novel短編

Hello.Hello-9

 昨日調べた寺の住所を調べ、明記されていた電話番号にかけると、相手もこっちを探していたらしく、さっそく会いたいと行ってくれた。とにかく会うことにしよう、話はそれからでもいいだろうとなり、伸哉とアリスはその坊さんに会うことになった。

 家を出る時、アリスはかなり緊張していたようで、始終何も言わなかった。

 電車で隣町に移動し、バスで寺近くまで来て、さらに歩いて寺の門まで来た。そのときにはアリスの緊張も最高潮に達していたらしく、なかなか動こうとはしなかった。

 昨日の段階でアリスの名前がホンモノであって、有栖川史也(ありすがわ ふみや)であることは確認済みで、住所もこの町にある。でも先に家に向かっても思い出してもいないアリスの家ではすることもないし、思い出す為に必要なことをするにしても、先にこの手紙のことを知りたいと言うアリスの気持ちを優先させることになった。

 謎の手紙の出し主が、寺の住職であるのは電話で確認済みで、そのときに手紙の意味も教えてあげると言うのだ。

「じゃ、行くぞ」
「……う、うん」
 やっと足を踏み出したアリスを先導させて、伸哉はゆっくりと寺を眺めた。

 寺は小さなところではあるが、裏山が墓地になっていて、かなりの広さが後ろに広がっていた。入り口は狭いが中は広い。

 奥に行くと、こちらの出迎えをしてくれたのは住職の息子だと言う、二十歳くらいの男の子だった。

「案内します」
 丁寧な口調で挨拶されて、奥へと案内をされた。
 ここの住職が一体何を知っているというのか。それは案内をしている者にも聞けないだろう。

 そして通された部屋には、五十くらいを迎えた年の人が座っていた。

「ああ、初めまして、住職の俊英(しゅんえい)と申します。どうぞ、お入りください」
 勧められて座ったアリスはゆっくりと挨拶をする。

「有栖川史也です。お忙しい時に失礼します」
「お電話しました、五十嵐伸哉です」
 二人が挨拶をすると、すぐに息子がお茶を持ってきてさっと置いて出て行った。
 そうして息子が去ってから俊英はやっとしゃべり出した。

「手紙は失礼しました。有栖川くんから最初に貰った暗号から、そうした返事をしたものでして」
 まさか、アリスが記憶を失って、手紙一つが手がかりになるとは思わなかったらしく、そうした返事を出したのだという。

「アリスが暗号?」

「ええ。『もし生まれた時のことを知るものがいて、それがどういうことなのか教えてくれるなら、名前のない手紙を一つ下さい』そう、新聞の詩の投稿欄に載ってまして。最初は冗談かと思ってましたが、調べてみたら、あの時の子供であると分って」

「あの時の?」

「ええ、もう二十年前ですかね。私どもの寺に一人の女性がいらっしゃいまして。うちの父と遺恨にしていた方でしたし、身ごもっていたので一時ここで寝泊まりしていたんです」
 俊英はそう言って当時を懐かしんでいたようだった。

「それがアリスの母親?」

「たぶんですね。はっきりとするには、ここにある彼女の荷物にあるヘソノウで遺伝子を調べれば医学的にはっきりとしますよ」
 そう言って彼は小さな荷物を出した。

「彼女が出て行く時に持って行った荷物なのですが、先日出来れば一緒に埋めて貰えないかと依頼が来まして」

「埋める?」

「彼女、先日ガンで亡くなったんだそうです。病院の方から、この荷物の始末だけは、私に依頼したいという遺言が残っていたそうです」
 アリスの母親は先日、それもアリスが新聞に暗号を出した日に亡くなっていたそうだ。

 それで彼は新聞を見て心当たりがあり調べ、その後日荷物が届いたことで分ったことがあると言う。

「それ……で、俺はどうして捨てられたんでしょうか?」
 アリスがそう切り出すと俊英は悲しそうな顔をした。

「彼女はずっと何かに怯えてました。子供を産むのはいいが、産んだら取られるのではないかと。実際、彼女は住まいを転々としていて、最終的に行き着いた町の病院で亡くなっています。そのとき、何度も男の方がいらっしゃっていたそうです。たぶん、父親だと思います。彼女が入院して居所が分ったのであの時の子供を渡せと迫ってきたらしいです」

 アリスの母親は何処かの金持ちの子供を身ごもった後に、何かの事情で逃げ出し、子供を産んだ後、捨てるようにして隠して、更に逃げていたのだという。

「わざわざ捨てる必要がどこに……」
 伸哉がそう言うと、俊英は首を振った。

「捨てる必要があったとは思えないですが、連れて逃げるには生まれたばかりの子供が耐えられないと思いますよ。彼女は有栖川くんを捨てた後、毎月のように居場所を転々としてましたから」
 そうまでして逃げなければいけない事情はなんなのか。

 そう思っていると、俊英が思い当たるというモノを出した。それは新聞の切り抜きで、アリスの暗号の詩と、一枚の死亡記事だった。

「加賀屋平三(かがや へいぞう)。75歳。国会議員で大臣にもなった方ですね。後継者が欲しかったらしいですが、子供が出来なかったらしいです。たまたま関係を持ったんでしょうが、偶然にも彼の子供が出来てしまった。しかもこうして」

 そういいながら見せられたのは、加賀屋議員が亡くなってから発覚した脱税の真実、加賀屋帝国崩壊という、汚職の記事の特集だ。これは捜査も入っていて、かなり調べられていて関係者が何十人と捕まっているくらいの悪質な事件だ。

 しかも加賀屋は他にも海外で人身売買や臓器密輸までやっていたので、かなりの大がかりな事件として今や世間の人が注目しているものだ。
「こういうことですか……確かにアリスを渡していたら、これを引き継いだことになりますね。なんとしても隠したかったはず……」
 いくら加賀屋との間に出来た子供であっても、さすがに渡す気にはなれないだろう。こんな実態を妊娠した女性が一人で知って、逃げだし、子供を安全に隠すには捨てるという手段に出るしかなかったのか。

「……俺を隠す為に養護施設の側に捨てたんですか? そうしないとこんなことに巻き込まれてしまうと分っていたからしたんですか?」
 アリスがそう尋ねると、俊英は分らないと答えた。

「ですから、これは彼女の荷物から見つけたものから導き出した、私の推理なんです。「君が何を知りたがっているのか解らない。でも教えてあげることができるかもしれない。それでもいいなら、おいで」という返答をしたのは、私の推理なら話してあげられるけれど、真実は結局分らないままということなのです。謎かけには謎かけと思ってしたことがこんな重大なことになろうとは思いもせず」

 そう言って俊英は茶目っ気を出した自分を恥じているらしい。
 アリスの母親が何を思って何をしたのかは分らないままだ。誰も真相は知らないし、語ってはくれない。肝心の母親は何も残さず亡くなったし、父親かもしれない人物さえも亡くなっている。
 二人とも本当のことは墓に持って行ってしまったのだ。

「たぶん、彼女は有栖川(ありすがわ)くんを事情があって養護施設の前に捨てたのだけれど、捨てた以上母親と名乗って出るつもりは死んでもしないつもりだったんでしょうね。けれど、私にだけは、その暗号を知らせようとした。あの子は元気にしていて、こうして生きているということだけを確認したと。とても孤独でとても悲しいことです」

 俊英(しゅんえい)は当時のことを思い出しているのかしんみりとしている。その当時の母親の写真を出してそれをアリスに見せて、よく似てるねと言った。

 確かに出された写真の女性にアリスはそっくりと言って良いほど似ていた。

 けれど、それが本当に母親であるということは遺伝子を調べないと分らないことだ。しかし、加賀屋(かがや)のことがある以上、下手に調べてやぶ蛇ということもあるから、伸哉は調べるのは当分先でもいいだろうと思っていた。

 アリスは驚いた顔のまま、出された写真を凝視していた。ゆっくりとした動作でその写真を取り上げた時、それは起こった。
 アリスが何かに衝撃を受けたように倒れたのだ。

「アリス!」
 すぐに駆け寄って伸哉が抱き起こすと、アリスはぐったりしていた。

「有栖川くん、一体何が。大丈夫ですか?」

「息はしてます。何かの発作かもしれない。持病があるかどうか分らないので医者を」

「分りました、すぐに」
 俊英がすぐさま医者を呼び行き、息子が部屋に布団を引いてくれてそこにアリスを寝かせて、伸哉はやきもきした。まず持病がないか。それを確認する為にアリスが捨てられたという養護施設に電話をし、アリスに持病か何か発作を起こすようなことがなかったを尋ねてみたが、まったくの健康だったのでそれはあり得ないとなった。

 医者がすぐに来てアリスを診たが、ただ眠っているだけで、発作などを起こした形跡はまったくないのだそうだ。

 ただ何かに衝撃を受けたことだけは事実で、それは伸哉や俊英にも思い当たることがあった。母親の写真の件だ。あれを見ていてアリスは何故か驚いて倒れた。

「もしかしたら、記憶喪失で消えていた部分に、その写真の女性が引っかかったのかもしれないですね」
 伸哉がそう言うと、俊英はなるほどと頷いた。

「そうかもしれませんね。会ったことあるか、見たことある記憶。これで一気に記憶が戻るといいですね。五十嵐さんも安心しますでしょう」
 俊英ににっこりとしてそう言われて、そうだったと伸哉はハッとした。

 これが記憶のダムの決壊を招いたものだったとしたら、アリスは今まさに無くした記憶を一気に思い出しているところだろう。その中でなかったことにされるのは、当然伸哉との時間であろう。

 アリスが目を開けて、「あなた、誰?」なんて言うと思うとぞっとする。

 また自分は大事なものを無くしたのかもしれない。

 アリスが元気で生きている空間と時を取り戻したのだから喜ぶべきなのに、伸哉は喜べない。そんな自分勝手な考えが嫌になってくる。そして空気が重くなってくる。自分は息をしているか? 大丈夫か?

 そう自分を叱咤しても、今この空間にいることが耐えられない。
 また自分は逃げようとしているのかもしれない。

「すいませんが、アリスの記憶が戻っていたら、自分の家に戻るように言ってやってくれませんか? 俺とのことはなかったことにしていいので」
 伸哉はそう言って立ち上がった。

「え? それじゃ……五十嵐さん」

「わざわざ俺に世話になったってことは言わなくてもいいですよ。もし記憶が戻っていたら、貴方が引き留めていたとでも言えば済む問題ですから。お願いします」

 そう言い終えると伸哉は逃げるようにその場を後にした。俊英が後ろで何か叫んでいたが、そんなことはまったく聞いてなかった。
 今はもう逃げることでしか、アリスを日常に戻してやることが出来ない。

 「あなた誰?」なんて言われたら、閉じこめてでも自分のモノとして縛ってしまいそうだ。それくらいにアリスを思っている。

 しかし、それはしてはいけない。なんとか自分の心を静めて伸哉はバスに乗り込んだ。