雪の山荘




 この年、雪はいつもより1mも深く降り積もっていた。
 一面は銀世界である。
 長野県のある場所にある山荘に中川夫婦はやってきた。
 夫婦の名前は中川桐志、素子。
 この山荘は、桐志が5年前に気に入って無理をして買ったもので、毎年、息子家族と過ごす予定であった。
 山荘に着て、一日たった頃。
 この先にある館へ向かう途中の若い男女が訪ねてきた。
 若い男が尋ねる。
「申し訳ありませんが、新島さんですか?」
「いえ、私は中川と申します。5年前に所有者が変わりまして」
「ああ、すみません、中川さん。白雪館というのは、この先でしょうか?」
 そう訪ねられて、主人桐志は、白雪館から今朝電話を受けた事を思い出した。
「ええ、そうですけど。もしかして氷室様ですか?」
 主人がそう尋ねると、若い男はふと車の中を眺めて振り返った。
「はい」
 たぶん、氷室というのは、この若い男ではなく、車の中に残っている若い女の方なのだろう。
 深い事情は聞かない。この先にある白雪館にはあまり関わりたくなかった。
 近くに山荘を持っているから、近所(とはいえ遠いが)付き合いをしているが、あそこの家族はあまりいい噂をきかない。
 しかも未だに中川の名前を覚えてくれない。もう5年も経つというのにだ。
 今回はたまたまだったので、仕方なく用件を受けた。
 それもここに山荘を持つ為には仕方ない事だった。
「実は上の方から、伝言がありまして。明日除雪車が来るまで上にはあがれないそうです」
 主人は自分の事ではないが、こんな山奥までやってきた人達を可哀相に思った。
「え?」
 若い男は少し驚いた様だった。
「ああ、ありがとうございました」
 若い男はそう言うと車に戻っていった。
「どうします? 上には明日以降じゃないと上がれないそうです」
 不思議な雰囲気を持つ若い男女は、どうも男の方が腰が低そうだ。
「下へ戻って、ホテルにでも泊まった方がいいわね」
 女は車のウィンドウを開けて言ったが、すぐにその窓を閉めた。寒くてたまらないのだろう。
「そうですね」
 女には聞こえないだろうに、男は呟いて車に戻った。
 男女が元来た道を戻ろうとした所へ、別の車が2台やってくる。
 これでは、先の男女の車は戻れない。
 それを無視した男同士とカップルが窓を開けて、主人に尋ねてきた。
「すいませーん。スキー場はこの先ですか?」
 おかしな事を尋ねるスキー客だ。
 主人は寒い野外で、立ち尽くしたままでそのカップルにも答えた。
「いえ、この先は私有地ですよ。スキー場は二股の左の方ですよ」
 主人がそう答えると、カップルは信じられないと声を上げた。
「うそ! 前の車が右に曲がったから」
 そう言って、先に来たカップルのスキー客を睨み付ける。
「俺らのせいにするなよ。俺だって前の車が行ったから!」
 4人でもめて、車を動かなさいので、先の若い男が車外に出てきて謝った。
「すみません。私達はこの先に用があったものですから」
 律儀に謝る事はないだろうに、変わった男だ。
 間違えたのは、この男同士のスキー客の方だ。道の確認もしないで、こんな山奥のスキー場に来ようなどと無謀な事をするものだ。
「えー、引き返すの?」
「仕方ないだろう。ほら行こうぜ」
 カップルは道を引き返すと話し、全員が引き返す事になった。
 カップルがやっと車を動かしたので、先の男女も車を動かす事が出来た。
 主人も寒さで凍えた体を暖めるとホッと息を吐いた時、また車がやってきたのだ。
 殆ど、この道は車が一台通れる程しかないので、3台の車は停まるしかない。
 やってくる車は、ヘッドライトを二回光らせて車を停めた。
 降りてきたのは一人の30代くらいの男。右目に眼帯をしている。
 主人も気になって家に入るのを待った。
「戻るんだったら無駄だぜ。俺が通った後に雪崩が起きてよ。雪で道が塞がって通 れないんだ」
 あまりに主人が家に入って来ないのを心配した妻素子が外へ出てきていた。
 その話を聞いた素子は、すぐに主人に言った。
「まあ、それは大変だわ。あなた」
 と、促され、主人は招かざる客を山荘に入れる事にした。
 こうなっては仕方ない。人助けだから。
「お前、皆さんに暖かい物を」
「はい」
 主人の言葉にニコリと微笑んだ素子は、すぐに家の中へ入って行った。
 戻れないと知ったカップルと男二人に男が一人。申し訳なさそうに主人の方へやってきた。
「さあ、お寒いでしょう。どうぞ皆さん、お上がりください。除雪されるまでうちに泊まって下さい」
 主人の言葉に全員がホッとした。
 一番最初に来た男が頭を下げた。
「申し訳ありません。助かります」
「いえいえ、困った時にはお互い様ですよ。それに貴方は上の方と知り合いですから」
 特にお持て成ししなければならないのは、最初に来た男女の方だ。
 白雪館の連中は気に入らないが、媚を売っておく必要もある。ここでは白雪館に嫌われない様にしなければ、他の山荘の人間とも巧くいかないのだ。
 主人はそう思っていた。
 そういうわけで、山荘に7人の客を泊める事になった。



 居間に通された7人は、部屋の暖かさに息を吐いた。
 もし、この山荘に主人達がいなければ、車中で一夜を過ごす事になっていたかもしれないのだ。
 素子が、7人分の暖かいコーヒーを持って居間にやってきた。
 全員が礼を言い、そこで自己紹介が始まった。
 最初に来た男女、男は玖珂大介と名乗り、女は氷室斗織と名乗った。
 やはり、氷室というのは女の方だった。
 この二人はカップルではなく、見るからに主人と従者という関係に見えた。
 まあ、白雪館の客だ。普通の人ではないだろうとは、主人は思っていた。
 二人とも、かなりの美貌で、他の人々が見愡れるほどである。だがその美貌は人を寄せつけない高貴な雰囲気を漂わせていた。
 次に名乗ったのは、カメラマンだという高遠柿人という男性だ。
 スキー場の紹介の写真撮影の為に来たのだと言う。
 次がカップルで、男が一条敬。女が柴田麻美。
 まだ大学生とかで、今回のスキーは卒業旅行を兼ねているのだという。
 男同士の方は、榊原朔という25才くらいの人、もう一人も同じくらいで、今野道男という。
 日帰りでスキーをしに来たという会社の同僚だ。
「いやあ、本当に助かりました。へたしたら車の中で一晩過ごすのかと思いました」
 とカメラマンの高遠が言った。
「本当にもう、それを考えたらぞっとします」
 そう言うのは、榊原。それを受けて、今野が言う。
「大体、なんでスキー場の方へ行かなかったんだ? まあ俺達も間違えた口だけどさ」
 それはカップルに向けられた言葉だった。
 それに一条が答えた。
「仕方ないでしょ。雪で標識が見えなかったんですから。そしたら先に進んでいた車が右に曲がったんで、てっきりスキー客だと思って付いて行ったんですよ」
「確かに標識は見えないくらいに吹雪いてたよな」
 高遠が言う。
 すると玖珂が申し訳ないと言った。
「私達はこの先に用事がありましたから、皆さんとは行き先が違っていたのです」
 玖珂にそう言われて、他のスキー客は少し赤面する。
 彼等が道を間違えたのだと思い込んでいたから。ここに来るのはスキー客だけではないのだ。
「昨日から雪がすごかったですからね。皆さん。除雪車が来る前に通ったので間違えられたんですね。でも町の主要部分から除雪していたくらいなので、こっちの方は明日の予定に変わったんですよ」
 そう言って素子がお代わりのコーヒーポットを居間のテーブルに置いた。
 そこへ主人が戻ってきた。
「さっきの雪崩の事を電話しておいたぞ。スキー客がいるからなるべく早くにって言っておいたから朝一番で作業してくれるそうだ」
 主人の言葉に皆、安堵した。
「では明日には帰れますね」
「大丈夫ですよ。この辺ではよくある事ですから」
 素子はそう言って、今夜の部屋割りの話をした。
 中川夫婦は女性を優先して部屋を貸した。
 カップルについては同じ部屋にしているが、部屋は全部で四つしかない。
 一つは中川夫婦の部屋である。
 さすがに、2日後に来る息子家族の部屋は他人に貸す気にはなれなかった。
 そして残りの2部屋を貸して、残りの4人の男性には居間で寝て貰う事にした。
 彼等は快く承諾してくれた。車の中で寝ることよりも暖かい部屋と毛布、それに食事があるだけでもありがたいものである。




 食事を済ませて居間でそれぞれが自分達の事を話し始めた。
 中川夫婦もその団欒を楽しんでいた。
 とりわけよく喋ったのは榊原と今野である。
 カップルはスキーの話なのでとりあえず聞いている。
 玖珂はもっぱら聞き役で、氷室に至っては本を読んで、時々厳しい視線で部屋を見回している。
 何が気に入らないのだろうか?
 氷室の視線の奥にあるモノがなんなのか、主人には解らなかった。
 高遠は話を聞きながら、エアコンの前を陣取って持っていたカメラの手入れをしている。
 時々、席を立ってトイレの場所を聞いて、電話も借りていた。
 荷物を持ち込んでいるのは、高遠と柴田だった。他の人は荷物は車の中に置いてきている。
 居間にあるソファは、二種類ある。
 ちょうど中央に、4人座れるソファが二脚あり、ダイニング側に、榊原、今野、一条、柴田が座り、庭が見える用にしてある主人の席には桐志。反対側に、玖珂、氷室、妻素子が座っている。
 もう一つ、エアコンの側にある一脚だけの席は、高遠が陣取り、持って来たカメラを置いて、誰も近付けない様になってしまっていた。
「今年の雪は去年に比べて、質がいいんですよ」
 そう言うのは榊原。
「そういや、お前、先週も来てたんじゃなかったのか? だったら道間違えるなよ」
 苦笑しているのは今野。
「だーから、悪いってば」
 榊原は平謝りだ。
「雪がいいんですか?」
 柴田が尋ねる。
「滑りやすいんだよ。ああでも、今日滑れないのは残念だなあ。せっかくの新雪なのに」
「そうだよ。俺等、日帰りなんだよ。困っちゃいました。まあ、職場の方には雪崩で帰れないって携帯で連絡しておいたから、休みでも大丈夫なんだけどな」
 今野は文句を言いながらも携帯でメールを送ったりして、今の状況を友達に知らせている。
 案外、面白がっているのかもしれない。
 柴田も同様で、一回、彼氏である一条に携帯を貸してホテルに事情を説明していた。
 一条は自分の携帯を車の中に忘れてきてしまっていたからだ。

 そうして全員が居間に揃っている時、最悪の事態が起こった。
 いきなり山荘の全ての電気が切れたのである。

「わ!」
「な、なんだよ!」
「停電ですか?」
「皆さん、動かないで下さい。今、ブレーカーを見てきますから!」
 山荘の中を一番よく知っている主人がそう言った。
 そう言ったとたん。
「う! 何を! うわあああ!」
 という主人の叫び声がしたのだ。
「な、なんだ?」
「どうしたんだよ?」
 ドサっという音が部屋に響いた。
「誰?」
「敬!」
「俺じゃない!」
「榊原?」
「隣にいる、今野」
「何なんだよ」
 高遠の声が少し離れた所で聞こえた。
「きゃあ」
「奥さんね。大丈夫ですか。しがみついてていいですよ」
「斗織」
「大介!」
 凛とした氷室の声が大き目に言った。
「奥さん、ブレーカーは!」
 玖珂の声がした。
「その廊下を出て左の突き当たり、左上にあります!」
 玖珂の声で誰が倒れたのかが、中川素子にもすぐに解った。
 声がしないのは、主人、桐志だけなのだから。
 玖珂が暗闇を探りながら居間を出て、ほんの数十秒。
 居間に明かりが戻った。
 しかしそこには、異様な光景があった。
 居間の中央辺りで、中川桐志が心臓をナイフで刺されて倒れているのだ。
「お、おい、冗談だろう?」
 榊原が乾いた笑いで言った。
 すぐに動いたのは、意外にも氷室斗織だった。
 倒れた主人に駆け寄って、脈を取る。手首、そして首筋。息を確かめる為に手を口元に当てる。
 息を飲んでその光景を見守っていた全員に向かって、氷室は首を振った。
 中川桐志はもうすでに絶命していた。
 もし今息があったとしても、手の施しようはない。
 それだけ的確に心臓を捕らえているナイフ。
 その輝きが無気味に光って見えた。



「うそでしょう?」
 柴田が首を振りながら、胸に手を当てて表情を強ばらせていた。
「なんで、どうして」
「おい、どういう事なんだよ?」
 皆の声は信じられない出来事への問いかけだった。
 それに答えたのは、凛とした静かな氷室の声だった。
「簡単です。さっきの停電の間にこの中の人間が御主人を刺して殺したのです」
 氷室の無情とも言える答えに、全員が一瞬固まった。
「え?」
 素子の吐き出すような問いに、全員が我に返る。
「主人を殺した?」
 素子は招かざる客を見る。
「だ、誰だよ!」
 一条が叫んだ。
「誰が主人を!」
 素子が招かざる客に向かって叫んだ。
「おい、待てよ。俺じゃない」
「俺だって」
 居間はパニックになった。
「いやああああ、来ないで!」
 いきなり柴田が叫んで部屋を飛び出した。
「ま、待てよ! 麻美!」
 一条がその後を追った。
「あの女が犯人だぞ! 逃げる気だ!」
 高遠が叫んだ。
 しかし、それに氷室が首を振った。
「柴田さんはただ怯えているだけです。彼女は犯人ではありません」
「え?」
 全員が氷室を見た。
「逃げられないと解っているのに外へ出るはずありませんわ。もし犯人なら自分が殺される心配をしなくてもいいんですから、この部屋から逃げる必要はないんですよ」
 少し薄笑いを浮かべて氷室は言った。
 まるでこの殺人がどうして起こったのか、それが解っていて、犯人の犯した事を軽蔑している、そういう笑いだ。
「斗織」
 その薄笑いが危険だと、玖珂は知っていた。
 寄りに寄って、彼女の前で血を見せる行為を行った犯人を恨んだ。
 こうなると氷室は止まらない。犯人を追い詰めるまで。自分で意識してなくても。
「解っているわ。奥さん、御主人を警察が来るまでこのままにしておきます。シーツか毛布はありませんか?」
 氷室は素子に向かってそう言った。
「あ、え、はい、解りました」
 素子は慌てて部屋を駆け出した。
 本当は泣きたかった。だけど、恐怖が先に立って、主人のいきなりの死を受け入れる事が出来なかった。
 シーツを持って戻ってくると、居間では険悪な雰囲気が漂っていた。
 シーツはすぐに玖珂が受け取り、丁寧に主人の遺体に被せた。
「何だ、この女。いきなり饒舌になりやがって。探偵のつもりか?」
 恐怖に引きつった顔で榊原が言った。
「つもりはなくても、やらなくてはいけないでしょう?」
 氷室は何でもない事の様に言った。
「そうやって、自分がやった犯行をこの中の誰かのせいにするつもりだな!」
 今野が叫んだ。
 そうした険悪の中、素子が言った。
「いいえ、氷室さんにお願いします。氷室さんが犯人ではない事は私が解っていますから」
 素子の発言に全員が驚く。
「だって、暗闇になる前から隣にいたのは氷室さんです。暗闇になった時も確かに隣にいました。私が転びそうになった時に氷室さんにぶつかって、その後支えてもらってました。主人がこうなった時にも私が氷室さんの腕を握っていたから、氷室さんには主人を殺す事は出来ません」
 素子は一気に自分が暗闇であった事を説明した。
「つまり、私と奥さんは犯行が不可能。もしくは共犯であるととれる訳ですが、少し奇妙ですよね」
 氷室がそう言うと、榊原が気が付いた。
「あ、そうか。ギャラリーが多すぎる」
 呟く様に言った。氷室は頷いた。
 奇妙な点、それはもし氷室と素子が共犯なら、他に客がいる時に事件を起こす必要がない。
 客が帰った後にでも十分に、それどころか確実にやれる。
 罪を擦り付けるにしては、他の客は無関係過ぎる。
「そうなると、どうしても今、ここで御主人を殺さなくてはならない人がいるわけです」
 氷室がそう言うと、今野が言い返す。
「停電は偶然だろうが」
「いえ、偶然ではありません。起こるべくして起こったのです」
「どうやって!」
「私には詳しい事は解りませんが、この山荘に詳しい人なら、ブレーカーを落とす方法など考えつくものです」
「詳しいって、それじゃやっぱり奥さんじゃないか?」
 今野が言う。
「だから奥さんに、今、停電を起こさせる必要はないんですよ。もし殺すなら、明日でもいい。私達が帰った後でも十分に出来ます。不法侵入した誰かが御主人を殺したでも言えるわけです。幸いにも車の後は私達が通 ったりしているから、不審者がいたとしてもおかしくはないはずでしょう」
「た、確かにその方がリスクが少ない」
 榊原は納得した。しかし疑問が残った。
「だが、この中の誰かが犯人として、停電を起こさせる事が出来たとしてだ。あんな暗闇の中で一体誰が主人を殺せるっていうんだ? へたすりゃ間違えて他の人を刺してしまうかもしれないだろう?」
 そう言う榊原に氷室は断言して言った。
「いえ、犯人は、間違いなく御主人を刺し殺そうとして成功しています。殺す理由は解りませんが、一人だけ、この暗闇で自由に動き回る事が出来る人がいます」
 氷室の意外な言葉に全員が驚く。
「え?」
「だ、誰が?」
 氷室はゆっくりと指を上げて、犯人を指差した。
「高遠さん、あなたです」
 指を差された高遠は本当に驚いたようで、びっくりして皆を見回した。
「え? 俺だって? 何で俺なんだよ。ただでさえ、俺は片目だぜ?」
 高遠はそう言って、眼帯を指差した。
「残念ながら、その眼帯があなたが暗闇で動くことが出来る証拠なんです」
「何?」
「その眼帯を暗闇で外せば、ここにいる皆さんの目より常に暗闇であったあなたの右目の方がよく見えるというわけです。皆が暗闇になれる前に、あなたはブレーカーを上げに行こうとした御主人に忍び寄り刺したのです」
「おいおい、それだけで俺を犯扱いしようと言うのか?」
「いえ、あなたが最初にカメラマンだと名乗っていた時に、本物のカメラマンではないのは解りましたから」
「何? 俺はちゃんとしたカメラマンだぞ。出版社で聞けば解る事だ」
「カメラというのは非常にデリケートなものなんだそうですね。それを無造作にエアコンのよく当たる場所に置くというのは、あまりに無神経。もしくは他の事に気を取られていた証拠です。そういう意味で本物のカメラマンではないと思っただけです」
 氷室がそう言うと、高遠はくくくっと笑う。
「それだけか? 気を取られていたのは取材の事だよ。カメラの扱いにはまだ慣れてなくてね」
 氷室は段々と無表情になっていく。怯えているのではない確信を掴みにかかり出したのだ。
「ええ、それだけではないのですが。後は警察のする分野。あなたの身辺を調べれば、この山荘に関した事や、中川夫妻の事などが出てくるでしょう。山荘の事が出てくれば、どうやってあなたが停電を起こしたのかも解るでしょう。たぶん、奥さんの知らない事までもが」
「出てきた所で、俺が殺した証拠にはならんさ。俺はこの山荘が欲しかったのは事実だからな。それを調べているのは不自然じゃないだろう」
「まあ、そうでしょうね。でも私は確信してます」
 少々投げやりな氷室の答え。
 高遠がこの犯人だとしても、そんな事はどうでもいいと言わんばかりの感想だ。
「人を簡単に犯人扱いして、名誉毀損で訴えるぞ」
 高遠は本当にそうしようと言わんばかりだが、氷室の感情はそこにはない。
「どうぞ。あなたが犯人ですから、御自由に」
 一つだけ、最初に会った時のほんの少しの疑問だけが頭の中にあった。
 それさえ確認すれば、全てが解る事だった。用意周到な高遠ならきっとその切り札を持っているはずである。ここへ来る為にどうしても必要な物を突き付けてくるだろう。
「一つ、聞きたいのですが。高遠柿人とは本名ですか? それともカメラマン用のペンネームですか?」
 氷室は真剣にそう言った。
「本名だ。それがどうした? 出版社にある履歴書調べりゃ解る事だ。それにここに免許証だって持っているんだぜ。それも警察が証明してくれるぞ」
 高遠はくくくっと笑い免許証を出したのだ。
 氷室が待っていた、確実な証拠。
 そのとたん、氷室がニコリと微笑んだのだ。
「やはり、高遠さん。あなたが犯人です」
「何!」
「それは偽名だからです」
「ぎ、偽名?」
 全員、高遠が犯人説は氷室のただの想像だと思っていたから、この展開に驚きの声を上げた。
「その名前は偽名です。出版社を騙し、警察をも騙そうと、この場で偽名を必要とするのは、中川夫婦に本当の名前を知られてはならない訳がある人であり、何かを企んでいる人です」
「なんで、偽名だなんて解るんだ? 免許証だってあるんだぞ」
 榊原は乾き切った声で尋ねた。
 氷室は淡々と説明した。
「免許証はよく見れば偽造だと解るはずです。私が偽名と言い切るのには、ちゃんと訳があるんです。日本では柿という漢字は、実は人名にはつけてはいけない漢字だからです。そう、法律で決まっているんですよ。高遠柿人さん。調べれば、ちゃんと解る事です。偽名はもっと考えてからつけた方がよかったですね。違う偽名なら私はここは大人しく引き下がってました。本名が出れば、きっとあなたはこの山荘に関係した人間である事が解るでしょう。中川氏を殺害までしなければならない理由が本名とこの山荘にあるはずです。違いますか?」
 氷室がそう言うと、高遠は高笑いをした。
「あはははははは! 偽名か!」
「名前の方は最初から、偽名だと解ってましたよ。ここで堂々と偽名を名乗れるのはカメラマンという職業を持っている高遠さんだけですから。そう単純に思っただけです」
「あんた、罠にかけたな。言い訳出来ないように」
 高遠は氷室を睨み付けて、低い声で言った。
「別に、ここで言い訳されても、私はこの事を警察に話しますよ。あなたが一番怪しいとね。山荘を買いたいだなんて、警察からすれば、あなたが一番怪しい動機を持っていると見るでしょう。あなたの切り札である偽装が、ここで全て話した事によって全てが怪しくなっているんですよ」
 淡々と言う氷室。
「確かに俺達は、中川夫婦どころか、こんな山荘なんか知らない。知っているのは…」
 榊原がそう呟くと、高遠は自分の言った偽装が、犯人であると認めている事だと気が付いた。
「くそ、俺と兄貴が好きだった柿が命取りか!」
 誰もが高遠から離れた。
 今や孤島となったこの場所で犯人と一緒にいる、しかも犯行は暴露された。獰猛な殺人者がここにいる証人を皆殺して、自分が被害者ぶる可能性もある。
 それを誰もが怯えた。
「もしかして、あなた新島さんかしら?」
 氷室が唐突にそう言った。
「ああ、そうなのね。だから山荘をよく知っていた。ブレーカーの落とす方法も解っていた。どこかの電気を多量 に使うとブレーカーが自然に落ちる事も知ってて当然ね」
 氷室は一人納得したように言った。
 さすがの高遠もこれには苦笑するしかった。
「あんたの頭、一体、どうなってんだよ。あんたさえいなけりゃ、完全犯罪だったのにな。警察に見せる為に偽造で高遠柿人の免許まで作っておいたのに。この偽造免許証が俺が高遠柿人でない、なによりの証拠になるなんてな」
 高遠は免許証を放り投げた。それを玖珂が拾う。
「精巧に造られていますが、偽造ですね。でも、警察に身元確認の為に少し見せるのであれば、十分騙し通 せます」
 玖珂の感想に氷室は頷いた。
「ところで、あんた、何で新島の名前知ってるんだ? ここに来るのは初めてだろう?」
「ええ、初めてよ。ただ、白雪館の方が、この山荘は新島さんだと言っていたからよ。あそこの方は贔屓にしてた入居者はよく覚えているのだけど、新しい入居者が気に入らないと名前を中々覚えない変わった人なの。大介も最初にここで御主人に間違いを指摘されたわ。ただそれだけ」
 氷室には本当にそれだけだった。たったそれだけの事。
 立っていた高遠こと、新島はソファに座った。うなだれる様にソファにもたれ、天井を見ながら言った。
「俺が犯人だっていつ解った?」
「事件が起こりそうなのは何となく解ってたわ。それが殺人だとは思わなかった。ずっと誰かの殺意を感じていたけど、それが誰に向けられているのかまでは私にも解らない。高遠さん、いえ新島さんが犯人だと解ったのは、事件が起こってすぐ。暗闇で人を殺せそうな人は一人しかいなかったから」
「理由は?」
「眼帯は一時的なもの。そうでなければ車にも乗れない。免許も発行されない。カメラマンとしても使えない。柿人とはペンネームだと思っていた。事件が起こってからは、眼帯が一番怪しかった。眼帯は一時的なものだから。それに、凶器のナイフ。それを持ち込めそうなのは、新島さんと柴田さんだけ。他の人は荷物を持って来なかった。しかし、柴田さんがここへ来たのは偶然。道を間違えたのは、運転していた一条さんで、一条さんは、大介の車に付いて来ただけ。榊原さんと今野さんも後を付いてきただけ。4人にはここへ来る意味がない。そして引き返すのを止めたのは新島さん。新島さん、本当は雪崩は起きてなかったのでしょう? 私達を引き止める為に起こした」
 氷室は一つ一つ確かめる様に呟いていた。
 新島はもう悪あがきする気もなかった。ここまで完全なストーリーが予測されているのでは、悪あがきする気も起こらない。それどころか、この氷室斗織の推理に感嘆していた。
「ああ、雪崩を起こしたのは俺だよ。これだけのギャラリーがいれば不審じゃないしなと思って。そっか、眼帯か。これも偶然の産物だからな。目蓋を傷めてな。暗闇で外してみて、初めて暗闇がよく見える事を知った。仕事も偶然。中川がここに来た時期も偶然。あんたの言う通 り、山荘のブレーカーが落ちる仕組みを知っていたよ。ただ、中川がここを改築しなおしてりゃブレーカーは落ちなかったけどな。暗闇になった時、こりゃ、神様が俺に復讐しろって言っている様に思えたよ」
 ただ一つ、神は試練を与えた。この氷室斗織という女の存在。
「何故、主人を…」
 今まで黙っていた素子がやっとそれを口にした。
「あんたも聞きたいかい?」
 顔を正面に向けた新島は氷室を見て言った。
「理由? それはこの山荘の所有者が新島氏から中川氏へ変わった経緯が関係しているのでしょう? なら、中川氏が無理矢理権利書を奪った。そしてお兄さんが亡くなった。あなただけが残った」
「あはははは。あんた、頭良過ぎておかしくなんねぇか?」
「さあ。おかしくなった事はないわ」
 氷室は真面目に答える。
 氷室には犯行を暴こうという意思はないようだった。ただあるがままの真実を述べているに過ぎない。それが犯人を追い詰めるという行為であったとしても、氷室はそうは思ってない。
 だからその顔には、歓喜や正義感などという感情は見られない。
「理由は、奥さんにもあなたから聞かせる義務はあるはず」
 新島は頷いた。どうやら話す気になったらしい。
「参ったね。あんたの言う通り、中川は俺の兄貴を騙して、権利書を奪ったのさ。奥さん、あんたは後妻らしいから、ここの事は知らないだろう。権利書を騙し取られた兄貴は、両親に申し訳ないといって自殺した。ここはな、俺の親父が母親に送ったプレゼントでよ、俺達の中では絶対に手放してはならない物だったんだ。俺達家族はここが好きだった。兄貴が自殺した後、親父も後を追ったよ。親父が権利書を騙し取られた事を怒鳴ったせいで、ここの山荘のせいで兄貴を自殺に追いやってしまったとか遺書残して。母親は、去年死んだ。もう精神がおかしくなってて、病院抜け出して飛び降り自殺。それだけここは俺達家族にとって必要な場所だったんだよ。中川さえ現れなければ、俺達は今でもここで笑ってられたんだ」
 それを聞いた素子は、わなわなとその場に座り込んだ。
 そこには、今し方亡くなった夫の変わり果てた姿が隠されたシーツがあった。
 素子は夫の名を叫びながら、亡骸に縋り付いた。
「笑っていた場所をあなたは今、その手で汚した」
 氷室が呟いた。
「ああ」
 新島も呟いた。
「中川氏を殺して、あなたは解放された?」
「…さあ、解らねぇ。刑を受けながら考えるよ」
 全てを話した新島は、到底解放されたという顔ではなかった。



「け、警察が来たよ!」
 そろそろ朝が明けようとしていた時、車に隠れ逃げていた一条と柴田が家に駆けて入って来た。
 居間には一睡もしなかった、氷室、玖珂、新島、榊原、今野がテレビを見ながらソファでコーヒーを飲んでいた。
 素子は、泣き付かれて倒れ、今は二階のベッドに運ばれていた。
 この異様な光景に、一条が叫んだ。
「あ、あんたら、どういう神経してんだ! は、犯人かもしれない奴等と!」
「なんで…」
 呆然とするのも当たり前かと、榊原も今野も思った。
 しかし車に戻る機会を失い、殺人の動機を聞いたからだろうか、神経が麻痺しているのかもしれない。
 もちろん、主人の遺体から一番離れたダイニングの方のテーブルにいるとはいえ、コーヒーはないかなあ?と今頃思う。
 コーヒーを入れたのは、意外にも玖珂だった。
 もっと意外だったのは、あの氷室という女の方だ。
 犯人の新島の隣にいきなり座り、いつも通りの読書を始めたのだ。
 新島の方も驚いた程だ。
「あんた、俺は殺人者だぞ」
「そうね。でも私を殺すんじゃないでしょ」
「気が変わって殺すかもしれないぞ」
「気が変わったら、そう言って。逃げるから」
「言わないかもしれないぞ」
「大丈夫。その時は大介が何とかするから。あれでも空手の有段者なの」
「あの人、あんたの何?」
「ボディーガード」
「なるほど。だからあんたは俺が怖くないって訳か」
「別に。新島さんは怖くないわよ。それより黙ってくれる? 読書出来ないわ」
「…はいはい」
 そういう訳で、氷室は未だに新島の隣にいるし、新島はテレビを付けて警察の到着を大人しく待っている、という構図。
 男として、犯人の側にいる氷室が危険かもしれないから、この部屋から逃げる訳にもいかなかった。
「犯人は?」
 一条と柴田が、榊原と今野の方へ寄って来て聞く。
「犯人は高遠さん。氷室さんが事件解決したよ」
「ええ? だって隣に!」
「俺等もわかんねぇんだよ。あれでいいって言うんだから」
 そうしていると警察が雪崩れ込んで来た。
 意外に落ち着いた居間の雰囲気に、刑事は本当に事件は起ったのかと疑いたくなる光景だった。
 全員が見守る中、刑事はようやく言葉を口にした。
「容疑者は?」
 そういう言葉に反応した新島が立ち上がった。
「俺が犯人です。中川を殺しました」
「そうか。現行犯逮捕だ」
「ええ」
 新島は大人しく手錠をかけられた。
 警察に連れて行かれる途中、新島は少し振り返った。
 氷室は顔を上げてなかった。
「なあ、あんた。俺が面会に来てくれって言ったら来てくれるか?」
 警察にも意味が解らなかったが、氷室が顔を上げた。
「お望みなら」
「あははは、あんたらしい答えだ。まあ、頼むわ。他に誰も来てくれないしな」
「いいわよ。ところであなたの本名は?」
「ああ、名乗ってなかったな。新島竜人だ」
「そう」
 氷室はそれだけ言うと、また本に目を落とした。
 最後まであんたらしいよ。新島はそう思った。
 それだけ確認すると、新島は警察に連れて行かれた。

 新島以外の人は現場検証をして、事情聴取をされてやっと解放されたのは、もう昼を2時間も回った頃だった。
 何故か、氷室と玖珂とは隔離された状態で、誰も事件解決のお礼を言ってなかった。
 榊原と今野は、一緒に解放され、車で帰ろうとしていた時、警備をしている警察官の驚いた顔で話している会話が耳に入った。
「おい、あの氷室斗織と玖珂大介がいるってよ」
「え? あの連続猟奇殺人犯、臥竜岡を捕まえた、あの二人か?!」
「そうだよ! すげえ美貌だったぜ」
「俺、見てないっす」
「ここにいりゃ、すぐ見れるよ」
 その会話を聞いていたのは、榊原と今野だけではなかった。
 青い顔をした、一条と柴田も聞いていた。
「通りで、慣れているはずだ」
「ああ、そうだな」
「何で思い出さなかったんだろう?」
「あんなに有名な人なのに」

 氷室斗織と玖珂大介。
 東京で起っていた通称「首」事件と言われる、連続殺人者臥竜岡瀏の被害者であり、捕まえたという一部では天才名探偵として、殺人事件を幾つか解決をしているという二人。
 知らない人はいないほど有名な二人。

「あんまり、深く関わらなくて良かったな」
「ああ」
「うん」
「そうだな」
 4人はそれ以上聞かないように逃げるように山荘を後にした。

 氷室斗織と玖珂大介。
 彼等の周りには事件が付きまとう。
 まるで死に神にでも魅入られているように。
 関わった人は不幸になる。
 そんな噂が付きまとっている。