novel

everyhome-11

「那央(なお)、どうしたんだ、その目」
 大学へ行って講義に出た時、そう言われて、那央は戸惑った。
 バイトに行って優しくされて泣きました、と正直に話すのが恥ずかしい。

「え、や、あの……」
「那央、なんかあったら電話しろと言わなかったか?」
 大雅(たいが)が苛っとしたようにそう言うのだが、那央は困ってうーんうーんとしてからこそっと大雅に言う。
 すると大雅は呆れたような顔をしていた。

「だ、だから……」
 那央が慌てると、大雅ははあっと息を吐いて、それから笑った。

「なんだ、俺の前では泣けないくせに、ほとんど初めての人の前で泣いたか。なんか嫉妬しそうだな、その氷室さんに」
 あ〜あと言わんばかりの言い方に、那央は戸惑った。

「え? え?」

「だからな、俺が一番だと思ってたのに違ったのかって。そんな感じ」

「一番って、大雅はいつでも一番の友達だよ」
 那央はキョトンとしてそう言う。それに大雅はうんと言った後に続けた。

「それは分かってるって、那央がそう思っていることくらい。たぶん、なんでも一番だと思ってたのかもと思ってさ、なんつーか恥ずかしいな」

 大雅はそう言って少し恥ずかしがっている。何でも自分が一番那央を知っていると思いこんでいたのもあって、勝手に侑(ゆう)に嫉妬したのも恥ずかしいのだ。

 もしかしたら那央は他人、特に侑には見せられても、大雅には見せられないものだってあるかもしれないし、この先、氷室侑にしか見せない顔だって出てくるのだ。その一々に嫉妬していては那央を束縛していることになってしまう。

「あ……そういうことか……うん、わかる」
 那央は大雅が言いたいことが分かる。自分だって大雅のことは何でも知っている気になっていた。何でも一番に相談して欲しかったし、そうして欲しいと思っていた。

 けれどそれでは自分たちは他人と上手くはやっていけないし、前にも進めない。
 それが今分かったのだ。

「うん、じゃあ、これからもほどほどによろしくってことでいいのかな?」
 那央がそう切り出すと、大雅はにっこりとして頷いた。

「そういうことでいこう。これからもな」
「うん」
 二人でそう言って笑って握手した。

 今まではただただ二人で寄り添ってきた。そこに摩鈴や海都が入ってきても、ずっとそうしてきた。けれど、氷室侑という存在が、寄り添うだけでは前に進めないと教えてくれた。
 前に進もう、そういう約束を那央と大雅はしたのだ。

 ただ昔を嘆いていたころではなく、前を向いて本当に進んでいこうと。
 自分たちの環境はもう柵などないのだから。

「かと言って放っておけないのが俺の性格だけどさ。そのうち那央はかっさらわれていくんだろうな。覚悟しよう」
 そう大雅は呟くが那央には何のことだか分からずキョトンとしていた。
 これはしばらくさらわれることはないかもしれない。

「それで、氷室さんにそういうことされても、那央は不快じゃないんだ?」
 話を戻して大雅がそう言うと、那央はうんと頷いた。

「なんかいろいろ聞いてくれそうな気がして、いろいろ話しちゃってる。初めてなのになんか言いやすい環境作ってくれてるし」
 那央は照れながらそう言う。普段絶対に見ないような変化に大雅はこれを相手に見せているのかとため息を吐いてしまった。

 話しやすい言いやすい環境というのは、まあそりゃそうだろうと思った。
 向こうは那央を手に入れようとして、甘くして優しくしているのだから。

 那央はそれを優しい人だなと思っているだけみたいで、まだ向こうの思惑には気づいていないらしい。
 こんなにあからさまにしていても那央には通じないのだから、侑のことを考えると大雅は可哀想だなあと思ってくる。

 しかし、あの策略家みたいな人がそこを気づいてないとは思えず、もしかしたら那央が自覚していくのを楽しみにしてやっている可能性も高いと思うと、どっちもどっちな関係なのかもしれない。
 

  
 それから那央はずっとバイトを続けていたが、侑のスキンシップは相変わらずでなかなか慣れないでいた。

 触られることは嫌いではないが、ときどきすごく熱い視線があったりして、どきりとさせられることもある。それは一瞬で消えてしまうものなのだが、あれは一体なんなのかと那央は気になってきていた。

「那央くん、本当に副社長に気に入れられてるよね」
 秘書室で仕事の引き継ぎをする時に、南にそう言われた。

「え?」
 きょとんとした那央に南は笑う。

「うん、その反応、いいね。ああ〜副社長の気持ちが今はっきり分かった」

「あの……気持ちってなんのですか? お、俺何か失礼なことでも?」
 那央が慌ててそういう。あのスキンシップは実は嫌がらせだったのではと思ったのだ。

「いやだ、そんなことあるわけじゃないじゃないの。そのままでいいのよ、その那央くんの素直なところを副社長は気に入っているの。最近機嫌がいいから仕事やりやすくって助かるし、那央くんが仕事引き継いでくれるから、私もいろいろ助かってるの、ありがとうね」
 南はそう言って笑って那央の頭を撫でた。

「ああ〜これか〜うん、いいね」
 また人に頭を撫でられてしまった。

 背がそれほど高くないからなのか、南も女性にしては身長は高いので、ちょっと見下ろされているからか、なんだか小動物を扱うようにされてしまう。

「撫でるのがいいんですか?」
 那央がそう聞くと、南は笑って言う。

「疲れているとね、何かを撫でたくなるのよ。そういうこともあるからね」
 南はしみじみとそう言う。

「そうなんですか、面白いですね、その考え」

「那央くんは撫でたくはならない?」

「あーえっと。あの、疲れて寝てる人なら大丈夫かな?って撫でたくはなります」
 那央がそう言うと、南は笑って言う。

「それはとてもいいことよ。撫でられた人はきっと嬉しいだろうから」
 那央はそう言われてもまだ不安な顔をして言った。

「でも、髪をセットしてるから、撫でていいのかどうか迷っちゃって」
 那央がそう言うと、南はくすっと笑って言う。

「あら、副社長の髪なら、簡単にセットできるみたいだからいいんじゃないの〜」

「あ、南さん!」
 那央は慌てて南を止めると、南はきょとんとして聞き返す。

「あら、副社長じゃないの?」
「いえそうなんですけど、なんでバレたのか気になって……」
 那央が真面目にそう言うから、南は笑って言った。

「那央くんの側に、そんなに疲れた人がたくさんいるとは思えないんだけれど」

「あ、なるほど」
 那央はそれで納得したが、はっきり言ってバレバレ過ぎて、なんと説明していいのか分からなかった南である。

「あ、いけない。旦那がそろそろ迎えにくるわ」
「旦那さん?」
「ええ、私結婚してるのよ、これでも」
「ああ、そうだったんですか。旦那さんにもよろしくです」
「じゃ、また明日ね」

 南は上機嫌で帰って行く。それを見送って那央は仕事をする。今日の仕事は少なかったようで、8時には出来上がってしまった。

 いつもは9時くらいに出来て、それを侑が受け取りに来るのだが、今日は持って行った方がいいだろう。那央はそう思って、書類を整理して持って行く。

 受付には誰もいないので、入り口でノックをした。
 すると伊達がそろっと出てきて言うのだ。     

「今日はもういいよ」
 その言葉にかぶせるように、侑が言った。

「入りなさい」
 そう。

 那央はきょとんとしてどっちの言葉に従ったらいいのか迷った。伊達は帰っていいというが、侑はなんだか疲れた声で入ってこいと言うからだ。

 ここは侑の言うことを聞くのが正解だろうが、疲れているのを邪魔するのはと思ってしまったのだ。

「入ってください。そうしないと私が副社長に恨まれてたまりません」
 伊達はそう言って自分が社長室から出る。書類は全部受け取って行ってしまったので、那央は何のために入るのか分からなかった。