novel

ROLLN’ 眠れる森の王子様 春

 春。

 最初に宝生楸(ほうしょう ひさぎ)が月時響(とき ひびき)に出会ったのは、春の事だった。
 夜はまだ寒さが残る中、宝生楸は、夜道で喧嘩に巻き込まれていた。

「やっちまえ!」
「この人数ならいける!」

 楸が絡まれたのは、ただのチンピラではなかった。そう、ヤクザの連中。
 それもそのはずだった。

 楸は宝生組という関東ヤクザでは有名な頭、三代目の息子だったからだ。
 ただ、楸は妾の子であり、色々と問題がある。

 そう、今いるヤクザは明らかに自分の身内の組員達なのだから。
 ……兄貴が痺れを切らしたか。

 それとも、兄貴に付いている幹部が早まったか。
 それのどちらかは解らないが、楸は跡目争いの中にいる。

 妾の子が跡目とは、幹部の半分は反対している。
 楸を跡目にと願うのは、父である三代目。

 だが、楸には跡目を継ぐつもりはまったくなかった。その意志だけは通してある。それでも、幹部の中ではもう長くない三代目跡目争いが始まっている。

 楸には兄がいる。
 ただ同じ年で、生まれは楸の方が少し遅かった。

 子供を望めないと思った三代目が妾に子供を産ませようとしたのだが、本妻までもが身ごもってしまった。

 妾の子とはいえ、楸はちゃんと三代目の血を引いている。それだけで、楸は宝生の性を名乗らなくてはならなくなり、母親と共に宝生から出る事は出来なかった。

 何故なら、本妻の子は、身体が弱かった為に、もしもの時にと後釜として楸を置いておきたかったからだ。

 ヤクザという世界を知っているだけに、跡目争いの醜さも楸は知っている。

 宝生は一代で成り上がったものはなく、もう三代も続いている。しかも、その組織は何十代も続き、宝生と組の名が変わったのが三代前なのだ。

 傘下は幾十もの組から成り立ち、宝生組が頂点を極める。

 それにより、跡目の問題は普通よりは複雑なのだ。
 しかし楸が跡目を継がない事は兄も知っているはずだ。

 それでも自分の身体の弱さから、半分の幹部が楸を押している事が気に入らないらしい。

 其れ故、末期癌で入院している三代目が跡目の事を言い出したとたん、楸はこうしてヤクザやチンピラに喧嘩を始終売られるようになってしまっていた。

 今もまさにそうだった。

 いつもなら簡単に片付けてしまえるのだが、今日は人数が多い。一人では裁ききれない程だった。

「そろそろへばってんじゃねえか?」
「一気にやれよ」
 などと、会話をしている男の顔を楸は見覚えがあった。

 兄の幹部の一人の部下だった。
 やっぱりそうなのか。

 楸は呆れてしまう。
 先走ったのは兄ではなく、幹部の方だったのだ。

 どうしても楸が邪魔なのだ。家の中では排除出来ないから外での乱闘で死んだ事にでもすればいいと思っているのだろう。

 そんな幹部の考えている事が手に取るように解る。邪魔で邪魔で仕方が無いのだろう。

 それほど邪魔なら何もしなければいいのだ。
 楸はそう思った。

 跡目の事になったとしても、自分はなる気はまったくないのだから静かにしていれば、兄が継ぐ事になるのは目に見えて解っている事なのに。

 何度もそう思ったとしても、口に出す訳にはいかなかった。

 それがヤクザの世界だった。
 自分はそこで養われている。だから口に出す訳にはいかないのだ。家を出る事も出来ず、跡目争いに巻き込まれ、そして今、窮地に立っている。

 一発殴られて、骨でも折って大人しくしてれば、もう手出ししないだろうか?
 楸はふとそんな事を考えてしまった。

 それが攻撃を避けるのに一瞬遅れてしまう。
 腹に一発入り、楸はグッと息を呑んでその場に倒れた。

「やったぞ!」
「さっさと殺してしまえ!」
 今まで攻撃を避けられていたチンピラが叫んだ。

 ここで死ぬのもいいかもしれない。そうすれば、跡目やらヤクザの世界から抜け出せる。

 楸は開いていた目を閉じた。
 だが。

「何だお前!」
 チンピラが一斉に何歩か下がっていく音がした。

 一体何が?

 楸が目を開けると、目の前に足があった。
 誰かが楸を庇うようにして立っているのだ。

「一人にこれだけの人数? 酷いなぁ。悪いけどこっちに加勢させて貰うよ」

 そう言った声は、若い少年の声だった。
 楸は身体を起こしてその少年を見上げた。

 少年は、ひ弱そうな体つきで、顔は見えなかったが声の高さからして、到底ちんぴらの喧嘩に割り込んでくる輩ではないはずだ。

「にいちゃんだかなんだかよく解らねえが、怪我するぜ!」
 チンピラの一人が少年を退かそうと近付いた。

 その時だった。

 ガッ!という音が聴こえたと思ったら、チンピラ一人が幹部が立っている場所まで吹っ飛ばされていたのだった。

 ひ弱そうな腕で、少年がチンピラを殴り飛ばしたのだ。
 そんな力があるとは誰も思ってなかったらしく、全員が呆然としている。

 楸もまた呆然としていた。
 一瞬の出来事で、少年がチンピラを殴り飛ばした瞬間が見えなかったのだ。

「あんたも立ってさっさと逃げる準備しろよ」
 少年が楸に言った。

「何でだ」

「さっき警察呼んじゃったから。どうせあんたの身内関係だろ? 逃げた方がいいに決まってる」
 少年は何もかも悟っているかのようにそう言った。

「ほらほら、立って。俺だってこれだけの人数は無理だから、加勢してよ」
 少年は楸に向かって振り返りそう笑いかけた。  
 その少年の顔は、少女かと見間違う程ではないにしろ、整った綺麗な顔をしていた。

 こういう少女がいたとしても不思議ではないくらいの美貌だった。

 細い身体にこの顔。
 それなのに、あの馬鹿力と俊敏さ。
 チグハグな少年像だった。

「てめー!」
 我に返ったチンピラが襲い掛かって来た。

 少年はそれを軽やかに交わして、肘鉄一つで一人を地面に鎮めた。それからの行動は速かった。
 次々に襲ってくる敵に一発も拳を当てさせる事もなく、一撃でチンピラをのしていくのだ。

 一瞬呆然としてしまった楸だが、この少年がいれば、例え二人であろうとも圧倒的な強さで勝てると思った。

「わりぃ」
 楸は少年には聴こえない声で礼を言ってから、残りのチンピラを片付けに入った。

 二人で三十人程のチンピラを相手にしているとは思えない速さで二人は、一撃でチンピラをのしていく。その速さと強さに、幹部は何か側近に話をし、さっさと車で逃げてしまった。

 幹部が逃げた事には楸も少年も気が付いていたが、あれは追うべきではないと解っていて無視をした。

 少年からすれば、幹部がどういう人物なのかも解らないし、この楸との繋がりも解らないから手を出すべきでないと思ったのだ。

 この判断力には、楸も驚いていた。
 喧嘩慣れしている割には頭も回る。

 まるで、ダンスでも踊っているかのような、綺麗な芸術と言っていい程の動きに、一瞬だけ見とれてしまう。

 旗色が悪くなったのを悟ったチンピラは数名だった。逃げ出していく者は無視し、立ち向かッてくる者は確実に仕留める。

 そうしていると、パトカーのサイレンが段々と近付いてくる音がした。

 この音には、さすがのチンピラも動きを止めた。
 こちらへ向かっているのは明らかだったからだ。
 少年が警察を呼んだと言ったのは嘘ではなかったのだ。

「逃げろ!」
 チンピラが一斉に散って行く。
 それに紛れて、少年は楸に手を延ばした。

「来い! こっちだ!」
 少年は逃げ道でも用意しているかのように、楸をつれて行こうとしている。

 楸は思わずその手を取ってしまった。

 細い腕に引っ張られるようにして、楸は必死に少年の後を追って走り出した。

 ちょうどその時パトカーが現場に到着し、「待て!」という警察が呼び止める声が遠くから響いて聴こえた。




 少年は細い裏路地をを走り、繁華街の中を横切り、一本の暗い道へ入った。

 そこでやっと少年の足が止まった。

「はあ、ここまで、くれば、もう、大丈夫、はあ」
 少年は息切れを起こしながらもそう楸に言った。

 現場からはかなり離れた所だったが、繁華街の裏道であることは確かだった。

 どうして少年がここへ自分を連れて来たのか、楸にはさっぱり解らなかった。逃げるにしては、ここは適していないからだ。それに、少年がこんな場所を知っているのが意外だった。

「もうちょっと付き合って」
 少年はそう言って、楸の手を引っ張って歩き出した。
 そういえば、手を繋ぎっぱなしである。

 それでも楸はその手を離そうと思わなかった。何故か離したくなかったのだ。この暖かさの手を。

 少年は暗い路地を抜けて、少し明るい路地へと入った。
 そこは、小さなバーなどがひしめき合っている場所で、少年はそのうちの一つを目指してドアを開けて入った。

「いらっしゃ〜い。あれ、響ちゃんじゃないの。あらら、今日は同伴なの?」
 中にいたのは、普通のバーのママらしき人だった。
 客も疎らで繁盛しているとは思えない雰囲気だ。

「違いますよ。喧嘩に巻き込まれてたんで、思わず助けに入っちゃったんです」
 少年は笑ってそう答えると、楸に奥の席に座るように言った。

「いや、もう構わないで欲しい」
 楸はこれ以上迷惑をかけると、この少年までもが巻き込まれてしまうと判断して断わって帰ろうとした。

 しかし、少年がそれを止める前に、ママが止めた。

「いやだわ。逃げなくてもいいわよ。ここは一応はあんたの所のシマ内だから大丈夫よ」
 ママにそう言われて楸はドキリとした。

 少年はキョトンとしながらも、傷付いている楸の為に救急箱を取りに奥へ入って行った。

 それを確認してから、楸はママに聞いた。

「俺の事、知ってるんですか?」
 その言葉にママは頷いた。

「知ってるわよ。ここはあんたのお父さん、まあ、組長の息のかかったバーなのよ。だから、顔みたとたんに、昔の組長にそっくりだから、分ったのよ」

「親父の顔見知りなのか……」

「高校の先輩なのよ。それで時々ここへも足を運んでくれてたわ」

「そうなのか」

「そして、あなたのお母さんは、私の友達だったのよ」

「え?」
 自分が知らなかった事実をいきなり突き付けられて、楸は動揺した。

 ここで、父と母が出会った?
 それで、妾になったのか?

 それが頭を回る。
 だが、ママは店の中で一番いい酒を持ってやってきて、それを楸に振舞った。

「ま、飲みなさいよ。どうせ貴方は何も知らないだろうから、ここでの事実ならあたしが話して聞かせれるわよ」
 そう言って、グラスを出し、酒をロックで入れた。

 楸は二十歳をとうに超えていたから酒を勧められれば飲む事が出来る。
 貰った酒を少し飲んで、楸は問うた。

「ここで出会ったのか?」

「ええ。今日の貴方みたいに組長がトラブルに巻き込まれて、それを偶然通りかかった沙羅ちゃんが助けたのよ。それで組長はここへ通うようになった」

「それで、妾になったのか?」

「妾とは言えないかもね」
「何故だ?」

「組長の奥さんとは制約のある結婚だったもの。恋愛なんかしなくても子供はうまれるでしょ。でも、沙羅ちゃんと組長はちゃんと恋愛して愛しあって、貴方が生まれた」

「でも、母は宝生の家を出たがっていた」

「それは、本妻がいるのに世話になるわけにはいかなかったから。でも本妻が出て行く事を許さなかったのよ」

「本妻が?」

「そうよ。組長の子供を外へ出す訳にはいかないと言ったそうよ。もし出ていくなら、一人で出ていけ、子供は認知をしたのだから渡さないとね」
 そう言われて楸は、義母を思い出した。

 もう亡き人ではあるが、影響力だけは偉大な人だった。まさに極道の妻らしい人だったのだ。
 それゆえ、自分が産んだ子や楸を区別することなく厳しく接してきていた。

「だから、沙羅ちゃんはかなり優遇されてたはずよ。貴方を産んでからすぐにガンになって、短い命だったけど、恋愛して子供まで産めたのだから、幸せだったに違いないとあたしは思うわ」
 ママは少し昔を思い出したようで、涙ぐんでそう言い切った。

 そう、母が不幸だったとは楸も思っていない。父を嫌っている訳でもない。
 寧ろちゃんと育ててくれた事に感謝しているくらいだ。

 だが、跡目の問題は別である。
 それだけは駄目なのだと楸は改めて思った。

「あいつは……?」 
 裏へ行ったままの少年が帰って来ないので、楸は不思議そうにママに尋ねた。

「ああ、響ちゃん?」

「ちゃんって」

「男だけど綺麗で可愛いからねえ。思わずそう呼んじゃうのよ。だけど、顔に似合わず、腕っぷしは強いし、いい子だからね。貴方と同じ歳のはずよ。名前は月時響(とき ひびき)、大学生4年よ」

「同い年なのか」
 それは意外だった。

 高校生くらいに見えてたのだが、同じ歳であれとは信じられないくらいである。

 楸は成熟仕切った青年で、背も186センチと高く、武道をやっているのでガタイはいいほうだ。

 歩いているだけでも、人は避けて通るし、目が合えば、向こうが目を逸らすくらいに眼光が鋭い。

 それなのに響は視線を逸らそうとはせず笑いかけてきた。
 それは、親父を知っていたからなのかと思ってしまう。

「ここで働いてるのか?」

「ええ。借金を返す為にね」

「借金?」

「ちょっと家の方の事で、宝生組長に借金があるのよ。その返済をしているわけ」
 一般人が組長に借金するとはどういう事なのか。楸には検討もつかない。

「ママ、懐かしいからって、俺の事までベラベラ喋らないでよ」
 そう言って現れた響は、ウェイターの格好をして右手に救急箱を持っていた。

「だって〜、こんな偶然ありえないでしょ?」
「まあ、確かにそうだけど。俺との事は別でしょ」

「別でもないけど。あんたの叔父さんがした借金を組長が肩代わりしたんじゃないの。それを今、あんたと雅ちゃんが返済してるんだし」

「どういう事だ?」  

「どういうもこういうもないんだけど。両親が結構早くに亡くなって、俺と姉さんは叔父さんに育てられてたんだ。で、叔父さんも当時は医者の研修医とかで大変だったみたいで、その借金をしたのが宝生の組長さんからだったんだ。でも利子なしだったから、返済はなんとかなってるけど」
 響はそう答えた。

 実際に響の大学資金は宝生家から出ている。
 それを返済するのは響の役目でもあった。大学に行くのもちゃんとしたところに就職して返済額を増やすためでもある。
 少しでも例え、借金返済が無謀な額であっても、響はきちんと精算するつもりで働いていた。

「苦労してるんだな」
 珍しく楸の口からそんな言葉が漏れた。
 ヤクザから借金を迫られるという状況でも、響はまるでそれを気にしていなかった。

「組長さんには良くして貰ったし、借金がある以上返すのが筋ってもんでしょ」
 何でもないとばかりに響は答えた。
 実際にその借金返済も無謀な額ではなく、払える範囲で払っていけばいいというのが組長の優しさだった。

「だから、俺は、お前の親父さんには世話になってるんだ。だから助けるのは当然じゃないかなって思ったんだ。喧嘩仲裁に入ってからお前の顔見て思った理由だけと成立するよなって」
 偶然にせよ、その息子を助けるのは当然だと響は言い張った。

 それで納得がいく楸。

 おせっかいな通行人がしゃしゃり出てくるのは、楸の存在があったのもあったが、響はそれより、あの喧嘩には納得がいってなかったのである。
 でもたまたま助けたのが、その恩人の息子だったというだけだ。

「お前、喧嘩強いな」
 ロックの酒を飲んだ楸はそう聞いていた。

 ヤクザ相手に喧嘩売るのはどうかとは思ったが腕っぷしにだけは楸も驚いてしまうくらいに響は喧嘩慣れをしていた。

「別に。ただ、叔父さんの知り合いが喧嘩強くていろいろ教えてくれてね。我流だけどね。役には立ってるよ」
 響は楸の傷の手当てをしながらそう答えた。

 響は見た目、ただの美少年である。
 それが何処からあの力が出るのだろうと思ったのだが、それもそのはず、喧嘩には慣れていた、そして相手がヤクザであっても引く事すらしないくらいの度胸の持ち主なのだ。

「何故俺を助けた?」
 楸はそう聞いてしまう。
 あれだけ多勢に無勢状態で、一瞬で味方についてしまう響に興味を引かれたからだ。

「ただ単に、卑怯だと思ったからだよ」
 喧嘩をする理由はそれだけだった。
 それだけで十分だと響が判断しただけの事なのだ。

「この辺も最近物騒だね」
「仕方ない、跡目争いの真っ最中だからな」

「心休まるヒマもないって事か」
「そういう事だ」

「大変だなあ。俺、そういうのよく解らないけど」
「俺が大変なだけで、向こうは必死なだけさ」
 楸はそう答えていた。

 本当にそうだったからそうとしか答えられなかったというのもある。
 自分がどれだけ拒否しても、誰もそれを信用しようとはしなかったからだ。

「とりあえず消毒な」
 響はそう言って、楸の手当てをした。

 傷はそれほど深くなく、かすり傷程度だったが、響は必死で手当てをした。
 その必死さに楸は少し苦笑した。

 他人の為に必死になれる響は何故か可愛かったのだ。
 頬を消毒し終えて、響は満足したようで、それで治療は終わった。

「そんなに必死にならなくても」
 楸がそう苦笑すると、響は真顔で返す。

「せっかくの美形が勿体ないじゃないか」
 そんな事を言われ、楸は苦笑するしかなかった。

「そんなに俺は美形なのか?」
 不思議そうに聞き返した楸にまたもや真顔で返す響。

「うん。男の俺でもびっくりするくらい美形だよ。さっきからあそこのホステスが君の事を見てぼーっとしてるんだから」
 そう言われてみれば、数少ないホステスがこっちの様子を伺っていた。

 何があったのかというよりも、楸の美形に心を奪われているようであった。

「俺はお前の方が可愛くていいと思うが」
 楸はそう返してしまったのだが、それに不満顔の響。

「男が可愛いと言われて嬉しいわけないだろ。まあ、この顔のお陰でバーテンやってられるんだけどな」
 自覚しながらも、それは嬉しくないという表情を浮かべ、辟易しているようだった。

「お前、響でいいか」
「構わないよ」

「本当に喧嘩強いんだな」
 楸は本当にそう思っていた。
 自分より倍はある男を一発でのしてしまう程の力がその体の何処にあるんだという響きをこめていた。

「喧嘩だけは慣れているんだよ。散々嫌な目にあってきたし、防衛の為に身に付けたようなものだし」

「慣れか」

「そういう事。さてそのお酒だけで足りる?」

「もう少し強いのを貰おう」

「OK。ママもう少し強いの出すね」
 接客をしていたママに了解を貰う。

「いいわよ」
 ママは適当に答えて、響は強い酒を持って楸の前で酒を作ってみせた。その手際は素早いもので、長い間その作業をしていた事を意味していた。

「借金って本当か?」

「うん、本当。莫大な額だけどな」

「そうなのか」

「仕方ないよ。俺が物心付く前からの借金だからね。少しくらいでも返済していかないといけないしな」
 響はそう言って、他の客のカクテルも作って見せた。

 手慣れた作業に楸は感心していた。
 今日昨日身に付いたものではない証拠だからだ。

「ここは長いのか?」

「まあね」
 響はそう答えてそれ以上何も付け加えなかった。
 それだけでも、響が相当長い間ここでバイトをしていた事が解る。事情は借金だけとはいうが、それ以上に何かある気がした楸だった。