novel

ROLLIN'2-4

 月時清風(とき せいふう)は、響達の母親の弟である。
 響達と同じように二人姉弟で、響と同じように姉に面倒を見て貰って育っている。
 父親を早くに亡くし、母親の死後同じ施設で育ったと清風は語っていた。

 当時の境遇はとても悲惨で、姉が早くから風俗やキャバクラで働いてくれたお陰で清風は大学で医学部に入ることが出来た。医者になれば、姉を楽にしてあげられると信じて、医者になった矢先に、姉は死んだ。

 清風が前宝生組組長の宝生高(こう)を見知ったのは、研修生をしていた病院の救急センターである。
 腹痛に襲われた組長を診断し、ちゃんとした治療が出来たことで、ある意味清風の命も助かった。

 普通の診断では発見出来ないことだった為に、嫌々な専門医を「相手がヤクザの組長だから後で何かあっても知りませんよ」と脅して、ちゃんとした診査を受けさせて、一ヶ月の入院で済む手術をさせ、早期発見したことだが、医者としては当然のことでも、高は恩義を感じて何かあれば頼ってくれと言ってきたのだ。

 いや頼りたくない相手だ。一番関わらずに生きていけるならそうした方がいい相手だ。
 だが、それからほどなくして、清風は泣きながら高を頼らざるを得ない状況に陥った。

「清風、お前、響ちゃん怒るんじゃないぞ。響ちゃんだってもう一人前の男なんだぞ」
 そう口やかましく言うのは、潜りの医者をしながらも、正規の治療も出来る診療所を持つ老年の医者、棚岡(たなおか)だ。ここで清風はアメリカへ行くまで雇って貰っていた。
 紹介は前宝生組長で、この棚岡は組長の友達なのだという。

「その男が、男の囲われて生活してるってのを当然と思う方がおかしいです」
 全うに生きていたらあり得ない展開だ。まったくあの可愛い響がまさか男の恋人を作るなど、いや男の恋人だったら別に誰でもいい。あの宝生やヤクザの囲われ者じゃなければ、どんな関係だって認めた。

 寄りにも寄ってなんでそこへ……。それが正直な気持ちだ。

「お前はアメリカナイズされてないのか。今時普通にある関係だろうが」
 医者をしている棚岡のところにもそういう関係で怪我をした患者が運び込まれてくる。なので世間よりはよっぽどこの関係を普通に捕らえている。

「そりゃ、それっぽいのはいましたよ。けれど俺にはなんの関係もないからどうでもよかったんですって。なんで響、宝生なんかに……寄りにも寄ってヤクザなんだ」

「それこそ、お前に関係ないだろう。響ちゃんが選んだんだから」

「それとこれは同じなんです! 絶対にヤクザなんか駄目です!」
 いきり立った清風を眺め、棚岡は昔を思い出す。

「そういや、お前、ヤクザ大嫌いだったな……ヤクザに借金してるくせに」
「……」
 そう清風はヤクザが大嫌いだ。幼い自分たちを不幸にし、更に姉を不幸にした元凶がヤクザだったからだ。

 だから響だけは真っ当に育てようとしたのに、寄りにも寄ってだ。
 けれど途方にくれた自分たちを親身になって助けてくれたのもヤクザだった。

 一体、どこから歯車が狂ったのだろうか。自分たちの生まれが悪いのか、姉が恋をしたことがいけなかったのか。その恋さえ叶わなかったというのにか。

「とにかく一方的に怒ったところで、響ちゃんが組長のところへ行ってから、もう4年経ってる。説得するだけ無駄だと思うがな」
 棚岡は無駄なことをするのが嫌いだ。納得は出来なくても、本人が納得しているなら自分が干渉すべきではないことをよく理解している。
 そうしている中、響がやってきた。

「あのーこんにちは、響です。伯父来てますか?」
 診療室から丸聞こえする受付から声がする。

「おお、響ちゃん入って入って」
 棚岡はすぐさま笑顔になって、診療室のドアを開けて響を手招きする。

「あ、棚岡さん、お久しぶりです」
「いいから入って、今診療終了の札だしてくるからゆっくりして行ってな」

「えええ、あの、まだお昼ですよ?」
 相変わらず適当な診察時間だ。この医者は好きな時にしか診療所を開けないので、周辺では居るのが分かっている時はチャイムを鳴らし続けるという技で応戦している始末だ。

 開いたドアからゆっくりと一人の青年が入ってくる。
 覗かせた顔は姉にそっくりの顔。でも男性というだけあって鋭さが混ざっていて、実に美青年だった。昔見た響は、もっと幼げでか弱かったなと思っていた印象を破ってくれる男前に育っていた。

 写真で見て分かっていても、印象は姉に似てるな、というばかりであっただけに、実際に目の前に現れた青年になった響を見ると、やはりというある意味舌打ちをしたくなる。
 体つきは若干細いが、どうしてもあの人を思い出していけない。

「伯父さん、お久しぶりです」
 声もいけ好かない。駄目だ。実際に声を聞くと、眩暈がする。
 フラッシュバックのように声が無限に聞こえて、清風は響の声を遮る為に耳を塞いだ。

「伯父さん?」
 変な清風の対応に、響はてっきり開口一番に怒鳴られると思っていたから拍子抜けした。
 目の前にいる伯父は明らかに自分を見て怯えている。
 少しだけ様子を見るように近づかないようにしていると、清風がやっと息を吐いて謝ってきた。

「すまない……こんなことになるような気がしてたが」
「え?」

「お前、顔は母さんそっくりなのにな。やっぱり男の子だから体格は違うようになるよな」
 言い聞かせるように言う清風の言葉に響は首を傾げる。

「あれから何センチ身長伸びた?」
 頭を振って顔を上げた清風はやっと響と向き合うようになって笑って言った。

「えーと、15センチかな。175センチはあると思う」
「ちびだったのに、ちびで可愛かったのに」
 ほとんど身長が変わらないようになった響の頭を撫でて、清風は思いっきりため息を吐いた。

「何嘆いてるんですか……失礼な」
 響は呆れ返って清風を見た。昔は大きな伯父さんだと思っていた人が、今や自分と身長もそれほどかわらないのだから妙な気分だ。

「お前、今、宝生組長と付き合っているんだってな。その辺の事情とやらをとくと説明してもらおうか?」 
 油断していたらいきなりパンチだ。
 響は仕方ないなと思いながら、棚岡に進められた椅子に座って、あまり楸に不利にならないように気をつけながら説明をしていた。

 とはいえ、昔一年くらい連んでいたことや、偶然迷子を拾って届けた先が宝生組やら、話している響でさえ嘘くさいと思ったくらいだ。

「くそ、宝生には近づくなって命令出しておけばよかった……」
 あらかた聞いてしまったところで、清風は唸るようにそう言っていた。

「いや、それに近いこと言われてた。でも会っちゃったものは仕方ない」
 響が割り切って言うと、納得できない清風はまた唸る。

「なんだって、ヤクザなんだよ……伯父さん、ヤクザ嫌いって言ったじゃないか」

「伯父さん、楸は元々ヤクザになるつもりもなかったんだって、でも状況がそれを許してくれなくて仕方なしにだし、それに楸だったから借金の話もスムーズにいったわけだしさ」

 もしこれが楸じゃなくて兄の方へ行っていたとしたら、今のような緩い取り立てで済んでいたかは分からない。もしかしたら理不尽なことを言われていたかもしれないのだ。

 楸は信用に値する。そう響が実感出来たのは、楸が響に惚れたからではなく、彼なりの考えがしっかりとしていることが分かったからだ。先代の意向と変わらずにしてくれただけでも十分だった。

「一緒にいるうちにどんどん好きになった。それだけ。伯父さんに駄目だって言われても、これでも俺の人生だから」
 そう言う響の言葉が姉の言葉を重なる。

『一緒にいるうちにあの人のいいところが分かってきたの。ヤクザだからって偏見駄目ね。上の人ほど結構常識あるのよ』
 姉と同じことを言うな……それで人生駄目になったくせに。
 響まで同じ道を行くというのか?

「それが破滅に向っていたとしてもか?」
 そう問う清風に響は笑って答える。

「俺は戦えるよ。どこまでも一緒に戦える。守って貰うだけじゃない。昔みたいに弱いわけでもない。俺は楸を守るためだったら幾らでも戦えるんだ」
 響には昔から護身術を習わせていた。用心に越したことはない。そういう発想から自ら身を守る術を与えることで、なるべく惨めに終わらないように強くしたかった。

 けれど人間一人では生きていけない。誰かを守ったり守られたりしながら生きていく。

 清風は人と話すだけで満足出来るタイプだが、響はその相手と抱き合ったり守ったり守られたりするような関係がいいのだ。そしてその相手に楸を選んだに過ぎない。

 どんな出会いが何処に落ちてるかなんて所詮人間ごときには分からないものなのだ。その時最善と思ってしたことだって、将来後悔することの方が多い。

 それに今起こっている事件からすれば、響を守る最善の策は、きっと宝生組なのだ。
 もしあの悪魔が現れたとしたら、助けてくれる相手は宝生しかいないだろう。

 でも響はただの一般人ではない。前組長が墓の中まで持って行った秘密は、恐ろしくこの世界を揺るがす。
 雅の存在でさえ、今は危険すぎるというのに、月時家は二人も爆弾を抱えているのだ。
 むしろ、今は雅の方が危ない。

「そういえば、姉さんが、なんで大阪が危なくて、東京に引っ越せって言うのか分からないから聞いてこいって言ってたけど、なんで?」
 ちょうど雅のことを考えていた矢先に響の方から話を振ってくれた。

「雅には俺から話をする。宝生の組長さんにもいずれ話さなければならない事態に陥るかも知れないからな。とりあえず、何でもいいから雅だけでも東京へ避難するように説得してくれ」
 なんでもいいからと言われて、響は雅に連絡を取った。

 伯父さんから何か重要な話があるらしい、それに避難もして欲しいからと付け加えると、雅は仕方ないというように返事をした。
 ちょうど東京にある旦那の実家からも、大阪の事件を心配して、せめて雅と子供だけでも避難させて欲しいという要請が何度もあったのだという。旦那はさすがに仕事があるので無理だが、子供だけでも避難はさせたかったらしい。
 そうした理由が重なって、雅は東京へ来ることになった。

 そうして雅が到着して落ち着くまでの間に、清風は何とかして楸に連絡を取った。
 ヤクザは嫌いだが、ヤクザにしか分からない事情がある。
 楸の方は清風からの連絡を待っていたようで、開口一番に。

「九十九(つくも)の情報を出してくれ」
 と言われた。
 正直驚いたというところだ。

 しかし九十九が今回の事件に絡んでいるとすれば、清風にも出さなければいけない情報がある。
 九十九朱明(つくも しゅめい)という男がどれだけ残虐で、冷酷で、人をいたぶることが出来るのかを知っている。清風は嫌でも記憶の蓋を開けなければならない。
 楸は完全にガードされた会議室で清風を待っていた。
 端正な顔立ちは、ヤクザには見えない。けれど彼の瞳がそれそのものであった。じっと一瞬だけ姿を捕らえた瞳は、清風の人となりを一瞬で見分けるような視線だった。

 その鋭さに清風は身の置き所が不安定になる。もともとヤクザは苦手だ。
 特に組長や会長の名を持つものほど嫌いだ。

 彼らが手を伸ばせば届く範囲にいる自分にも寒気がする。

 清風が日本から逃げ出したのには、この日本のヤクザというものがどうしても肌に合わなかったことにある。けれど一緒に連れて行くはずだった雅や響は、日本の方が好きだと言い、結局付いてきてはくれなかった。

 楸を見ると彼は忙しそうに書類を見たり、電話をしたりしていた。
 清風はほとんどモノが置かれていない部屋で手持ちぶたさに、持ってきたものを握り閉めていた。

 この蓋を開けることは、出来れば生涯したくなった。

 このヤクザの世界に漂う醜悪な世界が清風にはどうしても馴染めない。響は何故あんなに平然としてられるのか。正直自分の甥の神経を疑うくらいだ。

 しかし、この世界から一人逃げ出して、子供達を日本においていった事実は、清風に安堵を与えてはくれない。日本からもたらされた事件は、いつまでも清風を追いかけてくる。

 自分が改名でもして、月時清風という名を捨てない限り、二つの大きな爆弾と自分の人生は切っても切れない。
 あまりに大きな重圧に耐えきれなくなった清風に、アメリカ行を進めたのは、他ならぬ前組長だ。

 前組長は死ぬ間際には、楸と響の間に何があったのかきっと知っていたに違いない。彼だって大きな爆弾を抱えている一人だった。彼の世界ではその爆弾は核爆弾ほどの威力を発揮することは、彼が一番よく知っていたに違いない。

 今思えば、彼が誰にも真実を語らなかったのは、あまりに重い事実を他人と共有することは相手が辛いと考えたからかもしれない。事実を知らない人が多いほど、事実として受け入れられない。その事実の信用性を極端になくすことで、彼は自分の庇護する人間を守ろうとしたのかもしれない。

 この封筒の中身は、ある意味保険だ。
 耐えきれなくなったら投げていいと言われたものだ。
 それを握りしめて清風は覚悟を決めた。