novel

spiralling-7

 寧野たちがそういう話をする二日後になる。
宝生耀がドイツから帰国し、さっそくマンションに戻った。まず自分の部屋で着替え、必要ない荷物を置いてから寧野の部屋に行く。これは日課になっている行動で、すでに習慣化して二年ほど経つ。きっかけは寧野からの一言だった。
「耀、その書類とかパソコンとか、そういうのをこっちの部屋に持ち込むな。目障り」
 そう寧野が言ったのは、ちょうどクリスマス前に大忙しだった取引のことで目の前で電話をしていた時だった。電話を切ったとたん寧野にそう言われ、耀はふと考えて、寧野といる前でまで仕事をするのなら、一緒にいる意味はないと言われたような気がして、それからは気をつけていた。
 実際問題として寧野が気にしていたのは、その書類にうっかり目を通してしまって、何かの時に犬束(いぬつか)に問われて、うっかり答えてしまうのが嫌なのだろうかと思ったくらいだった。
 それからは一度も寧野の部屋にそうしたものを持ち込んではいない。だから本当のところは解らない。
 寧野が気にするようなことは一切ないし、見られて困るような書類はそもそも持ち込んでいない。むしろあれは見てもらった方がこちらとしては都合がよくなる結果を生む予定だった。しかし持っているところを見られた瞬間、目の前でドアが閉じられ部屋に入れて貰えなかった。頑なに拒む理由を問い質す間もなく、そうやって遊んでいられる時間が少なくなっていった。
 耀が寧野の部屋に頻繁に通わなくなったとたん、犬束も訪ねてはこなくなったので、寧野としてはやっと解放されたらしく、一人の時間を楽しんでいるようにみえた。
 決して甘えてはこないが、何か言いたそうな目をしていることが多くなったのは、ここ最近のことだ。耀が疲れている時は、寧野は必ず甘えるような素振りをする。無理に身体を繋ぐことはしないけれど、一緒に寝ることも増えた。
 前はベッドに入れば耀が押し倒してばかりいたから、ベッドでゆっくりとしたことはほとんど記憶にないくらいだった。そうした時間が増えて落ち着いたら、また耀が忙しくなった。
 大学を出てから余裕はなかった。それを寧野は知っていて、休暇はちゃんと休暇として取るようにしてくれていたのだと気付いたのは、恥ずかしながら一年経ってからだった。若頭としてやれることをやってきて、周りがなんとか認めてくれるようになったから余裕が出たのだろうが、寧野はずっとそれを支えてきたことになる。
 基本的に耀が他人に弱みを見せることはない。実の叔父である組長代理には昔泣き言を言ったものだが、それからの決意が本物である以上、本気で向き合わなければならないことだった。そうした時、足を引っ張ることになるのではないかと言われていた寧野は、本当によく耐えていた。
 何にと言われると、一人でいることにだ。
 大学時代までは犬束なども頻繁に来ていたが、それも向こうも本格的に黒社会の龍頭(ルンタウ)になり、そうそう身体が空くような立場ではなくなると、寧野の周りにはボディガードである櫂谷や香椎くらいしか知り合いはいなくなった。その櫂谷や香椎も実家に何度も呼び戻されていて、ここ最近は寧野は会社と自宅を行き来しているだけだった。
 寧野は親しくない人間のガードは恐いらしく、休日も出歩くこともなくなっていき、ガードが楽だと新人ボディガードが言っていた。
 外が恐くなったのかと思っていたが、どうやら密かに何か勉強をしているらしい。それが何なのか教えてはくれなかったが、たまたま見た時は「武術について」という教本だった。どうやらその年に亡くなった榧希(かや のぞむ)の後を引き継いだ響の手伝いをしているらしく、会社が終わった後、少しだけ顔を出しているようだった。
 その時からだろうか、明確に寧野が何かを企んでいるような気がした。
 それが何なのか解らないし、寧野はそうした素振りをしたわけではない。
 勉強だって今の仕事に役立てるためにしているものだったし、実際取ってなかった資格を取っていただけのようだった。武術に関しての本が増えたのも、響の手伝いをしているからという理由がちゃんとある。
 それなのに、耀には寧野がそれ以上の何かの目的があって行動しているように見えたのである。
 言い訳ではないが、最近の寧野が何を考えているのか耀には解らなかった。
 考え方の違いなのか、耀が余裕がなさ過ぎて変わっていく寧野を見ているのが辛くなったのか。それよりこれが寧野が耀の側を離れるために準備として知識をつけているのではないかという不安が一番大きくあった。
 だから執拗に寧野の行動を制限するようなことをしたが、寧野は抵抗するわけでもなく、制限された中で新たに何かを見つけては知識をつけていた。
 ある日のこと。寧野が書道をしていて、それを耀が見ていたことがあった。
 暫くやってないので仕事で筆ペンを持ったら思った以上に書けなかったと言って練習はしておくべきだとやっていたことは知っている。
 なのに、それさえも耀にとっては恐怖の材料だった。
 寧野にそんな気が無いのは見て解っているのに、そう考える自分がかなり不安定で追い詰められていることに初めて気付いた。
 一緒にいれば、組長代理や響のような関係でいられると思っていた。けれど、寧野は響とは違った生き方をする。響は自分がしたいこと以外はしようとはしなかった。けれど寧野は必要になるかもしれないと考えて余計に知識をつける。
 だから不安に拍車がかかる。響だったら絶対に自分たちを裏切らないという保障が当然のようにあった。それは長年そうしてきたから解ることだった。
 寧野とは約6年ほど一緒にいる。こういうと結構長く続いている関係なのだと思うが、そこに利権関係がないとはいえなかった。宝生組にとって寧野は安全装置で、それを取り外せば当然爆発する。
 邪険に扱うことが出来ないし、とりわけ耀には十分注意するよう言われていた。下手な恋愛ごとで寧野の機嫌を損ねて全滅したいのかと。
 全滅などあり得ないが、組織が壊滅寸前まできっと持って行かれるだろう。
 寧野がそう望んでいるから預けたと言い切る、鵺(イエ)の龍頭(ルンタウ)。正直冗談ではない。
 これは寧野が関係ないと言える問題でも、公然の秘密であっても、鵺の龍頭がそう言っているのだから、そういうものであるというのが黒社会の常識にあるだけのことだ。
 宝生組の若頭、宝生耀の情人である織部寧野は鵺の龍頭の直系であるということは。
 けれど寧野と耀の間にあるのは、ただの恋だ。
 そこには他の要因なんて何もないはずだった。
 それが寧野の知らないところで、話が大きくなり、皆は寧野に消えてほしいのに、鵺(イエ)との特別な関係が手放せないときている。そのくせ、寧野が我が儘を言ったのでそれをかなえてやっているという態度でいる。利害関係が一致したからそうしているなら、双方が対等なはずなのにだ。その見える悪意と打算が気持ち悪い。けれど断ち切れない。
 響の時のように終わったことだからと終わらせられない。
 伝説のヤクザといわれた神宮領(しんぐり)はどこにもない。響がその隠し子であることが解ったのが約30年も経ってからだったから、それはそこで終わっていた話だった。
 でも寧野は違った。鵺は繁栄を続けている化け物のような巨大な組織だ。成長を続ける組織は、いつ何時内部抗争が起こるのか解らない。その所謂きっかけになるかもしれないのが織部寧野だ。だから寧野の立場は非常に微妙だった。
 宝生組にいる限り、鵺としては手を出してくる気はないとしていて、そこから出たらどうなるか解らないと安易に言うのだ。
 これは鵺(イエ)からの脅しである。寧野を放り出せば鵺もその命の保証は出来ないが、もし死んだことが解った場合、放り出した宝生組に責任があると言っているのだ。
 こうした脅しを幹部はよしとしない。元々耀が引き込んだようなものだったから、若頭の立場上、どうするかはっきりするようにと耳にたこができるほど言われている。
 耀と一緒にいると扱いが雑になるので、他の誰かが代理で預かるという案もあったが、それはきっと「耀が放り出した」という理由になり、結果宝生組も打撃を受けると組長代理は言う。その通りだった。
 寧野は内部のスパイではないが、そういう立場のようなものだった。
 そこへきて、寧野の意志をはっきりさせておけと組長代理から言われた。宝生組に付くのか、鵺に義理立てするのか、窮地に立った時どちらを選ぶのか決めておけと。
 鵺に義理立てをすれば、当然、宝生組の組長代理は寧野を生かしてはおかないだろう。例えそれが義理の息子の恋人であろうとも、あの人は平気でやるだろ。息子の恋人一人と数万からなる構成員のどちらかを取るかと言われたら組長代理が取るのは当然構成員になるのは当たり前のことだ。そうなった場合、組長代理は庇い立ては出来ないと釘を刺してきたわけだ。
 その前に、耀は寧野に聞きたいことがあった。
 一体何を企んでいるのか。それに尽きる。
 寧野が裏切ると言うのなら、組長代理がなんと言おうとも耀はその場で寧野の息の根を止めようとするだろう。
 殺してしまったら鵺からの報復が、などという誰もが心配するような些細なことは気にならない。
 あの存在を例え血の繋がりが強いといわれる直系同士であろうが、耀はそんな粗末な繋がりごときに寧野を奪われるくらいなら、いっそ殺した方が楽だった。
 きっと後で悔やむだろうが、そんな解りきった愁傷な気分を味わってでも寧野が自分のモノであることを示したかった。何より寧野が生きていて他の誰かのモノになったところを見る羽目になるなら、いっそのことと思う決心は揺らがない。
 その為には一言。それを言わなければならない時期だった。
 だが、そこまで考えて寧野の部屋に行ったのだが、玄関を入ったところで気付いた。ボディガードが一人もいない。
 それが解った瞬間、体中の血が下がっていくのが解った。
 玄関の電気を付け、まず寝室から寧野の姿を探していく。だがそこは綺麗に整頓されていて、今夜は使った様子はなかった。リビングに行くと、新聞だけは取り入れていたのか二日分の新聞がテーブルに載せられている。
 普段の寧野は新聞を読む方で、こういう風に郵便受けに入っていたままテーブルに置いておくことはない。だからこれは新人のボディガードが寧野が居るようにみせるために入れておいただけだ。
 瞬時に踵を返し、この階にあるボディガードが住んでいる部屋に行った。
 チャイムを鳴らしてドアの鍵を開ける音がするのと同時にドアノブを回し、ドアが少し開いたところで足蹴にしてドアを開けた。鉄製のドアが鈍い音を立てて勢いよく開き、ドアを開けようとしていた構成員がドアに顔をぶつけ、余りの痛さに大きな悲鳴を上げて転がっていた。
「ちくしょー! 誰だ!?」
 殴り込みかと思ったらしい男がそう言ったが、耀はその男の顔を靴のままで踏んづけていた。浮いていた頭が完全に床に打ち付けられて家中に聞こえるほどの音を立てる。
「よう、新人ボディガード。寧野を何処へくれてやった?」
 耀以外を誤魔化す為の小細工までしている様子から、ただ寧野を追い出したり殺したりしたわけではないことは解った。もし殺したりしていたとしたら、ボディガードがこんなところでのんびりしているわけがない。
 逃げずにいるということは、寧野は一時的に何かの用事で連れ出されたということになる。
 そうなると寧野は、耀がドイツへ行く日には裏で誰かと約束をしていたということだ。つまり、耀に言う時間はあったのに言わなかったのだ。その事実に気づいて耀はさらに怒りを増した。
 普段、冷静である耀は、いつでも冷静であるべきだと教わってきた。だからこの時も一応は足蹴にした組員を踏みながらでも、こうして寧野がどこへ行ったのかを考えていた。
 構成員でボディガードを踏んでいるのは、ただの八つ当たりだ。一瞬でも我を忘れて行動をしてしまったことへのだ。
 ドアを開けた段階で、寧野の生命の無事は確認できていたのに、ボディガードを踏むまで冷静になれなかった。
 そうして耀が冷静になっていく中、静かな恐怖を味わっていたのがボディガードである男だ。だがそこでもう一人のボディガードがいないことに耀は気づいた。
 この騒ぎの中、玄関に出てこないところを見ると、出てきたら終わりであることを悟っているのか。それとも逃げ出すきっかけを失っているだけなのか。
 もう一人がここにいることは、玄関にある靴を見ればわかる。革靴が二つ。
 それにもしボディガードが逃げていれば、一時間もしないうちに別の人間から報告が上がってきている。それがないのだから、何か思惑があって残っていたか、ただそうするように言われていないかっただけなのか。
 とりあえず、玄関に不用意に現れたこの踏んでいる男は問題はない。中にいる方が何か考えている。
 踏んでいた男を殴って気絶させてから、耀はわざと音を立ててリビングのドアを開けた。すると一人の男がこっちを向いて立っていた。ただ抵抗する気はないようで手を上げていた。
「どういうつもりだ?」
 抵抗する気が無いと示されても、だったら何故ここに残っていたと問われたのを感じた男は、そのままの状態で話し出す。
「実は、うちの実家は音羽老院が元会長をしていたところで、これが頼まれ事をしたらそう簡単には断れないんですよ」
 そういう男は、確か秋守会(あきもり)会会長の次男、椋井頼人(むくい よりと)だった。
 秋守会の会長は、仲の悪い長男と次男がいずれ跡目を争って戦争をするのではないかと不安になり、次男の方を宝生組に預けていた。
 宝生組は基本、他の組の幹部構成で成り立っている。だが、それでは他の組が結託して宝生本家を排除出来るということになる為、その予防策として各組で問題とされる兄弟同士の跡目ではない家族を本人の希望に則って、宝生組の特殊部隊のような立場に置いて教育をしていく。
 人によっては、ただの厄介払いとみる人間が多いのだが、以外に厄介払いされた方の人間は、そこで教育されていくうちに、組長や幹部というただの飾りのような存在になりたいと思わなくなる。それもそのはずで、自分に命令を下せるのは、宝生組本体の若頭と組長代理だけだからだ。
 本来なら自分の組で精々幹部扱い程度で終わり、よくて自分の組を持たせて貰っても、宝生組という本体によって、その組長よりも権限がある宝生組組長がトップであることを思い知らされるだけなのだ。それで宝生組幹部になったとしても、そこは足の引っ張り合いと虚栄だらけの世界。
 どうせ宝生組に従うとしても、トップは一人でいいと思うのが人の性だ。一人くらいなら頭を下げてもいいと妥協出来るなら、宝生組本体にいた方が色々楽で、さらにそこで活躍なんぞすれば、もし自分を追い出した本家に何かあった場合、跡取りとして呼び戻されて組長になることも出来る。憎んでいた相手を出し抜くことだって出来る。
 そうして本家から組に戻り組長になって宝生組内で大出世した人間が組長代理時代から増えていた。厄介払いをしたつもりが、逆に乗っ取られる羽目になったというのが普通の見方である。
 だが、誰もそれに気がつかないどころか、むしろ駄目な息子をきちんと跡目にしてもらったと喜んでいるくらいである。そうしたことをやってきた結果、宝生組は他の組とは違う、強固な組長を頂点とする組織として異例の形で現存している。
 その形態も老院という存在は無視出来ない。それもそのはずで、老院の中でも特殊な立場にいる老院もいたからだ。椋井が言うように音羽は50代で老院入りし、耀の教育を手伝ってきた一人だ。その教育の為に彼は組長を早々に引退している。だから宝生組は彼を一応優遇しておかないといけなかった。
 老院において人を入れ替えていく上で、絶対に動かしてはいけない老院が二人いた。一人が耀がじじいと呼ぶ志智で、もう一人が音羽だった。
 この二人、普段は大人しく発言はあまりしなかったが、実際は裏では権力を欲しいままにしていた。だがその権力を自分のために使ったりはせず、耀の利益に繋げるために使っていたので、問題は一切なかった。
 大抵の人間、一度は老院の権力というものを目の当たりにすると自由に使えるものだと思い込んでしまう。だがそれが罠である。それを使ったが為に、老院としての価値なしとされたものも多かった。
 組長を引退して老院にきたのは組長を育てるためである。という本来の目的を忘れた老院がその後どうなったかは、言わずもがな。
 そうした中で平然と30年以上生きてきた老人たちが何か企んだとすれば、それは耀の為にしていることになる。
 寧野を連れて行ったということは、寧野が邪魔になったか、利用価値を見出したかのどれか。
 椋井に音羽が影にいると聞いただけで、もうボディガードには用はない。だが耀は椋井を見て言っていた。
「早々に音羽のことをバラしてしまっては、音羽も随分舐められたものだな」
 嫌みっぽく言うと、椋井はムッとして言い返してきた。
「俺は、会長がそうしろというならそれに従ってきた。だが、それは今の会長に惚れていたからしたこと。俺は音羽に義理なんてない。庇ってやる気もさらさら無い。むしろ庇い立てる方が会長のためにならない。そう考えた」
 意外に信念があっての行動らしい。
 だがそれは今は関係ない。
 音羽が何かを企んで一人で行動しているとは思えない。しかしこの場において、堂々と自分の考えを述べられるような人材は貴重である。
「そういう考え方も悪くはないな」
 耀はそう呟くと、椋井は意外そうな顔をして言った。
「そういう考えって。若頭、あんたこそ、組長代理のことをそういう風に見ているんじゃないのか俺にはそう見えるんだが」
 そんな言葉が返ってきて、耀は少しだけ驚いたように目を見開く。
 端からみたらそういう風に見えているのだと言われたら、本質は違ったとしてもそれが困ったことではなく、自分に有利に働くなら大人しく黙っていればいい。そう組長代理が言っていた。それを思い出した。
 若頭が組長代理を尊敬していて、それに従っているのは当たり前のことで、それがより一層よく見えるような状況は、むしろ歓迎をすべきだった。
 そんな当たり前のことを指摘されて、一瞬でも驚いてしまったのは、さっき落ち着いたつもりだったが、実際はまだ動揺したままだということになる。
「とりあえず、その男はどうにかした方がいいですよ。寧野さんが何も出来ないことを知っていて、ボディガードの使命を忘れて手を出そうとしていましたから」
 にっこりとして言われて、耀はしまったと舌打ちをした。
「落としておくんじゃなかったな」
 もう少し痛めつけてからにすればよかったと一瞬後悔したが、溜息をついてから携帯電話を取りだした。
「休んでいるところ悪いな。後始末を頼みたい」
 同じマンション内の一階下にいる億伎を呼び出して、落ちているボディガードをこのマンションから追い出して貰う。
 こういう粗悪な構成員も多いのは仕方ない。組は軍隊ではないし、人の目的も様々だ。自分より下を見ると暴力を奮いたくなるような輩がいるのが世間一般にヤクザと言われる組織だ。その例に漏れない人間がいたからと言って失望することはない。そうやって選別をして見分けていくもトップに立つ人間がしなければならないことだ。
 だがこういう輩を送り込んでくるのは、他の幹部の思惑もあってのことだ。
 確かと思い出す。その間に一分もかからず億伎がやってくる。
「耀さん。どうかしましたか」
 億伎はまず玄関を開けっ放しな上、その先を見ると耀の無事は解るが、転がっている構成員を見て何事だと焦ったのだ。
 億伎正務(おき まさつか)は、今でも耀のボディガードをしている。最近は若い人間にもやらせているが、重要な時は自分がいかなけれならないと思っている。耀の祖父である宝生組の先代組長に義理があるからではなく、ただ単純に幼い耀が必死に立って頑張ってきた時から守ってきたから、そうしなければならないという使命のようなものになっていた。しかし体力的な問題もあり、九猪に習って頭も使うようにはなった。なのでマンション内では、他の人間に耀たちの部屋周りを任せていた。それが裏目に出たかと焦ったらしい。
 しかし耀は平然として言うのだ。
「帰って早々悪いな。この男、確か中平組の池だったな」
 いきなり問われて億伎は頷く。そういう管理は億伎の仕事でもある。まして耀の周りのボディガードだ。何処の誰か解らない人間では困る。だから現地まで行って、その組の組長に直接確認までしている。
「ええそうですが。この男が何か?」
「寧野にちょっかい出した」
「はぁ?」
 それだけでここまでやるのかと言いかけたが、側にいるもう一人のボディガードがくすりと笑ったので、それは冗談のようなものだとさすがに億伎も気付いた。
「性的な意味で手出しをしようとしたのは事実だが、それとは別に寧野自体に手を出していた方が問題だ」
 余計に解らない言い回しであるが、実際そうとしか言えない。よく解らなくて首を傾げた億伎に耀が聞く。
「それから九猪は戻ってるか?」
 宝生組の事務所に行くという九猪と自宅に帰る耀は途中で別れて帰ってきたので、早くに宝生組について資料だけを置いてくる九猪はそろそろ戻ってきてもいい時間だった。
「そろそろかと」
「まあ、億伎でもいいか。今から本家に行く、付いてこい」
 耀はそう言い切ると、自分の部屋に一旦戻って着替えてから出てくる。その姿は臨戦態勢、黒のスーツだ。ラフな格好になっていた髪の毛さえ、しっかりまとめている。
「そもそも本家といいますと? まさか老院ですか?」
 億伎もすぐさま用意をして耀を迎えると尋ねる。こんな騒動が起こらないようにしてきたつもりだったが、そうもいかなかったらしい。しかも耀が急に出かけることになった時期と長期滞在になるかもしれないと解っているような情報を手に入れての行動だとすると、その時期をわざわざ作ったことになる。
 それが誰なのか。問うまでもないことだった。
「あいつらのやりたいことなど解っているんだが、こういうことにあの人が手を貸すとは思わなかった」
 耀は苦笑しているが、内心はきっと焦っているだろうと億伎は思った。
 一番信用している相手が、耀の何が一番大事で、そして何をすれば耀を簡単に動かすことが出来るのか理解していると言われたようなものだ。
 そしてこれは老院だけで出来ることではない。
 椋井が音羽の関係者だったということは少しは関わりがあるが、それは目くらましの一つだろう。そう核心付けたのは、今この場に九猪が戻っていないことである。
 いろいろと不自然なことが思い出されてきて、何処から始まっていたのかさえ予想するのは難しい。
「老院というか本家に寧野がいるから、迎えに行かないとな」
 言い方は軽かったが、段々と真相がわかりかけてきたのか。眉間に皺が沢山ある状態で言われたら、この先どうなることやらと心配になってくる事態だ。
 こんな状況を作る為に耀に内緒で向こう側についた九猪は何を考えているのだろうかと、億伎は溜息を吐いた。どうせ耀の為だという大義名分はあるのだろうが、やっていいことと悪いことがある。寄りにも寄って、一番触ってはいけない部分を皆して触っていること自体が問題だ。
 だがそうしなければならない事情があるのだろうとさすがに解るが、これがどちらに転ぶのかは解らない。
 寧野を本家に連れて行って懐柔して耀と別れさせるのなら、こんな大騒動になりそうな方法は取らないだろう。大騒動にしてまで何かを変えたいと思っている人間が多すぎるのだろうか。
 気持ちとしては解ると億伎は思う。
 今の織部寧野の立場は非常に不安定な状態だ。今はまだ客人であり、宝生組の一部ではない。耀が若頭として落ち着いてきた今だからこそ、寧野の立場もはっきりとしたものにしておかなければならないと考えたのだろう。
「くそったれが。余計なことをしてくれる」 
 耀はぶつぶつと呪詛のようなことを呟き始める。
「お節介ばかりでうざい。人の予定を全部無視して、自分たちの計画ばかり進めるなっつーの。こそこそ毎回毎回、懲りることを知らんのか」
 文句を言いながら億伎がマンション内から呼んだ運転手が運転する車に乗っても耀はずっと文句を言っていた。
 そのまま本家に到着すると、本家の人間は耀の登場は予想していなかったらしく、上へ下の大騒ぎになったが、対応に駆り出されたのは犹塚智宏(いづか) ともひろ)。今回のことに直接関わっている本家の老院の面倒を見、そして本家の維持を耀によって任されている一族の長だ。平然とした顔で耀を迎え入れる。
「ドイツよりお帰りのところ、申し訳ありません」
 平然とそういう言葉が出てくるあたりは、さすがだと言える。この智宏の方は、耀には友好的ではある。ただこの人は、耀や組長代理以上に崇拝している人物がいて、その人の言葉には組長代理であろうが耀であろうが、最優先でその人の言葉しか聞かないところがある。
 まだ笑って許せる範囲の行動しかしないことや、その人が智宏の前に現れることが希なことから問題視はされていない。そして耀もそのことを悪いことだとは認識していなかった。だがそれとこれは問題が同じではなかった。
 立場や人が変われば、気持ちも捉え方も変わる。
 無言で振り上げた腕が智宏の顔に鈍い音を立てて当たると、一歩だけ下がった智宏は次の瞬間片膝をついて座り込む。
 耀が振り上げた腕だけでそうなったのではなく、元から握りしめていたナイフの柄の底で耀が殴りつけたのだった。
 耀のことを出迎えていた女性たちが一瞬で真っ青な顔になる。悲鳴は誰もあげなかったが、ここで耀が暴力を振るったことはなかったし、機嫌が悪くても手を上げるということさえしなかったことから、意表外の行動に誰も身動きがとれなかった。
「何の為にお前をその地位にしたのか。その意味がなかったと言わせる気か?」
 耀が気がつくまで明らかに本家で異変が起きているのに連絡を怠ったことへの怒り。それは正当性があるもので、連絡を怠った犹塚智宏(いづか ともひろ)が悪い。犹塚一族がここで実質老院よりも権力がある立場であるのは、耀がこの本家を取り仕切ることを犹塚一族に任せているからだ。
 本家を改造する時、一番邪魔になるのが犹塚一族であったが、幸いなことにこの智宏はそれまでの犹塚一族の人間とは根本的に違うところがあった。それがこの人物が尊敬して敬愛している人物が関係してくる。
 最初は弟としてほとんど子育てしたようなもので、再開してからは人柄に惚れたという、そんな人が何より大事にしているのが、耀や組長代理であり、その人が二人がいないと幸せでないことを知っているから耀たちに協力的だった。
 利害関係が一致している以上、耀が犹塚一族を排除する必要は無く、今まで智宏が耀に楯突くことはなかった。
 だが今回のことで、耀の側からすれば裏切りに等しい行為にあたる。
 それは殴られた智宏も解っていて、確実に避けられたはずの暴力を避けようとはしなかった。それは最初に耀に謝っている段階で覚悟は出来ていたということだ。
「お前が誰を優先させているのかは知っている。それとこれはまったく関係ないだろう? よもや、響の再来を願ったわけでもあるまいに」
 吐き捨てるように耀が言うと、智宏はぐっと拳を握ってはいたが反論はしなかった。月時響を宝生内部に引き入れ、自分が仕えたいが為に画策はしたが、それが響にとって一番危険で意味がないことを知って諦めた。だからなのか、智宏の感覚的にまったく印象が違うはずの寧野を響の代わりにしてしまおうとしたらしい。
 構成員が組長を欲しがって慕って従う感覚といえば解るだろうか。決してトップになる気はないのだが、そのトップは出来れば自分が惚れた相手にしたいということだ。
 で、どうして寧野と響を同一に考えたかというと、耀には思い当たることが山ほどあった。
 第一印象はきっと昔の事件の時に一時避難した段階で見た寧野の容姿の問題だ。悲しいかな、印象は違っても見た目が美形というただそれだけで智宏には価値ありとみなされたらしい。
 そこから寧野と智宏は直接は会っていない。だが智宏が響に会いに行っている可能性はある。それもここ最近、響が榧希(かや のぞむ)の道場を引き継いで師範になった時からだ。時々寧野も響のところに通っていたから、それを盗み見たのだろう。昔の印象からはがらりと変わって、多少は自信も付いてきた寧野は良い意味でも悪い意味でも月時響の影響を受けているところがあった。
 まあ、人間は時には安易な考えに至ることもある。似ているところも多くなった上、直情型の響とは違い、静かに怒りを貯めるタイプである寧野の方がこの世界に向いていると判断されたのだろう。
 ここからは想像だが、響のところに通っているうちに寧野を知っていき、元来の寧野の持っているものを見抜いた上で、欲しいと思ったわけだ。
 そっくりそのままの響を手に入れられないなら、多少は似ている寧野の方がまだ可能性があると。
 悪い意味で犹塚智宏は一途なのだ。理想を追い求めた結果が今回のこと。
「反省はしているようだから、今回のことはこれで見逃してやるが、二度はない」 
 耀が智宏にそう告げると彼は非常に残念そうに頷いた。
 諦めきれないという態度が丸わかりであるが、こればかりは理想の上司を持っていない智宏に諦めさせるのは至難の業だ。なにせ、理想に近い存在が目の前をうろうろしているのを指をくわえて眺めているだけにして諦めろと言う方が酷なのだ。
 座り込んでいる智宏の後ろから彼の息子が現れる。今まで本家に立ち寄っても智宏の息子である智明には会ったことはなかった。本家の中で暮らしているのは智宏だけで、彼の家族は本家から離れた集落の中で暮らしている。だから智明がここに来るのは、犹塚の役割を彼が担うのを承諾して仕事の引き継ぎをしているということだ。
 だがそんな話もまだ聞いていなかった。
「初めまして、耀さん。犹塚智宏の長男、智明と申します。父の無礼をお許し頂きありがとうございます。さっそくですが、お預かりしている寧野さんの部屋にご案内いたします」
 さらっと淀みなく言い放った智明だったが、耀は一瞬で不快感を表す。智明が智宏と共謀していたことは事実だろうし、こうして出てくることも驚きではない。ただ、智明が寧野の名を出した時、智明がすでに寧野のことをよく知っているという得意げな顔をしたことが癇に障ったのだ。 
 それは智明が智宏とは違う視線で寧野を見ているからだろう。
 日本に戻ってから、ゆっくりしようとしたところを邪魔されたどころではない。寧野が部屋にいなかったことが解った時から耀の機嫌は降下の一途を辿っている。その最大の降下が今なのかもしれない。
 ゆっくりと先導して歩き出した智明の後ろをついて行くしかない状況だったので耀は渋々案内を頼んだが、この智明は智宏のように何か会話をしようという気は一切無いらしく、こちらから話しかけない限り話す気はない態度でいる。
 本家にいて、この態度は問題有りなのだが、耀にとってはありがたかった。今、この智明と話をしたところで友好な関係を築けるとは思えないからだ。しかしけじめとしてやらないことを選んだともとれる態度は明らかに智明が耀には敵意を持っている証拠だ。
 その原因が寧野という存在なら、少々ややこしくなりそうだった。