novel

everyhome-9

 那央(なお)が家に帰ってご飯を食べていると、大雅(たいが)から電話が入った。大雅はバイト中なのだが、その合間に隙を見つけてかけてきたらしい。

『どうだった?』
 そう聞かれて、那央は少し困った。バイトとしてなら申し分ないバイトだけれど、侑の対応となると少し問題があるような気がするからだ。

「あ、うん」
『うんじゃわからないぞ』
 電話の向こうで大雅ががっくりしている感じがする呆れた声が返ってきた。

「うん、バイトとしては待遇よすぎたよ。仕事もそんなに難しくはなかったし」
 那央は慌てて見学してきた様子を報告する。
 侑のことは黙っていればいいと思っていたが、大雅がそれを聞き逃すはずはなかった。

『他に問題があったのか? その言い方だとそんな気がする』
 大雅にそう言われて那央は言うべきかどうか迷った。
 あれは自分の意識のしすぎなだけで、向こうはさほどなんとも思っては居ないのかもしれない些細な問題なのかもしれない。

「気にしすぎなのかもしれないけれど……」
 那央はそう言って、肩を抱かれたことや髪を触られた挙げ句、何故伸ばしているのかという理由を言ったことを話した。
 すると電話の向こうの大雅が何か脱力している。

「……大雅?」
 どうしたのだろうと思っていると、大雅は確認するように聞いてくる。

『そのどれもお前は嫌じゃなかったんだな?』

「いやではなかった。ちょっと心臓に悪かったけど」
 そういうと、大雅ははあっと溜息を深く吐いた。            

 そうされても不快ではないということは、侑に対して那央が良い印象を持っているということだろう。心臓に悪かったというからには、ただどきどきして困ったくらいの、ある種好きな人に近づいたときの感じだと思われる。

『侑(ゆう)氏の印象も悪くはなかったんだな?』        
 大雅はこれだけは聞いておかないといけないと思い聞いたら、暢気な答えが返ってきた。

「うん。ちょっと変わってるけど、いい人かなって」
 この暢気さはある意味すごいことだと大雅は思う。

『分かった、お前すごく鈍感なんだな。仕方ないか、そういうのなかったって言ってたしな』
 大雅はそう言って一人で納得している。     

「大雅?」
 一体大雅はなんの話をしているのだろうか?
 さっきから妙なことばかり言っているような気がする。

『すまん、俺が勝手に納得しているだけだ。でな、バイトはいいと思うぞ、条件良すぎだろうし、他にはないと思う。とりあえず働いてみればいい』 

「うん」
 大雅ははあっと何度か溜息を吐いた。

 本当ならバイトは飛んで火にいる……などというものなのだが、那央が嫌がっていないのであれば、そのまま侑のことを特別に思っていくかもしれない。

 それが憧れで終わるか、恋愛に発展するかは那央の心一つなのは、向こうも承知しているのだろう。

 だからスキンシップから入ってるのだ。これで不快に思われたら先には進めないだろう。その辺をクリアされてしまっている上に、那央は悪くないと思っているから、今後どうなることやらである。

『なんかあったら電話しろよ。嫌になったら迎えに行ってやるから』     

「いいよ、大丈夫だから」
 那央がそう言うと大雅は自分はすごく過保護だなと呟いて、それでも困ったら言ってこいと言って電話を切った。

 大雅は元々面倒見のいい人間だから、那央がぼけている分心配になるのだ。

 その辺は那央も分かっていて、大雅が言うことは大抵は的を射ていてわかりやすいからずっとアドバイスしてもらっていた。

 だが、これからはそうして行くわけにもいかないと那央は思っている。いつまでも大雅にべったりでは彼女にも申し訳ない。
 これからはなるべく大雅に心配かけないようにしようと那央は心に決めた。
 
  


 翌日大学へ行くと、摩鈴が物凄い勢いでやってきた。

「那央、本当にバイトするの?」
「うん」
「本当に?」

「うん、するよ。どうしたの?」
「いや、あの人の性癖知ってるのかな……と思ってさ」
 摩鈴が言いにくそうにそう言い出した。

 性癖……それがなんなのかと思ったが、ふと思い当たることがあった。

「もしかして、女性が駄目なの?」

「ああ――――――……うん、まあそうなのよ」

「それでか。なんか納得かな」
 それなら自分があれほど触られた理由もはっきりしてくる。
 妙に納得している那央を見て摩鈴が聞き返す。

「なんで?」
「俺のこと、よく触っていたから」
 那央がそう言うと、摩鈴が驚愕の顔を浮かべた。

「さ、さ、さ、さ、さわ、触ってた? あの人が??」

「うん。人前でも気にしないみたいだから、そういう人なのかなと思ってた」

「ひ、ひ、ひ、人前!?」

「会社に行ったら、受付からずっと……肩を抱かれていたし、そういうスキンシップが好きな人なのかと思ってたけど、そうじゃないみたいだから、俺みたいなのが好きな人なのかなって、それで女性は苦手なのかなって。秘書課に女性がほとんどいなかったし、直属の秘書は伊達さんで男だし」
 那央がそう言うと摩鈴はぐっと近づいて言う。

「そこまで分かっていて、なんで近づくようなことするわけ?」

「え、だって、嫌じゃないから」
 那央がそう答えると、その答えが意外だったらしく摩鈴は驚いていた。

「嫌じゃないの?」
「うん」 
 那央はにっこりして言う。心臓に悪いなとは思うが、侑自体は嫌いではないからだ。むしろ親切にしてくれたから好きな方に分類されている。印象も悪くないからだ。

「あああ、あの侑さんが、那央に、べったべた……ああもうこれは……海都!」

 摩鈴は海都を見つけると叫びながらそっちに走っていった。そこで海都に那央のことを報告しているらしく、海都も何故か驚いている。
 そんなに驚くようなことだったのか?と那央は思う。

「もしかして、ああいう人じゃなかったとか?」
 そう思わず声に出たが、じゃあ、どんな人だったのだと言われても、自分の中の印象は変わらないと思う。

 ちょっと困った優しい人。
 これはずっと変わらないものになっていくとは、那央も思いはしなかっただろう。
       
 

 
 結局、大学での摩鈴の騒ぎは大雅が「那央がしたいようにしているんだから、いいじゃないか」ということで片付けてしまった。
 那央が前に進むと決めた以上は、もう大雅も何も言わないつもりらしい。

 摩鈴も那央がそれでいいというなら、もう言わないことにしたが、相談することや何か嫌なことをされたらすぐに言ってくるようにと言ってくれた。
 だが、そういうことはないと思う、と那央は思う。

 侑はそんな嫌がることをするとは思えないからだ。

 大学の講義が終わると一旦家に帰って、着替えて出かける。途中で大学での同じ講義を取っている人と出会ったら何故か驚かれた。

「藍沢だよな?」
 確認するように聞かれて、那央は素直に返事をした。

「そうだけど?」

「どうしたんだ、その格好。スーツなんかきて」
「ああ、バイト。ちゃんとした格好してないといけないところだから」

「へえ、藍沢でもバイトするんだ」
「するよ。接客は苦手で出来なかったけど」

「ああ、うん。そういう感じするわ。それ似合ってるぜ。がんばれよ」

「ありがとう」
 那央はいつにもまして喋っていたと思う。バイトに行くのが嬉しいのか、おしゃべりになっていた方だったので、相手も気をよくしたようだった。

「藍沢って機嫌いいと喋る方なんだな……」
「だなあ。普段が機嫌悪いわけじゃないだろうけど、今日は特別いいって感じか」
 と那央が去った後で、同じ大学で同じ講義を取っている二人はそう呟いた。   

 会社に着くと、那央は普通のエレベーターに乗って副社長室の隣にある秘書課に入った。

「おはようございます」

 那央がそう挨拶すると、ちょうど帰るところだった秘書の人に仕事の受け継ぎをされた。パソコンに打ち込む作業のものと、副社長にそれを提出するようにという指示だった。

 伊達は副社長室にこもっているので、困ったことがあったら訪ねるようにと言われて那央は席について仕事をし始めた。
 確かに仕事は簡単だ。

 何かの訳に立つかもしれないと、パソコンくらいいじれないといけないと勉強していただけあって、パソコンは普通の人以上には使える。

 他の人がまとめた紙の報告書を電子にしたり、移し替えたりという作業をして、清書しなおしたりという那央にはやりやすい仕事だった。
 秘書課には人はいなくて、一人で作業を出来るのも、対人関係で問題のある那央でもまったく関係なくなっていて集中出来る。

 そうして資料を作りに夢中になっていると、とんと部屋のドアをノックされた。
 なんだろうと顔を上げると、副社長の侑が部屋に入ってくるところだった。