novel

ROLLIN'1-13

 楸に愛の告白をされた響は暫くその意味を考えていた。
 忙しいはずの仕事にも手が付かない状態にまで陥っている。

「月時(とき)さーん」
 今日何度目かの徳永の響を呼ぶ声。

「え? 何?」
 その声で我に返る響。

「月時さん、またボケてましたよ。俺の話聞いて無かったでしょ」
「え?ええ?」
 響は意味も解らずにキョトンとしてしまう。

 何で仕事中まであいつの事を考えなきゃいけないんだ。
 そんな思いは今必要無いとばかりに頭を振って切り替えた。

「さっき居酒屋での忘年会の約束しちゃいましたよ」
 徳永にそう言われて響は目を見開いて驚いてしまった。

「嘘……」
 そんな話になってたとは思えず、響は狼狽えた。

「本当です。佐々木さんが忘年会やりますけど、月時さんも出て下さいと言ったら、月時さん、「解った」って頷いたんですよ」
 徳永はそう言って、クスクス笑っている。
 冗談じゃ無いっと響は思った。

「俺、酒駄目だから……断わらなきゃ」
 響は佐々木を探して立ち上がった。だが、その見付けた佐々木は女性社員と盛り上がっている。

「えー!月時さん出るんですかー? じゃ、あたしも出ようかなー」
「滅多にそういう事ないしね」
 などと、もはや断わる事が出来ない状況に陥ってるではないか。

 はあっと溜息を吐いて、響は椅子に座った。
 ここまで会社関係者を拒絶することは出来ない。

 何かの催しにいちいち断わっていく事が出来ないのである。
 そういうわけで、響は忘年会行を承諾する事になってしまった。

「月時さんって何で酒駄目なんですか?」
 ちょっと一杯の酒でも響は断わっていた。

「いや、ちょっと酒癖悪いから気を付けて禁酒してんだ」

「酒癖悪いんですか?」
「ああ、過去最悪な事もあったし……」
 響はそう答えた。

 自分がキス魔だけならいいにせよ、セックスまでに及んでしまった楸との事もあるからだ。
 あれから酒が恐くて飲めないのである。

「酔って絡むんですか?」
「ああ、絡むらしい」

「説教ですか?」
「説教」
 あくまで悪い方の印象を与えておく響。そうすれば誰も無理して酒を飲めとは言わないだろう。

 会社でも、かなり説教をしている方の響である。
 それが酒の席で出るとなると人はいい気はしないだろう。

「うわー、酒の席でまで月時さんに説教をされるのは俺なんだろうなー」
 徳永は大袈裟に嘆いてみせた。

 できれば説教で済めば響も万々歳である。

「忘年会っていつ?」
「今日ですよ。明日は土曜だから」

「う……」
「断われないですね。今日なんて仕事早く終わっちゃいますし」

 そうなのだ。仕事は午前中に殆ど片付いてしまい。残業までいかないのである。定時にはのんびりやってても終わってしまう量 しか残って無い。
 それを見計らって、忘年会という話が出たのだろう。

 はあっと深い溜息を響は吐いてしまったのであった。

「月時さーん、助かりました」
 忘年会幹事の佐々木がそう言って戻ってきた。

「うちの部署、女性が多いから月時さんが出るってだけで、かなりの人数確保出来たんですよー」
 上機嫌の佐々木。自分が幹事するなら人をちゃんと集めたかったのであろう。

 響の参加だけで、この部署の忘年会の人数は過去最高になったようである。

「今更出れませんじゃ無理?」
「無理です。出て下さい、最初の乾杯くらいはいてもらわないと困ります」
 佐々木に断固として言われてしまって、響はまた溜息を吐いた。

 まったく楸のせいで変な話になってきたじゃないか……!

 ここにはいない、しかも関係ない相手に響は文句を言ってしまった。

 仕方ないので、忘年会には最初の方だけ顔出しをすることにした。それには、まず耀の方の九猪に連絡を入れて、迎えにいけない事を言わなければならない。

 とりあえず、九猪には、「忘年会がいきなり組まれてしまって、最初の方だけ出ないといけなくなったので帰りは迎えにいけない」と連絡した。

 そっちはそっちで連絡は簡単についたのだが、その後、まさかな相手から電話がかかってきたのである。

 携帯を見ると、着信「宝生楸」。響はどきどきしながら電話に出た。

『忘年会だと? まさか酒飲むつもりじゃないだろうな?』
 いかにも怒ってますという口調で開口一番そう言われてしまう。

「か、乾杯の一杯だけ付き合って、逃げ出すつもり」
 響は本当にそうするつもりだったので正直に答えた。

 まさか酔いつぶれるまで飲む訳にはいかないのは、楸に言われるまでもない。自分が自覚している事なのである。

 響はそう答えたことで、電話の向こうの楸は暫く黙っていた。なんだろうと耳を澄ませていると、向こうで何か話している声が聴こえた。
 仕事の途中なんだろうな。そう思った響は電話を切ろうとした。

「じゃ、早めに抜け出して帰るから」
 響がそう言ったのが聴こえたのか、楸が電話に戻ってきた。

『待て、場所は何処だ』
「場所?」

『そうだ、場所だ』
 その場所は何処なのか、響も聞いて無かったので、側にいた徳永に聞いた。場所は会社近くの居酒屋「どん」。それを楸に伝える。

『解った、どうせ抜け出せないだろうから迎えに行く』
 楸はそう言ってそのまま電話を切ったのである。

 え? 迎え? 行く?

 響の頭の中は?マークが沢山浮かんでしまった。

 迎えを寄越すなら解るが、迎えに行くとなると、楸自身がくるような言い方に聞こえたからだ。

 まさかと思いそれを聞こうとしたのだが、すでに電話は切られていた。だが、再度楸に掛け直す勇気の無い響である。

 まさか、まさかだよな。聞き違いかいい間違いだよね。
 響は携帯を握り締めたままにそう呟かずにはいられなかったのであった。



 

 仕事が定時前に終わって、響はのんびりと月曜の仕事にも着手したところで仕事を切り上げた。

 周りはまだあたふたと仕事を終わらせようとしている社員もいたが、それを横目に響は徳永とコーヒーを飲みながら雑談していた。

 とりあえず、幹事の佐々木の仕事が終わらないことには、どうにもならない。大抵の社員は全員で居酒屋に向かうことにしていたので、せっせと残業に追われているしまつ。
 そんな大変な思いをしても、忘年会には出たいらしい。

「そんなに酒飲みたいのかね」
 響の口からそんな呟きが漏れた。

「そんな事言うのは、酒癖が悪いという月時さんだけですってば」
 徳永はそんな事を言った。

「それに月時さんが初めて参加するとあって、皆、月時さんと飲んでみたいと思ってたから、大騒ぎになってるんですよ」
 この中に入っているのは徳永も同じである。

 いつも月時響と酒を飲み交わしたいと思っていたのに、響は伯父の子供を見る為にと、最近普通の付き合いも乏しくなってきていた。前は、休日に軽く食事をするくらいなら響も付き合ってくれてたのに、ここ数カ月それもなくなってしまったのである。

 家の事情だか何だか知らないが、響が何かに縛られていると思っているのは徳永だけではなかった。
 その縛られている事がただの甥ッ子の面倒を見るだけとは思えないとさえ感じ始めている社員もいる。

 朝夕ともにベンツが付き添っていて、響を出迎えしている。

 これで社員達は、伯父というのは、金持ちでどっかの企業の社長か何かで、響を引き抜く為に、もしくは、会社の跡継ぎにする為に接触を計りにきて、響を拘束しているのではないだろうかという憶測がこの部署だけでなく、他の部署でも聞かれるようになっていたのである。

 知らぬのは、甥っ子の面倒を見ているだけだと言い張る響くらいのものだ。

 その響は、いつも通りに仕事をこなして、定時に帰っていく生活を苦にもしてないようだった。時折、心労が重なったかのような表情をして疲れている様子もあるが、その他ではまったく今までと変わらないのである。

 だから、誰もがはっきりと聞けなかった。
 本当は、どういうことなんですか?とは。

 でも、その響は最近、色っぽく見えるのはどういう事なんだろうと、徳永以下、男性人、そしてそうした事に敏感な女性社員ははらはらとして見ていた。

 ただでさえ、可愛い顔をしているのに、それに色っぽさが加わってしまって、誰もが戸惑っているのである。

 そんなことになっているとは、響はまったく気が付いて無く、いつも通りに厳しい表情で仕事に取り組んでいる。

「佐々木さーん。そろそろ時間ー!」
 先に仕事が終わっている社員からそんな声が上がった。
 それを合図に全員が仕事を切り上げたのである。




 向かった居酒屋は会社から10分ほど歩いた場所にある、昔なじみの店だった。
 雰囲気は大変よく、初めてここへ足を踏み入れたのは、響くらいであろう。

「へえ、雰囲気いいね」
 ざわざわとした飲み客も溢れている中を通り過ぎて座敷に全員が上がった。

 総勢20名というところだろう。
 それぞれに席を取り、響も適当に座ろうとすると、何故か佐々木に隣に座るように言われてしまう。

 この佐々木が曲者であるのは響も解っていたので、断わって徳永の側に座った。すると、女性社員が挙って響の側に座ろうとしたことで少し揉めてしまった。

「何処でもいいから、さっさと座れ!」
 目の前で諍いを起こされては、響も黙っている訳にはいかなかった。

 適当に「君はそっち、君は向こう!」と仕切って座らせる場所を決めてしまった。
 さすがに響にそう言われると大人しく席についた女性社員達である。

 たくっ!
 なんで俺が仕切らなきゃならないんだ。
 そんな怒りを佐々木に視線だけ向けて怒った。

「ほら、月時さん怒らせると恐いから、皆ちゃんと席に付いて」
 佐々木はやっと幹事力を発揮して全員を座らせることに成功した。

 それぞれにメニューを配って、最初はビールで乾杯が決まった。それが運ばれてくると、幹事の佐々木がこう言い出した。

「月時さんも初参加の忘年会だ。皆、まだ仕事は残っているが年忘れといこうじゃないか!それじゃかんぱーい!」
 かんぱーいとあちこちで声が上がって皆一気に酒を煽り出す。

 響は少しだけビールに口を付けたが、それ以上は飲まなかった。この一杯だけで終わらせて帰るつもりだったからだ。

「月時さーん、飲んで無いですよー」
 わいわいと飲みだすと、絡んでくる輩もいる。

「ああ、飲んでる飲んでる」
 それでもたった一杯で酔いが回りそうな響だった。

 なんとか、自制心だけで酒を飲むまいと押さえている状態である。これで羽目を外して飲んだらどうなるか。それを考えただけでも恐いからだ。

「月時さん、ホントに禁酒してたんですね」

「ああ?」
「顔、もう赤いですよ」
 たった一杯だけなのに、響の顔はもう赤くなっていた。

「だから、絡み酒になる前に退去したい」
「無理っぽいですね」
 そう言った徳永である。

 それもそのはず、いつの間にか響は女性社員に囲まれてしまっているのである。

 冗談じゃない!
 なんとかして逃げなければ。
 響はそう思い、まずお手洗いと称して席を抜け出した。

 トイレかどっかで酔いを覚ませばいいだろうと思ったからである。
 それでも、足下は覚束無い。

 やばい、回ってきたかも……。
 禁酒が祟ったのか、酔いが回るのが早くなってきている。

 なんとかトイレまで辿りついて、中で一息ついた。
 こっからどうやって抜け出すべきか。

 そんな事を考えながら響は溜息と共にトイレを出た。
 そこで人にぶつかってしまう。

「あ……すみません」
 そう響が謝ったのだが、いきなりその人物に腕を掴まれたのである。

「え?」
 何だろうと顔をあげると、そこには、あの楸が立っていたのであった。

 う、酔い過ぎたのか?
 そう疑ってしまうほど、はっきりとした楸の姿。

「酔い過ぎたのか、これが楸に見えるぞ」
 開いてる手で楸らしき人物の頬を撫でた。
 すると。

「お前、もう酔ってるのか」
 呆れた声。それもはっきりとした楸の声だった。

「え? 楸? 本物?」
「偽物でも現れたのか?」
 ニヤリとして楸に言われてしまった。

「偽物はいないけど……迎えに来たのか?」
「約束通りだ。ほら帰る準備をしろよ」
 楸は響の腕を引っ張って、忘年会をしている場所まで連れて行かれた。

「月時さーん、遅いっすよ!」
 完全に酔った佐々木が絡んでくる。
 それを無視して、響はまだ酔ってない徳永に言った。

「ごめん、もう抜ける。後は任せた」
 響はそれ以上何も言わないで鞄を持つと、非難の声が聞こえる座敷を後にした。
 部屋を出ると、楸が待っていた。

「帰るぞ」
「ああ」
 それだけ言葉を交わして居酒屋を後にした。
 外は冷たくて酔っている響には心地イイ風が吹いていた。

「おお、気持ちイイ」
 ふわふわした足取りの響を楸はしっかりと肩を抱いて支えている。

「飲みたいなら、家でも飲める。酒の相手をしろよ」
 楸にそう言われながら、響は車の後部座席に乗せられた。

「いいね。久しぶりに飲み明かすか」
 酔って上機嫌の響は軽くそう答えた。
 すると楸がニヤリとしたのである。

「約束だな」
「ああいいよ」

 だが、酔いつぶれたら終わり。そんな言葉は、今の響には浮かばなかったのである。