novel短編

ジキルでハイドな男-4

 真継(まつぎ)は、凪(なぎ)から解放されて、真奈の世話をする元の生活に戻った。

 しかし、家の事をしながらも、昔の記憶と今の記憶が入り交じり、凪への感情が渦巻いている。

 幼い真継は、凪を好きだといい、今の真継は、もう関係ないんだと言う。

 それが繰り返される度に、真継は頭が変になりそうだった。




 それを気にした大岐(おおき)が、真継を外へ連れ出した。

「令夏(はるか)。お前暗いぞ」
 大岐がそう言うと、真継はハッとして顔を上げた。

「え? 何?」
 まったく大岐の言葉を聞いてなかったので、真継は慌てる。


 大岐はそんな真継を見て、溜息を吐く。

「今更蒸し返すのもなんだけど、お前、九頭神の所から戻ってからおかしいぞ?」

 大岐がそれを率直に指摘すると、真継は視線を反らした。

 おかしいのは当たり前だ。
 今は凪の事を考えたくなくても、自然に考えてしまうからだ。

「そんなにあいつが気になるのか?」
 大岐が少し声を荒げて言った。

 真継はびっくりして大岐を見上げる。
 大岐は明らかに怒っている。

「ご、ごめん。いろいろあって、それで……」
 真継は何と言っていいのか解らず、オドオドとして大岐を見る。

「……悪い」
 大岐は自分が苛つくから真継を怒鳴ってもどうにもならないと反省した。

「大岐は悪くない」
 真継はそう言って、溜息を吐いた。
 このまま、黙っていても大岐を更に不機嫌にさせてしまうと思い、真継は訳を口にした。

「前に、話したけど。俺、小さい頃の記憶ってないじゃん」
 真継がそう言い出したので、大岐はキョトンとする。

 今の話の流れでそれが出てくるのはおかしな展開である。
 それでも、真継がここでそれを言わないとと判断しての話なので大岐は大人しく頷いた。

「それを、思い出したんだ」

「思い出したって……どうやって」


「うん。真奈さんとちゃんと話して。それで、凪さんって、昔の知り合いだったんだ」
 真継がそう言うと、大岐は驚いた。

「知り合いだって? それなのに?」
 それなのに?というのは、昔それも小学生の時の知り合いが、いきなりあんな展開になるとは想像も出来ないという意味である。

「うん。それで、凪さんは、俺がいなくなった後、10年も探していたんだって。それで、約束があって、それが……ああいう事で……」
 段々と声が小さくなる真継。

 大岐は呆気に取られた顔をしている。
 当然と言えば当然だろう。

「10年も探してた!?」

「うん」

「約束があれで!?」

「うん」

「実行しちまったって事か!?」

「うん。それで……俺の記憶ない時って色々あったから、凪さん、それを知ったらしくて……」
 真継がその先を話そうとした時、大岐がいきなり怒鳴った。

「あいつ馬鹿か!?」
 大岐は信じられないという顔で真継を見た。

 真継はぎょっとしてしまう。
 まあ、約束だからと言って実行して、人を監禁してしまうようなのは馬鹿に決まっている。

 しかし、大岐が凪を馬鹿だと言ったのは別の意味だった。

「何があったか知らないが!! その色々あった事で、それを知ったから、アイツは手を引いたってのか!?」
 大岐はそう叫んだのである。

 大岐の言葉に、真継は固まってしまう。
 今なんて言った?

「……手を引く?」
 真継がそう聞き返すと、大岐はしまったという顔をして黙り込む。

 だが、その意味をはっきりと知りたい真継は大岐に詰め寄る。

「手を引くって何!? どういう事なんだ!? なんで大岐がそんな事言えるんだ!?」
 真継は、大岐の胸ぐらを掴んで、揺すりながら何度も同じ言葉を繰り返す。


 真継の物凄い剣幕に、大岐はとうとうそれを暴露した。








 それは、あの最後の日の出来事。
 大岐が凪の部屋に忍び込んだ時、真継の反応がなかった。

 まさか、凪にバレたのかと思った大岐は慌てて寝室のドアを空けた。

 昨日見たベッドの上で、真継は身動きをしない。
 大岐はゆっくりと真継に近付いた。

 顔を覗き込んで、口元に手を当てるとちゃんと息をしている。
 ただ寝ているだけだと解って大岐はほっとした。

 そして真継を起こして早く逃げないとと思いながら、少し窶れている真継を見下ろして、大岐は、昨日と同じく妙な気分になってきてしまった。

 元々、真継の顔とかが好きだっただけに、露骨にこういう姿を見せつけられると自制心がボロボロになってしまう。

 頬を撫でて、真継が起きていないのを確認して、その頬にキスをした。
 そして唇に触れて、そこにもキスをしようとした時。


「結局お前も同類か」

 そう声がした。

 大岐が驚いて振り返ると、そこに凪が立っていた。
 凪はさほど表情も変えずに大岐を見ていた。


「触れたい気持ちも解らなくはないが、それ以上はやめといた方が今後の為だ」
 凪はそう言って部屋に入ってきた。


 大岐は、凪に見られた事で、すっかり怖じ気付いていた。

 まさか自分が凪と同じように真継に触れたいと思っているとは、自覚してなかったからだ。

 そして、忍び込んだ事を知られてしまったからには、もう真継を穏便に助け出す事は出来なくなった。

 ここは大声を出してでも助けを求めるべきか、凪にここを叩き出された後、警察に駆け込むべきか。
 大岐がそう思案していると、大岐の側まで来た凪が、一言こう言った。

「なぁ、少しでいいんだ。協力してくれねぇか?」
 凪の意外な言葉に、大岐は目を丸くする。

 凪は苦笑して、大岐を寝室から連れ出した。
 
 ソファに座って、凪は大岐にこう告げた。

「真継に憎まれたいんだ」

 その凪の言葉に、大岐はまた驚いてしまう。
 好かれたいとは思うならまだしも、憎まれたいとはなんだ?
 大岐がそういう顔をしていたので、凪は苦笑して話を進める。

「徹底的に、俺を二度と思い出したくないと思うくらいにしたい」

 そういう凪の顔は、酷く辛そうな顔をしていた。

「それでいいのか?」
 大岐は思わずそう問い返してしまった。

 真継が凪を憎もうがそれはどうでもいいことであるが、憎まれたいという凪の考えが理解出来ない。
 監禁までしておいて、今更。

「まあ、もともと期限付きだったからな。今の真継に俺を受け入れる余裕なんてないし、俺もこれで真継を忘れるつもりだったから」

 凪がどう思って行動に出たのかは解らないが、忘れるつもりだという凪の言葉は嘘だと大岐にも解る。
 それでも、凪はそうしなければならないと思い、大岐に協力を持ちかけている。

「忘れられるのか?」

「……時間はかかると思うな。なんせ、思ってた時間が長かったんでね」
 凪はそう言って、大岐に協力の内容を伝えた。




 それがあの殴ったりという演技。
 そして凪が言った言葉の意味。




「そんな……なんで……」
 真継はそれを知らされて、大岐を嫌悪などしなかった。
 それよりも、凪が何故そうした行動をしたのか十分に理解出来てしまったからだ。

「記憶のない間の事をあいつは知ったんだろ?」
 大岐が尋ねてくるが、真継は呆然としたまま頷いた。

「……うん」

「だったらその理由は令夏が一番よく解ってるんじゃないか?」

「……うん」
 知っている。解り切っている。
 だからと言って、凪が憎まれるように演技をしていたのが信じられない。
 飽きたという言葉は本当なのだろうか?
 嘘だったのか?
 考えれば考える程解らなくなる。


「どうしよう……」

 真継がそう呟いたので、大岐はスッ転びそうになってしまう。

「おいおい」
 今更、どうしようって何だ?という顔だ。

「だって、理由が解ったって、俺どうしていいか解らない」
 更に混乱する真継。

「少なくとも、お前はさ。昔はあいつの事好きだったんだろ? じゃあ、今はどうなんだ? 会いたいとか思わなくても、何か言いたい事があるんじゃないか?」

 大岐に指摘されて、真継は視線を落とす。

「……だって、会いたいとか思ってるのは、俺じゃない。昔の俺なんだ」

 そう、そう叫んでいるのは、昔の自分。
 このまま、忘れてしまえというのは今の自分。



「じゃ、昔の俺で会って来いよ」
 大岐は物凄く簡単に言った。

「は?」
 訳が解らず、真継は大岐を見上げる。

「それでいいじゃねえの? 昔の俺も、今の俺も、どっちも令夏じゃねえか」
 大岐はそう言って笑っている。

「どっちも?」
 そんな事を考えていなかったので、まさに意表を突かれてしまった。

「そうそう。どっちもお前。別に分ける事はないと思うぞ。どうせだから混ぜてしまえ。白黒つけてたら、目がチカチカしちまうぞ」

 大岐はこれまた簡単に言い放つ。


「……大岐」
 あまりに簡単にアドバイスされてしまい、真継は苦笑してしまう。
 大岐らしい考え方だったからだ。

「まあ、俺も懺悔もどうやら懺悔になってないみたいだしな」
 大岐はそれについて、真剣に謝ろうとはしなかった。
 わざと軽い口調で、ただの気の迷いだったと言わんばかりの態度。
 大岐が、自分でもそれはなかった事にしてしまいたいと思っているのは、真継にも伝わって来た。

「あ! お前! 絶対許さないからな!!」
 真継は顔を真っ赤にして、大岐を睨み付ける。

「じゃあ、国語の感想文で手を打ってくれ」
 大岐は言って、自分が仕上げた感想文を真継の前に差し出した。
 真継は、それを見て、大岐の顔を見上げると、さっとそれを奪い取り、渋い顔をして言った。

「……解った。チャラだ」


 そう言って、真継と大岐は二人で顔を見合わせて笑ってしまった。

 真継は久しぶりに大声を出して笑った。





 全部を混ぜる。
 大岐に言われた通りに、真継は昔の自分と今の自分を全て混ぜるように自分を解放した。

 なので、今までやらなかった事まで行動に出てしまう。
 その様子を見て、真奈は笑ってしまう。


 例えば、真奈が帰ってくると、玄関で抱擁したり、夜に寂しいからと言って真奈の寝室にやってきたりと、まるで幼児後退してしまった行動もしてしまう。

 しかし、時々、昔の嫌な記憶まで蘇り、夜中に叫んでしまったり、突然泣いたりといった事もあった。

 そういう時は真奈がしっかりと抱き締めて真継を慰める。

 こうして、真継は夏休みの中頃までかけて、全てを受け入れて行った。

 その様子を見て、ある日、真奈が真継に言った。


「あんた、九頭神に会ってきなよ」

「え?」
 真継はびっくりして真奈を見上げる。
 真奈は、コーヒーを自分で入れ直しながら、真継の分も持ってきた。
 それをテーブルに置くと、自分もソファに座る。

「あの九頭神に会わせるもやるのは冗談じゃないけど、あんたのその様子じゃ、会いたくなってんじゃないの?」

 そう指摘された真継は、凪から郵便で送り返された約束の契約書を眺めていた。

 凪は、名前も書かずに契約書だけを郵送してきた。
 処分は真継に任せるという意味だったのだろうが、真継はそれを処分する事が出来ないでいた。
 で、一日の大半、それを眺めているのだ。

「これ、今の九頭神の住所。行って、ちゃんと気持ちの整理を付けてきな」


 真奈が言って差し出したメモを見たとたん、真継はいきなり立ち上がった。

「俺、行ってくる」
 真継はそう言ってメモを掴んで飛び出して行った。

 よく解らないままに家を飛び出して、電車に乗り、凪が住んでいる街を目指した。

 とにかく凪と話をしなければ行けないという気がした。
 真継が記憶を取り戻したという事を、それを伝えて。

 そう考えて真継は止まった。

 伝えてどうする?
 それからどうするつもりなんだ?


 その先、何を言うつもりなのかを考えてなかった真継は、改札を出た所で立ち止まってしまった。

 本当に急に止まってしまったので、後ろをついてきてた人が真継にぶつかってしまう。

「わっ!」

 その衝撃で、真継は我に返った。
 慌てて後ろを振り返ると、ぶつかった人の方が転がっていた。

「すみません!」
 真継は謝ってその人に手を差し出した。

 その人は、転がった事に驚いていたが、真継が差し出した手を見て、ニコリと微笑んだ。

「ありがとう」
 それが物凄く優しい笑顔だったので、真継は驚いてしまう。
 その人は真継の手を借りて起き上がると、服についた汚れを叩いて、真継を真直ぐに見て言った。

「ごめんね。俺もボーっとしてたから、貴方がいるのに気が付かなかったんだ」
 
 見た目が真継より更に細いのに、身長は真継より高い。
 真継は少し見上げる感じでその人に見とれていた。

「いえ、俺が急に立ち止まったりしたから」

 真継は自分が悪いのに、なんでこの人の方が謝るんだろうと不思議に思っていると、その人がふっと視線を真継の後ろに向けた。

 そして微笑んでこう言ったのだ。

「あ、凪さん、居たー」

 真継はその言葉に硬直してしまう。

「おう、透耶(とおや)。あれ、鬼柳(きりゅう)さんは?」
 後ろから返ってきた声に、真継は身体を震わせてしまう。

 間違いなく、九頭神(くずがみ)凪の声だ。

「荷物がかさ張るからってコインロッカーに置きに行ってるよ」 
 透耶という人がそう答えた所で、真継は凪がいる方を振り返った。

 凪は、透耶と一緒にいるのが真継である事に気が付いて、その場で足を止めてしまった。
 顔が驚きのまま固まっている。

 真継も驚きの表情のままで凪を見つめ返した。
 だが、言葉が先に出たのは、凪の方だった。

「透耶、こっちに来いよ」
 凪は、真継から視線を反らし、まるで真継など知らないという表情に変わっていた。

 真継は自分を無視されたと解り、愕然とする。

 そうだった。
 凪は大岐があの協力の話を喋った事を知らないのだ。

 つまり、飽きて捨てたという態度しか取る事が出来ない。

「あの……」
 真継が凪に向かって言おうとしたら。

「鬼柳さんの携帯に場所知らせるから、あっちの喫茶に入っとこうぜ」
 凪はそう言って、真継の言葉を封じる。

 凪はこうやって真継の存在自体を否定している。
 真継には、もう凪は自分の事など忘れてしまったのだろうと思えた。
 そう思った自分が、まだ少しでも凪が思ってくれているのだと、思い込んでいた事が急に恥ずかしくなる。
 俺は何を期待していたんだ?と。

「もしかして、凪さんの知り合いですか?」
 透耶が凪にそう尋ねた。

「いや、知らねえな、そんな奴」
 凪は素っ気無く答えを出した。

 やっぱり、凪はもう忘れている。
 飽きたという言葉は本当で、大岐に言った協力の話は嘘だった。
 もしかしたら、大岐にあの事を黙らせる為の嘘だったのではないだろうか?

 真継はそう考えてしまい、ここに今更自分が現れるのはお門違いと判断した。

「大丈夫? 顔色悪いよ? どっかで休む?」
 凪に無視された事で、蒼白している真継を、透耶が顔を覗き込んで言った。

 その透耶の顔を見ると、真継はこの場にいる事が堪えられなくなった。

「……大丈夫です。本当にすみませんでした」
 真継は、透耶に頭を下げて、踵を返すと走り出した。

「あ! 待って!」
 透耶がそう叫んでいたが、真継は走って逃げ出した。


 必死で走っていると、後ろから透耶が追い掛けてくる。
 しかし凪は追って来ない。

 やはりどうでもいい相手など、追う価値もないのだろう。
 そう思って真継は階段を降りようとした。

 だが、急に走ったせいで、足に痛みが走り、階段を上手く降りれなかった。
 途中で足を踏み外してしまい、階段を転がり落ちそうになった。

 その落ちる衝撃に堪える為に真継は目を瞑った。

 何かにぶつかる衝撃があったが、それ以上の衝撃は訪れなかった。

「……っ! てめえ、上から降って来るな」
 真継がその言葉に驚いて目を開けると、大きな男の人が、真継を片腕で支え、もう一つの手で手摺を掴んでいる。

 この人が落ちて来る真継を瞬時に抱きとめたらしい。

「……あの」
 真継がお礼を言おうと男の人から身体を離そうとした時。

「恭! そのまま、その子捕まえてて!」
 と、追ってきた透耶が階段の上で叫んだ。

「は?」
 恭と呼ばれた男は、何がどうなっているのか解らない顔をして透耶を見上げている。
 真継は条件反射で逃げなければと思い、男から離れようとしたのだが、男は腕に力を入れて、真継を離そうとしない。

「ちょっと! 離して下さい!」
 真継がそう言って暴れたのだが、男は離そうとしないどころか、どんどん真継を締め上げるように腕に力を込めてくる。

「痛っ!」

「てめえ、透耶に何しやがった」
 いきなり低い声が降ってきて、真継はビクリとし暴れるのを止めた。

「事と次第によっちゃあ、このまま絞め殺し……った!」
 男がそこまで言った所で、痛快な音が聴こえた。

「……勝手に殺さない」
 階段を降りてきた透耶が、男の頭を叩いたのだ。

「透耶、こいつ何したんだ? スリか?痴漢か?ひったくりか? なんかの宗教か?押し売り?」

「全部ハズレ。ちなみに何もしてないよ」

「はあ?」
 そりゃ男に話が見えるはずもない。




 真継はそのまま鬼柳と名乗る男に引き摺られて、透耶が指定した地下鉄構内にある喫茶店に入った。
 さすがにこれは逃げられないと判断した真継は大人しく従っていた。

 普通に喫茶でコーヒーを頼むのに、妙に目立つ2人がいるものだから、人からジロジロと見られている。真継は人に見られる事に慣れてないので、その視線を痛い程感じるのだが、当の二人はそしらぬ 顔でさっさとコーヒーを注文している。


「で、こいつ何者?」
 鬼柳が不振そうに真継を見る。
 その視線が凄く怖いので真継は凝視出来ない。

「たぶん間違ってないと思うんだけど。君、令夏真継(はるか まつぎ)君だよね?」
 透耶がそう切り出した。
 名前を知られている事に驚いて、真継は透耶を見た。

「はい……そうです。でも何故俺の名前を?」
 今さっきあったばかりのまったく知らない者同士のはずと真継が思っていると透耶は笑って言った。

「凪さんに聞いてたから」

「はあ? なんで凪関係に透耶が関わるんだ」
 鬼柳がそれに透耶が関わる事を嫌悪しているようだった。
 それでも透耶は少し笑って話を進める。

「だって、真継君、勘違いしてるから、ほっとけなくて」
 透耶はそう言った。

「…勘違いって何ですか?」
 真継は自分が何を勘違いしているのか本当に解らなかった。
 透耶が何を言いたいのかもさっぱりだ。

「うんとね。凪さんは、今でも真継君の事好きなんだよ」
 透耶はこれは自分が言う事ではないと思っていたが、この状況では、凪がそういう事を口にする事は二度とないだろうと思っていた。

「……そんな事、どうして解るんですか? さっきだって無視してたじゃないですか」
 真継は透耶を睨んで言った。
 こういう言い方はしたくなかったが、凪の事をよく知っているという態度の透耶がうらやましくもあり、同時に腹ただしかった。

 透耶はそんな真継を見て、何かホッとしたような顔をしている。

「凪さんがそう言ったから。あの……そのねえ……ああいう事があったから、後悔も反省もしているし、落ち込んじゃって凄いんだよ。でも、その辺の事情は俺には解らない。凪さんは、それを絶対に口にしないんだ」

 透耶がそういうと、鬼柳が聞き返す。


「なんで、透耶が凪の相談に乗ってるんだ?」

「うーん、この間だけど、電話かけてきてくれて、凄く落ち込んでるみたいだったから、何があったのかを聞いてみたら、取り返しのつかない事をした、もう駄 目だ、とか言うんだもん。これで、へぇそうなんだって電話切れる?」

 透耶がそう言ったので、鬼柳は納得したと言い聞き返す。

「取り返しのって?」

 その言葉に透耶は複雑な顔をしている。

「……その辺、俺と恭の最初と同じ状況だったから」
 小さな声でそう言うと、鬼柳が目を見開いた。

「はあ!? あいつ、これを監禁しやがったのか!?」
 店中に響くくらいの大きな声で、鬼柳が言った。
 真継はギョッとして鬼柳を見上げる。

「恭! 声が大きい!」
 透耶が同じくらいの大きな声で怒鳴る。

 そのまま、目の前で妙な漫才が始まってしまったが、真継は呆然として二人を見ていた。

 同じ状況って……この人、監禁された事があるって事?
 それも、この男に?????

「やっぱり、納得出来ない?」
 透耶は少し苦笑した感じに真継に言った。

 真継の顔には、どうしてそうなったんですか?と書いてある。

「……あの、どうして……」
 監禁した相手、しかも自分と同じなら、この人だって犯されたという事になる。
 なのに、このラブラブになる? 何で?
 そういう質問だった。

「うん。何だかんだで、俺は、恭の事、好きなんだ。許される行為ではないけれど、それを許してあげられるのも俺しかいない。ねえ、閉じ込められている間にね、凪さん見ててどうだった?」

 透耶は自分の問題は簡潔に答えてから、真継に質問した。

「どうって……」
 話が元に戻った事で、真継は考え込んでしまう。
 この人は何が言いたいんだろうという顔をしていたのだろう、透耶は笑って質問を続ける。

「優しくなかった? そりゃ無理矢理が嫌なのは解るよ。でも、優しくしてくれなかった? 好きで好きで溜まらないって大事にしてくれなかった? それをちゃんと考えた事ある?」

 透耶の率直な質問に、真継は言葉を失った。


「……それは」
 答えようとしたが、答えられなかった。

 ないと言えなかったからだ。
 凪が好きで溜まらないと表現しているのは、真継にだって解っていたからだ。
 優しくも、大事にもしてくれていた。

「うん。あるよね。嫌だって逃げるのは簡単だよ。その嫌だって理由が、ただ行為が嫌だって事で、ちゃんとした言葉で拒否した事ないでしょ?」

「……ないです。でもなんて言えばいいんですか? 何を言っても聞いてくれないのに」

 嫌だと怒鳴っても、何を言っても凪は聞かなかった事にしてしまっていた。
 そんな人に何を言えば、言う事を聞いてくれるというのか?

 その言葉に透耶は簡単に答える。

「警察に訴える事だって出来るよ。憎ければ、泣き寝入りなんてしないでしょ。必死で逃げる事を考えたなら、何だって出来るでしょ? それはしなかった。どうして?」

 透耶の言葉に真継は声を落として言った。


「……それは、俺がこうなっているのを母さんに知られたくなかったから」

 真継がこう答えると、鬼柳がジロリと真継を睨み付けた。

「そりゃ言い訳だな。てめぇは、自分が汚れてるのを知られたくないだけで、結局、母親を信じてなかったわけだ」

 鬼柳の言葉に、真継は表情を硬くする。
 まさに図星だったからだ。
 汚れている自分を誰にも知られたくなかったから、真奈を信じなかった。

「……恭」
 透耶が鬼柳を嗜めようとするが、鬼柳は言葉を続ける。

「こういう奴には遠回しな言い方するだけ誤解するんだよ。お前の母親は、お前がこうなったと話した時に、嫌悪してなかった事にしてしまうような薄情な奴なのか?」

 鬼柳の問いに、真継は鬼柳を睨み付けて即答した。

「違う!」
 真継は自分で答えておきながら、自分で驚いてしまう。
 そうだった。真奈はそんな母親じゃない。
 だったら、どうして信じなかったんだ。真継はそう思って俯いてしまう。


「だったらバレたところで何の問題もないわけだ。お前は母親にそれを知られるのが嫌だったんじゃなく、世間にそういう目で見られるのが嫌だったんだよ。結局自分保身で状況を甘んじて受けただけだ。自業自得だ」

 鬼柳の言葉で、真継は悟ってしまう。
 その通り、自分は自分の保身、世間体を気にして、あの状況を甘んじて受けてしまったのだ。
 逃げようと本気で思っていたなら、簡単に助けを呼ぶことだって出来たのだから。

「……恭、言い過ぎ」
 透耶がやめるように言ったが、鬼柳は更に続ける。


「なあ、お前、凪に抱かれてる時、気持ちよくなかったか?」
 いきなりの鬼柳の質問替えと、この台詞に真継は顔を真っ赤にした。

「な! 何を!」
 真継がそう怒鳴る。
 鬼柳の隣では透耶が頭を抱えている。
 それでも鬼柳は無表情で話を進めていく。

「簡単な話だ。自分が気持ちよければそれでいいなら、別にお前がどうなろうがどうでもいいわけ。だが、お前も気持ちよくなってるなら、凪はそうなるように努力してたって事にならないか?」

「……」
 この言葉は、鬼柳側から見た意見だろう。
 透耶側の真継からは解るはずのない意見。
 そんな事を考えた事がなかったので、真継は呆然としてしまう。


「俺だって、透耶を抱く時は、透耶が気持ちいいようにと思ってやってる。好きな相手に辛い事させるのは嫌だからな。どっちもそうならなきゃセックスなんて意味がないものになる。どう考えたって、受ける方が辛いんだ。それを労る事をしてないなら、ただやりたいだけだったって事になるだろ。やりたいだけなら、やった後の処理や、フォローなんてしない。ましてや、その後優しくしたりなんかしない。どうだ? 凪はどうだった?」

「それは……」

 確かに凪は、きちんとやっていた。
 真継が気絶するまでやっておきながら、真継が気がついた時には、ちゃんと風呂に入れてあり、シーツも替え、周りを綺麗にしている。
 一人暮らしをした事もない、何も出来ないと言っていた男が、がである。
 何より、それ以外の時の凪は、凄く優しかった。
 壊れ物を扱うように、優しく撫で、愛おしそうにしていた。それを真継が大事にしていなかったとは誰にも言えない。

「……もう、ストレートなんだから」
 透耶は鬼柳のストレートな言い方に苦笑している。
 
「まあ、そういう行為に慣れてくる自分って怖いよね。でもね、優しくされているから、そうなるんだよ。自分を嫌悪したりするのは駄 目」

 透耶が大丈夫だと笑って言うが、真継には嫌悪する別の理由があった。

「でも、俺は汚いから、凪さんも触りたくなくなったんだ」
 真継はそう呟いていた。
 過去を知ったとたん、凪は真継に触れなかったからだ。

 当然、透耶にも鬼柳にもその意味が解らない。

 真継は泣きながら、父親との事を話し出した。
 透耶はそれを真剣に聞き、鬼柳も黙って聞いていた。

「それって、凪さんが父親と同じ事をしてしまったと思って、後悔したからじゃないの?」
 透耶はそう言った。

「ああ、それだな。あいつがお前を無視したのは、これ以上辛い事をしたら、お前がそれを思い出すんじゃないかと思ったんだ」

「そうそう。せっかくってのは変だけど、記憶を無くす位の辛い体験なら、思い出せない方がいいと思ったんだ。自分が側にいたり、昔を思いださせるような事をしたら、真継君が辛い思いをするって分かったから、関わり合う事でも同様。それだから無視したんだ」

「取り返しのつかない事をしたって言ってたんだろ? だったら、あいつは自分がいなくなれば、お前が辛くならないと判断したんだ」


 二人はそう結論を出して、顔を見合わせると苦笑する。

「不器用だね、どっちも」

 透耶がそう言った。

「アホらしい」
 鬼柳は呆れてモノが言えないという顔だ。

「え?」
 どうしてそんな結論が出るのか真継には解らなかったので、キョトンとしてしまう。


「だって、真継君は記憶を取り戻した後でも、凪さんに会いたかったからここまで来たんでしょ? 無視されたから辛くて逃げたんでしょ? それって凪さんの事を好きだからじゃないの? そうじゃなきゃ、会いに来たりなんかしないよ。凪さんは、真継君がここにいるのに驚いてしまって、咄嗟に無視したんだし。それをただ無視したってのはおかしいじゃない? 凪さんみたいなタイプなら、「おうあの時は世話になったな」とか言いそうだしさ。もう硬直しちゃって、台詞も棒読みだったもんねぇ。そんなの見たら、絶対二人とも何か勘違いしてるか、思い込んでいると思うのは普通 じゃないの?」

 透耶は優しい顔で笑っている。
 なんだ簡単な事じゃないかと。

 透耶にそう言われると、真継もそうなのかもしれないと思い始めてくる。
 好きだから会いたくなった。
 理由はそれだけなのだ。

「お前、うじうじしてないで、さっさと凪に話して来い。玉砕すんのが怖いとか抜かすな。てめーの問題はてめーで解決しなきゃ、先になんて進めやしねぇんだよ。凪は腑抜けだし、てめーが何か行動するしかねぇんじゃないか。そんな事は他人を頼るな」

 鬼柳はこれ以上関わるのは御免だという突き放した言い方をする。

 そう言った鬼柳とは裏腹に、透耶は何か引っ掛かる所があったのだが、それが何なのかを思い出した。


「あ、そうだ。契約書の話してたでしょ? あれってさ、凪さんだけが持ってるのって変じゃない?」

 透耶のそうした質問に真継は目を丸くする。

「え?」

 一体どう言う意味なんだろうと思っていると、透耶は自分の考えを言った。

「ああいうのってさ、両方が同じ内容を書いて、両方が持ってるモノでしょ?」

 透耶の疑問は、真継にもすぐに意味が解るものだった。

 契約書とは、双方がその証を持っていることで成り立つ。
 凪だけがあれを持っているとは思えない。
 真継も同じようなモノを持っているはず。
 もしかしたら内容が違うかもしれない。

 それをどうするのか、という事は言わなくても解る。
 
 真継はそれを利用してでも凪に会わなければならない。
 だが、それはもうこの世にないかもしれない。

「……でも、昔のモノは捨ててしまったと思う」

 真継がそう呟いた。
 ああいう紙類は、とっくに捨てられているに違いない。
 真継がそう思って言ったのだが、透耶はそれを否定する。


「それはないと思うけど。真継君が昔を思い出すようにアルバムまで取ってあるんだもん。結構、昔のモノって取ってあるものだよ。特におばあちゃん辺りは捨てられないから、探してみると出てくるかもしれないよ」

 にっこりと笑って言われて、真継はそうかもしれないと思った。
 祖母の事だ。
 大事に取ってある可能性の方が高い。


「後は、お前の行動次第。はい、透耶、相談終わり。帰るぞ」
 鬼柳がそう言って、透耶の腕を引いて立ち上がらせている。

「え?」
 透耶の方は驚いている。


「このままいったら、家捜しまで手伝いそうだ。絶対駄目だからな」

 鬼柳がそう言い切ると、透耶は黙ってしまう。


「……やっぱり」
 透耶が家捜しまで手伝おうとしているのを感じて、鬼柳は言ったのだが、本気でしようとしているとは、真継も思いもしなかった。
 お人好しな透耶を見て、真継は、慌ててそれを断る。
 ここまでアドバイスしてもらって、その上家捜しまで、しかもあるかどうかも解らないモノを探すのを手伝わせる訳にはいかない。


「これは、俺がやらなきゃならない事なんで、自分でやります。本当にありがとうございます!」
 真継は立ち上がって、二人に頭を下げた。

 本当に感謝してもしきれない程の気持ちを表す方法は見つからなかったが、それだけで二人には通 じていた。

「頑張って」
 透耶に微笑まれて言われ、真継も笑って頷いた。

 大丈夫、まだやれる事がある。
 それが真継には大事なことであるし、必要なことだった。












「真奈さん、俺、おばあちゃんちに行ってくる!」


 真継はそう言い放って、いきなり部屋で荷造りを始めた。

「なんで、今更」
 真奈は呆気に取られている。
 凪に会いに行ったはずの真継が、いきなりこんな事を言い出すとは予想もしなかったからだ。

「俺の昔のモノって、残してあるよね」

「ああ、記憶無くす前の? たぶん、納屋に纏めてあるはずよ。奥の方にあると思う」

「解った」
 真継はそれだけ答えて家を飛び出した。

 
 さすがに一軒家を家捜しするには、一日で終わる訳がない。
 泊まり掛けで、探し出すつもりだった。
 
 祖母の家は、静岡にあり、現在でも取り壊さず残してある。
 真奈が、いずれはそこに戻るつもりだったので、管理だけお願いして、綺麗にしてある。

 調度品も殆ど捨てずに取ってあり、そこに入ると真継は懐かしくて姑く魅入ってしまった。

 だが、そんな感情に浸りにきたのではないので、さっそく納屋を開けて、中を全部取り出して探す準備をした。

 庭にシートを出して、手前から荷物の中身を確認していく。
 手前にあるのは、大体、季節事の必要品とかで、奥になると祖母の昔のモノが沢山出てくる。
 しかし、真継のモノはなかなか出て来ない。

 そうして納屋の入り口の方だけを出しただけで一日が終わる。
 小さな納屋のはずだが、もう物置きと化しているから、必要以上にモノが詰まっている。
 これは一週間くらいかけないと、一人では終わらない。

「そうだよなあ。俺がここに入ってたくらいだから、当然、一番奥に隠してるよなあ」
 そう呟いて、真継は出した荷物にシートをかけて、夜露に濡れないようにしてから家に上がった。




 翌日も朝早くから作業に徹底する為に、昼食用のおにぎりを作って、庭に出た。
 シートを広げて作業に没頭していると、庭に誰かが入ってきた。


「お、すげーな」

 そう言ったのは、大岐(おおき)だった。

「え? 大岐? 何で?」
 驚いた真継がキョトンとしていると、大岐は笑って、真継が持っている箱を取り上げる。

「これ、シートに置けばいいわけ?」

「あ、うん。じゃなくて、大岐どうしたんだ?」

 わざわざ東京から静岡に来る用事など大岐にはない。

「いや、お前んち行ったら、真奈さんがここ教えてくれた。んで、一人じゃ時間もかかるだろうって言ってたんで、俺、雇われました。バイトです」
 大岐は野球帽を取って、真継に頭を下げる。

「はあ? バイトぉ?」
 何でそんな事になるんだと真継が呆然としていると、大岐はさっさと作業分担を決める。


「しかし、これは一人じゃ一週間かかるなあ。ほら、俺が荷物出すから、真継は中身チェック」
 大岐は言って、真継をシートの上に座らせる。

「何を探してるのか、聞かないの?」
 真継が大岐を見上げて言うと、大岐は今更そう聞くかという呆れた顔をする。

「どうせあいつ関係だろ。探さなきゃならないような事でもあったんか?」

「……うん。会いには行ったんだ。でも、俺、無視された。話もしてくれない。そしたら、凪さんの友達が、相談に乗ってくれて、アドバイスしてくれたんだ」

「それが、この中から探すものなのか?」
 納屋を指差して大岐が言う。
 
「うん」
 ここにある確証はないかもしれない。
 だが、何かをしなければいけない。
 そういう決心を真継から読み取った大岐は、笑った。


「解った」
 大岐はそれ以上何も言わずに、黙々と作業を開始した。
 真継も箱の中を確認する作業に没頭する。

 二人でやってもかなりの量で、三日かかってやっと全ての荷物を出し終えた。
 中身を確認した荷物を必要なさそうなモノから、また入れ直していく。

 やっとの思いで、真継関係の荷物の箱が出てきた。
 真奈が持っていたアルバム以外の写真も沢山出てくる。

 それを開いて見ると、幼稚園の時に幼稚園から渡されたアルバムまで入っている。
 真奈が持っていたアルバムは、家族を写したものばかりで、学校などの関係の写 真は、全てここにあったのだ。

 そこには、凪と写っている写真も入っていた。

 写真なのに、真継は凪を撫でてしまう。
 大岐はそれを見て、溜息を洩らした。
 
 俯いている真継が泣いているからだった。

 
 その次の日、真継は探していた、凪からの契約書を発見した。
 その契約書は、真継が宝物と書いていた箱の中から見つかった。
 


「あった……これだ」
 真継はそれを真剣に見た。

 そこには。

 九頭神凪は、成人したら真継を迎えに行く事を約束します。
 何があっても、絶対に貰いに行きます。
 何処にいても、必ず見つけ出します。

 そう書かれてあった。

 凪がこれを本気で書いたのは明らかだ。
 そうでなければ、10年も探し続けるはずもない。

 そして見つけだした。
 凪は約束を守ったのだ。


 真継はそれを思うと、涙が出る。
 今は、ただただ凪に会いたかった。


 契約書を胸に抱いて泣いている真継を見て、大岐はある事を思い付いた。







 翌日、真継は大きな怒鳴り声が聴こえてびっくりして飛び起きた。

「な? 何?」
 こんな朝から誰が大声を出しているんだと訝しんでいると、ドカドカと足音が部屋に近付いてくる。

 それが部屋の前で止まって、襖が勢いよく開けられた。
 
 そこには凪が肩で息をしながら立っているのである。

 真継はこれは夢の続きなのだろうかと思っていると、凪は早足で真継に近付いてこう言った。

「大丈夫か?」
 凄く心配している顔をしてそう言ったのだ。

 真継は何が大丈夫なのか解らず、キョトンとしてしまう。

「あの……何が大丈夫なんです?」
 やっとその言葉を口にすると、凪は言う。


「大岐に監禁されてるんじゃ……」
 凪の言葉に真継は眉を顰める。

「はあ?」
 一体何がどうなってそういう話になるのか。
 凪がここにいるというだけで驚きなのに、大岐が自分を監禁していると言われて、更に真継は混乱する。

 真継が混乱しているのを見ると、凪は段々と声が小さくなる。

「大岐がそう言って、電話を……」
 凪がそう言った時、大岐が部屋にやってきて言った。

「俺、令夏(はるか)を監禁してるなんて言ってないぜ」
 大岐はニヤリとしている。
 まさにしてやったりの顔だ。

「大岐?」
 真継は何がどうなっているのか解らず、大岐を見上げる。
 すると真継に向かって言った。

「今静岡にいる、令夏と一緒で、真奈さん公認だ。でもな、令夏は、お前との契約書抱いて、凪さんって泣くんだって言っただけ。どれも間違ってないだろ?」

 確かに間違っていない。
 しかし、凪さんって泣く、という部分を聞いた真継は、顔を真っ赤にしている。

 凪はその様子を見比べながら、意味が解らなくなっている。

「どういう事だ?」
 凪はまったく状況が把握出来てないらしい。

 大岐に聞いたのだが、大岐はニヤっとして真継を指差した。

「それは令夏に聞けよ。じゃ、令夏、俺もバイト終わったし、帰るな」
 大岐は言って、軽く手を上げている。
 急展開に寝起きの真継はまったくついて行けない。

「え?え? 大岐?」
 慌てて立ち上がろうとしている真継を大岐は制する。

「見送り結構。そっちで上手くやりな。お前ら、ちゃんと話合えよ。じゃな」
 大岐は笑ってさっさと帰ってしまう。

 はっきり言って、ここまでお膳立てをしたのだから、これで失敗したらもう知らないという意味も込められているのは、真継にも解った。
 
 だが、すぐには言葉は出て来なかった。

 取り残された二人は、何だか気まずくて姑く黙ったままだった。

 真継はまだ寝巻きに使っている浴衣であるし、布団に座ったままで、凪は畳の上で胡座をかいて、天井を見上げたまま。
 ここだけ時間が止まってしまったかのように、二人は動く事さえ出来なかった。



「……どういう事だ?」
 やっと凪がそれを口にした。
 いくら考えた所で、大岐がした事の意味が解らないでいた。

 真継は目を伏せたままで、それに答えた。

「……大岐は、俺が探し物してるって真奈さんから聞いて、独りじゃ時間かかるからって真奈さんがバイトに雇ったんだ」
 真継は淡々と、説明をする。

 それを聞いた凪は、盛大な溜息を吐いた。
 大岐にしてやられたのだ。
 確かに大岐の説明は、どこも間違っていない。
 真継が監禁されていると思い込んだのは、凪の方だったのだ。

 つまり、監禁されていると勘違いして、凪はここまでやってきてしまったのだ。
 その自分の形振り構わぬ行動に、凪は自分でも呆れてしまっていた。

 関わりを持たないようにするなら、大岐の電話は無視するべきだったのだ。
 それなのに、ここまで追ってきてしまった。
 
 大岐には、あれで凪が勘違いするだろうという計算があったのだろう。
 それに凪ははまってしまったわけだ。

「……」
 凪は自分の諦めの悪さに、自分で呆れ果ててしまう。
 忘れるどころか、頭で考えるより先に行動してしまったのだから。


 言葉を無くして黙ってしまった凪を見ながら、真継はその先の言葉を続けた。


「探してたのは、昔の、凪さんとの契約書」
 真継がそう言ったので、凪は真継の方を向いた。

 真継は真剣な眼差しで凪を見ている。

「俺との? あれは返しただろ?」
 凪が訳が解らないという顔をしているので、真継は説明をする。


「凪さんが返してくれた契約書は、俺が書いたものだから、それなら凪さんが書いた契約書は俺の所に残っているはずだから、それを探したくて……」
 真継の説明に凪は、自分が書いた契約書の存在を思い出した。

 そう、契約書は、双方が双方に送ったものだ。
 凪は大事に持っていたが、記憶のない真継のモノは既に処分されていると凪は思っていた。

 だが、真継は今それを探し出そうとしている。
 凪にはその意味が解らない。


「今更、どうして」
 真継が今更、それを必要とする状況などないはずだと凪は思っている。

 真剣に見つめていた真継は視線を反らした。
 それから、膝に置いている手が、浴衣を掴む。
 そして、瞳が閉じられて言葉が出た。

「……俺、昔の事思い出したんです」

 そう言った真継の声が震えていた。
 シーンとした室内に、外で鳴いている蝉の声が大きく響く。
 


「まさか、俺が……」
 凪の声が震えていた。
 何より、凪が一番恐れていた事態になっている。

 真継は目蓋を開いて、再度凪を見つめる。
 凪の揺らぐ瞳をしっかりと見つめて、真継は笑う。



「ううん。真奈さんが手伝ってくれて。元々、俺が高校生になったら、それを話すつもりだったみたいで」

 凪のせいではないと、真継は言った。

「……それじゃ」
 凪はその先の言葉は言えなかったが、真継はそれを受け継いで答えた。

「うん、父さんが俺に何をしたのかも全部」
 意外に言葉がすんなりと出たので、真継自身驚いてしまう。
 凪がこの事を知っているとはいえ、言葉にするのは勇気がいるだろうと思っていたのだ。
 それが簡単に言葉として出てしまう。


 凪はそれを聞いて、視線を反らした。
「……そうか」
 そう呟いて黙ってしまう。

 真継も次に何を言えばいいのかを考えしまい黙ってしまった。

 何を言いたいのか解らなくなる。
 凪を前にすると、何故か言葉を失ってしまう。

 だから、何を言いたいのかという考えをやめてしまう。
 自然と言葉が出るなら、たぶんそれが一番聞きたい事なのだろう。


 暫く黙っていた真継がボソリと呟いた。


「ねえ、凪さん。俺って汚い?」

 真継の言葉に凪は視線を真継に戻す。

「真継?」
 


「汚いのに、凪さんとこんな約束してた。ごめんなさい」
 真継はそう言って涙を流す。

「触るのも思い出すのも嫌だったでしょ?」
 そう言った声は震えて、途切れて、掠れて、聴けたものではなかった。
 だが、凪には通じていた。

 真継は俯いてしまい、髪で隠れた瞳から、どんどん涙が溢れて、雫になり、握り締めた手にポタリと落ちている。

 真継は、何度も「ごめんなさい」と繰り返す。

 それを聞いた凪は、真継が勘違いをしているのに気がついた。
 真継は、自分が汚いから、凪が自分を嫌ったのだと思っている。
 そんな自分に嫌悪している。

 それは違う。
 凪は慌てて叫んだ。


「違う! そうじゃない! 俺は!」  
 凪がそう叫んだので、真継はゆっくりと顔を上げる。
 凪は真継と視線が合うと、視線を反らした。
 そして、自分が思っている事を言った。


「……俺は、お前の親父と同じ事をした。だから……だから、俺自身にゾッとした」

 凪は吐き捨てるようにそれを口にした。
 真継の過去を知った時、それが自分がしているのと同じだと解った時、凪は自分を嫌悪した。
 吐き気さえ催す程。
 しっかりと床に立っているのに、立っていない感じで、やがて方向感覚さえ解らなくなってしまう程の衝撃を受けた。

 同時に、心の底から後悔した。



「それで憎まれようとしたんですか?」
 凪が自分に嫌悪しているのは真継にも解る。
 だからこそ、凪は自分は真継に触れる資格などないと判断し、あんな事をしたのだ。

 真継の言葉に、凪は溜息を吐いた。
 大岐にはそれを黙っている事は出来なかった。そして、こんな計画まで立てて凪を呼び出した。
 それが解ると、凪ももう隠し事をする必要がないと思った。

「大岐が喋ったのか……」

 真継は頷いた。

「全部話してくれた。榎木津さんと鬼柳さんにも色々話して貰いました。でも、凪さんに伝える事が出来なくて……。凪さんがした事と父さんがした事は同じでも、違う事があるんです。凪さんは優しかった、凄く優しかったんです。だから違うんです」

 真継は必死にそう言っていた。
 だが、凪は納得出来ていない様子で、黙ったまま。

 そして、真継は言った。

「今度は俺が、この契約書で、凪さんに約束を果たしてもらおうと思って」

 真継は枕元に置いていた、昨日見つけた契約書を取り出した。

「真継?」
 凪は訳が解らない。
 頭の中で真継が言った言葉を反芻している。

 凪が真継と交わした約束は、凪が真継を貰いに行くという事だ。
 真継がそれを望んでいる。
 

「俺、貰ってくれるんでしょ? 俺だって、凪さんが記憶を失ってて、俺を覚えてなかったとして、俺も凪さんのようにずっと探し続ける。きっと同じ事をすると思う。今凪さんが逃げたら、俺、何処までも追っていきますから。このコピーだって山程用意します。監禁だって何だってやります」
 真継はそう言って、凪が書いた契約書を見せる。

 そう言った真継を凪は驚いた顔で凝視している。

「……俺でいいのか?」
 自分はあんな酷い事をしたのに、それでもいいのかという意味もあった。
 それをひっくるめた意味で、凪はそう聞き返していた。

 真継は真剣に答える。それも簡潔に。

「凪さんでなきゃ嫌なんです。この先、凪さん以外なんて考えられません」

 真継がそう言い切った途端、凪はゆっくりと真継に近付いて、震える手で真継を抱き寄せた。

 真継はそのまま身を任せて、凪の背中に手を回して抱き締め返した。


「真継……真継……」
 何度も何度も凪は真継の名前を繰り返している。

 凪は真継の肩に顔を埋めている。
 その身体が幽かに震えている。
 凪は、何度も真継の名前を繰り返す。


 これほど真剣に、誰かに名前を呼ばれた記憶はない。
 この人は、10年も自分を探していた。
 例え、それが覚えのない記憶の中での約束ではあっても、凪にとっては10年も信じてきた事実なのだ。

 その思いが激しくて、やり方を間違えた。
 だから、手放し、二度と近付かないと決めた。
 それなのに、真継から求めてきたのだ。

 凪は、10年思い続けてきた思いが、今叶ったのだ。


 凪が身体を離して、真継を見ると、真継は笑顔で見つめ返してくる。
 凪は優しく微笑んで言った。

「ごめんな」
 凪はそう言って、真継の手を取って、凪が2週間近く鎖で繋いでいた手首にキスをした。

 真継は笑って頷いた。

「うん」

 凪は、真継の頬を撫でる。

「真継、ありがとう」
 凪は本当に嬉しそうな顔をして、真継にキスをする。

 この先、凪が何をするのかは真継にも解っている。
 それでも素直に身体を任せる事が出来る程、凪の腕の中は安心出来る場所だった。





「……ん、やぁ……」
 背中を這い回るように、キスをする凪に真継が抗議をするが、凪は真継の体中にキスをしていく。

 既に真継の中に納まっている凪自身は、熱を失わず、ゆっくりとした動きで、真継を味わっている。

「あぁ……だめ……」
 真継が感じる場所を知っている凪が、そこばかり攻めるので、真継はまた達ってしまいそうな感覚を押さえようとしている。

 凪は真継の項にキスをしてから言う。

「何度でも達っていい」
 凪は言って、真継を追い立てるように出し入れを速くしていく。

「んぁ……あっ!」
 堪えられなくなった真継が放ってしまうと、締め付けられた凪も一緒に放ってしまう。
 それなのに、凪自身はすぐに復活し、真継の内部を圧迫しつづけている。


 凪は入れたままで、真継を仰向けにすると、唇にキスをする。
 深いキスを受けながら、真継も自分の意志で、凪の舌に自分の舌を絡める。
 しっかりと凪を抱き締めて、凪を求めると、凪はそれに答えてくれる。
 唇が離れると、凪はもう何度も囁いた言葉を繰り返した。


「真継、好きだ。愛してる」
 凪の言葉に真継は頷き、言葉にする。

「凪さん、好き」

 潤んだ瞳で、凪を見つめ、好きだと答えると、凪は満足したようにまたキスをしてくる。
 そして、高ぶっているモノを動かしはじめる。

 抜かないままで、何度も行為を繰り返す凪。
 真継はそれを受け入れて、甘い声を上げ続ける。

 感じるままに感じてしまう真継は、狂ってしまいそうな程に、行為に溺れてしまう。
 凪は、いくら抱いても足りないとばかりに真継を求めた。

 結局、真継が気を失うまで凪は行為をやめる事はなかった。
 




 疲れ切って眠っていた真継が目を覚ますと、胸が重いとすぐに感じた。

 それを掴んで持ち上げる。
 生暖かいものだったので、寝ぼけながらそれを見ると、人間の腕に見えた。

「腕?」
 もう一度確認すると、確かに腕。

「お? おお?」
 自分の腕ではない、一回りは大きいから違う。

 腕を伝って確認すると、自分の隣に人がいる。
 顔を向けると、ドアップの凪の顔。
 しかも凪は目を開けていて、真継をじっと見ている。

「お? おお?!」
 何で隣に?と真継が完全に意識を覚醒させると、凪はニコリと笑って、身体を起こした。

 それが裸だったので、真継は、寝る前まで自分達が何をしていたのかを思い出した。

「真継」
 凪は真継の名前を呼んで、真継の頬にキスをする。

「……凪さん……」

 真っ赤な顔をした真継が布団に潜ってしまうと、凪がクスクス笑っている。


「なあ、このまま、夏休みが終わるまでここに居ないか?」
 凪がいきなりそう言ったので、真継は布団から顔を出す。

「え?」
 驚いた顔の真継を見下ろして、凪は言う。

「ここだと邪魔は入らないしな」
 凄い笑顔で言われて、真継はこのままじゃ自分が壊れてしまうと思ったので、即座に反対した。

「帰ります!」
 そう言って布団を出ようとすると、凪が真継の腕を掴んで、布団に押し倒す。

「んじゃあ、このまま縛って、監禁」
 ニヤリとして言う凪が本気であるのを感じて、真継は真っ青になる。

「う、嘘です! 居たいなあ〜。ここ久しぶりだし〜」
 慌てて言い返す真継を見て、凪はニヤリとして言った。

「だよな」

 その言葉に真継は真剣に頷く。
 
 だが、内心。
 このままじゃ、本当に俺壊れるかも。
 もしかして選択間違えたのかなあ。
 
 などと思ってしまう。

 当然、思いが通じた凪が遠慮する事はなく、真継はこういう面で変な体力強化をしている事になってしまったのであった。






「盛大なラブストーリーを有難うございます」
 東京に帰った真継が、大岐に言われた一言。

 もちろん、真継も凪も反論出来ず。


「えー!やだ! あれが息子になるの! あれが令夏凪になるの?! いやー!」
 と言ったのは、真奈。
 理解があるのは、令夏家の人間だけであって、九頭神の家では、もはや凪は勘当寸前。
 もめにもめた末、真奈がぶち切れて、「それでは、凪をうちの養子にします。貰っていきますので、もうこれ以上、九頭神の家名を汚すことはないでしょう。なので、後から返してなんて言わないで下さい」と言い切ってしまったからだった。
 こうなると、何故か九頭神の家は、大慌てになってしまう。
 最初に折れたのは、母親だった。
 それもそのはず。真継を見た瞬間に、昔家に出入りしていた、あの真継である事に気がついていたからだ。
 見知らぬ男に連れ去られてしまうより、令夏家と折り合いをつけた方が、自分も息子を失う事にはならないのだと思ったのだ。

 もとより、凪の兄は、「10年だぜ? 絶対異常だって。これで勘当したら凪は二度とあんた達を親なんて呼ばないね。それどころか、勘当くらいで好きな奴と一生居られるんだから喜ぶってもんだ」と言って笑っていた。
 これには父親も青ざめた。
「籍の問題は、取り合えず置いておくとして。息子が一人増えると思えばいいんだな」
 と言い出してしまった。
 なんだかんだでも、九頭神の家族愛は変わらない。いや親バカぶりだろうか?



 結局凪は、元の部屋に再度引っ越してきて、現在でも令夏家の隣に住んでいる。

 しかも、何故か、凪が令夏家にあがりこんで、一緒に食事をするパターンになっている。

 そして真奈を一番、不快にさせるのは、息子真継と将来の息子かもしれない凪のラブラブぶりである。


「あんたたち、せめてご飯の時くらい、そのバカップルぶりはやめなさい」

 これが、真奈の最近の朝起きての第一声となっていたのだった。