novel短編

Hello.Hello-10

「あんた、そんなにへこむなら、なんで無理矢理連れて戻ってこなかったのよ」

 そう更織(さおり)に言われて伸哉は力なくソファに座って居て、それを今日アリスのことが詳しく分ると聞いていた更織が、どうだったのかと聞きにきたところ、ソファで完全に落ち込んでいる伸哉を見つけて事情を聞いたところだった。

「無理矢理連れてきたって、アリスは俺のこと覚えてないだろう。無駄だよ。帰る場所だって見つかって、アリスを助けてくれる人だって見つかってるんだ。一時期的預かっていた俺に何が出来るって言うんだ」

「恋人になったって言えばいいじゃない」
「それだって覚えてないで無効になるだろう」

「それを強引に!!」
「それをして、記憶を取り戻したアリスががんじがらめになったら困る!!」

 強引にことを勧めればいいのにと更織が言うが、伸哉にはそれが出来ない。アリスが困って自分を邪魔だと感じだしたらと考えたら怖いのがある。

「あんた、自分が怖いんでしょ。アリスを信用してないでしょ。あの子絶対忘れてないと思う」

「記憶力がよくたって、忘れるものは忘れるさ。いいんだ、どうせ俺が何かを望んだところで何も残らないことなどよくあることだ」
 伸哉が自嘲して言うと更織はそれ以上何も言えなかった。

 伸哉が何かを望む時、確かにいろいろ無くしてきている。それに自信が無くなるのだって仕方ないだろう。

 けれど、多くを望んだわけでもないのに、それさえ神の悪戯に過ぎなかったというのが、辛いところだ。それならアリスをあの時あの場所に来させないようにしてくれれば良かったのだ。

 運命のような出会いをしたのに、やはり無理だったのか。そう苦笑しか出ない。




「あれ……?」
 ふっと浮かんだ光景にアリスはきょとんとして目を何度か瞬きをした。

「ああ気がつきましたか?」
 横で声がしてアリスはハッとしてそっちを向いた。
 そこに居たのは俊英(しゅんえい)だ。

「俊英さん……あの、俺……」
 ゆっくりと布団から起き上がると、俊英がそれを支えてくれた。

「大丈夫ですか? 発作ではないそうですが、少し驚かれてしまって気を失ってしまったのですよ。覚えてますか?」
 そう言われて、アリスは少し考えた。

 そうだ、自分は母親の写真を見て驚いたのだ。昔親切にしてくれた一度だけ会ったことがある女性がそこに映っていたからだ。

 母親は逃げつつも自分には会いに来てくれていたのだ。ただそのとき、アリスは思春期だったのか、今更母親がきても自分の人生めちゃくちゃにして何が楽しいんだって言ってやると、まさに本人に言ってしまっていたのだ。

 もし素直にしていたとしたら、アリスは母親の死に目にはあえていたかもしれない。そう思った時、もの凄い後悔が押し寄せてきたのだ。

「ええ、覚えてます。俺、少し驚いただけで、体が悪いわけじゃないです」

「そうですか。覚えてますか」

「それで、あの……」
「ああ、なんでしょう?」

「伸哉さんはどこに?」
 アリスは伸哉が側に居てくれなかったので凄く残念に思って、どこに居るのか聞いてしまっていた。こういう時こそ側にいて欲しかったのにと。

「記憶は無くなっていませんか?」
 俊英にそう聞かれて、アリスは頷いた。

 失っていた記憶は全部戻ってきた。母親の写真が引き金になったようで、それで記憶を思い出したのに、伸哉と過ごした記憶も一緒にそこにある。

 普通はそういう記憶は消えてしまうのだそうだが、妙に記憶力がいいのか、その記憶はちゃんと自分が記憶を失っていたという記憶とともにあるのだ。

「全部思い出しました。記憶を無くしている間のこともちゃんと覚えてます」

「あなたは記憶力がいいんですね。普通は記憶を失っている間に覚えたモノは忘れてしまうのだと言われてますが、それはよかった」
 俊英はほっとしたような顔をしていた。

「……伸哉さんは、俺が記憶を無くした間のことを。伸哉さんのことを忘れてしまったのだと思って居なくなったんですね……」

 俊英の説明で、それは伸哉から聞いたことなのだろうと思ったアリスはそう言っていた。伸哉は記憶を取り戻したアリスが自分を忘れてしまい、それと直面するのを怖がって逃げたのだと気づいた。

 あの人は強そうに見えて、無くすことに関しては、本当に臆病だった。
 自分は忘れてなどいない。伸哉のことばかり覚えている。

「すいません、俺行っていいですか?」
 そう言いながらアリスはすでに布団から出ていた。

「ええ、行って上げてください。とても不安そうでしたから。貴方はとても大切にされていますね。記憶を取り戻して記憶をなくしている間のことを覚えてなかったら、自分はまったく関係のない間柄だから教えなくていいと言っていましたよ」
 そう俊英に微笑んで言われて、アリスは少し顔が赤くなった。

 あの人は怖くて逃げたわけではない。ただアリスが大事すぎて身を引いただけなのだ。それが分ってくると少し怒りも沸いてくる。どうして無理にでも自分に五十嵐伸哉という存在を刻むことをしてくれなかったのだろうか。

 記憶を取り戻して、伸哉との記憶を失っていたとしても自分はそれをされても不思議には思わなかったはずだ。
 だから、そこで身を引くのではなく強引になってほしい。欲しいものを欲しいのだとだだをこねて欲しい。
 もっともっとと欲しがられたい。

 俊英にお世話になった礼を言い、また報告に来る言うと、すぐに走り出した。

 記憶を思い出してみると、アリス自身もまた何かを欲しがって必死になったことはなかった。母親に捨てられて、養護施設で暮らしていた時から、無い物ねだりをするものじゃないと思っていたからだ。

 今、一番欲しいのは記憶じゃなく、母親のことでもなく、五十嵐伸哉という存在なのだとはっきりとしている。
 思い出したってなんにもなかった。自分が欲しいものは、さっきまで居てくれた伸哉なのだ。

 その欲しいものを欲しいと言う為に自分は走っている。初めて自分の手で何かを掴もうとしている。
 今は五十嵐伸哉がいないと不安で不安でどうにかなりそうなのだ。それを分って貰うために自分は走っている。
 バスは最終が出たばかりで、駅までちょっと距離があるが、最終電車に間に合う為にアリスは走った。駅に着くと、もうボロボロというほど息が上がっていて、周りから変な顔をして見られていたがすぐに次の電車に乗って移動した。息を整えて、また走る準備をする。

 伸哉のマンションは駅から2分くらいの便利な場所にある。走ればすぐに着く。
 エレベーターには誰かが乗って降りてくるようで、少し息を整える為に待つ。

 そのエレベーターから降りてきたのが、更織(さおり)だったのでアリスは疲れた顔をしながらも微笑んで返した。

「伸哉さん、部屋にいますね」
 確認するように尋ねると、更織は凄く驚いた顔をしていたが、すぐに笑顔になって言った。

「がつんとやっちゃってよ!」
 励ますように凄い笑顔で言われ、それにアリスは笑顔で返した。

「ありがとうございます!」
 すぐにエレベーターに乗って最上階を目指す。その箱の中でアリスは今更ながらどきどきとしてきていた。

 最上階に着くと、唯一ある玄関に突進するように行き、すぐにチャイムを押した。もう迷っている暇はない。きっと伸哉は自分が伸哉を忘れてしまったと思って落ち込んでいるに違いない。 

 その不安のそこから彼を早く出して上げたい。
 そういう気持ちが大きかった。
 チャイムが鳴ってすぐに伸哉がドアを開けた。

「どうした、忘れ物か?」
 そう言ったのはさっき帰った更織に言ったつもりなのだろう。目の前にいるのがアリスだと分ったとたん、伸哉の顔が驚きでいっぱいになっていた。
 アリスは息を吸い込むと、笑顔で言っていた。

「ただいま」
 その言葉に伸哉は一瞬息を飲むようにしていたが、ニコリとして言い返してくれた。

「おかえり、アリス」
 その時の笑顔は綺麗なそして今にも泣きそうな笑顔だった。