novel短編

ジキルでハイドな男-今日わずらい

 明日はバレンタインデイ。

 そうした広告が、町中を彩っている。

 夕食の買い出しに出掛けていた真継(まつぎ)は、ふとある店でその看板を見入っていた。

「バレンタインか……」

 今年は土曜日で、学校は休みである。

 毎年義理チョコなどは貰っていたが、本命チョコは貰った事は無い。とはいえ、毎年、母親に手作りチョコを作っていた真継だった。
 今年は、もちろん母親にも作るが、恋人である凪(なぎ)にも作らなくてはならないと思っていた。

 その準備をすっかり忘れていて、今、この大きな広告を見て思い出したのだ。

 ……友達の分作らなくていい分、本命チョコ作らないといけないなぁ。

 そう考えて、凪がチョコが好きなのかどうか聞くのを忘れていたと思い出した。

 甘いモノは食べるけど、チョコ苦手ってのはないよね……。

 真継はそう考えた。

 クッキーやプリンなど作ったりしてみたが、凪は何でも喜んで食べてくれる。前に嫌いなモノは殆ど無いと言っていたからチョコだけ食べれないという事はないだろう。

 材料だけでも買うべきであろうと真継は、女性で溢れている売り場に向かって歩き出した。



 近所とだけあって、売り場のお姉さんは顔見知りで、毎年真継が母親の為にチョコレートを作っている事も知られている。

「今年もちゃんと作るんだね」

 そう会計で言われて真継は笑って頷いた。

 まあ、ここで本命チョコを作る事は言わなくてもいいだろうと思っていると。

「ねぇ、時々一緒に来てるカッコイイ人いるじゃない」
 とこそこそと言われてしまった。

「え? 凪さんの事かな?」

 思い当たるのは凪の事しかない。

 最近になって一緒に買い出しに出掛けたりしていたので、真継はそうしたお姉さん達から質問攻めにされた事がある。

「そそ、たぶんその人」
 そういうお姉さんの顔は真剣だ。

 なんだか、嫌な予感。

 真継はそう感じながらも取り合えず聞く。

「何ですか……?」
 真継がそう聞き返してくるのを待ってたかのように、お姉さんはいきなりレジの下から紙袋を取り出した。

「これ、その人に渡して! お願い!」
 そう言われてしまったのであった。

 やっぱり……。

 真継がそう思ったのも仕方なかった。

 何故かと言うと、もうこれで七件目なのだ。
 このお姉さんや伯母さん達は、真継に凪へのバレンタインチョコを渡して欲しいと頼んできているのである。

「……解りました……受け取るかどうかは解りませんよ」
 真継はそう断わってそれを受け取る事にした。

 こう断わるのは、凪が本当に受け取ってくれるのか解らないし、自信がないからだった。

「いいのよ! 渡してくれるだけで! お願いね!」
 お姉さんはとにかくそれを渡してくれるだけでもいいらしく、真継にそれをお願いした。

 そうやって帰ってくるまで、真継はいくつものバレンタインチョコを受け取る羽目になってしまった。

 もちろん、自分も貰ってしまったし、凪にはその倍以上のチョコがあった。
 内心、これを凪が素直に受け取ってくれるかが真継は心配だった。

 凪の事である。足蹴にする可能性もあるわけだ。
 食べ物だから粗末にして欲しく無いのだが、内心、受け取って欲しく無いという複雑な気持ちが入り交じってしまう。

 そう思いながらも、これを一生懸命用意して渡してきた人達の気持ちを考えてしまうと更に複雑になってしまう。
 思い切って、さっさと渡してしまった方が楽といえば楽である。

 真継はそんな複雑な思いを持ったまま、家路に着いた。





 凪は最近更に忙しくなってしまい、帰宅は深夜になる事が多かった。

 前にバイトしていたバーでのバイトがまだ続いていた。

 それも自立の為に必要なお金を稼ぐ為だと凪は言っている。その邪魔はしたくないと真継は遅くに帰ってくる凪を待っている事が多くなった。

 凪はそれを喜んでいて、真継も喜んでくれる凪を見ているのが楽しかった。

 その夜も真継は、凪を待っていた。

 凪はいつものように11時過ぎに帰って来た。

「おかえりなさい!」
 真継はそう出迎えると、凪が何かを自分の部屋に押し込んでいた。

「どうしたの?」
 真継が駆け寄って見ると、凪は少し慌てた様子だった。

「い、いや」
 凪はいい淀んでドアを閉めようとしたのだが、真継は見逃さなかった。

「あ、もしかしてチョコ?」
 閉めようとするドアを無理矢理開けて中を覗いた。

 すると、凪も見られたモノは仕方ないとばかりに、ドアを閉めようとする力を弱めた。

「いらないって言ったんだが、鞄に入ってた……」
 そう言い訳されて、真継はクスクス笑ってしまう。

 俺が怒ると思ったんだ……だから隠したりしてるんだね。

 真継は余計に笑いが込み上げてくる。
 凪らしくない行動だからだ。

「あ、怒ってない?」
 凪は真継が笑ってそれを見ていたので、少しホッとした顔をしていた。

「怒ろうと思ったけど。駄目みたい」

 一応嫉妬というモノはある。
 けれど、凪が一生懸命断わって貰わないつもりだった凪の行動が、嫉妬を吹っ飛ばしてしまったのだった。

「駄目って」
 凪はキョトンとして、真継を見た。

 真継は今日預かったあのチョコのあるリビングに凪を連れて行った。そしてそれを手渡した。

「何これ?」

 袋いっぱいのチョコレートらしきラッピングされた箱が沢山入っているモノを手渡されて、凪はキョトンとしている。
 まだ事情が解ってないらしい。

「凪さんに渡してって頼まれて……」

「頼まれた?」

「うん……近所のお姉さんとか色々」
 真継はその経緯をきちんと説明した。
 すると凪はそれを放り投げてこう言った。

「なんで貰ってくるんだ……断わりゃいいのに」

「だって断わる隙なんてないんだよ。恐いくらいに真剣なんだからね」

 真継はそう言い返した。

「あ、そういう真継も貰ったんだろ!?」
 すぐに勘付いた凪がそう言う。

 う、気付かれた。

 断わる事が出来ない弱い真継が自分にくれるモノを、その恐いお姉さん方に渡されて断われる訳がなかった。
 それくらいなら凪なら簡単に見破れる。

「う、うん……でも、それたぶん真奈さんに取られるからいいんだよ」
 真継がそう答えた。

 実際、真継が貰って来たチョコは母親の真奈に全部取られている。学校で学生に分けて食べたりするのにいつも取られていたから、今回の分ももう真奈に渡してある。

「そういや、真奈さん、いつもこの時期チョコ満載だったな」
 思い当たる事がある凪は掴んでいた真継の腕を離した。

「そ、それに俺、いつも作る方で」
 更に言い訳しようとすると凪の顔が笑顔になる。

「真継、作るんだ」

 満面の笑みの凪。

「あ、うん、凪さんもいる?」

「他に誰かに作るのか?」
 凪は真剣に聞いてくる。

 恐いよ……。

「う、うん、真奈さんに作るけど……」
 正直に真継は答える。

 すると真剣だった凪の顔が溜息と共に崩れた。
 どうやら脱力したらしい。

「そうだよな。真奈さんだもんな。仕方ないって言えば仕方ないんだけどよ。俺だけにって思うのは、俺の我侭なのか?」
 そう問い掛けるように愚痴られて、真継はキョトンとしてしまう。

 そう凪は、真奈にさえ嫉妬しているのである。
 例え、母親に義理で上げるにしても、それだけでも凪は嫉妬してきている。
 
 そうした独占欲は真継にもある。

「我侭じゃないよ……俺も……」
 本当は、自分が作ったものだけを受け取って欲しい。

 そう続けようとしたのだが、いきなり抱き締められてしまった真継である。

「え? 何?」
 何がどうなって抱き締められたのか解らない真継。だが、凪はギュッと抱き締めてくる。

 何か言ったのかな、俺?

 頭に?マークが沢山浮かんでしまう。

「可愛い事言うようになったなぁ、真継」

 愛おしそうに真継を抱き締める凪。
 我侭ではないと言ってくれた事が嬉しかったのだ。

「真継、我侭言っていいか?」
 バッと身体を離して凪はいきなりそう言い出した。

「何?」

 いきなりな行動が続いて、真継は目を丸くしていた。
 それでも凪が言いたい事は何となくは予想出来た。

「バレンタインのチョコは俺だけに作って」
 凪はこんな我侭を言い出した。

 けれど、そう言って貰う方が真継は嬉しかった。
 そうするつもりだったとは今更言えないが、真継はゆっくり頷いた。

「うん、でも、貰うのは俺のだけにしてね」
 こういう我侭を言うのは初めてだった。
 凪を自分だけのモノだと思っているその欲が今は素直に出てくる。

「もちろん。あれは真奈さんにでも渡しておけばいいし」
 凪は満面の笑みになって、貰ったチョコなど足蹴にするつもりだった。

 真奈がいるなら、渡してしまえばいい。それで今回は見逃して貰える。息子の真継からチョコが貰えないと喚くだろうが、今や真奈も認める二人の仲である。野暮な事は言い出さないだろう。

「ごめんね。俺も我侭言ってる」

 凪はいろんな所で色んな人に貰うだろう。
 バレンタインとして渡してくる女の子も多いだろう。

 それなのに我侭でその全てを受け取らないで欲しいと真継は言っているのだ。
 けれど、その我侭に凪は嬉しそうな顔をしている。

「嬉しい我侭だよ。真継、もっと我侭になれよ」
 凪はそう言って、真継の頬をそっと包む。

 人の気持ちを優先して、中々我侭を言わない真継が我侭を言ってくれる事が嬉しくて仕方ない。

「我侭に?」
 真継はキョトンとしている。

 その顔も可愛いと凪は思っていたがそれは言わない。
 それよりも言いたい事がある。

「我侭言わないから心配なんだ」
 凪はそう言って真継の額にキスをした。

「心配って……俺結構我侭だよ」
 真継は笑ってそう言う。

「そうか?」
 凪は不思議そうに真継を見る。

「例えば、明日は一日一緒にいてとか思ってるし」

 凪が忙しいのを解っているから、こんな我侭は言ってはいけないと思っている。それでも今は素直に言える。

 するとその我侭を聞いた凪はいきなり真継の唇にキスをしてきた。

「……んっ」
 キスされそうな予感はあったが、準備が出来てなかった真継はいきなりだったキスに戸惑ってしまう。でも、すぐにそのキスに夢中になってしまう。
 激しくキスされてやっと離れたら、真継は深く深呼吸する羽目になってしまった。

「よし、その我侭叶えよう」
 凪はまだ上機嫌で、真継の顔中にキスをしてくる。

「本当?」    

「ああ、本当。午前0時からずっと一日一緒にいてやるよ」
 凪は初めからそのつもりだったとばかりにそんな事を言い出してしまう。

「そんな、真奈さんのご飯用意しなきゃいけないし」

 実際には母親の朝食を準備しなきゃいけなかったり、掃除もしなきゃいけないから無理に決まっている。

「それは仕方ないけど。それ以外は一緒にいてやるよ。だから、覚悟しろよ」
 凪はニヤッとして真継にそう言った。

「え?」

 なんで覚悟が必要なの?

 この時、真継は解ってなかったのだが。
 凪の覚悟しろよという言葉は、一日中ベッドから出して貰えないというHな日となったのである。

 もちろん、バレンタインチョコを作るヒマさえ与えて貰えなかったのであった。