novel

spiralling-13

 寺尾は目の前で華麗に舞うスーツ姿によもや感嘆の声を上げるとは想像すらしてなかった。
 舞う男の名前は織部寧野と名乗った。そして自分は寺尾エルと名乗った。それを聞いた寧野は一言。
「随分と偽名だと解る偽名にしたもんだな」
 そう言われたが、彼はそれ以上本名を尋ねることはしなかった。聞くだけ無駄だと感じたのか、聞いたが為にさらに面倒に巻き込まれるくらいなら知らない方がいいと思い直してやめたのかは解らないが、嫌に聞き分けが良すぎて困る。
 こういうことに慣れていて、対処法を思いつかずとも自然とそう出来る人間というのは極端に少ない。それが日本のサラリーマンだというのがどうも信じられないのだ。
 もうここからは信じられないことのオンパレードだった。
 寧野はまず部屋の外にいた見張りを具合が悪いふりをして部屋の中に呼び込んだ後、動かない足を相手に見せながら相手に抱きついてそのまま腕で首を絞めて気絶させたのである。柔道などの寝技で相手が気絶してしまうような締め方といえば解るだろうか。まさに落とすというやつだ。
 なんなく一人をたった30秒で始末してしまうと、自分たちが括られていた紐を使って男を拘束した。あっという間で、敵が入ってきてから拘束するまでに一分経っていなかった。
「とりあえず一人。こいつがどこまで寝ててくれるかどうか解らないけど……それまでに脱走すればいいわけだし」 
 暢気に汚れが付いた手を払い、壁に手をついて立ち上がる。服にも付いていた木の屑などを服から取り払うと寧野が子供が親に強請るように寺尾に手を伸ばして言った。
「抱っこして」
 たぶん歩けないから運べと言っているのだと思い、お姫さま抱っこというやり方で持ち上げようとすると寧野が言った。
「そうじゃない、肩の方」
 そう言うと寺尾の肩に手を回した。そして寺尾の腕は腰に回して安定させるように言ってくる。
「それから首、丈夫な方だよね?」
 にこりとして顔をのぞき込んで笑われても可愛いけれどその理由はきっと可愛くないんだろうなと想像出来た。
 見張りが一人しか居なかったのでとりあえず下の階まで二人で降りた。しかし三階の途中に作業員が屯するために作られている食事をしたりするために用意されている広場に数人の人がいることに気づいた。
 どうやら三階までは一般的な商業用に解放される予定なのだろう。そのためちょっとした広場的なものが用意されている。その中に寺尾は見覚えのある人間を見つけた。
(これはハズレの方か)
 見覚えのある人間だったが、自分が探している人間ではなかった。そう思った瞬間、寧野が呟く。
「当てが外れたのか」
 視線は前を向いていたのと周りが暗いのもあって、寺尾は自分の表情を寧野が読みとって言ったのではない。寺尾は驚いて寧野を凝視する。すると寧野の視線がそこで初めて自分の方を向いて視線を合わせてきた。
「びっくりすることない。こんなにくっついてるんだ。がっかりしたら自然と体の力が抜けるもんだ」
 当然の反応だろうと寧野はキョトンとしている。そこでやっと寺尾は自分が如何に顔に出るタイプではなく態度に出る人間なのだと気づいた。
(道理でわかりやすいと、あの人が言うわけだ)
 今まで自分の顔には一切何の表情も浮かんでいないのに、自分の師匠に当たる人間には露骨に態度に出すなと言われていた。だがそういう人はその師匠と極まれにいる勘が鋭い人間くらいだ。だから具体的にどういう態度なのか解らなかった。
 まさか体の力がほんの少しだけ抜けているのが態度に出るというとは思わなかったのだ。それも密着していて初めて解るような一瞬の力の抜ける感覚をだ。しかし指一本、汗一つでも相手の態度を読みとれるようになってきていた寺尾には、その態度に出て解りやすいと言われたことに納得できてしまったのだ。たった一言。当然のように人間がする態度としてあるべきことだと。
 人としての感情や感覚を捨てて鬼になろうとしたのに、どうしてこんなことでこんな人間に感謝しているのだ。
「それでどうするんだ?」
 寧野の質問には答えず、自分が何を思っているのか悟られまいとして話を現実問題にすり替えると、寧野はすいっと視線をそらせて正面の人間をみた。
 向こうは持ち込んだテレビやゲームの音が思った以上に大きく流れているのか、近くにいる二人の気配には気づいていない。喋っている声も聞こえてないからかなり大きな音で聞いているらしい。
 けれど一人がテレビの音を下げて言っている。
「そういや人質の様子どうなってんだ?」
「ああ、スタンガンしたやつ、そろそろ起きてるんじゃ?」
「あいつ起きると面倒そうだから、とりあえず時間がくるまで確実に拘束しておかないと」
「すぐに解放するつもりだったから簡易にしかしてなかったな。どうせだから上で食ってこようぜ」
 一人だけ来るなら上に上がってから始末してしまえば楽になるのだが、まさか三人同時にあがってくるのは予想外だ。
 このままここに居たら気づかれるようなところに自分たちがいる。だが寧野は動くなとばかりに寺尾の肩をぎゅっと押さえつけるようにしている。何か考えがあるんだろうが何をするつもりだと焦った。
「立て踏ん張れ」
 寧野がはっきりと言うと同時に寺尾は立ち上がった。この状況をどうやって脱出するつもりなのか、最後まで見届けた方が良さそうだと思えたのも事実。 
 すっと立ち上がったと同時に寺尾が言われた通りにすると、いきなり目の前に人間が立って驚いた男たちが怯んだ時、目の前でスーツ姿の男が華麗に舞った。
 踏ん張れと言った割には大して体重はかかっていなかったと思う。ふわっと目の前を寧野の体が通ったと思ったら、男が二人少し先の壁に叩きつけられて倒れた音がした。
「な!」
 一人残った男が一瞬怯んだのが見えたから、寺尾は踏ん張った状態を安定させたまま一歩前に踏み出した。
 器用に寺尾の肩周りを一周した寧野が、今度は寺尾の肩から飛び降りる形で逃げようとした男に飛んでいった。成人男性の体重一人分を食らえば人間誰でも倒れる。
 飛び込んだ寧野はそのまま倒れるかと思ったが、体制をきっちり整えて相手の胸ぐらを掴むと頬に拳を一発入れていた。その反動で前方に一回転して殴られ倒れた男の向こう側に着地した。が、片足ではきちんと着地出来ずにそのまま前転してから倒れた。
 実際、体操の競技を見ているかのような流れる攻撃に寺尾は感嘆の声を上げた。
「すばらしい」
 こんなに綺麗に攻撃という攻撃をして、足が麻痺してなければ綺麗に着地まで決めそうな人間はそうそういない。随分前にあの人から見せてもらった映像で数回みたっきりの光景によく似ていた。
 古武術から発祥して今の何でも攻撃へと変化させる動きをする格闘術。体格がいい人間より細身の運動神経が発達しているモノが使ってこその術。
 寺尾が初めてこうした動きを見たのは5年前、フランスの田舎の道場。自分と年がそこまで変わらない日本人の双子がやっている道場だった。本家の道場は祖父が亡くなってから他の師範に譲って、自分たちは誰にも干渉されずにゆったり暮らせるフランスの田舎に友人を頼ってきたらしい。少し見せてもらったら、とても人間業に見えないような動きをしていた。けれど体操選手が格闘術もやってますという感じの動きでとても実践では使えなさそうな感じではあった。
 そういう感想を漏らしたところ、あの人が面白いものを見せてやろうと言って、実際にあの人とその武術を使う人間が実践をしている映像を出してきた。
 あの人が急に突きだした腕を予測していたかのようにぎりぎりで交わし、突破しようとした。たまたまあの人だったからそれが成功しなかったことと、あの人曰く、「あれで空腹で寝起きで激怒中」なんだという。空腹は力が出ないし、寝起きは動きが鈍る、さらに感情が逆撫でされた後では冷静な判断が出来てない。その上であの動きだ。もしその三拍子がなかったら「負けてた」という。
 何をどうしたらあんなに綺麗に人間が動けるのか理解出来ないが、綺麗だったのは覚えている。
 それを今、目の前で見たのだ。
「榧(かや)流式か?」
 この光景が自分が唯一感動した動きであるのか確認したくなり呟いた一言に寧野がニコリと言った。
「そうだよ」
「って、あれって免許皆伝したのは孫じゃなくて弟子だけって聞いたけど?」
 すべての技を師匠から受け継いでさらにそれを実践できるのはこの世で一人しかいない。孫の双子すら奥義は無理だというのだ。往年の榧(かや)ですら実践でみせられたことはないという。口伝だけで再現できたのが現在の榧(かや)流式古武術の道場を継いだ弟子の月時響だけだ。
「元々俺も榧(かや)先生の弟子だから一応な感じ、そのさらに兄弟子の弟子になって今も精進中」
「ああそれでか」
 妙に動きが似てるのも当たり前で、ただでさえ基礎から榧(かや)流式で、奥義を再現した兄弟子に習っているなら動きが似るのも当たり前だ。
「ちょっと驚いた。見ただけで榧(かや)流式って解る人間に出会ったの初めてだ。俺の周りは榧(かや)流式かじってる人間ばかりだしね」
 寧野はそこまで言ってふっと表情を暗くした。
 初めて寧野との会話で寧野のほうが言いたくないことが出来た。寺尾はそこで普通に返した。
「まあ道場通ってるならそうなるな」
 ものすごく当たり前の返しに、寧野は安堵したように息を吐いた。
 寺尾は織部寧野が何者なのかは知っていた。ただ顔を見たことはなく、情報として名前とその役割について知っているだけだ。
 織部寧野は現在25歳。大学を卒業した後IT関係の会社に縁故で入社。主に気むずかしい社長の雑用を担当。5歳の時、母親が交通事故で事故死。17歳の時父親がヤクザの抗争で殺害される。その後榧希(かや のぞむ)を保護者として大学を出る。大学在学中、宝生組組長代理の甥っ子と恋人関係になる。卒業後の現在も情人として付き合っている。
 こういう情報は裏の世界にいれば普通に聞くものだ。けれどそこには榧(かや)流式古武術についての情報は一切ない。重要な情報なのにない。つまり裏の世界は織部寧野という人間を宝生組若頭宝生耀の情人としてしか見てないということだ。それ以上にはならないと思っている。過小評価というやつだ。
 この世界は、また同じ認識間違いをしている。宝生組組長代理の情人である月時響を同じ扱いをして、その後とんでもないことをしでかす上に、真っ向とあの九十九朱明に一人で立ち向かい、反撃で屋敷を半壊させ島一つ半壊させた人間で最強の相棒であることに気づいた時は、そのすべてが宝生組のものだった。
 織部寧野が月時響とまったく同じものなのかは解らないが、この感じだと同じモノにはならないだろう。
 月時響はあくまで表舞台には出たがりはせず、静かに暮らしていた。騒いでいるのは周りだけで本人は裏の世界に一切興味を示さなかった。
 しかし織部寧野は生まれたときから片足を裏の世界に突っ込んだまま暮らしている。もちろん父親が死んだ時にその片足は抜けたはずだったのに、寧野は戻ってきた。両足どころか頭まで裏の世界に突っ込んでだ。
この違いは大きい。理解していても何もしないのと、何かするつもりなのはあまりにも違う。それに誰も気づいてないのだろうか。
「それで外の見張りはどうする?」
 三階にいた敵は片づけた。気絶した人間を縛り上げて動けなくした後、脱出する為に外の見張りをどうにかしなければならない。そう寺尾が言うと寧野は三階から外を眺めた後、盛大にため息を吐いた。
「あーうん。どうもしなくていいよ。そのまま堂々と出て行けばいいと思う」
 寧野がそう言うので寺尾も慌てて外を見る。するとマンションの工事現場入り口で見張りをしていた人間が、黒服の男ともめているのが見えた。
 たぶんあれは織部寧野を探しにきた宝生組の人間なのだろう。こうも早く動くような監視なのかと寺尾はその警戒の仕方を不振がる。
「知り合い?」
「俺の身内みたいなもの」
 妙な言い方だが、間違ってはいないどころか、重要な情報を今さらっと言った。寺尾は聞き流そうとしたが一瞬引っかかった。
「そうか、じゃあ俺は寧野が出て行ってから出た方がいいな」
 一緒に出て行くわけにはいかない。顔を覚えられるのは困るからだ。町中で出会って顔を覚えられるはそこまで困ったことではないが、寧野と一緒にいるのを覚えられるのは確実に若頭の頭の中に自分の顔がインプットされて即座に何かあったとき検索されやすくなる。
 まだ目的を達成してもいないのに、邪魔をされてはこの先の計画に支障が出る。だから見つかりたくない。
「見つかりたくないなら、それがいい。三階のアレと監禁されてた部屋のアレは報告しておくから、そこから遠いところから逃げて。協力してくれてありがとう」
 巻き込んだのは寺尾なのに、脱出するのに手を貸してくれたことに感謝している。ちょっと困ったように笑っている。
「いや、俺も悪かった。巻き込むつもりはなかった」
 これは本心だ。寺尾はただそれっぽく見えるように演出しようとしただけだ。
「次は助けないから」
 寧野はそう言って一階へ降りる階段に向かった。振り向きもせず階段を下りていき、姿はすぐに見えなくなった。
 寺尾はすぐに階段で別の階に移動して窓から入り口を見た。織部寧野は堂々と入り口に向かって歩いていき、もめている見張りの後ろに立ち、回し蹴りをして黙らせる。
「すごいな」
 遠くから見ても見本のような綺麗な回し蹴りだ。あれを見て顔から笑みがこぼれてしまい、その口元を手で覆ってしまった。
「実に惜しい」
 人が戦っている姿を見て心が躍るなんて久しぶりすぎる。あれが誰のものでもないというなら問答無用で口説いて連れて行くのに。あれが宝生組の若頭のものでそれが一生涯変わることがないというが実にもったいない。
「本当に」
 あれを飼い殺しにして平然としている宝生耀(ほうしょう あき)の神経が理解できない。
 あれこそ戦いの場に置くべきものだ。
 寧野が宝生組のモノと話がついたのか、他の人間がどんどんやってきてマンションの敷地内に入ってきた。この当たりは宝生組とは違う組織との縄張りが重なっているところだ。最近はチャイニーズマフィアの下位組織が頻繁に出入りをしていて、双方のヤクザと問題を起こしている。そのせいでさっきの黒服のような人間が結構彷徨くようになった。
 だから早めにチャイニーズマフィアの内部の状況を直に耳にしておきたかったのだ。この下位組織は、ただの下位組織ではなく煌和会の幹部の直属の組織だ。宝生組と事を構えたいが為に情報収集の目的である組織だが、最近の事情でうまく機能しなくなっている。
 煌和会は去年龍頭(ルンタウ)だった人間が死去した。高齢だった戴諦慶(ダイ ディチン)は89歳という年齢だったにも関わらず、自らの失脚を恐れ後継者は育てなかった。そのため横一線に並べられた部下がグループの首領になる香主(シャンチュ)になって、各組織を率いていた。戴諦慶(ダイ ディチン)が亡くなると同時に各組織が龍頭(ルンタウ)になる資格がある香主(シャンチュ)を集め、話し合いによって龍頭(ルンタウ)を決めようとしていた。
 しかし龍頭(ルンタウ)になりたいのはどの香主(シャンチュ)も同じでお互い譲ろうとはしない。その中で猩猩緋(シンシンフェイ)香主(シャンチュ)が一番の有力株だった。というのも彼の弟が同じく香主(シャンチュ)の一人で、黒猩猩(ヘイシンシン)という組織を持つ。これが猩猩緋(シンシンフェイ)のもう一つの組織のようなものだ。この二大組織が手を組んだままだと龍頭(ルンタウ)は自動的に猩猩緋(シンシンフェイ)の香主(シャンチュ)のものになる。
 それを阻止したいのが和青同(ワオチントン)の香主(シャンチュ)。抗争には至ってないが、妙な動きがある。ただでさえ鵺(イエ)との抗争が激化の一途を辿っている時に問題を大きくしたくないはずなのにだ。
 煌和会の龍頭を取るために無茶な行動すれば、鵺(イエ)に煌和会自体を無くされるかもしれない。 
 正直言って寺尾たちはさっさと龍頭(ルンタウ)を決めてもらって、さっさと鵺(イエ)と抗争でもしてほしいと思っていた。どうせ鵺(イエ)の組織に煌和会が勝つようなことはないからだ。
 様々な組織に入り込んでいる鵺(イエ)の組織。最近になって力を付けてきた煌和会では、浸食度はあまりに違う。
 しかしどっちにも負けたくない和青同(ワオチントン)の香主(シャンチュ)は両方への打開策を見つけようとした。それがどうして宝生組と他の組織の間に不和の種を埋めるためにやってきたのか。
 いろんな情報を集めて和青同(ワオチントン)の香主(シャンチュ)教裕林(ジャオ ユーリン)が猩猩緋(シンシンフェイ)の香主(シャンチュ)操武藍(ツァオ ウーラン)に勝つための秘策がこの町にあると思いこんでいるという情報が入ってきたので調べるため来たのだが、そういうことはまったくもってなかったのである。
 だから内部に入り込んで上手く話のかけらでも拾えないかと思っていたが、さっき寧野が倒したやつらのボス的存在が持っていたメモを拾った。
 それには宝生組の内情を探り、とくに宝生耀(ほうしょう あき)の情人についての噂などが書き込まれていた。ただそういう情報を集めているだけで本人の顔写真などはない。本人と接触する機会がなかったのか、思った以上に織部寧野の周りが厳重だったのか。書かれている噂はここ最近のモノが多い。
 けれど織部寧野が宝生本家に行って何をしたのか知らないようだ。
 だがこれを見て、もしかしてと思い当たることが出てきた。
 彼らの狙いが宝生組で、それもまことしやかな信じられない噂になっている貉(ハオ)の金糸雀(ジンスーチュエ)だった場合だ。。
 黒社会において、金糸雀(ジンスーチュエ)の伝説は伝説ではなかったという認識だ。しかし貉(ハオ)の金糸雀(ジンスーチュエ)だけの話。その一族から実際に金の流れを読むことが出来る人間が生まれた。貉(ハオ)の経済的な問題は貉(ハオ)が壊滅してから見えてきた。
 彼らの収入源がほぼ世界中のカジノからの収益なのだ。そこから得た資金を元に株もやっていた。カジノからの収益が膨大過ぎたために株の方は普通に見えるが、実際株価を操作しているかのような見事なものだったらしい。
 というのは宝生組と貉(ハオ)が抗争に発展した時、その力はすでに失われたものだった。
 貉(ハオ)は同じチャイニーズマフィアの鵺(イエ)にも喧嘩を売った結果になり、宝生組が貉(ハオ)を直接壊滅させた後、鵺(イエ)がその始末をした。とはいってももはや使い物にならないレベルのものしか貉(ハオ)には残っていなかった。
 金糸雀(ジンスーチュエ)を失った貉(ハオ)は、衰退の一途を辿っていての暴挙の末、組織が壊滅した。
 伝説の金糸雀(ジンスーチュエ)は貉(ハオ)を追放された愛子(エジャ)という女性が最強だった。金糸雀(ジンスーチュエ)は女性に生まれる確率が90%くらいで男性は珍しいというのが貉(ハオ)の認識だ。
 しかし男性にもそれ相応力はある。愛子(エジャ)が金糸雀(ジンスーチュエ)一族最強の金糸雀(ジンスーチュエ)であるが、その歴史上において最強の金糸雀(ジンスーチュエ)と呼べるのは、貉(ハオ)が組織を作り始めた頃に捕らえられた男の金糸雀(ジンスーチュエ)だったと、近年では愛子(エジャ)が生んだ織部寧樹くらいだ。その最初の男の金糸雀(ジンスーチュエ)と貉(ハオ)一族の女性の間に出来た子供が女の子で金糸雀(ジンスーチュエ)の能力があった。
 貉(ハオ)は女性を男性から取り上げ、子供は残した。それが金(ジン)一族の最初。男性は金糸雀(ジンスーチュエ)一族の女性とまた子供を作った。男性だったがそれが夏(シア)一族になった。
 金(ジン)一族と夏(シア)一族が近親相姦並の繰り返しで、双方の一族を作り上げたがこんなことをしていれば遺伝子の劣化により、繁殖能力が劣るようになる。子供もまともに育たず、幼い頃に病気で死ぬ。
 そこで貉(ハオ)は外から人を連れてきてまでして、金糸雀(ジンスーチュエ)を新たに育てようとした。その結果は一時的な緩和にはなるも夏(シア)一族は幼い金糸雀(ジンスーチュエ)を殺した覇黒(バーヘイ)に抗議して集団自殺をした。夏(シア)一族は、冷(ルオン)を残して滅亡した。
 金(ジン)一族は死ぬわけにはいかなかった。愛子(エジャ)が裏切って追放されてから夏(シア)一族に金糸雀(ジンスーチュエ)一族の地位を譲り、彼らは本当に普通に生きた。
 それは一族としての誇りを重んじた夏(シア)一族とは違い、閉じこめられて虐げられていた自分たち一族の誇りでもあった金糸雀(ジンスーチュエ)を外の世界に時放えたことが彼らには本願が遂げられたからだ。
 貉(ハオ)が壊滅した時、彼らは自分たちの故郷である村に帰ると行って本当に帰って行った。
 この金糸雀(ジンスーチュエ)一族の男はいったいどこから来たのか。元々を辿るとロシアとモンゴルの国境当たりにある。それをさらに西へ行くと現在はモンゴルとロシアとカザフスタンの三つの国境が重なる場所にある山脈の中にある村が金糸雀(ジンスーチュエ)一族の先祖がいた村になる。
 ここにあった村は、「花(ツェピトーク)」という。ロシア語で花という名前なのは、春になると一年に高山植物の花が咲き乱れて綺麗だったからという。
 ロシア帝国時代にロシア皇帝の手によって村人全員が捕らえられ連れ去られた事件にあたった。
 貉(ハオ)と同じように金糸雀(ジンスーチュエ)一族の力を信じた結果だろうが、貉(ハオ)の事件で解ったことは、強力な力を持った金糸雀(ジンスーチュエ)は一つの一族に一人だけだ。大きな力を持った金糸雀(ジンスーチュエ)は量産できない。その金糸雀(ジンスーチュエ)が能力を失わない限り次の世代に能力が生まれない。
 他の一族の人間は多少は数字に強い程度で目に解るような力はしない。人が期待する効果は得られはしないから大した記述は見られない。それもそのはずで生まれながらにして金糸雀(ジンスーチュエ)候補として育てられる彼らが数学を勉強させられているのだから、元々数字に強い人間が徹底的にしこまれれば世間では十分通用するのは当たり前のことだ。
 花(ツェピトーク)でのロシア帝国の収穫はなかったに等しい。しかしそれは察知した村人が金糸雀(ジンスーチュエ)を連れて逃げ出していて、他の村に移っていただけのことだったようだ。
 そのままモンゴルとロシアの国境を移動中に貉(ハオ)によって全員が誘拐され監禁されたと思われる。
 貉(ハオ)でのことが終わった今、残った子孫は村に帰って行ったが、それですべてが終わったわけではなかった。
 金糸雀(ジンスーチュエ)は檻を飛び出して自由に舞っていた。
 だから貉(ハオ)の金糸雀(ジンスーチュエ)事件は現在も続いている。
 貉(ハオ)で追放された愛子(エジャ)が、貉(ハオ)の総帥との間に子供を作り金糸雀(ジンスーチュエ)としての力を失った時、どういうわけか貉(ハオ)は愛子(エジャ)やその子供を殺しはしなかった。
 貉(ハオ)の総帥であった男と恋仲になったから総帥の子供は殺せなかったのは解るが、生ませて育てるにも奴隷の子供を一族内で育てるのはプライドが許せなかったのか。結果追放された愛子(エジャ)は逃亡先の日本で子供を産んで、子孫を残した。
 その愛子(エジャ)の子供である織部寧樹はヤクザの抗争で殺されている。そして寧樹の子供がさっきの織部寧野だ。
 ここいるチャイニーズがさっきの人間を織部寧野だと気付いている様子はなかった。けれどここが織部寧野の会社が近くにあり、よく彼が一人で彷徨いているようなところ。普段外出をしないらしい彼が唯一歩き回っている場所だ。
 彼らが貉(ハオ)の伝説の金糸雀(ジンスーチュエ)の話を話半分で信じて、なんとなくやってみようと思ったのは解らなくはない。
 寧野が貉(ハオ)の総帥の孫にあたるとしても何も恐れることはない。貉(ハオ)はもう存在しないからだ。
 だがそれでも慎重にならざるを得ないのは、貉(ハオ)のすべてを鵺(イエ)が手に入れ、重要人物の隔離をしているからだ。だから織部寧野の処遇も実は鵺(イエ)の希望で行われている可能性がある。
 織部寧野が宝生耀(ほうしょう あき)と居たいといって、それを鵺(イエ)がとりあえず叶えてやっている。そして宝生組は若頭の願いを叶え、鵺(イエ)の要望を聞いているわけではないが、織部寧野の処遇については当面預かりになっているのかもしれない。
 預かりという処遇は、もし二人の間に亀裂が入り、恋人関係が解消された時の口実にするつもりなのだ。恋人関係が解消されれば、寧野が宝生組にいる理由はなくなる。そして鵺(イエ)の寧野の身柄を返すという形で押しつけられる。
 だが今度は鵺(イエ)に織部寧野の存在を自由にできる資格があるのかという問題。貉(ハオ)の所有物を鵺(イエ)が受け継いだとしても貉(ハオ)の総帥ですら監視はされているが割と自由に生きている。織部寧野ほどの拘束は受けてないのだ。
 織部寧野が金糸雀(ジンスーチュエ)ではなくてもその子供が金糸雀(ジンスーチュエ)になる可能性があるという理由だけではあまりにも理由として薄すぎる。その子供が本当にそうなるのはせいぜい解っても20年という先の話。そこまで悠長に待つような組織の幹部が存在するだろうか?
 面倒くさい上に確実に金糸雀(ジンスーチュエ)になるという保証すらないわけだ。こんな荒唐無稽な計画実行する人間はいない。だが今すぐ龍頭(ルンタウ)になれなくてもいずれなるつもりで用意しておくという方法を取っている誰かがいるのかもしれない。
 それが誰なのか今は解らないが煌和会がそれを狙っている。
ただ彼らはそれを実行するのにヘマをした。
 織部寧野に近づく前に問題を起こしすぎたのだ。しかも対象者の顔写真がうまく伝わってないのか、目の前に捕らえた人間がそれだと気付いてなかった。
 千載一遇の機会を彼らは潰した。スルリと入り込んできた獲物の情報を彼らは共有できてないのだ。
「おもしろい」
 何が起こっているのか正しく把握する為にきて思いも寄らぬ可能性をみた。煌和会の内部はもろい。各組織が身勝手に動きまわり己が龍頭(ルンタウ)になるためにお互いを潰し合いをする。その抗争こそが煌和会の弱体化に繋がっている。
 寺尾はそこまで頭の中で自分が得た情報と知っている情報をあわせて想像した。これが絶対にそうだとは言えないが、そう思っておくのも必要だ。
 バラバラな煌和会のすべての香主(シャンチュ)の行動を把握するのはかなり骨が折れる作業ではあるが、とりあえずこれにて完了というところか。
「煌和会と他の組織の取引は潰したし、赤い雪(クラースヌィ・スニイェク)には煌和会に不和の種を埋め込めた。けど」
 今回の一番の収穫は、アレだ。
 宝生組の黒服たちが車に煌和会の人間を乗せて運んでいく。あれは尋問して何かを聞き出すのだろう。それは今寺尾が得たメモ以上の何かかもしれないし、それと同等かそれ以下か。それは宝生組のやり方次第で変わる。
 もし自分以上の何かを得たとしてもたぶん想像したこと以上のことを彼らが知っているとは思えない。
 だから気にする必要はない。
このことではなく、その黒服の男たちに実質指示を出しているのが織部寧野であるという事実。
 宝生組のヤクザなら織部寧野の指示など聞く義理はない。けれどあの黒服が宝生本家のものたちだった場合、織部寧野の指示を聞く理由が出来る。
 宝生本家において、織部寧野が宝生耀(ほうしょう あき)の伴侶であり相棒であることが正式に認められ儀式をしたということだ。だからあれは宝生本家の嫁になり、宝生一族の一人となる。
 これは大きな違いだ。宝生組が織部寧野を排除しても宝生本家はそれとは違い囲い込むということなのだ。
「予想以上に抱えるのが早かったな。本家の妖怪ってのは本当にタイミングを読むのが予知レベルなんだな」
 こんなこと実施するのは宝生耀ではない。本家を取り仕切っている老院の人間の考えそうなこと。さらにこのタイミングは、確実に宝生の妖怪と言われる老院、志智達也(しち たつや)が関わっている。それに九十九朱明の情報において九十九すら把握できないような微細な情報すらもその頭に蓄積して分析する音羽阿門(おとわ あもん)がついていたなら、それはもう計画的な行動だ。
 宝生組の本家として成り立つそれは、今や組組織とは隔離された組織だ。実質的にヤクザとして表だって行動している宝生組は警察組織の監視対象である。けれど宝生家本家はそうではない。この本家は組組織としての指定が出来ない。ただ宝生組の組長が生まれた家だという認識だ。
 暴力団としての行動はしておらず、宗教的なものでもなく、国家転覆をもくろむものでもない。宝生組の一部として考えられてはいるが、実体は別物であるという認識を警察が忘れてしまうのも無理はない。
 元ヤクザの老人たちが静かに余生を送っているところだと言われれば、そうなのだろう。過去、暴力団指定を受けていたことはあるが実体としての認識でそうした活動がないことが抗議により認められ、警察より指定が取り消された経緯がある。つまり警察は指定をしたいが、法律で指定が出来ないとされた。
 また地域一帯は元組員の住人だけしか住んでいないため情報集めもままならないため、様々な公式な政府の組織すら何も出来ない。情報を集めるために引っ越してきたりもする人間はいるが、宝生本家が把握していない人間が越してくると目立って仕方ない。
 それでも流れてくる情報はある。しかしこの織部寧野に関した情報は本当に徹底して秘密にされている。過去に月時響という組長代理の相棒で恋人である人間の情報を流した老院のせいで宝生組の組織自体が壊滅しかけたことがある。それからの本家は権限をほぼ取り上げられ、老院の権限も組長を育てるためだけの組織として認められていた権限をほぼ取り上げられ、組組織に対して宝生本家の老院として強制することを禁じられた。
 そして再選された老院は宝生のために働いてきた組長だけとされた。その中で志智老人と音羽老人は彼らが40代の時からそのまま変わらず、国宗(くにむね)老人は10年前、西村老人は三年前、萩野谷老人は一年前と比較的新しい老院もいる。噂では久山組組長だった久山鉄男(ひさやま てつお)が新しく老院に入る予定とされていた。
 そんな老院でも宝生本家として若頭に何がよくて何が悪いのかは選別する資格はまだ残っていた。この組長を育てる機関として老院は実のところ優秀だ。300年続いている宝生がこうして安泰のままなのもそのおかげである。
 老院で一番の要注意人物は志智達也(しち たつや)という老人だ。通称妖怪とされる人間だ。元々は久山組の組員で久山鉄男(ひさやま てつお)が組長になった時、若頭として将来有望されていた久山の右腕だ。
 しかし殺人事件を起こして服役する。久山組と対立していた組織の組長と若頭と幹部三人計5人を殺害した。
 こう聞くとバカなことをしたものだとか、若頭という身分で自分で鉄砲玉をするなんてと失笑されるようなことである。
 けれどそれだけではないことがのちに判明する。
 相手組織は神宮領(しんぐり)事件の騒動にかこつけて、久山組長の娘を殺害。それだけでは収まらす、久山組長を九十九に売ろうとした。杯を交わすと約束しておいて、当日集まるはずの旅館に鉄砲玉を用意し殺害未遂を起こしたのだ。
 これに久山組長は宝生組の組長を通じてその組織に対して他の組組織に制裁を用意するはずだった。しかし久山が宝生高を頼ったことに志智はプライドが傷ついた。己の組のことを他の組に頼むなどと、自ら行動して5人を殺害。
 当時、ヤクザの抗争でも5人もの人間を殺した人間が、そうそう簡単に出てこられるわけがない。しかし久山組長の娘や他の一般人をその5人が殺してきた証拠を志智が持参して出頭した為、情状酌量の部分も大きく、他の被害者からも様々な支援があり、懲役10年ところ模範囚で通し被害者家族の嘆願書から恩赦がついてたったの5年で志智は出所した。
 彼が欲望に刈られて殺害に至ったわけではないことが短期で出所になる決めてだったのと刑務所で収容人数を上回り始めた囚人を減らす為に定期的に出る恩赦も重なっていた。
 出所した志智は久山組には戻らなかった。
 久山組の組長の意向を無視し、独断で鉄砲玉になり他の組の人間を殺した。その忠義を捨てた行動こそ、久山組長に見せる顔はないと判断した志智だったが、人殺しの人間が行くところなんてない。
 そこで宝生高が志智を宝生本家に誘った。
 幼かった楸を連れて。
 そこで何があったのかは志智が語らないので解らないが、その誘いを受けて志智は40歳で本家の老院に入った。
 新参の出所したばかりの若頭など、老院では役には立たない。しかし志智は特に何をするでもなく、飄々と老院に居続けた。
 入れ替わる老院の人の中で志智は組長代理になる宝生楸のバックアップをするようになり、老院の老人からですら妖怪と呼ばれるほどの力を見せた。
 ただ彼は本家から出たことはないが外部との繋がりはたくさんある。さらに九十九への復讐を果たし終えた音羽阿門(おとわ あもん)という宝生組の特殊な情報網を持つ人間が加わった。
 音羽は若頭を育てることにしか興味を示さず、基本志智とは同盟を結んでいるようなもの。
 完璧な情報網を持つ音羽と、それを利用した予知レベルの策略をしてくる志智。おかしな情報を音羽に掴まさせても志智に伝わるところで嘘がバレる。九十九はそれで老院の手握に失敗し、結果老院から手のモノをあぶり出させる結果になった。
 宝生の組長代理や若頭からさえも妖怪と呼ばれるような人間を相手にして勝てるなんてものはない。
「つまり織部寧野に手を出すってことは、妖怪大戦争をする羽目になるのか。それはあの人に任せて俺は地道にいこうか」
 寺尾は誰もいなくなったマンションから完全に気配が消えてからその場を後にした。