novel

spiralling-2

 何度も夢に見るようなことではないはずだ。
 そう何度も言い聞かせてみても、時々思い出すのは父親の血まみれの姿。復讐を終えて、敵を取ったことになるはずなのに、どうしても何か足りないと思うのだ。
 そんな気は一切なかったというのに、自分は自分で思っているよりも血を好むのだろうかと不安になってくる。
 そうしているとまた見るのだ。血に塗れた自分自身の姿を。


 けたたましいベルの音を耳にして、ハッと息を吐き、織部寧野(おりべ しずの)は目を開いた。自分が寝ていたのだと解るまでに、腕を上げていつものように体が勝手に目覚し時計を止める作業をする。チンッと鳴る音が止ると、一気に部屋の中の静けさが取り戻される。
 夢を見ていたはずだ。そう気付いたのだが、内容が思い出せない。毎回ではないが、とにかく不快だったという記憶しか残っておらず、気分を変えるつもりで深呼吸をして息を吐いた。
 冷えた空気が一気に喉を通り、一瞬で体が冷えたような気がして体が身震いをしてしまう。
 ぼんやりとしたまま、毎朝思うことを今日も変わらず思う。出たくない。布団から出たくない。人間なら誰しも冬の寒い日には一度は思ったことがあるような気持ちになってから、それじゃいつまで経っても出られないと思い直して一気に布団から起き上がる。
 時計を見ると目覚ましが鳴ってから約5分。寒い時期ならこれくらいは予想範囲であるので目覚ましはちゃんと五分だけ早めてある。それを確認してから、自分のベッドにある人物がいないことを確認する。
「今日からヨーロッパだっけ?」
 いつもなら隣で寝ているはずの恋人がいないことを再確認する。
 恋人の名は、宝生耀(ほうしょう あき)。職業、晴れて指定暴力団宝生組の若頭。はっきり言って人に自慢できる恋人の職種ではない。世の中の誰もが一番関わってはいけない人間の種類だと判断する。
 それ以上に恋人も寧野も両方が男であるという時点で、普通のレベルを超えている。だが寧野からすれば、恋人がヤクザである以上に、同姓で恋人同士などというのは、大したことにすらならない。
 付き合いだしたのはあの事件で一年遅れで大学生になった時。しかし出逢ったのはそれより三年前の高校生の時である。耀が高校に入学したまさにその入学式、その日寧野が壇上にてクラブ勧誘をしている時に耀に一目惚れをされ、すぐに告白までされた。正直言って、あれは当時は笑えない出来事であった。
 速攻で断って寧野は逃げた。ヤクザの息子、しかも東日本をしっかりと収める巨大な広域指定暴力団に指定されている宝生組の将来の組長になるべき人間だったからだ。
 寧野が逃げた理由が、寧野の父親が宝生組とは敵対する組関係の人間だったからだ。下手に接触をされるとやっかいなことになりかねないと、父親の寧樹(しずき)がよく言っていたので、寧樹の立場が悪くならないように寧野は逃げたのだ。
 しかしこの時すでに遅かった。たった数度の接触だけだったのに、寧樹の状況はとたんに悪くなり、上層部から追われる立場になった。そして寧野を守る為に寧樹は殺されてしまった。
 その時のことを寧野は朧気であるが覚えてはいる。ただ記憶が未だに曖昧で、その時に助けに駆けつけた耀の泣いている顔をよく覚えているくらいだ。
 だから夢ではっきりと見ていた寧樹の姿が本当にそうだったのかは解らない。そのせいで余計に混乱をして、不快な思いをしている。最近は不快だという印象だけで内容は忘れてしまうのだが、きっと自分で認めたくないような状況を見ているので忘れるのではと一人で分析している。
 そしてそういう夢を見るときは、決まって耀が隣にいない。
 刷り込みではないが、耀が居ると大丈夫であると学習してしまったことが未だに覆ることがないからだろう。強くなったつもりでも、その強さは耀に貰ったものであるから結局は同じなのかもしれない。
「それにしてもあの馬鹿、出かける時に起こせって言ったのに静かに出かけやがって。しかも目覚ましまで……」
 昨日、明日は仕事を休みにしたから送っていくと言ったのに、休みだという部分だけを聞き取って、人の躯を好き勝手にしていった。最後がどうなったのか解らないが、躯は綺麗にされてパジャマはきちんと着ている。悔しいが、こればかりは感謝することになってしまう。
 だが、シーツや汚れたタオルなどは一応洗濯機で自動に洗ってはいるだろうが、乾燥まではしていないだろう。そんな時間は耀にはなかったはずだ。
 寧野はベッドから這い出たところで、腰が痛いことに初めて気付いて息を詰めてゆっくりとベッドに座り直す。
「……本当に馬鹿か。手加減くらい覚えやがれ」
 いらないところの学習能力はあがるのに、こういうことの手加減というものを未だ覚える気配すらないのは、やはり甘やかしているから舐められているのだろうか。
 高校時代から身長は170センチを軽く超えて、大学を卒業するときには180センチになったと言って、その身長に合うようにしっかりとした躯体を作りあげていた。
 正直、あの外見を見ていると、寧野は高校から何も成長しなかった部分があるのでコンプレックスを刺激されてしまう。男として羨ましいと思う。頑丈な厚い胸板、筋肉がついて力強い腕、腹筋はしっかり割れていて、体型は逆三角形。鍛えすぎていないからオーダーメイドのスーツを着ると格好良い。馬子にも衣装だと言われる寧野とは大違いである。
 そしてあの顔だ。派手ではないが、一々パーツが綺麗で、それが見事に配置されているのを見ると、どうして神様は不公平なのかと真剣に考え込んでしまう。不適に笑う唇、すっと鼻梁が通って日本人にしては高く、瞳は常に鋭く光っているように見えた。躯付きやそうした顔のイメージから、寧野はずっとこれは黒豹だと思っている。
 猫のようにゆったりとした動きをしているが、見ている瞳が鋭く、笑っているように見える口から牙が見えそうだったからだ。それだけで豹だなと思い、彼が好んで黒い服を着るところを見てからは、黒豹だというイメージが抜けない。というか、迫ってくる時の耀の様子はまさにそれで、獲物を狙っているイメージを拭う必要が一切無いのが事実だ。その時の迫ってくる獣が醸し出す色香を伴う雰囲気に飲まれると、寧野は一切耀には抵抗が出来なくなる。それを耀は知っているかのように傲慢でほんの少しの優しさだけをみせる程度で激しく寧野を求めてくる。さすがに数年経てば飽きるだろうと思えば、昨日はそれ以上に激しくされたような気がする。 その姿が意外に好みであるが、寧野は恥ずかしすぎて一度も言ったことはない。
「それこそ、理性が切れるかもしれないから言えないんだけど……」
 本当にそうなったところを見たことはないが、テンションが上がっている時の耀は本気の抵抗すら簡単に封じてくるから、理性がなくなったらそれこそ暴走する獣そのものにしかなり得ない。
「それはちょっと怖いな」
 思わず口から漏れて寧野は溜息を漏らした。
 耀がいないと独り言が増えて仕方ない。
 喋っていると不安が治まる気がした。ましてあんな不快な夢を見た後で、明らかに寧樹の死因に関係したことを不意に思い出してしまうのが恐いから独り言が増えているのだろう。さっきから耀のことを鮮明に思い出しているのも、自分の心を安定させるためにしていることだ。
 だから時々不安が増す。
 もし耀の気が変わったり、今の状況を快く思わない人間から寧野が排除された時、今度こそ寧野は一人で立つのは無理だと思えた。あの時一人で立つことが出来たのは、たとえ二度と会えなくても、耀だけは自分の味方だと信じられたからだ。
 こうして不安になって考えても仕方ないことを考えるのは、そんな兆候が少しだけ見えてきたからだろうか。
 耀にはまだ言ってはいないが、寧野は宝生組本家から呼ばれている。本当なら耀に一言言っておくべきなのだろうが、どうしても言えなかった。 耀に頼って逃げるのは何か違う気がしたからかもしれない。今度こそ、耀の側にいる明確な理由を作りたかったのかもしれない。
 金糸雀(ジンスーチュエ)問題から、宝生組は寧野を自由に解放するわけにはいかなくなった。宝生組が寧野に金糸雀(ジンスーチュエ)としての素質がないことをはっきりと証明させて、チャイニーズマフィアである鵺(イエ)との関係を良好にしておきたいのだ。だから寧野になにもさせない。
 その力を使うような気を起こさせないまま、組に監視される生活ではあったが、耀のおかげでそれなりに楽しい時間は過ごせていたからそういうことは忘れていたのだ。
 寧野には金糸雀(ジンスーチュエ)の力がまだあるということ。元貉(ハオ)であって中心の一族であった新雪(シンシュエ)や高黒(ガオヘイ)にも金糸雀(ジンスーチュエ)に似ている弱い力があることは解っている。しかしそれとは格段に違う金糸雀(ジンスーチュエ)の存在能力が寧野の中に眠ったままなのだ。
 この能力を望むものは、この可能性を捨ててはくれない。だが寧野にその能力は皆無だった。
 確かに数字には強かったけれど、それは能力に頼らなくても強くなりたかったという結果が出ただけのことで、祖母や父親が出来ていた「見ただけでよく解らないながらも確実に金銭の入手が出来る最短の数字が解る」という高等な能力は寧野が強く要らないと思い、自分で暗示をかけたのか、幼い頃に一回だけまぐれがあったということしかない。
 寧野が強く必要ないと思っている限りその力は発揮されない。そうした精神に直結した強い気持ちはかなり大きな鍵となっているらしい。
 あれから五年経ち、寧野も25歳になった。
 耀は大学を卒業して、今は24歳になり、宝生組の若頭に出世させられた。幼い頃から組長になるべく育てられていた耀であるから、学生という期間が終われば当然組のためになるよう、それなりの立場が与えられる。いきなり組長にならないのは、今の組長代理の方が的確に組を動かせることから周りが納得した状態で組長になるべきだと思っている耀と一部の老院の思惑があるからだという。
 その思惑がある老院が、将来組長になる耀の恋人である立場の寧野を邪魔に思うのは当然の成り行きだ。今までは耀の我が儘だとか、若気の至りという理由から見逃せたことも組の後継者を作るという前提の前には、さっさと排除した方がいいという意見も多いのだろう。
 耀は組長代理とは立場が違う。
 寧野に金糸雀(ジンスーチュエ)としての能力が一切見られないと解れば、宝生組が寧野を匿う理由はなくなる。おまけに寧野は鵺(イエ)の関係者だ。内部に他の組織の関係者がいる状態は好ましくはないというのが最もらしい理由だろう。   
 一昨日、その関係者である蔡(ツァイ)から冗談めかした言葉でカナダにいかないかと誘われた。それと今の状況は関係があるのだろう。しかし耀が寧野の周りが動き出していることに気がついていない様子から、この出来事は耀の本心ではないのだなと少しだけホッと出来ることではある。
 だから寧野は耀の側に居るための明確な理由を本家の人間に納得させないといけない。そんな理由、一言だ。
「それで通るとは思わないけど」
 寧野は口に出して言ってから躯がなんとか動くようになったのでベッドから出てシャワーを浴び、それから乾燥機にシーツを入れて乾燥機を回すと着替えをして部屋を出た。
 部屋の外では、寧野が出てくるのを待っていたらしい組員が数名立っており、寧野は囲まれるようにしてマンションを後にした。



 車に揺られること一時間ほど経っただろうか、東京都から出てはいないというのに、周りが山ばかりになり、人が本当に住んでいるところがあるのかと疑うほど山奥に連れて行かれた。この時寧野は問答無用で山に埋められるのではないかと一瞬だけ疑った。
 それにさっきから組員が寧野の足を触っている。
 車に乗ったときに寧野を挟んで組員がドア側に両方いるのだが、左側に座っている人間の方が寧野に対して淫気をみせているのだ。たぶん寧野のことを耀の情夫だと思っているから自分よりは下にいる奴隷のように見ていて、そして男とセックスをする所謂ネコ側であるから、ある意味女性に対してみせる性欲が沸くのだろう。
 こういう視線や態度には慣れていた。寧野が耀と対等であると耀はいうけれど、周りはそんな評価をしてはくれない。組長代理の情夫だと言われている月時響(とき ひびき)は生まれやこの組とそして伝説である組の組長の隠し子だったという理由や、あの九十九朱明(つくも しゅめい)という今の任侠において危険な存在の隠れ家を壊滅的に破壊して一矢報いていることなどから組員から一時的にではあるが表側に来て欲しいと望まれた人とは違うのである。
 宝生組において、寧野は金糸雀(ジンスーチュエ)一族の末裔ではあるが、宝生組にとってはなんの価値もないものだ。おまけに金糸雀は奴隷の一族だった。金糸雀のことを知っている人間なら、寧野=金糸雀(ジンスーチュエ)=奴隷という三つが繋がるのではなく、寧野=奴隷というイコールで物を考えている。そして奴隷=情夫となるわけだ。解りやすく出来ている。
 その短絡思考で寧野を見る者の中には、実力行使に出ようとする者も多い。こういう輩は耀が寧野のことを本当はどうみているのかを知らないから出来ることだった。
 本気で耀が寧野に入れ込んでいるわけではないと言い聞かせて、そして何かあっても寧野が誘ったことに出来ると高をくくっている。
 寧野は理解しやすく身体を反対側の組員に寄せるという行為で、開けた側の組員から何かされているという立場を知らせる。下手に口に出して抵抗すると、こういう輩は変なところでプライドが高く、結局男であってもセックスをしてみたいと思っているくせに、誘われたからやってみたという自分からやりたかったわけではない態度を貫こうとする。
 そしてそれがバレると無理矢理やったとしても、誘われたと言い張る上に、バレたことで恥をかかされたと逆恨みをしてくるから始末が悪くなる。なので寧野が声を出さずに他の人に気付いて貰うのが一番手っ取り早く片付くのである。
「おい、余計なことをするな」
 寧野が右側に寄ったことですぐに何かあったと解った組員が舌打ちをして左側の男に忠告する。 
「……い、いや、おれは」
「いいから余計なことをするな。お前が何をしたいかじゃない。そんなことは俺のいないところでやれ。だが今はお前が何かしたことによって一緒にいる俺まで同じ目で見られるんだ。お前が自分を制御出来ないのなら、俺は実力行使でお前を止める。それで上層部から睨まれても俺は隠し事を一切しないでお前がしたことを報告した上でそれを辞めさせるためにしたと言う」
 さっきまで一言も話さなかった組員が一気に左側の組員を脅す。随分とはっきりきっぱりと言うところを見ると、左側の組員よりはこの組員の方が立場上は少しは上なのだろう。すっかりしょげてしまった左側の組員を見てればすぐに解る。
 確か、最初に玄関で出迎えられた時に、この組員だけ名乗った。
 名前は、椋井頼人(むくい よりひと)と言ったはず。
「椋井さん、ありがとうございます」
 助けて貰った上に、彼が居る間だけは寧野は本家につくまでの無事を保障されたようなものだったのでお礼を言った。  
「お前もお前だ。嫌なことだったら口に出して言え」
「はい」
 確かにその通りなので寧野は素直に返事をしていた。それに面を食らったのか、彼は舌打ちをして前を向いてしまった。
 これ以上困らせるつもりはなかったので寧野は一緒に前を向いた。
 それから暫くして少し開けた場所に道は広がった。山の中だというのに、まるで山を城壁にした城の町のようにそこは発展している。民家らしい家が立ち並んでいて、町の中にはコンビニもあったし、人の往来もある。
 どうやって暮らしているのか、ここから都内まで通うとなると通勤時間は二時間は軽くかかるはずだ。それを不思議に思っていると、椋井が説明をし出した。
「ここは宝生組の本家に関わる仕事している所謂一般人の集落だ。本来なら本家に留め置いておくべきだが、下請けまで全部を呼び込むには土地がなさ過ぎたらしい。それで集落を宝生組の本家に関わる仕事をさせる人間が少しでも快適に暮らせるように発展させたのが、今見ている集落だ」
 道は整備されていてずっと綺麗であったが、集落自体がすでに宝生組の私有地になるので国が作ったわけではないらしい。それにしても発展しすぎているような気がすると寧野が椋井を見るとまた説明をしてくれた。
「組員が素人に戻ろうとしても簡単に戻れるもんじゃない。大抵、出戻ってもっと悪くなるしか道がない。だが、宝生は町で暮らすような一般人には戻れなくても、田舎でのんびり家族と普通に暮らせる環境を集落に作って迎え入れている。ここには仕事はあるし、ヤクザとして直接組関係に属しているわけじゃないから、割合のんびり暮らせるらしい」
 椋井がそう言ったが、寧野は首を傾げた。
 そういう環境をヤクザが作っているのはおかしいことではないか。元々この土地に住んでいて、ここに関わって生きてきたという人たちならまだ解るが、ヤクザを抜けた人間まで受け入れるのは、宝生としてなんの利益にもなっていないような気がする。
 これはまるで、そう組員ではないが、純粋な組織として成り立っているように見えるのだ。組員なら抜けてしまえばそれで終わるだろうが、ここにいる人間こそ、宝生組が無くなったら絶対に生活していけない人たちになってしまう。ここでの生活が安定しているならなおさら、外の世界の厳しさを知らずにいることになる。
 これは貉(ハオ)がとっていた方法と同じ方式だ。道理で引っかかるはずだ。しかしこの中に居る人間たちは自分たちを自由だと思っているし、実際に制限はなさそうである。町へ行きたければ行けばいいし、行きたくないからこそここに住んでいる訳で、これについて寧野が批判をする権利はない。
 しかし宝生がなんのメリットもなく、こんなことをしているとは思えないので何かしらのメリットが存在するのだろう。例えば、本家維持の為の人員確保のためだけではなさそうだ。
 そこまで考えて、考えるのをやめた。
 本家そのものの存在意義を知らないままでは、ここの存在も解らないままだ。その本家は一体何のために存在するのか。
 またそれを簡単に破棄には出来ない理由が存在している気がしている。それに耀が本家の人間と深く関わっているように見えるのも気になるところだった。
 本家の人間が直接宝生組に何か出来るような時代は終わっていると言われているのだが、耀は直接組に口出しをしないのであれば、廃止しなくてもいいと思っているところがあるようだった。
 そこに居る誰かが耀にとって必要な人だったということだろうか。
 そういえばと寧野は思い出す。
 始終、耀の携帯にかかってくる耀が「じじい」と呼ぶ人も確か老院の人だと言っていた。耀が生まれた時からずっと老院にいる人物らしいが、耀は口では「じじい」と憎らしげに言っているが、信頼はしているようだった。けれど本家の体制は嫌っていた。だからこそ、呼び出されても耀の承諾無く近づくなとも言われていた。
 組長代理には本家は厳しく、耀はそのことで本家を全面的に仕切り変えていった。
 変えたというのにまだ関わるなと言わせるほど本家は駄目なところなのか? しかしここで立ち向かわなくて逃げ出せば、本家に背を向けたと思われ、耀を頼れば、所詮その程度と思われる。耀と対等になりたい。そう願って一緒にいることを望んでいるというのに、耀が寧野を組み関係の場所に入れたがらない。
 一般人よりはヤクザというものを解っている寧野ではあっても、宝生組に入るということは下積みからやるということになる。もちろん、他の組員よりは優遇はされるだろうが、今までとは確実に違うことになる。
 耀は寧野を部下にしたいわけではないのだという。
 けれど、組に関係しない立場で、耀を守ることが出来るとは到底思えない。寧野はない頭を使って色々考えたが、かなり難しいことなのだ。
 あまり考えすぎるなと、普段なら一緒にいてくれる九猪(くい)は言ってくれたけれど、寧野が耀と対等にいられるような立場を作らなければ、これから先、耀と歩いて行くのは難しい。
 すでに一般人としての道も外しはじめている以上、あの月時響(とき ひびき)のように関係ないふりをしながら、それでも組の一番深いところに関係しているなんて器用な真似は寧野には出来ない。
 同じになんてなりたいとも思わないが、何かになれている人には憧れる。寧野にはその何かさえないからだ。
 そんなことを考えている間に、車は坂道を上がりきって、大きな門をくぐる。事前に知らせが通っていたのか、守衛らしい人間が中を見ただけで簡単に通している。広い道を抜けると大きな駐車場に辿り着く。
「ここから歩きだ」
 椋井が先に降りて寧野に降りるように促す。車を降りると、少し百メートルほど離れた玄関まで歩く。周りには警備をしている人間が目立つところを歩いていて、警戒している。
 雰囲気は今まで見たことがないような場所で、自然と緊張が走る。
 小さなアパートほどの大きさの玄関に入ると、まるで旅館のような廊下がまっすぐ走っている。緊張しながら椋井を見ると、彼は言った。
「ここから先は、そこにいる男が案内をしてくれるそうだ」
 椋井がそう言うと、玄関に男性が現れた。さっきまでは玄関に誰もいなかったのだが、どうやら中には門から連絡が行っていたらしい。
「あの、ありがとうございました」
 椋井たちがさっさと玄関から出て行こうとしていたので寧野が礼を言うと、椋井は少しだけ驚いた顔をしていたが、最後は笑っていた。
 それを見送ってから中を振り返ると、自分と同じくらいの年齢の男性がどうぞと手を出しだしてきた。
「初めまして、私はこの屋敷の案内人、犹塚智明(いづか ともあき)と申します」
 犹塚と名乗った男性はにこりと笑って寧野を案内をする。案内人が必要なほど屋敷が広いのかと思っていたが、それは想像以上に広い場所だった。
 そこで説明を受けたのだが、老院は現在五人いて、それぞれが屋敷の四方に散って暮らしている。各老院の人間は各が自由に行動をしていてお互いに干渉はしない生活をしている。
 大体の老院はここからあまり出かけずに、部屋の中で趣味をこなしているような老後を送る生活をしているが、老院の人間が元々何処かの組の組長などをしていた経験があり、その情報網を使って情報収集をしているような人間もいる。
 しかしそれを使って宝生組を動かすことは御法度とされる。如何に老院であろうとも今は昔のように好き勝手出来る時代ではなく、老院という立場を解雇もされる。
 老院は宝生組の組長を育成する機関であり、その為に持っている知識を次代の組長を育成する為に役立てることを約束されている。その代償として老院として組長に意見する権利も与えられていたのだが、その機能が途中でおかしくなり、組長を自由に操れる機関と変化していき、先代組長時代に完全に組長を決める機関になってしまった。そして自分が育てた後継者を組長にして宝生組を自由に操れるようにしてしまった。
 耀の父親、榊が死亡した後、血縁を優先するなら楸(ひさぎ)が妾の子であろうが組長として立て、もり立てるべきだったのだが、楸が本家に関わらずに過ごしたというそれだけの理由で、耀が跡目であり楸はそれまでの代理でしかないという奇妙な構図が出来てしまった。
 今時、直系を優先させる組など滅多になく、宝生ほどの大きさの組織が直系を優先させることで組が割れるようなことになる危険性があったはずである。
 しかし宝生が直系を優先させてこられたのは、組長になった人間にハズレがなかったことや老院がきちんと機能していた結果からである。だが耀を優先させるようなことを実行し、それに楸が同意したことで、今それがおかしくなってきている。
 楸が代理であることで最初は宝生も終わりかと思われたが、何も教育すらされていない楸が時代に合った組長代理として成り立ってしまった為に、直系の重要さを今の時代の人たちは昔ほど重要としなくなった。
 それが解っていたはずなのに耀を若頭として立てたのは、楸が育てたからという少しの期待があるからだろう。
 その期待に応えるべく耀が努力してきたことを寧野は一部であるが知っている。そしてその結果、耀を支持してくる人間も増えているはずだ。
「ここを取り仕切っているのは私の父ですが、全ての決め事に関する決定権は耀様にあります」
 組長を決める機関であるはずの場所を組長の跡目である耀に決定権があるのは少しだけ妙ではある。それについて疑問があるという顔を向けると犹塚は頷いて説明を続けた。
「老院は、確かに組長を育てる機関ですが、立場上組長の下部組織になります。つまり、跡目である耀様の下部組織になるのです。現在、宝生の組長は組長代理で、組長というトップがいない状態ですが、跡目である耀様が組長であるというのが一応の決まりです。それ故、本家のことは耀様に決定権があるという流れになります」
「本家からすれば耀が組長になるべきだと言った手前、耀が本家を取り締まらなければ、宝生組の方が本家を切り離してしまうかもしれないと?」
 寧野は率直に思ったことを返していた。だが犹塚か気を悪くしたところかクスリと笑って頷いている。
「まさにその通りです」
 その奇妙な構造を作り替え、無効にしていくまでに15年はかかったわけだ。
「耀様は本当に素晴らしい方です」
 犹塚はそれは嬉しそうに言う。犹塚という人間がどういう人間なのかは解らないが、耀という人間が育っていくところを見ていた人間が言うことだから妄信でもないだろう。
 だからこそ不安は増していく。その素晴らしいという耀をこの人たちはどうしても手放せないだろうから。
 段々と現実味を帯びてくる。この人たちは寧野を必要とはしていない。まだ寧野が女性だったら寛容は出来たかもしれないが、男である以上、宝生組の構成員でもないかぎり利用価値はないと考えるのが普通だろう。
 どうしよう。覚悟をしていたとはいえ、この時が来たと解ると動揺は隠せない。
 寧野が一気に緊張していくのを眺めていた犹塚は先を歩いて寧野を老院の間に案内をした。
 老院の間は、老院達が唯一集う場所で、宝生組組長などが訪れた時に使用される場所でもある。公に知られている場所でもあって、現在ではほとんど使用はされない。会議などがある場合、毎回部屋を変えて行っているのは、昔場所を特定され、外から狙われた経験がある為である。その為、本家に立ち寄る客人を迎えるのに使ったりもしていた。
 織部寧野は一応は、宝生組若頭宝生耀の大事な人である。耀が寧野にどんな感情を持っているのかは別として、粗雑に扱ったとすれば、それは耀を軽んじていると見られても仕方ない。組長級とはいかなくてもそれ相当の扱いをしなければならない。
 その為に呼ばれる場所は老院の間となったわけだ。
 屋敷の中の廊下を進むと庭が見える廊下へと出た。大きな庭には池があり、その池には小さな滝まである。石を組み上げた上に植木まであるので小さな山のようになっている。その池の周りを砂利道が通り、外壁の近くにもツツジなどが植えられていて、花が咲く頃はかなり華やかな庭になりそうな風景だった。その庭には掃除をしている人間が二三人居たが、寧野達が見えたのと同時に人払いをしたように、大きな池に気を取られている間に居なくなってしまった。
(凄く、軍隊的に規律があるみたいだ)
 掃除をするような下請けまでただ者ではないということなのか。
 呆気にとられながらも犹塚の後をついていくと、やっと犹塚の脚が止る。すっと障子を開けて中を覗くと、犹塚は寧野に中に入るように言った。
「お待たせしました。寧野様が到着です」
 中の人間にそう声をかけて、寧野一人で中に入るように進めた。中には二人の老人が座っていた。
「入りなさい」 
 白髪になった口髭を伸ばして、まるで仙人のような様相の老人がそう言った。
「失礼します」
 寧野は頭を下げてから部屋の中に入った。外の静けさと屋敷内の騒音がまったくしない状況で、宝生組のトップ幹部にあたる老院の人間二人と向き合っているという状況は、はっきり言って心臓に悪い。
 だが意外にさっきまでの緊張がなくなり、肝が据わってくる。これは覚悟が出来ているからということではなく、切羽詰まってくると妙に冷静になる瞬間がある性格のせいだろう。
 黙ったままでいたのは、体感では長かったが時間にしておよそ一分くらいだった。その間に慌てた様子だった寧野の様子が、座った瞬間からどんどん落ち着いていくのを老人達は眺めていた。
 その中の一人がさてと呟いた。
「儂は、老院の一人、志智達耶(しち たつや)という」
 志智と名乗った老人は正座をしたままで軽く会釈をし、沈黙を破った。それに合わせて寧野も会釈をした。
「それから、こちらは音羽阿門(おとわ あもん)」
 紹介された頭は綺麗に禿げてしまって髪の毛は残っていないスキンヘッド、恰幅はよく、ニコニコと笑っているが眼光は鋭いのは見逃せなかった。見た目通りのいいおじいさんだと油断していると危ないタイプだった。
 しかしそれ以上に怪しさを隠し切れてないのが志智の方だった。
 音羽のような鋭い視線というわけでもなく、見た目も普通の老人。至って普通すぎるから余計に油断してしまう。だが、側に据わっているだけなのだがそれでもこの人から感じるのは、偏に恐怖と言えよう。
 穏やかな老人から立ち上る恐怖のオーラを感じるからなのか、余計に混乱をしてしまいそうだった。もし何も訓練せずに精神統一ができない人間なら、絶対に何かがおかしいと思うのだが、何がおかしいのか解らない気味の悪い違和感を味わいながら過ごす羽目になっただろう。
 それくらいに不気味だったが、同時に寧野は納得した。
 よく耀が口に出す老院の一人に妖怪変化のじじいと耀からはっきりと言われている人がいる。耀が産まれた時にはすでに老院として本家に居た人物で、耀はこの人物とは年齢相応の口喧嘩をしてしまうという。それが周りには祖父のいない耀には祖父のように思えているのではないかと言われているが本人達は気持ち悪いと言って否定するらしい。
 しかしあの耀がその人だけは信用しているのは明らかだった。
 ここを基本的に仕切っているのは犹塚(いづか)と呼ばれる人たちであるのだが、犹塚以上に耀が気を遣っているのがそのじじいと呼ばれる人間なのだ。  そのじじいが目の前にいる。志智というのが名前らしいが、一度も耀の口から志智という名を聞いたことはない。重要すぎて口に出せないのか、それとも耀が名前を呼ぶ気がさらさら無いのか。どっちにしても名前を口にしたくない理由がありそうだったから理由すら聞けなかった。
 だが理由は一目会ってみれば一目瞭然だ。
 この人を言葉で説明するのは非常に難しく、体感しなければ解って貰えないからだ。そして一言で言おうとすると妖怪変化であろう。見る度に奇妙だと気持ち悪いと不快感とよく解らない信頼もある。まさに変幻自在の妖怪じじいだ。
 そんな怪しい人物が、寧野相手に下手に出てきているのだ。
 嫌な予感しかしないのは当然だ。
 それは仕方ない。いくら冷静になっているとはいえ、一生に一度出逢うか、もしくは出逢わずに済むような人なのだ。
 散々、耀の側にいて、耀の義理の父親に当たる叔父の楸を見ても、それなりに覚悟はしていたし、耀に似ているからむしろリラックスしていたので自分の予想を超える化け物クラスにはまだお目にかかったことはないのだが、あの耀にして妖怪変化と言わしめるだけのことはあるというわけだ。
「此度、お呼び立てした用件なのだが」
 志智がそう切り出してきたので寧野はふと身構えた。
 寧野が老院から呼ばれることなど一つしかない。それをとうとう告げられるのだ。