novel

everyhome 雨ニモ負ケズ

 この状況はある意味、那央(なお)への牽制だろう。
 目の前にいる年齢不詳っぽい女性は、公式の年齢だと50歳のはず。なのにどうみても30代後半の姿をしている。どんな美容方法を取ったらこんな若く肌を保ったり、見た目で30代に見えるのだろうかと那央は不思議に思う。

 自分の母親も大概実年齢には見られない人だったが、あの人とこの人の違いはオーラが全然違うことで分かる。母親は柔らかい温室で育った小さな花だったが、この人は温室ではなく庭で力強く咲いている大輪の薔薇だ。

 華やかで周りの目を一心に受ける、見せる為の花。 そんな力強さが伝わってくる。

 優雅にコーヒーを飲んでいるが話はなかなか始まらない。
 那央にはこの後の時間は帰って寝るだけという、普通に暇な時間しかないので、この女性が名乗って那央を有名な喫茶店に誘ったのを断ることは出来なかった。

 仕方ないじゃないか、目の前にいるのは、那央の現在の恋人である氷室侑の義母になる氷室眞友梨(まゆり)なのだ。

 氷室眞友梨は、社交界では有名な人物だ。旧姓は御堂(みどう)という。御堂家は氷室グループのホテル業を一手に手がけている一族で、眞友梨が氷室会長の妻になったのは、御堂家のホテル業を氷室グループの傘下に併合し、さらに大きくする為だった。高級なホテルからビジネスホテルと展開する御堂家から一部の事業を請け負っている眞友梨はかなりのやり手である。氷室グループのホテル産業がうまくいっているのは彼女の手腕だとも言われている。

 やり手の眞友梨は世界各地にあるホテルを見回ったり、会長と一緒にセレブのパーティーに出たりと大忙しで、氷室グループの全権を預けられている息子の侑の相手が気になってくるのは当然だろう。

 グループをメモ一枚、一言で動かせる副社長である侑に本命の恋人が出来たことは、ある意味彼らからすれば警戒しておくべき存在であろう。

「貴方……侑(ゆう)と付き合っているとか。本気なの?」
 眞友梨はコーヒーを飲んだ後、やっと本題に入ってくれた。

「はい」
 那央は何も隠すものはないのではっきりとそう答えた。
 躊躇ない返事に眞友梨は眉一つ動かさずに次の言葉を口にした。

「侑には、いずれ良い家の娘と結婚させようと思ってましたの。それが、貴方に本気ですって。駄目ですよ。企業のトップに立つ人間がそれではね」
 眞友梨がそう言って氷室家の次男である侑の立場を那央に分からせようとしている。

 だが那央は怯むことはなかった。
 喩え、義母である眞友梨がそう思っていたとしても侑がそれに従えないのは分かっていたからだ。

「企業のトップは、長男の伊織(いおり)さんではないんですか?」
 那央が素直に疑問を口にすると、眞友梨は少しだけ右目の眉を上げていた。少し驚いたのだろうか。

「侑さんは、あくまで自分は副社長で、グループの実権を握っているわけではないと普段からおっしゃってます。伊織さんが戻ってくれば自分は補佐に回るつもりで手伝っているのだと、そういつもおっしゃってます」

 那央は侑が普段言っていることは本当だと思っている。侑は厳しい副社長であるが社長の伊織さえちゃんとしてくれていたら、自分はもっと楽だったのにと愚痴を漏らすほどだ。
 その社長は、夏にはまった花火を盛大に打ち上げて、やっと本業である社長業に戻ってきている。
 約半年くらいは縛り付けるつもりで侑は社長の補佐に回っている。

 あんなに忙しかった業務が社長に回ったことで侑はある意味休暇を貰ったような感じになったと笑っていた。普通の人からしても忙しいように見えても本人には休日にちゃんと休めていることで余裕が出来ているらしい。

「そうねえ、でも侑さんも使えないわけじゃないのよ。だからちゃんとした子供を作って、跡継ぎが欲しいのよ。わかるでしょ。母親として幸せな家庭を持たせてやりたいって気持ち」
 確かに眞友梨の言うとうり、侑には昔願っていた幸せな家庭は必要だったかもしれない。だけど侑はそれを望んでいないこともよく知っている。

「眞友梨さんは、侑さんがどういうつもりで私を選んだのかご存じですか?」
 那央がそう切り出すと、また眞友梨の眉が動いた。どうやら彼女は少し不利になると眉が微妙に動くらしい。

「侑さんは、女性が苦手です。本人は嫌いだとおっしゃってます。でも彼は本当の母親のことは大事にしていました。では、侑さんが女性が苦手になった理由は一つしかないと思ってます」
 侑の女性嫌いが始まったのは氷室家の入ってからだろう。眞友梨という見たこともない厳しい女性、そして侑の優秀すぎた妹。そのコンプレックスから女性が苦手になり、女性に性的な欲求を覚えることがなくなった。


 高校生くらいから女性を相手にするのが苦痛になり、大学で同性愛者であることを認めた。
 女性は庇護すべきではあるが、それにあてはまるのは自分の母だけ。
 侑本人はそう言っていた。

「侑さんは、同性愛者である自分を認めていますし、恥じてなどいません。実際インタビューでもそうはっきり答えています。そこまでの覚悟がある人に貴方は苦痛を押しつけるんですね」

「まあ、一時の気の迷いでしょ」
 眞友梨は侑が同性愛者であることを気の迷いで済ませようとしていた。

「気の迷いであんなに苦しむのですか? 侑さんにとっては凄く大事なことなのに。ただでさえあの人は傷を負っているというのに、あなたたちは侑さん本人の気持ちなんて考えないんですか? 家ってそんなに大事ですか?」
 少し感情的になって言葉を返してしまって、那央はハッと我に返った。

「すみません……言い過ぎました」
 那央は握った拳をゆっくりと解いて深呼吸をした。眞友梨は那央の言い分を全部黙って聞いていたが、今度は別の質問をしてきた。

「貴方は、同性愛者ではないでしょ?」
「はい。でも今はそうなのでしょう。好きなのは侑さんで、彼は男性です」
 那央が素直に認めると眞友梨は那央に言った。

「貴方の両親はどう思っているかしら、私のように心配しているんじゃなくて?」
 たぶんこの関係のことで親などが反対するに決まっていると思っているのだろう。だが那央にはそんな肉親は一人もいない。

「両親はもういません。父はどこかで生きているでしょうが、居場所は知りません。母は一年前に死にました。祖父母も事故で死んでもういません」
 那央がそうはっきりと言うと、眞友梨は寂しそうな顔をして言った。那央に親族がいないことが意外だったらしい。母親のことは解っていたかもしれないが、祖父母までは調べてはこなかったようだ。

「それはお気の毒に……お母様が生きていらしたとしたら、やはりどう思ったかしら?」
 那央の実家の様子は調べているのだろう。昔の様子は分からなくても、那央が母親と一緒に高須賀という家にやっかいになっていたことは調べが付く。
 そこでは母親の様子も聞き取れただろう。
 とても淑女だったと。
 ただこの人の望み通りの言葉は出てこない。

「母が生きていたとしても、私のことに関心はなかったと思います。昔からです。あの人は自分がどう生きていいのかも分からない可哀想な人だったから」
 那央は昔を思い出してそう呟いていた。

「詳しく聞いていいかしら? お母様はどういう人だったの?」
 眞友梨が興味を示してきて、那央は昔のことを話すことになってしまった。

 母親は、昔から祖父母の言うことが正しいと思っている人だった。何があっても自分の意見は出さず、言われたまま行動する。
 小学校から大学まで母親に自由はなかった。
 大学を出るとすぐに見合いが来て、熱心な祖父母の言う通りに結婚した。

 だが、母親は何も出来ない人だった。
 元々実家が裕福で、食べるものから着るものまで全てお付きの者がやっていたくらいだ。本当に何も出来ない。家事も何一つ出来ない。
 父親は最初はそんな母親を可愛がった。でも父親の会社は那央が生まれて数年で倒産し、新たに会社を立ち上げる時には父親は外に家庭を持つようになった。

 父親は実家には顔を出すが、母親や那央がいる家には戻らなくなっていた。でも母親はそれでもまったく気にしていなかった。浮気しようが、家に帰ってこなかろうが、そんなことは母親の気にするところではなかった。
 女はうちで夫を待っていればいい。
 この言葉だけで、この結婚は続いていた。
 そうして父親は会社設立をするもすぐに倒産させ、実家に母親を立てにし金をほとんど奪い取った。
 祖父母も集られて大変だったろうが、何も出来ない母親と残された5歳の那央の生活は悲惨だった。

 母親は何もしない。父親は何処にいるのか分からない。そんな状況で那央が出来たことは、定期的に振り込まれていた銀行からキャッシュカードでお金を下ろし、コンビニでお弁当を買うことだけ。
 たまっていくゴミを捨てる方法は周囲から何となく学び、必要なものはお使いと称して買い物に行く。那央は一人でその方法を覚えた。
 そんな生活が意外に長く続いてしまったのは、那央が勤勉だったからだ。
 5歳から9歳まで、周囲にまったく気づかれずに那央一人の力で母親と二人くらしていた。
 その生活が破綻したのは、やはり那央にはどうにも出来ないお金だった。
 父親がお金を那央たちの口座に振り込まなくなり、口座から引かれていたガスや電気、そして水も止まった。そのとき那央は9歳だった。
 それでも母親は「どうしましょう」としか言わず、空腹のあまり那央は交番に助けを求めたのだ。

 それまで母親は夫をただ待ち続けたのだ。愛してもいないのに。

「私は世の中がどう動いているのか知らなかった」
 高須賀(たかすが)が異変に気付いて助けてくれた時、祖父母は母親を差し出すからと金を要求した。
 こんな状況になっても母親は何も気にしていなかった。祖父母から高須賀に行くように言われると、「はい」と返事をして高須賀の家に行った。

 母親が何を思って生きていたのか、那央は知らない。だが、那央は成長するに従って母親を憎むようになった。
 もう少し母親が世間に対して普通であれば、那央はここまで惨めな目に遭わなかったのではないかと思ったからだ。
 高須賀に行って母親が唯一那央をかばったのは、高須賀の息子、実から身を守る方法として、髪の毛を伸ばし顔を隠し、眼鏡をかけて大人しくしていることだけだった。

「母は最後まで、私に関心はなかった。あの人は自分が死ぬ目にあった時でさえ、言ったそうです。私に知らせる必要はない、私には関係ないことだからと」
 そうして母親は那央に病気のことを知らせずに死んだ。
 やはり母親は自分には関心はなかったのだと思い知らされた。入院していた母親は、病のせいなのか分からないが那央のことを一言も口にしなかったという。
 高須賀が那央に母親の病気のことを知らせなかったのは、そんな母親の異常に気付いたからだったと言っていた。この母親は思っているほど那央に関心がないのだとはっきりしたことがあった。

 母親は高須賀に行く時に、那央を連れて行こうとはしなかったという事実があったからだ。あの状況において、母親は那央の心配を一切してなかった。他人の高須賀が心配するほどの異常な状況に母親は気づいてすらいなかった。

「それを知った時、私は母を憎んだけれど、今は違う感想を持ってます」
 本当を言うと母がどんな人だったのか、あまりに憎みすぎてはっきりと覚えていることの方が少ない。けれど最近思い出したことで思ったことがあった。

「どういうふうな感想?」

「最後の最後まで母は可哀想な人でした。生きる意味を知らなかったんですから」
 那央は淡々とそこまで語って、ふと思い出した。この話をしたのは二人目だ。一人目は大雅に。

 大雅とはお互いの現状を語り合ったものだ。でもそれをバネにして前に進もうと二人で約束したのだ。だから母親の呪縛から逃げることを覚えた。



「貴方、今でもその悪夢を見るの?」
 眞友梨はさすがに那央の現状を把握していなかったらしく、少し同情したように聞いてきた。
 那央はそれに笑顔で首を横に振った。

「侑さんがいるから、彼がいてくれるから、私は大丈夫なんです。それに侑さんに出会う前は友人が沢山助けてくれました」
 侑の存在は今や那央にとっては癒しの存在だ。
 そしてそれと同じように大雅は那央の中で大きな存在である。大雅が現れてから那央の周りは変わった。
 那央は大雅のように上手くやって来られなかったが、大雅のようになりたいと思えた。そして侑と出会って、侑のように大きな安らぎとなる存在になりたいと思えた。

「そう思うのね……じゃあ、取り上げちゃうのは駄目なのかしら。これじゃ侑じゃなく、貴方が可哀想になっちゃうわね」
 眞友梨は那央から那央が生きてきた環境や思いについて聞いたとたん、心変わりをしたらしい。

「えっと……どういうことでしょうか」
 那央は少し混乱して眞友梨に尋ねたのだが、その答えは那央の後ろから聞こえてきた。

「那央を私から取り上げようとは、貴方も馬鹿なことを考えたものですね」
 いきなり頭上から振ってきた聞き覚えのある声に那央はびっくりして見上げた。
 そこには侑が立っていた。
 高級スーツにすらりとした立ち姿であるが、何故か彼が慌てているのに那央は気付いた。

「ごめんなさいね。自分の目で見て、耳で聞いてみないことには信用出来ないの。だって貴方とても嘘つきなんですもの」
 眞友梨は侑が現れたのには驚いてはいなかった様子で平気でそう言っていた。

「侑さんは嘘つきじゃないです」
 那央は眞友梨が侑を嘘つきだと言ったことにだけは反論した。だって侑が嘘を付いたことは一度もなかったからだ。
 その那央の言葉に眞友梨は初めて思いっきり眉を顰めていた。

「……本当なの?」
「はい」
 那央はにっこり笑ってそう返す。
 那央は一度も侑を疑ったことはない。この人は誠実であるし、何かあればすぐに言ってくれなくても時期がくれば言ってくれる。だから信用している。
 那央が笑ってはっきりと断言したものだから、今までの侑を知っている眞友梨は胡散臭そうに侑を見上げていた。

「それだけ本気だということですよ」
 侑はまだ警戒したようにしていた。
 那央が席を少し寄ったので座れるスペースが出来、そこに侑は座った。

「でも早かったわね、ここ突き止めるの」
 那央は侑には内緒で眞友梨に呼び止められてここに来たから、侑がこの場所を割り出すのは難しいはずだ。

「世の中にはGPSという便利なモノがあるんですよ。うちの社長や会長はそれを持ってくれませんがね」
 最初は余裕たっぷりで言ったが、最後は憎々しげに言った。
 GPSで居場所を探られるのが嫌な社長や会長は持ってくれない。なので毎回人手を使った捜索になってしまう。実に手間がかかり、費用がかかる。

「まあ、本気すぎて怖いわね。それでいいのかしら那央さん?」
 そこまでして居場所を把握されるのは、束縛されているのはどうなのかと問われたのだが、那央はやはり笑って答えた。

「構いません。それで侑さんが安心するなら」
 別にやましいところに行くわけでもない。居場所はいつも報告しているし、大抵は大学と家と会社を行ったり来たりの生活だ。特段面白いこともないだろう。

 やはり那央が微笑んで言うと、眞友梨は呆れたとばかりにあんぐりと口を開けていた。
 侑は当然那央がそう答えるのは予想していたので悠然と構えている。
 前に高須賀の息子に連れられて行ったことがあり、侑は用心の為にGPS付きの携帯を那央に持たせた。そんな理由があるので那央は納得している。

 侑と付き合うことは、ある意味リスクがあることなのだ。それは周りに説明されてよく分かっている。世界的に有名なグループの副社長の恋人となれば、よからぬことを考える輩もいる。
 その警戒の為の準備でもあると言われれば、侑の側に居たい那央は拒むことは出来ない。自分の存在が侑の邪魔になることだけは那央は避けたいからだ。

「心得は、夫よりもいいってことかしら……まあ、十分注意してやっているなら私がどうこうする隙もないわね」
 眞友梨はやっと納得してそう言った。
 那央はなんだか分からないが、眞友梨からの試験に合格したらしいと感じた。

 実は前々から那央の周辺に眞友梨が現れる可能性があると侑に言われていた。この人は色んなことを考えつく人で、氷室家の実権を握っているのはこの人なのだそうだ。グループではなく、氷室家というのがポイントだ。
 この人が夫の愛人から子供を預かり、然るべき教育を受けさせたりしている人で、息子たちの教育には熱心だったという。
 氷室家では現在唯一の女性であるから、かなり強い発言権を持っている。

 会長でさえこの人にはまだ勝てないところがあるというのだから、侑もまだ敵わないところがあるそうだ。それを侑は認めているが、女性嫌いの原因になった女性の一人であるから色々複雑なのだ。

「那央さん、私は貴方を歓迎します。今後困ったことがあったらここに電話をして。それじゃ」
 眞友梨はそう言うと、那央の前に名刺を差し出した。そしてそれだけを言って席を立って店を出て行った。

「どういうことでしょうか?」
 名刺の意味が分からず、那央が受け取りがたいと思っていると、侑が言った。

「貰っておきなさい。私とどうしても連絡が取れない時はそこを頼るといい。まあ、そういうことはないだろうが一応の用心だ」
 侑は那央の質問にそう返し、それから質問の意味を教えた。

「那央は合格したんだよ。あの人は那央にかなり同情していたようだし、寧ろ私の恋人でいいのかという方を心配しているらしいから」
 侑はそう言って苦笑していた。
 一応、眞友梨の試験を合格したことは分かったので那央はホッと息を吐いた。

「でも那央、私にも話していないことをあの人に喋るのは、少し妬ける」
 過去の話は侑も調査をして知っている。だが、那央が本当はどう思っていたのか、当時の話を直接聞いたわけではないのだ。
 那央はそんな侑を見て。

「面白い話ではないですから。でも侑さんが知りたいって言うなら、もう一度話します」
 那央がそう言うと侑は明らかに満足したように優しく微笑んだ。

「そうしてくれると有り難い。那央がどんな過去を過ごしてきたのか私は全部知りたい。凄く独占欲が強いんだ」
 侑が素直に知りたい訳を言うと、那央は驚いた顔をしたが、その後柔らかく笑った。

「はい、分かりました」
 そう返事をすると侑は那央を伴って店を出た。
 会社を抜け出してきた侑だが、相手が眞友梨ではやはり心配だったようだ。店の近くに止められた車から秘書の伊達が慌てて出てきて侑と那央を車に乗せると急発進をして会社に戻ろうとしている。
 そんな車内で侑と那央は手を繋いでゆったりとした時間を満喫した。
 
 ただ伊達だけが、残った仕事が今日中に片付くのか不安で不安で焦っていた。