novel短編

Hello.Hello-3

 アリスが気づいたことを報告した後、五十嵐(いがらし)は仕事部屋に戻って一人溜息を吐いた。

  何がいけなかったのか、アリスはあの後、黙ったままでキッチンに戻ってしまった。

  元々あれこれ喋る性格ではないらしく、必要最低限の会話しかしないのだが、急に黙られたらおかしいと思う。

  自分の発言の中にアリスを黙らせるものがあったのかと考えてみると、思い当たるのは、一人暮らしが出来ると誉めたことだ。

  誉めたのに、アリスは機嫌が悪くなった。ということは、一人暮らしはしたくないと思っていると解釈した方が正解か。

  アリスは不安なのだ。それなのに、放り出すような発言はすべきではなかった。

  アリスが一人暮らしが出来たとして、何も思い出せない上に、人生をやり直ししなければならない状況で、誰の助けも借りられないという状況はかなり怖いだろう。

  もしアリスを知っている人がいたとして、その人たちが助けてくれると解っても、内心これで合っているのか、この人は騙したりしないのだろうかと思って過ごす羽目になりそうだ。
  アリスにはその知人は本当の知人なのかさえ解らないのだから。

「待てよ。そもそも、俺だって知らない人には変わりないじゃないか」
  そう五十嵐は呟いていた。

  記憶をなくしたアリスが身近にいた人に頼るのは仕方ない状況だ。でも、病院で記憶喪失だと言えば、もっといい状況になったかもしれない。警察はいやだと言っているが、病院には居させて貰えるだろう。

  なのに、アリスは五十嵐を信用している。
  なんだかよく解らない状況だ。

  一旦仕事に戻って考えを振り切ったが、一段落したところで、コーヒーを取りにダイニングに行った。

  このマンションは、普通のマンションではなく、ちょっとした二階があるところだ。リビングを見渡せるロフトという感じの位置づけに二階部分がある。
  五十嵐はそこにベッドを置いて寝室として使用している。

  最近は二階に上がるのも面倒になって仕事部屋に簡易のベッドを入れて寝ているので、二階のベッドはアリスに使わせている。
  気になって二階に上がってみると、アリスはベッドで寝ていた。時間を見ると、午前ちょっと回ったくらいだから、結構早い。

  顔が半分くらい布団の中にあるが、スヤスヤ寝ている。

  リビングの電機はつきっぱなしなので、起きているかと思っていたが、五十嵐の為に暗くないように付けているらしい。

  遮光カーテンなどないから、光はもろに当たっているから眩しいだろうに、アリスは気にしないらしい。

  じっと見ていると、本当に綺麗な顔だと思う。初めて見たとき、理想がいると思った。

  それは自分が書いてきたものの中で人気があるキャラの現実化みたいなものだ。もちろんキャラは女性なのだが、まさか男の顔に理想を見るとは思わなかった。

  白い肌。小さな顔。目は大きくてアーモンド型。鼻筋もスッとしていて、唇は少し薄い厚さだが、小さ過ぎず、顔のパーツは見事に配置されている。体も骨が細いのか、実にいい形をしているし、立っている姿はとても綺麗だ。

  身長が高くないが、パーツがいいのと等身がいいので、離れていると、実際より高く見える。今時のだらしない若者とは違っていて凛としていると言う言葉がぴったり合う。

  それが動いていた。それだけで五十嵐には感動だったし、奇跡だとも思った。

  表情はそれほど動かない。傍目にはクールだと見えるし、下手すればいい印象は持たれないタイプ。綺麗でクールに見える分、周りは近づきにくいだろう。

  何事にも淡々としているのは、たぶんそんな環境にいたせいかもしれない。そうして表情を殺すことでしか生きていけない。

  アリスを詐欺師として見れないのは、この表情のせいだろう。愛想良くしてなびいてくれば、何かあると疑える。だが、アリスにはそれがない。相手に頼ろうという気もない。

  記憶がないということで、思い出すことはしているだろうが、それを五十嵐に頼ってやろうとも思っていない。常に一人でどうにかしようとする。それは一人で生きてきた人間がすることだ。

  だが、それで落ち込んで動けなくなるほど弱くもない。寧ろそうしたことを積み重ねてきたからこその強さを感じる。

  とても綺麗だと思う。見た目ではなく、心がとても綺麗だと思うのだ。
  時折見せる笑顔が印象的で、こちらをドキドキさせる。

  五十嵐はベッドに腰を下ろして、アリスの顔を覗き込んだ。
  そして知らずにアリスの顔を指で撫でていた。鼻筋、頬、そして唇。
  ゆっくりと撫でていて、妙な気分になってきてしまい、五十嵐はふっと手を止めた。

  まったく、変な気を起こすなよ。そう自分に言い聞かせて手を引いた。
  眠いから変な気が起きているのかと思い、五十嵐は仕事部屋に戻って一旦寝ることにした。

  その五十嵐が去った後、寝ていたはずのアリスが起き上がった。

「今の何?」
  手を口に当てて、目を細める。
  凄く優しく撫でられた。何故あんなに優しくされるのか。
  次第に顔が赤くなっていることにアリスは気づかなかった。









「アリース」
  五十嵐の声でアリスはハッと我に返る。

「え……」
  アリスが顔を上げると、目の前に五十嵐が座っている。

「何か考え事か?」
  にっこりとして見つめられて、アリスはすっと目をそらした。

  今日起きてからずっと五十嵐と目が合わせられず、アリスは目をそらしていた。これでは五十嵐に不快感を与えてしまうと解っていても、どうしてもその目をその顔を見ることが出来ない。

  そのアリスの態度に、五十嵐は溜息を吐いた。昨日の言葉が悪かったのだろう。

「悪い。俺は言葉を選んで喋るってことが出来ない。アリスの不安を煽る結果になったのは悪かった」
  五十嵐はそう言って謝ってきた。
  それにポカンとするアリス。

「あの……?」
  何を謝っているのか解らず、五十嵐の言葉を探るように聞き返すと、五十嵐は昨日の発言のことを気にしていたらしい。

「いえ。それは別に気にしてないです」
  それとは別の、昨日のあれは何だったのか。そう問うとしたが、問うことが出来なかった。

「じゃあ他に何かあるのか? 俺の目が見られないようなことが」
  俯いているアリスの顔を覗き込むようにして五十嵐が言ってくる。

  それでも答えられずにいると、五十嵐は溜息をまた吐いて、立ち上がった。

「解った」
  五十嵐はそう結論づけてしまった。

  え……と思ってアリスが顔を上げると、五十嵐はアリスを見てなかった。
  一人で納得したような顔をして、さっさと仕事部屋に戻ってしまう。

  そうして一日中、五十嵐は仕事部屋から出てこなくなった。

  食事が出来たと言っても、運んでくれと言い、部屋で取ってしまう。出てきたと思ってもコーヒーなどを入れにくるくらいで、すぐに仕事部屋に戻ってしまう。

  明らかにアリスを避ける行動を取るようになっていた。

  その日は五十嵐の仕事が忙しくてアリス自身の存在を忘れているのかと思ったが、次の日にも同じようなことをされて、アリスはわざと五十嵐が自分を避けるようになったのだと感じた。

「やっぱり、俺は邪魔な存在なのかな。どこにいても駄目なんだ」
  そうアリスは呟いてハッとした。

  なんだ今の言葉。どこに行っても? 俺は前の場所でもそんな存在だったのか?

  元々迷惑をかけているのだから、五十嵐が自分を邪魔だと思っても仕方ない。大人しく警察に駆け込めばよかったのだ。
  五十嵐だって忙しいのだ。人に構っている暇だってないし、記憶をなくした自分だって十分お荷物でしかない。

  そう思うと凄く胸が痛い。
  何処に行っても自分は駄目なのだ。記憶を失ったとしても、それは解らない。
  アリスは窓の外に見える空を見上げた。


 
  五十嵐がお腹が空いたと思ったのは、午後七時を回った頃だった。このところ、アリスがきっちりご飯を作ってくれていたおかげで、空腹具合が変わっている。

  まだ夕飯じゃないのかと、時計を確認したが、とっくにいつもの夕食時間は過ぎている。
  アリスが呼びに来ないので仕事に集中していたが今日は呼びにこない。

  どうしたのかと思って、ふっと考える。
  昨日からアリスの目に入らないように行動していたから、アリスの様子が分らない。
  何かあったのかと、リビングに行くと、アリスはソファに座って目を閉じていた。

「……アリス?」
  五十嵐がそう声をかけると、アリスはハッとして目を開いた。

「あ、れ。もうこんな時間。すいません、ご飯つくってなくて」
  アリスは今の今まで本当に目をつむっていたらしく、外が暗くなっていることに驚いていた。

「なあ。疲れているなら、無理して飯作ることはないぞ。デリバリーでもいいし」
  五十嵐がそう言ってアリスがご飯を作ろうとするのを止めた。
  アリスはそれを聞いて、はあっと息を吐くと五十嵐を見た。

「あの……五十嵐さん」
「なんだ?」

「明日、警察に行きます」
  アリスのその言葉に五十嵐はアリスを見た。

「どうしてだ? やっぱり俺のことが気に入らないからか?」
  五十嵐がそう口に出すと、アリスは首を振って言った。

「気に入らないのは、五十嵐さんの方でしょ。嫌なら嫌だって言ってください」
  アリスの言葉を聞いて、五十嵐は目を瞠った。

  なんだそれは? 最初に自分を避けたのはそっちじゃないか。

「俺、バカなんで、言われないと解らないんです」
  アリスはそう言って五十嵐を見つめる。
  何を言えと言うんだ?

「俺が、いつ、アリスが邪魔だって言った」
  五十嵐は低い声でそう言っていた。

「えっと……言ってないです。でも、俺のこと避けてた。だから邪魔なんでしょ?」
  アリスは言って目を伏せる。

「お前が、俺を避けてた。だから目に入らないようにしてただけだ」

「俺が……?」
  アリスは自分はそうやった記憶を思い出す。あれは五十嵐が寝ているアリスの顔を触ったりしたことを意識していた時の反応のことだろう。

「あ……あれは……」

「あれは? ほら、お前が先に避けてた」
  そう指摘されて、アリスはやはりあれは五十嵐を不快にさせたのだと理解した。

「だって、あれは……五十嵐さんが……意味の解らないこと……したから……」

「俺がどんなことをしたって?」
  そう言いながら五十嵐はアリスに近づいた。アリスは一歩後ろに下がったが、そこにはソファがあってそれ以上下がることが出来なかった。

「……だって寝てる時に」
  アリスがそう言うと、頭の上にある五十嵐の気配がふっと笑うような感じがした。

「ああ、あれか」
  五十嵐はなんだ起きてたのかと思った。
  それなのに全然反応しなかったアリスに感心さえした。

「……あれは……どういう意味……」
  アリスは段々声が小さくなったのだが、目の前にいる五十嵐には十分聞えていた。

「意味? あれに意味ねえ」
  五十嵐はそこまでは理性で押さえていたと思う。だが、あれの意味と問われて、答えを出すとしたら行動で示すしかないだろう。

「意味が知りたかったら顔を上げろ」
  五十嵐がそう言うと、アリスは一瞬躊躇したが恐る恐る顔を上げた。

  その瞬間だった。
  顔を上げたと同時に五十嵐の手で顎をつかまれ、ハッとした時には唇を塞がれた。
  そう、五十嵐にキスをされたのだ。

「……!」
  なんで? そう思ったが、その次に来た衝撃がその考えを吹き飛ばす。

「ん……!」
  口の中に入ってきた五十嵐の舌が這い回る。嫌だと五十嵐の舌を追い出そうとすると、まるでその舌を追いかけて求めているようなことになってしまう。

  顎を掴まれているので口を閉じることも出来ず、嬲られるように口の中を蹂躙される。

「ん……は……っ」
  やっと口から息が出来たと思ったが、五十嵐の唇が去ったわけではなかった。唇を甘く噛み嘗める。

「あ……ん……」
  アリスの頭の中は真っ白だった。
  でも、空を掴んだはずの手は五十嵐のワイシャツを握りしめていた。

「ん……」
  朦朧としたままで五十嵐の顔を見上げると、五十嵐の顔が笑っているようだった。
  足の力が抜けそうになると、五十嵐が回した手が支えてくれる。五十嵐はそんなアリスを支えたままで、頬にキスをしてそれから耳にも舌を這わせた。

「あ……っ」
  ピクリと体が震えるとふっと耳に息を吹きかけるようにして笑われた。

「何が起こったのか解りませんってか?」
  その五十嵐の言葉にカッと顔を赤らめると、五十嵐はアリスの首筋に唇を落として言う。

「意味が知りたいんだろ?」
  五十嵐がそういう意味で言っていたことは理解したのだが、それ以上になにかあるような言い方だった。