novel

ROLLIN'1-15

「月時さん」
 会社の仕事が一段落したところで、新人の早瀬と徳永と昼食に出た時の会話だった。

「何?」
 響は食後のお茶を飲みながら話し掛けてきた早瀬に顔を向けた。

「月時さんって恋人いるんですか?」
 いきなりの質問に響はお茶を吹き出しそうになった。
 それを横目に徳永も同じようにお茶を飲み損ねて気管に入ったらしくゲホゲホと咽せている。

「はあ?」
 響はやっとそれだけ言えた。
 徳永はまだ咽せている。

「なんでそう思うんだ?」
 響は早瀬に聞き返した。
 何を根拠にそんな事を言い出したのかさっぱりな響。一方早瀬は真剣な顔をして響を見ている。何か言いたそうにして。

「この間、俺、見ちゃったんです」
 何を?とキョトンとなる響。

「この間の忘年会の時ですよ。かっこいい強面の人と一緒に車に乗る時、キスしてたから」
 早瀬の言葉にギョッとしたのは響だった。

 まさかそんな所を会社の部下に見られていたとは思いもしなかったからである。あの日は確か全員一緒に行動していたはずだ。もちろん、そこには早瀬もいたはずである。
 それなのに見ていた?と目を見開いてしまう響。

「何処で……」
 否定するのを忘れて、響は早瀬に聞いてしまった。

「俺、残業してて、遅れて到着したんです。それで……見ちゃったんです。あれって月時さんの伯父さんとかじゃないですよね? 年令が伯父さんって歳じゃ無かったし」
 そう聞かれて響は返答に困った。

 どう説明すればいいんだろうか?

 楸は伯父さんという歳ではないのは確かである。同年代と言った方がしっくり来る話になる。
 どう説明していいのか少し悩んで、響は少しの嘘と本当の事を話した。

「実はあれは伯父さんの長男で、近くまできているからって迎えに来てくれたんだ」
 そう響が話すと、なんとなく納得した感じになった。

「で、キスは?」
 それを言われて響は少し恥ずかしそうに話した。

「実は俺、酒飲むとキス魔になるらしいんだ」
「キス魔!?」
 それには徳永も驚いた。

「月時さんが酒飲まないのって、その癖のせいですか?」
 徳永はいつも一杯飲もうと誘っては断わられていたので、これが原因かと思ったらしい。

「そう。自覚があるので飲まないようにしてたんだ」
 響は恥ずかしそうにそう答えた。

「もしかして、この間もやばかったんですか?」
「うん、やばかった」

「残念だなあ。キス魔の月時さん見たかったですよー」
 徳永は本当に残念がっていたが、早瀬はそれ以上何も言わなかった。

 追求は免れたのかな?と響が早瀬に目をやったが、早瀬はそれ以上興味を失ったかのようにそっぽを向いて何の感情もない顔をしていた。




 社に戻って仕事を再開させる。
 今日の仕事の量は多い。もしかしたら残業決定かもしれないと思いながら、響は書類整理をしながら企画書に目を通 していた。

「月時さん、今日残業決定ですよねえ」
 必死に書類に目を通していた徳永がそう言い出した。

「出来れば早く終わらせたい」
 響は顔を上げずにそう答える。

 最近仕事は忙し過ぎで、耀の面倒を見ていない状態になっている。それでも楸は仕事を辞めろとは言わないのでそれに甘えている状態だ。

 耀の面倒を見ることで借金返済になっているのだから、なるべくなら早く仕事を終わらせて帰りたいのである。

 だが、そうは問屋が卸さない。
 仕事の量は、決算月が近付くと増えるものである。
 なんとか耀が寝る前に帰りたいとは思いながらも、定時には仕事は終わらなかった。

「ごめん、ちょっと携帯かけてくる」
 仕事を途中で中断して、仕事場を抜け出した。
 まず九猪(くい)に電話をかけて迎えにいけない事を伝えた。

「すみません、今日残業決定です。迎えにいけないので、先に耀を引き取って下さい。なるべく早くに戻ります」
 そう響が伝えると、九猪が言い出した。

『じゃ、五代目に連絡して下さい』
 そう言われて響はキョトンとする。

「何故?」
 今まで楸に残業の事を連絡した事はない。いや、寧ろする必要がないのである。それなのに、九猪は連絡してくださいと続けるのである。

「じゃ、楸に連絡すればいいんですね」
『お願い致します。こちらの方はお任せ下さい』
 そうして電話を切った。

 なんで楸に連絡しなきゃならないんだろうと思いながら、響は楸に連絡を入れた。
 幸い、携帯はすぐに繋がった。

「楸、俺だけど」
『どうした?』
 どうしたじゃないだろうと思いながらも、響は残業が決定した事を伝えた。

『で、何時頃終わりそうだ?』
「えーと、あと二時間くらいはかかると思う」
 見積もってそれくらいの量は残っている。

『解った。その時間に迎えに行く』
 いきなり楸がそう言い出したのである。

「なんでお前が?」
 今まで楸が残業した響を迎えにきた事はない。
 その必要がないように、三束がいるのだから。

『ちょっと近くまで寄る用事があるからだ。そこまでだったらわざわざ他から迎えを寄越す必要もないだろうと思ってだ』
 楸はそう言ってるが何か変である。
 だが、その時は響は気が付かなかった。

「解った、迎え宜しく」
 響は納得出来なかったが、楸がそう決めたのなら足掻いても無駄なのである事は悟っていた。

『じゃ二時間後』
 そう言って携帯は切れた。

「たくっなんでこうなるんだ?」
 響は独り言を囁いていたのだが、後ろに人がいたのに驚いた。

「うわっ! なんだ、早瀬か……」
 後ろで突っ立っていたのは、新人の早瀬だった。

「すみません、驚かせました?」
「ああ、ちょっとびっくりした」
 響は携帯をしまいながらそう言った。

「早瀬も電話か?」
「ええ、まあ」
 早瀬は曖昧に答えて携帯を取り出した。

「じゃ、早く戻れよ」
 響はそう言って早瀬の肩を叩いて仕事場に戻った。

 仕事を再開して、賢明に早く終わらせようと響は一生懸命だった。
 それから一時間経ったころ、徳永が言い出した。

「月時さん、先に上がらせてもらっていいですか?」
「どうしたんだ?」

「実は、7時に上京した友達と待ち合わせしてたんです」
 徳永はそれを今さっき思い出したようだった。

「なんで早くそれを言わない」
「忘れてたんですって」
 それを思い出したのは、さっき残業中になった携帯メールからだったようだ。

「何処で待ち合わせなんだ?」
「東京駅です」

「呆れた。お前、間に合わないぞ」
「分ってますよー。だからぎりぎりまで仕事して遅れることは伝えてますから」

「仕方ないなあ。こっちももう少しでケリがつきそうだから、お前、もう帰っていいよ」
 響は溜息を吐いてそう言った。

 友達と待ち合わせしている。しかも上京した人となると、待たせる訳にはいかないだろうと思ったのである。

「すみません。お先に失礼します」
 徳永はホッとした顔をして、鞄を掴むと飛び出して帰って行った。

 響はもう一度溜息を吐いて、再度仕事に向かった。
 幸い、徳永の分は殆ど終わっていたので、それほど時間がかかることはなかった。

 やっと仕事が終わってホッと一息吐いた時、部署に誰かが入ってくる音がした。

「あれ、月時さん、残業でした?」
 そう言ってきたのは早瀬だった。
 早瀬は定時近くに仕事が終わって早めに帰っていたはずだった。

「ああ、残業は終わった所だ」
 響はホッと息を吐いて、書類を整とんした。

「お疲れさまです。これ、どうぞ」
 そう言って早瀬が差し出したのは、コーヒーだった。

「お、サンキュ。ところでお前どうしたんだ?」
 コーヒーを貰って、それを一口飲んだところで早瀬が答えた。

「忘れ物です」
 早瀬は淡々と答えた。

「そっか」
 響はなんだか嫌な感じがして、さっさとコーヒーを飲んだ。
 何か、早瀬の様子が変な気がしたのである。

「さて、俺も帰ろうと……」
 楸が下にいるかどうか、電話してみよう。
 そう思って携帯で楸に電話をかけようとした。指が動いて楸の名前を探し出して電話をかけたところで、何故か携帯が手から滑り落ちた。

「あれ?」
 なんで携帯落としたんだろうと、響は不思議に思いながら携帯を拾おうとすると、今度は自分が転がってしまった。
 床に転がった響は、キョトンとしていた。

「な、何?」
 なんだかろれつすら回らなくなってきている。
 側には早瀬が立っている。
 ちょうど目の前に早瀬の足が見えた。

「はやせ……?」
 響が転がったというのに、早瀬はまったく慌てていなかった。それどころか、冷静に響を見つめていたのである。

 どういう事?
 響にはさっぱり解らない。

「なんだ、本当に速効性なんだ」
 そんな声が上から聴こえた。早瀬がそう言ったのだ。

「なんだ……これ」
 響はなんとか起き上がろうとしたが、身体に力が入らない。
 身体を起こすだけでやっとなのである。

「悪いと思ったけど、薬使わせて貰った。月時さん、あんた腕っぷしだけは強いらしいから」
 淡々とした冷静な早瀬の声が聞こえる。

 どうして?
 訳がさっぱり解らない。

 なんとか上半身だけ起こしたところで、早瀬がしゃがみこんできた。それでやっと顔が見えた。

「はやせ……?」
「月時さん……あんた綺麗なんだもん」
 呟くように早瀬が言った。

 何?
 頭まで朦朧としてきた。なんとか神経を尖らせて起きていようと努力する響。

 ぐっと顎を掴まれて響は顔を上げる状態になる。

「まさか、月時さんがヤクザなんかに飼われているとは思わなかったよ」

 なんでそれを……!
 響は目を見開いて驚いた。

「調べたんだ。情人なんだってね。あんな男に……」
 早瀬はそう言うと、響にキスをしてきた。だが、響もされるがままではなかった。キスしてきた瞬間に早瀬の唇に噛み付いてやった。

 驚いた早瀬はパッと離れて自分の唇を指で触った。

「じょうだん……じゃねえ」
 響は精一杯の様子で早瀬を睨んだ。
 こんなやつの好きにはさせない。

 キスなんておぞまし過ぎる。

「まだ元気があるんだ……」
 早瀬は、今度は響の肩を掴んで仰向けに倒した。
 そうなると、響は身動きが取れない。

「どうする……つもりだ」
「どうせ、ヤクザにやられてるなら、俺と寝たところで何も変わりはないだろ」

 早瀬はそう言って響のネクタイを外し、ワイシャツのボタンを外し出した。
 わずかに抵抗する響を軽く押さえ付けて早瀬は先を進めてくる。

 いやだ……!

 そうは思っていても身動き出来なければ何も出来ない。
 もう早瀬のするがままになってしまっている。

 ワイシャツのボタンを外し終わると、早瀬は直に響の身体を眺めるようになった。その響の身体にはさっき付けたようなキスマークが沢山付けられている。

 それを見て早瀬はほうっと息を吐いた。
 その数は半端ではなく、無数につけられていたからだ。響にさえ見えない場所にも沢山付けられている。

「すごい、そこまで月時さんの身体はいいんだ」
 早瀬はそう言うと、響の身体に触れた。

 首筋に舌を這わせ、手の平で体中を撫で回している。
 響はその気持ち悪さに必死で耐えた。身動きすら出来ない自分はそれに耐えるしかない。妙な感覚だけが残って気持ちが悪かった。

 くそっ!徳永を帰すんじゃなかった!

 そう後悔しても遅かった助けてくれる人は何処にもいない。
 そうした絶望感の中、幽かに部署の入り口が開く音がした。

「お前、人のモノに何してやがる」
 まさかと思うような声がした。

 楸の声だ。響がそう思った時、覆い被さるようにしていた早瀬が慌てて飛び退くのが見えた。

「あ……」
 早瀬はまさかヤクザがここへ入ってくるとは思ってもみなかったのだろう。とたんに慌て出した。
 だが入り口は二連木(にれぎ)に抑えられている。

「いい根性だ。ヤクザの情人だと解っていて手を出したのなら、それなりの覚悟は出来てるんだろうな」
 楸は近付きながら、早瀬にそう言った。
 早瀬は楸の迫力に身動きが取れない。蛇に睨まれたカエルそのものだ。それをいい事に楸は槙に命令をした。

「腕の一本でも貰わないとな」
 その言葉に、槙が動いた。
 逃げようとした早瀬だが、槙からは逃げられなかった。

「うわああ!!」
 そう叫び声が聴こえて、何かが折れる音が聴こえた。

 そこまでしなくても!
 響はそう叫ぼうと思ったが声が出なかった。

 ただただ恐ろしかった。楸を怒らせるという事はこういう事なのだと見せつけられた気がしたからだ。
 楸自身が行動しなかった理由もわかる。腕の一本では済まないから槙がやったのだ。

「無様だな響」

「……ひさぎ……」
「なんだ、薬でももられたか?」
 身動きしない響を変に思ったらしくしゃがみ込んで顔を覗き込んできた。

「うごけ……ない」
「どうせ運動神経を鈍らせる薬でももられたんだろう」
 楸はそう言いながら、響のはだけたワイシャツのボタンを止めて行く。そして響の顔を撫でた。

「一応は抵抗したらしいな」
 そう言って口の端についた血をスッと拭き取った。

「あたり……まえだ……きもちわる……かった」
 響はなんとか身体を動かそうとするが、やはり動けなかった。それを見兼ねた楸が手を貸して、響はやっと床から解放された。

「気持ち悪いか。口直しにしておくか」
 楸がそう言うと、響にキスをしてきた。それも軽く触れるだけのキス。
 思わず脱力してしまう響。

「気持ち悪いか?」
「も……なれた……」
 お前とのキスなんて何度したと思ってる!
 慣れちまったよ!

 そう叫びたかった響である。
 楸はニヤリと笑って、響を抱え上げるとさっさと仕事場を後にした。

 響はあの後、早瀬がどうなったのか気になったが、どうやら腕を折られただけですんでいるようだった。その証拠に、槙がすぐに後を追ってきたからだ。

 腕だけで済んで良かったなと響は思った。自分がマトモに動けるなら、もっと殴りつけてやったからである。

 自業自得である。

 もっともヤクザに囲われているモノに手を出してそれだけで済んだのが不思議であろう。まあ、一般 人にはそれだけで十分なのだろう。

 だが、響は少し心配だった。もし早瀬が訴えたりしたら自分も会社にはいられなくなるからだ。

 ただそれだけが心配だった。

 響が口がきけるようになり、少し動けるようになったのは、楸の車に乗って数十分経った頃だった。

「どうして、会社の中に入ってきたんだ?」
 響はまだ不自由な身体を楸に預けたままで尋ねた。

「どうしても何も、お前が携帯に電話してきたからだろう」
「携帯?」
 そう言えば、楸の番号を押したところで携帯を落としたんだっけ?と思い出したのである。それで楸は何が起こっているのかすぐに察知出来た。それだけで楸が現れた理由は説明がつく。

「ああ、そうか……」
「あれがなかったら、お前が犯されるのをじっと待ってる間抜けになるところだった」
 楸が忌々し気にそう呟いた。

 それに苦笑する響。もうそんな事は起こらないだろうと思ったのである。自分が会社を辞めればそれで済む問題だったからである。