novel

ROLLIN'2-13

 随分と耳がいいようだ。

 法月(のりつき)が響の部屋の前を通っていたとき、急に中からドアをガンガンと叩く音がした。
 最初はまた暴れているのかと思ったが、どうやら違うようだ。

「ちょーっと! そこの人にもの申す!  あの超絶変態以外のまともな人間とまともな話したい!」
 訴えが微妙で深刻だ。

 確かにあの人は変人であり、変態だ。その様子は特にこの青年の前では遺憾なく発揮されているらしい。
 とはいえ、あの人の許可無く話すわけにもいかない。
 そのまま素通りして部屋に戻ると、ちょうど超絶変態と言われた九十九がモニターを真剣に眺めていた。

「あの青年が、もの凄い訴えを寄越してきましたよ」
「何を言っていた?」

「あなた以外のまともな人間と話がしたいそうです」
「正確に言うと?」

「超絶変態以外のまともな人間とまともな話がしたい、そうです」
 そう伝えると九十九はぶっと吹き出して笑い出した。

「大体、俺と神宮領(しんぐり)の関係と、あいつとあの組長の関係は似たものじゃないか」
「そう言って、思いっきり怒られたんですね」

「その時は、ど変態ですんでたんだけどなー。そうか超絶までに成長していたか」

「一体何を言ったんです。そこまで成長する過程として」

「いや、あいつの父親について詳しく語っていたら、かなりキレたな」

「あなたの場合詳しくではなく、熱苦しく語っていることに気付いてくださいよ」
 呆れた顔をして法月が突っ込むと、そうか?と首傾げている始末だ。

 大体、この人の神宮領に対する思いは、狂気に近いものがあるのだ。普通にお前の父親のことだと語られたとしたら法月でも全力で拒否する展開である。

「まあ、いいだろう。仕方ないから内線電話用意してやるか。法月、こっちの作業はいいから暫くアレの相手をしてやってくれ」

「はいはい、分かりました」
 こういう時の九十九は、法月には知られたくないことを作業するという意味だ。

 そうしてセッティングされた状況に驚いていたのは子機を渡された響だった。まさか要求が通るとは思っていなかったのだ。

「えっと、貴方は法月さんでしたっけ?」
「はいそうですよ」

「なんであの変態に付き添ってるんですか?」
「確かにあの人の変態度は高いですが、別に私は気にしてませんし、被害にあったこともないので説明しようがないです」
 法月は素直に九十九との関係を喋っていた。

 九十九とは長く付き合っているが彼から何か被害を受けた覚えはない。彼に危害をもたらさなければ彼も法月に対して危害は加えない。簡単に言えば、変な欲を見せなければ彼はそれほど困った人でもないという印象だ。

 だが、その変態度を最高に表すキーワードがある。神宮領の名前、月時の名、そして宝生の名。この三つは九十九にとってはこの30年ずっと頭にあったものだ。

 一つは神聖なものとして、一つは残虐性をもって、一つは好敵手として。その三つのキーワードを見事に揃えてしまったのが、月時響という存在だ。

 月時響について調べたところで、出てくるのは彼の母親や姉、そして伯父の名だ。かなり苦労して育ったにしては、響は少し真人間過ぎる。

 大抵の人間は貧乏の時点で少し世間から脱落する。モノを盗むことを覚え、奪うことを覚えることだってある。
 けれど、今の若い者は万引きをゲームとして楽しむところがあるので、こういうところから歪んで行くのは普通かもしれない。

 だが月時響にはそうした歪んだところがほとんど見られない。彼の学生生活は確かに貧乏故のいじめもあったが、彼はそうしたことは受け流す主義だったらしく、彼が護身術を習うようになるころになると、周りが一斉に彼を避け始めている。

 彼には親しい友達はおらず、学校で会話はするが生活が追いつかないので外で遊ぶことはせず、高校に入るとバイト三昧な為か知り合い程度はバイト先にくらいしかいない。大学に入って先輩後輩の関係が出来ても、彼はその人たちと学校以外で親しくはしていなかった。仕事先を紹介した先輩とやらは、たまたま同じ学部だっただけのようで、会社での付き合いもほとんど無い。社会人になっても彼は人との付き合いはそれほどせずに仕事に打ち込み、会社では人気があるようだが、その生活が謎に包まれているためか、人が踏み込んでくることもないようだった。

 ここまで徹底的に人を排除しているのに、月時響を知る人間は彼を悪くいわないのだ。確かに生活自体が謎であるが、人当たりはいいし、付き合いは悪いがその場に居て印象が悪いわけでもない。ただ踏み込んで行けない事情があるのが分かっているだけなのだ。

 響はその場その場で空気で居ようとしている雰囲気があった。
 つかみ所のない彼を気にかけていても、どうしても踏み込んでいけない何かが存在していて、誰も手が出せなかったというわけだ。

 あの独特の雰囲気は、彼が神宮領の子供であるという一つの証明になっているのかもしれない。

 その場にいて存在感はあるのに、彼のオーラが踏み込めない雰囲気を一気に作る。しかし彼を知ろうとすればするだけ謎に包まれていて謎が解ける気配すら見えない。

 あの九十九でさえ、神宮領の独特の雰囲気に振り回されて、人生を捧げまくっているくらいなのだ。

 だが法月にはそうした魅力が分からない。

 宝生という関東でも特殊な仕組みを持って君臨するヤクザの組長までも、数年に渡って翻弄させたという響なのに、法月には響はただ腕っ節が強いサラリーマンでしかない。響の特殊な生まれや、背景を調べていても、彼がその普通という枠からはみ出たところがないのだ。

「変態度……かなり高いよな。まさか、神宮領(しんぐり)さんの骨と寝る趣味があるとは思わなかったしな」
 響がそう呟いたので法月はぎょっとして一瞬言葉を失った。

「……骨ですか?」

「うん、骨。神宮領さんが死んでることは聞いたし、殺したのがあの変態だってのも驚いたけど。その驚きが吹っ飛ぶくらいの衝撃だもんね。骨と寝るんだもんなぁ」
 うーんと唸りながらさらっと重大なことを言ってのけた響に法月は思わずつっこんでしまった。

「あの……神宮領が死んでたことや殺したのがあの人って聞いても、骨の方が気になるんですか?」

「あーうん。俺の父親が何かマズイ人間だってことは分かってたし、生きてないだろうなってずっと思ってたし、あんな変態に好かれてたんじゃろくな死に方してないんじゃないかなーって」

 軽い、異様に軽い。自分の父親が関西ヤクザの頂点に居た人で、それを殺したのが自分を誘拐した人物であることが分かっているくせに軽い感想。

「正直、父親がどんな人だろうが、俺にはあんまり関係ないかな? 元々居なかった人だし、とっくに死んでるし、今更昔の父親は凄かったって言われても比較するモノがないし、比較しても仕方ない」
 案外さっぱりしてる様子に法月はなんだかおかしいぞと思いだした。何か感覚がずれている。

「俺、ちょっと感覚おかしいんだ。家族愛はあるんだけど、居ない人に対して何か思うことはないっていうか。母親にしても、居ないのが当たり前だったし、姉や伯父がいればいいやって昔から割り切ってた。居ない人を思って悩んで過ごすより、今生きている現実の方を突きつけられていたら、あまりそこに思いは残らないものみたいだ」

 つまり響にとって借金という現実がある限り、彼にはそれに向って行くしか方法がなく、誰かに何かを期待したことはないということだ。今まで出会った人と繋がりがないのは、彼自身がそうした執着や繋がりをまったく必要としていなかったということなのだ。
 人として響は欠けている部分を持っている。それは本人も自覚しているようだ。

「あなた……執着というものがないんですか?」

「ん? それはある。今の俺の方が色々とそうした思いが入り交じってて大変。何に執着してるかって言わなくても分かると思うけど……」

「宝生楸ですか? 確かに彼はヤクザ界でも特殊な人材として有名ですし、裏の世界でもかなりの実力がある人物だと思います。あなたとは住む世界がまったく違う者ですよね」
 法月がそう皮肉を込めて言った。

 ヤクザ界では九十九もまだまだ現役で有名であるが、タブー故に語られることはない。現在のヤクザ界では裏も表も宝生楸のことばかりだ。だが、彼がその力を使って各地に影響を及ぼすことはまだなく、地方はまだ安心しているが、裏の世界を知っている法月からすれば、彼が裏の帝王になる日がそろそろ訪れるだろう。
 そうした人物のパートナーとしてお前はふさわしい何かすら持っていないのだと突きつけてやりたくなったのだ。

「そうだね。それが何か問題でもある?」
 キョトンとしたような声で言われたので法月は苛立った。

「パートナーとして失格じゃないですか?」

「あーそういう意味? その辺、法月さんがどう見ているのかは分からないけど、そういう風なのは楸が俺に求めてないんだ」

「求めてない……それに甘えているんですか?」

「甘えてるというか……なんて言ったらいいのか……。楸にとってそういうことにしておかないと困るって言えば分かるかな?」

「困る?」
 一体何に困るというのか。パートナーというのは対等な位置に立ち相手と同じものを見て、同じように出来なければいけないのではないか? そう法月が思っていると響はそれは違うと言う。

「俺の父親が神宮領って人だったってことも今では関係あるのかもしれないけど、俺が宝生の中を知ることは楸にとって困るってことなんだ。中で何が起っていて、何が問題で何をしているのか。そういう些細なことさえ、楸は俺に知られたくないって思ってる。ヤクザの世界だからっていうんじゃなくて、一つの会社として秘密事項は関係者以外に知らせないという楸の一つの考えからくるものだから俺には何の不満もない。まあ、俺から何か漏れた場合、困るのは俺だろうし、気を遣ってるんだと思うけど、俺がこういう風に誘拐されたところで、本当に何一つ知らなかったら、周りが嘘だって言うかも知れないけど、どんな目にあっても俺は本当に知らないから答えようがない。だから俺から何か秘密事項が漏れるという心配を一切しなくていい、そういうことだと思う」
 響がそう語ると法月はやっと意味が分かった。

 宝生の情報を盗もうとする人間はヤクザ界だけではない。警察や公安だって情報が欲しくて周りをうろついている。そうした人間が真っ先に狙う人間は、パートナーになっている人間だ。

 響は宝生楸の情人である。周りは楸がうっかり貴重な情報を漏らすかもしれないと目を光らせている。

 そんなことは誰でも予想し考えることを、あの宝生楸が分かっていないわけがない。だからあえて、彼は響に情報を握らせないようにしている。ここから漏れてくる情報はとっくに外部に漏れている情報しかないのはそういうことなのだ。

 だから響の周りをどれだけ調べても、どれだけ盗聴や監視をしても、宝生の情報は何一つ出てこない。いい加減周辺はその事実に気付いているだろう。

 月時響を調べても、何の情報も得られない。あれはただの情人であり、ただのサラリーマン。だが、そうし向けているのは宝生楸本人だということには誰も気付いていない。

 そして宝生楸の意思を誰よりも理解しているのが、この響なのだ。情報を絶対に得ようとしない、聞こうとしない。そうした態度を貫くことはかなり難しいことなのだが、彼は平然として理解し実行し続けている。

 その何も知らないという姿勢こそが、宝生楸のパートナーとしてもっとも重要な事柄なのだ。
 宝生楸がヤクザ界で何をしていようが、どんな酷いことをしていようが、響は関心がないふりをし続ける。一人蚊帳の外にいることこそが響が宝生楸とパートナーでいるべき条件の一つだ。

「……本当に何も知らないんですか?」

「法月さんが知ってることより、俺の方がたぶん宝生については知らないことの方が多いと思うよ」

「宝生の組の上下関係も?」

「ほとんど知らない。宝生が一番上にいるのは知っているけど、分家や兄弟分になってるとか、そういうのネットで知ったくらいだし、詳しくみたこともないから、関係組の幹部がどこの組でどんな顔をしているのか全然結びつかない。そもそも俺は宝生のことに口出ししたことはないし、そういう集まりに参加したこともないから知ることなんて無理なんだよね」
 そう言われて法月も納得するしかなかった。

 ヤクザ界でも宝生の組関係を詳しく言えたり顔を見ただけでどこの組長なのかなんて見分けはあまりつかない。
 組関係の上下関係や情報は、軽いものならネットの情報サイトにも載っているので一般人でも知っているものはいるだろうが、よほどのマニアじゃなければ、組幹部の顔なんて覚えられない。
 響が知っている宝生関係は一般人でも調べられるレベルでしかないということだ。

「だから、神宮領(しんぐり)って組がどんなに凄かったって言われても、他の組どころか宝生のことも詳しく知らないから驚きようもない。へーそうなんだーってくらいの反応しか出来ないんだよね」
 あまりに暢気な言い方に法月は切々と神宮領の影響は今でもあるのだと語ってしまった。

 関西では未だに担ぎ出そうとしている輩も多い上に、それを宝生が隠していたとなると、東西のヤクザ関係がまずくなる。火威が弱っている今なら神宮領の隠し子である響の存在はかなり大きく、宝生が間に入ることで事態は悪化する。そんな状態なのだと言うと響は。

「でもさ。今更神宮領の子でした、なんて宝生が差し出したとしてさ。それってどう考えても俺に死にに行けって言ってるようなものだよね」
 と案外冷静に返してきたのである。

「どういう意味ですか?」
 法月がそう尋ねると響は言う。

「そもそも、俺がそうであるという決定的な証拠ってないんじゃない? あの変態はなんか似てるだのなんだの言ってたけど、あれはあの変態が特殊なだけであって、他の人がそれに習うかって言ったらないと思う」

 意味が分からない。ちゃんとした証拠は出せる。神宮領のDNAは残っているし、鑑定に出しても絶対に神宮領黎真の子であると出るはずだ。だが、響はそういうことではないという。

「決定的なDNA鑑定があったとしても、それを認めるのはたぶん一部の人くらいだと思う。神宮領の影響を受けた人とか、そういう伝説的なことを知っている一部の人。30年前って言ったら、そういう人たちはほとんど現役とは言えないよね? とっくに時代は変わってるのに、今更昔の伝説語られても今の人たちは認めないと思う。それにDNAは実は宝生がすり替えたものだって言い出す人だって出てくるかもしれない。こうなってくると話が見えてくるけど、もしかしなくてもDNAを持ってる人って、現在宝生と繋がりがある人じゃない?」

 響がそう言ったので法月は思い出してみる。確かに九十九から調べるように言われた人物が神宮領のDNAを持っていることは調べが付いている。九十九が持っている神宮領のデータとそのDNAが一致しているからだ。そこに嘘はない。

 しかし、その人物は宝生の先代と随分交流があった。
 そうして考えた結果出てくる答えは、一つしかない。

 宝生の先代は、そのDNAをすり替えたりはしていないが、その人物と繋がることで、万が一の可能性を潰している。
 月時響が間違いなく神宮領黎真(れいしん)の子であると言えない状況を作り、関西のヤクザ関係を牽制する行動を取っていることは、月時響を神宮領として関西に送らなければならないという絶対的な掟を一時的にも止める役割になっていることだ。

 響が育てば育つだけ、宝生との一応の繋がりがある響を関西はそう簡単に受け入れはしないだろう。響の言う通り一部の妄信的な人たちは違うだろうが時代も変わった今、それをすんなりと受け入れるようなヤクザは少ない。

 どれだけ調べてもただ血が繋がっているというだけでは、組を立て直すには時間が経ちすぎている。
 響は現在、宝生の傘下にある以上、関西に送られれば神宮領の組を立てるどころか、宝生への牽制の為の人質になるしかない。
 それは響の言う通り、死にに行けと言うようなものなのだ。

 宝生の先代は絶対に宝生が響を手放せない状況を作り上げている。宝生が疑われるような状況が分かっていて響を差し出すのも馬鹿げているし、先代が生きている間は絶対に差し出さなかっただろうし、その息子が響を手元に置くようになった結果を見ても、宝生は今更響を手放せないのだ。あまりにも大きな爆弾になってしまうからだ。

「宝生が神宮領の子供の偽物を送ってきた。そう言って、東西で諍いが起きる。宝生はどっちにしても窮地なのは分かってる。渡しても渡さなくてもいちゃもんを付けられるのは宝生だから。あの変態は俺を使って東西を揺るがすネタを持っているわけだけど、今は使う気なさそう。まあ、何にしても楸はこの事実が出たところで、証明するDNAが本物かどうかというところを問題にして、絶対に神宮領の子であることは認めないと思う。嘘をでっち上げても阻止する」
 響がそう言い切るので法月は不思議そうに尋ねる。

「絶対に恋人が手放さないという自信はどこからくるのです?」

「楸が俺に惚れてるからって言いたいけど、それだけじゃなくて、先代が絶対にそうしなかったという事実があるからかな。そういうところは律儀だし、顔向けできないことはしない主義だから。後、楸がそう言っていたから」

「言ってた?」

「ああ。全部知っているって。あの変態がどんな事実を言おうが、楸は全部知っている、だからお前は気にすることはないってさ。つまりその話が出た時点で、宝生の、いや楸の俺のことに関する出方は決まっていたってことじゃないかな?」
 確かに九十九からその話は聞いている。宝生楸は響を安心させるためにそう言ったらしいが、その一言で響がそこまで悟れるとは思ってなかった。

「でも気にするなって言われても、さすがに骨と寝る変態はどうかと思う」
 結局はそこに落ち着くのか、この重要な話は……。
 がっくりとなった法月に響は尚も文句を言う。

「大体さ、お前の父親は神宮領だーって言われても訳分からないし、さっきも言った通り、俺はヤクザの世界のことなどほとんど理解してない。それに俺が神宮領の子であると認められて、宝生と関西ヤクザがどうにかなると言われても、俺が一言、神宮領組再生なんてやだねって言えばどうにもならないと思うんだけど? 再生させたって俺にはヤクザのことなんか分からないから、どうせ周りが口出しして俺は単なるお飾り、迂闊に口だそうものならたぶん殺される。たかが神宮領の血を引いているだけのサラリーマンが!とか言われて。直系を重んじるあまり、血を優先させたはいいが、言うとおりにしないのなら殺されると分かってて、誰が関西に行く? 俺は楸に面と向かって行けと言われたら楸殴ってヤクザとは関係のない世界に出て行く」

 一々当たっているだけに返す言葉がない。

 関西のヤクザが欲しいのは神宮領の血だけ。直系であれば誰でも迎える覚悟はある。その覚悟は全て自分たちがもり立てて行くという計画の元に成り立っているはずだ。つまり、彼らが求めている神宮領の子という存在はただの飾りなのだ。
 響がその飾りとして祭られて大人しくしててくれれば、彼らも殺さずに飼い殺しに出来る。

 しかし、響がここまで分かっているのなら、どうしたって飼い殺しは無理だろう。

 ヤクザの世界が分かってない?
 いや、それどころか確実に分かっていて言っている?

 どっちなのか分からず法月は暫く考えたが、結論を出したのは九十九の方だった。

「宝生の傍にただ居たわけじゃないってことだろう。だから頭はいい方だって言っただろ? 無意識に自分の立場と宝生組のことは理解している。神宮領(しんぐり)の子であることは重要であるし、問題になることも分かってる。分かっていて出せる答えは出尽くしてるじゃないか。宝生は今更、アレを神宮領の子だとは絶対に認められない。そして関西に送られたところで、アレが生きられる可能性はゼロに等しい。だったら答えは簡単だ。知らないふりをして黙っていればいい。バレたらバレたでしらばっくれる方法くらい考えるだろう。それだけだ」
 実に簡単だと語る九十九に法月は言ってみる。

「貴方は、あの青年が神宮領の子であるという情報を使って、関西と宝生を仲違いさせようとは思わないんですか?」

 これこそ見事な作戦だろう。ただその情報を流すだけで勝手に関西と宝生がドンパチを始める。そうしたら九十九は今の状況を打破することが出来るはずだ。
 まさか絆されて流さないという選択はないだろう。そう思って法月が言ったのだが、九十九は法月を見るとふうっと息を吐いた。

「そんな情報流したところで無駄なんだ」
「どういうことです?」

「宝生には今アレはいないだろう? そうなって情報を流したところで宝生が用意するのはどうしたって偽物にしかならない。本物を出せとなったら宝生は素直にこう言うだろうな……死んだ九十九朱明が偽物で、本物がアレを誘拐しているから手元にはいない。神宮領(しんぐり)事件は覚えているだろうし、記録にもあるから、俺がどれだけ神宮領に執着しているのかはアレを欲しがる人間には嘘だとは思えないだろう。おまけに今爆破事件が起っている。それと俺を関連づけるものはなにもないが、薄々気付いてくるだろう。俺が裏にいるって仄めかすだけでも十分だ。関西は火威(ひおどし)、関東は宝生、この二つを攻撃するような人間、そうそういるわけがないからな。おまけに九州までやった今となっては、そんな酔狂な人間、俺しか居ないと思いこむ。そうなるとだ、俺は宝生どころか全国のヤクザから攻撃の的にされるわけだ。偽物を仕立てて殺した意味がまったくなくなる」

「しかし、宝生が死んだ貴方が偽物だと情報を流していたら、それこそ状況は変わらないかと……」

「そこが今回の問題なんだ。宝生がそうした情報を流したところで、死んだ俺が偽物で本物は生きているという証明をすることが難しいんだ。俺がどの段階で偽物に入れ替わったのか調べるのも時間がかかるだろうし、ヤクザにそうした情報を流しても、今回使える宝生が握っている証拠は使えない。警察や公安なら過去までさかのぼって調べることは出来ても、ヤクザではそこまで調べられないからな。つまりだ、宝生はアレのことを持ち出さない限り、俺が生きていることをヤクザの世界に知らせることができない上に、関西ヤクザは今それどころではないという状況じゃ、この情報はまったく意味をなさないってことなんだ」

 そういわれると確かにそうだ。

 月時響のことを持ち出して、死んだとされる九十九が偽物だったと言われたら、様々な要因から九十九が犯人説は強くなってしまうが、逆に持ち出さないとすると、その信憑性自体がなくなってしまう。

 そこには月時響が神宮領の子であるという前提がなければ、九十九偽物説も成り立ちにくくなってしまうのだ。
 その辺は宝生も分かっているので持ち出しはしないで反撃を繰り返しているし、こちらとしても痛手を増やしたくないので、神宮領の子の話は持ち出したくない。

 月時響を神宮領の子であると知らせることの危険性は、宝生にもあるし、九十九にもある。わずかな危険性を避ける為には、神宮領の子というものを今持ち出すわけにはいかない状況なのだ。
 どちらにせよ、この情報はどちらにしてもただの爆弾では済まないというわけだ。

 そこを響は分かっていたのか、九十九がその情報を流せない理由は分からないが、流すことで九十九が不利になることは分かっていたらしい。

 つくづく、ヤクザの世界の事情を知らないと言っているが、一番分かっているじゃないかと呆れてしまう。
 しかしこんな状況に陥らせたのは九十九や宝生楸ではない。

「……宝生の先代はそこまで考えて行動していたんですかね?」
 月時響がどちらにせよ爆弾であり、それを表舞台に持ち出すことは混乱しか起らず、誰も何も言えない状況に持って行ったのは、宝生の先代だ。

「今となってはよく分からんが、その可能性は少しはあったということだろうな。わざわざ神宮領のDNAを管理する人間と親しくしてそのDNAそのものを今でも本物であると言い切れないように仕掛けている。そんなあやふやな物を本物だと言い切る人間は、一部の妄信者だけだろうな。おまけに俺が神宮領の骨を盗んだことも知っていたようだし、それを手放さないことも理解していたから、DNAの存在そのものをあやふやにすることで牽制していたんだろう」

 宝生の先代はただ響を守る為にあらゆる可能性を考え、その問題にあらゆる仕掛けをしていっている。
 九十九に対しての警戒はもちろんだろうが、育っていく響の様子を影ながら見ていて、最後の最後まで先代は響を守る為の処置を行った。
 そこにはどんな思いがあったのか。今となっては謎だ。

「それにだ。俺が持っている神宮領の遺骨でアレを神宮領の子だと決めたとしても関西は絶対にそれを認めないどころか、俺が送り込んできた偽物だと100%思うだろうな。まあ、そういうわけでアレを神宮領の子だというはっきりとした証拠は宝生にも俺にも関西にもあるのだが、現状どこもこれを認められないってことなんだ。だから戦法としては今はまったく使えない」
 そう締め括った九十九はこれ以上この問題には興味がないのか話を打ち切ってしまった。

 法月も九十九が言ったような可能性は高いと判断出来た。
 今、神宮領の子の事実を出したところで、不利になるのは明らかに九十九なのだ。

 そして戦う相手としている宝生でも今は有効に使えるかも知れないがのちのち爆弾にしかならず使えない。出来ればこの件には関係ないところでやってくるだろう。

 関西では神宮領の名を残そうとする輩も、九十九や宝生が絡んでいる以上、神宮領の名を出されても今は対応出来ない。更に混乱を招くだけの者は出来れば遠慮したいところだろう。今まで潰したかった火威が目の前で敗走寸前なのだから、今はそのことを優先したいはずだ。問題にするならこの事件自体が片付いた後になるだろうから、戦法としては使えない。

 九州はそれどころではないし、神宮領の名はとどろいておらず、怒りが頂点に達している今、月時の名を出す方が危険すぎる。九十九なんて名が絡もうなら、九州はたぶん全面的に今最前線で戦っている宝生の味方をするだろう。

 九十九が爆破騒ぎを起こした時点で、神宮領の子という者はもはやどの組織にもタブーなのだ。神宮領の子に手を出せば宝生どころか死んだはずの九十九までが絡んでくるような存在をどこも今は引き取る余裕すらないからだ。

 響にはそれが分かっていたのか、今更神宮領なんて持ち出しても誰も得をしないことを語っている。

 月時響の存在を問題としているのは、宝生楸と九十九朱明だけ。
 この件に関して他の組織を巻き込むのはどちらにしても得策ではない。
 その判断が出来たので法月もこれについては考えるのを辞めた。

 ただ、響の言うことが一々真っ当な回答だっただけに、自分がその時分からなかったことが悔しかった。