novel

spiralling-16

 織部寧野が中国系マフィアの末端、急先恐后(ヂォンシィェンコンホウ)の人間に拉致されたのは、偶然のことだった。
 寧野が語った話では、たまたま拘束されていたスラブ系の男に呼び止められて手を貸す羽目になり、増援された仲間に殴られて気を失って拘束されたという。そこから寧野は自力で脱出し、急先恐后の一味を一網打尽にする機会を得た。残念なことにトップに当たる宮火帝(ゴン イェンディ)だけは見つからず、宮水帝(ゴン シュイディ)がクラブで豪遊しているところを拘束した。
 宮水帝(ゴン シュイディ)たちは、織部寧野の身辺調査をしていたことが解った。ただその下調べでこれから寧野の顔写真などを集める基本的な作業をしようとしていたところでスラブ系の男に邪魔されたらしい。
 話を統合すると彼らは今日捕らえてきたサラリーマンが織部寧野であることを知らなかったのだという。寧野の顔を知っていたのは宮水帝(ゴン シュイディ)と宮火帝(ゴン イェンディ)だけで、二人は今日の行動に参加していなかった。というよりは宮火帝(ゴン イェンディ)が急に煌和会に呼ばれいなくなったのをいいことに、宮水帝(ゴン シュイディ)が仕事をさぼったのだ。
 もしきちんと仕事を宮水帝(ゴン シュイディ)がしていたら、寧野はあのまま帰ってこられたか解らない。
「まさか煌和会が金糸雀(ジンスーチュエ)の噂を鵜呑みにして寧野さんを欲しがるとは……」
 リスクしかない寧野を欲しがる理由はただ一つしかない。煌和会の龍頭(ルンタウ)問題で、資金を欲しがった人間がいるということだ。寧野が今すぐ使えなくてもいずれはという噂を鵜呑みにしてみようとする輩たちがだ。
「煌和会の 中でも寧野を資金源として欲しがっている人間がいる。それと同時に消したい人間もいる」
 耀が宮水帝(ゴン シュイディ)から聞き出した内容は実に込み入っていた。
 最初言ってきた内容は織部寧野の資料を集めることだった。それが今日朝までの内容。ところが煌和会に呼び出されて行った宮火帝(ゴン イェンディ)から別の話が出たのだという。今度は別のところから「織部寧野を消せ」という仕事だ。
 煌和会は現在四つの香主(シャンチュ)がおり、彼等の中の一人が龍頭(ルンタウ)になる予定だ。その中で優勢になる猩猩緋(シンシンフェイ)の香主(シャンチュ)が寧野に興味を持つとは考えられない。一番の資金源が足りないとされる和黒同(ワオヘイトン)あたりが有力だろう。そして消せと言うのは、どう考えても猩猩緋(シンシンフェイ)と対立しこれ以上猩猩緋(シンシンフェイ)に力を付けさせたくない和青同(ワオチントン)あたりか。
 耀はそう想像して急先恐后が二重の妙な以来を受けたことを説明した。とはいえ、これは想像であり、宮火帝(ゴン イェンディ)が吐いてくれれば確定的になる。
 宮火帝(ゴン イェンディ)と拘束するための舞台はすでに整っており、彼等が使っていたマンション建築地に罠を用意した。あのマンションは中華系企業が出資しているマンションで、建築こそは日本の建築会社がしているが支払いが滞ったという理由で工事が延期されている。それをいいことに中華系マフィアが住み着いている。最近になって工事の中止が決まったらしく建築地に日本の会社が建てた枠が中華系の会社が用意した簡易鉄板に置き換えられていた。建てられない建物ではないため、建築再会させられる企業に売られるのだが、最近その持ち主である中華系企業が倒産し、資産関係の不備が見つかり近々国が取り壊す予定になるらしい。
 というのはあのマンションの持ち主に話をつけようとしたところ話が二転三転して結局国の持ち物であることになってしまっていた。中華系マフィアを排除する計画は進んでいるようで、強制撤去が予定されている。
 まあそれが国民の予算で行われることは国民は知らない。中途半端に建てられたマンションはそのまま国が国家公務員施設として工事が続行する話になるそうだ。
「寧野、一緒にいた男は寺尾と名乗ったのか?」
 本家ゆかりの都内の高級住宅に連れて行かれた寧野は、そこに耀が緊急用の自宅を持っていたことを初めて知った。
 耀はマンションから出る予定にしてこの住宅地の家を買ったらしい。元々国際テロリストが買い込んだ使っていない住宅で、それを法外な値段で売られていたのを値切って耀が買った。
 テロリストの自宅だったという話だけあって、地下の怪しげな部屋があったりと色々恐ろしい場所ではあるが、耀がそういう場所を欲しがっていたのにはちゃんと理由があった。
 宝生組とは関係ない住宅が欲しかっただけなのだ。  
「うん。でも偽名過ぎたからそう言ったら笑ってたよ」
 寧野はあれが偽名だと指摘した話をした。彼は偽名だと言われて笑っていた。さすがに本人も無理矢理だったと思ったらしい。
「そうか……となるとその男の線からは」
 耀が探れないかとあきらめかけた時、寧野が呟き続ける。
「てらおえる、て・らおえる、てら・おえる、てらお・える……てお・える? どこか区切るところが違うがアナグラムになっているかって思ったけど違うっぽいなぁ。じゃあ名前の一部を使ったのかな」
「寧野、それはどういうことだ?」
「偽名って用意していて名乗ったなら偽名っぽくない名前にしない? あの男、スラブ系の男なんだからどう考えても英語っぽい名前とかになってると思ったんだ。で、日本だから日本の名前にしようとしたんだろうけど、本名だとマズイ、だから偽名の偽名から即興で作ったんじゃないかって」
「待て寧野。どうしてそいつが日本の名前を持っていると思ったんだ?」
耀が慌てて聞き返す。
「え? 本人が長く住んでいたって言ったし日本語の名前を無理矢理作ったってことは思いついた名前がなかったってことでしょ? うっかり口から本名を言いそうになって一瞬考えて、うっかり日本の名前で無理矢理作ったみたいだったし、何より本人も笑ってたから即興であってバレても困らない名前にしたけど、あこれ失敗したって顔してたから」
 要領を得ないが寧野が感じたものが全てなのだろう。さっきから耀の頭の中でアナグラムではないが、寧野がやっていた名前の組み合わせがコンピューターで照合するように動いている。
「失敗いって? 偽名が?」
 九猪は理解できずに聞き返すも寧野は頷き。
「俺に知られて困るというよりは、俺の知り合いに知られたら困る感じだった。だってあいつ俺が誰なのか知っていたから」
 寧野の言葉に耀の思考が瞬時にはじき出した名前があった。
「知ってたってどういうことだ」
 耀の声が地を這うように低くなっていた。
 びくりと震えたのは条件反射であるが、それは寧野に対して怒っているわけじゃない。耀は自分自身に腹を立てているのだ。
「俺の名前聞いて、「ああお前が織部寧野なのか」っていう顔した。あいつ割と顔に出るんだ。ただ、織部寧野が俺だったっていうことに驚いたわけじゃないような気がして……るけど、そこまで俺も解ってるわけじゃなくて。で、それが解るってことはもちろん宝生組を知ってることになる。俺の名前をフルネームで解る人間なんてそれこそ耀と同等の人間でしょ?」
 寧野が思ったことを口にすると、耀は深いため息を吐いた。
「テオ・エルツェ」
 思い当たる名前を口にすると九猪が反応した。
「まさか、ヴェルター・ライの姪っ子マリアンヌ・ビアホフの元恋人のテオですか?」
「そう。こいつだけ所在が掴めないままだ。日本にいたとは灯台もと暗しだな」
 耀はそう言うとパソコンを操作して写真を出す。テオ・エルツェの写真を見た寧野はしっかりと頷く。
「間違いないよ。こいつなに?」
 寧野が耀に尋ねると耀は椅子に座り直して説明をしてくれた。
「テオという男は、スラブ系ハーフと言っていたらしい」
 らしいというのは、本人がそう言っていただけで、どことどこのということは本人からは言っていない。
 出身もよく解らず、マリアンヌの恋人になったのはコーヒーショップで知り合った関係。ただ二人がそう言っているだけなので本当かどうかも解らない。それから二年ほど一緒に暮らしていたらしいが、テオの仕事が海外になると別れた。それでも友人関係が続いていて、ドイツに出張するたびにテオがマリアンヌを訪ねていた。
 しかしヴェルターが死んだ後、マリアンヌの行方が解らなくなる。ヴェルターとともに消されたにしては遺体が出ない。もしかして誘拐されたのかもしれないと思っていると別ルートから、マリアンヌはドイツのマフィアグライヒのボスの愛人であることが解った。
こういうわけで、頻繁にマリアンヌのところに出入りしていたテオも当然グライヒ組織の人間かと思われたが、そのテオがドイツから海外に転勤したという事実がないのだ。
 そもそもテオの仕事が輸入関係と言っていたがそんな人間は存在しなかった。
 テオ・エルツェという人間自体が存在しない。だからこれは偽名であり、マリアンヌはそれを知らなかっただろうと思われた。
 けれどテオがなにをしたのかという話になると、これがさっぱり解らない。マリアンヌがグライヒのボスの愛人だったから、そこから情報を得ようとしたのだろうが、それをして得になることがないのだ。
 グライヒは確かにドイツ内では力があるマフィアではある。だがそれも一度外に出ればなんてことない小さな組織だ。それこそ宝生と比べても小さいと言えた。だからこそ海外輸出の利権を手にしたいのだろうが、あの辺はロシアマフィアの方が強く、手を出したらグライヒの方がすぐに潰される。
 グライヒが宝生の小さな取引現場を荒らしたことは解っていて、それを煌和会のせいにしていることも知っている。それでも耀が何もしないのは、この間ドイツで会ったツァーリのボス、アキームと取引を提携したことで被害はゼロに押さえていた。
 ただグライヒがいくら宝生のことを疎ましく思っていても、抗争に発展すれば勝ち目がないのはグライヒの方だ。それが解らないほどの何かがあったとすれば、グライヒの後ろに何かいることになる。
 それが何かまだ解らないが、思い当たることが出てきた。
「ヴァス?」
「ドイツ語で「何?」という意味になる。それはそのまま何なのか解らないという意味で使われて、そのまま組織の名前を刺す言葉になった」
 ドイツ語でヴァスというけれど、それは他の国に行くと別の言葉になることがある。もっとも日本ではクトータというロシア語読みとなっている。
 この組織がなんなのか誰にも解っていない。そもそも組織として実体があるのかどうかも解らないのだ。だから「何」と言われる。
 もちろん参加したこともある人間もいるが、頼まれた普通の依頼でおかしなところはなかったという。そういう話が降り積もって何かが存在すると周りが認識したと言えよう。
「その中心にいるのが、このテオってやつ?」
寧野がテオの写真を見て首を傾げる。
 テオを見て寺尾として行動していた時のことを思い出す。すごく暢気であの状況で人の戦う姿を見て「素晴らしい」と誉めたりしていたが、加勢はしなかったなと。内部に潜り込む計画が霧散したというのに、彼は寧野が戦っているのを手助けはしたくらいだ。どうやらあの場所に居たのは彼一人ではなかったのかもしれない。
 そう考えると彼が織部寧野がなんなのか解っていながら手出ししなかった理由がちょっとだけ解らない。
「スラブ系の男の目撃がかなりあるのは事実だ。この男がそうだとしたら、テオという名前も偽名で他に名前があるのかもしれない」
 この人物が謎の組織、クトータの人間。
 じっと写真を眺めていてふと寧野は思い出す。
 テオをどこかで見た記憶があるのだ。だからなのか、最初から見捨てることが出来なかった。あんな夢を見た後だからそう思うのかもしれないが、それでも彼はすごく似ていた。
 思わずパソコンの画面に手を伸ばして画面を撫でていた。
 それを見ていた耀の怒りが瞬時に沸く。恋人の目の前で知らない男を撫でて懐かしそうに見ているのを見れば、たいていの人間は切れるだろう。
 撫でていた手を強く握り撫でるのを止めさせて問いただそうとしたのだが、驚いて顔を上げた寧野が泣いていた。
「……!」
 予想外すぎる寧野の行動に、さすがの耀も怒りを納めた。涙がぽろりと頬を伝って落ちたところで寧野本人も自分が泣いていた事実に気づいた。
「うわ……何これ」
 慌てて涙を拭こうとしたが耀に手を握られているのに気づいた。
「え? え!?」
 ぐっと力を込められて寧野は耀の胸に抱き寄せられた。
「なぜ泣く」
 自分の知らないことで寧野が泣いているのが耀には我慢ならない。理解出来ることならしてあげられるが、今は見知らぬ男のために寧野が泣いているのだ。嫉妬でおかしくなりそうなのに、泣いている寧野が理解していないのでは怒りようもない。
 だから抱きしめるしかない。
優しく抱き寄せられて初めて寧野は自分が耀に心配されていて大事にされていると解った。
「……なんでか、懐かしい気がした……忘れちゃいけないこと忘れてた。俺、こいつ見ると 母さんと二人で暮らしていた時のこと思い出して」
 寧野がそこまで言うと、耀と九猪が顔を見合わせた。
 寧野の母親は交通事故で亡くなっている。ただ死に方が異常で確実に殺されたと言っていい。しかし犯人がすぐに捕まったのと上告せずに刑に服したために事件自体が早期解決し忘れられた。
 寧野はその時、父親とは離れて母親と一緒に暮らしていた。別に離婚したわけではなく、家庭の事情で別々の生活をしていたらしい。その時に寧野の母親である茅乃(かやの)の方についていっていた。どうしてこの時期に二人が別居したのか。それは寧野の親戚になる鵺(イエ)の龍頭(ルンタウ)から依然聞いた気がする。
 寧樹に会いに来た当時の鵺(イエ)の龍頭を狙ったものたちから寧樹が龍頭を助けたために命を狙われ、妻と息子を隠したのだという。しかしすぐに探し出され妻は殺された。
 龍頭(ルンタウ)はその首謀者を捜し出し制裁を加えたが、妻の命が戻るわけではない。これ以上二人に構うことは二人を殺すことになると解った龍頭は二度と寧樹の前に姿を見せなかった。
 龍頭が寧野を気遣って当時の蔡宗蒼(ツァイ ゾンツァン)を寄越したのは、そうしないと守れないからだ。しかしそれでも鵺(イエ)であることは絶対に秘密にしなければいけなかった。
 だがそれでもそれだけではないだろうと気になることを蔡宗蒼(ツァイ ゾンツァン)が言っていた。
 最近になって寧樹に会おうとした龍頭(ルンタウ)の動機が、どうも寧樹の妻であった茅乃にあったらしいのだ。
 それはやはり気になるところだ。蔡宗蒼(ツァイ ゾンツァン)は物騒なことを言っていた。龍頭はもしかしたら母親を殺そうとしていたのではないかということだ。そういう記述がいくつかみつかったらしい。
 こうなると気になってくるので耀は寧野の母親である茅乃の過去を九猪に調べさせていた。
 解ったことは結婚する前の茅乃の名字は真境名(まじきな)といい、沖縄出身である。父親はおらず、母親のるみ子と1つ年上の姉の亜矢子。茅乃の顔立ちは海外の血が混ざっていたのか、写真はどうもロシアの血が混ざっているらしい。
 ここで大問題が生じる。父親がロシア人となると、沖縄のやくざである高嶺会との関わりがあるのではないかということだ。高嶺会の現在の会長は古我知才門(こがち さいもん)。現在45歳で10年前に前会長の真栄城光藍(まえしろ こうらん)から会長の座を譲り受けた。
 この光藍の妻がロシア人なのだ。それもマトカと呼ばれるロシアンマフィアの中核者の一人娘らしい。らしいというのはロシアンマフィアは人前にマフィアだと顔を見せることはないからだ。
 そのお陰でロシアからの援助を受けた沖縄は九十九事件や様々な事件の余波を食らうことなく独立している。
 だから沖縄とロシアの繋がりを不審に思うのは仕方ない。だがもし本当に寧野の母親を龍頭(ルンタウ)が殺そうとしたとしたら、その繋がりが本当に気になるものだったのかもしれない。
 そこから真境名(まじきな)を調べた。茅乃の姉である亜矢子を調べた段階で耀は頭を抱えた。
 真境名(まじきな)亜矢子は結婚こそしていないが、現在の高嶺会会長の古我知才門(こがち さいもん)の子どもを二人産んでいるのである。一人は息子で才門(さいもん)が引き取っている。名前は紫苑(しおん)といい、22歳だ。もう一人は娘の弓弦(ゆづる)だが、こちらは認知はされているが現在どこで何をしているのか解らない。 家出してそれっきりらしい。
 よりにもよってそういう繋がりが出来てしまったのは面倒だった。
 それから茅乃の母親るみ子を調べた。るみ子は現在も生きているが、ほぼ隠居したような形で暮らしている。この人は寧野が一人になったときに連絡をしたが、電話にすら出なかった人だった。
 だがそれが気になり調べると、彼女が現在世話になっている兄が問題だった。
 そうるみ子の兄が真栄城光藍(まえしろ こうらん)なのである。
 耀はその報告に盛大にため息を吐いた。
 どうしてこうもやっかいなところとばかりなのか、本気で目眩しかしない。
 つまり寧野の父親は、貉(ハオ)の愛子(エジャ)と鵺(イエ)の龍頭(ルンタウ)司空(シコーン)(世間では愛子(エジャ)の相手はは貉(ハオ)の龍頭(ルンタウ)とされている)。母親は高嶺会の前会長の妹の血筋。おまけにロシア人がただのロシア人であるはずがなく、マトカの誰かということになるだろう。
 そのころだと出入りするロシア人はきっとマトカの関係者だろうからだ。だが直接的に高嶺会と寧野が繋がっているわけではない。ただ血筋の中に高嶺会と繋がっているものがいるだけだ。
 だからあの時、寧野を引き取ることが出来なかったのは解らなくもない。貉(ハオ)の息子を抱えられるほど光藍は寛容ではなかったのだ。光藍に世話になっているるみ子には何も出来なかっただろうし、亜矢子に至っても同様だ。
寧野はこの事実をまだ知らない。知らなくても生きていけるから必要な時に知らせるつもりではいた。
耀は、この事を寧野に話した。ただ鵺(イエ)の前龍頭(ルンタウ)が寧野の母親である茅乃を殺害しようとしていたかもしれないという事実だけは伏せた。これはまだ確証はないし、これからも証人が出ない限り証明されるモノではないだろうからだ。
 それを聞いた寧野は、暫く聞いていてからじっと考え込んだ。
「あのさ、もしかしてクオーターでスラブ系の人、その光藍という人のロシア 人妻から生まれた中にいないかな?」
「思い当たる人間がいるのか?」
 寧野の言葉に耀が聞き返すが寧野は静かに母親のことを思い出していた。
「母さんが言っていたことをちょっとずつ思い出せてきているんだけど、母さんと俺が二人で暮らしていた時、母さんは誰か知り合いを頼ってた。その人のことを姉さん、青良(せいら)姉さんって言っていて、青良(せいら)って人の子どもと俺、知り合ってるんだ。その」
「つまりテオがその青良(せいら)の子どもじゃないかというわけか?」
「解らない……その子どもの写真でもあれば」
 寧野はそう言って耀をみる。ずっと無くなっていた記憶がここ最近の騒動で読み返りつつある。それがどういう意味を持つのか寧野は思い出すのが怖かった。
 だが今なら大丈夫だ、耀がいる。そう思い直して思い出そうとした。
「光藍の娘に青良(せいら)という女性がいる。すでに亡くなっているが子どもがいる。名前は俐皇年は27。写真は……残念だがスラブ系ではないな」
 そこに移っているのは無骨な日本人の顔。顎は大きく目は鋭いが、寧野の記憶とはほど遠い人相になっている。
「似てないか……よかった」
 しかしこれで納得しなかったのは九猪だった。
「ちょっと待ってください。私、この顔を最近見た気がして……確か、嵯峨根会を調べていて引っかかっていたことで」
「そりゃそうだろう。この俐皇は現在嵯峨根会の傘下の高岸一家の総長だからな」
 それを聞いて寧野は何だとと驚いた顔をする。
「その青良(せいら)が再婚したんだが、イタリアで事故にあってその後沖縄の青良の兄である安里(あんり)が引き取ったんだが、安里の妻の伝で高岸一家の方へ預けたらしい。どうも光藍と青良が仲違いをしたままだったらしく、俐皇に辛く当たる可能性があったようだ。そこで高岸一家が俐皇を引き取って育てた。その一家の信頼が厚いのか総長になった。高岸一家の息子を差し置いて」
「それって普通もめるんじゃ?」
 寧野はそう言うと、耀は別の写真を出した。
「この……」
 説明をしようとしたとたん、耀は驚いた顔をしたまま固まった。
「耀どうし……」
 耀が何に驚いているのか聞き返そうとして、高岸一家の息子である清影(きよかげ)の写真を見て同じく固まった。
「ふざけてるのかこれは」
 ちゃんと調査したはずの真栄城(まえしろ)俐皇の顔が、高岸清影の写真と似すぎているのである。俐皇と高岸家とは血の繋がりはない。だからここまで酷似することは絶対にあり得ない。
「やはりこれは清影の弟の写真と思われます」
「どういうことだ?」
「調査した人間が俐皇の写真を探していて勘違いしたと考えようと思ったのですが、調査を依頼した人間が確認もしなかったことはないと信頼しているので、これは俐皇側が仕組んだものだと思われます」
 それに寧野が首を傾げて尋ねた。
「というと、まさか写真を撮られることが解っているから、こういう行事の時に清影の弟に身代わりを頼んで自分の写真を偽ったってこと? でもそれバレるよね、いまこうやってバレてるわけだし」
 確かにこれは子どもの悪戯にしか過ぎない遊びだ。ちゃんと調べれば解ってしまう嘘だ。
「それでも宝生組のデータとしてその俐皇が二年以上真栄城(まえしろ)俐皇として登録されていたんですよ。さすがに警視庁や公安はこういう失敗はないでしょうが……そもそも、この俐皇が公の場にあまり姿を見せず、実質清影が総長代理をしているんです。だから誰も俐皇のことを気にしない……」
 九猪は自分の失態ではないが、これは大きな失態だ。
 実質二年以上、本物の俐皇を目の前にしても気づけなかったわけだ。
「九猪、調べ直しをしろ。たぶん俐皇はこいつで間違いないだろうが、 現在高岸一家に出入りしていないんだろう。だから高岸清一郎の方を先に調べ、この写真と同じであるのかを確認しろ。俐皇探しはこのテオの写真を元に行う。どこからか俐皇としての写真が手に入るはずだ」
 思ってもみないところから真栄城俐皇(まえしろ りおう)の写真が違うことに気づいたのだが、それがまったく真栄城俐皇を知らないはずの織部寧野からの指摘だったのは意外であった。
 だが寺尾として名乗った真栄城俐皇が、テオとの繋がりからすぐに宝生組に正体がバレると予想したことは、耀にとっては不快でしなかった。
 それは真栄城俐皇が織部寧野を知っていたことになる。それは耀が出会うずっと前の子どもの頃の話であっても、寧野すら覚えていないことであっても、懐かしくて涙した寧野が物語っている。印象が悪くない残りかたの青年であること。
「寧野、こいつを次見かけても絶対に近寄るな。名前を偽ってこの東京で何をしようとしているのか知らないが、俺以上に碌でもないことにきまっている。だから絶対近づくな」
 耀は真剣に寧野に言った。寧野は神妙に耀の話を聞き頷く。
 真栄城俐皇は確かに昔懐かしい気分にさせたが、それはすでに終わった話。今彼がチャイニーズマフィアの中に潜入して情報を得ようとするような、一家の総長とは思えない行動をしていることが、テオとしての行動の方が彼にとって重要だということ。テオがもしクトータの関係者だった場合、それこそ何があってもおかしくない。今回はたまたま寧野が巻き込まれただけだが、次もそうとは限らない。
 ただでさえ煌和会から誘拐と殺害の双方の依頼があったという話をしていたところだ。懐かしさで近づいて死んでしまっては意味がないだろう。
 懐かしさで泣けたのはきっと、母親の思い出が一緒に詰まっているからだ。だからその時一緒に過ごしたであろう人物を見て泣けるのは、そういう母親との暮らしの楽しさが懐かしかっただけだ。
 絶対にそうだと寧野が心を落ち着ける傍らで、耀が真剣な顔をしていた。 
 寧野にとって思い出の中でももっとも安堵するのは両親か耀かというくらいに寧野は孤独だ。そこに突然いい思い出ではないけれど、いい思い出として懐かしくなるくらいで泣ける相手が出てきたことが耀の心が穏やかではなくなる。こんな些細なことなのに寧野の世界の中心が自分でないことが許せない。
 寧野はあまりに無防備で、懐かしさであの男を受け入れかねないのが怖い。
 耀と同じ世界の人間で優れている方に寧野がついて行きそうだと錯覚したのだ。
 耀は初めて同年代の男に敵意を持った。
 これまで出来なくても年長や経験の差に甘えていた自分が見えて、さらにプライドが傷つけられる。
 そんな風に耀が思っていることなど、寧野は気づいていないがすっと耀の肩に手を当てて胸に頭を乗せた。
「俺の情報と記憶は、耀のためになったか?」
 寧野の言葉に耀はハッとする。
 寧野を見るとニコニコと笑っている。
「俺は耀のためになる記憶なら、ちゃんと思い出すから」
 そう言われて耀は寧野の頬に手を当て頬を撫でた。そしてゆっくりと唇にキスをした。
 自分が不安に思っていることを寧野に見抜かれたのだろうか。不安に思ってよからぬ事を考えていると、表情に出るのだろうか。それが寧野にはよく解るらしく、今のはきっと本音を言ってくれたのだろう。
 その一言がどれだけ耀を安心させるのか。寧野は知らないだろう。
 何度も寧野の唇を吸い、舌を絡めてキスを繰り返した。すっかりその気になった寧野が甘えてくるのを感じて今日の出来事の調査を終えることにした。
 どうせ真栄城俐皇の素性がはっきりしないことには、話が憶測でしか進まない。寧野がもたらした情報でどこまで真相が分かるのかは、これから集める情報にかかっている。
 そして寧野が知らない、寧野の母親織部茅乃(かやの)の死の真相も同時に蔡宗蒼(ツァイ ゾンツァン)に続報を頼むことにした。