novel

ROLLIN'2-14

 公安警察で長年に渡ってマークしてきた火威(ひおどし)会幹部で暴力団組員、九十九朱明(つくも しゅめい)。その彼が爆破事件に巻き込まれて死んだ。この事実は、公安を一部落胆させ、一部安堵をさせた。

 30年ほど前に神宮領(しんぐり)事件、そして彼の親族の惨殺事件、更にその関係で行われたと思われる宝生の関連施設襲撃事件。どの事件も九十九が犯人である可能性が高かったのに、彼にはアリバイと警察で取り調べられた任意同行の際に行われた指紋やDNA鑑定では、全部白だと証明されている。

 だが公安としては、九十九をもっとも危険な人物としてマークをし続けた。

 そうして事件は長く経過し、公安に配属され様々な事件を担当してきた鬼頭実次(きとう みつぐ)警部はその事件の捜査主任として約5年ばかり九十九の身辺を調査してきた。

 公安の捜査員が言うには、九十九の調査は意外に楽で、九十九自体がほとんど活動をやめてしまっているから自宅を見張るくらいで済むという話だった。

 鬼頭にとってはこの捜査は実に退屈でたまらない品物だった。
 諜報活動をするなら、他の事件の方がやりがいがあるからだ。

 長く暴力団関係を扱ってきただけに、九十九朱明という人物は過去は派手だが、今はつまらない存在でしかない。
 そうした彼が目の前で自宅を爆破され死んだ。

 やっとつまらない捜査から手を引けると安堵したのだが、鬼頭はその引き上げ中に、警視庁組織犯罪対策部、通称マル暴が動いているのに気付いた。

 マル暴の中でも問題行動や憶測で動くことで有名な杉浦警部だった。

 普通のマル暴なら鬼頭も素通りしていただろう。だが杉浦だけは予想外の行動に出るので苦々しくも一目置いていた。彼の突飛な想像力は案外外れてはいないことを知っていたからだ。

 彼から何度か事件を持って行ったことがあるが、彼が「お前ら絶対取り逃がす」と言った事件はその後予想外の展開になったりして、逮捕まで至らなかった。
 その杉浦が何か言う時は、鬼頭も注意して諜報活動を何度かやり直している。

 彼の妄想癖や想像力豊過ぎる憶測は、超飛躍しているように見えても結果はそこに落ち着くことが多々ある。例えばただの暴力団の資金源とされている売春クラブの捜査の時、彼はその想像力を発揮し、「この売春クラブが実はある組織の重要な中間地点だとして、今調べている大きな売春組織はただの目くらまし、こっちが実は本命だったりして」と呟いたことがある。大きな売春組織の方は公安が暴力団資金源と見て捜査を持って行ったものだったから彼はそう妄想したかったのだろうと当時は思えた。だが、その後調べていく上で、その大きな売春組織はただの素人がしていた組織で、暴力団との癒着はそれほどなかった。本命だと杉浦が言っていた方の組織はその後、暴力団が臓器密輸に使っていた末端であったことが判明した。臓器を提供したアジアの各地の素人を日本に呼んで、売春をさせながら、その各地の臓器密輸の情報施設として活動していたのである。売春をして情報提供をしていた素人は使えなくなると小さな売春組織に回されていて、その末端が杉浦が調べていた売春クラブだったわけだ。

 この一大センセーショナルな事件は大きく報道され、暴力団とある議員の癒着まで広がってしまった。

 こんなことが杉浦には多々ある故に、鬼頭は彼の妄想をただの妄想と笑うことは出来なくなっていた。彼の周りが失笑するほど妄想と超飛躍した想像を口にすればするだけ、事件は大きく取り沙汰される。その事には彼の上司も気付いていて、出来るだけ彼の妄想を現実にあるのかどうかを調べることをしている。

 そんな彼がどうして今大阪にいる。そうそれが問題だ。
 確かにマル暴としてこの事件を捜査するのは分かるが、彼は現在東京の事件を追っているはずだ。大阪なんかに来ている暇はないはずなのだ。

 偶然にしてはおかしすぎる、公安が引き上げる日に杉浦が現れ、このマンションを調べようとしている。この意味はいったい何なのだ?

 鬼頭は一旦引き上げ、杉浦が誰を洗っているのかを部下に指示をして調べさせた。
 その部下から報告がきて、鬼頭は頭をひねっていた。

「杉浦警部が調べていたのは、我々が捜査に使っていた隣の部屋の住民でした」
 そう言われて鬼頭は書類をひっくり返していた。隣の住民は過去に公安が一応捜査をしているはずだ。そんな人間を今更こんな時期に調べるのは一体どういう意味なのか。

 真田正、52歳。鳥取の地方出身で、家族はなし。親族はそれほど多くはないが、真田との付き合いは途絶えている。20年前にあのマンションを買った時には、父親が亡くなった直後で、その資産を使ってマンションを購入している。現地調査をした結果、真田にはおかしなところはなく、彼の勤め先はある出版社で、真田はゴシップ系列の記事を幾つか掲載している程度だった。それでも彼の父の残した遺産で十分遊んで暮らせる金は残っていたから真面目に仕事をしようとは思わなかったのだろう。
 なんらおかしいところはない。

「この真田はまだ隣に住んでいたんだよな?」
 鬼頭が部下に確認すると、表札はまだかかったままだったが、挨拶をしたわけでもないので彼が現在そこにいるのか分からないというのだ。

 真田について不審な点を上げて貰おうにも、彼が妙な行動をしたり、捜査の邪魔になったことは一度としてない。テレビの音などは聞こえず、騒々しい物音さえさせない、とても静かで理想的な住人だったという。

「あの、気になることが一つあるんですが……」
 引っ越し作業を表立って手伝った部下がこれは報告すべきだろうかという不安そうな顔で言い出した。

「マンションの管理人が言ってたことなんですが。「また出て行く人が増えるのか、マンションも古いし、補修工事でもして綺麗にしないと、人は入ってくれないだろうな」って言ってたんです。あの時はただ爆破が目の前であったので、危険を感じて出て行く人もいるのかなと思ったんですが」

「またってことは前に出て行った人間が居るということだな。誰か住民捜査をしていた資料を持っているか?」
 そう言ってまた資料を掘り返すと、あのマンションから出て行った人間はそれほどいない。
 大抵はローン返済に困り出て行くものばかりなので、調査はそこで終わっている。
 真田が出て行った記載もなければ、真田が何かの事件に巻き込まれた様子もない。
 大体、この暴力団事務所各地爆破事件を調べている彼らが、何故真田を捜査しているのだ。よりにもよってあの杉浦を使ってだ。

 一体真田正とは何者なのだ?

 鬼頭はそのことが気になって、一段落付いたはずの仕事を事後処理だとし、追跡調査をした。
 そうなると当然杉浦が嗅ぎ回った後を追いかけることになるが、彼が何を聞き出し何に反応したのかが重要だ。

 そうして真田について調べていくと、何故か杉浦以外の人間も真田を調べているのが分かった。
 ちょうど真田が出版社に勤める前にいくつか渡った仕事関係を洗って行っていた時だ。真田は出版社に落ち着くまで実に4回転職をしている。公安は二つ目の仕事先までは追いかけたが、その先は追い詰めてなかった。やっと真田が最初に就職した会社にたどり着くと、話を聞き出す相手が奇妙なことを言い出したのだ。

「そういや、この前来た刑事さんの前にも、別の人が真田のこと調べていたんだけど」
「それはいつのことですか?」

「そうだな、ちょうど大阪でまた爆破事件が始まった頃だから、二週間前くらい。調べに来た割には、真田が留学していたことは知ってたし、その時の写真も持ってたしなあ。あれ何調べてたんだろう。浮気調査にしては昔のことまでほじくり返すのも変だし、他に真田と親しい人を知ってるかとか言ったりしてて妙だった」
 この言葉を聞いて鬼頭は杉浦が何を聞いてきたかを聞いてみた。

「あの刑事さんもやっぱり真田が留学していた時の写真持ってて、何度もこれが真田正ですよねって念を押すんですよ。俺は間違いないですって答えるんだけど、だったら真田と一緒に撮った写真か何か記念に撮ったものでもいいんで出してくれって言われて。それで翌日にまた来て貰って、俺、持ってたアルバム全部ひっくり返して真田の写真出したんです」

「その写真は?」
「刑事さんが貸してくれっていうんで、いいですよって持って行って貰いました。まだ余ってますから持って行きますか?」
 男はそう言うと机の中から封筒を取りだしてそれを鬼頭に差し出した。

「幾つかは刑事さんが持って行きましたけど、また何かあるんじゃないかって気がして、会社に置いておいたヤツです」
 男がそう言うので鬼頭はその写真を改めさせて貰った。
 だが出てきた写真を見ても、鬼頭が知っている真田の写真が出てこない。

「あの、真田さんはどの人です?」

「ああ遠目だからわかりにくいですか。アップのは前の刑事さんが持って行ったし。こいつですよ」

 そう言って男が指した真田正は、鬼頭が知っている真田正ではなかった。
 一気に混乱したのは鬼頭だけではなかった。一緒についてきた部下も貰った写真を眺めて奇妙な顔をしている。
 もう一枚出した写真を見ていた鬼頭は嫌な考えしか浮かばない。

 この真田は20年前に公安が調べた時は間違いなく真田正だった。

 しかし、25年前の真田の知り合いが出してきた写真はまったく似ても似つかない写真。
 こっちが騙されているのではと思うようなものだが、25年前の知人がそんな嘘で刑事を騙す必要はない。

「鬼頭さん……これって、信じたくないんですが、我々が調べた真田は、真田ではなかったということなんですか?」
 沈黙に耐えきれなくなった部下が尋ねてくる。

 悔しいが、そういうことなのだろう。杉浦が動く理由はまだはっきりしないが、彼はこの真田の件をずっと追っているということは、杉浦の部署が追っているはずの爆破事件と何処かで繋がっているということなのだろう。
 公安はまんまと隣に住んでいた真田の偽物に20年も騙され続けていたのだ。

「真田の偽物が公安の借りていたマンションの隣に20年も住んでいた事実をどう考えるかだ。組織犯罪対策部が追っているのが偶然、公安の隣にいた男でその男の身元はまったくの別人。真田に入れ替わった男はそこで一体何をしていたというんだ?」
 そう呟いた鬼頭は慌てて部署に戻り、真田についての情報をまとめた。
 鬼頭が出かけている間に、杉浦の情報を集めていた部下がある情報を持ってきた。

「杉浦警部が調べている真田ですが、どうやら爆破事件の一般から寄せられる犯行声明の中から出てきた情報のようです。それが奇妙なことに、大阪のマンションの話が突拍子もなく知らされて、事実確認の為に杉浦警部が向ったそうです。現在真田の動きが怪しいことから、真田を洗ってみているとのこと」

「杉浦はどこまで真田を調べた?」

「マンション管理人から教えられた携帯番号から、契約者が加藤という人物に突き当たり、その人物が一ヶ月前から行方不明でそこで電話番号の件は行き詰まり、ですが真田の留学時代の写真が届いていたのでそれを持って真田の実家があった鳥取に調査に向って何か一つは情報を握った可能性があります。そこで真田の過去経歴を洗って、東京まで戻ってきた。鬼頭警部が調べられてきた真田に杉浦警部も行き着いてます。本部に戻ったところで、また奇妙な手紙から情報を得たのか、大阪のマンションに戻ってます……彼が一体何を調べているのかは極秘扱いになっているので聞き出すことは……」

「いや、聞き出さなくても杉浦は何を連れてマンションに戻った?」

「それが鑑識なんです……ですが、真田が偽物だったとしても鑑識で何か分かったとしても一体何があるのかはさっぱりで」
 そう言う部下の報告を受けて鬼頭は考えた。

 真田が偽物だったことは写真で分かっている。だが、真田が偽物であったとして、やったことと言えば真田正の遺産を強奪したという事実くらいだ。悠々自適の生活を手に入れた真田が20年も大人しくしていたのは、隣にいた公安の方がよく知っている。

 とにかく真田の何かを洗えないものかと調べていると、データベースにある捜査官の名前が浮かんできた。

 佐島捜査員。当時は29歳。20年前に真田を洗っていた一人だったが、その後別の事件の捜査に当たる際、奇妙な動きをしている。暴力団関係の電話持ちというグループを洗っていたところ、そこに真田の名前が出てきている。だが、これは真田がフリージャーナリストだから電話持ちというグループの実態を記事にするための潜入捜査だろうと位置づけられている。

 だが、佐島捜査官は電話持ちグループに深く潜入して調査をしていたところ、奇妙な発言を繰り返すようになり、公安から追い出されている。
 その対立先が、鬼頭が担当していた九十九の監視グループとである。

 佐島捜査官はある島の巡査として左遷され、そこで10年以上警察官として暮らしている。
 鬼頭は迷わず佐島巡査に連絡を取った。

「貴方は何を言って、公安から追い出されたのですか?」
 そう尋ねる鬼頭に最初は黙っていた佐島だったが、渋々というように語り出した。

「私は、20年前貴方と同じ九十九を調べる捜査官でした。そこで真田という人物を調べていたのは調書に残っていると思います。その後、別の捜査に関わった際、真田の名前が出てきたので、これは偶然なのかどうなのか調べたくなり、公安ではしない潜入捜査をしたんです。そんな指示は出てませんでしたがどうしてもこの偶然が気になったので。そこで真田の近くまで潜入出来たのですが、真田とある電話持ちの話を聞いてしまったんです。真田が、真田という名は偽名で、本当はここから見えるヤツだったりするという話です。話は全部聞けませんでしたが、真田に一番近い電話持ちは彼の本当の正体を知っていたと思います。真田が偽物だったというなら、私が当時調べた真田の情報も偽物ということになります。再度、真田を調べさせてくれとお願いして、再度調べたのですが、3つ先の転職までは行き着いた、あともう少しというところで、上からもういいだろうと言われたのです。ですがどうしても気になってその後も調べたところ、真田が最初に就職したらしい会社で真田の写真を見せたところ、別人だと判明しました。その事実が分かった直後からです。私の家に何者かが侵入して、その時独自で調べていた資料を全て盗まれました。最初は公安の仲間がやったのかと疑ったのですが、そうではなかった」
 佐島がそう言って一旦言葉を切った。
 鬼頭は静かに聞き返す。

「それをしたのは、真田だった。そして貴方は真田に弱みを握られて、公安の資料を出すように要求された。だから、奇妙な言動を繰り返し、公安から逃げることにした」

「……あの時は本当に、どうしようもなかった。私には守るものがあった。けれど公安として情報を流すことも出来ない。だったら、公安から格下げされてどこかに左遷される方がいくらかマシだったんです……申し訳ありません。ただ一つだけ分かったことがあります。私が情報を流さなくても、真田には当時の公安の捜査員の情報はとっくに別の誰かから入手出来ていたということです。私が脅されたのは、ただその情報が本当なのかという確認を取りたかっただけのようなのです。私が左遷されてからはまったく真田からの接触がなかったことがいい証明になりました。だって辞めた当時からだって私から捜査員の一部の情報は確実に取れていたと思うからです」
 佐島がそう言うからには、鬼頭がここに配属される前までは誰かが情報を流していたということなのだろう。

「その横流しをしていた人物に心当たりはあるか?」

「……はっきりとは言えないのですが、5年前に不審死した遠山管理官ではないかと。20年前に彼が九十九の監視の責任者だったことや、私が隣に住む真田の過去を洗う時、一年前までで追跡を辞めさせたことや、その後調べた重要な内容を遠山管理官にしか報告してなかったことからの想像ですが……」 

「貴方が真田が偽物であるという決定的な証拠を手に入れることが出来そうだと遠山管理官にだけ報告し、直後にその資料が盗まれたこと、急に真田からの脅迫が始まったこと、公安内での貴方の立場がまずくなったことや、左遷先がそんな離島になる理由を挙げられたことから、遠山管理官は5年前まで貴方を離島に追いやってからもずっと貴方が偽物の情報を流す危険性を感じ、監視していたということになりますね」
 鬼頭は如何にも公安幹部のやりそうなことを言ってのけた。

 佐島が今まで黙ってこの10年以上を暮らしてきたのには、彼が遠山管理官に監視されていたからなのだろう。そして5年前からは鬼頭が九十九の監視の責任者である。あれから15年以上経っているし、内部も人が入れ替わり、佐島にとって恐怖だった遠山管理官は不審死している。

 やっと当時のことを喋られるとなれば、警戒はしつつも喋りたくなるだろう。佐島はまだ公安としての誇りは持っている。そして彼は真面目な警察官だ。

「この5年、貴方に公安の監視が付いていたことはなかったですか?」

「遠山管理官が亡くなってからは、不審人物は見なくなりました。ただその直後くらいに、何人か警察官が亡くなってます。野々山島を往復する長距離の船が爆破されて、引き上げた公安もそれに乗っていたと思います」

 そう報告されてすぐに鬼頭は部下に野々山島の船の事故を探して貰った。そこにある資料には確かに警察官が2名乗っていた。ただ彼らは休暇を利用して乗っていただけで、任務ではなかったとされているが、公安の資料から彼らが公安職員であった事実は掴めた。

 佐島の話は妄想ではなく、はっきりと証明されている。この2名の捜査官は当時遠山の指揮下にあった捜査官だ。ただ彼らの任務は報告されることはなく、資料として残っていない。
 遠山管理官の個人的な理由による私情捜査だったのは明らかだ。

「あの、それから気になることが一つ。あなたがこうして連絡くださる前に、組織犯罪対策部の警部から似たような質問をされました。公安のことは教えられませんが、質問は一つだったので答えました。真田はやはり偽物だったんですねということだけです」
 なるほど、杉浦はどこかからそんな情報も仕入れているわけだ。
 公安内部に巣くった不審な芽はどこの誰かがずっと調べていたというわけなのだろう。
 その何処の誰だか知らない人物は、公安に情報を流すのではなく、杉浦に流している。
 これは相当杉浦のことを知っている人物というのに他ならない。
 そうしているうちに、部下から鬼頭に電話があると報告があった。出てみると相手はあの杉浦だった。

「何の用だ?」

『やーね。どうしたもないと思うけど。あんたら俺の金魚の糞やってて楽しいか?』
 どうやら公安が彼の周りをうろうろしているのは知っていたらしい。相変わらず敏感なやつだ。
 それに答えずにいると、杉浦が言い出した。

『うちとしては、この爆破犯人を捕まえたい一心でやってるんだが、なんだか妙なことになってきてな。どうしたって俺らの力の範疇越えてるんだこの犯人』

「いつになく弱気だな」

『そりゃまあ、頭こんがらがってきてよ。上司に相談したわけよ。もうこいつ面倒だから手柄は公安にくれてやったらどうかって。うちとしてはうちの範囲の組織が滅茶苦茶になってるわけで、色々とそれに関連した捜査ができそうになってきてるわけだ。はっきり言うと人手が足りない』

「つまり、お前が追っている人物はこちらで好きにしていいってことか?」

『まあ、それでいいんじゃねーのってこと。どっちにしろ、俺の勘だとこいつ捕まえられないから』
 そう言って杉浦は苦笑している。

「というと?」

『手柄なんて、上が持って行くからな。合同捜査が始まってるし、本庁の管理官は浮き足立ってるし、その更に上はつかえねーし。それに俺らが追ってる宝生は今回の件で捕まえられないしな。今回の被害者はその宝生だろうから、何洗ってもこいつら捕まえられんのよ。その理由の一つに九十九朱明に関するここ30年弱の資料が一切無いってこともあるんだが』
 真田を追っているはずの杉浦が九十九の名を出したので鬼頭は不思議がって言っていた。

「お前が追っているのは、別の人間じゃないのか?」

『ああ、そうだけどそうじゃないって感じでな。なあ、俺の超飛躍した馬鹿げた話聞いてみるか? あんたらに腹抱えて笑って欲しいわけよ』
 どうやら今回もまた杉浦の得意技が炸裂しまくっているようだ。
 彼は謎の事件であればあるだけ、こうした技を繰り出してくる。だが、前にも言ったようにほとんど外れたことはない。

『まずさ。こっちの資料は上に提出してるんで、お前らでも手に入れてると思うが。今俺らが持ってる最新の情報は、ある人物の過去の指紋だ』

「指紋? そんなのは警視庁のデーターベースに山ほどあるだろう?」

『それが入ってないんだ。この資料によるとだ。主犯は17歳の少年、つまり少年犯罪の部類な上に、この資料、35年前のものだ。それから面白いことに、この調査の資料、破棄指令が出てる』 

「つまり、もみ消し工作があったってことか?」

『ああ。ガキの喧嘩にしちゃ、相手を病院送りにしてるから少年院は確定なんだが、何故か釈放されている。ガキの親はかなりの権力者だったみたいだし、もみ消しも金で解決。昔も今も変わらずってところか。そっちのファックスに確認用に一枚送ってみた。名前見てびっくりするなよ』
 杉浦はどうやら好奇心は掻き立てられるようで、妄想が止まらないらしい。
 そうして送られてきた資料を見た鬼頭は絶句するしかなかった。

 そこにある名前は九十九朱明と書いてあるのだ。

「何故、もみ消した資料が今更出てくるんだ……?」

『俺もそこには引っかかった。うちの情報提供者はこの時代からずっと九十九を追っていたらしい。熱狂的なファンらしいから、こんな資料も手に入れられたんだろうな。まあ、それはいいとして』
 捜査の調書が民間に流れていることを杉浦はあっさりと流してしまう。それに電話を盗聴して聞いていて捜査員がこけそうになっている。

「お前、あっさり流すな」

『重要なのはそこじゃないからだ。当時の警察関係者が情報流したことを問題にしたいならしてもいいだろうが、俺はこの情報流したヤツはもう生きていないと思うからもういいってわけ』

「まあ、確かにそれはどうでもいいな。だが九十九朱明の指紋なんて、データベースに入って……」
 そこまで言って鬼頭は次の言葉を告げなかった。

 さっき杉浦が言ったではないか。この指紋のデータは入っていないと。

『おお、察しいいな。この指紋とデータに入ってる九十九の指紋、一致しないんだなあこれが』
 これが何を意味するのか、それは考えるまでもない。

「まさか、この調書が本物だとしたら、あの事件の時に取った指紋の持ち主は九十九じゃなかったってことなのか……?」

『そういうことだろう。九十九についてはそっちが詳しいと思うが、こっちのデータでも確認したところ、九十九の武勇伝にあるような事件は何一つ資料が残ってない。あいつが神宮領(しんぐり)事件の容疑者として任意同行を求められるまでに捕まったであろう事件の資料は九十九の親が消している。九十九はその任意同行の際にわざわざ指紋まで取らせてるが、その後九十九が事件を起こした形跡はあんたらの方がよく知っているだろう』
 そう知っている。九十九があの事件後に何か行動をしたことは一度もない。

『なあ、あれだけのことをして、今でもヤクザの世界でもタブーとされる九十九が、神宮領殺したくらいで大人しくしてるのは変じゃないか? 俺が想像するに、神宮領事件の主犯も宝生の地方にある療養地を襲撃し、宝生の本妻の病院を襲撃したのも、そして九十九の一族を惨殺したのも全部、本物の九十九による犯行だと思ってる。あいつは公安や警察に見張られながらも、何度も事情聴取を受けながらでも、確実なアリバイを持って自分に害をなす人物を殺し回っている。だからヤクザ界は九十九の名をタブーとしたんだ』

 確かにそう言われれば、おかしなところはたくさんある事件が多発した年だった。

 唯一疑わしい人物は常時警察や公安の目を逃れることなく、盗聴や監視の目を恐れず、確実に自分に害をなすだろう人物を殺し回っている。当然裏に暗殺者でもいるのかと言われていたが、九十九から誰かにそうした連絡をしたことはなかったが、それでも疑わしいのみで30年もやってきたのだ。その根拠はヤクザ界が九十九の名を恐れるあまり、タブーとしていたからだ。

『俺は、神宮領事件の頃には既に九十九は誰かと入れ替わっていたと思っている。そうじゃなければ、色々辻褄が合わないんだよ、この事件関連は。んで、また超飛躍した意見を言うとすれば、九十九はお前らの隣にずっと住んでいたヤツ』

「お前、何故そんな結論に……まさか、この指紋が真田の部屋から出たとか言わないよな?」

『出た』
 杉浦はあっさりと答えを出した。

「なんだと!」
 鬼頭は信じられずに叫んでしまった。

『自称真田も用心してたらしく、部屋を出る時にハウスクリーニングをしたらしいんで、そこらには簡単に出なかったから諦めムードだったんだけど、さすがにクローゼットの中のバーの内側までは気が回らなかったらしい。なので出たのは1カ所のみ。鑑識が一日がかりで部屋中調べてもこれだけだ。おまけに長年使っててDNAや毛髪くらいはついているかもしれないソファは新品で、ベッド類は処分済みだ。徹底してるだろ?』

 ぞっとする徹底さだ。20年住んだところに指紋を一個しか残さないやり方。ベッドやソファだけは掃除してもDNAが残るかもしれないから処分した。これはもはやプロではないか。その一個の指紋は、ハウスクリーニングをした人間のうっかりしたミスなだけで偶然見つかったに過ぎない。もしそれがなかったら完璧だったはずだ。

 そう思い鬼頭が杉浦が上げた事件の資料を部下に集めさせて調べても、指紋すら残っていないことが分かった。当時の鑑識がそれほどの腕ではなかったとはいえ、徹底し過ぎている。

『それで色々調べていたところ、マンションの管理人が取っておいた5年前と去年の監視ビデオが偶然処分されずに残っていた。ちょうどテープの買い換え時で、取ったままのを置いてあったそうだ。それを管理人と一緒に見たんだが、何人か真田のところに出入りしていた電話持ちが映っていた。去年のに絞ると三名はいたようだ。その中にちょっと引っかかる人物が一人いる』
 杉浦はそう言ってそのビデオから起こした人物の写真をデータで送ってきた。

『そこに映っている5年前の電話持ちだが、数年前から行方が分からないらしい。まあ、そいつは死んでると思って無視していいが、もう一つの写真に映っている5年前の分と去年ので同じ電話持ちが一人いる。名前は法月(のりつき)というらしいが、本名かどうかは不明。15年前からいろんな所の電話持ちをしていたらしいが、10年前からは真田の電話持ち専門になっている』
 杉浦があっさり相手の名前を突き止められたのには鬼頭も驚いていたが、杉浦は自分で調べたわけではないと言うのだ。

『ほら、九十九の熱狂的ファン。あれから情報が流れてくるんだ。こっちの捜査が行き詰まるかって思うと、向こうから次に調べるべき何かが流れてくるから気持ち悪くて仕方ない』
 そう言いながらも一応はヤクザ関係者に法月という電話持ちだという確認は取ったらしい。

「この法月という人物を調べて、真田が確実に九十九だったという証拠にたどり着けるのか? 指紋一個では頼りない」
 指紋一個ではたまたま真田を知り合いで尋ねただけだったとしらばっくれる可能性がある。真田として隣にいた時、九十九は自分の顔を少しは真田に似せていただろうから今顔を変えている可能性だってあるので、真田だとして捕まえるのは困難だろう。

『これだけでは九十九までたどり付くのは難しいかと思う。偽真田の部屋から出た指紋が十七当時の九十九の指紋と合致したってことと、法月は真田のところに出入りしていたってことは分かったが……ああ、ちょっとまて。阿部、その電話貸せ』

 そこまで報告すると杉浦は向こうで何か話している。
 鬼頭はその返事を待つしかない。九十九についてはこっちが知っていると思っていたものが偽物だと言われ、更にマンションの隣に20年もいた真田正が九十九ではないかと言われ、さらには当時の指揮官であった遠山管理官が九十九の公安の情報屋だったと言われて、鬼頭は杉浦からもたらされる情報で全てのことが否定されてしまっていたからだ。

 公安内部でもこの鬼頭と杉浦のやりとりは傍受されているので、周りはみんな電話にかじりついている。まさか、こんなどんでん返しがあるなんて誰が予測しただろうか?

「なあ、これが本当だとしたら、自称真田が隣に住んでいたのは内部手引きがあったからってことにならないか?」
「そうだとしたら、俺らが集めた情報は全部筒抜け?」

「遠山管理官の不審死って……路上でいきなり誰かに撃たれたんだよな? まさかそれも九十九の仕業ってことか?」
「管理官って何の捜査担当してたって?」

「確か……九十九の捜査の後は大阪の火威(ひおどし)会調査の指揮を執ってた……」
「あれって、何かの情報ミスがあって、密輸取り逃したやつじゃないか?」

「あのせいで当時は遠山管理官自殺したんじゃないかって流れになりかかってたよな? 結局自殺では不自然な方角から撃たれていて、事件になったけど」
「大体おかしかったんだよ。遠山管理官が絡んだ火威会の情報ミスが多くて、現場の連中がまたかって苛立ってたし……」

「内部に情報流してるやつがいるんじゃないかって噂が立った頃に、管理官殺されてるから……きっと」

 九十九が情報を流していた遠山管理官の存在が内部で疑われてきたので殺したんじゃないか?

 誰もそうはっきりとは言わなかったが、そうとしか思えなくなってきた。

 九十九は神宮領(しんぐり)事件後、火威(ひおどし)会の幹部になっている。しかし彼が表立って動くことは一切無かったし、火威会も九十九に関しては放置の体制でいた。この不自然な関係をずっと疑って捜査してきた公安から情報が流れていたとしたら、遠山管理官のやったことは火威会にとって十分役に立っていただろう。九十九の捜査をする傍ら、火威会の情報だって入ってくる。その関係を洗うように捜査をしていた遠山管理官が、公安がどう対処するのか流していたとしたら、これまで火威会が大きくなるのを止められなかった理由が分かる。

『鬼頭、法月と別の物を結ぶ糸が見つかった』
 杉浦がそう言い出したので、全員が電話に集中した。