novel

Howling-30

 完全に平和ではないけれど、寧野にとっての日常が戻って来た。
 そこには新しい環境と新しい恋人がいる。

 新しい環境は恋人が勝手に整えた場所だった。まだ危険が去ったわけではないと言い張るのと、こっちの環境の方が実は大学に二駅も近いという利点に寧野が折れた形になったのである。

 元のアパートを引き払う時に解ったのだが、隣に住んでいた水品密(みずしな ひそか)は実は犹塚という宝生の本家の重要な役割についている人間と付き合っていて、その延長でたまたま隣になった寧野を監視していたのだという。

 道理で泥棒対策がどうとか変な流れがあったわけだ。
 そして更に驚くことになったのが、真下に住む水原である。彼もまた寧野をガードするように頼まれてアパートに住んでいたのだという。実は顔の割に年齢がもうすでに30才を超えているのだというから恐ろしい。まだ18くらいに見えて同じ新入生のはずだった。

 そんなに周りを固めていても茅切のような貉の刺客もいた。寧野の隣になる兄弟で住んでいる人間も貉関係だったらしい。アパートを引き払いに行った時、彼らはとっくに引っ越していなくなっていた。
 茅切もいなくなり、家にあったモノは勝手に処分出来ずに困っていたようなので、寧野はご両親に後のことを頼んだ。茅切の私物はそうして両親に渡された。茅切はそこに自分の私物をかなり持ち込んでいたらしく、まるで両親に遺骨を引き取って貰うような感じに、持っていた過去の思い出を全て置いていっていた。

 もしかしたらだけど、茅切は寧野がそんなお節介をすることを見越していたのかもしれないと思えた。

 そのアパートでまともな住人は親子で住んでいる大家だけであった。事件が終わってしまえばアパートから引き上げることになるので大家も困ったと思っただろう。
 しかし水品はそのまま住んでいるし、空いた部屋にはすぐに住人が殺到して住み着いてくれた。いや耀がもう寧野に戻らないようにさせるために住人を勝手に集めて住み込ませたが正しいのかもしれないと、香椎が言っていた。
 そんなあたふたな引っ越し作業を終えて、寧野が耀のマンションに引っ越してちょうど一ヶ月。


「耀ー、帰ってくる時電話してー」
 すでに洋服を着替え、朝の支度をし終えた寧野が、寝室のドアの前で仁王立ちしてそう言っていた。
 ここは一応寧野の部屋のはずなのだが、ベッドには大きな黒豹が陣取っている。そう宝生耀という名の獣だ。
 大抵黒い服を好むこの男は、パジャマまで黒という徹底ぶりなので、獲物に食らいつく時は早く迅速であるから、寧野のイメージで豹だなというのと黒い服だから黒豹かという程度の認識である。
 そのどう猛なはずの獣は現在、寧野のベッドの上にてだだをこねている。

「眠い、寧野一緒に寝よう」
「お前、最近どうかしてるぞ」

 ついこの間まで耀は普通だったと思う。週末になると寧野の部屋に来て寧野と話をしたり、時には抱き合ったりもした。そうして絆を深めていく中で、耀はどんどん寧野に甘えるようになった。それは慣れないはずの黒豹が懐いてくれたような感覚で嬉しかったし、実際可愛かった。だが、その甘えが段々と酷くなる一方なのだ。

 寧野を前にすると耀は他に誰が居ようがベッドに連れ込もうとするし、とにかく肌を合わせてないと不安そうなのだ。どうしたのだと聞いても何もないと言うだけで決して理由を話してはくれない。
 きっと組の仕事で疲れているのだろうと思われるだけに、理由を聞いても寧野がどうにかしてやれるわけではなかった。ただ寧野を抱いていないと人として何かを失うようなことがあるのか、耀は寧野を抱きたがっている。
 だからそれくらいしか耀に安らぎを与えてやれないのかと寧野は随分悔しい思いをしていた。
 耀の助けになるのは、この体だけなのかと。それなのにこの男ときたらこれだ。

「寧野……絵本読んで」
「解った、お前が大概にふざけているということがな!」
 ドアを掴んで寧野はドアを勢いよく閉めて出て行く。

「たくっ全部聞きたいわけじゃないって」
 耀がヤクザの世界でやってきていることを聞きたいわけじゃない。ただ少しくらい愚痴を言ってくれてもいいのにと寧野は思っている。そういう風な関係になりたかったのに、耀は全てを隠してしまうのだ。そんなことをしなくても寧野は純粋培養で育ったヤクザを知らない人間ではない。むしろ知りすぎているくらいだ。

「大丈夫だって言うのに」
 そう呟いて寧野は玄関を出る。すると、ドアを開けた目の前に蔡が居た。

「へ?」
「よう、元気か、甥っ子」
 蔡はにっこりと笑って手を振っている。夢ではないようだ。

「え、なんで?」
 思わず指を差そうして寧野はその手を引っ込める。側には道橋と名乗っていた男が一緒にいたからだ。それにここはセキュリティがどうとか耀が言ってなかったか?
 そう思って呆然としていると、蔡が言う。

「耀ってケチだな、俺用専用回線の携帯渡したら送り返してきた」
 そう言うのである。

「えっと……もしかしなくても、耀狙い?」
 前に耀の電話で、寧野しか知らないはずの携帯番号を蔡は知っていたことで、耀が勝手に調べられたと怒っていた。しかし番号が登録されている限り調べることは誰にでも出来るので万全にふさぐことは出来ない。

 ちなみに寧野用の携帯の番号は未だ変わってはいない。寧野が暗唱できるくらいに覚えた番号だからと耀が変えたがらないのだ。
 その番号を変える変えないで揉めた原因が蔡である。

「耀ってかっこいいし、優しいよな」
 そう蔡が言うので寧野は頷いてしまった。
 しかし蔡までもがそう思うということは、耀は蔡にも寧野と同じ様に接しているのではないかと思えてきた。

「だって、結局電話番号変えなかったし、俺に「死ね」って言うし。ああ、なんかゾクゾクするよね」
 それのどこが優しいのだ。
 寧野は思わず心の奥底から思いっきりツッコミをいれていた。
 明らかに嫌われているはずだこれは。と思ったのだが、ここまでアメリカから尋ねてきたのだろうと思ったので寧野は大学に行くのを諦めて、蔡を部屋に入れた。
 ばたばたと数人が入ってくる音を聞いたのか、耀が何事かと寝室から出てきた。

「なんでその化け物を家の中に入れる」
「ここは俺のうちだ。嫌なら隣に帰れ、お隣さん」
 寧野がきっぱりと言うと、耀は確かにその通りだなと諦めたようにソファに座っている。寧野がコーヒーを持って行くと、蔡は耀に何か話しかけていたが耀は無視していた。

「耀様狙いと解っていて、わざわざお茶を出しますか?」
 ボディガードである道橋が不思議そうに尋ねてくる。
 確かに耀狙いだと解ってはいるが、耀に興味がないならどうしようもないことだと寧野は解っていた。嫉妬したりするのも何か違うような気がするのだ。

「でも、一応取引相手なわけだし、俺が勝手に帰れと言うわけにもいかないし」
 寧野が当たり障りないことを言うと道橋が笑った。
「取られるはずはないと?」

「取られるなんていい方はおかしいですけど、耀が俺より犬束さんに興味があったら、耀から別れる話は出ると思うから、その時は仕方ないかなって思う」
「執着はないんですか?」

「あるに決まってる。でもその時はきっと醜いくらいにあがいた後だから」
 寧野がそう付け加えると、道橋はにこりとした。

「なるほど。受けて立つ用意はあるというわけですね」
「正攻法ならね。裏から手を回されたらさすがに俺一人では対処出来ませんから」
 寧野の言葉に確かに裏から手を回したら蔡が勝ってしまうに決まっている。一般人に近い寧野が裏組織で暗躍出来るはずもないのだ。

「でも俺は耀の側にいるために一緒に落ちる用意はしてあるんですよ」 
 そう言って寧野は笑う。前から決めていたことだ。耀と一緒に居るのに一般人で有り続ける必要はない。幸い寧野は使い道がありそうなそんな体質(能力)を持っている。あの力は実際に試してみたけれど、ほとんど当たることはなく、寧野が習っている経済の方が向いていたくらいだ。
 でも能力を使って当てるのはなにか違う気がしたので、このまま経済の勉強をして、株取引で活躍しようとしているのだ。これなら当たったり儲けたところで卑怯とは言われない立派な仕事だ。ただ利益を耀の関係に渡すだけのことだ。そこが一般人にはなれないと寧野が思うところだ。

「きっと耀は賛成しないけど、俺は俺の人生を賭けたことですから」
 耀は寧野が汚れることを嫌う。でも寧野は耀といるために汚れてもいいと思っている。耀が望む形とは違うかもしれないが、寧野は隠れているだけでいたくない。

 先は決めた。誘ってくれる見た目安全、中怪しい会社もある。そこが耀と繋がっていることも知っている。その力を試してみないかと言われたら、耀の為になるなら試したかった。幸い金糸雀と呼ばれるほどの力はないけれど、それでも一財産は作れるはずだ。
 そうなったらもっと一緒にいる方法も確かめられるはずだ。

「へえ、就職先が決まってるんだ? せっかく俺のところに来て貰おうとおもったのに」
 そういうのは蔡である。何馬鹿なことを言っているのだこの男はと、寧野は呆れた顔をして蔡を見ていた。どうせ耀が頻繁に来るようになるからなんて理由なのだろうけれど。

「馬鹿かお前は本当に馬鹿か」
 耀が真剣にそう言ってはっきりと告げる。

「寧野は俺が作る会社に収まる予定なんだ」
 その言葉に寧野はもちろん、道橋まで驚いている。

「そのせいでいろいろ動き回ってたんだ。あと3年しかないだろ? それまでに軌道に乗せておかないと寧野に就職してもらえないからな」
 耀はそう言って寧野を引きよせて道橋を睨む。

「お前らが俺を使って、寧野の様子を見ようとしているのは知っていたんだ。下手な接触をとられると嫌なんでこうやって邪魔してやってんだ」
 耀はまるで子供の喧嘩のようなことを言っているが、実際は優秀になるであろう人材の取り合いを二人はしていたらしい。寧野はてっきり耀のことで来ているのだと信じていたので驚いていた。

「え、耀のことじゃないの?」
 キョトンとしてそう言うと、耀は何を言っているんだという顔をしていたし、蔡は本気でそれ信じていたのかという驚いた顔をしていた。

「何の話だ何の?」
 耀が訳がわからなくて言うと、後ろで蔡が笑っていた。

「まさか、この俺が宝生に惚れる? ないない!」
 ゲラゲラ笑って手を振られて違うのだと言われたら寧野は顔を真っ赤にしてしまった。

「嘘なのか? え、いやだって……道橋さん……?」
「どういうつもりでここに居るのか聞いておこうと思ったら、結構熱烈に耀様と居る世界の未来を見ていらしたので驚きました」
 そんなことを言われて寧野ははめられたと思い、耀の手を叩いて退けてさっさと大学の講義の本が入ったのを持つと、一言言った。

「全員、俺が帰ってくるまでに帰ってしまえ! ついでに全員俺の家の合い鍵をここにおいていけ、こんちくしょ!」
 あんな恥ずかしいことを言ったと言われたら心臓が口から出てきて死ぬ。道橋はそんな茶化して言うようなタイプではないと信じていたからちゃんと話したのにだ。それさえ嘘だったと言われたらいたたまれない気持ちになる。
 さっさと用意して逃げていると、その後を耀が追ってくる。

 きっと二人にさっきの事情を簡単に説明してもらったのだろうか。とにかく寧野はエレベーターに乗ってしまえば勝ちだと思い、やっと来たエレベーターに飛び乗ると閉めるボタンを連打した。
 ドアが閉まりかけると目の前に耀が来て、閉まりきる前にドアに手を突っ込み開けてしまった。

「寧野、ちゃんと考えてくれていたのか」
「……うん」
 耀がそう言って乗り込んでくるとさっと非常用のボタンを押してしまい、エレベーターが動かなくなった。

 耀との未来には宝生というヤクザの組織が関わってくる。そしてその存在を否定してはいけないので寧野は受け入れるつもりで、ある人の相談に乗った。寧野を卒業したら会社のことを任せたいという人物がいた。その人は自分で会社経営をしているが、副社長以下は自分の信頼するものをおいていた。なので、その秘書やその他出来ることをやって貰おうと思っていたといっていたので、寧野は暫く考えて見ると答えたところだった。

 それなのに、耀の方が先に寧野の居場所を用意してくれていたなんて思わなかった。
 そんな準備をずっとしていたのなら、耀が疲れているのは当然だろうし、それが完成したからと言って寧野が絶対的に側に居てくれる保障にはならないのだ。
 寧野の居場所を作って、もし駄目だと言われたらと思うと恐かったのもあるだろう。耀は基本自分には恐いモノはないと信じている。けれど寧野が傷つくことに関しては駄目だった。
 どうしても駄目でずっと側で見ていないとと思ってしまう。

「実は、宝生の組長さんからそういう会社に誘われていて、それで耀に繋がっているならそこくらいしか就職先はないかなと思って」
「ちょ、ちょっと待て。いつの間に組長と話したんだよ」
 説明していると耀が聞いたことがない話になっていたので慌てて止めた。どこでどう組長代理と話を付けたのだというのか、そんな話はまったく聞いていないので慌てたらしい。

「え、この間、耀がぐっすり寝てて、その間に来たんだよ」
「なんだと、この俺が親父の気配に気付かないなんてどういうことだ」

「えーそんなの耀が爆睡してるから悪いんじゃないのか?」
「起こしてくれてもいいだろう?」
「起こしたけど、俺の服脱がして押し倒してきたから殴って気絶させたから、もしかして記憶にない?」
「……寝起きとはいえ、寧野に沈められたのか……」
「まあ、仕方ないんじゃない?」
「いやだからそれはいいとして、寧野、親父の誘いは絶対断れ。絶対裏がある。ただで済むわけがない。な?」
「まあ、先は長いからとりあえず考えてみますって言ってるから、まあ、断っても怒られはしないか。あ、そういえば、組長さん、すっごくかっこいいね」
「はあ? ちくしょう、とうとう親父と全面戦争かよ……あの人簡単に死んでくれないんだよな」
 ジョークとは思えない口調と真剣さに寧野の口が止る。
 耀はふっと笑った。やっと寧野の口を封じたと勝ち誇っている。

「寧野、今日何の日か覚えているか?」
 寧野に耀がそう尋ねるのだが、寧野は急にそう言われたのでキョトンとしていた。その答えを待たずに耀が言う。

「俺が一回寧野に振られた日」
「そんなのが記念なのか?」
 変なことを記念にするんだなと寧野が問うと。

「貴重だ。俺が色々考えて落ち込んで、それで色んなことを決心した日だから」
 耀は今では宝生の中でも認められるようになったが、最初は跡取りだからという理由でしか認められてなかった。本当の意味で宝生に関わろうと思ったのは、寧野に振られてからのことだ。
 その日から耀は変わった。自分を認めてやり、どんなことでもしてきた。それが汚いことでもだ。そうでしか生きられないと知った。
 あのまま中途半端な存在だったら、きっと組関係は上辺だけなぞっただけで解った気になっていただろう。それがどれだけ危険であるのか、寧野事件を通して知った。何かを守るために何か捨てても得られるものがあることも知った。

「耀、お前は凄く頑張った」
 何をとは言わないが寧野はそう言ってキスをしてやった。

「ありがとう。ずっと寧野と一緒に居たいからこの日は忘れてはいけないと思ってる」
 そう言って少し笑う耀だった。

「……俺も忘れてはなかったよ。その日、耀と永遠に会えなくなるって思ってなかったんだ。やっと正気に戻って、そしてもう会うこともないんだって凄く残念だった」
 寧野はその日のことは断片的に覚えている。最後にしたキスがお別れの合図だったなんて思いもしなかったし、知って泣きそうだった。

「お前に会えなくなっていっぱい考えたよ。お前にまた会えて本当に嬉しかった。だから離れたくないと思う。ずっと一緒に居たい」
 寧野は決心してはっきりと耀の側にいるのは、ずっと一緒に居たいからだと言った。言葉に出すのは少し照れたけれど、それでも大事なことだからしっかりと言いたかった。

「言っていいか? 寧野は俺のものだと」
 すっと寧野の前に跪いた耀が、寧野の手を取って言った。それままさにプロポーズをする格好だ。
 しかし寧野はそんな耀を茶化すことなく笑って頷いた。
 そして、ゆっくりと手の甲に耀の唇が落ちた。


――――――運命なんて何処で繋がるのか解らないけれど。
――――――こうして繋がることだってある。

 だから絶対に運命は変えることは出来ない。  
 目が合った瞬間から、恋に落ちていたと思えば、今までの思いは全て収まってくれるだろう。
 恋をしたことがないと言われた人と、孤独に生きるはずだった人が、運命で結ばれているそんな話があってもいいだろう。