novel

spiralling-17

 真栄城俐皇(まえしろ りおう)について。
 生まれは大阪、父親は松比良正登(まつひら まさと)母親は真栄城青良(まえしろ せいら)の間に生まれる。父松比良は、現在の如罪組を作ったヤクザだが享年50歳、交通事故死している。母親青良は沖縄出身。父親の真栄城光藍(まえしろ こうらん)は沖縄のヤクザ高嶺会の前会長。母親はロシアマフィアより嫁いできたアナスタシア。ロシア系日本人ハーフとなる。
 俐皇は日本人であるがそのせいでスラブ系の顔立ちである。ロシア系日本人クォーター。
 松比良と青良が結婚したのは俐皇が4歳の時。それまでは半同棲をしていた。しかし松比良には渡里(わたり)(現如罪組組長)という11歳の息子がおり、その渡里と青良の仲違いから夫婦仲が壊れ離婚。俐皇はその時8歳。
 東京に移り住んでいたが、沖縄には戻らなかった。その後仕事で知り合った男性と青良が4年間半同棲。俐皇が14歳の時に再婚。
 俐皇はそれにともなってイタリアに移り住むことになる。
 男性の名はジョルジオ・デル・グロッソ。デル・グロッソ家がイタリアンマフィアの一家であることは有名で、青良(せいら)もそれを知っていて結婚。父親の光藍からは絶縁された。
 それから二年後、俐皇が16歳の時、イタリアの別荘にて火災で青良とジョルジオが死去。生き残ったのは俐皇だけで、その後俐皇は青良の兄安里に引き取られる。
 しかし沖縄ではなく、安里の妻藤子の実家、高岸家の一員として扱われ、大学卒業まで暮らしている。
 その後一家の総長になるも、嵯峨根会より理事長の高岸清影の方を総長代理として出すように言われ、俐皇が嵯峨根会の重要なことに顔出しをしたことはない。
 様々な血筋と沖縄の高嶺会に内部を浸食されたくない嵯峨根会の思惑であろうが、俐皇はそれを承諾している。
俐皇について。
 一番身近で暮らした清影からは、「こんな狭い世界ではもったいない。だから俐皇には自由でいてほしい」等、俐皇への絶対的な信頼と尊敬が伺いしれる。一家の長に俐皇を推薦したのも清影だったことから忠信がその時点で形成されている。その清影も俐皇同様に真面目で優秀である。だがその全てにおいて俐皇の方が優れているのだという。
 外見はスラブ系の容姿で肌は白人ほど白くはない。鼻筋が高くなっていて見た目で海外の人だと解る。髪型は真ん中で左右に分かれた髪で、それにウェーブがかかっており、肩までの長さだ。身長は185センチくらい、細身で運動神経は抜群。頭脳明晰であるが真面目ではない。学業はサボりが多く、出席日数もぎりぎりだが成績は優秀。
 大学院への進学を海外の大学にするといい、そのまま卒業。大学院へはいかずにいる。
 その大学院に行くといっていた4年ほどの期間、彼がどこで何をしていたのか、本人の談によると世界中を回って旅行していたことになっている。
 しかし戻ってきた俐皇は、高岸家にはほぼ居着かずに海外の仕事を一手に請け負っており、高岸一家はこれで一家の生計を立てていると言って過言でない。
 一家の評価はそこまで高くないのは清影(きよかげ)に総長になってもらいたかったという気持ちがそう言わせているだけで、俐皇の働きに関しては満足しており、さらに総長代理とはいえ、結果清影が総長のような立場で働く羽目になっていることで溜飲を下げているようだ。
 早い話、俐皇が総長を受けたのは恩があり、断るわけにはいかなかったという事情があるからと納得している。
 その俐皇が海外のどこで何をしているのかは一家の中で知るのは清影のみである。
 ちなみに写真に使われていた清影に似ている弟清一郎(せいいちろう)は、海外で結婚して大学の教員をしている。俐皇に姿を貸していたのは、どうも大学教員の仕事を探してくれ、何かと今でも世話をしてくれていることへの恩返しというところがある。彼が海外で自由気ままに生きられるのには俐皇が一家を継いで総長をやっているので、清一郎が手伝わなくてもいいと言われたからだ。
 前総長からすれば息子は一般社会に出したかったのかもしれない。
 俐皇の学生時代の評価はほぼ居なかった人という扱いだ。確かに優秀で運動も出来たが、人と関わることはあまりせず、早退や休みが多いためにつきあいがなかったと言えよう。しかしバイトなどの仲間は多く、どうやら社会では知り合いが多いようだった。
 寧野が出会った寺尾エルとしての俐皇はまさにその時の明るい茶目っ気のあるふざけたところもある人間だ。それはどうやら素の表情だという。
総長としての俐皇はそうしたふざけたところはないらしく、その時々で表情を使い分けることが出来るらしい。
 名前を使い分けているということは人格も使い分けているということで、当然様々な顔は見せるだろう。そう考えると一つの答えになる。
 偽名を使い、他人になりすまして過ごすのが常、まるでスパイのような生活を送っているようだ。
 寧野は本人が楽しんでやっているように見えたというから、本心から楽しんでやっている可能性もある。
 こうした報告書を読んでいて耀はこういう人間を一人知っていたことを思い出した。直接会ったことはないが、叔父や響から何度も話は聞いた。その人物は九十九朱明だ。
 九十九朱明は自分の身代わりを用意し殺人容疑から逃げ、他人になりすまし他人の人生を乗っ取って生きてきた人間。わざわざ公安の拠点の隣に住みスリルを楽しむという酔狂すぎる狂人だ。
 ここまで酷くはないが、それに似た何かがあるような気がした。
「思い違いであればいいんだが……」
 そうした感想を持った耀に、それはしかたないことだと納得するのは耀の叔父で父親代わりである宝生楸(ほうしょう ひさぎ)だ。
 41歳になりさらに凄みがました闇の帝王と呼ばれる宝生組組長代理は、耀が調べ直してきた真栄城俐皇(まえしろ りおう)の報告書を一緒に確認していた。
 まさか2年も別人の写真をデータとして残していたなど予想だにしない自体に、さすがの楸も苦笑するしかなかった。
 損害は出ていなかったようなので、早期に気づいてよかったと寧野の記憶を誉めたくらいだ。ただどうしてこれが罷り通ったのか誰にも解らないままだ。
 真栄城俐皇(まえしろ りおう)が数年間海外にいたことが事実誤認させた上に写真が撮られたのが高岸一家の総長就任式という重要な場所でまさか堂々と玉替えを使うとは誰も予想しなかったということだ。
 さらに嵯峨根会という大きな組の会長である都寺冬哩(つうす とうり)の資料すらまともにそろえられないくらいに、嵯峨根会に興味がなさ過ぎたのだろう。
 その嵯峨根会会長都寺会長の資料もまた入手するのが困難なレベルだった。というのも都寺会長がその地位に付くまで目立った行動をしていないことだ。そうなると印象もない人間の記憶なんて人にはないものだ。
 これからの人間だから最初の資料が必要な時にしくじったとなれば致し方ないとしか言えない。
 そのお陰でもあるが少ないながら膨大な報告書が届いた。
 特にもともと足りなかった部分を補強してのものだ。とりあえず俐皇の方から話を進めた。
「この俐皇がテオ・エルツェとして行動していたのは、間違いないようだ。今日、ドイツで生き残った黒川の身内に確認したところ、ヴェルター・ライの知り合いがテオの顔を覚えていて、俐皇の学生時代の顔を見せたところ、間違いないと言い切った」
 俐皇の学生時代の顔は大学で撮った学生証の写真だ。これは槙(まき)がどこからか入手してきたものだ。だから真栄城俐皇で間違いない。テオと俐皇を同一人物と言い切るなら相当知っていなければならない。もちろん写真も残っていて、ライから貰ったパーティー写真に偶然写っていたというものも持っていた。
 その写真に写っているテオは金髪に近い茶髪にしていたが、黒髪に塗り直したものを見せると俐皇と変わらない。
 俐皇は真っ黒な髪をしていて、そこは父親譲りだったらしい。そうした写真を集め方々で聞き回ると、俐皇は自分が真栄城俐皇だとバレていない間、相当宝生組の周りにいるチャイニーズマフィアの周りをうろついていたようだった。
「かなりの組のモノが俐皇を覚えていた。外国人に見えるがちょっと一般人に見えないという理由か」
 組関係の人間でも外回りをしている人間の鼻は相当すごい。危機を見分ける能力もそうだが、相手が日本人かそうでないかどころ、どこの国の人間か見分けられるのだという。普段から異国の人間と関わりを持つから可能なのだろう。
 そうした人間が俐皇をただ者ではないと覚えていることは、当たり前のことだ。
 道ばたでチャイニーズと会話しているところを目撃した人間が多く、それがどうも煌和会の人間に違いないと言うのだ。
 それこそ急先恐后(ヂォンシィェンコンホウ)のようなチンピラを集めた組織ではなく、煌和会の幹部の手下だったりする。
 どう考えても煌和会と俐皇が密会していることになる。
「道ばたで堂々とか。随分うちも舐められたものだな」
 まさかそんなところで重要な話をしているとは誰も思わなかったらしい。たまたまその時組幹部が煌和会の幹部の部下の顔を覚えていた為、よからぬ事をしていると感づいたのだという。
「嵯峨根会が煌和会と繋がっていることは最近解ったことだけど、二年も前からとなると意図的だったわけだ。こっちが九十九ともめて神経質になっていることも」
「まあ、神経質過ぎるくらいがいいと思ったが、よもや秋篠の理事と繋がっているとは思いもしなかったな」
 如罪組から破門された九十九をすぐに拾い上げ同じ時に自分の会に入れたのは確かに驚きだった。そのせいで暫く幹部が過剰反応して宝生組は混乱した。それが向こうの狙いだったとすれば正直やられたという気分だ。
 他の組が動揺するのは解るが、宝生がどう動くのかが向こうが反応を見たかっただけなら、もしかすると苦笑すら出来なかったかもしれない。当の組長と若頭の二人が大した反応はしなかったからだ。
 この組長代理の反応は至極まっとうな反応だった。
「九十九が放っておくのに俺が何しても仕方ないだろう」
 つまり九十九の名前を出すリスクを嵯峨根会が負っているなら自分が何かする必要は一切ない。それどころか九十九が反応して如罪組でも嵯峨根会でも潰してくれたらラッキーという非情な考えだ。
 組長代理がそういう考えでいる限り、宝生組は嵯峨根会の挑発に乗る必要がない。
「でもそれだけのはずはないと……」
 耀が心配するように組長代理は言った。
「昨日、ドイツからの連絡の時、黒川の息子から俐皇を見たと報告があった。昨日のうちに出国したらしい。今更ドイツに逆戻りなのは気になるが、こうなるとグライヒを唆したのはこいつということになる」
 俐皇がグライヒの愛人と繋がっていて、愛人からボスに宝生の取引を潰すように言いくるめたことになる。そもそもグライヒが宝生だけの取引を潰す理由がないのだ。宝生の取引を潰すということはコルチカマフィアのメンツも潰すことになる。それが解っていないわけがない。
 ただ今回煌和会絡みもあり、コルチカマフィアはグライヒに報復を見送っている。潰されたのは宝生側であるから別経由でツァーリと取り引きし直し、改めて宝生に渡したことで損害なしとなった。ただ宝生側は大きな損害になったが、コルチカマフィアの面目を潰すよりは断然マシな対処だった。
 この取引の損害を組内の幹部が耀に責任をとらせようとしていて現在揉めている。一部の幹部は耀が若頭として立っていることも気に入らない。大阪の総本部長若頭補佐の二人が特にそうだった。これが今回若頭補佐関東の方にも広がり、西塔組意外の三人がそちらに賛同して、組長代理に耀への制裁を加えるよう求めた。
 それによって耀にはドイツの取引から外されることになり、新垣組組長伊賀流里組長が耀の代わりにドイツ取引を請け負うことになった。
 ただ耀が使った緊急用のツァーリとの渡りはつけられず、無碍に断られたらしく、耀への新垣組組長からの風当たりが強い。さらにコルチカからはドイツでの落とし前をつけてから取引再開をしたいと言われ取引自体避けられる羽目になった。
 これら全てが耀のせいだと思っているらしい新垣組組長は更なる制裁を耀に求めたが、取引から外されたこと自体が新垣組組長が望んだことだとされ、組長代理から一蹴された。さらにコルチカマフィアから直接耀との取引をフランスで行いたいと誘われ、組長代理は耀に一任するしかなかった。
 つまりドイツの空っぽの取引現場を自分の意志で奪い取った新垣組組長が丸々損害を被っただけとなった。あのまま耀に任せていれば、その三倍以上の収益が得られるはずだったのに、その損害を補償させなかったのも他の幹部からは失笑ものだったらしい。
 幸いなことにフランスでの取引によって耀はドイツでの損失を補填し終えた。これにより耀の失態からの名誉回復はなされたわけだ。
 しかしドイツの取引現場を渡したくない新垣組組長は勝手な行動をしているようだと組長代理からの報告だった。
「俺に文句があるなら、出て行ってやってもいいんだけどなぁ」
 耀が珍しく冗談にならない愚痴を言った。それに組長代理は苦笑する。耀が冗談でも宝生組を捨ててやってもいいと口にしたのは初めてだったからだ。
 組という形式に捕らわれなくても、父親や祖父の意志は継げるのではないかと思い始めている証拠だ。
 昨今の取り締まりが厳しくなった暴力団という組織に変化を求め始めているのはよいことだった。
「形にこだわらないのもいいことだ」
「悪い……」
 すぐに耀は謝るがそれにも組長代理は苦笑する。
「守る物が出来て、そのために選んだ物が悪いものであるはずがない」
 そういうのは組長代理の恋人月時響が選んだ道のことであろう。響は楸を守るために会社を辞め、組員のための道場でのんびりしている。そうすることで楸を世間から守ることが出来る。それは絶対に変化することが出来ない楸を思ってのことだ。
 すべてにおいて達観して暮らしている組長代理が組長代理としていなくなるわけには出来ないからだ。今や宝生楸(ほうしょう ひさぎ)の名で持っている宝生組を投げ出すことは死んでも無理なのだ。
 だが耀は違うと楸は叔父として言っている。形態が違っても恋人である織部寧野を守る方法はいくらでもあるというのだ。
 むしろヤクザという立場を捨てた方が断然耀としては動きやすくなる。それは耀も感じてきたことだ。
 あの真栄城俐皇(まえしろ りおう)の写真の件も、寧野に見せたからこその結果なのだ。寧野にすべてを見せ、耀がしていることを知って貰うことが一番寧野を守ることが出来る気がしてきたのだ。
 月時響と俺は違う。そう寧野が言っていたことが現実味を帯びてきたといえよう。響の時と違い、寧野の生まれが特殊過ぎた。
「問題なのは、真栄城俐皇もまた織部寧野に対して興味を抱いたというところか」
 そう組長代理が言う。
 それに耀は頷いた。
 真栄城俐皇が織部寧野が何者なのか知っていたと寧野が言っていた。織部寧野というフルネームを知っている人間など警察かヤクザくらいだ。その名前で宝生組若頭、宝生耀の情人だと理解で出来る。さらにそこから踏み込んだところまで知っていたとしたら、寧野が特殊な生まれであり、何かで貉(ハオ)から狙われていたことも知っているはずだ。
 宝生や鵺(イエ)が寧野の保護をしていることも当然知っていて当たり前になる。そうなると寧野の利用価値がそれなりに増える。
 だからあの場で真栄城俐皇は寧野を殺す、または誘拐することが出来た。誘拐に至っては、それこそ急先恐后(ヂォンシィェンコンホウ)の罪を擦り付けることが出来た。
 それをせずに寧野の脱出を手伝い、当初の目的を果たして逃げたとなれば、あの場で寧野を誘拐しても俐皇の方で監禁しておく場所を確保出来ていなかったと冷静に考えた可能性がある。
「気持ち悪いくらいやり方があいつに似てる」
 すべての準備を終えてからすべての予測不可能なことに対処できる準備もして、それから一気に攻撃をしかけてくる。
「この前からずっと考えていたことだが、そのクトータという組織、九十九が関係していると疑っている」
 組長代理がそう口にしたとたん、耀の中では驚きもあったが合点が行った。
「だからやり口が似てるのか」
 俐皇が独断で動いているとはいえ、ここまで巧妙に自分を隠していくことに卓越した能力を発揮できているのは、その教師がいるからだ。俐皇は九十九朱明の弟子である可能性が高くなった。
「テオ・エルツェから随分踏み込んだところまで解ってきたな。織部寧野の観察眼には感謝する。それこそ過去の繋がりがなければ、真栄城俐皇のことなど調べようと思いもしなかったところだ」
 あくまで末端一家の総長だ。そこまで重要ではない人間なら、写真と名前と簡単な経歴しかない。まして高岸一家は俐皇より高岸清影の存在の方が大きいため、自然と資料は清影のものばかりになる。
「よもや九十九に弟子がいるとは予想だにしてなかったが、やはり育てているのは間違いないようだな」
 九十九ほどの技術と頭脳を持った人間が年老いて自分で身動きが出来なくなってくる年になれば自然と弟子のような、自分の手足になって動く駒がほしくなるだろう。だから九十九も例外ではない。
 ただあの男の酔狂なところは、まともな弟子は作らないということだ。だからあれほど俐皇が自由で目的さえ果たせばそれでいいというような行動をしているのだろう。
 それさえも九十九の計算内だというのだから恐ろしい。
「この俐皇が何をしているのか追った方がいいな」
 ドイツに出戻って何をするのか確認する必要が出てきた。
「新垣組組長がまた文句言いそうだな」
「あそこは少し発言が問題過ぎる。幹部の中から次の功績がでなければ幹部の地位も下げるべきだと話がきている。若頭に対して若頭を止めろという言葉はどうやら他の幹部の逆鱗に触れたらしい」
「らしいって……」
 大した問題ではないように言う。
 この世界は組長の言葉が絶対だ。その組長が耀にきちんと罰を与えて耀もそれを受けて、さらには損失を埋めた。それで文句はないはずなのに、組長の言葉すら受け取らず反論するなら、組長批判をしているも同然。この世界においてそれは反逆と見なされる。まして今回のような場合の耀の失態は耀の失態には当たらないと他の幹部も思っている。要は損失を埋めれさえすればそれでいい。結果がすべての世界で一般社会のようなつまらない責任で辞任なんてことはそれこそ他の組員への示しにならない。
 それが新垣組組長には解らないときている。
 また新垣組組長のように大した功績がないのにドイツを任されること自体が他の幹部からすれば嫉妬の対象だ。
 だがその嫉妬が失笑になったのは、新垣組組長のあまりにもお粗末な就任騒ぎだった。そこで新垣組組長は反若頭組織の者からの信頼も一気に失墜した。
 これを組長代理が狙ったとしたら、恐ろしいやり方だ。
 しかし今回少しだけきな臭くなってしまったのは、真栄城俐皇(まえしろ りおう)の存在であろう。これは計算外だったのだ。
「ヤクザの世界において、若頭になった時点で時期組長だ。それに対して尊敬も抱けないと平然と口にする輩は膿なんだ。裏ではいくらでも言っていいことだが、面と向かって会合で言うことは恥なんだ。言われている耀にそこまでの責がない場合はな」
 組長代理は代理としてその地位を絶対にしなければならない。だから部下の一言で若頭にそこまでの責がない場合、やりすぎれば余計に反感を買う。まして耀が宝生組に損失を与えようとして与えたなんて、ありえないことまで口にした新垣組組長は、少しだけ組長代理の逆鱗に触れたと言っていい。
 それを聞いて耀は喜ぶどころか不安になった。自分が宝生組の跡取りとして育ってきたのは皆が望んだからだ。だからそうしなければならないと思い、必死になって生きてきた。だが若頭になって、自分の存在が時々組長代理の不利になっているのではないかということだ。
 ここまで大きくなった宝生組を世襲制というくだらない縛りにしてしまっていいのかという疑問が皆に沸いていることだろう。
 しかしそれは組長代理がいて初めてそう思えることで、組長代理が抜けた後、果たして世襲制を廃止した方がいいといえる人間が何人残っているのか。
「オレのことはいいけどさ。ドイツの方はどうする? 他に宛てがなきゃ俺がってことになるだろう?」
 ドイツに詳しいのは今のところ耀しかいない。真栄城俐皇(まえしろ りおう)のことはまだ幹部には伏せている。彼が特段何かしたわけではない以上、追いかけてまで警戒する理由がないからだ。
 ドイツの煌和会関係の調べもまだ続いていて、密輸のことで手が一杯の新垣組組長にはとてもじゃないが同時進行できることではない為、組長代理が直接請け負っている。しかし現地調査が現地民の暗殺により、困難になっている今、組長代理か耀が直接行ってくるしかない。
 現地にいる黒川組員は高齢で身動きが取れないが、人員は集めてくれていてその調整にどうしてもどちらかがいかなければならない。
「黒川から渡したい資料が出来たと連絡があった。あれも年で電話以外の連絡手段が取れないから資料は直接私かお前に渡したいと」
「なんの資料?」
「マトカとデル・グロッソの確執の調査だと本人は言っている」
 古い資料で唯一一人にだけ見せたものだと黒川は言っていた。それが今必要になるとは本人も思っていなかったらしく、今こそ役立ててほしいと言っていた。内容に関しては読み上げることも可能だが、その枚数が数百に及べば無茶だと誰もが理解する。
「デル・グロッソはまだしも、マトカの情報となると……絶対にほしいな」
「だろう、だから他の組員に任せるわけにはいかない理由も解るだろう」
「なら、俺が行く。組長代理は明後日に長沢原組長と会合があっただろう。あそこは組長代理しか信用してないからそれこそ代理がいない」 
 長沢原(ながさわはら)組は、九十九事件の後から宝生とは杯を交わす間柄だ。恨みは同等というより、すべての施設に被害を被った彼等の方が大きかった。そういうことで反撃をし、九十九に打撃をあえて当面の活動を困難に陥れ、今現在も九十九への牽制になっている宝生組とは親しくしたいのだろう。 
 宝生としてもそれなりの利益が得られるならと九十九に関しては共同戦線を張っている。
 ついこの間、嵯峨根会の幹部の中に九十九がいたことが長沢原の機嫌を損ねたらしい。
 とりあえず耀がドイツに行くことにして、組長代理は予定通り行動することになった。
 二人が話し合っていたのは、組長代理の自宅で耀も数年前まで住んでいたところだ。中はさほど変わってはいないが、耀が常備していた私物がない分、耀にはここが自分の家ではないと思えた。懐かしさはあるが、懐かしいだけでここに帰ってきたいと思えないのは少し不思議だった。
「じゃ帰る」
 そう言って立ち上がった時、タイミング良く、ここで一緒に住んでいた組長代理で耀の育ての親で家政夫だった月時響が帰ってきた。道場が7時に終わって歩いて帰ってくればこれくらいの時間になる。
 懐かしい顔がひょっこりと居間に顔を出してきて驚いた表情になる。
「あれ、耀きてたのか。言ってくれればご飯用意したのに」
 今日耀が来たのは緊急のことで響には言っていなかった。それを響が不満に思って言うのだが、耀は自然と笑って言っていた。
「飯は寧野に用意させてるから、今日は帰るね」
 まるで駄々をこねる子供をあやすかのように、頭を二三回軽く叩いて横をすり抜けていく。それを響が追ってきて玄関で見送ってくれた。
「気をつけてね」
 何がどう気をつけてなのか解らないが、たぶん全部のことだろう。
 どういうわけか今日は心配する響の顔がいつも異常に寂しそうだったのは何故だろうと耀は少しだけ不思議に思った。
「大丈夫だよ、おやすみ響」
にっこり笑って部屋から出る。外には組長代理のボディガードが何人か居て、その中に億伎がいて一緒に車に戻る。九猪は車で待っていてパソコンで仕事をしていた。

 耀が部屋から出ていくと、響は慌てて楸の側に戻る。
「なんだ?」
 戻ってきた響の顔が困った顔をしていたので楸が不思議そうに尋ねた。
「いや……なんていうか、いい男になったよな耀は」
 響がそう感想を漏らすと、楸は何のことかと呆れた顔になる。
「何を言っている。お前が育てておいて、いい男になる以外、何になるっていうんだ?」
 響の子育てこそ宝生耀という人間の形成にどれほどの人力を注いだか解らない。楸ほどの酷さで育たなかったのは響がいてくれたからこそのこと。
「うん、でも昨日まで子供だって思ってたけど、男になったんだなって思えて、なんか寂しい」
 これには苦笑するしかない楸だった。
 子供が親離れをしてしまった時に感じる親の寂しさといえようか。耀は確かに大学から離れて暮らしているが、それは離れて暮らしているだけであって、ずっと響の可愛い子のままだった。
 それが可愛い子が、いい男に見えるということは子供だった部分を響の前で出さなくなったということだ。それは甘える対象が響から恋人に移ったという事だ。
 喜ばしいことなのに、寂しさがあるのは仕方ないだろう。急に訪れた親離れだから。
「仕方ない、あれももう24だ。俺がこの組を継いだ年と同じ。もうそんなに経ってたわけだ」
 自分で響を納得させようとして、そんなに経っていた事実にちょっとだけ納得した。まだ まだ可愛い息子だと思っていたのに、自分が組を背負っていくと決めた年を過ぎていた。そう考えると様々なことを考えていた自分と重なり子供だといえなくなる。
「そっか……そうだな」
 響は自分たちが様々な気持ちを持って過ごした時間の始まりと変わらない年になった耀がそう見えるのは、おかしくないことだと納得できた。
 嬉しいけれど寂しいという顔をする響を楸は抱き寄せて撫でてやった。


 帰り着いた耀は、寧野が待っている家に帰り居着いた。
 昨日、二人のために組とは関係ない家を買ったが、そこに私物を簡単に持ち込んで既に寧野を住まわせている。前のマンションより寧野の会社が近くなっただけあって、寧野は耀より絶対に先に帰り着く。
 簡単に食事を用意して、耀が帰り着くと玄関まで出てきた。
「おかえり」
 にこりと笑ってエプロン姿で言われて、耀はにこりとほほえみ返した。
 ああ、帰ってきたという気分になった。
 あの二人は確かに家族だけれど、もうこういう気分になることはないだろうと思えた。自分の家族を持つということは、こういうことなのだ。それが解るような育て方をしてくれた楸と響に耀は再度感謝した。

 ただどうして、ここまで自分が幸せであることを噛みしめているのか理解するのに、激痛という痛みが伴ったのは間違いない。
 ドイツにて、耀がグライヒの組織に襲撃を受け、耀だけ行方不明になったのである。