novel短編

Dolls-兔(てう)-7

「兔、正直に答えて欲しいことがある」
 兔を抱いた翌々日のことだ。兔の体調が戻ったところで、嘉藤は話を切り出した。
『なあに?』
 兔は嘉藤の手を掴んでそう聞いた。だがその手は震えていた。
「お前は……元から私を知っていたよな?」
 そう嘉藤が尋ねた。
 あの日、あの場所で出会うまに、兔は嘉藤を知っていたはずだ。
『……知ってたよ。イリヤが話してくれたから』
 やはりそういう風に知ったことになるわけだ。
「いつから私は、お前のご主人さまなのだ?」
 嘉藤はそう尋ねる。あの日会った時より前に、博士がそう決める前から兔は嘉藤を主人だと決めていたはずである。
 あの必死な様子は、置いていかれる怖さだけではなかった。長く思ってきた主人に会えた喜びと、そしてその主人に拒否される恐怖が混ざっていたと思う。
『高和の写真をイリヤに見せてもらった時。あ、ご主人さまだって思った。僕は、ご主人さまを持つように作られてないって博士は言ったけど、僕は高和を見た時からご主人さまだって思ってた』
 それには嘉藤も驚いた。Doll特有の主人を選ぶことがなくなったDollだと言うのだ。
「どういうことだ? 主人を持たないDollとは」
『博士が、主人に縛られるDollは所詮、道具だと言ってた。だからそれに縛られない人に近いものを作ろうとしたって。でも僕のご主人さまは高和だって言ったら、苦笑していた』
「遺伝操作で排除できない組み合わせがあるんだろうな。Doll作成で禁忌を犯した博士とそうじゃない博士との違いだろうな……」
 楪博士の父は常軌を逸脱した人だった。SサイズDollを奴隷Dollとして闇販売を繰り返し、Doll作成者して失格の烙印を押され、犯罪者として名を知られる人である。すでに自殺をしていて詳細は不明だが、その作成したDoll技術は政府ですら扱いきれないものであった。
『でも違うよ。僕には他に主人を選びなさいと言われても、高和以外の人は選べなかった。僕には高和だけだった』
 兔はそう言って震えている。
 主人を変えることができるのがDollだ。それは駄目だからこっちをと言われればDollは主人を選び直すことができる。主人が死んだり、手放したりする時にそれをデリートする項目があるのだという。
兔にはそのデリート機能が働かなかったという。
『だから僕は、あの後何年もかけて研究されて、高和の記憶を消すようにされたんだけど、僕は何度も思い出した』
 博士がわざわざ嘉藤を呼んで兔を無理矢理預けようとしたのは、こういうことなのだ。兔から主人に関するデリートができないなら、他の主人には懐かない。そんなDollを欲しがる個人はいない。
『僕は出来損ないで、中途半端だってイリヤが言った』
「どういうことだ?」
『イリヤは博士と別れた時に、僕のところに来て、博士とできているって言ったんだ。でも僕は高和しか主人じゃないって言い返したんだ。そしたらイリヤが怒ったんだ。「この泥棒猫、私から何もかも取り上げるつもりか。高和は渡さない」って「出来損ないの中途半端で高和に触れるな」って言って首を絞めてきた』
 その兔の告白に、嘉藤は目眩がしそうだった。
 イリヤは確かに博士とは実験対象者と博士という立場から逸脱はしていなかったのだろうが、イリヤから見ればそうは見えなかったのだろう。嘉藤には親子関係に見えていたが、もしそうだとしても不倫の清算をされた女と、実験対象者となれば、博士がどちらに優しくするかはわかりきっていることだ。
 だが、その兔が主人は嘉藤だけだと言った瞬間、イリヤは壊れたのだろう。
「……複雑な気持ちだったんだろう……私のところに戻ることも考えただろうし、その居場所すら兔に取られたと思ったのかもしれない……」
 不倫の清算で、研究所を追われることになるイリヤは嘉藤のところに戻るしか道は残ってなかった。その居場所を、兔が望んでいることをして発狂した。
 不倫をしておいて都合がいいと思うのだが、絶望して縋(すが)ろうとした先に先約がいるように言われれば、妻という立場を固持したくなるのかもしれない。
 裏切って関係を壊した自分のことは棚上げしている状態だ。
『僕は生まれてからずっと、高和しか好きじゃない。イリヤは裏切っていたのに、どうして妻でいられると思ったのか理解できない。イリヤが博士と付き合っているなら、離婚してくれるってことで、高和が一人になることでしょ。だから僕のご主人さまにしてくれるのかと、イリヤがそうしてくれていると思ってたのに』
 兔がそう言った。
 兔からすれば、その理屈が通ると思ったのだ。
 だから裏切ってはいないし、泥棒猫でもない。
 だが兔の心にはイリヤを恨む気持ちは一切ない。
「……兔はイリヤが好きだったのか?」
『ママみたいだった。僕にたくさんのことを教えてくれた。高和のこともたくさん話してくれた。イリヤと付き合っていた時や夫婦になった時の高和のことを知っているよ』
 兔はそれを得意げにしてみせた。
 本当に母親のように慕っていたのだろう。研究者でありながら、天職と言われるほどの存在だったと博士も言っていたではないか。
 だが博士にとってそれは卵子が欲しい人という意味だったのだろう。
「楪はどうして、イリヤを愛せなかったんだ?」
 そう思わず呟いてしまった。
 確かにそれを望むのは酷なことだ。嘉藤はショックを受けてしまっただろうが、それでも死なれるよりはマシだと思えたのだ。
 だが兔はそれに対して首を振った。
『博士は、Dollだから、人は愛せない』
「……!?」
 あまりの衝撃の言葉に、嘉藤は兔を見開いた目で見て問い返した。
「なんだって?」
『博士は、初期Dollの制御を外したDollなの。お祖父(じい)さまが最後に作ったLLサイズのDoll』
 兔の語る台詞に同じ言葉を繰り返さないようにして嘉藤は聞いた。
「そう博士が自分で言ったのか?」
『うん、僕だけしか知らない。博士が病気なのは嘘。入院したように見せかけて死ぬことが博士がDollから解放される唯一の方法なの。博士はDollだけど、Dollを守るために作られたDollだから。今までずっとそのために生きてきた』
 なのに、自分でDollを作ってしまった。
 すでに自分がDollであることを忘れ、博士として生きてきた上での行為なのだが、問題が生じたのはイリヤのことである。
『博士は、イリヤを愛せない。だから清算するしかなかった。でも愛せないのはDollとして作られた時に新たに設けられた遺伝子操作だって思い知ったんだ。博士はイリヤを愛していたよ。だから清算するしかなかった。だってDollだから』
 兔はそう言った。
 博士が人を愛せないようにできているのはDollだからだと言うが、それでも芽生える感情はあるはずだ。博士はそれを清算することでしか、愛情を示せなかった。だって愛がないことはいずれ関係が破綻するほどの問題だ。
 実際、嘉藤とイリヤの間にも起こっていた問題だ。
「だから研究をやめて引きこもったのか」
博士はイリヤを愛していた。だからイリヤが兔を殺し、そして自殺したことは衝撃だっただろう。
 愛していたからした行動が、相手を追い詰め様々なモノを壊すとは想像だにしなかった。Dollだから、人を愛せないから起こった出来事で、博士は自分の役目を思い出した。
『博士はDollを作るなんてするんじゃなかったと泣いていた。僕は……死んでいればよかったのかって悲しくなった』
 兔がそう言って首をさすっている。
 必死の思いで生きたのに、存在を否定された。それも作った博士にだ。
『僕にはもう高和しかいなかった。側にいるだけでもそれだけでもよかった。愛してもらえて、凄く嬉しい。僕は駄目じゃないって、僕はいていいって』
兔はそう言って嘉藤に抱きつく。
 妻に裏切られていた嘉藤と、その妻と博士にまで裏切られていた兔。博士は最後まで嘉藤への思いを募らせる兔の記憶を消そうとしていた。
「……さすがに不倫の間男として、子供は渡せないというわけか」
 分からなくはない感情だ。さすがにあの事故の後に、兔を突きつけられていたら、今くらいに愛せていたか分からない。今落ち着いて暮らしていたからこそ、兔を思う気持ちが芽生えたのは確かだ。
 妻と博士が不倫の末に作った子供と寝る夫と思えば、どの人間も狂気そのものだ。
 Dollと寝るくらいまだ狂気ではないそう思えた。
 周りから見れば違うのだろうが、それでも嘉藤には必要だった。
『僕には最初から高和だけだった。高和はそうじゃなくてもいい。今の僕を愛してくれるなら、それでいい。だから捨てないで』
 必死になる兔に嘉藤は同じく抱きしめ返してから言った。
「捨てやしないよ。私もお前を、兔を愛しているから。兔も私を捨てないでくれ……これ以上失うのは怖い」
 嘉藤がそう言って兔にすがりつくと兔が言った。
『それは大丈夫、僕は高和をずっと愛するために生まれたんだから』
 そう言って晴れやかに笑った。
 その兔を見て、嘉藤は微笑み返してキスをした。

世間は、嘉藤がDollに狂ったと噂が出ている。
 たまに嘉藤が出かけると、近所の人の目が冷たかった。それまで同情をしていたような目をしていたのだが、Doll所有になると話は別らしい。
 噂を広げているのは真路たちだろうが、その分、人の家に家政婦として入っていたことを知っている人ばかりなので、人の家の内部の秘密を喋る恥知らずな人として顰蹙(ひんしゅく)を買っていたらしく、そのうち自宅が売り家になり、引っ越していった。
 何度かDollを虐待しているとして、政府が聞き取りにきたりもしたが、Dollの専用の部屋や、兔の姿を見ると大抵が、納得してくれて引き下がっていく。
 兔を見せると、外出しない理由もはっきりとする上に、きちんとした洋服を着せていて明らかに溺愛していると分かるからだ。
 更に喉に欠損があると知っているからなのだが、何人かは研究所へと言う人もいたが、兔がそれを酷く嫌がっているのを見ると、無理強いしか方法がないと思ったのか諦めていく。
 三度目に訪れた政府の人間などは。
「嘉藤さん、そろそろ被害届を出しませんか? 嫌がらせにしては通報が多すぎます。しかも近所の人ではない人間からとなると、Dollが狙いなのかと」
「つまり私を警察にいかせて、Dollが一人になるところを狙うという?」
「そうです、最近はめっきり減りましたけど、楪Dollの盗難は未だに警戒してもらわらないとですね」
「わかりました」
 心当たりがあるわけで、その事情を話すと政府関係者からは同情された。
 悪戯に通報すると営業妨害にもあたるらしい。
 最後に握手して引き取ってもらう。
 最近になって、政府関係者が何を考えているのか理解したくて、わざと握手をするようになった。
 兔に触れ続けているお陰なのか、心を覗くことに関しての恐怖は薄らいでいる。必要とあればそれを利用してもいいだろうと思うこともあり、使ってみるのだが、それでも兔以外の人の心はある程度は予想通りである。
『裕福でDoll所持で、まだ若い金持ちか、いいなー俺もそうなりたいよ』
 最後の政府関係者は大した大義名分もないようだ。
 とりあえず営業妨害になるので、被害届を出したいが犯人に心当たりがあるのかどうか聞きたかったらしい。
 兔のデータの改ざんは、結局バレることなく浸透しているようだ。
 まあ、元々ないようなデータだから、後から増えていく秘匿されていたDollだと言われたら政府は信じるしかない。
 個人から個人へと渡るDollを登録に審査がいらないのは、そう義務にすると言って政府が預かっていたDollを死なせたことがあるからだ。その時は上から下からと大騒ぎだ。Doll所持の個人は基本、金持ちが多い。どこかの政府関係者と繋がっているものも多い。その辺りからの風当たりは相当だったようで、法律は成立されず、研究所へ預けられたDollのみが登録されている状態である。
 もちろん、個人所有しているのかしていないのかは報告が必要だ。Dollは財産の一部として見られているもので、贈与したり寄与したりすれば金がかかるものだからだ。(研究所から引き取る時はかからない決まりだが、所持登録の報告は必要)
兔は研究所でデータを取り、そこで所持登録の書類も作っていたため、政府は、兔を所持しているのは嘉藤高和(かとう たかかず)であるという情報は持っている。
(とりあえず兔の登録が上手くいっているのは確かなようだ)
 疑いよりも誹謗中傷による人権侵害にあたるので、政府から真路たちには警告がいったようだった。さすがに政府が出てくるとは思わなかっただろう二人は、また住居を変えたらしい。
 らしいというのは次に政府が家を訪ねたら引っ越していたという。
 政府の人間が帰っていくと、兔がやってくる。
 ピタリと嘉藤に触れる。
『大丈夫? 高和』
「大丈夫だよ。あまり長く読んでいるわけじゃないから」
 ずっと繋がっている訳ではなく、一瞬で読み込むのだが、それでも深いところまで一気に読む。何を考えているのか政府の魂胆も知りたかったが、来たのは調査員ですらない人間ばかりだった。
 最近は人にぶつかっても読む気がなければ読むことができないほどにコントロールができてきていた。兔のプライベートを読むのをやめるために、話しかけてきた声を拾うようにしていたところ、コントロールができるようになったからだ。
 お陰で握手でもよほど何かを思っている人や、強い願いがあるような人ではない限りは読まない選択をできる。その成果から、近場の買い物にはいけるようになった。
 ただその反面、近場は近所の目が厳しく、その視線の方に耐えられないので出かけるのはやめている。
ゆっくりであるが兔との普通の生活ができていた。

人の普通とは違う生活であるが、慣れればそれが普通の生活だ。
 嘉藤は兔を愛していたし、兔はそれ以上に嘉藤を愛していた。