novel短編

points and lines-1

 カチャカチャとした機械音がする。
 それがベッドに寝転がっている、自分の頭の上からその音が聞こえるのは、慣れたつもりではあったが、それでも時折、現実へ引き戻すかのような痛みが手首を伝ってきて顔をしかめてしまう。
 真野佳(まや けい)は、いつものことだと分かっているのだが、その真野の体に夢中になっている男を見上げる。
 汗を掻き、それが滴って落ちるほど、行為に夢中になっている男は、最近、セックスをするようになった相手の成原知晃(なるはら ともあき)だ。
 動くことが好きではないからという理由で、研究者を選び、その中でもフレグランス研究を選んだ真野とは違い、大学では空手部でありながら、様々な武道を習う男である成原は、きっちりと作り上げた体は、筋肉が未だ衰えることなく隆々としている。身長も百八十を超える成原と百六十を少し超えただけの真野では体格差が圧倒的にあった。
 真野の体は完全に成原に押しつぶされるように覆い被さられ、真野の中に侵入した成原自身は、熱をぶつけるかのように反り上がった凶器を突き入れてくる。それを受け入れながらも、真野はその成原の体を触ることさえできなかった。
 成原知晃という男は、抱いている相手を信用しない。
 特に、少しでも続く相手の場合や恋仲になりそうだと判断した相手に対して、成原はある執着を持って接する。
「んぁあっ!」
 激しく突き入れられて真野が達すると同時に、成原も達した。だが、つけたコンドームに包まれた精液は、真野の内壁には届かない。それが少しだけ真野が不満に思っている部分だ。
 行為が終わると、抜けていく成原自身を感じながら、真野はいつものように言うのだ。
「……これ、とって」
 そうして上がらない腕を何度も揺らして見せる。
 真野の腕は手錠でベッドに縛り付けられており、一人ではその拘束を解くことはできない。
「ああ」
 成原は濡れた顔を手のひらで拭くと、コンドームを外してゴミ箱に捨てた後、ベッドサイドにあるテーブルの上から手錠の鍵を取り、やっと真野の拘束を解いてくれた。
 拘束が解けると、やっとベッドから起き上がれる。それまでは二時間ほど、同じような体勢でいなければならず、結構それが苦痛なのだ。
「ふわああ」
 真野は腕を上げて背伸びをし、立ち上がってまた背伸びをする。そしてそのままベッドに腰をかけて深呼吸をした。
 暗かった部屋に灯りがともる。成原は真野を解放すると、そのまま部屋を出て行き、バスルームに消えた。
 これもいつものことで、成原が使い終わったら真野の番になる。
 真野はバスローブを羽織り、部屋から出て、隣の部屋にある備え付けの冷蔵庫から冷えたペットボトルの水を取り出す。それを一気に半分ほど飲んでから、また息を吐いた。
 ペットボトルを持っている手が目に入り、舌打ちをした。
「くそ、また傷が増えた」
 拘束されている間に快楽を与えられていると、時折痛みを忘れて腕を動かしてしまう。そうすると手首に当たる手錠で怪我をするのだ。
 この拘束をするようになってから、もう半年は経っている。なのに、いつまでも傷が消えないのは、こうやって新しい傷ができてしまうからだ。
 そのお陰でリストバンドが両手首に必要で、その下には更にサポーターをしている始末だ。
 仕事の同僚も怪しんでいるのだろうが、深く突っ込んだことを聞かないのは、厄介ごとに巻き込まれるのを恐れているからだろう。だが幸いなことに、研究所ではほぼ一人になれる環境があり、それほど人と関わることが少ない真野は、深く追求されることがない。
 そもそもとソファに座ってまたため息を吐いた。
 
 半年もセックスフレンドのごとく、毎週のように繰り返している情事なのだが、問題がこれにあった。
 成原知晃は、成原一族がやっている成原グループの会長だ。そんな会長は、恋人に女性を選ばないと有名だった。
 会長でも、あの様々な企業を傘下にする成原一族の総帥といえば、引く手数多であるはずなのだが、問題があった。
 成原はセックス中に必ず相手を拘束することである。
 SMの趣味があるわけではない。ただセックス中にちょっとしたSM道具である手錠で相手をベッドに拘束してからではないと、行為に及べないという変わり者なのだ。
 この趣味とは違う、性癖ではない、あるトラウマから逃げるために用いられる拘束という行為に、最初は人は耐えられると考える。だが、毎回絶対に拘束されているとだんだんと不安になるのだという。
 この人と恋人同士になることはないのだと。
 セックスという行為をしていても、成原からは愛情という何かを感じないのだ。まさに行為のみ。それが人を不安にさせ、別れとなるようだった。
 そんな成原に見初められたのが、真野だった。
 同じバーに通っていて、成原の噂を知っていた真野であるが、成原自身とは、どういうわけか三年ほど全く会うことがなかった。たまたまであるが、真野と成原の行動時間が噛み合わなかったらしい。
 そして成原に相手がいなくなってきた時、真野と鉢合わせた。
「これがいい」
 そう言ったのは成原だった。真野はいきなりこれ呼ばわりをされて驚いたのだが、成原が何を言っているのか知っていただけに、返事は二つしかなかった。
 オッケーかノーか。
 真野は成原にオッケーを出す前に、噂のことを確認した。
「拘束するって本当?」
 そんな真野に成原は頷き、その時に持っていた手提げカバンから手錠を取り出し、それを真野の腕にかけた。
 カチャリとかけられた真野は、腕を上げてから言った。
「とりあえず一回? やってみるか」
 拘束されるのは好きではないが、成原は拘束した相手に対して酷いことをしたなどの噂はついぞ聞かなかったことを思い出したのだ。大抵が愛してくれない相手では続かないという、振った人間の自分が不幸だという話だけだった。
 だから酷いことはされないなら、今日の相手は成原でいいかと真野は思ったのだ。
 だがそれが甘かった。
 拘束されることはそれほど怖くもなかった。成原との相性は抜群によく、今まで相手にしてきた人間は何だったんだと思えるほどに快楽を与えられた。
 成原は拘束している相手に対して、酷く快楽を与えたがる性格のようで、それが拘束しているということを帳消しにするほどなのだ。
 その関係は週一で会う関係となり、やがて成原は真野以外の誰かを抱くことがなくなっていった。
 ここ三ヶ月ほど、真野も成原以外の相手をしたことはない。
 こうして二人が収まるところに収まって、バーでは二人は恋人になったのだろうと噂されているらしいが、実はそんな甘い関係には陥ってなかった。
 好きだどころか、愛しているなども言われたことはない。
 ただ週に一回会って食事をしてセックスをして、その日のうちにホテルで別れる。
 真野が風呂に入っている間に、成原は毎回必ず料金だけ支払って先に帰ってしまうのだ。
 これでは甘い関係とは言わないだろう。
 真野も最初はそういう関係だと割り切っていたが、最近はホテルに一日泊まり、成原のおごりで朝食や昼食を食べてから帰るということを繰り返している。
 成原はそんな真野の行動も、許容範囲だったらしく、まるで拘束することへの謝罪のように金銭面で真野を困らせることはなかった。
 この辺は金が物をいう感じだ。

 成原がバスルームから出てくるのに合わせて、真野がペットボトルの水を置いて、バスルームに向かう。
 暑くなっているバスルームに入り、シャワーを浴び、成原が張ってくれた湯船のお湯に浸かって疲れを取る。
 持ってきていた自分で調合した入浴剤を垂らして入れて気分を沈める。
 一時間ほど入って出てくると、案の定、成原は帰った後だった。
 いつものようにテーブルに置いてあるメモを見る。
 そこには「朝食は頼んである。昼食は好きなものを好きなだけどうぞ」と書かれている。支払いはいわゆるツケというやつだ。このホテルも支配人が成原の知り合いで、融通が利くという理由で選ばれている。ホテルの従業員には、成原の恋人だと思われているようだった。
 それもそのはずで、半年という長い期間も成原と付き合ってられる人は真野が二人目だという。
 その一人目が問題だった。
 成原が行為中に拘束をするのには訳がある。

 成原知晃という男は、何処に出しても恥ずかしくない、成原一族でも優秀な人間だった。すべてにおいて順風満帆というのが一番しっくりくる。
 そんな彼には長年婚約者という人間がいた。
 一族が用意した幼なじみの女性だ。もちろん成原の一族だった。
 そんな彼女が、成原知晃と結婚する間際に浮気をして子供を宿したのである。
 結婚するまでは二人の関係は夫婦ではないといい、成原と距離を置いていた彼女は、成原を婚約者として認めておらず、結婚が近づいてきたところで、実力行使に出たのだ。
 その相手が悪かった。
 成原一族と遺恨にしている、別の一族の当主になる予定の人間だった。
 成原一族としては、彼女にそちらのとの婚姻を進め、その一族との繋がりを作る方が、成原と結婚させるよりも遙かに意義があることだった。
 一族を誇りに思い、一族の言われるままに宛がわれた相手と結婚することが正しいと思っていた成原の心は、ここでヒビが入った。
 成原は女を一切信用しなくなり、一族の人間も信用しなかった。
 ここで普通ながら泣き寝入りするのが普通の人間だが、成原は優秀過ぎる人間だったことがその後の成原一族を運命づけた。
 優秀だった成原は、その時、両親の死後で、当主になっていた。そしてそれを理由に一族の改革を行った。
 自分に逆らう人間はとことん貶め、一族を名乗ることができないようにした。もちろん、散々一族のためだと口にし、成原の行動を制限しておきながらも、彼女の擁護をした人間は、全員が一族の経営する会社から左遷させられ権限を取り上げられた。
 もちろん成原に反発するものが出てくるのだが、成原はそうした人間の黒い部分を持ち出して、身ぐるみを剥いだ上で全員を隠居に追い込んだのである。
 結果として、成原の婚約者の家は相手方の一族に寝返り、権力を盾に成原に立ち向かったのだが、成原はそれすら相手方一族ごと、政界に顔が利く人間を使い、追い詰めたのである。
 非常識な方法を使ったため、間男の親族は抵抗出来ず、結果二人を騒動を起こしたという理由で放逐させたのである。婚約者は間男と共に一般人の暮らしへと落とされた。企業一族という華やかな立場からの一般人では生活基盤が違う。
 さすがにやり過ぎなところだったが、元々肥え太った成原一族の一掃という結果になり、成原家は更に強固になった。元々腐敗しきっていた部分があり、部下や社員からは会社が改善されたと感謝すらされたほどである。
 経済では成原の一族の会社経営者一掃という改革が評価され、株価も上がった。腐敗しきっていた部分の排除は一般社会が望んでいた展開だったのだ。
 それは成原が優秀すぎる上の結果にすぎないのだが。
 成原の元婚約者の女性は、成原を嫌って間男と結婚しようとしていたというのに、一般人として生きる覚悟は毛頭なかった。
 最終的に成原に縋ってきたようだが、門前払いにされ、その後は間男との間に生まれた子供を置いて姿を消したという。居所を調査した結果、起業家の愛人に収まって悠々自適の生活を手に入れたらしい。
 人間の愛より、金を取ったのだろう。
 成原はそれで溜飲を下げた。
 彼女が愛は素晴らしいのだとほざいていた割に、結局金を取った彼女の浅ましさに、怒りが呆れに変わったのかもしれない。
 徹底的に自分を裏切った相手を貶め、復讐しきった成原は、一族で誰も口出しができない立場を手に入れた。
 今や、成原が成原一族そのもので、世間もそれを認め、他者の反論は封じられ、軽蔑されるのだ。

 ここまでが、真野が噂で聞いた成原という男が出来上がった経緯だ。
 その後の成原が元婚約者との出来事がトラウマになった。信用してきた一族から辱めを受けたというトラウマが、セックスという相手をある程度信用しなければできない行為に現れている。
 セックスをするということは相手が必要だ。
 だがそれすら信用できない。けれど性欲は止まらない。
 そうしたことから彼ができたことは、セックス中に相手の自由を奪うことだった。
 しかしそうした行為を受け入れられる人間はそうそういるわけではない。
 理解しがたいトラウマに、誰もがつきあえるわけではない。ましてそれは恋人のそれとは違うのだ。
 大抵の者は一ヶ月、たった三回四回で耐えられなくなる。
 真野はそれは仕方ないと思った。
 相手に期待をしていた分、信用されないことが悲しくなるのだ。
 一回や二回で信用されると思う方がどうかと思うが、誰もが付き合う前に話を聞いてはいても、最終的に付いていけなくなるという。
 真野はその辺が少し変わっていた。
 成原のトラウマに付き合っているうちに、成原がトラウマと戦わないうちは、ずっとこの関係を続けられるのではないだろうかと考えたのだ。
 縛られている間に危険がないことは、この半年で分かっていることだ。
 セックスをしても危険がなく、病気を持っていない相手というのは貴重だ。バーにくる人間でも時折危ない人間も存在している。ただでさえ相手になる人間を探すのに苦労しているのに、その中からも更に吟味しなければならなかった。
 よって、危険ではないと判断できる成原とできるなら、長く付き合っていきたいと真野は考えた。
 お互いが性欲を持てあましていて、週一の関係になるほどである。だからそんな都合のいい相手が見つかったのなら、手放す理由がない。
 プライベートには一切口出しはしない。余計ないことを聞いたり、聞き出されたりしない。ただ寝るだけ。それがどれだけ難しいのか真野は身をもって理解している。
「二の舞はごめんだ」
 あくまでセックスをしてその対価を受ける。
 金が絡んでいる方が、飽きられた後も後腐れなく済みそうだと真野は思っていた。