novel

ROLLIN'1-7

「ん……」
 響は嫌な匂いに首を振って逃れようとしていた。

 これが身体の中をだんだん支配していく。
 その感覚に堪えられなくなり、流されそうになるのを我慢するだけで苦痛になってきていた。さっきの男は、受け入れれば良くなると言っていたが、本当にそうなのかも疑わしい。

 なんとか、目を開けようと努力するのだが、それすら叶わない。
 側にいた男の気配が消えて、別の気配がした。

「響、大丈夫か?」
 すぐ側で声がした。

 とても心配した声。
 その声に響は聞き覚えがあった。やっぱり、楸がいるのだ。来てくれたのだと理解出来た。

「ひ……さぎ?」
 響は楸の名前を呼んだ。

「どうした?」
 はっきりとした声が返ってくる。
 響はその声に何故か安堵した。

 やっぱり、楸だ。来てくれたのは間違いない。それが解ると、今度は不満を言いたくなった。

「……きもちわるい……」
 身体を覆うこの気持ち悪さはどうにかならないものかと聞いたのである。
 楸には、きもちわるいの意味はすぐに理解出来た。この臭いの事を言っているのだと。ただ、どんな気持ち悪さなのかは、当事者でないから解らない。

「臭いか」
 そう聞かれて、ちゃんと伝わっている事が解った。

「これ……何?」
 自分の身体を覆う幕のようなモノ。
 靄がかかって周りが良く解らない。
 それを楸が説明した。

「お前に合わせたマタタビだ」

「何それ……?」

 マタタビ?
 猫が恍惚になって喜ぶやつ?

 人間にマタタビなど聞いた事もなかったので、響はじっと考えてしまった。でも考えは纏まらない。思考はどんどんなくなっていく感じがしてきた。

 そう楸の声が聞こえだしてから、また何か別の匂いを嗅がされている気がしたのだ。

「こういう事だ」
 楸の手が胸に触れたとたん、響の身体が跳ね上がった。

「あっ!」
 触れられたところから熱くなってくる感覚に響は驚いた。

「気にするな。そうなるように仕組まれただけだ」
 楸は感情のない声でそう説明してくれる。

 この熱さはなんだろう?

 そう考えているうちにだんだんと意識が無くなっていく響。
 何か喋ってなければと思ってももう思考は纏まらない。

「ん……」

「眠いなら眠ってろ。それで全部終わる。大丈夫だ、次起きた時も俺が側にいる。心配するな」
 楸がそう言ったので、響は安心して眠る事が出来た。
 さっきまでの怖さは何処にもない。

「ん……」
 何が起ったのか解らないが、今は楸が側にいる。
 それだけで響は安心出来た。
 さっきまでの不安も何処にもない。

 そのまま響は気を失うように眠ってしまった。そのまま意識を失った響の髪を撫で、楸は身を起こした。

「勝手にごめんな……」

 準備が出来たのを確認した楸は溜息を吐いて、その儀式の準備に取り掛かった。





 次に響が目を覚ましたのは、外が暗くなっている時間だった。
 灯は手元の灯だけが煌々と光っている。

 最初に思ったのは身体がダルイということだけ。
 全身が疲れているとしか言えないような感覚。

「ん……?」
 重い目を開けると、そこは見た事も無い天井。
 古い木目が見えるから、自宅ではないはず。

 うーん、うーん?

「ここ何処だっけ?」
 そんな呟きに答える声があった。

「宝生組の総本家だ」
 ハッキリとした声が返ってきたので、響は声がした方を振り向いた。
 そこには楸がいて、隣で響の顔を覗き込むようにして頬杖をついていた。

「楸?」

 なんで楸が隣に?

 そう考えてもどうも記憶が曖昧だ。
 暫く楸の顔を覗き込んで考えていると、楸が呟くように言った。

「身体、大丈夫か?」
 楸は言って、響の頬を撫でた。

「え?」

 なんで身体の事?

 そう思って起き上がろうとしたが、全身に痛みが走って起き上がる事が出来なかったのだ。

「いたあ……」

 なんだこれ……!!

 普段傷みを感じない場所に激痛が走る。
 これと似た感覚をつい最近も味わっていた事を思い出したのだが、それとは比べ物にならない程だった。

「無理に起き上がる事はない」

 無理に起き上がろうとする響を楸が抑えた。寝かせて、今度は髪を梳くってくれる。それは気持ちが良かった。
 その気持ち良さに気をよくした響は楸に尋ねた。

「どういう事?」
 響は自分の身体に何が起ったのか解らなかった。
 大体どうしてこんな所にいるのかも。会社を出た後の記憶が混濁していて、なかなか思い出せない。
 すると楸が説明を始めた。

「お前を誘拐するように連れ去ったのは、本家にいる老院達だ」
 そう楸に言われて響はハッと思い出した。

 そうだった、俺誰かにここに連れて来られたんだ。
 そう思って次々に思い出す。
 変な連中に連れて来られた場所にまだいるのだ。

 だがそこに楸もいるということは、本当に宝生組の総本家なのだろうと思う響。
 でももうあの甘ったるい匂いはしない。

「なんで俺が連れ去られるんだ……」
 そこが解らない響である。

 楸に用事があるのなら、楸を通して何か話があるはずである。でも誘拐まがいのことまでして、響自身を連れてくるのはおかしい話だ。まったく理解が出来ない。それに身体が痛いのも訳解らない。

 そうすると、楸がびっくりするような事を言い放った。

「俺が囲っているのが、本当に男かどうかを調べたかったらしい」

 はああああああ??????

「何だよそれ……」
 囲うってなんだよ……。
 俺は普通に借金返す為に働いているってのによ……。

 深い溜息が漏れた。
 更に楸は説明を続ける。

「調べてみたら本当に男だった。しかもその男はちゃんと俺に抱かれているときてる。それは妻扱いと変わらないじゃないか。そうなれば、儀式をしなければ、という事らしい」
 楸はそう説明したのだが、儀式が何なのかさっぱりである。

「もう……ホントに何だそれ……」
 本当に訳解らない事を更に訳解らない理由で説明されても、どうひっくり返っても理解は出来ない。

「ホントに男の妻を囲っているなら、儀式して証明しろときたので証明したまでだが……」
 楸がそこまで言ったところで、響はいきなり理解が出来てしまった。まさかと思いたい。でも、これはやっぱそうなんじゃ…という思いが巡る。

「証明ってどうやって……」
 聞きたくないけど、聞かなきゃ話が進まない。

「後継人達の前での公開セックス」
 楸の言葉で、響はだるくて痛い身体を無理矢理起こして叫んだ。
 セックスはしただろうとは予想は出来ても、公開セックスなどとは思いもしなかったのだ。

「なんだって!!」
 叫んでよく見ていれば、自分と楸は同じ布団の中にいる。
 まさしく今さっきまでセックスしてましたよーという感じなのである。

「やっやったのか……」
 聞きたくないのに、再度聞いてしまうのも響の性格だ。信じられないという顔と声で聞いたのだが。

「ああ、証明した。これでお前は俺の伴侶だ」
 楸は淡々と答えた。

 それに頭を抱える響。
 嘘だろ!一体いつの時代の話だ!と言いたい所である。

 昔には、婚姻を交わした人が初夜を迎えるのを見届ける見届け人なるものがいるのは知っていた。
 それがヤクザの世界にあるとは思わなかったのである。

 まあ、こうして大きな組織である宝生組では、代々見届け人なるモノが存在する。
 本当に契約結婚でしか成り立たない世界なので、妻になる人物と本当に結ばれたのかどうかを確認する見届け人があの老幹部の役割なのだ。

 例えそれが男同士であろうと関係はないらしい。
 特に楸の場合、女性を伴侶に迎える訳にはいかない。だから、響が男である証拠に儀式をするしかなかったのである。

「ここの奴らは、ここ数日、お前を見張っていたらしい」
 楸にそう言われて、響は瞬時に理解出来た事があった。

「そ、それでか、あの視線!」
 響はやっとあの視線が何者だったのが解った。
 響が本当に男で、何者なのかを調べられていたのだ。その視線が強かったのと、響への興味に溢れていたのは、本当に観察していたからなのだ。

「ちょっと待て……」
 響は楸の話に納得しかけていたが、ふと気が付いた。

「なんだ、お前の伴侶って?」
 そこが需要だった。
 全員が納得しても響が納得出来ない。

 伴侶ってなんだそれ!?
 というところだ。

「お前以外いないな。俺はお前しか抱かない。しかも儀式は成功したし、認められた。つまり、お前は俺の伴侶と決まった訳だ」
 楸ははっきりと言い切った。
 それに激怒する響。

「それはお前の勝手だろ!俺の意思はどうなるんだ!」
 いきなり男の伴侶だなんて言われて、はいそうですか、とは納得出来る訳がない。怒らない方がおかしい。

「意思はないだろうな」
 楸は切って捨てるように言い放った。

「ちょっと待てって!!」
 そこで揉める二人。

 響の意思を無視した儀式である。

「元々、伴侶になる人物には意思はないもんだ。だから薬を使われたんだぞ」

 そう言われて響はあの甘ったるい匂いを思い出した。
 最後には気を失う程の強烈な匂いのせいで、響の意志は奪われた形になったのである。

「本家公認になったんだ。これでお前の意志に関係なく抱ける。まあ、やり方は気に入らないが……」
 ちょっとだけ不満だという態度の楸に響は。

「気に入らないどころじゃない! 何で伴侶なんだ! ふざけんな!」
 そう叫んでしまった。

 その時。

「宜しいでしょうか?」
 襖の向こうで誰かの声がした。
 ぎょっとしたのは響だ。起き上がってしまったので、裸のままだったから、思わず慌てて楸が被っている布団の中に潜り込んでしまった。
 そんな響の行動を笑いながら、楸は響を隠すようにした。

「何だ」
 楸が答えた。響は固まったままである。

「お夕食をお持ち致しました、お食べになられますか?」

「頂こう」
 楸がそう答えると、襖が開いた。

 もしこの人物も見届け人だったとしたら、恥ずかしくて顔を合わせられない。いや、この屋敷にいる人達は全員儀式が行われた事を知っているのだろう。

 必死に隠れている響を笑った楸は、響を抱いてわざと頬にキスをしてくる。

 ふざけるなー!!
 と叫びたい響であるが、そこにる女性が気になって、顔を上げる事も出来ず、楸にしがみついたままである。
 でも食事を運んできた女性は、まったくその事には突っ込みも入れずに、さっさと手慣れた様子で食事の準備をしていた。

「おまえ……」
 運んできた女性が下がっていくと、響は楸の背中を殴った。

「ふざけるなっ!俺は認めないぞ!」
 憤慨した響であるが、それも楸には通じない。

「認めるも何も、お前は俺の伴侶になったんだから、諦めろ」
 楸は淡々と言い放ったのであった。

 それを認めないんだーーーー!!!!
 あまりの怒りに声にもならない台詞だ。

「それより腹減っただろ。お前、朝も昼も眠りっぱなしだったしな」
 もう響が怒っている事には触れず、楸は別の話題を振った。

「ああ! 腹減ってるよ!」
 喧嘩腰になって響は言い切った。

 自分が知らない間に一日が終わろうとしているのだから、お腹が空くのは当たり前だ。
 のっそりと起き上がって、楸が差し出した浴衣を着て、用意された食事の前に座る響。
 そんな響をクスリと笑って見つめる楸だった。

 いざ、食事を前にして響は本当にお腹が空いたのを実感した。それは同時に自分は健康である証拠だ。
 だが、並べられた食事を見て、響は呟くように言った。

「豪華だな……」
 食事は日本食で、かなり高価な食材が並んでいる。自分で作ろうと思っても作れないだろうな料亭の食事。

「そりゃ新婚向けの食事だからな、お祝用だ」
 楸がそう説明したのだが、食事を目の前にした響には右から左にその言葉が抜けただけだった。

 もう伴侶とかそういう言葉は受け入れないらしい。
 つーか、理解出来ない事は聞き流すようにしたらしい。  

「いただきます」
 とにかく体力回復には食事が一番と思ったのだろう。美味しいを連発しながら、物凄い勢いで食事を平らげて行く。

 楸は笑いながらご飯を食べていた。
 食欲があるなら元気な証拠だ。

 響は綺麗に全部食べた。残すのは失礼だと思ったらしい。

 お腹がいっぱいになると、また眠くなったのか、響は這って布団に戻って倒れた。
 楸も食べ終わったところで、それを下げる女性が現れた。
 まるで見張っているかのようなタイミングである。

「なんか見張られてる感じがする」
 響がそう言うと、楸は布団に座って、タバコを吸いながら答えた。

「見張られてるんだよ」
 その即答に響は驚いて身体を起こした。

「え?」
 なんだって!?
 見張られている?

「ここにいる限り見張られてる事になるな」

 この部屋には隠しカメラが設置されていて、全ての行動を見張られているのだという。
 ますます信じられないという顔になる響である。

 というか、常識はずれ過ぎて、もう付いていけないという感じであろう。呆れたようになって溜息を吐いた。

「いつまでここにいればいいんだ?」
 うんざりして尋ねると、意外な言葉が返ってきた。

「お前が目を覚まさないから帰れなかったんだぞ」
 響のせいだと言われて、響は一瞬キョトンとしてしまう。

「そうなのか?」
 
 実は楸は儀式が終わったあと帰ろうとしたのだが、響が腕を離してくれなくて身動きが取れなかったのだ。まあ、それを説明しても本人は納得しないだろうから、楸は言わなかった。

 それにすやすや休んでいる響には、この事をきちんと説明する必要があったので、このまま何もなかった事にする訳にはいかなかったのである。

 今までの経過を説明するには、響にはここに居てもらわなければならなかった。
 そうでなければ、響に説明するのは難しい事だったからだ。

 そう説明されて響は納得した。
 こんな非現実な出来事をあのマンションで説明されてもピンともこなかっただろう。

 ここだから説明出来た事でもあった。

 それに楸は言わなかったのだが、寝ている響を起こしたくなかったというのもある。
 昨日は自分だけがいい思いをしたからだ。

 響にはきついだろうと思っていた事も、この儀式を利用して抱いた。
 それくらい楸は響に飢えていた。

 四六時中抱けるだけの状況なら、例え誰が見ていようとどうでもよかったのである。まあ、意識がない響を抱いても楽しくないという事だけは、しっかり学習した。

 それに、公認された事に喜んだのは楸の方だったのである。
 響はまだ納得してないだろう。

 意識がない間に抱かれたなど受け入れてくれないだろう。

 だが、老幹部の素早い動きには楸も頭を抱えていた。
 老幹部は、楸が響を抱けば、楸が女性を迎えないという証拠にもなるので、儀式が必要だった。
 そこまでして耀を大事にしているという事になる。

 それは解る。
 だからとて、まだ早過ぎたとは思った。

 響を口説き落とすのに喜びを感じていた楸には、その愉しみを奪われた感じなのである。だが、それでも響が欲しかったし、理由をつける事が出来たのは、楸には有利な事だ。

これから、時間をかけて口説くというのも、またやり方が違うかも知れないが、一興だと思う事にした。