novel

everyhome-8

 髪をゆっくりと撫でられ、一房とってキスをされたら、ほんとうにどうにかなってしまいそうだった。

 この人はこういうことに慣れているから出来るのだと思うのだけれど、何か違う気がしてどきどきとしてくる。
 同性に対してこんな気持ちになったことはなかった。

 こういことをされたことはなく、母親がただ髪を梳くだけで、なんの意味もない長い髪だと思っていたのだけれど、今は意志を持っているかのような感じがする。

 そこに神経が通っているかのようなそんな感じだ。
 しっかりしていないと変な声が出そうで、那央(なお)はしっかりと意識を別の方向へ持って行きながら説明をした。

「髪は、伸ばすことで、顔を隠していたんです」
「何故? こんなにいい顔を?」
 侑(ゆう)は不思議そうに尋ねてくる。
 いい顔。それが問題だったのだと那央は言う。

「こんな顔だから隠さないといけないと母がいいました。俺と母は高須賀(たかすが)という家に世話になっていたんですけど、その息子の実さんが何故か過干渉してきて……それでいろいろともめて……」

 ただ顔がこれなもので、女みたいだと何度も言われた。それをネタにいじめも受けたがそれは、高須賀の息子の実のせいだったのははっきりしている。

「顔が可愛いから苛めたくなったというところかな」
 侑は的確に理由を言い当てていた。

「母は前髪を伸ばして、髪で顔を隠して、眼鏡をかけて、目立たないようにしていなさいといいました。実さんの前では特にそうしていなさい。情けない姿でいなさいと」
 そうしなければもっと大変なことになる母親はそう言った。

 家にいる時でさえ気をつけろと何度も言われた。嫌みを言われるくらいならいいが、そのほかでは、逃げろとも。それの意味が分かったのは、随分あとのことなのだが、実は男だろうが可愛ければ虐めて、酷いことをする。実はそういう風にする人なのだ。特に那央の顔は気に入っていたらしく、髪を伸ばして眼鏡をするまでは、顔を見るたびにいろいろと意地悪をされたものだ。

「分かるよ。高須賀の息子の評判は今でもよくないようだね」
 侑は何でもないように高須賀の息子の評判を口にした。

「知っているんですね」
 高須賀と言えば、少し大きな会社だ。氷室には及ばないが地方の企業としてはよくやっている方の部類。

「この業界は狭いものでね、高須賀の様子は最近ちょっとあって調べているところだったんだ。まさかそこに君が世話になっていたとは思わなかったけれど」

 侑は昨日調べてもらったことを記した報告書を読んで、更に高須賀を調べていた。だからこの言葉には嘘はない。ただ那央のことを知りたかったから調べただけという部分をはぶているだけだからだ。

「でも、向こうが高校を東京にしてくれたので、こちらは楽だったんですけど、伸ばした髪から短くするタイミングがつかめなくて、結局そのままです」
 那央はそういって少し笑った。

 伸ばしていなさいと言われたのは高校までで、高須賀の息子がいなくなってからは言われなくなっていた。けれど、タイミングを逃していて、そのままだから今更変えるのも妙な気がするのだ。

「慣れというのもあるんだろうね。似合っているから、このくらいの長さでいいんじゃないかな」
 そう言って侑は頭を撫でている。

 この人はこうやって過度のスキンシップをするのが好きなのだろうか?

 変に意識しするのは親切にしてもらっているのだから失礼だと那央は思ってなんとか自分の心臓をコントロールする。
 そうしないと、心臓が飛び出していきそうなくらい、自分でも驚くほどドキドキしていたのだ。

 こんな気分になったのは始めてで、どうしていいのか分からない。これは一体なんなのだと思いながら、那央はそれに耐えた。
 すると秘書の伊達が入ってきて、呆れた声を出した。

「さっそくセクハラですか? バイトに来てもらう前に来てくれなくなったらどうするんですか?」
 さらっとすごいことを言った。

 確かにこれは世に言うセクハラだろう。那央が訴えたら一発でそうなりそうだ。

「何を言っている。髪が綺麗で似合っていると言っただけだぞ」
 侑は平然として言い返す。

「触っているのはなんなのですか?」
 更に伊達が呆れた声を出した。

 確かに似合っているとは言った。しかしセクハラではないといいながらずっと触っているのはなんなのだろうか。
 伊達は慌てた様子はないけれど、かなり呆れているらしい。

「触感もいいと褒めていたところだ。ついでに髪を伸ばしている理由もね」
 侑は動じずにやはり平然と返してみせる。
 こういうところを見られるのも平気らしい。

「まったく根掘り葉掘り」

「言いたくなければ言わないだろう? 今はちゃんと話してくれた。なあ、那央?」

 いきなり呼び捨てにされて、那央はどきりとした。確か最初に会った時もそう呼ばれていたのだが、あのときはいろいろ混乱していて、こんなにドキリとするとは思わなかったのだ。

「あ、あの、今日はもういいですか?」
 これ以上いると自分の心臓が本当に出てきそうで那央は慌ててそう言っていた。

「ああ、いいよ。また話をしよう。那央と話していると楽しい」
 侑はそう言って那央の顔を真っ赤にさせるのに成功した。

「これ以上いると君にうちの副社長が何をするか分からないから、帰っていいですよ」
 伊達がそう言ってくれて、那央は安堵して立ち上がった。

「そ、それでは、失礼します。明日五時に出勤します」
 那央はやっとのことでそう言って副社長室を後にした。外に出てエレベーターに乗ると、暑くなっていた顔を押さえて、はあっと息を吐いた。

 あの人の言葉はとても甘くて困る。
 困りながらも嬉しいと思っている自分がいる。

 那央は、あの人がなんのつもりでそういうことを言ってくるのかが理解出来てはいなかったが、それでもあの言葉に嘘はないとそれだけは信じて、喜んでいいのだと思っていた。


「副社長、さっそく手を出すのやめてくれませんかね?」
 伊達が仕事に戻った侑にそう言う。
 せっかくよいバイトを見つけたのに、これで逃げられてしまったら元も子もない。

「大丈夫だ、その辺私がしくじるとでも?」
 侑は不敵な笑みを浮かべて言う。

「まったく、ほとんど8歳も下の子に手を出そうと画策してるなんて、本当に問題ですよ」
 一応那央のことを心配してそう言い返す伊達。

「あちらは、数ヶ月で二十歳だ。合意ならなんの問題もないだろう」
 にやっとして侑がそう言い切った。

「まったくそこまで計算してるんですか……」
 伊達は呆れてもうつっこまないことにした。

 この氷室侑という男は手に入れられないものはないと思っている。ただ人の心を手に入れるのはすごく難しいことも知っている。

 だから、そのためにまず手元に置いて様子をみながら口説く。とにかく口説くのだ。

 今日の髪の話は割合すんなり出てきたのには、順調だったと思う。無理矢理ではなかったし、どうやら、那央は侑の声に弱いらしいという発見もあった。

 これは思わぬ収穫でもある。
 自分の声が武器になるのだ。口説くときは耳元でささやいて、あの無表情の顔をどんどん動かして行くのに快感を覚えそうだ。

 とにかく明日からが楽しみだ。
 侑はその楽しみの為に今日の仕事を済ませ、明日の仕事も少しやっておこうと思った。

 もちろん、那央と話す時間を作る為にだ。

 そんなことを考えているのは大体分かる伊達は、那央に少し同情してしまいそうになってしまったのだった。