出るのかと思っていると、出ずに地下を使って睦は寧野を案内していく。
 広い地下通路には、ところどころに扉があって、その中には何が入っているのかは解らないが、重大そうなものが入っているとみえた。
 ただの食料でも籠城には役に立つから重大そうだと思っただけなのだが、あながち間違った答えではなく、確かに籠城の為にとってあるのだそうだ。

「一体何と戦うっていうんだ」
 寧野は呆れた顔をしてしまった。今の時代に籠城して戦うのはテロリストくらいのものだと思ったのだ。中世の城じゃないし、こんな山奥に来るような組織がいたら飛行機で爆薬でも落とした方がよっぽど効率的だ。

 だがそうしないのはテロリストではないからだろう。
 皆、貉(ハオ)は邪魔だと思っているが、自分の手で確実に潰れる方法を選んでいる。イタリアマフィアみたいに見つけたボスを車ごと爆破なんてことはしない。

「俺、部屋に戻ったら冷(ルオン)に殺されるなあ」
 そう寧野が思い出したように呟くと、睦(ムゥ)が大丈夫ですよと言った。

「目撃したことは高黒様に報告しておきます。夏(シア)の一族の冷を付けたこと自体が間違いだと。身元確認はしっかりしてくれとね」
 この返答から、話をかなり前から聞いていたらしい。だがそこに何かありそうだと思ったのは、こんな解りやすい一族でありながら、冷が何処の生まれであるのか把握してなかったところだ。よほど内部がそれ以上に混乱していて完全に把握しているものがいないのだろう。

「ありがとうございます」
 とりあえず冷に二度と会わないで済むならありがたい。あの人と本気でやりあったらこっちがきっと死ぬ。それが解っているから迂闊に手が出せなかったのだから。なるべく凄腕は消えて貰いたい。油断していたとはいえ、首に手を回されて絞め殺されそうになるとは予想もしてなかった。

「いえいえ」
 睦はそう言って一つの扉を開けて、寧野には頭から布をかぶせる。うっすらと前が見えるのだが、どうやらこっちの人間に愛子に似ている顔を見せたくないらしい。
 睦はほとんどフリーパスのように銃を持った門番の前を通って中に入っていく。門番は少しだけにやついた顔をしていたがあれはどういう意味なのだろうか。にやついた顔が気持ち悪くて寧野はすぐに視線をそらした。

 どこの門番でも同じ反応だったけれど、上の方まで上がっていくとその門番にも出会わなくなった。ちょうど塔に入ったところの門番で最後だった。
 どっちの塔も作りは同じで、違うと言えば女性と男性との色違いと言った方がよかっただろうか。

「もしかして、こっちは金糸雀の男性を監禁していた?」
 寧野がそう呟くと睦は頷いた。

「非常に珍しく一人だけ生まれましたので、それで塔を付け加えたわけです」
 その中に入っている人が死んでしまうと男性の金糸雀は生まれなかったようだ。その代わりに普通の監禁場所にして新雪を生涯監禁しているようだ。
 登り切ってしまうと、睦が部屋のドアを開けた。 
 そこから光が入ってきて、目の前に寧野と身長はそれほど変わらない人が立っていた。
 年齢は70と聞いていたが、それよりは遙かに若い姿で、やはりチャイナ服を着ている人が手招いていた。

「やあ、入りたまえ」
 とても流暢な日本語だった。文字はこちらの言葉だったが、日本語自体は話せるらしい。
 そう老人が言うので、寧野はゆっくりと先へ進んだ。老人は杖で器用に歩きながら自分の席に着く。たしかこの人は愛子を守るために足を一本失ったのだった。でもそんなことは気にしないとばかり、普通に歩いている。義足を入れているので少しはここでも歩き回れるようだ。
 先に用意してあったお茶を出された。

「さささ」
「はあ……」
 とりあえず出されたお茶は飲まないように口を付ける振りをして飲まなかった。それでも老人は気付いてないのか笑って自分のお茶を飲み干していた。

「寧野という名でしたね」
「はい」
 なんだか柔らかな話し方をするのに、どこかトゲがあるような気がする。この人は何を思って生きているのだろうかと寧野は少しだけ不安になっていた。この人は愛子の為に全てを投げ捨てたと言って過言ではない。自分の一族の地位すら貶めてまで、他の一族からすればのうのうと生きている理由はなんだろうか。
 それとも生かされている理由はなんだろうか。それが気になった。

「それは母親から付けられた名ですか?」
「えーっと、確か父が付けたはずです。自分の名前の漢字を一文字使ったと言っていたので」
 寧野はこんな話がしたくてここにいるわけではないのでさっさと自分から質問をしていた。

「すみませんが、この貉(ハオ)で何があったのですか? どうして40年も前のことで俺が殺されなければならない?」
 さっきあったことを思い出してそういうと新雪は視線を落とした。

「君にとってはもはや過去ですね。我々にとってはあまりに身近な過去なのです。そして誰もがそれに捕らわれ、いまだ忘れられずにいる。それがここでの現実なのです」
 そんなここでの常識であると言われても、寧野には信じられない。寧野が生まれてここまで育っている長い時間、いやそれよりも遙かに長くいて、状況すら変えられないなどあり得ない。40年過ぎれば世界が変わっていて当然の時間だ。

「40年前から変わってない? 変わってないからってそんな恨み言を沢山言って、人の人生をめちゃくちゃにして構わないというんですか? 俺のお父さんを殺したことも、そんな簡単なことなんですか!?」
 そんなことで人が簡単に死ぬのが許せなくて寧野の語尾が強くなる。しかし新雪は頷いたのである。

「そう、その通りです。申し訳ない。この世界はもう回ることすら出来ない腐った場所なのです。誰も人のことなど考えてはいない。自分のことばかり」
 そう言われて寧野はムッとして新雪を睨んだ。

「貴方もそうでしょう? 元々は貴方が原因のはず。どうしてここを動かそうとしない。また大きな責任を負うのが嫌なのですか? 貴方にとって組織より愛子の方が大事だったのですか?」
 愛子ばかり庇ったからこんなことになっていると誰かが言っていた。
 だけど答えは違っていた。

 寧野がまっすぐな瞳を投げかけてくるのを新雪は見て、ああ愛子の血を引くというのは顔かたちだけではないのだなとホッとしたらしい。しかしそれは後に語ったことだ。  

「私は組織の民の方が大事だったんだ。愛子を助けることが民の為になることだった」
 新雪がそう言うので寧野は眉を顰めた。
 一体何なんだ?

「どういう意味です? 愛子の子供の父親と関係があるんですか?」
 冷が笑いながら言っていた。寧野は織部の血を引いていないと。それと関係があるのだろう。織部の血を引いていないのなら、寧樹は誰か重要な人物の子供になってしまうではないか。新雪(シンシュエ)はそれ故に足一本を失ったというのだ。

「冷(ルオン)はそこまで喋ったのですか。困った人ですね。順序というものがあるでしょうに」
 新雪は少しだけ憤慨をしていたのだが、静かに言った。

「愛子(エジャ)の相手は大いに関係がありますよ、今でもその秘密に私は苦しんでいる」
 そう新雪が言うので、寧野は考える。その秘密は今でも明かしてはいけない秘密ということなのか。明かせば何かがまた狂ってしまうようなそんな危険な秘密。

「私は今でもその名を口にすることが出来ない。愛子も知っていたからこそ黙って姿を消した」
 新雪は秘密は知っていたが、それを口にすることでこの貉が崩壊してしまうのを知っていた。その崩壊を止めるのに、愛子は共犯になって全てを失う覚悟をしたという。

 好きになった人が好きになってはいけない人だった。
 ただそれだけだったのだ。
 愛子が金糸雀でなければ、相手がそんな地位でなかったなら。全てそうでなかったなら、何も問題はなかったことだが、それは貉を崩壊へと進めてしまう危険な秘密。
 
 お腹にはその人の子供が居た。殺させるわけにはいかなかったけれど、貉の中に産み落とすわけにもいかなかった。だからこそ、愛子は追放されるしかなかった。

「……まさか……」
 寧野はそういう環境になった時、貉の総帥としての新雪が一番驚異を感じ、恐怖すら覚え、密かに殺すことすらためらった理由は、今でも言えない貉にとってはあり得ない出来事。

「そのせいで、君のお母さんは事件に巻き込まれた」
 その言葉にハッとした寧野。
 自分の母親はすでに死んでいる。それも交通事故でだ。最近になって母親が事故で死んでいることを知ったわけが、それに貉が絡んでいたとしたら、自分たち一家をずっと誰かが殺そうとしていたことになる。
 誰がそこまでの恨みを持って自分たちを殺そうとした? どうして母親は巻き込まれた?
 どうして殺すほど恨むのか。それは血を引く者が敵だからだ。憎くても叶わない敵だからだ。

「お前の息子の代福(ダイフゥ)とかいうやつなのか?」
 さっき自分を襲ってきた冷(ルオン)がそんなことを言っていた。代福が邪魔で仕方なかったようなことを。だが殺されないようにしてきたという。

 貉にとって、愛子(エジャ)の子孫は、生きていては困る存在。
 皆は金糸雀だといい取り戻そうとするが、代福がこの秘密をどこかで聞いていたとしたら、公には出来ないが自分たち一族を貶めた愛子と同じように憎くて殺したい存在だったに違いない。

 秘密を公に言えないのは、この事実が漏れて困るのが、貉だけだからだ。代福とて貉という盾を失えば、生きていく術を失うことくらい知っている。だから、自分たちの手違いではなく、あくまで依頼した相手がうっかり殺してしまったという立場を取りたかったのだろう。
 そうやって寧野の父親を殺した。 母親もそうやって寧野たちを庇ったばかりに殺されたのかもしれない。
 
 寧野が恨むべきモノは貉ではあるが、その中の誰かとなれば、代福なのだろう。けれどその人とここで一度もあっていない。

 寧野がだんだん状況を把握していくのを見て悟ったのか、新雪はポツリと信じられないことを口走った。

「代福は高黒に消されたかもしれないね。高黒は自分を操ろうとする人間は、どうしても許せないのです」
 そう言われて寧野は呆然とした。

「もう……いない?」
 自分が片を付けようと思ったのに、その代福がもういないと言われた。呆然とするし、頭の中で色んなことがまとまってきたのに、ガラスが割れるように全てが飛び散った。
――――――復讐をしようとしたのに相手がいない?
――――――だったらどうして、もっと早く。

「ああ、かわいそうに。敵を取ろうと思ってここまできたんだね」
 寧野があっさり捕まったことを新雪は怪しんでいたらしい。3年前ですらこっそりと行かず、今度は大きな騒ぎを起こしても何度か失敗していた。なのに、宝生と接触した直後、派手に動き回って寧野が捕まえられたのがおかしいのだ。

「ああ、君が囮だったのですか」
 新雪が満足したようににこりと笑っていた。
 その手の中に小さな銃が握られていた。
 撃たれると覚悟をした瞬間、自分の後ろから別の空気が入り込んできた。消炎の匂いと共に数日離れただけの懐かしい匂い。

「お前が新雪か」
 そう声がした時、新雪の持っていた銃が吹き飛んでいて、新雪は手を押さえて寧野の後ろの人間を睨んでいた。

「お前が宝生耀か……随分邪魔をしてくれたものですね」

「寧野!」
 耀の声に寧野は呆気にとられた顔から厳しい顔に変わった。新雪の後ろの使えていたはずの睦(ムゥ)が寧野に向かって刃を向けたからだ。慌てないように目の前にあったお盆を盾にして刃を交わして、伸びてきた腕を取り、睦に体重ごとかけて彼を押さえ込む。
 ダンと派手な音がして睦を押さえ込むと、彼の頭に銃が突きつけられた。

「動くなら死ぬ覚悟でと言われたことがないのか?」
 銃を突きつけているのは、耀だった。
 寧野が離れた場所に睦を投げたので、耀の近くに行けたようだ。そのおかげで耀は人質を取ることが出来た。

「お前たちは、やはりここに入り込む為にその子を使ったんですね。おかしいと思ってましたよ。こんなにあっさり行くはずはないと高黒にも言っておいたんですけどね」
 新雪には宝生がこの状況を黙って見ているはずがないと確信していたようだ。たまたま高黒が無茶をした結果寧野を取り戻せたとしても、こんなに簡単にいくはずはないと危機感を更に募らせていたようだ。そうして国内で起こる奇々怪々な爆破事件という宝生からの挑戦状がパタリと止んだ昨日からその危機感が恐ろしく強くなった。そして遅れを取ったことを悟ったのはさっきの笑みを浮かべた時だった。

「その高黒を今地下で見つけたところだ。どうやら寧野の落ち着きぶりを怪しんでの逃亡だったようだが?」
 その言葉に新雪が一瞬眉を顰めた。
 その高黒を少しでも宝生の手から逃がそうとして、新雪はここで寧野相手にダラダラと喋っていたらしい。
 逃げていた場所はちょうど寧野が睦と通ってきたところだ。あそこは抜け道が沢山あるのだという。
 しかしそこまで宝生の手は及んでいた。むしろ昨日まで暢気に首都部で爆破していた方が囮とは新雪も予想外だったらしい。

「まさか、さっき言ったこと、嘘なんじゃ……」
 時間稼ぎの大嘘はありそうだったが、新雪はにこりと笑って言うのだ。

「嘘は何一つないよ。そんな嘘で君はそこまで驚いてはくれないでしょう?」
 そう言われて寧野は自分の祖父が本当は何者かはっきりと解った。
 だがそれを口に出すことが出来ない。ここでは危険過ぎるし、耀を脅かせてしまってはいけないと寧野は思って口を詰むんだのだが、その会話を聞いていた耀が平然と言うのだ。

「知ってるさ、そんな情報とっくの昔に入ってきてる。だから敢えて乗ってやったんだ」
 そう言われて寧野は驚いたけれど、耀は笑っていた。

「どうせ寧野を殺せと言われて困り、俺たち宝生を巻き込んでわざと事件を大きくして、貉を潰してしまえばいいと考えた馬鹿は一人くらいしか思い付かないし、その作戦に乗ったのはお前もだろうが」
 そう耀は言って、寧野を引き寄せて抱くと銃を新雪に突きつける。

「ど、どういうこと……?」
 新雪は高黒と組んでいたのは確かだろうが、その新雪は更に他の人物とも組んでいたと耀は言っているのだ。

「お前、最初から鵺(イエ)と組んでたな?」
 そう「鵺(イエ)」の総統である、蔡(ツァイ)総統が新雪と組んでいたと耀は言っているのだ。 

「どういうことなのだ……」
 新雪の部屋に連れてこられた高黒は、ずっと信じてきた新雪が敵と組んでいたと聞かされて呆然としていた。