novel短編

Complicated-5

 その日、貴緒(きお)が杞紗(きさ)の前に姿を現したのは、昼食の時だった。
 食堂で食事をしている途中に貴緒が現れた。

 だが、杞紗はそんな貴緒を無視していた。

「杞紗、あのな」
「……」

 言い訳をしようとしているのは明らかだった。
 だが、杞紗はそれを聞きたくなくて食事に専念した。

 そしてそれを食べ終わると、貴緒を無視して教室へ戻ってしまったのである。

「なあ、何があったんだ?」
 傍観者を装おうつもりだった堤が貴緒に聞いた。

「あんたには関係ない」
 素っ気無く言い放ったが、それでも堤は続けて話した。

「あいつが怒ってるの初めて見たんだけどな。朝から機嫌悪いし。昨日はあんなに元気だったのにな」
 わざとらしい言い方で貴緒を責める堤。

 堤の言葉を聞いた貴緒は、はあっと溜息を吐いて堤の隣に座った。さっきまで杞紗が座っていた所である。

「何って……いろいろな」

「昔のツケが回って来たか?」
 堤はそう言った。

「まあな」
 ぶっきらぼうに貴緒は答えた。

「女か」
「……」
 答えない貴緒。

「当たりだな。それも都住は目撃していた。そして帰って来なかった貴緒ってところかな」
 ずばりと言い当てる堤。

 貴緒の噂話しを総合して簡単な推理を立ててみただけである。
 だがそれが図星だった為、貴緒は答えられなかった。

「杞紗は怒ってたのか」

「ああ、すげー怒ってる。誤魔化しの言い訳なんか聞きたくないくらいにな」
 堤は杞紗を代弁してそう答えた。

 さすがにそれには参ったようで、貴緒は深い溜息を吐いた。

「説明しづらいっと」
 今度は貴緒を代弁して言う堤。

「話すと長くなるし、杞紗にはあまり聞かせたくない話なんだ」
 すっかり弱ってしまっている貴緒に堤は驚いた。

 本当に杞紗の事が好きなのだろう。
 その好きな相手に昔の女との経緯など進んで話す事など出来る訳がない。

 その辺の事情は堤の方が詳しい。
 噂は本当だったという所だろう。

「金持ちの女に遊んでもらってた。しかも貢いでも貰ってた。そんな話出来るわけねえなぁ」

「まあ、そんな所だ」

「げ、噂本当だったんだな。そりゃいよいよ難しい。都住に誤魔化しは通用しない。さあどうする弟さん」
 すっかり楽しむように堤は言っていた。

 貴緒の噂には、金持ちのお嬢様との付き合いの事もある。貢いで貰っていたヒモのようなモノで、その付き合いが切れたのは最近の事なのだ。

 そんな噂は学校中に広まっている。
 事情を知らないのは、転校して来たばかりの杞紗のみ。

 誰もその事を杞紗には話してなかった。
 何より、貴緒が杞紗の教室にまで現れているのだから、誰も告げ口出来なかったのである。

「で、素直に話すのか?」
 堤はそう聞いていた。

 貴緒が話さない限り、話は前に進まないだろう。
 何より、杞紗は怒っているのだから。

「約束守らなかった事を怒っているんだと思うんだが、話すと長くなる……。でもそれを話したら杞紗が愛想つかすかもしれない」

「つけは怖いね」

「ああ」
 貴緒は素直に頷いていた。

 堤は、こいつ本当に杞紗に弱いんだなと思った。
 ここまでポーカーフェイスを崩す貴緒を見たのは初めてだったからだ。

「長くなっても正直に話した方がいいぞ。長引けば余計に気まずくなる一方だ」

「……そうだな」
 堤のアドバイスに感謝した。

「なあ、お前、俺が杞紗を好きなのは知ってるな。もちろん恋愛感情としてだが」

 唐突にそんな事を言われて、堤はお茶を吹き出しそうになった。
 まさか面と向かって言われるとは思っても見なかったからだ。

「あ……ああ。そ、それは最初から解ってたが。改まって言われると驚くな」

「すまん、最近自覚したんだ」
 貴緒は素直に謝った。

 本当にそうだった。
 だから昨日あの女の要求を飲んだ。
 その結果、杞紗を怒らせてしまったのだから。

「堤先輩」
 今度こそ、堤はお茶を吹き出してしまった。

 まさか貴緒から先輩呼ばわりされるとは思ってなかったからだ。

「助言ありがとうございます。帰ったらさっそく話してみます」
 貴緒は堤に一礼して食堂を後にした。

 その後、堤が一般生徒の間で、あの都住貴緒に頭を下げさせた凄い人だという噂が広まったのは言うまでもなかった。

 さすが、あの兄弟と付き合っているだけの事はあると。




 杞紗は今日一日悶々とした日々を過ごした。

 貴緒の態度にもむかついていたが、それ以上に自分の嫉妬心が何故なのか解らなかったからだ。

 何故こんなに腹が立つのか。

 貴緒にだって、女性の1人や二人いたところでおかしな話ではないはずだ。
 何より、最初に堤から聞いたのは、貴緒のバイ疑惑からだったからだ。

 それなのに腹が立つのは何でだろう?
 それが不思議だった。

「なあ、堤。なんで俺、こんなに腹が立つんだろう」

 放課後、部活に向かう前の堤に杞紗はそんな言葉を洩した。
 事情を知っている堤に言える事は一言しかなかった。

「そりゃ、約束守ってくれなかったからだろ」
 杞紗からも事情を聞いていた堤はそう言い切った。

「そっか、やっぱりそこだよね」

 やっぱりそこか……。

 女性と出かけたことよりも、約束を破られた方に腹を立てている杞紗である。

「だから、帰ったら弟の話も聞いてやれよ。弟にだって話したい事情があるかもしれないだろ?」

 堤はいつの間にかこの兄弟の仲介役をやる羽目になっていた。
 なんで俺が、とは思わないのが、堤のいい所だ。

「話聞かないと、理解出来ない事だってあるだろ」
 堤にそう言われて、杞紗はハッとした。

 そう、自分達には5年という歳月が空白のままなのだ。

 その間に貴緒に起こった事を知らなくて当たり前なのだ。貴緒が杞紗の5年間を知らないように。

 それを聞いた杞紗はさっきより腹ただしさが無くなっていた。

 すごい!堤!感謝だ!

「堤、サンキュ!」
 杞紗は笑顔になるとサッと立ち上がった。

 後は帰ってからの話し合いにかけるしかない。

「どう致しまして。さっさと仲直りしなよ。ま、俺はあれだけポーカーフェイスが崩れた弟さんを見られて楽しかったけどな」
 と笑って杞紗を見送った。

「さて、吉と出るか凶と出るか」
 そんな兄弟喧嘩の仲裁役をかってしまった堤も部活に向かって教室を出た。





 杞紗が帰宅してみると、既に貴緒は帰宅していた。

 リビングに顔を覗かせると、神妙な顔つきをした貴緒がソファに座っていた。
 杞紗が帰って来た事に気が付いた貴緒が顔を上げた。

「……杞紗、怒ってると思うけど、ちゃんと話をしたい」
 杞紗は頷いた。

「解った……着替えてくる」
 杞紗はそう言ってすぐに着替えを済ませてリビングに降りて来た。

 貴緒は相変わらず厳しい顔をしていた。
 杞紗はお茶を用意して、貴緒が話し出すのを待った。

 貴緒は何から説明していいか迷っていたのか、暫く考えてから話し始めた。

「昨日の女性だけど」
 やっと真相が解る話に入った。

「うん」
 杞紗は俯いている貴緒を見つめた。

 どんな話になるのかは解らないが、貴緒がここまでしてくれて話してくれるのだからちゃんと聞く準備は出来ていた。

「あの人とは昔というか、最近まで付き合っていた人なんだ」

「え? あの人と?」
 それは意外でもなかった。
 そんな感じはしていたから、やっぱりという気がした。

「ああ、でももう別れたんだ。俺から一方的にだったから、昨日はその事情を話そうと思って付き合っただけで。朝まで帰って来られなかったのは、別 に寝たわけじゃない。最後の晩餐っていう酒に付き合わせられただけなんだ」

 貴緒は淡々と事実を話した。
 もちろん、それには杞紗も驚いた。

「あんな美人をふったの?」

 町を歩いていたら十人中十人が振り返るであろう、艶やかな美人の女性。それを貴緒はふったというのだ。
 そっちの方が驚きだった。

「だって、俺には好きな人が出来た。だからもう付き合う訳にはいかないだろ」

「そうか……」
 こういう所は貴緒も律儀だった。

 ただフルのではなく、ちゃんと自分の事情を話している辺りが貴緒らしい。

 貴緒はその女性との事を全て話すつもりだった。
 杞紗にだけは誤解して欲しくなかったからだ。

 それには、堤の助言もあった。
 それから一呼吸置いて、貴緒は話を続けた。

「あの人には俺が辛い時に、いろいろ助けて貰ったんだ。深夜のバイトの世話とかいろいろな。父親と折り合いが悪くなってからも世話になったし。だから断る事が出来なかった」

 世話になったからこそ、その誘いは断れなかった。
 それも義理堅い貴緒らしい事だった。

 そこで、杞紗は気になった事を聞いた。

「……もしかして、貴緒もその人の事好きだった?」
 その問いに、少し貴緒は困った顔をした。

 どう説明していいか解らなかったからだ。

 だが、単刀直入に説明した方が杞紗が誤解する事はないと思いそれを吃りながら説明した。

「いや。それは大人の付き合いで。そのなんだ。大人の関係だよ」
 そこまで言われれば、純な杞紗でも解る。

 思わず顔が赤くなってしまう杞紗である。
 弟がそうした付き合いをしていた事は驚く事ではなかった。

 誰でも女性とは付き合った事があるだろう。
 それが杞紗自身にはなくても、このかっこいい弟ならあり得そうな話である。
 だから納得した。

「だから昨日は断れなかった。杞紗に電話しようと思ったけど。最後だからっていわれて、それで連絡し忘れてしまった」 それに杞紗は頷いた。

 そうした事情なら貴緒には何の咎もない。
 ただ最後にと頼まれて付き合っただけなのから。

 貴緒が正直に話してくれた事で杞紗のもやもやは心から晴れていた。
 そういう事情があったのなら、自分が怒る事はない。
 貴緒にだって事情はあるのだから。

「解った。今日無視してごめん」
 杞紗は今日の事を素直に謝った。

「いや、杞紗が怒るのは当たり前だ。一瞬でもちゃんと連絡出来たはずなのにな」
 こういう所は義理堅い貴緒にしてはミスした所だった。  

「じゃ、今日は貴緒の番だからご飯作って」
 全ての事情が解ったので、杞紗は機嫌が良くなった。

 これも全部堤のお陰であろう。
 堤がああ言ってくれなかったら、自分はまだ腹を立てて貴緒の話を真面目に聞く気にはならなかっただろう。

「解った、好きなハンバーグでいいか?」
 やっと貴緒も笑顔になって立ち上がって聞いた。

「いいよ。貴緒のハンバーグ美味しいし」
 杞紗はニコリとして答えた。

「堤先輩に明日礼を言わなきゃな」
 唐突に貴緒が言い出したので、杞紗は驚いた。

「なんで堤が出てくるんだ?」
 さっぱり訳が解らない杞紗。

「杞紗が怒って出て行った後、堤先輩と話したんだ。で、杞紗にはちゃんと話した方がいいって言われてな。それで話したんだけど」
 貴緒は素直に答えた。

「あ、俺も堤にちゃんと話聞けって言われたんだ!」
 杞紗は驚いたように声を張り上げた。 
 二人はお互いの顔を見比べてそれから大笑いになった。

「な、なんだぁ。俺達、堤に説得されて仲直りしたんだ」

「そういう事だな」
 そう考えると、堤って偉大と思える二人だった。

「そだ。明日、堤に弁当作ってお礼しようぜ」
 杞紗がさっそくとばかりに提案した。

「ああ、それいいな。あの人、いつも学食だったよな」

「じゃそれ決まり」
 二人は再度顔を見合わせて笑った。
 当分、堤の家に足を向けて眠れない二人だった。




 翌日。

「え? これ貰っていいのか?」
 杞紗と貴緒に朝一番に手作り弁当を差し出された堤は驚いた顔をして二人を見た。

 昨日の険悪さのなくなった二人は、仲良く登校してきて、真っ先に堤に礼を言った。

 堤の助言がなかったらいつまでも拗れていた仲である。
 感謝するのは当たり前だった。

「お前らって料理出来るのか」
 そっちの方に堤は驚いていた。

「俺も貴緒も出来るよ。味が合うといいけど」
 それだけが心配だった。

 堤はそれを喜んで受け取って、昼食にそれを食べた。
 堤が喜んで食べたのは当然だった。

「しかし、たった一日で決着がつくとは、俺のアドバイスは的確だったのか?」
 食堂で一緒に弁当を広げていた杞紗と貴緒は笑っていた。

「的確だったから、今こうしてるんだけど」
 杞紗が笑って答えた。

「先輩さすがだって貴緒も言ってたし」

「さすが先輩」
 感情の篭ってない声で貴緒が言う。
 その言葉に堤は爆笑した。

「あ、いけない。俺、今日日直だった〜」
 杞紗はそう言うと、貴緒と堤を置いて食堂を後にした。
 残された二人は暫く黙っていたが、堤から切り出した。

「で、告白したのか?」
 これはちょっとした好奇心からだった。

「好きな人はいるというのは話の中で出したけど、杞紗の反応はなかった」

「そっか。あいつ鈍そうだしなあ」

「どうしたものか」

「地道に攻めるしかなさそうだな」

 兄弟でホモを進める堤も相当だが、のんびりと構えている貴緒も相当なものである。
 そんな会話がなされているなど、当の杞紗に解る訳もなかった。