novel

ROLLN’ 眠れる森の王子様 夏

 夏。
 暑い日が続いていたが、楸(ひさぎ)にはどうでもよい事だった。

 あの春の事件以降、楸に危機が訪れる事はなかった。
 世の中は平和だったのだが、父親の容態は一進一退。

 その間、組をまとめていたのは、兄だった。
 その事で楸に危機が及ぶ事は少なくなっていた。

 楸には元々跡目などという気持ちはなく、のんびりとして関心がないフリをするのが一番問題がないような気がした。

 その間も楸は、夜な夜な月時響がいるバーに通っていた。

 響と話すのはただの世間話なのだが、それが凄く楽しかったのもある。響は事情を聞きはしなかったのだが、響も楸が訪ねてくる事を喜んでいるようだった。

 今晩も楸は響の所を訪ねていた。
 店に入ると、響はいつものようにいらっしゃいませといい、それが楸と解ると、すぐにカウンターの指定席に座らせて話をはずませていた。

 この頃が一番静かだったかもしれない。

 楸の評判はよかった。
 組でもここでも。

 響は同年代の新しい友達が出来たようで、それが嬉しくて仕方ないようだった。

 響はこんな職についているから、大学の友達とかはここには寄り付かない。しかも学校が終わってすぐにここへやってくるから当然友達付き合いも悪い方だった。

 それでも響はまったくそれを苦にしてなかった。
 笑顔で楸を迎えては普通に話していた。

 このバーが、自分の母親と父親の出会いの場所であったように、楸にはここが響との出会いの場所でもあった。

「あ、また喧嘩してきただろ?」
 誰にも解らない事すら、響は楸の様子で解ってしまう。そんな親密な間柄になっていた。

「たまたま酔っぱらいの喧嘩に巻き込まれただけさ」
 本当はそうではなかった。

 まだ兄を慕う連中が差し向けたモノだろうと予測出来ていたがそれを響に報告する必要はなかった。
 兄が跡目としてりっぱにやっていても、自分に反感を持っている連中がまだいる事は分っていた。

 兄の体調が悪い時に限って、そんな事が日常で起こる事には楸もなれていた。
 だからと言って、それを響に言う必要はなかった。

 でないと、響が心配して駆け付けてくるかもしれないと思ったからだ。

「まったく、ここに来る度に怪我してちゃこっちも心配するだろ」
 響はそう言って、またいつものように救急箱を持ち出してくる。

 こうして楸はいつも響に手当てをして貰っていた。
 それが愉しみで無謀な喧嘩もしてしまう程だった。

 この感情がなんなのか、楸はまだ気が付いてなかった。
 ただこの瞬間が楽しかった。ただそれだけだった。

「染みる」
「我慢しろ」

「お前、適当にやってないか?」
「こんなのかすり傷だけど、後でどうなるかなんて解らないだろ。しっかりしておかないと後でどうなっても知らないぞ」
 こう言いながら響は楸の手当てをしていく。

 それも慣れた事になっていた。いつもの事。

 バーはいつにも増して人は少なかった。
 辺鄙な場所にあるせいか、一見さんは見落としてしまうような場所に立っている。それでも常連となれば、気軽に入れる店なのだ。

 その雰囲気は楸には心地よかった。
 家にいるより、ここに居る方が余程気分が良かった。

 同年代の友達がいない楸には、響は貴重な存在になっていたのである。

「そういえば大学は?」
 響は思い出したように楸に尋ねていた。

「いってるよ。お前がちゃんとしろと言ったんだろ?」

「でも、俺が言って聞くような楸じゃないし」

「ちゃんと行ってる。お前は?」

「そろそろ卒論。単位は全部とったから、残るはそれだけだな。楸はまだ単位が足りないんだろ」

「まあな。今から頑張ればどうにかなるようにはなってる」
「良かった。せっかく大学まで行って何もしないんじゃ意味ないしな」

「お前が口喧しいから仕方なく通ってるだけだ」
「嘘つけ。本当は頭がいいくせにそんな事言ってる」

 楸が頭がいいのは、ずっと勉強をみてやった響が一番よく知っている。初めは教えてくれと言われて教えようとしたのだが、楸は一度覚えた事は忘れなかったのである。

 これでは響が出る幕はない。
 だからこれは嫌味である。

 せっかく大学に入れたのだから、落ちた人もいるんだから、せめて卒業くらいしろというのが響の考えだった。
 まあ、それは当然の事だが。

 楸はやれば出来る人間なので、それが分っていた響はその態度が許せないと思っていた。
 それを正直に話す辺りが響なのである。
 それに観念した楸は真面目に大学にも通うようになっていた。

 響と出会ってからの楸は今までの楸ではなくなっていた。

 飢えている獣ではなくなり、性格も柔らかくなっていた。
 そうさせていたのは、他ならぬ月時響という存在だった。

 そう、楸は月時響という存在を失いたくなかったのだ。

 いつからそう思うようになったのかは解らない。奇妙な出会いから、楸は響という存在に惹かれていたからだ。

 楸がヤクザの息子である事は響も一番最初の出会いで気が付いていた。それでも変わらず接してくる姿に楸は感動すら覚えていた。

 分け隔てなく付き合う響を本当の友人として認めてしまっていたからだ。

 いつからか、この存在を失いたくないとさえ楸は思っていた。

 響はよく笑い、時は怒ったりもする。
 その表情がくるくる変わる所も気に入っていた。

 響は本当なら、もっと日の当たる場所にいる人間だった。
 だが借金のせいで、こうした所に出入りする事になってしまっているだけなのだ。

 それが分っていても、それだけで良かった。

 その借金がなければ、響と出会う事はなかったはずだからだ。その事だけは、楸は父親に感謝していた。
 唯一感謝するところだった。

「組長さん、お加減はいかが?」
 響が申し訳ないというように問いかけてきた。

 借金を肩代わりしてくれた相手だ、気になるのは当然のことだ。響たちは、組長にはよくして貰っていた。特別 な処置のお陰で、利子なしで借金返済をしている途中なのだ。

「一進一退というところだな。元気な時もあれば、塞いでいる時もある。なに、響が気にする事はない。親父も歳だからな」

「見舞いにいきたいけど、行く暇がなくて、申し訳なくて」
 響はそういって俯いた。
 本当にそう思っていたからだ。

「何言ってる、借金の事は気にするな。親父から色々ときいているから大丈夫だ」
 楸がそう答えると、響は複雑な顔をしていた。
 本当はそれだけではない。

「小さい頃から世話になってるのに顔を合わす機会もなくてさ。お礼も言いたいのに」

 何故自分達によくしてくれているのかは解らない。
 その理由も響は知らない。

 会った事もない人に親切にしてもらっているから、自分は今の生活をしていられる。学校にもちゃんと通 わせてくれたのも組長の助言があっての事だとは理解していた。
 なのに自分はその人物に会った事がなかったのである。

「じゃ見舞いでもするか?」
 楸が唐突に言い出し、響は驚いた顔をした。
 軽々と言われてしまったので驚いてしまったのである。

「出来るのか?」
 面会謝絶の状態も続いている事は楸に聞いて知っていた。家族以外に会う事は難しい事だと、響は姉に聞いて知っていたからだ。

「都合がつけばいつでも出来るぞ」
 こういう事を楸は安請け合いすることはない。会わせるというと本当に会わせてくれる手筈を整えてくれるからだ。

「そっか、楸、ありがとな」
 響はニコリと笑って感謝した。

「礼を言われる程じゃないさ」
 楸は笑い、何でもないと答えた。

「いつにしよう〜」
 さっそく響はその日程を考え始めていた。

 いつでもいいとはいえ、必ず会えるとは限らない。
 向こうの容態の事もあるからだ。

「卒論少し遅らせれば会えるかな?」
 最近は卒論に追われる日々なのだが、その時間さえずらせれば会えるのである。

 今まで一度も会った事のない相手に会うのに、響は緊張はしていなかった。嬉しくて仕方ないという感じだった。

「さあ、一進一退だからな。前もって俺が親父に話してみるよ」
 そうすれば、予定は向こうに合わせられる。

「本当?」
 響は目を輝かせて楸に問う。

「ああ、まかせとけ」
 楸はそう言って請け負った。

 響はとたんに機嫌がよくなって鼻歌さえ歌いそうだった。

 もしかしたら生まれてこのかた、組長には会った事はないのだろうとその時は感じていた。
 でも響が嬉しそうにしているのは気は悪くなかったのは事実だった。



 それから数日後。
 響が組長に会う機会が巡ってきた。
 楸が父親に響の事を話すと、父親はそれは嬉しそうに響の訪問を喜んでいたからだ。

 驚いた事に、本当に組長は響に会ったことはなかったのだ。
 会った事があるのは、響の叔父と姉だけで、響には会わせて貰えなかったというのだ。

「なんで親父は、響に会った事がなかったんだ?」
 そんな質問を父親にしていた楸。
 父親は体を起こして呟くように話した。

「借金を肩代わりしているのは、あの姉の方なのだよ。響君には関係ない事だと言われ続けていたから、会う機会がなかったのさ。あれから22年か。長かったな」
 その父親の言葉に楸は首を傾げた。
 22年前、何かの事情で父親が、月時家の借金を丸々肩代わりしていた事になる。

 それも響が生まれた時からの事なのだ。
 それはどんな事情があるのかは解らない。

 だが、それすら父親は口にしようとはしなかった。
 ただ、響に会える事が嬉しくて仕方ない様子だったのである。

「響には本当に会った事がなかったのか……」
 楸は本当に驚いていた。

「お前は偶然に会ったらしいが、これも運命かもしれないな」
 父親は意味深長な言葉を口にした。

 運命?

 そんな言葉を言う父親は不思議だった。
 普段そんな事を言わない父親だったからだ。

「こんにちは」
 そんな所に響が現れた。
 約束していただけに、父親は上機嫌だった。

 月時家と何か関係があるのか、それは楸にも解らなかった。
 だがその事情を知るのはもう少し先の事になる。

「本当にお世話になってます。お加減は?」
「今日はいい方だ」
 父親は、背もたれの為にベッドを起こして響を迎えた。

 その顔は少し驚きがあった。
 それを見逃すことはなかった楸だった。
 父親の嬉しそうな顔は、今でも忘れられないくらいに驚きに満ちていた。

「ますます雅さんに似てきたね」
 父親はそう言っていた。

 雅というのは、響の姉の名前だった。
 響には、3つ年上の姉がいる。その姉は頻繁に父親を見舞いしていた。

 だが、その中で響だけが見舞いに訪れる事はなかったのだという。それがどういう意味なのかは解らなかった。ただ報告で写真など状況報告をしていた可能性はある。

「雅さんは、最近は忙しいのかな?」
 最近は組長の体調が良くないこともあり、雅も面会を控えていたらしい。

「ええ、毎日一生懸命働いてます」
 響は笑って答え、用意された椅子に座った。

 組長は響を眩しそうに見つめていた。懐かしい顔に出会ったという感じの顔だ。そうした組長の顔を楸は初めて見た。
 そこには様々な思いが込められているようで、そして響自身の方に組長がかなり心を砕いているようだった。

「それはいいことだ。借金の事はいずれ、楸に任せようと思う。君たちはよく返済してくれているからね」

 毎月必ず決まった額を収めているから信用されているようだった。姉がそういう所には厳しく、きちんとしてきたから信用されているのであろう。

「ありがとうございます」
 響は深々と頭を下げた。

 そこで、楸は響達家族が借金している額を知る事になった。
 その額、今は数千万円。
 どうすればそんな借金が出来るのか?

 そう思うのは当たり前だった。
 だが、父親は軽く説明してくれただけだった。

「学費だとか、いろいろあるんだ。月時(とき)君達には私も世話になったしな。利子はなしだとしても、姉の雅さんが頑として負債を払うと言って聞かないんだよ。チャラにしてもいいと言っているのにな」

 昔、組長自身が月時家に世話になった事があり、借金の事を請け負ったのは、響の両親が死んでしまった時から始まっている。それは月時響が生まれてからという事になる。

「そんなチャラだなんて、借金したのは俺達だし、返すのは当然です。利子がないだけでも十分なのです」
 響も雅同様そう言い返した。

「そういう所は本当に雅さんと変わらないな」
 苦笑するように組長は言う。

「姉がそう言っていたんですか?」
 そんな言葉を姉が言っていたとは想像は出来るが、まったく同じ事を言ったとは驚きであった。

「その通り。まったく同じ事を言いましたよ」
「そうですか……でも当然の事ですから、当然の事をしているだけです」
 響はそう答えた。

 借金の額が幾らでも、少しづつでも返して行く義務があると思っているからこそ、学費くらいはと自分でバイトしているくらいなのだから当然だと思っていた。

「わしが死んだ後の事は心配しなくていい。全部楸に任せようと思っているからな」
 組長が長くないという事は本人から聞いて知っていた。末期癌で、手の施しようがないという事も全て。

「解りました。その時は楸に任せます」
 

「あんなに小さかった響も、もう22歳になるのか」
 時の長さを感じたのか、組長は目を細めた。

 その間、月時家はちゃんと借金を払ってきていた。
 だから信用されていたのもあるが、何故か組長は月時家によくしてくれていた。

 その理由は響は知らない。
 どういう経緯でそうなったのかさえ知らない。

 それでも組長がよくしてくれていたのは事実だった。

「まだ生まれたばかりで、それからすぐに月時さんも亡くなった。私は月時さんには随分助けられたからなあ」


 昔を懐かしむように組長は語る。
 昔の事は響もよく知らなかった。
 でもその月時さんと呼んでいる響の父親らしい「月時さん」は、実際の名は別であることに響は何となく勘付いていたという。
     



 面会を終えて部屋を出ると、響の緊張は解けたらしい。
 ほっと息を吐いて楸に礼を言った。

「本当にありがとう」
「いや、礼などいらん」

「でも生きているうちに会えて良かった。組長さん、すごくイイ人だったし」
「月時家は一体何をしたんだ?」
 不意に楸がそんな事を言い出した。

 組長がちょうど組長になった時期にあたる辺りで世話になっているのは明らかだった。

「うちの両親が死んで、事故死だったらしいけど、詳しい事は知らないんだ。誰も教えてくれなかったしね。でも宝生組長は何故か俺達によくしてくれて」

「何か事情があるんだろうが、あの親父があんな顔をするとは思わなかった」
 父親が本当に響を見て嬉しそうに、それも優しい顔をしたのには驚いた。

 どんな親しい人に会う時も表情を崩さない父親が、本当に懐かしそうな顔をして誰かを、響ではない、その面影のある人に会えたというふうな感じに喜ぶ姿は意外だったのである。

 何か理由があるのだろうが、それは遥か昔の事。
 でもそれでも恩義があるのだろうとしか想像出来なかった。

「今日はありがとう」
 響は楸に頭を下げて礼を再度言った。