novel

everyhome-10

「まだ仕事してる?」
 侑(ゆう)はそういって那央(なお)の机にくる。

「今、提出する書類を持っていこうかと思ってました」
 那央がワードを終了させ、印刷に回しながらそういうと、侑は自分が受け取る書類を見ている。
 じっと眺めて読んでいるかと思ったら、ふっと笑う。

「これはいい拾いものをしたものだ。ここまで出来るとそこらの秘書の連中より仕事が出来る」
 侑は素直に那央の仕事を褒めていた。
 普段はあまり人を褒めることはしないのだが、期待以上のものを出すものには、褒めることはいとわないのだ。

「大丈夫でしたか。引き継いだ通りにやってみましたが」
「ああ、良い出来だ。これなら伊達も文句は言わない」
 侑は笑って那央の頭を撫でる。

 始まったこの人のスキンシップ。
 まるで猫でも撫でるかのようなそんな撫で方だ。

 母親にも散々撫でられて育ったが、こんなに優しい撫で方をされたことはない。しかも他人にだ。
 そうしていると、外が少し騒がしくなった。何か女性が叫んでいる。

「なんで解雇なのよ、不当よ!」
「そう思われるなら弁護士立てて裁判で争いましょう」
 対応しているのは伊達だ。

「なんですって!」

「こちらは正当な理由であなた方に二度も警告しましたが、遅刻は直らない、仕事はしない。これでは雇っている私たちからあなた方を給料泥棒だと罵っても貴方には文句さえ言えないはずですがね」
 伊達の言っていることを来ていると、かなり酷い言い方をしているが、働いていた人を解雇した理由を聞いた時、那央は仕方ない例だなと思った。

「解雇勧告をした人の抗議ですか?」
 那央は知らずに侑の腕を掴んでいた。 
 あんなに叫んでいる女性を見るのは初めてだった。しかも敵意むき出しの人を見たことはなかった。

「秘書課にいたものだが、仕事をしてくれないのでね。この間の部署移動の時に解雇通告したんだ」
 侑は仕方ないだろうと言わんばかりにため息を吐いてそう言った。

「仕事をしないんですか? こんなにやることがあるのにですか?」
 那央は一人でやっても結構忙しかったと思う仕事量が残っている状態の秘書課なのに、仕事もしないで一体何をしていたんだろうか?と不思議になったものだ。

「そうしてくれないんだよ。さすがに贔屓にしているところからお願いされて入社させたにしても、花嫁修業にもならないなら、本当の花嫁修業をしてもらったほうがいいだろうとね。もちろん、その人たち一人一人の勤務状態をしっかり説明しても、進めてきた人が文句を言ってきたから、そんなに大事なら自分の会社に引き抜いて使ってやってくださいと言ってやった。さすがに向こうも黙ったのでこの問題は解決している」

 一応は顔は立てた、けれどそれでも使えないものに給料をやるような会社ではない、甘えて貰っては困ると釘を刺したし、今後そんな要求は一切呑まないという忠告もしてきた。
 侑の中ではこの話は終わっていることだった。

「……はあ」
 よく分からないが、とにかく仕事をしない人だそうだ。進めてきた人までが引き取りたくない勤務状態というのが那央には想像できないのだが。

「副社長いるんでしょ! 出しなさいよ!」
 女性はまだ叫んでいる。不当だと言うなら裁判くらい起こせばいいだろうに、認められないことが解っているのか、それとも家族に止められたのか、わざわざここまで来て怒鳴ることしか出来ないらしい。

「貴方、秘書だったなら知っているでしょう。アポのない人には副社長は会われません。残念ですが警備の方に引きずり出される前にお帰り願います」
 それでも女性があばれていたので、側にいた警備員が引き取って連れて行ったようだ。

 なんだかそこまで必死になるなら何故仕事をしなかったのかと思っていると、侑が椅子に座って言うのだ。

「氷室の秘書室にいた。これだけで仕事が出来る女に見えるし、嫁ぐときにいい看板になるらしい。残念だが、そんな看板を掲げられるのは今この秘書室に残っている者くらいだな」
 つまり残っているもの以外は全員箸にも棒にもかからないほどに酷かったようだ。

「左藤(さとう)さんと南(みなみ)さんはすごいですよね。資料見ていたら分かります。もう一人の受付の人は分からないけれど」
 けれど、この人たちは秘書の看板下げてくれと頼んでも素直に下げてはくれない人たちである。

「受付の原さんは親子で秘書をやってくれている家系でね。彼女の父親は祖父の秘書をやっていたし、母親は兄の秘書を最近まで引き受けてくれていたベテランの秘書なんだよ。受付は彼女に任せておくだけで、すっきりする」
 かなり信用している人のようだ。

「出来る人と出来ない人を分けただけなんですね」

「そういうこと。時々妙なのが混ざっているからね。容姿だけで秘書が勤まるなら、私は那央を隣に置いておくのだがね」
 真面目な話をしていたのに、急にそう言われて那央は驚いた。
 びっくりして目を見開いて侑を見ると、侑はにっこりとして那央の頬に手を伸ばす。

「こういう可愛い子が隣にいて、一生懸命仕事をしていると思うと、私の作業も早く済むから助かる」
 言い方がセクハラだ。そして態度もだ。

「……そう、ですか」
 頬を撫でられて那央はぴくっと身体を震わせたが、それはびっくりしたからで不快だったからではなかった。

「ああ、肌も綺麗だね」
 頬を撫でられてそう言われた。
 そういうのはよく分からないけれど、そう言われてちょっとだけ恥ずかしい。

「なに? これには訳があるとか?」
 肌が綺麗なことについての説明を求められた。

「あ……の、摩鈴(まりん)がやたら洗顔ものを持ってきて……それで」
 摩鈴はやたらと那央の健康や容姿についてのアドバイスをくれる。だがその通りにやると本当にちゃんとよくなるので那央は文句を言うどころか、感謝している。

「ああ、なるほど。ちゃんとしていたらこうなったと。いいと思うよ」
 そう言われて撫でられるづけると何か変な気分になってくる。

「……副社長、またセクハラですか」
 呆れた声が聞こえてきた。
 そっちを見ると伊達か本当に呆れた顔をして立っている。

「仕事の邪魔をしないでくださいよ」
 伊達が侑を追い出そうとしている。

「あ、いえ、今日の分は一応終わりました。確認をお願いしていて……」
 那央がそう必死に言うと、伊達はおや?という顔をした。

 那央が嫌がってはいないのは見れば分かるのだが、何か雰囲気が違う気がしたのだ。

「そうそう、仕事の確認をしていた」

「そんなわけないでしょう。頬撫でながらとかありえませんから」
 ぴしゃりと伊達は副社長である侑の口を封じる。
 そして仕事の書類を見て、にこりとした。

「これはいい。丁寧だね」
「そうだろう。私もそう褒めたところだ。頬を撫でたのはご褒美」
 そう惚気る侑にまた伊達が嫌な顔をする。

「変なしつけしないでくださいよ。まったく」
 伊達は書類を見ながらでも侑に突っ込む。

那央はドキドキしながらその作業を見守る。
伊達は一応全部に目を通すと、満足げな顔で頷いた。

「いい仕事してるよ。この調子で頼むね」
「はい」
 褒められると嬉しいのはここ最近ではなかったことだ。しかもちゃんとしたバイトでの仕事だ。これは褒められるのがくせになりそうな感じだ。

「よくできてる、ほんとうに」
 そう言ってまた侑が頬を撫でてくるので、那央はもうこれも仕方ないのだろうかと思い始めた。

 那央の頬を撫でている時の侑の顔がまた優しくて、その顔が見たくてどうしようもなくなってくるから困る。

 そういう顔をずっと見ていたい。
 自分をそういう風に見てくれた人はいなかった。母親ですら、そういう風にしてはくれなかった。自分は強くならなければならなかったし、甘えることは許されなかった。

 囲われて生活をしている母親には甘えられなかった。
 その代わりではないのだが、この人には何故か甘えたい気分になってくるのだ。

 思わず撫でられている手に自分の手を重ねてじっと体温を感じてしまう。
 人は温かいのだと、そう聞いていたけれど、本当にそうなのだ。

「那央、大丈夫か?」
 いきなり焦ったような声をかけられて那央はハッとした。

 気がついた時には涙が出ていた。
 それに侑も伊達も驚いたらしい。

 ただ人の体温が暖かいのだと思ったら泣けてきた、それだけなのだが、侑はハンカチを出して涙を拭いてくれるし、伊達はお茶を持ってきて慰めてくれるしで、大変なことになってしまった。

「何かあったのか?」
 落ち着いたところでそう言われたのだが、那央はただ首を振る。

「優しくされると、今は弱くて。人は温かいんだって分かったらなんでか涙が出てて、自分でもびっくりして、すみません。何言いたいのか分からなくて」  
 那央はそう言ってお茶を飲む。
 自分でも何が何だかで説明は出来ないのだけれど。

「寂しかったのか。大丈夫、私がいるよ」
 そう言って侑は抱きしめてくれた。そうされると嬉しくて、また涙が出そうになるけれど、それは我慢した。泣くなんて、本当に久しぶりで。母親の死の時でさえ泣けなかったのに、今他人の前で泣いてしまった。

 それが段々と恥ずかしくなってくる。

「も、もう、大丈夫で、ひゃ……」
 離れようとしたら、いきなり頬にキスをされた。
 これはさすがに顔色を隠すことは出来なかった。ぐーーんと顔が真っ赤になってキスされた頬を押さえて机に突っ伏した。

「これは……恥ずかしがってますね」
 伊達がそう言って感想を漏らした。

「淡泊なんだな……」
「なんですか、お手つきじゃない分いいじゃないですか」
 伊達は当然とばかりにそう言い返す。

「お前非難するわりに、勧めるんだな」
 侑は呆れたように言葉を返した。

「この子ならいいですよ。もうそろそろ年貢の納め時みたいですし」

「そうだな」
 侑はまだ顔どころか耳まで真っ赤にしている那央の頭を撫でている。

 そうするとまた那央が赤くなっていくのでちょっと面白かった。