novel短編

Together-9

「緒都(おと)。どこいくんだよ」
 緒都が荷物を車に積んでいると、塾から帰ってきたらしい茅人(かやと)と鉢合わせた。

 一ヶ月ぶりに見た茅人の顔は、すごく凶悪に緒都には見えた。

「あ……」
 怖くて声が出ない。
 助けを呼ばなければならないのに声が出ない。

「なんだよ、夜逃げみたいに。もしかして本当に夜逃げか?」
 茅人がにやにやしながらそう言う。
 段々近づいてくるのに逃げられない、足がすくむ。

 そうした時浮かんだのは、永哩(えいり)の言葉だ。呼んでくれたらいつでも。彼はそう言ってくれた。会えなかったらそう言ってくれと言った。

「……りさん、永哩さん!」
 誰より先にそう呼んだ。
 するとすぐさま永哩たちがかけだしてくる。茅人は最初は永哩の姿を見て、にやっとしたが、その後の緒都の父親を見るとぎくっとする。  

 この緒都の荷物を運んで出て行くのは父親も承認していることだったからだ。
 茅人は緒都が勝手に永哩と出て行くのかと思っていたらしい。
 永哩が緒都を抱きしめ、その前に八百(やお)が立ち、茅人の前に父親が立った。

「茅人くん」
 低い声でそう父親が言った。 

「君が緒都にしていたことは、証拠として残っている。これ以上緒都に近づくようなことがあり、また暴言を吐いたり、緒都を侮辱するようなことをすれば、私も容赦はしない」
 そう父親が言うと、茅人は真っ青な顔をする。

 緒都は父親にそういうことをバラすはずはないと高をくくっていた証拠だ。
 実際には緒都がバラしたわけではないし、証拠を集めたのも違う人だ。けれど、テープという編集しにくいものは証拠としては高く、茅人の卑猥な暴言を毎日聞かされていた緒都が訴えても十分有り余るくらいのことだ。

「学校で何があったのかも聞いた。君が君の友達から聞いていることは嘘だ。未遂で終わっている。そう証言する人もいただろう?」

 わざと父親は緒都を襲った不良と茅人を同じものとして扱った、これはただの嫌み程度であるが、その言葉は十分、茅人には効いたらしい。それに未遂だったと証言する者がいたこともあったようで、茅人の顔色がどんどん悪くなる。

 これ以上追い詰めても危ないと感じた父親は、簡潔に言う。

「もう緒都は学校にもいかないし、ここにも住まない。君の前にも姿を見せないから、もう来なくていい」
 父親がそう言うと、茅人はぱっと身を翻して逃げていった。
 あれだけ言えば十分であろう。

「……お父さん」
 ゆっくり緒都が手を伸ばして、父親の腕を掴む。

「緒都はあんな嫌な思いをしたんだ。あれくらい言わないと彼は分からないだろうと思う。学校の方はもういいよ。あんな変な噂流されてまで通う必要はない。大検が取れるならとって大学まで入れ。家を出る条件はそれでいい」   
 父親は少しだけ笑ってそう言った。

 あんなに必死になっていた息子が大検を取って大学へ行くというなら、それに見合ったところから始めればいい、そう思ったのだ。

「ありがとう」 
 そういって緒都は父親を抱きしめた。
 息子にこうして甘えられたのはいつだったか。そんな遠い記憶だったとは父親も思いもしなかった。それでも息子が自分を信用してくれていることが何より嬉しい。
 こんな自分でも役に立ったのだから。

「会いに行くからちゃんとしなさい」
「うん、待ってる」
 ここにはもう帰らないつもりの言葉だ。

「この家ももう必要ないだろうか、お父さんも都内に移るよ。そうしたら近くなって会いやすくなる」
「引っ越すの?」

「ああ。緒都がいるからこの家もよかったが一人では広すぎるし、遠いのを無理して通うこともないだろう?」  
「そうだね」
 二人はそう言って笑った。
 もっと早くにこうして話し合っていれば、この家を別の家にして二人で始められたかもしれない。けれど、緒都が何より優先するのが、もう永哩になってしまった今はもう無理だった。

「再婚しちゃいなよ」
「そうだな、緒都がいいというならそのうちな」
 そう言って緒都は父親と別れ、家を出た。

 必要なものは後日父親が運んでくれるというので、永哩と相談して受け取ることにした。長く暮らしたところだったけれど、思い出は最後にいいものになったかもしれない。
 茅人とのことがなかったら、ずっと住んでいた場所かもしれなかったのだ。
「緒都(おと)」
 そう永哩(えいり)が呼び、緒都が 

「はい」
と答える。
 この町のいい思い出は、何より永哩と出会えたことであろう。
 
「あの空き屋な、実は昔俺が住んでいたところだったよ。で、今でも俺の持ち物なんだ」
 車に乗って家を通り過ぎるとふと永哩がそう言った。

「え? じゃあ、あそこの鍵、もしかして持ってた?」
「ああ。持ってた」

「じゃあ、模様替えも本気だった?」
「せっかくお客が来るのにあれじゃあなあ」
 そう永哩が答えるものだから、緒都はがっくりと力が抜けた。

「なんだ本当にそう言っていたんだ」 
 呆れるやらなんやらで、でもこの人はこうやって人をからかうのも楽しむ人なのだと思うと、もう納得してやるだけで怒る気にもならない。

「永哩さん、いろいろありがとうね。俺、前を向いて進めそう」
 そう緒都が言うと、永哩はにっこりとして言う。

「いつでも緒都は前向きだったよ。いろいろしてくれたのは緒都もそうだ。俺からもありがとう。俺も前に進めそうだ」
 永哩も決めていた。

 このままではいけない。けれど前に進む原動力がなかった。だが、今は緒都というものがいる。彼のために見本となるような大人になろう。隣にたつのに相応しい人間になろう。そう心に決めていた。