novel

calling-11

 寧野(しずの)が戻ってきてからの耀(あき)の行動は、寧野(しずの)の側から暫く離れないことだった。
 その間に寧野(しずの)に起こったことを耀(あき)は問いただした。
「気づいた時はトーリャの罠にはまっていた」
 寧野(しずの)の記憶は船に乗ったところからで、その後はトーリャに陵辱をされた。耀(あき)は一瞬だけ眉を顰めたが、寧野(しずの)は淡々とそれを話した。
 逃げられない状況で逆らうことは命を縮める行為だ。屈辱でも耐え、逃げるチャンスを狙えと教えたのは耀(あき)だ。
 寧野(しずの)はその通りに行動をした。
 トーリャは寧野(しずの)を戦闘ができる人間だとは認識していなかったという。わずかな部下、それもほぼ非戦闘員のような部下を寧野(しずの)にあてがってきたからだ。
 寧野(しずの)はそれらを片付けて逃走した。
「どうやら俺のことをひ弱な情人だと思っていたらしくて、逃げるとは思ってはいなかったような感じだった」
 簡単に見つかる裏口、人がほぼいない別荘のような場所、すぐに見つかる鍵など、寧野(しずの)にはあり得ないような環境だった。
「さすがに車で逃走した時は気づかれたけど、とりあえず遠くへいけば何とかなると思った」
 寧野(しずの)はまだ自分は日本にいると思っていた。そう簡単に国境を越えられるような環境ではないのが日本だ。密航もそれなりに手段がいるはずだと。ただ自分が何日眠らされていたのかが分からなかったので、逃走できそうにないと思ったのは車の中でのことだ。
 ロシア語のカーナビ。そしてたどり着いた町の標識のロシア語。
 ロシア語だと分かってから一瞬で窮地に立っていることを理解したという。
「場所を確認する目的で食堂へ入ったら……俐皇(りおう)が後からきた」
 それが偶然なのか必然なのか、寧野(しずの)には分からない。
 ただロシア語ができない寧野(しずの)に俐皇(りおう)は優しく接してくれた。
「乗ってきた車はとっくに盗まれてて……俐皇(りおう)の提案に乗るしか生きて帰る道がなかった……もし帰れなくても……生きるためにはトーリャに捕まらないことが第一条件だった」
 寧野(しずの)が日本に帰るためには、死ぬかトーリャに再度捕まるか真栄城俐皇(まえしろ りおう)を頼るかしかなかった。
 死ぬのは論外。トーリャに捕まることは二度と逃げ出せないことを意味する。
 更にトーリャは寧野(しずの)を性奴隷にしようとしていた気配がある。それだけはごめんである。
 その三つの選択肢の中で寧野(しずの)が選ぶとすれば、俐皇(りおう)の提案だろう。嘘か本当なのか分からないが、俐皇(りおう)は提案の段階で日本へ返してくれると約束を立ててくれた。
 幸いなのは、俐皇(りおう)が寧野(しずの)を誘拐する気がなかったことだろうか。
 俐皇(りおう)は寧野(しずの)に一晩だけの関係を強請り、その駄賃で日本まで安全に届けることを約束した。
 確かに俐皇(りおう)は約束は守った。基本的に俐皇(りおう)は寧野(しずの)とした約束は守る男のようだ。前回の耀(あき)を誘拐に成功した時も寧野(しずの)と交換するまでは耀(あき)を殺さなかった。
 たった一晩でいいという俐皇(りおう)の健気なのか図太いのか分からない執着はまだまだ寧野(しずの)にあるようだった。
 殺せないほど愛している。それが耀(あき)だけの感情ではなかった。真栄城俐皇(まえしろ りおう)は側に置くこともできないことを理解しても寧野(しずの)を諦めることはできないでいた。
 その執着は、耀(あき)の想像を遙かに超えるものだった。
 寧野(しずの)はその一晩の後は俐皇(りおう)に会ってはいないという。
 俐皇(りおう)の部下か何かの人間が寧野(しずの)を空港まで送ってくれて見送ってもくれたという。
 さすがのトーリャも寧野(しずの)が飛行機で逃げ出せるとは思ってもいなかっただろうから、俐皇(りおう)の策は上手くできていた。


 寧野(しずの)は話が終わると、毎晩耀(あき)が酷使しすぎたのか、この部屋のこたつで寝息を立てている。ぐったりとして眠る寧野(しずの)は、耀(あき)には文句の一回も言ってこない。
 あの俐皇(りおう)との取り引きで一晩の相手をしたことは罪悪感として残っているのだろう。耀(あき)が求めるまま従い、そしてそれ以上にも求めた。
 耀(あき)に嫌われたら生きていけないと、必死な寧野(しずの)に耀(あき)は少しだけ安堵をした。今更、俐皇(りおう)に懐かれても困る。
 ただ寧野(しずの)が前ほど俐皇(りおう)のことを嫌悪していないことには、耀(あき)も気付いていた。前はトラウマになりそうなほどの衝撃を受けていたのに、今回のことはそこまでの衝撃はなかったようだ。
 それもそのはずで、耀(あき)はそういうふうに寧野(しずの)の体を作り替えた。そして最善は命の安全を優先すること。それが寧野(しずの)が窮地に陥った時の最重要の約束だった。
 死なれたら元も子もない。生き残るための策だ。
 実際、トーリャに陵辱された時は、そのお陰で生きていたようなものだ。
 おかげでトーリャは墓穴を掘った。逃げる機会ができて、寧野(しずの)は生きてここにいる。それがどれほどの奇跡で成り立っているのか、耀(あき)は十分に理解している。だが半分以上が憎らしい俐皇(りおう)のおかげである。
 その辺りがあるからなのか、寧野(しずの)の俐皇(りおう)への感情はそこまで負のモノではないようだった。だが、甘くなって耀(あき)から俐皇(りおう)に乗り換えられても困る。
 その不安は態度に出てる耀(あき)であるが、隠すつもりはなかった。寧野(しずの)は分かっていてそれに応じてくれている。


 そんな二人でくつろいでいるところに、珍しく音羽阿門(おとわ あもん)がやってきた。
「お邪魔する。寧野(しずの)様はお疲れのようで、こちらから出向きました」
 音羽(おとわ)はそう言うと、部屋に入って寝入っている寧野(しずの)に苦笑していたようだった。
「お体大事ゆえ、ほどほどに」
「何のようだ?」
 耀(あき)は批難されてムッとして聞き返した。
 寧野(しずの)の体をいたわってやれというよりは、そろそろ許してやれと言われたからだ。
「真栄城(まえしろ)のことです」
 音羽(おとわ)がそう言うのだが、それは俐皇(りおう)のことではないようだった。
 基本、俐皇(りおう)のことを話すときは、フルネームで呼ぶことの方が普通だったからだ。
「安里(あんり)の方か?」
 耀(あき)は思い当たることがあるようにそう聞き返す。
「ええ、安里(あんり)の方です。あれは光藍(こうらん)に盾突いて、顧問を押しつけられておりましたが、実質高嶺会(たかみねかい)を裏で操っている男。その安里(あんり)が、最近マトカの次期ボスに会ってまして」
 音羽(おとわ)の言葉に耀(あき)はハッとする。
「まさか、安里(あんり)からなのか!」
「結論を言えば、はいそうです」
「順を追って話せ」
「はい」
 耀(あき)が叫んだのをきっかけに寝ていた寧野(しずの)が目を覚ました。起き上がって、音羽(おとわ)がいることに驚きながらも、滅多にこっちにこない老院がいることで何かあったのだろうと瞬時に察した。
 寧野(しずの)が起きたのを確認した音羽(おとわ)は最初から話し出す。
「高嶺会(たかみねかい)最高顧問である真栄城安里(まえしろ あんり)、この男、光藍(こうらん)の死去を境に、様々な活動をしていまして、光藍(こうらん)の頃に付き合いのあったところに自ら出向いてと、まぁ積極的なわけです。その安里(あんり)が、ハワイに渡り、マトカの次期ボスであるアリョーシャと会っていたわけで」
 そう音羽(おとわ)が言うので寧野(しずの)が言った。
「でもそこって確か親戚なんじゃ?」
「まぁ親戚です。安里(あんり)とアリョーシャは従兄弟になります。ただ、このアリョーシャの妻が、高嶺会(たかみねかい)会長古我知才門(こがち さいもん)の姉、千晴(ちはる)なんですわ」
 そう言われて寧野(しずの)はやっと自分がトーリャたちに恨まれているのではないかと思えてきた。
「あっちからすれば、俺たち一族は……悪みたいなものなんだね」
 寧野(しずの)の生まれを知っている人間からすれば、寧野(しずの)と母親の茅乃だけが異質だったというわけだ。
「まぁ、思いはそれぞれ。元々グリーシャと婚約が決まっていたところにるみ子とまぁ、グリーシャが沖縄の女が好きだったと言えばそれまでのこと」
 身もふたもないことを音羽(おとわ)が言う。
 沖縄から女を嫁にもらうのを嫌がって逃げた先で、同じ沖縄の女とできてしまうあたり、戻って千晴(ちはる)と結婚をしたところを見ると、好みは一貫して矛盾はないようだ。
「収まるところに収まったわけですが、この息子のアリョーシャは、父であるグリーシャが子供を他に残していたことをかなり恨んでいたようで。その安里(あんり)とは馬が合うといいますか、父憎しで共感すべきところがあったのでしょうが、その安里(あんり)は、どこぞから寧野(しずの)様の誘拐を頼まれ、それをマトカのアリョーシャに頼んだようなのです」
 そう言われて寧野(しずの)は、なるほどと頷く。
「トーリャは、アリョーシャの息子ってこと? 部下にしては結構優遇されているように見えたし……」
「はい、そうなります」
 アリョーシャの息子がトーリャであることは、愛称を紐解くと分かることだった。
 アリョーシャと愛称で呼ばれている人物の本名がアレクセイとなるように、トーリャと呼ばれる愛称の本名はアナトーリーとなる。
 耀(あき)が顔見知りだったのは、その曾祖父になるエヴゲーニー・アレンスキーであり、その息子が愛称グリーシャと呼ばれているが本名はグレゴリー。グレゴリーの息子がアレクセイで、その更に息子がアナトーリーとなるのがアレンスキー家である。
 この一家は、マトカの首領の一家で、現役を退いたエヴゲーニーから首領を引き継いだのがグレゴリーである。
 そのグレゴリーに嫁いだのが沖縄の高嶺会(たかみねかい)会長である古我知才門(こがち さいもん)の姉、千晴(ちはる)だ。
 古我知(こがち)が現在沖縄で好き勝手出てきているのは、姉の千晴(ちはる)の権力によるところが大きいとされる。
 それを快く思っていないのが、安里(あんり)だ。
 同じく、父親に従うことに疑問を感じてきているアレクセイが急激に接近したことは、何処の組織でも気にするところだ。
 何かが起きていると思うのが一般的な考えとなる。
 安里(あんり)が寧野(しずの)の存在を邪魔に感じていたのは、寧野(しずの)を引き取りもしなかったことで分かっていることだ。だがそれでも何かをしようとしたことはなかった。それがどこかからの依頼を自分で処理せず、マトカに回したというのだ。
 そのアレンスキーことアリョーシャは、息子のトーリャに丸ごと仕事を任せた。
 そこには金糸雀(カナレイカ)の一件もあるのだろう。
「調べたところによると、トーリャは寧野(しずの)様を捕らえたことをアリョーシャには報告していなかったようなのです」
「え? それってどういうこと?」
 寧野(しずの)は訳が分からなくなったが、トーリャがそういうことを言っていたことを思い出した。
 ハッとして口に出した。
「ボスってアリョーシャのことだったんだ……」
 今でこそトーリャはアリョーシャの息子と分かっているが、あの時は分かっていなかった。トーリャがアリョーシャの息子である以上、ボスという言葉が出るのはグレゴリーかアリョーシャに対してだけだ。
 そして今回、安里(あんり)から仕事を受けたのがアリョーシャだと分かった以上、ボスはアリョーシャであることが確定する。
「どういうことだ、寧野(しずの)?」
「いや……トーリャが独り言で、「何もボスに渡すことはないか」とか言っていたから……意味は分からなかったけど」
 寧野(しずの)がそう思い出しながら言うと、耀(あき)の眉間に大きな皺ができた。寧野(しずの)がそれを聞いたのは陵辱中の時だと分かっているからだ。
「そいつ「はとこ」だと分かっていながら、寧野(しずの)を襲ったのか」
「それは俐皇(りおう)とてかわりないこと」
 親戚に当たる俐皇(りおう)とも寧野(しずの)は寝ていたから同じことだ。
 親戚関係はろくでもないとでもいえようか。
「アリョーシャは寧野(しずの)様を誘拐して安里(あんり)に渡し、それらを他に渡しても構わないと思っております。更に安里(あんり)も同様かと。ただ、アリョーシャは金糸雀(カナレイカ)の噂が本当かどうか、それが気になるところだと思っていてもおかしくはないかと」
 音羽(おとわ)は、金糸雀(カナレイカ)の話は一応、アリョーシャも知っていることだと告げる。興味が今までなくても、いざ手元にそれがきたとき、人は無関心でいられるかと言われればそうではない。
 ただ今回は、どうだったかは分からない。
「寧野(しずの)の親戚関係は、鵺(イエ)との関わりを随分と消したいらしいな」
 どうやら鵺(イエ)という組織は、よほど高嶺会(たかみねかい)や真栄城家にとって良くないものと捉えられているようだ。
 中国が近い高嶺会(たかみねかい)が懸念するのは分かるが、ロシアを拠点とするマトカですらも鵺(イエ)の強大さは目に余るモノがあるらしい。マトカが中国侵略を企む時にいつでも邪魔をしたのが鵺(イエ)だとすれば、目障りだと思っているのは当然であるが、昨今の国際化により増え続ける中国人の移民による侵略は思った以上の効果を出しているようだ。
 何処にいても中国との関わりを切らない中国人の存在は、底ではマフィアと繋がっていることが多いからだという。
 寧野(しずの)はその話を聞いても、さほど気にした様子はなかった。寧野(しずの)は自分が鵺(イエ)の龍頭(ルンタウ)の血筋である以上、何処までもついて回る問題であるから慣れているといえた。それよりも重要な問題があった。
「その安里(あんり)って人は、どこから依頼されたのか分かります?」
 寧野(しずの)がそう尋ねると、音羽(おとわ)はにこりとして言った。
「イタリアのデル・グロッソ家にございます」
 それにはさすがの耀(あき)も驚いていた。寧野(しずの)はうーんと考えてから聞いた。
「確か、俐皇(りおう)の母親の青良(せいら)が嫁いだところだったよね?」
 そう寧野(しずの)が言うと耀(あき)が寧野(しずの)を睨んだ。俐皇(りおう)の名前を呼んだことが面白くないのだ。面白くないとはいえ、名前を呼ばないと誰のことだか分からない。
 寧野(しずの)はそんな耀(あき)を無視して音羽(おとわ)に聞く。
「はいその通りで。青良(せいら)は安里(あんり)の双子の妹で。青良(せいら)の二人目の父親がデル・グロッソ家の次男、ジョルジオで」
「だよね。でも、その事件のことでデル・グロッソ家は長男が逃亡中で、長女夫婦が逮捕されてたよね?」
「はい。現在は長男アレッシオの側近だったヴァレリオ・トニがボス」
「そのヴェレリオって人はどんな人なの?」
 寧野(しずの)がそう話を進めると、音羽(おとわ)は話を続ける。
「アレッシオを持ち上げるだけ持ち上げていただけの部下で。基本的にボスとして立つ人間としては、問題ありかと」
「問題あり?」
「ボスというのものは、部下や周辺の幹部が納得して立つものでございます。白鬼(なきり)も宝生組(ほうしょう)も基本的にはそうしたもので成り立っております。デル・グロッソでは、その納得して立つ前にボス候補が一気に逮捕されたり逃亡したりと消え去りまして、案じた人間がボスをとりあえず立てた結果。ろくでもないものを担ぎ上げてしまったのが現在のデル・グロッソで。ヴァレリオは浮かれて何でも自由になると思い込んで様々なことを決めているようですが……あれでは部下が一気に離反してしまうのがオチでございます」
 そう言われて寧野(しずの)は首を一回かしげてから言った。
「つまり、俺も自由になるものの一つとして思われているわけ?」
 寧野(しずの)の言葉に耀(あき)が続ける。
「たかだがイタリアの没落したマフィアのボスごときが、世界中のものが自分のものだと思い込むとは、馬鹿を通り越して呆れ果てるな」
「ちょっと待ってよ。資金難になってるマフィアを救うために、俺、誘拐されそうになったわけ?」
 寧野(しずの)は自分を指さしてそう言ったのだが、耀(あき)が真剣な顔をして言い返す。
「問題はそこじゃない。没落マフィアの戯れ言の受付先が、マフィア組織でもでかいところが動いたってことだ。実際、誘拐も成功した」
 耀(あき)の言葉に寧野(しずの)も真剣に頷く。
「……そっか、デル・グロッソの幹部の人は結構有能ってことだよね?」
「元々部下の資金源などで持ってるような組織だったんだろうな。イタリアの公共事業ってのは、国が管理しきれずに民間のマフィア経営の方が順調だったりする国だしな」
「公共事業?」
「例えば水道とかだな。国経営だとまともに運営されてなかったりしてるところもあるらしい」
「へえ……」
 つまり没落マフィアであっても資金源がしっかり残っている幹部もいるわけだ。
「んーでも、ヴァレリオって人は部下一人に俺の誘拐を頼んだわけじゃないと思うんだけど。この場合」
 寧野(しずの)がそう言うと音羽(おとわ)が頷く。
「ヴァレリオには部下はそれほど多くはないが、デル・グロッソ家の元々の幹部が何名かいる。そのうち、三名のくせ者がヴァレリオをとりあえず支持している。他に寝返るための様子見期間をもうけていると言えば」
 音羽(おとわ)の言葉に寧野(しずの)は納得したように頷く。
「引っ越し先がまだ見つかってない人で、デル・グロッソに持ち直してもらっては困る人ってことだね?」
「さよう。その三名にヴァレリオは寧野(しずの)様の誘拐を命じたのが発端であるという情報が入りました」
「三カ所……そのうち安里(あんり)に頼んだのは?」
「金払いがよかったのはパオロで。安里(あんり)は金には興味はなさそうであるが、アリョーシャは金で動く男。しかし自分では動くことはないだろうから、トーリャに任せたというところが真相でしょう」
 トーリャの誘拐は成功しかけて失敗をした。二度目はないと向こうも分かっているだろうから、用心していかなければならないが、元々寧野(しずの)の周りを厳重にしたかった耀(あき)にはいい口実ができた。
「ふうん……それじゃあ残り二人は?」
「ピエトロ・リアルディという男は、部下の信頼が厚い男で。たぶん自分の部下を使うのではないかと」
 そう音羽(おとわ)が言うと、寧野(しずの)が耀(あき)に言う。
「それって最近接触を図ってきてるイタリア人の事業家じゃない?」
「今すぐ裏を取ろう。当分先のことだからと放置していたが……」
 耀(あき)はそう言うと、自分の部下に連絡をしている。それを横目にしながら寧野(しずの)は音羽(おとわ)に問う。
「三人目は?」
「リナルド・ガリアーノ。金や部下は多くはないが、人脈は持っている男。さて、どこへ依頼をしたのか、寧野(しずの)様はよーくご存じかと」
 音羽(おとわ)がそう言うので、寧野(しずの)はハッとする。
「真紅(マリーノヴィ・ツヴェート)の!」
「おそらく」
 トーリャのことでうやむやになっていたが、真紅(マリーノヴィ・ツヴェート)のボスは寧野(しずの)を誘拐しようとしてあんな騒ぎを起こしたのだ。そこをトーリャに便乗されて、日本警察に逮捕されるに至ったはずだ。
「ジヤヴォールはどうなったの?」
「日本警察に逮捕された後、逃亡した。移送中に襲撃を受けてのことだから、ロシアに既に逃げ帰っていると思う。だがヴァルカの情報の入るところには姿を見せてないと報告は受けている」
「あ、そうかヴァルカさんたちはどう言ってたの?」
 真紅(マリーノヴィ・ツヴェート)は赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の傘下の組織だ。ボスからの直接の指示がある取り引きを命令を無視していった、あり得ない裏切りである。赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)は揺らいでいるという情報もあるので寧野(しずの)は心配になったのだ。
「真紅(マリーノヴィ・ツヴェート)のボスは、元々ヴァルカの首領候補には反対している組織の一つだったらしい。だが、この事件が発覚してボスが命令を出した。ヴァルカを正式なボス候補にして、赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)を束ねると。それに反対する組織には出て行ってもらっても構わないとさえ言い切ったらしい」
「それって、出て行った瞬間にその反対した組織を潰すってことだよね?」
「結論はそういうこと」
 音羽(おとわ)の言葉に耀(あき)はふうっとため息を吐く。
「どっちにしろ。寧野(しずの)を金糸雀(カナレイカ)と思い込んで夢を見た連中は、赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)の中やマトカにもいるってことだ。やっと金糸雀(ジンスーチュエ)伝説が終わったと思ったら、金糸雀(カナレイカ)かよ。どん欲な人間の妄想は治まるところを知らないな」
 耀(あき)の言葉に寧野(しずの)はふと思い出す。
「……そういえば、誘拐される時にあのカウントダウン……なかったんだよね。あれって命の危機じゃないからなのかな?」
 寧野(しずの)の言葉に耀(あき)も興味を示した。
「初めて感じた時って確か、イタリアの病院を抜け出した時だよな?」
「うん、そう。あの時って爆弾を仕掛けられていたから、確実に死ぬのが確定していたってことかな?」
 俐皇(りおう)が仕掛けた爆弾は病院施設内に入り込んだ煌和会(ファンフォフゥイ)の人間を殺す目的で仕掛けられたものだった。実際に煌和会(ファンフォフゥイ)の人間はかなり殺されたはずだ。俐皇(りおう)はそれを使って耀(あき)も殺そうとしていたが、そのどれも寧野(しずの)が気づいてすべて避けた。
 寧野(しずの)はそれがカウントダウンとして聞こえてきて、避けなければと思えたのだという。それが寧野(しずの)の金糸雀(ジンスーチュエ)としての能力として現れたもので、世間一般で言う金を呼ぶ能力ではなかった。
 金糸雀(ジンスーチュエ)は、一族で一番力を持っている血筋に出やすいが、たまに消えたりもする。その間は花(ツェピトーク)と呼ばれる一族の方へ金糸雀(ジンスーチュエ)が出ていたこともあったようだった。
 だが寧野(しずの)はそれを否定し、認めずに生きてきたせいか、力の出し方が他の金糸雀(ジンスーチュエ)とも違う形に落ち着いた。
 こうした命の危機に勘がよくなったせいか、寧野(しずの)はある程度の危機は察知できるはずだったのだが、今回は全く感じなかったのだ。
「死ぬ確実なものでなければ、俺の力は発動しないってことなのかなと」
「なるほど、今回はそれが分かったってことだな」
 耀(あき)は基本的に金糸雀(ジンスーチュエ)の力を当てにはしていない。だがこの力で寧野(しずの)が助かるのなら、大いに使って欲しいと思っている。寧野(しずの)の命の危機を察知し、避ける能力があるということは、寧野(しずの)の命の危機に間に合わないということは耀(あき)には起こらないということになるからだ。
 こんな商売をしている以上、どこかで誰かにいらぬ恨みを買っている。だから寧野(しずの)も同じだけ恨みを受ける。それが耀(あき)だけに向かってくるなら立ち向かえるが、寧野(しずの)だけを狙われたら守り切れるかどうか分からない。
 あらゆる力をつぎ込んで寧野(しずの)の周りを固めても、どうにもできない時がくる。その時、寧野(しずの)を失ったらと考えて不安になる。だがと耀(あき)は考えをやめた。
 当てにしないと思っていた力を当てにし出して都合のいいように考え始めていることに耀(あき)は気づいて、盛大にため息を吐いた。
「いかんな、これじゃ金糸雀(ジンスーチュエ)伝説を信じて必死な他人を笑えないぞ」
 耀(あき)がそう言うので寧野(しずの)はキョトンとして耀(あき)を見た。
「あっちの力だから気に入らないと言って、いざ自分に都合のいい力だからあった方がいいなんてな……」
 そう耀(あき)が言ったので寧野(しずの)もバツが悪そうに頬を掻いた。
「……たしかに……」
 だがそれを笑わないのが音羽(おとわ)だった。
「ほほ。与えられた力をどのように使おうが自由。消えた時は消えた時」
 音羽(おとわ)は寧野(しずの)に与えられた力であるのなら、寧野(しずの)が使うのが筋だと言っている。それがどんな境遇から生まれたものであっても、寧野(しずの)の中にある以上、それは寧野(しずの)の力だ。しかも命に関わるものであるなら、それは寧野(しずの)だけの安全確保ではなくなる。周りにいる人も助けられる。
「無い物ねだりをしているわけでもなし。あるものを使うだけのことよ」
 音羽(おとわ)はそう言って笑う。
 気にするなと言われ、耀(あき)も寧野(しずの)も目を合わせてからクスリと笑った。「この力を使えている以上、他の金糸雀(ジンスーチュエ)にはなりはしないってことだから」
「まあ、そうだな。こっちの方がマシだってことだしな」
 下手に使うのをやめて、新たな力に目覚められても困る。ただでさえ、金糸雀(ジンスーチュエ)は金を呼ぶ以外の使い道が分からない力なのだ。余計なものが出てこないように、今出ている力を使いこなしてしまえば、それで安定するかもしれないと寧野(しずの)は思っていた。耀(あき)もそれは同感だったようで。
「このまま安定させて、伝説を終わらせよう」
「うん。そうだね」
 金糸雀(ジンスーチュエ)一族はもう何処にもいない。
 寧野(しずの)が最後の一人になってしまったと言っても過言ではない。
 いつの日か、寧野(しずの)の遺伝情報を持っているどこかの組織がクローンなんてやるかもしれないが、その時には二人はもういない時代だろう。
 だが今の問題は、金糸雀(カナレイカ)の方だ。
 完全な否定をしない限り、ややこしいことになっていきそうだった。