novel

ROLLIN'2-5

「月時さーん、なんかぼーっとしてますね?」
 徳永がポッキーを咥えながら喋っている。あれはおやつに貰ったお菓子だ。

 ここの女子社員はみんなこういうものを持ち込んでいる。徳永あたりはすっかり餌付けされていて、出されたお菓子なら何でも食べる。

「頼むから、その手でその書類触ってくれるなよ……」
 そんな油のついた書類なんてクライアントに出す神経を疑う。

「大丈夫です、ウェットティッシュで拭いてますよ」

「そのウェットティッシュの液塗れの書類、提出するなよ……」
「え、なんでですか?」

「印字された文字が、提出する前はなんともなかったのに、提出した後に滲んでしまった件があってだな……」
「で、どうなったんですか?」

「もちろん、クライアントを怒らせて、一件仕事を駄目にした。ウェットティッシュごときで数百万の仕事がチャラだ」
 とくとくと昔あった本当の事件を話してやると、徳永はウェットティッシュで拭いた後、ハンカチを取りだして念入りに手を拭いて乾かしている。

「大体、モノ食べながらやること自体間違ってることに気付けよ」
 書類を捲った後、響はしきりに携帯を気にしていた。

 今日の帰りに伯父のところに寄る予定を思いついて、そのメールを伯父に送ったのだがまだ返信が来ないのだ。
 忙しいのか、何かあって電源でも切っているのか。返事は電話一回で済むことだ。

 姉から届いた荷物の中に、伯父への贈り物が含まれていた。それを届けるだけの話だ。
 ふっと息を吐いて、姉が伯父に送るという封筒を見る。

 随分と汚れた封筒だ。しかも封がしてない。不用心過ぎだ。
 気になったので中身を見たが、中はDVDだ。

 たぶん、子供か家族を撮ったものを伯父に見せようとしたのだろう。それが間違って響の荷物に入っていたのだ。
 だが、どうしたら間違えるのか分からない。

 あと、もう一つビデオテープが入っていた。あいにくこっちはこの封筒から落ちたものなのか、自分用だったのか分からない。確認しようにも家にはビデオデッキはないし、ビデオ自体もない。そもそもDVDで送るような雅がビデオテープを持っていることが不思議だった。今やビデオカメラもDVD仕様になっているというのにだ。
 仕方ないので会社の備品を借りて中を確認しようと思って持ってきたものだ。

「徳永、ビデオって会議室にあったっけ?」
「んー? 家庭用ですか? ビデオの種類にもよりますけど」

「ビデオカメラで撮ったやつ」
「だったら、備品のところでビデオカメラ借りて再生すればいいんじゃないですか? どっちにしろビデオカメラ必要ですよ、テレビに繋ぐにしても」

「ああ、なるほど……」
 確か会議の時にも撮ってきた映像流すのにビデオカメラの方で操作していたと思い出したのだ。

「月時さん、こっち方面弱いですよねー。ビデオの配線も出来ないタイプですか?」
「まったくさっぱり分からん」
 きっぱり言い放つ響に徳永が呆れた顔をしている。

「今までどうしてたんですか?」
「元々ビデオは持ってない。DVDなら前面にある色のあれでなんとか繋げたくらいだ」

「録画なんてとんでもないタイプでもあるんですね……」
「録画したところで見る時間がない。無駄だ無駄」
 やはりきっぱり言う響に徳永が哀れみの目を向ける。

 大学時代は勉強や論文で忙しかったし、夜はバイトに明け暮れ、ほとんど家にすらあまり居なかった方だ。見れないものを撮ってまで見ようという根性はなく、DVDが出たら見るくらいだ。

 そのDVD本体すらも景品で当たったというお客さんから譲り受けた安物で、自分で買うとなったら絶対に買わなかっただろう。
 よってDVDの録画が出来るタイプなどは何がいいのかさっぱり分からない。

 楸がオーディオには詳しいしこだわっているが、響は見れればいいやというタイプだった為に、未だに録画は触ったことすらない。耀の方がもっと器用にこなす始末だ。

「月時さーん、ビデオカメラの使い方教えましょうか?」
 徳永がニヤニヤしながら言うので、響は真面目に返した。

「いい、備品の管理の人に聞く」
 響はそう言って、ビデオテープを背広のポケットに入れると、同じ階の端にある備品管理室に向った。備品管理は、企画の段階で会場の様子を撮影したり、寸法を測ったりする機材がおいている部署だ。普段はあまり人が来ない場所なので、管理人は一人で暇そうにしている。

「こんにちはー。すみませんがビデオカメラ貸してください」
 響が顔を覗かせると、管理人がおおっと手を振った。

「DVDの方じゃなくて? ビデオの方?」
「はい。それと再生仕方も教えてください」
 真面目に問う響に管理人は笑いながらも、ここ押せばいいだけで、普通のカセットデッキと同じだと説明した。それほど難しい操作は必要ないのだ。

 それを借りた上にイヤホンも借りて、響は空いている会議室に入った。
 この時間は会議に使う人はいない。滅多なことで人はこない。

 管理人に教わった通りにカセットを入れて再生を押す。数秒ほど空白があり、映像が入ってくる。

 暗い部屋だ。かちゃかちゃと音がする。画質が悪いらしく、最初の方は何がなんだか分からない状態だ。それをクリアして映像の劣化がないところまで来ると、そこで何が行われているのか響にもはっきりと理解出来た。

「……なに、これ……」
 嫌に雅に似ている女性。だが違うと分かるのは、映像が古すぎるからだ。
 端にタイマーがついていて日付も入っている。30年前。
 そこまでは頭で考えられたが、それ以上は無理だ。
 男が何か叫んでいる。狂ったようにカメラを見ている人を嘲っている。

「なに、これ……」

 どうしてこんなものが姉の荷物から出てくるのだ?
 一体どうしてこんなものを姉が持っているのだ?
 どうして俺にこんなものを送ってきた?
 伯父に送ろうとした? 
 意味が分からない。
 どうしよう、意味が分からない。

 ビデオを無意識で止めていた。中に入っているテープを出してケースに入れ、ちゃんとポケットにしまってから響は改めて震えだした。
 カタカタと音が鳴るほど震えて、慌てて携帯を取り出そうしてポケットに入っていないことに気付いた。

 ああ、机においたままだった……肌身離さず持てっていわれてた、取りに戻らないと。ああ、その前にビデオカメラ備品室に返さなきゃ……。
 戻らなきゃいけないのに、体が動いてくれない。
 頭が混乱して余計に響は動き出すことが出来ないでいた。

 そこに誰かが部屋に入ってきた。

「すみませーん、ここ使ってますか?」
 その声に弾かれるように響は立ち上がった。

「あ、そ、掃除ですか?」
 振り返ったところ、そこに居たのは清掃員だった。どうやら使っていない場所を掃除にきたらしい。

「掃除に来てます。あの、大丈夫ですか、なんか顔色が凄く悪いようですけど」
 清掃員が心配そうに言って近づいてくる。目の前に立った清掃員は随分と大きな人だ。この間、小銭を拾ってくれた人だなと頭では分かっていたが、動くことが出来なかった。

「大変だ、とても顔色が悪い」
 そうして差し出された手に一瞬で響の体が凍り付いた。

 同じ指輪をしている……。
 ビデオにいた男と同じ指輪をしている……。

 その指輪をした手が首に触れた瞬間、チクリと何かが首に刺さって一瞬で我に返った。

「え、や、何?」
 反射的に一歩下がったのだが、清掃員はすぐに間合いを詰めてきて、腕を握られた。その手がまた指輪をしていた方だったので腕にも何かが刺さった。

「い、痛い! は、離せ!」
 思いっきり腕を振り上げて、男の顔に拳を入れようとするもしっかりガードされた。
 息を呑んで捕まれた腕に体重をかけて両足で清掃員の腹を蹴った。

「……うっ!」
 腹に食らうとは思わなかったのだろう、一瞬緩んだ手から響は逃れたはずだった。
 だがぐらりと視界が揺らいだ。
 ぐにゃぐにゃとした会議室が目に入る。逃げようとしているのに、足が縺れて動いてくれない。

 なんで動かないんだ?

 考えているのに、考えが飛んでいく。
 崩れそうになった体を誰かが受け止めたらしく、倒れたはずなのに何処も痛くない。

「ああ、本当に具合が悪そうだ……ああ、本当に」
 何度も繰り返す声は笑っているようだ。

 何がそんなにおかしいのだ。一体何をしたんだ。
 あんたは一体誰?

 いろんな事が頭を過ぎるも、瞬時に去っていく。
 真っ白いものが頭の中を支配していく。

 嫌だ、考えたいのに。
 頭を振って抵抗すると、声が振ってきた。

「ああ、可哀想に。そんなに似た姿で生まれてくるからいけないんだ」

 何が可哀想なんだ?
 何が似た姿なんだ?
 一体誰に似てるというんだ?

 思考が閉じていく。何も考えられない真っ白な白。
 完全に力が抜けてしまうと、清掃員は満足そうに響を抱きしめた。

「やっと帰ってきたな……さあ行こうか、お祭りには花火がつきものだ」

 完全に眠ってしまった響を持ってきた清掃道具入れの中に隠し、上にダミーの清掃道具を乗せて部屋を出る。会社の中は人で溢れているが、誰も清掃員のことは気にしない。というより、いて当たり前の存在としてその辺にある販売機と同列に見ているので誰も顔を覚えていない。

 唯一話しかけてきたのは、響だけだった。
 彼だけは楽しそうに話を聞いてきた。
 その顔を思い出して楽しくなってくる。彼が次に目が覚めた時、絶対に驚くようなことになっているだろうから。

「世界はお祭り騒ぎで大変だ」
 エレベーターで一階に下りながらメールを送信する。
 これでいくらかの時間は稼げるはずだ。
 裏口から専用の鍵を使って出て、車に荷物を入れる。社外に出て車を走らせ、近くのホテルの地下駐車場に入る。

「ご機嫌ですね。まったく物騒な」
 車で法月(のりつき)がつまらなそうに男を待っていた。
 鼻歌でも歌いそうな笑顔にぞっとするのが本音だ。彼がそうした顔をしている時はろくなことを考えていない。

「ああ、本当に手に入れてきたんですか、意外に時間かかりませんでしたね」
 道具入れの中から抱き上げられた青年を見て、法月は更につまらなそうにする。

「下準備に二年。仕込みに三ヶ月ですからねまったく。後は仕上げですかね。頼みますから、都心を離れたところでやってくださいよ。渋滞はまっぴらですよ」
 青年を大事そうに後部座席に運んで、男も乗り込む。膝の上に頭を乗せてそれを撫でながら男は物騒に笑った。

「分かったからさっさと車を出せ、ここにはもう用はない」
「はいはい」
 法月が車を出し、地下から出て車道へと合流した後、男は一通のメールを自宅に出した。

「自宅破棄ですか。よくやりますね」
「もともと住んでもいない屋敷だ。いっそのことマル暴も公安諸君も一緒に飛んでくれればありがたいがな」
 公安の目が邪魔で、わざわざ派手に建てた家だ。未練なんか何処にもない。
 あそこには男の髪の毛一本すら入り込んでいないのだから、公安も事実を知ったら唖然とするだろう。

「身代わり君が優雅な生活をしていたんですがね」
「もう一生分の夢は見ただろう。後は天国で楽しくやればいいさ」
「天国じゃなく地獄行きだと思いますけどね」

 皮肉る法月を笑い、膝にある重みに意識を向ける。眠っている時は、あの強そうな鋭い目は見えないのが残念だ。身体検査をするのが面倒で、元々男が着ていた清掃員の余りの服に車の中で着替えさせた。

 気になって背広の襟の裏を調べると、発信器が付いていた。盗聴はされてはいなかった。とはいえ、盗聴されていたとしてもマズイことは一言も喋ってはいないから調べられるのは、自分の身代わりに派遣登録した人間だけだ。もっともその人間は今頃どこかの海に浮いているだろうし、問題はどこにもないだろう。

 だがあそこのホテルまでは確実に突き止められるだろう。まだ包囲もされていなかったのは、普段は表にいた監視と携帯の所持くらいしか安全対策はしてなかったらしい。
 周辺をくまなく調べてみたが、それほど監視体制は整っていないようだ。何故だ? 自分の飼っているものくらいもっと十分に監視する必要があるのにと不思議になるも、これはこっちの作法かと思い直す。

 案外あのビデオはこの青年にとって痛手だったらしい。
 あれほど放心して無防備になられるとは思わなかったので、結構本気で驚いた。

 だが、響が我に返った時に食らわされた腹の蹴りは十分痛かった。用心していたのに、あれだけ弱らせたのに噛みつかれて興奮した。

 あんなビデオで怯えるのは、あれに映っている本人か、あれの弟くらいだと思っていた。案外、宝生組の組長などはなんの感想もなく見てくれそうで気が合いそうだ。
 もっとも同じものの考え方をする男のようで、興味は少しそそられる。間近で花火が上がった瞬間の表情も見てみたい一人である。

 冬賀に至っては、正直、ぽかんとした顔しかしてくれなかったからつまらなかった。あれに刃向かう気概もないとは思いもしなかった。だから第二弾はゆっくり行動できる。火威(ひおどし)は内部から腐っていくのだ。これはこれで見物だ。

 東京の宝生への花火は、少し面白そうだと思った。調べてみたら組長が面白そうだったから、その後宝生の方がどうするか見てみたくなった。その後の騒動も面白そうである。

 宝生は内部から食われているのだから。

 宝生と火威の全面戦争なんて面白そうだ。鉄砲玉が沢山出てくれればもっと面白い。どっちが勝つのか興味はある。もっとも火付け役はそこには存在すらしないのだが。

 面白そうなので大画面のスクリーンで実況なんかしてくれると有り難い。
 面白そうなついでに、九州のあれもあげておくか。
 内容なしのメールを送信。今頃九州でも花火が上がって盛上がるだろう。

「テレビをつけてくれ」
「はいはい、今度は九州辺りですか? 頼みますから間違えて東京だったなんて言わないでくださいよ」
 法月はカーナビをテレビに変えてやって音をあげる。

「東京用の携帯は別購入だ、問題ない」
「一体幾つ携帯持ってるんですか、無駄使いですよ」

「お前の給料から天引きしてるわけじゃないから気にするな。ちなみにお前の携帯代は俺持ちだ」
「はいはい、やっと都心を抜けましたよ。お好きなようにどうぞ。あ、九州の方の速報入りましたね。ちなみにどれくらいの規模ですか?」

「全部だ。面倒だったんで一斉送信した」
 新しい携帯を出して、そこからも空メールを一斉送信する。東京は派手にやろうと思っていたので、同時にこれだけの規模なら当分テレビも楽しそうだ。

「あらら、大川の旦那や細川の旦那もやっちゃったんですか?」
「大差ない。家にいなきゃ生きてるだろう」

「隠居して盆栽育てるのが趣味の人になんということを」
 法月は別段気の毒そうではない声で暢気返す。

「ヤクザ嫌いなら、喜んで報道するだろうよ。さっそく掲示板のスレッド立ってるぞ」

「予告殺人して捕まるような書き込みはやめてくださいね。捕まって自称暴力団組員50歳とか恥ずかしいですから」

「俺がやらなくても誰か書くだろうし、むしろ俺は通報したと書く方だ。スレッド勢い早いな三個目に突入だ。サーバ落ちるんじゃないかな」

「ちなみに大阪の時はどれくらいいったんですか?」

「ニュースだけで100軽くいったな。緊急放送の実況は飛んだぞ。目指すはWBCのイチローのヒットの時くらい全板を飛ばすことだ」

「まさかと思いますが、九州飛ばしたの、それ目的だったりします?」
 その問いに男は答えなかった。ニヤリとして携帯を操作しているだけだ。法月もそれ以上ツッコムことはやめて目的地まで運転した。

 ほとんどどうでもいい会話をしていたのは、あまりに話すことがないからだ。
 そうしているうちに目的地の出発点に到着した。