novel

ROLLIN'2-8

 九十九朱明(つくも しゅめい)が神宮領黎真(しんぐり れいしん)に出会ったのは、ちょうど18の時だ。

 高校をなんとか卒業した九十九は、真っ当な生活を送ろうとしても、もはや手遅れの時期のことだ。
 ヤクザの下っ端どもの手下になりながら、風俗店の呼び込みの仕事をしていた。とにかく金が入ればそれで良かったし、ヤクザの下っ端の仕事はほとんど喧嘩三昧、旨みがあったのは喧嘩の方だ。

 九十九は子供の頃から厳格だった父親に、様々な武術を慣わされていた。九十九家は地方の資産家で、子供の頃は九十九もなんの疑問もなく受け入れていた。しかし、その武術で人を傷つけることに喜びを感じたのが、中学校に入ってからだ。不良と呼ばれる者達に資産家だから金を持っているだろうと脅された。始めは逃げるように断っていたが、最後には相手が持っていた木刀で不良を病院送りにするほど殴りつけていた。

 始めは正当防衛で認められたが、その日を境に九十九は不良たちにわざと喧嘩を売っては病院送りにして喜ぶようになってしまったのだ。人を屈服させるのに地位や名誉はいらない。力さえ持っていればそれが可能だと思いこんでしまったからだ。厳格な父親は不甲斐ない息子を最初のうちは叱っていたが、まったく聞く耳を持たない彼に愛想を尽かし、次第に関心を向けなくなった。ちょうどその時期に弟が生まれたのをきっかけに九十九は祖父の家に預けられた。

 祖父は元々九十九のことを嫌っていた為、九十九は家に居着くことなく、知り合いの家に転がりこんでは学校も出席日数ぎりぎりの登校しかしていなかった。

 高校時代の九十九は、とにかく喧嘩三昧だった。一応不良同士にある縄張り争いも関係なしに乗り込んでいっては一人勝ちして、その地域では九十九を見かけたらとにかく逃げろと言われるまでになった。

 腕だけは滅法強い上に、計算高くて、ずる賢い。手に負える相手はいなくなり、ヤクザからも気に入られるようになる。

 ヤクザの事務所に出入りするようになるも、一所に居座ったことはなく、自由奔放な性格故に、ヤクザの幹部も扱いに困っていた。九十九には金を与えても無駄、女を与えても無駄、力で脅そうとしても九十九が負けたり、従ったりすることはなかったからだ。

 学校を卒業しても片足はヤクザ家業なのに、自由奔放な彼に興味を示したのは、当時の関西では有名な神宮領(しんぐり)組の黎真(れいしん)だった。神宮領は九十九に声をかけるも彼を縛ったり、屈服させるつもりは一切ないような態度で、九十九の宿を提供したりしていた。

 神宮領は非常に男気溢れる人間で、人情に熱い人でもあった。気に入った人間はとにかく優遇していく性格だったから、神宮領の気まぐれとして周りは九十九に接していた。

 九十九が何を思ったのかは誰も知らないが、彼が十九歳の時、組を一つ作りたいと言った時も神宮領はその手配をしてやっている。組とはこういう風に制御して、収入を得るのだと習ったのもこの時期だ。

 九十九はその時期には、神宮領を神のように慕っていたという。
 九十九には兄であり父であり、尊敬するヤクザの頭でもあった。
 だが同時に神宮領のようになりたくても絶対になれない自分に絶望もしていた。
 せめて右腕にでもなれないか? と九十九は考えた。そう思った時から九十九の行動は酷かった。

 神宮領(しんぐり)に仇をなす相手の組をいろんな手を使って壊滅状態に追い込んでいった。裏でどんな手を使っているのかは誰も分からなかったが、人脈や金はとにかく持っていた。その全てを使って彼は関西中を恐怖のどん底に突き落としていく。
 もはや誰にも制御は出来ない状態になった九十九は、とうとう神宮領の一番の宿敵だった組を解散させることなく、全滅へと追い込んでしまう。その現場はまさに血の海のようだったという。

 助けを求めた組の残党を神宮領が引き受け、神宮領は九十九にこれ以上無駄な血を流すなと警告を出している。九十九はまだ十九だった。組を立ててまだ一年と経ってなかった。

 神宮領は力で押すのではなく、相手の組と友好関係を作り、自分のテリトリー内で行動することを好む性格であったし、関東のヤクザとも親しい間柄だったのもあり、関西では聞き役、仲裁役の役割を持つ立場だった。

 基本的に九十九の組は神宮領が屋台を建ててやったが、神宮領組の一部ではなかったし、神宮領は九十九のことは気に入っていたが、彼の凶暴な部分をどうしても容認出来なかった。

 やがて神宮領と九十九の間に何か亀裂が入った。神宮領が九十九を相手にしなくなったのだ。
 神宮領に取り次いで貰えなくなった九十九は、暫くは大人しくしていた。
 その期間、神宮領は自分の身辺を綺麗にし、婚約者を作ったりしている。

 神宮領に結婚の話が出てきたのが多分決定的な出来事だっただろうと当時の人は思っている。九十九はそれを阻止するように、当時まだ関西では有名ではなかった火威(ひおどし)組との接触を図っている。

 そして1年かけて彼は神宮領(しんぐり)の身辺を洗い出し、とうとう神宮領を滅ぼす結果になる。

 それが数ヶ月間、関西ヤクザを恐怖に陥れた、神宮領事件だった。
 九十九はまだ二十二歳だった。

 神宮領の屋敷に、火威組の下の組織が押し入り、神宮領の屋敷中を血の海にした。
 先頭にいたのは、九十九だったと言われているが、警察が調べた時には九十九にはアリバイがあり、彼が当時関西にいなかったことが証明されている。事情を知っている者は誰も九十九の名を出すことはなかった。警察に一度は捕まった九十九だが、ルミノール反応は一切出ずに釈放されている。

 襲われた神宮領は刀傷を負っていたし、彼の部屋は天井にまで血が付いているほどの有様だったから、九十九がそれに関わっていたとしたら、翌日捕まった彼を調べればすぐに分かることだったのだが、それでも白だった。

 その後、九十九の名を出したものがどんどん狩り出され、関西ヤクザはみんな口を瞑った。
 事件そのものは、ほんの二ヶ月ほどだったが、その後事件は飛び火し、全国に及んだ。

 もっぱら神宮領と親しくしていた宝生組関係が襲われていて、宝生組は何か九十九の秘密でも握っているのではないかと噂になったが、事件は一年くらいで収束した。
 その関係であろうと言われている未解決事件がある。

 九十九一族惨殺事件だ。九十九朱明(つくも しゅめい)の血縁一族が皆殺しにされた事件である。警察の見解では、神宮領事件の関係者の恨みによる犯行ではないかということで落ち着き、事件はその後迷宮入りしている。

 荒れた関西を制したのは、事件の発端になった火威(ひおどし)組で、火威会と名を改めて、関西を仕切るようになる。その火威会の幹部に九十九の名があったのは有名だ。
 九十九は組を部下の幹部に譲り名が代わり、事実上引退。大阪に大きな屋敷を建設し移り住んでからは派手な行動に出ることは一切なかった。

 九十九朱明(つくも しゅめい)の名はヤクザ界ではある意味禁句とされている。
 彼の名を囁くだけで、彼の呪いがかかるという迷信があったからだ。
 それから約30年、九十九は表舞台から去っている。

 九十九は今でも最重要危険人物として認識されている。
 警察はもちろん、公安に至っては、30年も彼の周りを捜査しており、何かきっかけがあれば早く捕らえたいのを我慢して状態だ。

 その30年の我慢の末に、目の前で九十九が死亡した事実に、誰もが呆気にとられただろう。
 警察では、一度九十九を捕まえた時に取っていた指紋と、自宅で死んでいた九十九の亡骸の指紋とが一致したことを公表した。
 
「発表したんですけど、凄く怪しい金の動きがありまして」
 上機嫌なのは九十九を調べていた槙だ。

「九十九が死亡する約一ヶ月前に、分散していた九十九の口座からほとんどの金が引き出されて居るんですよ」

「で、振込先は?」
「不明です。口座から口座ではなく、現金で下ろした後、どこかに運んだようですね。ですが、合計してたった数千万です。裏でこれだけ画策していた九十九の全財産にしては、すごく少ないんですよね」
 槙はそう言って嬉しそうにしている。
 どうして分からないのに嬉しいそうにしているのか、全員分からないだろう。

「槙、はっきり言え。周りは何にも分かってないぞ」
 楸は分かっているのであえて聞かないが、周りの幹部が説明を求めている。

「ああ、なるほど。九十九には別口座があるということです。組長の九十九に関する分析から、九十九の口座を突き止める作業をしていたんですが、その流れで九十九って本当に死んだのかという疑問を考えたわけです」

「えーと、槙、本当に分からないんだが。何故、九十九が死んでないと予想するんだ? 警察に指紋が残っているんだろう? 指紋の細工はさすがの九十九でも無理じゃないか?」
 幹部を代表した一人がそう質問する。

 30年も前の証拠をすり替えるには、紙の劣化や汚れまで再現しなければならない。それに公安にも資料は残っているので、警察の資料をすり替えることは出来ても、公安の資料まで手が回るだろうか?

「そこからなんですが。九十九はずる賢くて、計画的だった。それは誰もが認めるものである事実は私も認めます。しかし、そこまで言われる人物が、不用意に警察に指紋なんて証拠を残すなんてあり得るんでしょうか?」

「は?」
「確かにそうなんだが、当時は参考人程度だったんだろ? 指紋まで採られる予想はしてなかったんじゃ?」
 全員がそう言うが楸は無表情で暇そうだ。槙の話を聞いていて楸には結果がもう分かっているのだ。

「指紋を取られることまで予想していたとしたら? 結果は違いませんか?」
「いや、そこまで予想してたとして、結果は変わらないんでは?」
 槙の言いたいことが分からずに首を傾げる幹部達だ。

「いえ、変わるんですよ。指紋を採られた人物が、九十九朱明ではなかった可能性が高くなるわけです。今や30年前に取ったたった一個の九十九の指紋だけが彼が死んだという証なわけですから」

「は? それじゃ、神宮領事件の時に警察の取り調べを受けた人物が、九十九ではなく、九十九の身代わりだったってことか?」
 そう言った幹部本人が自分の考えにハッとして驚く。

「まさか……30年も前から九十九はとっくに影武者を用意していたと?」

「ちょっと待ってください! 組長は最初からこの爆破事件の首謀者を九十九だと決めつけているようですが、どうしてですか?」
 一人が事情が飲み込めずに聞いてきた。
 確かに最初からこの事件の犯人を九十九に絞っている理由はなんなのか気になるところだ。

「それに、響さんを誘拐したのも九十九だと思っているようですが、本当にそうなんですか? だったとしたら、一体、響さんと九十九を繋ぐものは何なんですか? 正直申し上げますが、響さんの存在で組長の気持ちを揺るがすのが相手の目的だとしても、宝生組の組長として動かすことは不可能だと思うんです。もし誘拐したのが九十九だったとしたら、そこは分かっているかと……」

 そこまで言って幹部は黙った。
 楸が厳しい顔をしていたからだ。

 しかし、さっきまで響のことを周りが心配しても組長自身がふざけていた。妙な余裕があったし、組長としての仕事もまったく支障なく行っていた。

「この一連の事件の犯人を九十九だと言い切るのには訳がある」
 楸は仕方ないかと正直に言い始める。

「先代から引き継いだ情報の中に、特別としてとってあるものが幾つかある。その中でもっとも先代が最重要機密としてとっておいたのが、九十九朱明に関しての情報だ」
「それは……一体?」

「九十九の経歴についてはわざわざ説明することはないだろうから説明をしないが、神宮領(しんぐり)事件を起こすより前に、九十九には補導歴がある。暴行障害事件を何件か起こしていている。その九十九の指紋と調書が流れて先代のところに入ってきたのが、神宮領事件後だ。その指紋と死んだとされる九十九の指紋が合わない事は先代が確認している。つまり、少年時代の九十九の指紋と神宮領事件の九十九として一度捕まった人間は別人だということだ」

「しかし、公安が調べていたなら、補導歴のことは分かっていたのでは?」

「そこで、九十九の実家が関係してくる。九十九の補導は立件されずにすんでいる。警察内部に知り合いでもいたんだろう。そこで情報が止まっていて、補導歴は全部撤回されているので当然その場で指紋も破棄されているはずだった。だが、使えると思った誰かが九十九の調書を取っておいた。それを先代が買い取ったわけだ。売った相手もあんな事件を起こして、関係者が怪死しているような状況では、そんな証拠はもっていたくなかったんだろう。まあ、その後行方不明になったらしいがな」

「先代はそれをどうしようと思ったんですかね? 警察に提出すれば、死んだ九十九が本物ではないとはっきりしたわけですよね?」
 二連木(にれぎ)が首を傾げてそう言う。まさにその通りだ。

「その辺は先代の面子だろうな。一つでも多く九十九の確実な証拠を残して、今後の危機に役立てようとしていたんだろう。警察に提出も考えただろうが、当の九十九が身代わり置いて雲隠れだ。隠れた九十九が整形をしている可能性も出てきた。警察や公安はすっかり偽物の九十九に張り付いている始末だ。もしかしたら内部に九十九の手が入っていたかもしれない。そう考えたら迂闊に警察には提出も出来ない。だったら警察には提出せずに暫く様子をみようとしたんだろう。そうして先代が死ぬまで九十九は表舞台にはとうとう現れなかった」
 そこまで話したところで、他の幹部は納得していた。
 しかし一人だけ響のことを気にしている、高畠(たかはた)組長が楸に聞き返す。

「組長、それで周りは誤魔化されたと思いますが、私は違いますよ。肝心なことに答えてないです。月時響は一体それにどう絡んでいるんですか? そもそも月時響やその家族のことに先代もあなたも入れ込みすぎだと思うんです。そこには一体何があるんですか? 九十九が絡む何があるんですか?」
 その言葉に周りもハッとする。

 この事件を解決するには九十九のことをよく知らなければならない。だが、更にそこに絡んでくる月時響の存在は見過ごせないことだ。

 今では組長のパートナーとして事情があるから周りも納得しているが、九十九に関係するなら、月時響自体が組にとってマズイ存在になる。組長が入れあげているのは知っているし、一部の組員は慕ってもいる。ここで響を見捨てるとなると、まず組長がこの案から離脱する。かろうじて組長が離脱しなかったとしても一部の組員がそれについていけなくて組内が分断されてしまうことだってある。

 組長が月時響をどう扱うのかは、この件に関しては重要な部分だ。
 誤魔化しているところを見ると、絶対に九十九に繋がる何かがあると確信できる。

「先代が庇って隠すようにしていた訳や、九十九も重要視していた事実。先代が杯を交わしていた神宮領(しんぐり)家。神宮領を破滅に追いやるほど執着していた九十九という存在。約30年近くも動かなかった九十九が突然動いた理由と月時響の誘拐、そしてあなたが今誤魔化そうとしたことから推論させて貰います。月時響は神宮領黎真(れいしん)の隠し子なんですか?」
 高畠組長がそう言い切ると、周りが騒然となった。

 神宮領には子供はない。黎真は結婚を前に死んでいる。神宮領と名のつくものは誰も生き残っていない。
 神宮領の子供となると、関西が黙っていない。現在でも神宮領の名は大きなもので、相続関係でも別の組関係者が保持しており、神宮領の遠縁でも現れたら返すという意気込みで待っているくらいだ。

 火威(ひおどし)が関西のトップになってから、関西では神宮領の有り難みというのを実感したのか、担ぎ出せる誰かが出れば打倒火威という勢いでいる。しかも今は火威の勢いが爆破騒ぎで落ちており、響の存在を出されると、関西系とマズイ関係になるのは目に見えている。
 なにより、その事実を知りながら隠していたこと自体が、今まで関係していた関西系の願いを裏切っていたことになるのだ。

 まだ、雅の方が騙せる。九十九がDNA検査にでも鑑定を出さなければ、証拠はどこにもない。
 そういう意味で、楸は雅の方は大丈夫だと思っていた。
 しかし、響の場合、そのDNA検査をされたら終わりだ。決定的な証拠を出されたら誤魔化せない。神宮領のDNAは現在でも厳重に保管されて残っているからだ。

「その事実を出したところで、宝生組は関西のヤクザ界からつるし上げにされるわけだが、それでもいいのか?」
 あえて否定はしなかった。もし事実が分かったとしても楸には先代とは違うやり方がある。響を絶対に手放せない今、別の切り口から黙らせることだって出来る。

「神宮領の子供であるという事実が、今の宝生にとって重要か?」
「しかし、本物の九十九がそれを外部に漏らす可能性もあるわけです」

「いや、それは絶対にない。九十九が欲しいのは関西ヤクザのトップになる器を持つ人間じゃないからだ。下手に追っ手がかかるような真似をするわけがない。それに九十九が響を重要視しているのは、神宮領に似ているというだけで十分。証明の必要はないんだ」
 それを受けて槙が呟く。

「確かに響さんが似ているだけで、過去の出来事を勝手に辻褄あわせをして、勝手に思いこんで勝手に攫っていっただけですね。そもそも証明のしようがないです」
 槙は楸が知っている事実を知っている。証明のしようはある。関西の神宮領の関係者に問い合わせれば証明出来る情報は得られる。だが、それをされて困るのは宝生なのだ。

「うちは先代の付き合いで、関西系の組とも付き合いがある。下手な情報を出されて突き回されるのは非常に痛手だ。しかも今うちは非常に混乱している、こんな時にそんな情報を回されては、手の打ちようがない。やるなら九十九を片付けた後だ。それでも今証明して見せるか?」

 楸が宝生組の現在の状況を上げると、全員が黙った。先代時代からなるべく他の組とも会話するように対応してきた。情報は命だ。現在でも関西系と繋がって大阪の情報を貰っている。

 そんなところに神宮領の隠し子が宝生に囲われて育っていた、なんて投げ入れようものなら、それこそ取り合いの戦争に勃発する。それくらい血縁を重要視する組織も多いのだ。

 中でも神宮領(しんぐり)の家系はサラブレットといわれるくらい、ヤクザ界にとっても重要な存在だ。
 だから事実関係を知りたかったし、組長に意見した。
 そうであったとしたら、楸には組長としての仕事を真っ当して、関西に響を引き渡して欲しかったのだ。そんな争いの種は宝生だけで抱えられるものではないからだ。

 しかし、今それを漏らされては困るのも現状だ。知らなかったとはいえ、それを寄りにも寄って九十九にまんまと奪われたと知られれば、宝生の名にも関わる問題だ。
 すると今まで黙っていた宝生組の最高顧問の久山組長が口を開いた。

「確かにもしそれが事実だとしたらそれは大きな爆弾だ。しかし、関西の神宮領の遺品を管理している人物はたった一人だ。その人物は先代の時代から付き合いのある人物」
「確かにそうですが……」

「そもそも今更神宮領を担ぎ出す理由はたった一つだろう? 火威が邪魔、これのみだ。サラブレッドだの血筋だのきれい事を言っているのも、所詮外部の組関係だけ。そこまで重要視する意味が分からん。今更神宮領の屋台を建てたところで、誰が納得すると思う? どう考えたって道理が通るわけない。それに月時響にお前は神宮領の血筋だから今から神宮領の組をもり立ててくれとでもいうのか? もし月時響がその気になって神宮領として仕切ったとしよう。だが、そのうち月時響を扱いきれなくなって偽物だなんだ言い出して、殺すに決まっている。神宮領の遺品は実は偽物でしたなんて理由でな」

「しかし、それは向こうの勝手であって、うちは……」

「重要性はそこじゃない。うちが神宮領の血筋の偽物を送り込んできたという理由で全面戦争なんて事態になりかねないと言っているんだ。神宮領の遺品を持っている人間は、宝生とも繋がりがあるんだぞ? 十分偽装したという理由が出来るじゃないか」

 事実を認めて関西に渡す渡さないの問題ではない。
 本当に今更なのだ。当時の組長同士がどんな会話をしたかは知らない。そこでどんな取り決めをしたのかも知らない。思いつく理由は、ただ友人であった神宮領の子供を生かしてあげたかっただけなのかもしれない。もし生まれた時にその事実を広めていたら、響は今生きてはいなかっただろう。神宮領の親類まで根絶やしにした九十九が見逃すはずはない。

 同じ年に生まれた楸がいた先代が何を思ったかは、今なら理解出来る。
 せっかく見つからずに済んでいるのだから、隠して育ててやるしか方法はなかったのだ。

「この事実を告げるのも黙っているのも同じだということだ。だったら無かったことにした方がどっちにも都合がいい。うちとしての対応はそれこそ簡単だ。身内を誘拐されたから取り返す、それのみだ」
 久山組長はそう言い切ってしまった。
 楸は苦笑した。楸もこの事実はなかったことにしてしまいたい。
 自分が必要としているのは、月時響であって、神宮領の血を持つ者ではない。九十九とはそこが決定的に違うのだ。

「組長、一度確認しておきたいのですが。この事実をいつお知りになりました?」
 一応久山組長が確認する。

「昨日だ。あれの伯父がそう言っただけで、本当にそうなのかは確認もしていない。先代もそのことは書き残したり伝達で残したりもしていない。なので聞かなかったことにしている」

「つまり当時のことを知っている者は誰もいないということですか」

「ほとんどいないだろうな」
「ではその伯父の危ない口を封じれば事実上誰も知らないことになりますね」

「そういうことだな」
「今後この情報が漏れた場合、この場にいる者を疑っていいわけですね」

「それしかないだろう」
「というわけだ。お前ら全員余計なことを喋るなよ。自分の身が大事ならな」
 久山組長はそう締め括って全員を見た。みんな聞くんじゃなかったという顔をしている。

 ここにいるのは、舎弟と呼ばれるたった数人の幹部のみだ。どこから漏れたのかなんて一発でバレる。
 だが楸はこの問題は、九十九問題が片付いた後も少しは続くと思っていた。

「この問題はしばらくの間、ここにいる者たちの胸に秘めて置いて欲しい。そのうち隠しきれなくなってしまうだろうし、そうなった時は、俺と響が自分でどうにかする。それこそ宝生とは関係ないところでだ。だからこのことは心配せずに今は爆破事件のことに専念してくれ
 楸がそう言い切ったので他の幹部はやっと納得して爆破事件と誘拐事件の方に取り組むことにした。

 深夜を回ってあらかた情報が出てしまったところで、楸は一旦休憩を取ることにした。
 さすがに昨日、今日で、大きな出来事が起こりすぎた。
 回らない頭を振って、会議室のある階より一階上の部屋で仮眠を取ることにしたところだった。

「組長」
 廊下を歩いているところで、久山組長が呼び止めてきた。

「さっきは申し訳ありません。勝手な判断で話を進めてしまいました」
 そう謝ってくるのだ。それに楸はやはり苦笑した。
 この男は先代から忠義が酷くていけない。組長の為になるならどんなことでも言える人間なのだ。

「いや、言ってくれて助かった。ああいう意見が欲しかったところだ。俺から言ったところで説得力が何もないからな」
 楸は素直にそれを認めた。いくら楸が響の立場を守ったとしても、それは惚れた弱みと見られる可能性が高い。半分以上の幹部は、響を見捨てるべきという意見に傾いていた。それを覆すには、久山の意見は重要だった。そこに気付いてくれなければ、意味はなかったことだ。

 どう転がしても楸には響を諦めることは出来ない上に、島内を散々荒らされた。周りが見るように楸は暇そうにしてのんびりしていたわけではない。怒りは頂点に達していて、自分でも自分をコントロール出来るかギリギリのところに立っている状態だ。
 組長でなく、一組員だったら、もうとっくに飛び出しているところだ。

 本当なら九十九の調査は楸が請け負うべきところだったが、全部槙に任せているのも、今の自分が正常な判断で九十九を見ることが出来ないからだ。
 電話に出なかったのも心の準備が整っていなかったからだ。冷静に考えろと言い聞かせてやっとの判断で意味がないとはじき出したくらいに余裕がない。

 全部が九十九の後手に回っていることは、プライドを傷つけられている。何とか相手は自分より長くこの世界にいて、自分の知らない世界を熟知しているだけだと言い聞かせて耐えた。

 プライドなら取り戻せばいい。知らない世界なら知ればいい。
 後手に回ったことを悔いて、次は先手を打てばいい。
 内部に入り込んだ九十九の膿は、後でじっくり掘り出せばいい。今は相手にするな。

 後は、響自身の問題だ。
 九十九の投げつけてくる真実に耐えてくれ。絶対に助け出すから信じて戦ってくれ。そう願うしかない。
 九十九の居所が分からない今、響の身は響が守るしかないのだ。

「それで組長。ここで聞くのはなんですが。今後どうなさるおつもりで?」

「ああ、ちょっとした先代の置き土産を反撃に使おうかと思って準備している。後はそれを見て響が判断してくれるのを待つしかない」

「九十九からの連絡待ちですか?」
「響が起きていてくれないと意味がない反撃なんでね」
 楸はそう言って物騒な笑みを浮かべる。

 先代の残していったものは沢山あるが、この置き土産の意味は昨日になって分かったことだ。
 全部が一気に繋がったお陰で、少しは冷静になれたくらいに大きな意味を持つものだ。

「分かりました。我々はそれまで繋いでいればいいんですね」

「ああ、少し任せる。判断が付かなかったら起こしてくれて構わない」

「はい、分かりました。それではおやすみください」
 久山組長は深いお辞儀をすると会議室に戻っていった。楸はそれを見送ってからエレベーターで上の階に行き、休息を取った。その間、組長の眠りを妨げる深刻な事態は訪れなかった。